121 浄化 大きさにしか見えない。髪の色や服装から、ヴィ一フローザだシルヴィだとはわかっても、普通 に話される声が聞こえる距離では到底ない。 しかし、ロシュは風を操って声を運ばせ、話の内容をすべて聞いていた。これも盗み聞きと いうことになるのだろうが、彼はあまり細かいことを気にする性質ではない。よって、罪悪感 もないに等しかった。 「アスローン、か。なんか、すごいモンらしいけど : : : 」 窓を離れ、ゴロリと寝台に転がる。 「ま、シルヴィが何者だろうと、おいらには関係ないけどね。おいらは、おいらがやらなきや いけないことをするだけさ」 むじやき 首から紐で下げた小さな巾着を顔の前でぶらぶらと振りながら、ロシはにつこりと無邪気 な笑みを浮かべた。 あやっ たち
171 浄化 ディール ヴィラローザの手が『烈火』に掛かる。 人間の手で魔王は倒せないとリヌスは言った。だが、シルヴィに何かあったというのなら、 許さない。絶対に。 シルヴィはヴィラローザに残された、たったひとつの守るべきものなのだから わらわ 「おお、怖い顔。だが、そなたはそのほうが美しい。妾は、美しいものが大好きじゃ」 「貴様つ」 ディール 『烈火』を引き抜こうとしたヴィラローザの腕を、エメリアの白い手がやんわりと押さえた。 いつの間にこれほど近づいていたものか。いや、それよりも、触れているだけにしか見えな しび いのに、痺れたように腕が動かない。 「妾は何もしておらぬよ。だが、そなたの大切な者はもういない。あの美しい少年は、すでに シルヴィとやらではないのだから」 えんん エメリアはヴィラローザの顔をのぞき込み、艶然たる笑みを浮かべた。 おのれほうき 「シルヴィとやらは、自らの意思で己を放棄したのじゃ」 離宮の最も奥に位置するその部屋の前に、ロシュは長いことたたずんでいた。
「言っておくが、手加減などしては、いないからな。強くなった、本当に : : : 」 ハーディはヴィラローザの頬に手を伸ばした。 昔のままの笑みを浮かべ、 「・ : : 顔を、よく見せてくれ」 ハーディはホウッと自 5 をついた。何 泣き出しそうなヴィラローザの顔をじいっと眺めると、 かのつかえがとれたように、晴れやかな表情になる。 「よかった。やっと、思い出せた。・ : : ・俺の、真実 : : : 」 ーディ ? 」 「お前を、憎んでなどいない」 あの竪琴の音に気づかされた、忘れてしまった何か。命が消えるそのときまで抱いていた真 実を 「もう一度、お前に会いたかった。だから、甦りを受け入れた。だが、会いたかったのは憎か ったからじゃない」 一息に話したハーディは、そこでゴポリと血を吐いた。 「もういい。話すな、 ヴィラローザは叫んだ。 浄 抜け殻なんかじゃない。これはハーデイだ。昔のままの、自分の敬愛していたハーディ。や っと会えたのに、このままでは死んでしまう。 よみがえ
247 浄化 シルヴィを失う恐怖に、身体がガタガタと震え出した。 行かないで、逝ってしまわないで。 わたしの半身、わたしの命。 、いが・ハラ・ハラに引き裂かれてしまう。 「いくな、シルヴィ ! わたしをひとりにしないでくれ。お前を、愛しているんだ ! 」 いかないで コウッ。 ヴィラローザの叫びに巻き込まれるように、彼女の身を取り巻いていた風が、光の柱に勢い よく吹き込んでいった。 みちび エメリアを導き、銀色の道を進んでいたシルヴィは、ヴィラローザの声を聞いた気がして一 瞬動きを止めた。だが、あり得ない、とすぐに思い直す。 ヴィラローザはまだ眠っているはず。それに、月に続くこの道は、アスローンのカのすべ けつかい て。結界でもあるため、外界のいかなる物質も音も侵人はかなわない。 その、はずだったのに。 せいりよう 突如、外界から清涼な風が吹き込んできた。 渦を巻いた風の中から、人懐っこい笑みを浮かべた少年の姿が現れる。
「ひとりで行こうとしているお前は、無茶じゃないのか ? 」 こわ ヴィラローザの言葉に、シルヴィの表情がギクリと強ばった。 「本当は、わたしが目を覚ます前に行くつもりだったんだろう。気づいてないとでも思ってた のか、この・ハ力」 コンとシルヴィの頭を小突く。 「ヴィラ、俺は : : : 」 「自分の意思でアスローンを使える。だから、ひとりでも大丈夫だ、ってか ? ああ、確かに お前は〈魔王を滅ぼすもの〉だ。だが、忘れるな。同時に〈『魔』を解き放つもの〉でもある んだぞ。そんなお前を、ひとりでやれるわけがないだろう」 「信用ないなあ」 一気にまくし立てたヴィラローザに、シルヴィは苦笑を浮かべた。 「そうじゃない。お前を信用してないわけじゃないんだ。ああ、もう、どうしてわからないん 化ヴィラローザはわめき散らし、シルヴィの両肩をガッとっかんだ。鳶色の瞳が、真っ正面か ら銀緑の瞳を見据える。 浄 「わたしは、お前を失いたくないんだ」 四 シルヴィによって、『魔』が解き放たれることを恐れているのではない。たとえ、無事に魔 こづ とびいろ
むなもと 一瞬、自分の身に何が起こったのかわからず、シルヴィは胸元に視線を落とした。左肩から 右の腰にかけて、ざっくりと切り下げられている。 恐る恐る傷に手を伸ばしたそのとき、喉元から熱いものがせりあがってきた。 とが がれき ゴポリと大量の血を吐いて、シルヴィは地面にひざをついた。尖った瓦礫がひざに刺さった が、少しも痛いとは感じなかった。 したた とめどなく流れ出る血が、傷を押さえる手を真っ赤に染めて、ボタボタと地面に滴り落ち 「まるで、花のようじゃな」 頭上から響く声に、シルヴィは片手で身体を支えて何とか顔を上げた。漆黒の剣を手にした エメリアが、冷たくシルヴィを見下ろしている。 「一千年の時を経て、ようやく解き放たれる『魔』を迎える花。だが、早うその傷ふさがね ば、黄泉路へ向かう、そなたの手向けの花となるぞえ」 さと エメリアの意図を悟り、シルヴィは苦い笑みを浮かべた。 確かにアスローンの力ならば、すぐにもこの傷を癒すことができる。だが、シルヴィの一部 よみじ たむ いや はよ
218 マイナ : 魔王たるエメリアが、存在するすべての『魔』の意識を感じ取れるように、『魔』もまた、 はあく エメリアの感情を把握することができるようだった。 みずか 我ラヲ解キ放チ、コノ世ヲ闇ニ沈メルコトハ、 王ガ自ラ望マレタコト : わらわ 「望んだのは妾ではない。そなたらと、そして母上じゃ」 エメリアは冷たく言い放った。 こま 部屋を満たす『魔』が、さざ波のように細かく震える。笑っているのだ。 アノ者ハ王ノ内ニアリ、王ヲ作リシハ我ラナリ 王ハ王ノモノニアラズ 引ケマセヌゾ、引力セマセヌゾ : あざけ 嘲りさえ感じられる思念。 「引くなどとは、誰も言うてはおらぬであろうが」 エメリアは吐き捨て、その美しい顔に皮肉な笑みを浮かべた。 王とは名ばかり。エメリアは『魔』を支配するものではなく、『魔』に支配されるものなの だ。わかり切っていた、しかし、気づきたくなかった事実を今更ながらに突き付けられ、エメ リアは笑うことしかできなかった。 「安心するがよい。妾はそなたらのものじゃ」
ラローザに近づいて行く。 いらだ ヴィラローザのなにもかもが、エメリアをひどく苛立たせるのだ。 てんせい 最初は、『魔』を封じたシグルトの転生だから、この身を作った『魔』の記憶が、ヴィラロ ーザの魂を疎んじているのだと思っていた。 だが、それは違った。エメリア自身が、ヴィラローザ自身をいまいましく感じているのだ。 あの、炎のような生命の輝きや、己の存在に対する絶対の自信を ( そうだ、来い。もっと近くに ) ヴィラローザは近づいてくるエメリアを見据えながら、胸元のオリハルコンの護符に意識を 集中していた。 護符の力を借りれば、一時的にしろ『魔』を遠ざけることができるはずだった。エメリアを 引き付けるだけ引き付けて、 ( ふいをついて首をはねる。チャンスは一度きりだ ) ディール にじ 『烈火』を握る手のひらに汗が滲む。胸の護符がほんのりと熱を帯びてきた。 ( もう、少し : : : ) エメリアが薄笑いを浮かべながら漆黒の剣を構えた。そのとき、 ゴウッ さじん とっさ かば ふたりの間を突風が駆け抜けた。砂塵を巻き上げたそれに、それぞれ咄嗟に顔を庇う。 おのれ みす どふ
101 浄化 複雑そうなシルヴィの様子に、ロシュは首を傾げた。 「よかったじゃん。会いたかったんだろう ? 」 あいまい シルヴィは答えず、曖昧な笑みを浮かべただけだった。 帰って来ないほうがよかったのに・ つぶや 確かに聞いた、祖父のあの呟き。おまけに塔についてからというもの、シルヴィはほとんど リヌスと顔を合わせていなかった。リヌスのほうが避けているのは明らかだ。 ロシュさえ倒れなければ、自分をこの塔に連れてくるつもりすらなかったのかもしれない。 それを裏付けるように、リヌスは塔にいる他の賢者たちに、シルヴィらは危ないところを助け てくれた旅人、とのみ説明したのだ。 ( なに期待してたんだろう、俺 : : : ) 祖父に会いたいと思ったのは、自分について知りたかったからだ。生きているとは知らなか ったし、よしんば知っていたとしても、抱き締めて会いたかったと涙してほしいなどとは思わ なかったはずだ。共に暮らしていたころから、そういう親密な関係ではなかったのだから。 では、なぜ、今こんなにも落ち込んでいるのだろうか。不思議だった。自分の感情が理解で きない。 ( ロシュに感化されたのかな ? ) おくめん 臆面もなく、養い親を大好きだと言ってのけたロシュ。無意識のうちに、自分を彼と重ねて かし
「塔はこの世の要。それを排除しようとするは、人にと 0 て自殺行為に他ならぬ」 「それが、ご返答ですか ? 」 「王に、伝えていただきたいが」 うけたまわ 「残念ながら、わたしがご伝言承れるのは、是とのご返答のみ。 お覚悟はよろしいか」 男は笑みすら浮かべて、スラリと剣を抜いた。後退るリヌスのこめかみを、冷たい汗が流れ て落ちる。 更に追い詰めるように、男が足を踏み出したそのとき、 飛来した石つぶてが男の手首に命中し、男は剣を取り落とした。 「弱い者いじめはいけないな。特に、老人はいたわらなきや・ ( チが当たるんだぞ」 からだ 男が振り返ると、赤毛の女剣士が壁に身体を預けて = ャ = ヤと笑 0 ている。いっからそこに いたものか、まったく気づかなかった男はカッとして叫んだ。 なにやっ 「何奴岬」 「ヴィラローザ。名前なんか聞いてどうする気だ ? 」 からかわれていると知り、男はますます頭に血を上らせた。 「小娘が、邪魔だてする気ならーー」 「斬るってか ? 実力見極めてからものを言えっ ! 」 ひらい かなめ