と、材木で老夫の脳天を割った。 さらに進むと、敵兵がさっと逃げた。隊員の鈴木兵庫が大声で叫んだ。 「武士にして背後を見せるとは卑怯だ。速やかに来て勝負せよ ! 」 敵は足を止めた。薩長兵ではない。肥前大村藩兵だ。敵にも武士はいる。鈴木は、小銃を捨て 刀を抜いた。敵兵も上段に構えて近づいてくる。 「イヤーツ ! 」 鋭い気合いで白刃が一閃した。敵の大刀が鈴木の左眼球を斬りつけ、鮮血が鼻口からほとばし る。鈴木の剣は、相手の肋骨を斬っている。二人は刀を捨てて組打ちとなった。三沢は、狼狽し てなすすべを知らない。隊長の山田清介が短刀を抜いて敵の喉咽を刺し、路傍の溝に放り込ん だ。しかし、鈴木も帰る途中、敵に包囲され、戦死する。 城に戻ると、天主閣下に酒井又兵衛の首が晒されている。密かに敵に通じていたことが発覚し たのだ。四方を敵に包囲され、籠城してすでに二旬 ( 二十日 ) 援軍もなく、某は行方不明とな り、某は民間に潜伏、あるいは子供を城外に逃がす兵士も出ている。三沢は、「国の危急存亡を 顧みず、一身の安全を望むが如きは武門の恥」と慨嘆した。 このころ、梶原平馬は、降伏の決意を固めていた。会津藩は孤軍奮闘、死にもの狂いに戦い 武士の意地を貫いた。これ以上、藩士、家族を犠牲にすることはできない。 「山川、降伏をおいて外に会津を救う道はない。白虎隊や幼少組に会津の未来を托すのだ」 246
謀略、罠、裏切り、戦争には、様々の卑劣な行為がっきまとう。越後戦争での見えざる敵は、 内部の裏切りだった。内部の敵ほど怖いものはない。背後から銃弾を受け、すべての作戦は水泡 に帰す。 「裏切られた」 と、知ったときの心理的打撃も大きい。古来、戦争はいかに相手の内部を攪乱するかにある。 敵の後方にス。ハイを送り、逐一、敵の情報を集め、戦略を練る。その点で、西軍は一日の長があ る。本来、同盟軍は自国での戦いだから、西軍よりも緻密な情報を得られるはずだった。しか し、寄せ集めの同盟軍は統一的な作戦本部がない。形の上ではあるのだが、実際は長岡、米沢、 会津とそれぞれ独立した部隊が各地に転戦している。このため、せつかくの情報も生かせない。 裏切 152
慙愧の涙 る年ごろである。 「君恩に報いよ」 父の教えを守り。どこでも懸命に戦った。三沢の手記『暗涙の一滴』は、戦いの裏面を知る貴 重な史料である。 三沢は、城南、豊岡の守りについた。小田山の砲列の真下に当る。ここに胸壁を築き、小屋を 構えて、数人交替で敵の侵入を見張るのだ。砲弾は頭上を越して行くので。当る心配はないが、 しらみの大群に襲われて苦労する。数百匹が群れをなして肌を襲う。たまりかねて風呂桶を見つ もくよく けだし、雨水をためて水風呂に入り、しらみの大群から逃がれようと沐浴する。そこを敵から狙 撃され、風呂桶を敵弾が貫通する。このあたりは、なんとなくューモラスだが、九月十五日、城 外の青木村で壮絶な白兵戦を行なう。数人の兵士と散開して進むと、突然民家から敵兵が躍りで 「ダダーン」 三沢は、突差に小銃を発射し、敵は、その場に倒れた。近づいて見ると、右股から流血淋漓と あふれている。薩摩七番隊の夫卒で、禿頭白髪の老人である。 「助けてくれ」 と、泣きわめいている。三沢が一瞬ひるむと、古参兵が、 「馬鹿野郎 ! くたばれ ! 」 245
藩主容保の指揮も見事だった。搦手に土佐兵が転陣したと見るや、容保は城内の兵の志気を鼓 舞するため、下士を中士に、中士を上士に昇格させる布告をだし、藩兵は皆感激して、敵前に突 撃した。格式の高い会津藩にとって、昇進は、何ものにも勝る栄誉なのだ。 てるひめ 城内には、容保の義姉照姫を護る婦人の一団がいた。銃砲、大小、薙刀をかついで多くの婦人 が籠城、藩兵たちを助けている。 梶原は崩れ落ちた瓦礫を踏みながら天守閣に上った。ときおり鬨の声が起こる。会津軍が夜襲 をかけたのだ。敵兵の激しい銃弾が夜空にこだまし、いたるところに点々と敵の火が見える。梶 原にとって、この日の敵軍の襲来は、予想だにしないものだった。母成峠破れる、と聞いたとき も、二、三日は十六橋で食い止められると判断していた。そうすれば、国境の精鋭が帰城し、敵 の背後を衝くこともできるはずだった。会津軍の作戦の甘さに胸が痛んだ。婦女子の痛ましい自 刃は、梶原の耳にも入っており、田中土佐、神保内蔵助、河原善左衛門らの壮絶な死も頭の下が るおもいだった。 会津はあすからどのようになるのだろうか。 梶原は、暗澹とした気持で、落涙した。もとより死を決した戦いであり、最後の一兵となるま で、城を枕に戦い抜く決意には変りないのだが、この無惨な城下の戦いに慟哭した。会津の最高 指導者として、敵軍を城内に入れない戦略はなかったのか、梶原の心は雲のようにちぎれ、男泣 きに泣いた。 222
前哨兵が飛びだして、敵の番兵に短刀をつきつけた。 「騒ぐな ! 。あの陣地に何人の兵がいる」 敵兵は唇をワナワナとふるわせ、言葉がでない。 「いわなければ殺す ! 」 「十数人」 敵兵は、ロを開いた。 六百名の黒い塊りは、風のように敵の胸壁に向って突撃した。 奇襲を受けた西軍は、絶叫し、狼狽し、小銃を乱射して逃げる。前軍は、直ちに長岡城攻撃の のろし 烽火を上げた。これを合図に正面攻撃の会津、米沢瀋兵も総攻撃に移り、砲焔は天をこがし、長 岡一円に火災が発生、白昼のような明るさとなった。 敵陣は大混乱に陥った。西軍は拡大した越後戦線に兵を分散していたため、西軍総督府軍将西 きんもち 園寺公望、参謀山県狂介は、命からがら逃げた。 よ せ長岡市民は、町の大通りに酒樽を持ちだして長岡藩兵をもてなし、老若男女は道ばたに平伏し 死て河井らを迎えた。 を 潟「おおー、戻ったぞ」 河井は、一人一人に手をさしのべ、声をかけた。 149
城攻撃に向う約東なのだ。 七月二十四日、空はどんよりと曇っていた。夜襲をかけるには絶好の日和である。六つ半時 みつけ ( 午後七時ごろ ) 前哨兵十人に続いて、前軍、二軍、三軍と見附の本営から市屋の船橋を渡り、 熱田新町より四 0 屋、漆山を経ミ百東村 0 東端にて、四 0 時 ( 午「十時ごろ ) 八丁沖にかか った。梅雨の大雨がまだ引かず、ぬかるみのなかを六百の精鋭が進む前哨兵は、この四日間、 ひそかに八丁沖に侵入し、通路に目印をつけていたので、これにそって、匍匐して一歩一歩、長 岡城を目指す。誰一人、声を立てる者はいない。歯を食いしばり、右手に青竹、左肩に銃を担 ぎ、葦の葉に足をとられながら泥だらけになって漕ぎ分ける。 前軍が二十五日明方 ( 午前二時ごろ ) 、ようやく八丁沖を渡り切ると、黒雲が消え、さっと月 光が射した。原野は白昼のように照らしだされ、兵士たちは、泥土にひれ伏して、息をひそめ かがりび た。眼の前には敵の陣地があり、篝火を燃して警戒している。敵兵の言葉さえ聞える。 前軍を指揮する川島億二郎は、胸の動悸を押え切れずに、ただじっとうずくまった。 ( もし、いま敵兵に発見されれば、二軍、三軍、後軍は、集中砲火を浴びて、この作戦は失敗す る。雲よ来い ! ) 川島は神に祈った。 幸い敵兵は気づかない。約一時間ほどして全軍が八丁沖を渡った。 「いまだ ! 」 ほふく 148
た長岡藩の安田隊が槍を振って、飛び込もうとするのを雷神隊長立見鑑三郎が止めた。 「待て、この霧では同志討ちの危険がある。われに一策がある」 というや、大声で、 「敵兵十数人を斃した ! 分捕品も多い。わが軍は勝ったぞ ! 皆の者、一層奮発して、敵を一 人残らず討ち取れー」 と、叫んだ。 霧のなかに突然湧き起った立見の声に、奇兵隊員が一瞬たじろいだ。 接近戦は、一瞬の気合いで決まる。見えない敵に向っての突撃は、一対一の斬り合いの修練を 積んだ武士の方が強い。 「いまだ。斬り込め ! 」 立見を先頭に雷神隊と安田隊が、奇兵隊を目がけて山を駆け下りた。このとき、さっと霧が晴 れた。兵を立て直した会津藩兵の眼にまさに斬り合おうとする奇兵隊と雷神隊の姿が写った。 「くそ ! 」 会津藩萱野隊の鈴木勝弥と柳下武蔵が、狙いをすまして引き金を引いた。 「ヒューン、ヒューン」 撃って、撃って、撃ちまくる。 「ああっ」 ぶんどり
「あれはなんだ」 とうなばま 東名浜を守備していた仙台藩兵は、小銃をかかえて浜べに走った。旧幕府海軍かも知れない。 しかし違う。外国の旗が船尾に翻っている。 「敵の船だ ! 」 兵士たちは、銃口を向けて、身構えた。 沖合いにびたりと碇泊した汽船から短艇が下され、完全武装の兵士たちが乗り移るのが見え る。短艇を操るのはイギリスの水夫たちだ。仙台藩兵の銃口を見るや、水夫たちは驚いて漕ぐの をやめた。短艇に乗った佐賀藩の軍事係田村乾太左衛門が、抜刀して、水夫たちを怒鳴りつけ、 岸に漕ぎ寄せた。 「何者か ! 」 仙台藩の永沼織之允、山本重之進が兵士たちを取り囲んだ。 「我々は大総督府の命令によって、奥羽に派遣された佐賀藩兵、小倉藩兵である。奥羽鎮撫総督 ー旨たい」 向田村乾太左衛門は大声でいった。 宮佐賀藩、小倉藩というのが仙台藩の判断を狂わせた。薩摩、長州ならば、敵である。 王 ( 佐賀、小倉藩は、はたして敵なのか、味方なのか ) 急報を受けた但木土佐は、迷った。この迷いが、つまずきのもとになる。 , この一隊は、れつき
小銃を構えるひまもなく、心臓にぐさりと槍が突きささる。 「ワアー ! 」 半狂乱の修羅場である。誰しも死ぬのは怖い。小銃も弾薬もかなぐり捨てて逃げる。膝がガク せんじん ガク震え、千仞の谷底に転落する。追う方は強い。 「当ったあー、撃て、撃て ! 」 すさまじい迫力で引き金を引く。武器、弾薬に乏しい同盟軍には敵兵の遺留品は貴重だ。手当 り次第にかき集める。斃した敵兵の懐から一通の手紙がでて来た。奇兵隊と書いてある。「あの 奇兵隊 ! 」手紙を読んだ長岡藩兵は背筋が氷るのを覚えた。 濁流の信濃川を渡り、小千谷に戻った長州兵は、ガタガタと震え、戦おうとするそぶりすらな ( 負けた ) 山県狂介は、おもった。 ( いま長岡、会津兵に攻め込まれたらわが官軍は崩壊する ) 山県は焦った。 る 陥「大砲を撃ち続けるのだ。撃って撃って、撃ちまくるのだ ! 」 岡山県は、砲隊を叱咜した。敵の突撃を食い止めるには、大砲を撃ち続けるしかない。両軍は、 信濃川を挟んで再び激しい砲撃戦となった。
白河の敗戦で責任を問われ蟄居していた西郷頼母の家では、別れの宴が催されていた。 「予の力不足であった」 西郷は妻にわび、敵兵来襲の際は、自刃し、西郷家の名誉を保つよう命じた。 すべての会津藩兵とその家族は、敵の足音が刻々と迫るのを聞いていた。 漆黒のなかから鬼畜のような薩長兵が銃剣をかざして飛び込んでくる姿に恐怖した。 鈴虫の音色の背後に、敵の動きを感じた。 暗い秋であった。 八月十九日、梶原のもとに、長岡藩軍事総督河井継之助死す、の知らせが入った。 八十里こしぬけ武士の越す峠 河井は会津に逃がれる己を自嘲した。八十里峠の険山に揺られた河井の傷は、日に日に悪化、 河井は痛みをこらえ切れずに呻いた。重態であった。 ただみ 只見村に着いた河井は従僕の松蔵にいった。 「松蔵、初めから死ぬことは覚悟していたが、こんなに痛いとは覚悟していなかった」 「だんな様」 松蔵は声をつまらせた。河井は顔面蒼白、傷口に蛆がわき、身動きもできない状態なのだ。 らっきょ うじ 190