ャパイ、さっさとどうにかしないと血が ~ っー 心の中の叫びだが、相手に知られてはならない。あくまでも冷静なふりをしていないとつけ 込まれてしまうからだ。 「ふざけんなっ ! 」 走り込んでくる男のナイフの構えに、平瀬のがヒクリと引きつる。斬りつけるつもりでは なく、明らかに刺す目的だ。 「それは、ごめんつ」 みぞおちけ 体を避けながらまずは鳩尾に蹴りを一発。腹を押さえてひるんだところ、手首を蹴ってナイ フを飛ばす。ついでだからそのまま手を足で踏んで押さえつけた。 「あつぶねーな」 ひょうし 動いた拍子に、血があちこちに飛び散ってしまった。何だか大変な傷みたいだが、多分平瀬 の感覚では、縫うほどではない。 あらが こんとう しかしまだ必死になって抗おうとする男に、うつかりと拳をお見舞いし、とうとう男は昏倒 してしまった。 ・ : どうするかね、平瀬クン」 つぶや 倒れた男を見下ろしてひとり呟く。このまま放置して帰ってしまうのも、それはそれで千星 どな に怒鳴られそうだ。 まお こぶし
つぶや 小さく呟いて歩調を速めた。隹 . って足音をさせてはいけないと注意したが、小走りになって ゆる しまうのは止められなかった。男が曲がったと思われる道の近くで歩調を緩めて、様子を見よ うと思ったそのとき、いきなり斬りつけられた。 「おわっ」 いっせん ほお 男の手が一閃した直後、頬に熱が走った。切られたのだとわかったが、それで逃げ帰るわけ うかっ 迂闊だった。さすがにこの時間帯、一定距離を保って後ろから歩いてくる人間が、あやしく ないわけがない。それはこの男じゃなくても、誰もが思うだろう。 「てめえ、誰だつ 誰だと言われても名乗るわけにはいかないので、とっさに嘘をつく。 「名乗るわけにはいかないけどー、ちょこっと小遣いくれないかな ~ と」 かせ 「ふざけんなっ ! 小遣い稼ぎの奴が、何でいちいち車で張ってるんだよっ」 あちゃ ~ 、ばれていた。 今までいろいろな仕事で、いろいろな人間を張ってきたが、こんな風にばれてしまったのは 初めてだ。もっとも、ここまでヤバイ張り込みも実は初めてだったが。 夜中に外出する男を追いかけるのには、どうしても車から降りなければならないが、静かな 空気の中に車のドアを閉める音はいやでも大きく響いてしまうのだ。 あ うそ
が、そのときアパートの出入り口に人影が現れた。 『あっ、悪い。電話切るな』 あわ 慌てて電話を切った。男がア。ハートから出てきて歩き始める。車で追うことも一瞬考えた が、さすがに人通りも途絶えた深夜、相手にわからないように追いかけるのは不可能だ。仕方 がないので、車から降りて男を追った。 千明、何か言いかけていたよな。 男を目で追いながら、先刻切ってしまった電話の内容を思い出していた。今度の土曜が何と か、とか言っていた。先日泊まりに来たばかりだというのに、また泊まりたいとでもいうのだ つつ , っ・か 受験生の千明を慮って、最近は彼には極力外泊をさせないようにしている。会うのも、平 おうせ 瀬の仕事が不定期に忙しかったりするものだから、週に一度の逢瀬がダメになることもある。 あまり自分の要求を言わない千明が、二週続けて泊まりたがるなんて、あまり無いことだ。 むね 眩平瀬としては歓迎なので、あとでその旨をメールで伝えてやろうと思った。 ・つと ? 月「 : る す男を一瞬見失った。どこかそのへんの細い道を曲がったに違いない。気づかれないように へた 疾 と、下手に距離を取っていたのがいけなかったのかもしれない。 「ヤバイ」 おもんばか
てるってことなんじゃないの」 「そうなのかな。でも、今までだって一人暮らししてたもんね ? 」 「うん」 かし 何だろ、と思ってふたりして首を傾げていると、義兄がまた言葉を継いだ。 「でも、自分の家でひとりで暮らすのと、家を出て一人暮らしするのとは、やつばり心構えが 違うよ。ね ? 」 さすが義兄は、男同士だけあって、なかなかわかってくれる。精神面では、まさしくそんな 感じなのだ。 「うん。多分そう」 「そっか。だから男つばく感じるのか。もてるでしょ ! あんた、我が弟ながらいい男だもん ね」 それは姉のひいき目だろう、と言いたかったが、面倒なので何となく笑ってやり過ごした。 「否定しないんだ。自信家 ~ 」 みしん 自分で言っておいて、ずいぶんな言いぐさである。それから彼女は、ふふんと意味深に笑っ 「急に一人暮らししたいなんて言っちゃってさ。この ~ 」 ひじ グイグイと肘で押された。もう、何を言われても姉には勝てないので、どうとでもしてくれ
どな 「ここまで我をして怒鳴られるってのもなあ : : かなりダサイ」 仕方ない、通報だーー平瀬はあきらめて携帯を取り出した。先刻千明と連絡を取ったのとは まったく別の携帯電話だ。レンタル屋から借りたものなので、足はつかない。 レンタル屋といっても、イベントグッズやら何やらをレンタルしているところではない。合 法・非合法に仕事をしている人間相手に、電話やパソコン・防犯グッズから犯罪グッズまで、 ごようたし 何でも扱っているあやしいレンタル屋である。平瀬達のような人間御用達なのである。 連絡先は一一〇ーーっまり、警察だ。警察に通報しておけば、とりあえずこの男の住所氏名 等は記録として残るだろうし、放置するよりはマシだろう。 「もしもーし、道ばたに男の人が倒れてるんですけど」 のんき 倒した当人が、呑気な声で言う。電信柱の住所表示を見て現在地を連絡し、酔ってる感じじ ゃなさそうだと付け加える。 「何か、ピクリとも動かないんで、急いでください」 とりあえず連絡して電話を切った。こういう場合、犯人自ら連絡するケースもあるのは周知 の事実だ。第三者に目撃される前に、さっさとその場を離れなくてはならない。幸い、周囲の 人家から誰も出てこなかったので、平瀬の顔が他の人間に見られることはなかった。 男が平瀬の人相を警察に伝えるかどうかはわからないが、ひとまずこのあたりで張り込みは 切り上げた方がいいんじゃないかと思いながら、車に戻る。戻って思わず、へたり込みそうに
「すごい行動力だな」 「まあね。愛の成せるワザって感じかな」 せりふ 照れもしないで、よくそんな台詞をサラリと言えるものだ。 「はああ ~ : ホント、黒田ってすごいな」 「普通だよ」 「それは黒田基準。世間の基準からすると、黒田はすごいの」 プルプルと首を振りながら言った千明に、黒田はのんびりと訊き返す。 「そうか ? 」 「そうだよ」 恋人が男だと知らされただけでもびつくりなのに、黒田はまだまだびつくりのネタを持って いるのだ。奥が深い男である。 「家族には言ってあるんだ ? 」 眩「うん。今回の受験はまあ、腕試しっていうかね」 月さすがに家族に、彼氏のことは言っていないだろうが : よゅう す「だからこの時期でも余裕があるわけ ? 」 疾「余裕なのかなあ。これからのことを考えると、ワクワクするのと不安とで、かなりグラグラ してるんだけど」
「日本人 ? 」 「そう。アメリカの大学で、研究してる」 はけん 研究員か科学者か、あるいはどこかの企業から派遣で行っているのかもしれない。 応これだけは確認しておこうと思って、千明は再び口を開く。 「あの : : : 女 ? 」 「男だよ。別宮のところと同じ」 彼はサラリと認めた。なるほど、だから変に理解力もあるわけかーーと納得した。 「そうなんだ」 「うん。別宮のところだけ知られてるんじやフェアじゃないから、一応僕のところも教えてお こうとは思ってた」 りちぎ 「律儀だな」 「まあね」 二人で、互いに男と付き合っているという秘密を共有する。以前一緒に短距離の選手だった という意識も共有する。こんな風な友人関係はそうそう作れないだろうと、千明はチラリと思 つつ」 0 「びつくりした ? 」 「う ~ ん、ちょっと。でも、納得って感じもする」 しかし一
「そう、そのまさか。ゴッドと呼ばれてる男だ」 : ・何で ? 」 千明は混乱した。そんな人物と、平瀬はどこで知り合ったのだろう。一体どんなつながりが あって、彼と親しく電話で話せるというのだ ? しかも、千明を彼の家にホームスティさせる 約束まで取り付けてしまうほど親しい関係なんて 「待って。ちょっと待って、何で : : : ? おちい 頭の中が。ハニックに陥った。『大変だっ ! 』と思った。一体全体、どうしてこんな大変なこ とになってしまったんだ ? 「 : ・ : ・どんな知り合い ? 」 大混乱のあげく、そんな平凡な質問しか出てこなかった。 「俺だって、以前は一応、世界を狙える男って言われてたんだぜ ? 」 そうだった。高校生にしてオリンピック強化選手だった平瀬だ。そしてグリーン氏は、若い 眩頃何度か日本を訪れたことがあると、プロフィールで読んだことがある。 月 そんな偶然の重なり合いが、今こうして形になって目の前にある。 る す まるで奇跡みたいだ。 走 疾 声もなく思った。 「千明君」 へいばん
・あどかき こんにちは、麻生です。 げんうん シリーズ第四弾にして最終話「眩暈」です。音読みだと読みづらいです。でも音読みですの じづら であしからず。字面的には、まあ、こんなものかと。 読者様及び関係者各位、おっき合いくださいまして、ありがとうございました。 ちあき 何だかもう、最後の方は結構駆け足になっちゃって、千明はたかだか半年で何が学べたのか ひらせ なぞ とか、本当に半年アメリカに行ってたのかとか、平瀬は一体どんな男なのか最後まで謎だ、だ くろだ とか、脇役・黒田は、どんな男と付き合っているのか、だとか : まあ、いろいろとつつこみどころはありましようが、これでおしまいです。書き逃げとも言 います。あとは皆様、いろいろと妄想をふくらませてみてください。 妄想といえば、私は今回の話を書くに当たって、担当嬢に非常に助けられました。実際には 彼女の妄想に、かもしれませんが。 あまりにもよくできた妄想 ( 笑 ) なので、私だけで楽しむのはもったいなく、当人の許可を もらって転載させていただきます。
あびきようかん 「阿鼻叫喚って、あんな感じかなあ」 黒田の言葉に、ますます耳をふさぎたくなってきた。 「頼むから、黒田ーー」 「女の子の何人かが、カメラ持って追っかけて行きそうになってたよ」 「げつ : 危なかった。さっさと車に乗って行ってしまってよかった。 「でも、男が何人かで引き留めてさ。そっとしておいてやれって言ってたよ」 そのときの様子でも思い出したのか、黒田がクスクス笑った。 さんぼんじ 「あれ、おもしろかったなあ。三本締めより断然おもしろかったよね」 「おもしろかったのは黒田の方だろう。俺じゃない」 ちょうほんにん 騒ぎの張本人である千明は、そう断言した。えらそうに言えた義理ではないのだが。 「でもさ : : : 忘れられないよね、あの日は なっ 眩少しだけ懐かしむような口調。 こ、千明も田」わずいた。まだた 0 た二ヶ月ほど前のことなの 月に、ずいぶん経ってしまったような気がする。 走「また、アメリカでもああいうバカ騒ぎができるといいな」 疾 ニマッと笑った。そうだった、黒田はああいうことが大好きな男だったのだ。 「まあね。時々の刺激は、楽しいかもね」