燗呪いが意味するのは大暗黒の再来。しかし、ヴィラローザが咄嗟に思い浮かべたのは ( ーデ イのことだった。 魔物に襲われて命を落とし、今の主によって甦ったという ( ーディ。彼が死人であること は、斬り落とされた手首が、見る間に元どおりになったことからでも明らかだった。 奇しくも、シグルトが『魔』を封じてより、ちょうど一千年が経過している。ならば、 ディの主というのは、 ( 魔王 ? まさか、そんな : : : ) 「シグルトが『魔』を封じ込めたのは、聖地といわれるソルの森の中でも、地面に流れる気 地脈が最も集まる所。つまり、ここです」 ふういん 「この、場所 ? では、この塔も封印の一部なのか」 かえんとうディール 「さよう。封印そのものは、ラ・ディンに授けられた火炎刀『烈火』 , ーーあなたのお持ちのそ の剣によるものですが、塔はその封印を維持する役目を持っている。シグルトは後の世での魔 けねん 王の出現を懸念し、『魔』を封じたこの場に、二重の封印の意味をもって塔の建設を提言した のです。そして、いかなる権力にも支配されない賢者たちに、その維持を託した。時は流れま ひそ したが、塔の真の役目は密かに受け継がれております」 塔の存在自体が、シグルトと強く結び付いている。それ故、『烈火』を持つものがシグルト であることもまた、代々の大賢者によって語り伝えられてきたのだ。
また、マクダレナ国王の臣下ではない。王が何と言おうと、塔は絶対にあの場にあらねばなら ないのだ ! 、その理由については、たとえ相手が国王でも、軽々しく話すことはできなかった。塔 の存在に秘められた真の意味は、人間の世の存続に直接関わることだから ( ついに、運命が動き始めたか。一千年前の予言のままに : : : ) リヌスは苦い思いを噛み締めた。 果たして、塔の移転は国王自身の意思なのか、それとも他の者の意思なのか。そして、塔の 移転を望む者は、その真の意味を知っているのか否か ? レギン三世に真意を強く問いただしたリヌスだったが、王はとたんに話をそらし、「エメリ アの見舞いに行かねば」と、モゴモゴ言い訳しながら退出してしまったのだ。 エメリアという聞き馴れぬ名に、リヌスは改めて記憶を手繰ってみた。確か、王の側室腹の 娘に、そんな名前の王女がいたはずだ。身体が弱いとかで、王宮の敷地の隅に建てられた離宮 に暮らし、めったに人前に姿を見せないと聞いている。リヌスも顔を合わせたことはなく、印 象の薄い王女だった。 ( ーーとにかく ) リヌスは厳しい表情で、豊かな白いあごひげをしごいた。 ( 王の真意はともかく、塔の移転だけは絶対に阻止せねば ) しんか
39 浄化 けんじゃ マクダレナ王国は、領土の北東部に原初の森と呼ばれるソルの西部を戴く。世に名高き賢者 の塔は、その最西端に位置していた。 きわ つど 権力を嫌い、真理を究める賢者たちの集う場所。そこは、いかなる国のいかなる権力からも 切り離されており、マクダレナの国が建つ以前よりそこにあった。 塔の奥深くには、通常人の知り得ない、伝説と予言が眠っているという。 一ーーーーまったく、王は何を考えておられるのか」 いきどお 塔の最長老、大賢者リヌスは、憤りもあらわに王宮を後にした。ただならぬその様子に、 ひか じゅうしゃ ぎよしゃ 従者も馬車の御者も、声をかけることを差し控えたほどだ。 ものごしおだ 厳格だが物腰穏やかなリヌスとしては、実に珍しいことである。しかし、それも無理からぬ こと あんじよう さんじよう 王宮からのいきなりの呼び出しに、良からぬ予感を抱えて参上してみれば案の定。国王レ じきじき ギン三世から直々に持ちかけられたのは、創設より一千年、一度も持ち上がったことのない塔 いっしゅう の移転話だったのだ。もちろん、すぐに一蹴してやったが : マクダレナ領内にあるとはいえ、塔はいかなる権力にも属さぬもの。そこに集う賢者たちも 0 0 いただ
「今さっき出て行った老人 ? 白いあごひげの ? ああ : : : 」 あるじ たてごと うなず 主は思い当たったように頷いた。古ぼけた看板を掲げていたのは店ではなく、竪琴職人のエ 房だった。 「塔のリヌス様だよ」 「塔 ? 」 あざけ シルヴィが聞き返すと、主の表情に軽い嘲りが浮かんだ。 けんじゃ 「あんたたち、よそ者だな。このマクダレナで塔といえば、賢者の塔に決まってるんだよ」 「ああ、聞いたことがある。ソルの森の西端にあるって、アレだな」 ヴィラローザは頷いた。気づかなかったが、森を出るときそばを通ったに違いない。 「じゃあ、そのリヌス様とやらは賢者なのか ? 」 めいしゅ 浄 「ああ、それも大賢者様だ。あの方は学問だけじゃなく、竪琴のほうもなかなかの名手でな。 さっきは、新しい竪琴を注文にきてくださったのさ。王宮へ出向いた帰りだと言ってらした 「あの店から出てきたんだろう」 ヴィラローザは小さく笑うと、シルヴィの腕をつかんだまま、古ぼけた看板目指して走り出 した。 カカ
102 いたのかもしれない。 だが、奇妙なことはもうひとつある。 「ちょっと、そこら辺を歩いてくるよ」 「あっ、じゃあ、おいらも一緒に : : : 」 腰を浮かせかけたロシュをシルヴィは制し、 「ロシュは念のため、もう少し休んでな」 「ええ、・」 不服そうな声を背にして部屋を出た。 さつぶうけい ろうか めぐ 殺風景な石の廊下は外に面してぐるりと塔を巡「ており、その内側に幾つもの部屋が並んで いる。シルヴィは足を止め、ゆっくりと視線を巡らせた。 ( 内部は全然、見覚えがないな ) きしかん 実は塔に着いたおり、不思議な既視感に見舞われたのだ。シルヴィが育ったのは同じソルの 森でも、もっと奥の国境付近。塔になど、近づいたことすらないというのに : ( 空白の十二年間が、答えを握っているのかもしれない ) しかし、そのことを祖父に問う決心はなかなかっかなかった。
124 なのは実証済みだ。ヴィラローザはドボドボと葡萄酒を注ぎ人れた。 「あいつはほとんど飲めないんだ。おまけに、今は声をかけられる状態じゃない」 「聞こえるだろう、ほら」 しぐさ ヴィラローザは耳を澄ます仕草をした。納得したようにロシ = が頷く。 「ああ、この竪琴、シルヴィなのか。なんか、懐かしいっていうか、切ない感じがするよね」 「あいつの今の心境さ。明日、ここを発つからな」 「えつ、もう ? だって、シルヴィはじいちゃんに会ったばかりじゃないか」 わけ 「まあ、いろいろ理由があってな : : : 」 ヴィラローザは杯の中身を一気に飲み干した。 ねら 魔王が塔に狙いをつけている以上、シルヴィがここにいては、アスローンを宿していること を魔王に知られる恐れがある。ただでも、魔王に関わると思われる ( ーディに狙われているの だ。これ以上の危険は避けなければならなかった。 それが、今の時点で取れる最善の方法であることは、シルヴィ自身もよく理解していた。だ かちゅう が、すでに渦中にあるリヌスを残してというのが、どうにも心残りであるらしい。 塔のことに関しては、塔内外の賢者たちに事態を説明し、一致団結してレギン三世の横暴を 必ず阻止してみせるとリヌスは言っている。しかし、それもまた、相手が人間であればの対抗 なっとく
101 浄化 複雑そうなシルヴィの様子に、ロシュは首を傾げた。 「よかったじゃん。会いたかったんだろう ? 」 あいまい シルヴィは答えず、曖昧な笑みを浮かべただけだった。 帰って来ないほうがよかったのに・ つぶや 確かに聞いた、祖父のあの呟き。おまけに塔についてからというもの、シルヴィはほとんど リヌスと顔を合わせていなかった。リヌスのほうが避けているのは明らかだ。 ロシュさえ倒れなければ、自分をこの塔に連れてくるつもりすらなかったのかもしれない。 それを裏付けるように、リヌスは塔にいる他の賢者たちに、シルヴィらは危ないところを助け てくれた旅人、とのみ説明したのだ。 ( なに期待してたんだろう、俺 : : : ) 祖父に会いたいと思ったのは、自分について知りたかったからだ。生きているとは知らなか ったし、よしんば知っていたとしても、抱き締めて会いたかったと涙してほしいなどとは思わ なかったはずだ。共に暮らしていたころから、そういう親密な関係ではなかったのだから。 では、なぜ、今こんなにも落ち込んでいるのだろうか。不思議だった。自分の感情が理解で きない。 ( ロシュに感化されたのかな ? ) おくめん 臆面もなく、養い親を大好きだと言ってのけたロシュ。無意識のうちに、自分を彼と重ねて かし
な不可思議な気分で扉に手を掛けた。いや、手を掛けようとして、扉が細かく振動しているこ とに気がついた。 「ね、ねえちゃん。なんか変だよ」 おび ロシュが怯えたような声を上げる 扉だけではない。壁も、柱も、窓枠も、この部屋のすべてが震えているのだ。 ズズ : ・ズ : ・ズズズ : 地を這うような地鳴りの音が、しだいに大きくなってくる。 「ーーー地震か ? 」 すさ 次の瞬間、下から突き上げるような妻まじい衝撃が、塔全体を駆け抜けた。 月が雲に押し隠されると、ソルの森は深い闇につつまれた。 あいま それを待っていたかのように、闇そのもののような人影が木々の合間を滑るように移動し とも あか て、音もなく賢者の塔に忍び寄った。幾つかの窓にはまだ灯りが灯っており、わずかに漏れる いしよう その灯りが、黒い衣装に身を包んだハーディの姿を闇から切り離す。 こま すべ
ささや 薄れ行く意識の中で聞いたシルヴィの囁き。唇には、まだ柔らかな感触が残っていた。 ( わたしを残していくなんて、絶対に許さないからな ) シルヴィは死ぬつもりだ。なぜだか、そんな気がしてならなかった。 けんじゃ 一刻も早く追いかけなければ。行き場はわかっている。『魔』の封じられている場所、賢者 の塔のあった場所だ。 アルソエル どうくっ がくん 『月の船』を手に洞窟から出たヴィラローザは、どこまでも広がる森の風景に愕然とした。ど ちらに行けばいいのか、まるでわからないのだ。 ほうかい めじるし セレイン 塔が崩壊した以上、目に見える目印は存在しない。オリハルコンも神聖銀も壊れてしまっ た。シルヴィの気配すら感じ取れない。今すぐ、そばに行かなければならないのに いちじん そのときだ。一陣の風が、まるで意思あるもののようにヴィラローザの身体を取り巻いた。 「風が・ 柔らかく吹き抜けて止まり、誘うように枝葉を揺らす。 〈こっちだよ : : : 〉 導く声が聞こえたような気がした。 「シルヴィの処に、連れて行ってくれるんだな ? 」 ざあっと風が鳴る。 導かれるままに、ヴィラローザは走り出した。 さそ
174 軽く唇が重なり、シルヴィは驚いて身を引いた。その様子がおかしくてたまらないというよ うに、エメリアが韆をのけ反らせて甲高い声で笑い出す。 シルヴィは助けを求めるように、ロシュに視線を投げかけた。 まだ記憶がハッキリしない。自分はなぜここにいる ? ここはどこで、この少女は何者なの か ? 長く伸びたこの髪は ? ロシュは頭の後ろで腕を組み、事もなげに言い放った。 「おいらがここに連れて来たんだよ。エメリア様は、ずっとシルヴィに会いたがってたから。 ほら、塔が崩れて、みんなが混乱してたあのときに」 「塔が、崩れた : よみがえ ふいに、途切れていた記憶がつながった。光景が蘇ってくる。 竪琴の弦を分けてもらおうと、シルヴィはリヌスの部屋に行ったのだ。そして 倒れていたリヌス。 そばにいたハーディ。 爆発した怒り。 すさ 身体の内から吹き出した妻まじい力。 うずま うな 気が渦巻き、すべてを打ち壊さんと唸りを上げる。 はじ 床が激しく揺れ、壁という壁に亀裂が入り、弾けた窓ガラスが凶器と化す。 きれつ きようき