116 たじまて、」うかい 田島ら天轟会の動きは未だない。 一げ・きりん 全国へ送った絶縁状が元四堂組幹部である田島らの逆鱗に触れたであろう事は承知してい る。すぐにでも抗争を仕掛けてくるかと思われたが、天轟会は沈黙を守ったままでいる。 考え込んでいた木佐は甘い花の香りに顔を上げた。 ゅうじみけんしわ 「ちょっと祐士、眉間に皺寄せて一点見つめるのやめてくれない。お客様が怖がっちゃうしゃ 柔らかな髪を右肩に垂らし、両手を腰に据えた美貴が木佐を見下ろしていた。間接照明の柔 らかい明かりが美貴の吊り上がった眉に陰影を与えている。 〈イビサ〉は週末ということもあり、スーツ姿のビジネスマンが多かった。服装で言えば木佐 も目立ってはいなかった。その眼光の厳しさを除いては。 「いらしたわよ、日比野さん」 たど 美貴の視線を辿ると日比野がこちらに歩いてくるのが見えた。ネクタイはしていない。白い シャツに薄いグレーのジャケットとい、フいでたちだった。 美貴に促され、木佐の向かいに座りビールを注文した。 「日比野さんのポトル、まだございますよ」 日比野は〈イビサ〉にヘネシーの *O をキープしていた。受刑前のポトルを美貴はきちんと 保管していたのだ。
久我は署を出て、地下鉄で新宿三丁目へ向かった。地上に出ようとした時、無意識に後ろを はず 気にしている自分に気づき思わず苦笑した。まさか尾行がついている筈もないのだが。 〈イビサ〉のドアを開け、六割方埋まっている薄暗い店内をざっと見渡すと目的の男が一番奥 のソファーに座っているのが見えた。テープルの上のグラスが既に空になっている。 「よお、待たせたかな。そのグラスで何杯目だ ? あ、俺とりあえずビールね」 きさゆうじ オーダーをとりに来たポーイにそう告げ、久我は木佐祐士の向かいに腰を下ろした。 「用はなんだ。手短に頼む」 「おいおいおいおい。それが友人に向かっていう一一一一口葉か ? 元気か、の一言くらい言えないも んかね。お前はほんっと昔から愛想ないからな。その割にもてるってのはどういう事なんだろ うな」 ぶつぶっと続く文句の最後の下りは聞こえないくらいの小声になった。 「お待たせしました」 うがじんみき 。、ールとおかわりのジンを運んできた。 後〈イビサ〉の女店主、字賀神美貴がすました顔てヒ 緒「おつ、美貴ちゃん。今夜はまた美しい。夜を泳ぐマーメイドってカンジだな」 継今夜の美貴は薄手のカットソーにラメを散りばめたくるぶし丈のスカートというコーディネ 疵 ートだった。ライトの光が、歩く度に細かなラメに反射してキラキラと光る。 「なによ、それー
を薹ミ、 たからきよう 宝京也 流のクラスメート。 家はの家元で、 彡だかな性 寺ち主。 市井一也 、、裏新宿〉←ーム 〈百鬼夜行〉のリ名ー。 京也とはいとこ同士。 いちい。かず 荢賀神貴 くがかずおみ ピアノノ←〈イビサ〉 一臣 ) の女臥。木佐と一 臣とは幼なじみ。 辛縮。木佐の 幼なじ雰 6 公業とは思 えめ爪手なフズンショ ヅゼジスの寺ちも ト . 気、
130 さえぎ 息をきらして戻って来た東に日比野が命した。頷き、体を支えようとした手を木佐は遮っ 「だめだ。ヤクザのドンパチをこんな所でやったあとで〈イビサ〉に行ったら・ : : ・」 美貴に迷惑がかかる。日比野は木佐の心中を察して頷いた。 パトカーのサイレンが近づいてきた。 「ここを離れるぞ」 やじうま あたりには騒ぎに集まった野次馬が遠巻きにしている。 「どけえっ ! 見せもんしゃねえぞっー 東の一喝に野次馬がばらばらと散った。日比野に肩をかりた木佐がリアシートに倒れ込むと ドアが閉まるのを待たすに東がアクセルを踏んだ。 急発進したべンツは。ハトカーが到着する前にその場を離れた。 いっかっ
後 緒病院の帰り、流の足は必す〈裏新宿〉に向いた。 父と過ごす時間がどれはど穏やかであろうとも一度病院を出れば強い孤独感が流を襲うの 疵 だ。とてもそのまま誰もいない屋敷に帰ることなど出来なかった。 〈裏新宿〉に行けば誰かに会える。 「木佐 ! 」 呼び掛けにも応しす歩く木佐を、ピアノを弾く手を止めず美貴が目で追っていた。 視線を感してはいたが、歩を止めることなく木佐はそのまま〈イビサ〉を出ていった。 「まったく : 美貴の視線を感してない筈などないのだ。 や、気づかないふりをしているのかもしれない。 だが、木佐はすっと気づかない。い しんぼう 「美貴も辛抱強いぜ : : : 」 呟いてから思わず小さく笑った。辛抱強いのは彼女だけではない。自分も同しではないか。 「ここにこんないい男がいるのに気づきもしない ひと そう独りごちて、久我はグラスに半分残っているビールを一気に飲み干した。
奴さんが動かないでくれればこっちの仕事も半減するがな」 数多くの抗争で先頭を切った血の気の多い両国が今回は不気味なくらいおとなしい。 ゆえ だがその代わり、末端組員の勇み足が目に余った。それは巨大組織であるが故だったが、手 出し厳禁という指令が守られないとなると統制が乱れているという事に他ならず、四堂組の権 しつつい 威を失墜させる重大事でもあった。 窓辺に立ち、プラインドを指で下ろすと、通りの向こうにパトカーが停まっているのが見え 「サツの監視も幹部にまで及んでる。しめてかからなけりゃな。 ・ : 総長は跡目をどうするつ もりなんだ」 島の呟きを背中で聞きながら、木佐はプラインドを弾いた。 やさしいメロディーが耳に心地しし ピアノ。懐かしい曲だ。どこかで聞いたことがある。そうだ。あの〈イビサ〉というバーで 女店主が弾いていた。 いや、違う。もっと昔だ。 やっこ はじ けん
歩いて帰れる距離のフェンウェイとは本部ビル前で別れ、片付けが残っているという美貴は 〈イビサ〉で降りた。 おもんばか 人けのないビルの階段を昇る美貴を見送った時、流は彼女の心情を慮った。 じゅうそう 自分も知らない事になっているが、美貴はすっと木佐を想い続けているのだ。木佐の銃創を 編手当てするのはつらい事ではなかったのか。 本人に問う事もできず、流はただ美貴の小さくなっていく背中を見ていた。 ぐその後、シーマは奧沢に向かった。 を車内で日比野は一言も発さなかった。助手席で腕を組んだまま、すっと前方を睨んでいる。 それは声をかける事さえためらう姿だった。 たじま 「島さん、天轟会って田島さん達の新しい組 ? 」 日比野と美貴が部屋を出た。後ろ髪を引かれる想いを押さえ、流とフェンウェイもその後に 続いた。 かば ドアを閉める瞬間、振り向くと木佐は治療したばかりだというのに立ち上がった。左足を庇 うその顔には険が刻まれていた。 おくさわ
「島、後を頼む」 外出先から本部へ戻った木佐は雑事をこなし、幹部達との連絡を終えるとジャケットをつか しゃていがしら み、舎弟頭の島にそう言った。 「おいおい、がんばるのもいいが、過ぎると体を壊すぞ。この後もなんかあんのか ? 」 「日比野さんと会う約束がある」 「日比野さんと ? あいさっ 「組とは関係ない。美貴に挨拶したいそうだ」 島は合点がゆき、ああ、と頷いた。 「『先生』によろしく言っといてくれ。俺もそのうち店に顔を出す うがじん 〈イビサ〉の店主、宇賀神美貴にはもう一つの顔があった。元々医者だった美貴 ピアノバ 編は病院に診せられない傷を負ったヤクザの治療を行っている。診療免許を持たないいわゆる 後 「裏医者」だった。木佐は一一一一〔うに及ばず、四堂組の何人もが世話になった事がある。 者 「伝えておこう」 を手を上げて、木佐はドアの向こうに消えた。 しま みき
拳銃が木佐を狙っていた。迷う暇はない。こちらは丸腰なのだ。 日比野達とは逆の、街路樹の陰に飛び込む。 こうぼう とどろ 光芒がきらめき、銃声が轟いた。三発、四発。 隠れた木佐を追って男達は銃撃を止め、走りだそうとする。 「てめえらあ 男達の背後から東が迫った。ベルトに挟んで隠し持っていたべレッタを引き抜き、右腕を突 き出す。男達の口から引きつれた呻きが洩れる。べレッタの銃口が火を噴いた。 かば 男の一人が上半身を折った。もう一人が彼を庇いながらビルの死角に逃れ、銃を撃つ。東も べンツの陰に飛び込む。応戦しようとべレッタを握り直した時、男達がバンに向かって走っ 編「待ていっ ! 」 しっそう 後 走りだしたが、バンはタイヤから白煙と悲鳴を上げて急発進した。全力疾走で追うが、バン 者 は無茶な追い越しをかけ、見る間に見えなくなっていった。 継 を だいたいぶ まみ 疵 左大腿部が血に塗れている。裂けたズボンからえぐれた皮膚が覗いている。 「〈イビサ〉・に運ばう。手伝え」 ひま ひふ