佐川官兵衛 - みる会図書館


検索対象: 白虎隊―続会津藩燃ゆ
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1. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

西郷の眼は怒りに燃えていた。 「予は、白虎、奇勝、回天、敢死、誠忠の諸隊を率いて直ちに十六橋に向う。萱野権兵衛殿は、 桑名藩兵を率いて、日橋を焼くこと。西郷殿は、水戸兵を率いて背あぶり山を ! 」 佐川官兵衛が下知した。時は刻々と過ぎてゆく。 「糧食を用意しろ ! 」 「市中の動揺を静めよ ! 」 どの声も上ずっていて、落ち着きを失っている。遮撃態勢が整ったのは下刻 ( 午後一時 ) だっ 佐川官兵衛が先陣を切り、藩主容保がこれに続き、大目付竹村助兵衛、軍事奉行黒河内式部ら ひなた が随行し、日向内記の率いる白虎二番士中隊が主君を護衛した。桑名藩主松平定敬も駆け参じ、 容保、定敬兄弟は、滝沢村に向った。歴戦の士、佐川官兵衛にして、この油断があった。籠城の 覚悟はしていても、籠城に至る戦略に欠けていたのだ。敵の侵入を予測しての陣地の構築、兵の 配備がまったくなされていなかった。 峠 ( 山川大蔵を戻しておくべきだった ) 母鶴ケ城に残った梶原平馬は、この四、五日間の心の空虚を後悔した。梶原のなすべきことは山 恨ほどある。まず、仙台、米沢への援軍の要請である。仙台に、米沢に早馬が駆けた。市民の避難 はどうするか。城内の食糧にも限度がある。婦女子を入れることはできない。 こ 0 203

2. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

出撃に当り河井は、 じゅうりん 「薩長の鼠どもは、王師の名を借り、わが領士を蹂躙し、私憤を晴らそうとしている。なんらな すところなく、これを見逃すのは男子の恥だ。公論を百年後に托し、われらは玉砕せんのみであ る」 と、声涙下る演説をした。 らいじん たつみ 会津の佐川官兵衛、桑名藩雷神隊長立見鑑三郎も感動して、これを聞いた。 さだあき 桑名藩主松平定敬は会津藩主松平容保の実弟である。定敬はすでに会津に入っていたが、雷神 隊の精鋭は越後に留まり、決戦のときを待っていた。立見はわずか二十一歳。激動の京都で青春 時代を過ごし、藩主とともに故郷〈帰った。佐川官兵衛とも気が合った。後年、立見は陸軍に身 を投じ、弘前第八師団長として日露戦争に参戦、勇猛な戦いを見せた。薩長閥の陸軍のなかにあ って、陸軍大将まで上りつめた有能の士である。 「おい立見、われわれ三人が手を組めば、向うところ敵なしだ」 佐川官兵衛が立見の肩を叩いた。 そのころ山県狂介と時山直八は、増水の信濃川に小舟を出し、二百余名の兵士と弾薬の輸送を 開始していた。 「金はいくらでも出す。舟を出せ ! 」 時山はいやがる農民たちを金で釣り、濁流の信濃川を強引に渡った。

3. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

戦争には、運、不運がっきまとう。 長岡城が一気に攻め込まれたとき、佐川官兵衛の率いる会津藩の精鋭は、朝日山を目指してい た。山頂にたどり着いたとき、長岡からモクモクと黒煙が上るのを見た。激しい砲声が聞える。 「あれはなんだ」 ーオ > とおもい込んでいた。 佐川官兵衛は、一瞬とまどった。濁流の信濃川を渡河するはずまよ、、 越後救援の米沢藩兵も重大なミスを犯していた。越後で戦闘が始まったというのに、米沢藩兵 は、越後国境近くで、足留めを食っていた。 雨がすべてを狂わせたのだ。 西軍は、雨を気力で突破し、同盟軍は、空を見上げて、陽光を待った。値か二、三日の違い 魔の五月

4. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

松蔵は河井を物陰に運ぶと、手ぬぐいを裂いて膝をしばり、兵士たちが急造の担架を作って、 長岡藩の軍病院である昌福寺に移した。 どの顔も沈痛のあまり、声もない。長岡藩兵にとって、河井がすべてなのだ。河井がいなけれ ば戦いにならない。誰が指揮をとり、誰が長岡を考えるのか。越後の戦いは、河井継之助を欠い てはありえない。翌二十六日、長岡城に入った米沢の千坂太郎左衛門、会津の佐川官兵衛らも呆 然とした。 ( 敵兵は一両日中に総攻撃をかけてくるだろう。河井を欠いて長岡の防衛はできない。越後もこ れで終りだ ) 二人の胸に去来するものがあった。 米沢藩は、このときから早くも退却を始める。米沢藩軍事総督千坂太郎左衛門は、絶えず米沢 藩兵の温存を考えている。他国で藩兵を消耗すれば、自国の防衛が不可能になる。そのために攻 撃も消極的で、会津や長岡藩兵との間に不信感も芽生えていた。 「米沢は相手にならん ! 」 よ せ佐川官兵衛は、ときおり口ぎたなくののしった。寄せ集めの同盟軍の悲劇である。 死会津藩首席家老梶原平馬は、米沢の千坂を信じたが、千坂は政治家であり、政略で動く。 潟河井の重傷は、越後の同盟軍を崩壊させた。それを決定的にする西軍の新潟上陸作戦が行なわ れた。同盟首脳がもっとも怖れた新潟港の占領である。 151

5. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

弟の松平定敬にいった。 「バン、 小銃弾が足元をかすめる。 「殿、城にお戻りを ! 」 佐川官兵衛が絶叫する。容保は数人の藩兵に守られ、城門をくぐった。 城下に火の手が上がった。大砲の轟音が万雷のように響き、焔煙天をおおい、死屍累々、会津 若松は狂乱の町と化した。 208

6. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

中野こう子は蒼白となった。 敵陣深く斬り込んだ神保雪子は、薙刀を叩き落され、敵兵に捕えられたのだ。必死に抵抗する 雪子は、物陰に引きずり込まれた。獰猛な兵士たちの眼がギラついている。雪子は野獣となった 敵兵に服を剥がされた。気品のただよう白い裸身に男たちは、猛り狂って、襲いかかった。言語 に絶する凌辱が加えられ、雪子は失神した。 神保雪子は、神保修理の妻だった。夫修理が江戸で死を遂げたとき、「なぜ夫が」と、血を吐 くような声で泣き伏した。実家の井上家に戻った雪子は八月二十三日、父母とともに自刃しよう としたが、父井上丘隅は、 「ここはお前の死に場所ではない。神保家と事をともにせよ」 と、自刃を止め、雪子を鶴ケ城に向わせたのだ。しかし、城門は堅く閉じており、坂下に逃れ て中野こう子らに会い、 参戦したのである。武家の女としての気品に満ちた美貌の持ち主だっ た。雪子は後に短刀で咽喉を突いて自刃する。このことを多くの史書は黙して語らない。あまり にも悲惨で眼をそむける出来事だからだ。だが、戦争には、必ず凌辱される多くの女性がいた。 中野こう子らは、萱野権兵衛の部隊に助けられ、西追手門から入城、主君容保に謁し、菓子を の賜わった。以後、籠城した五百余名の婦人たちとともに傷病兵の看護、弾薬の製造、兵糧の運搬 獣に当るが、神保雪子捕わる、の知らせに梶原平馬、山川大蔵ら会津藩首脳は、言葉もない。 佐川官兵衛は、怒りに震え、 239

7. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

佐川官兵衛も今度ばかりは持久戦にでている。 ( 佐川も水は苦手らしい ) 河井は笑った。 小千谷の西軍本営も、じりじりとした気持ちで濁流の信濃川を眺めていた。 「朝日山にかかわっていたのでは、いっ長岡が取れるか判らん。誰か信濃川を渡って、長岡城を 奇襲する者はおらんか」 山県狂介は、戦線を駆け回っていた。長岡の対岸に布陣していた長州の三好軍太郎が名乗りで 五月十八日、雨が止み、川の流れがゆるやかになった。月夜である。三好の兵は川岸で仮眠 し、翌朝、長岡を目指して、渡河作戦にでた。川岸からは援護の大砲が、間断なく撃ちだされ、 長岡藩兵は飛び起きた。 「敵が来る ! 撃て ! 」 堤防を守る二個小隊が舟を目がけて一斉に撃ったが、舟は矢のような早さで、川岸に乗りあ る 陥「ワーツ」 岡 と、攻めて来た。 長 河井は大砲の音で飛びだした。 げ、 こ 0

8. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

「畜生、叩き殺してやる ! 」 と、腹の底からうめいた。 敵兵は手当り次第に民家に押し入り、財貨を盗み、牛馬に満載して、滝沢峠から後方に運んで いる。一面、荒野と化したあちこちに銃弾に斃れた会津兵の遺体が投げだされ、衣服を剥ぎ取ら れた婦女子が晒されている。自分の妻が、娘が、眼の前で敵兵に凌辱され、ある者は舌を噛み切 って死に、ある者は抵抗して殺された。 「もはや許せんリ」 会津藩首脳は、佐川官兵衛を総督に城内の精鋭十二中隊千余名の決死隊を編成、八月一一十九日 早朝、濃霧に乗じて決戦にでた。会津藩兵の多くは、生きて帰れないことを知っていた。鶴ケ城 を見下す小田山も占領され、連日、天守閣は激しい砲撃に晒されている。敵の陣地には、大小砲 が砲列を敷き、雨霰のように銃砲弾を撃ちだしてくる。 そこに抜刀して斬り込んでも、最後は、撃ち殺される。懐に法名や遺書をしたため、突撃した ゅづうじ のだ。撃たれても撃たれても会津兵は突進した。融通寺町ロの長州、大垣、備前藩兵を潰乱さ せ、長命寺に拠って死力を尽して戦った。しかし、火器の差はいかんともしがたい。会津軍は百 くらんど 七十余名の戦死者をだして敗れ去った。田中蔵人、原田主馬、杉浦丈左衛門、内瀬岩五郎ら歴戦 の士官が無念の死を遂げたのだ。城内に傷兵を送った佐川官兵衛は、敗戦の責任を取って帰城せ ず、この日から城外でのゲリラ戦に移る。 240

9. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

戦いは、随所に広がっていた。越後はシュネル兄弟と米沢の千坂太郎左衛門にまかせるしかな 。佐川官兵衛がいる限り、むざむざ敗れることはあるまい。河井も必ずや長岡城の奪回を図る しようび に違いない。それよりも焦眉の急は、白河である。白河城を奪回し、関東に攻め上ることが奥羽 越列藩同盟の勝利への道なのだ。 ヘンリー・シュネルは越後に向い、白河では、西軍と同盟軍の死闘が始まろうとしている。 ( 白河の奪回がすべてだ ) 梶原は、白河の方角を見た。 「戦いは、予断を許さない。総力をあげて勝つのだ。白虎隊にも出動命令を下す」 兄の内藤介右衛門がいった。 白虎隊出陣

10. 白虎隊―続会津藩燃ゆ

痛の声、城内を駆け回る罵声 : 。そうした戦争の音に慣れた平馬は、この静かさが不思議だっ た。旧幕府の雄藩として徳川を支え、京都に君臨した会津藩が、いま藩祖保科正之以来、二百ニ 十年の歴史を閉じようとしているのだ。これから会津藩がどうなるかは判らない。国敗れて山河 なし、会津藩放浪の旅が始まるのだ。 容保は、城外で戦う萱野権兵衛、上田学太輔、諏訪伊助、佐川官兵衛らにも降伏の親書を送 り、奥の間に消えた。 あす二十二日、城を西軍に明け渡すのだ。すべての将兵は、様々のおもいで夜を迎えた。一発 の銃声が響いた。藩校日新館医学所教授秋山左衛門が庭樹の下で自殺したのだ。これを合図に数 発の銃声が夜空に響いた。まだいたるところで彼我の兵が睨み合 0 ている。まかり間違えば、再 び戦争が始まる。だが数発の銃声で、城下は再び元の静寂に戻った。 月が蒼い。会津の山塊も鶴ケ城の漆黒の樹林も月に照らされてあざやかに浮かび上が 0 た。こ の鶴ケ城の月をもう見ることはないのだ。寒気が鶴ケ城を包んだ。 仙台藩但木土佐、坂英力、玉虫左太夫、若生文十郎、米沢藩千坂太郎左衛門、甘糟継成、色部 長門、長岡藩河井継之助 : : : 、奥羽越の英雄たちは、銃弾に斃れ、あるいは、藩内抗争に破れ、 涙 のあるいは己の無力に失望し、ついに敗れ去った。 愧会津藩首席家老梶原平馬は、哀しみに満ちた憂いの表情で月を見ている。涙で、眼がかすみ、 やがて声をあげて号泣した。 251