164 救いは、実家が取り立てられたこと。そして、王があくまで優しいことだった。死んでしま った許婚を忘れることはできなかったし、王を愛してもいなかった。だが、少しでも気持ちに こた 応えられるように、愛せるように努力しようと思って そんなときだった。父親と王の会話を聞いてしまったのは。 だいじんくらい 『王のお為に、娘の許婚まで手にかけたのですぞ。大臣の位をお約束して頂かねば』 『わかっている。大きな声を出すでない。もし人に、いや、誰よりもイーダに聞かれたら、わ たしが嫌われてしまうではないか』 あこが 『娘は大丈夫でございましよう。もともと、王宮生活に憧れておりましたから。ただ、優しす ぎて許婚を捨てることができなかっただけでーー・』 がくん ィーダは愕然とした。自分を王宮に上げるために、父と王が共謀して許婚を殺したという事 実。そして何より、それをイーダのためとも思っていた父の言葉に。 きゅうあい ことわ だが、王から最初の求愛を受けたとき、断っても後悔しないかと尋ねた父に、イーダは確か にこう答えたのだ。 『本当はね、少しもったいない気もするの。王宮の生活は、きっときらびやかで素敵でしよう から』 もちろん、ほんの冗談のつもりだった。たとえ貧しくとも、許婚以上に愛しいものなどなか ったから。彼なくしては、幸せになどなれるはずがないと知っていたから。 きようにう すてき
15 浄化 笑いは、少女の本質をよく表していた。 「あの小娘、此度こそ殺せ」 ハーディはかしこまって答えた。 ふいに鋭さを帯びた少女の声に、 ぎよい 「御意」 「エギナの村より西に向かった。ということは、ソルの森に入ったの」 たも げんしょ ソルとは、古の言葉で原初を表す。この世を造り給うた偉大なるふたりの神、太陽神一フ・デ インと月神アリエルが、最初に降り立ったとされる場所だ。 「では、早速」 きびす 踵を返しかけたハーディを、少女は呼び止めた。 「そう急くでない。彼奴らは間違いなく、ここに向かっておる」 「マクダレナに入るまで待て、と ? 」 。出来れば、一気にカタを付けた 「そうじゃ。確かめたいこともあるし、塔のこともある : いゆえ」 そのときのことを想像したのか、少女は喉の奥でくつくっと笑いを転がした。 ーディ、そなたにも見せてやろう。一千年を経てすべての『魔』が解き放たれる、悪夢の さいとうらい ような光景を。暗黒の世の、再到来じゃ」 こたび
61 浄化 「だが、安心しろ。お前の望みどおり、簡単になど殺してやらない。ゆっくりと、この手でく びり殺してくれる」 ーディはシルヴィに馬乗りになると、その細い喉に手を当てた。 ぎようそう 「苦しみ抜いた醜い形相を、ヴィラローザにさらすがいい」 シルヴィは薄く目を開けた。ハーディの濃紺の瞳が目の前にある。それが宿しているのは しんえんやみ 深淵の闇ーー あや 命の危ういこんな状況だというのに、シルヴィの顔にふっと笑みが浮かんだ。ふいに、目の こつけい 前の男が、ひどく滑稽で哀れな者に思えたのだ。 「 : ・ : ・馬鹿だね、あんた。俺を殺しても、ヴィラを殺しても、あんたが救われることなんて決 してないのに」 「わかったような口を ! 」 ーディはその手に力を込めた。 「ぐっ・ シルヴィが声をつまらせる。空気を求めてハーディの手を払いのけようとするが、カの差が ありすぎてビクともしない。 「 : : : 気づけ・ : よ、 : ・間違って : ・る・ : んだって : : : 」 苦しげに、シルヴィが喘ぐ。ハーディはわずかに顔をしかめたが、自分自身に言い聞かせる あえ
ハーディはくっと眉をひそめた。先程から、夜風に乗ってかすかに 進人路を確認しながら、 聞こえていた竪琴の音。それが更にはっきりと耳につくのだ。気が散って仕様がない。 ( 嫌な音色だ : : : ) から 切なさを含んだ柔らかな旋律が、身に絡み付くようで息苦しい。心に探り手を人れられるよ ーディは軽く頭を振った。 うな不快感。音を拒絶するように、 ひとけ 人気のないことを確認し、窓のひとっからスルリと塔内部に忍び込む。目指すは、大賢者リ ヌスの部屋。 「殺しておしまい。父上に任せていたのでは埒があかぬ」 リヌスの運命を決めたのは、エメリアのたった一言だった。これからも、彼女の気まぐれひ とつで、いったいどれほどの人が死んで行くのか・ いた しかし、それを悼む気持ちなどハーディにはすでにない。人間らしい感情など、一度かいま ふち 見た死の淵に捨て去ってしまったのだ。残されたのは、ただ憎しみのみ。それが最期のとき の、ヴィラローザに対する想いだったから 化〈ーー違ウ〉 ーディはこめかみを押さえた。 突然、頭の中に声が響く。軽い頭痛を覚え、 げんちょう 浄 塔の中にも、あの竪琴の音は流れていた。思考が乱される。今の幻聴も、この音色のせいだ ろうか。 まか さいご
179 浄化 美しいものは好き。だが、それを踏みにじるのはもっと好きなのだ。 「よいことを教えてやろうか ? 」 ぎんこくゆえっ アメジスト 紫水晶の瞳に残酷な愉悦が浮かんだ。 わらわ 「最初にハーディを殺したのも、この妾よ」 「なにつ」 「水鏡にあやつの姿を捕らえたのは、ほんにただの偶然であった。ひとりの娘を探しておるよ しやくさわ うだったが、あまりに曇りのない真っすぐな目をしていたので癪に障っての。魔物を差し向け て殺してやったのじゃ」 ギリリと、ヴィラローザが奥歯をかみしめる。エメリアはますます楽しげに続けた。 めった 「それでも、最期までしぶとく娘のことを考えておった。滅多にない強い想いだったから、少 し手を加えたら面白いことになるだろうと思うての。事実、なかなか楽しませてもろうたわ」 何もかも、最初からすべてエメリアの仕組んだことだった、と。 はざま ーディとヴィラローザが苦しみもがく様を、この魔王 歪められた愛しさと憎悪の狭間で、ハ は笑いながら見ていたのだ。 「ほ : ・、怒ったのかえ。しかし、そなたに何ができる。銀の少年を助けるどころか、自慢の剣 ゆが く、も
ヴィラローザまで殺す気かに ぜっきようのうり ーディの絶叫が脳裏に響いた。 ( そう・ : だ。俺は、ヴィラを殺してしまうところだったんだ : あのとき、 ーディが止めなければ間違いなく。 ほか 許されないのはハーディではない。外ならぬ、この自分ーーー ! ハキン。 頭の中で、何かの弾ける音がした。それが最後。 びどう こくう うつろに虚空を見つめたまま、シルヴィは徴動だにしなくなってしまった。 「おや ? 」 エメリアは眉を上げたが、大して驚いた様子ではなかった。シルヴィの目の前でひらひらと 手を振り、ま 0 たく反応がないことを確認すると、含み笑いすら伴 0 て呶いた。 「人間の精神とは、随分ともろいものよの。この者、を捨ててしま 0 たわ」 「己を捨てて、って : 化さすがに慌てて、ロシュはシルヴィに駆け寄ろうとした。その肩を、立ち上がったエメリア とど が止めるように押さえる。そのまま強引に回れ右をさせると、エメリアはロシュを押し出すよ うにして、一緒に扉へと歩き出した。 「心配せずとも死んではおらぬ。大方、アスローン覚醒のショックに耐えられなかったのであ ごういん かくせい
Ⅷか。ならば、魔王には脅威が存在しないことになる。 アスローンは『魔』の呪いと大気の予言とによ 0 て、封印を解くとされたものだ。そしてそ れを証明するかのように、アス 0 ーンを宿したシルヴィは、リヌスが命をかけて守ろうとして たやす いた封印の補助たる塔を、いとも容易く破壊してしまった。 ( シルヴィの存在は、人の世を闇に導くのか ? ) この子を、殺してしまおうと思うたのです。 ふいに、アスローンの秘密を打ち明けたときの、リヌスの言葉が脳裏に蘇「た。 最善策と知りつつ、シルヴィを殺せなか 0 たリヌス。だが、その情けが過ちだ 0 たとしたら ヴィラ 0 ーザは封印を施したシグルトの転生。そして今、自分の目の前に封印を破るアス 0 ーンがいる。 ( わたしは、何をすべきなんだ : 何が正しくて何が間違 0 ているのか、ヴィラ 0 ーザにはわからなくな「てしま 0 た。混乱し てシルヴィからそむけた視線が、腰の『烈火』に固定される。 あやま ( ーー過ちは、正されるべきだとしたら ) 何かに憑かれたように、ヴィラ 0 ーザの右手がゆるゆると『烈火』に伸ばされた。柄を握り 締め、引き抜こうとしたまさにその瞬間、 きようい ほどこ
がんこ みようが 。あの頑固な老人は、つくづく命冥加な奴と見ゆる」 ひとりごちながら、エメリアは杯を口元に運び、血のように赤い葡萄酒を一口含んだ。 「あの小娘、ほんに妾の邪魔ばかりしてくれる。のう、 ハーディ ? 」 すみ 隅に控えていたハーディは、言葉少なにうつむいた。 エメリアは杯を手にしたまま音もなく立ち上がると、ひざまずく ( ーディに歩み寄り、彼の そそ 頭に杯の中身を注ぎ落とした。 イねろ 「なぜ、赤毛の小娘ではなく銀の吟遊詩人を狙うた ? 」 空になった杯から手を放す。杯は ( ーディにぶつかり、傍らの床に転がった。 めざわ 「 : : : 目障りでしたので」 うつむいたまま、ハーディは低く答えた。 最初は、ヴィラローザのそばにいるという事実が目障りだ 0 た。だが今は、シルヴィの存在 自体がひどく目障りで腹立たしい。 ーーーーー俺を殺しても、ヴィラを殺しても、あんたが救われることなんて決してないのに 気づけよ、間違ってるんだって 憐れむような目でシルヴィが言った、あの言葉のひとつひとつが胸に突き刺さっている。 救われたい訳ではない。ただ、憎いだけなのだ。憎いからこそ、恨みを晴らしたいからこ あわ わらわ
59 浄化 「黙れつ凵」 白刃が風を切る。 しりもち ひとふさ 銀髪が、ふあさり、と一房落ち、よろけたシルヴィは地面に尻餅をついた。 ( ーディは濃紺の瞳に怒りをたぎらせ、抜き身の切 0 先をシルヴィの韆一兀に向けた。 なまいき 「自分の身ひとっ守れない小僧が、生意気な口をきく。状況がわかっていないのか ? 詫びて いのちご 命乞いするなら今のうちだぞ」 「冗談・ 銀と濃い緑がまだらに混ざった印象的な瞳が、強い意志を持ってハーディを睨み返した。 ばばさま 「あんたはレダを、婆様を殺した。ヴィラを傷つけた。俺は、絶対にあんたを許さない」 「許さないならどうする ? 俺の顔を焼いたあのときのように、光でも放っ気か ? だが、こ こは聖域じゃない。それに、頼みの神聖銀も持っていないようじゃないか」 「簡単に殺されてなんか、やらないってことだよ ! 」 握り締めた土を、シルヴィはハーディの顔めがけて投げ付けた。 「うわっ この : : : 」 まちなか うば ーディが視界を奪われた隙に、シルヴィは駆け出した。ここは街中だ。人のいるところま で行けば、ハーデイも下手な手出しはできないはず。 かたわ ーディはすかさずシルヴィの足元を狙って、傍らにあった棒切れを投げ付けた ところが、ハ はくじん へた すき ねら にら わ
「だが、これで終わりだ ! 」 ハーディが地を蹴る。同時に、ヴィラローザの足も動いた。 ( 迷うな ! ) 閃く軌線。ふたつの影が、一瞬重なり合う。 カラン。 ひと振りの剣が地面に転がった。 「・ : ・ : 見事」 ひざをついたのはハーデイだった。腹部を押さえた左手が、流れ出る血で真っ赤に染まる。 りきゅう 「約束、さっきの答えだ。魔王は、レギン三世の王女、離宮のエメリア : : : 」 呟いたハーディはヴィラローザを振り返ろうとして、果たせずそのまま倒れ込んだ。 「ハーディ」 ヴィラローザは『烈火』を捨てて駆け寄り、 ハーディの上半身を抱き上げた。ハーディを斬 ったその瞬間に、感じていた違和感の正体に気づいてしまったのだ。 そう、ハーディは確かに本気だった。だが、以前に斬り結んだときのような、たぎるような 殺意がかけらもなかった。ヴィラローザを殺す気がなかったのだ。 「ハーディ、なぜ・ 最初から、斬られるつもりでいたのだろうか。 ひらめ