梶原平馬は、少年たちをおもい浮かべていた。 ( 彼らも戦闘に巻き込まれたに違、よ、。 レオ > こんな事態になろうとは ) 梶原は、取り乱す自分を抑えることができなかった。越後の敗北は、即、武器、弾薬の補給が 絶たれたことを意味する。背筋が氷り、全身に悪寒が走った。人間の信頼関係も所詮は、カのバ ランスがくずれたときに崩壊する。新発田の裏切りも、どうしても西軍を破れない同盟軍の弱さ に帰因していることは明らかなのだ。薩長の西軍を越後から駆逐できれば、新発田が寝返るはず 十 6 よ、 0 ( 無念だ ) 梶原は、がつくりと肩を落とした。しかも、河井が重傷を負ったというのだ。戦いは、人と組 織と財力で決まる。河井の卓越した統率力、決断力、判断力が越後の戦いを支えてきたのだ。 梶原は、河井の人なつつこい笑顔をおもいだした。 ( 河井 ! 死なないでくれ ) 梶原は、会津に向かったという河井の身を案じた。 梶原は、己と河井の違いを明確に知っていた。河井は己のカでのし上がった乱世の英雄であ り、自分は、家老の家に生まれた恵まれた男である。家格の厳しい会津藩のなかで、並の才能が あれば、自動的に指導者になれた。幸運もあった。江戸、京都で学び、兄は実直な武将である。 ( 俺に比べれば河井の才能は凄い。軽輩の身から一国の指導者になった河井の器量は、自分をは 160
お山の千本桜 花は千咲く、実は一つ 人々は、河井を囲んで踊り狂った。 長岡城はすでに焼失していたが、焼け残った武器庫には、西軍の大砲、小銃が充満しており、 弾薬二千五百箱も見つかった。衣類もある。軍用金もある。長岡兵は、いまさらのように西軍の 物資の豊富さに驚いた。 しかし、喜びは一瞬に過ぎなかった。正午ごろ西軍の先鋒が逆襲を試みた。本道攻撃の米沢藩 兵が一向に敵を破ることができず、長岡藩兵は長岡城に孤立する形となったのだ。 「米沢奴、何をしてる ! 」 河井は、敵兵に向って走ったそのとき、一発の銃弾が河井の左膝下を貫通した。鮮血がどっと 流れる。 「だんな様 ! 」 河井の従僕松蔵が血相変えて駆け寄った。 「松蔵、やられた」 河井は、苦痛に顔を歪めた。 ( ついていない。俺はついていない。これで長岡も終りだ。情けない。情けない ) 河井は自嘲した。 150
白河の敗戦で責任を問われ蟄居していた西郷頼母の家では、別れの宴が催されていた。 「予の力不足であった」 西郷は妻にわび、敵兵来襲の際は、自刃し、西郷家の名誉を保つよう命じた。 すべての会津藩兵とその家族は、敵の足音が刻々と迫るのを聞いていた。 漆黒のなかから鬼畜のような薩長兵が銃剣をかざして飛び込んでくる姿に恐怖した。 鈴虫の音色の背後に、敵の動きを感じた。 暗い秋であった。 八月十九日、梶原のもとに、長岡藩軍事総督河井継之助死す、の知らせが入った。 八十里こしぬけ武士の越す峠 河井は会津に逃がれる己を自嘲した。八十里峠の険山に揺られた河井の傷は、日に日に悪化、 河井は痛みをこらえ切れずに呻いた。重態であった。 ただみ 只見村に着いた河井は従僕の松蔵にいった。 「松蔵、初めから死ぬことは覚悟していたが、こんなに痛いとは覚悟していなかった」 「だんな様」 松蔵は声をつまらせた。河井は顔面蒼白、傷口に蛆がわき、身動きもできない状態なのだ。 らっきょ うじ 190
「河井は手ごわい」 西軍参謀の山県狂介もおもわぬ強敵に肝を冷やしている。これを攻め落すには、軍艦を新潟港 に向けて、シュネル兄弟を押え、敵前上陸するしかない、と江戸の大総督府を説き続けて来た。 河井もそれは十分に承知している。会津の梶原から同盟軍海軍創設の相談があったとき、 「話は判るが手遅れだ」 と、断った。仮りに甲鉄軍艦「ストーン・ウォール・ジャクソン号」を手に入れ、さらに奥羽 越列藩が共同出資して軍艦を購入したところで、運用できる海軍士官がどこにいるというのか。 河井は、それを知っている。 ( 同盟軍海軍など見果てぬ夢だ。それよりも占領されている長岡城を奪回し、越後から薩長を追 オ > 。これしか い出すことが先決だ。やがて冬が来る。南国の兵は越後の冬に耐えられるはずはよ、 勝っ道はない ) 河井は確信していた。 越後の戦いは、両軍ともギリギリの段階に来ていた。 山県狂介の新潟攻撃が先か、河井の長岡奪回が先か、両者は、刻々とその準備に入っている。 機先を制した者が勝つのだ。 もう一つ、河井が気がかりなのは、新発田の農民たちの不穏な動きだった。後方で領民が反戦 の動きにでれば、もはや戦いの続行は不可能だ。秋の収穫期の前にケリをつけなければ、人夫の 144
松蔵は河井を物陰に運ぶと、手ぬぐいを裂いて膝をしばり、兵士たちが急造の担架を作って、 長岡藩の軍病院である昌福寺に移した。 どの顔も沈痛のあまり、声もない。長岡藩兵にとって、河井がすべてなのだ。河井がいなけれ ば戦いにならない。誰が指揮をとり、誰が長岡を考えるのか。越後の戦いは、河井継之助を欠い てはありえない。翌二十六日、長岡城に入った米沢の千坂太郎左衛門、会津の佐川官兵衛らも呆 然とした。 ( 敵兵は一両日中に総攻撃をかけてくるだろう。河井を欠いて長岡の防衛はできない。越後もこ れで終りだ ) 二人の胸に去来するものがあった。 米沢藩は、このときから早くも退却を始める。米沢藩軍事総督千坂太郎左衛門は、絶えず米沢 藩兵の温存を考えている。他国で藩兵を消耗すれば、自国の防衛が不可能になる。そのために攻 撃も消極的で、会津や長岡藩兵との間に不信感も芽生えていた。 「米沢は相手にならん ! 」 よ せ佐川官兵衛は、ときおり口ぎたなくののしった。寄せ集めの同盟軍の悲劇である。 死会津藩首席家老梶原平馬は、米沢の千坂を信じたが、千坂は政治家であり、政略で動く。 潟河井の重傷は、越後の同盟軍を崩壊させた。それを決定的にする西軍の新潟上陸作戦が行なわ れた。同盟首脳がもっとも怖れた新潟港の占領である。 151
長州の三好軍太郎が仰天した。これまで見たこともない新式の大砲だ。 「散れ、散れ ! 」 三好は、兵を物陰にひそませた。 ガットリング砲。恐るべき殺人マシーンである。アメリカの医師、リチャード・・ガットリ ングが発明した速射砲で、ハンドルを回すと六本の銃身が回転し、一分間に百五十発から二百発 もの弾が撃てるのだ。南北戦争で北軍のバトラー将軍がこれを採用、リッチモンドの攻防戦で使 ったという。しかし、驚異的な弾薬の消費で、実用にはならなかった。当時、銃隊が使用する弾 薬の量はせいぜい一人一日二百発であり、それ以上の補給は無理なのだ。 ものの数分で、河井のガットリング砲は沈黙した。 「あの男を狙え ! 」 三好は、兵士たちに河井の狙撃を命じた。 「ヒューン」 一発の銃弾が河井の肩をかすめた。強烈な痛みが走ると、鮮血がしたたり落ちた。 「やられた。退け、退け ! 」 る 陥河井は、ガットリング砲を曳いて、退却した。 岡数時間後、長岡の町は、黒煙を上げて燃え、長岡城は落城した。
「だんな様、私は奥様から万一のときは、御遺髪だけは持ち帰るよう仰せつかりました。もし も、この先、万一のことがありましては : ・」 松蔵は泣いている。 「判っている。髪を切れ」 松蔵は嗚咽しながら河井の髪を切り取った。 河井重態の知らせに梶原平馬は、旧幕府の西洋医松本良順を只見に急行させた。松本は傷口を ひと眼見て、すぐ繃帯を巻いた。傷口は膿毒を起こし、すでに全身を犯し始めている。すぐ切断 しなければ命はない。しかし、器械も医薬品もない。助からないことは明白なのだ。松本は、世 間話を始めた。 「会津藩は頑張っておりますそ。まだ傷は軽い。会津に来られれば十分な治療もできる。牛肉で も食べて精をつけてください」 「かたじけない」 首二人は、長岡戦争や会津にいる長岡藩公の近況について上機嫌に談笑した。 津「会津の壮士は君がくるのを待っていますそ」 会 る 帰りぎわに松本がいうと、河井は、 す 悩「会津も、もう化の皮がはげたかな」 と、笑った。河井は、初めから助からないことを知っていた。そして、会津もまた余命いくば 191
「人間死ぬ気になれば、案外生きることができる。大功も立てられる。ところが死にたくない、 危い目に逢いたくない、とおもうと、生きることもできず、汚名を後世に残すことになる。身を 捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるのだ」 河井独特の人生哲学である。 河井は終始笑っていた。内心、死を決していたが、己が笑顔を見せなければ、隊員はどうな る、不安と恐怖で、奇襲など成功するはずまよ、、 ーオレというおもいやりである。 河井は六百九十名の藩兵を前軍、二軍、三軍、本陣、後軍の五部隊に編成し、隊員一人一人に 弾薬百五十発と青竹一本、切餅二十一個を渡した。青竹は沼地を渡るのに欠かせない道具なの 七月二十日、明け方から雨が激しく打ちつけ、風も加わって、とても沼地を渡ることはできな 「延期だな」 河井は、呟いた。 よ せ 八丁沖は、いまは水田となり、当時をしのぶことはできないが、大きな沼地で、真ん中に葦が 守 死生い茂り、ところどころこト ; し、 冫 / , カ流れ膝まで没する湿地帯である。ここを渡れば城までは僅か 潟一里 ( 四キロ ) の距離である。 かたず 会津藩、米沢藩もこの奇襲を固唾を呑んで見守った。渡河に成功すれば、直ちに正面から長岡 147
を第 、なを第新 ・み、もヂら : ツ くもないことを予期していた。 八月十二日、只見から塩沢村の医師矢沢家に たどり着いた河井は、十三日朝から熱をだし、 うわごとをいい始めた。翌日、少康状態になっ たが、十五日夜、松蔵を枕元に呼んだ。 貝「松蔵、世話になった。静かにおもうに、死期 が追って来たようだ。これより直ちに死後の準 備をせよ」 之河井はあえぐようにいった。 終「だんな様、心弱きことを仰せにならないでく 君 をを皇一 継「貴様の知ったことではない。用意しろといっ 河たら用意するのだ ! 」 河井が叱りつけた。 「はい、だんな様」 松蔵は板切れを集めて棺をつくり、骨を入れ る納骨箱をつくった。 192
河井は上気嫌である。 河井が立てた長岡城奪回策は、城の背後にある八丁沖という沼地を渡って、奇襲する大胆な戦 ー > たるところこトー : 。 月カてき、腰までつかる泥土なのだ。西軍から 略だった。長雨でこの沼地ま、 見れば、背後に天然の防衛地帯がある、と同じなのだ。この泥と水のなかを攻めて来るはずはな と信じている。 七月も中旬になって、すでに秋の気配がただようころ、河井は諸隊長に、この秘策を打ち明け ( まさか ) 味方も驚ろく奇襲作戦だった。攻撃は七月二十日夜と決まった。 「この戦いが長岡藩の興廃を決めるのだ。なぜか。それは東軍が大勝すれば、敵は越後から逃げ だし、越後から敵が逃げれば、奥羽から敵が引き揚げることになる。そうなると、天下はどうな る。もともと薩長以外の諸大名は、ただ薩長の暴威に脅かされて参戦しているのに過ぎない。越 後が勝てば、天下の諸大名は変心する。そうすればどうなるとおもう」 河井は諸隊長を集めて、得意の弁舌をふるった。 長岡藩兵の兵力はすでに六百名足らずに減っている。このままではいたずらに兵力を消耗し、 じりじりと敗退を続けることは火を見るより明らかなのだ。これに対して、西軍は続々兵力を増 強している。いまをおいて外に攻撃のチャンスはないのだ。 はつらようおき 146