死の海 この日、会津軍の戦死者四百六十余名、藩士家族の殉難した者二百三十余名、一般市民の犠牲 者は、数知れず、数千戸が焼失した。 会津若松は死臭に充ち、みじめな敗北に男たちは号泣した。 会津城下に西軍侵入の知らせは、またたく間に仙台、米沢に伝えられた。しかし、反応は冷た っこ 0 、刀キ / 仙台藩主戦派は、相次ぐ敗北の責任を負ってその職を追われ、恭順派の遠藤文七郎、大条孫三 郎が藩政を握っている。奥羽越列藩同盟の指導者但木土佐、玉虫左太夫は、顔色を失って、知ら せを聞いた。玉虫左太夫は、梶原との男の約東を果せなかった己の無力さに悄然とうなだれた。 この狂気の戦争に駆り立てたのは、薩長の理不尽な欲望であり、会津に対する私怨だったが、奥 羽越あげて決戦に及んだのは仙台藩の決断によるものだった。仙台が世良修蔵を斬り、奥羽越列 藩同盟の盟主の座につかなければ、あるいは、この戦いはなかったかも知れなかった。玉虫の胸 は痛み、すぐにも会津に駆けつけたい衝動にかられた。いま、会津を援護しなければ、仙台藩 きようだ は、永遠に怯儒の烙印を押される。信義なき裏切りの集団となる。玉虫は、胸のなかでむせび泣 おおえだ 223
すでに秋田が離反の動きにで、新発田藩も信用できない。輪王寺宮で浮かれている場合ではな いのだ。 仙台藩玉虫左太夫も焦っていた。奥羽越の盟主として仙台藩が主導権を取るには、軍備の近代 化が急務であり、輪王寺宮下向の機会に奥羽越公議府を設置し、政治的な結東を固めなければな らないのだ。会津、長岡は、戦いに全力をあげており、仙台こそが、唯一、政治力を発揮できる 立ち場にある。しかし、実態はどうだろうか。革新は一日では成らない。長い時間と、ときには 血で血を洗う闘争も必要なのだ。奥羽越はまだその洗礼を受けてはいない。 輪王寺宮を迎えた仙台城下は、興奮の渦にあった。 仙台藩主伊達慶邦は、 薩賊は残暴を恣ままにし、幼帝を欺いて大逆無道を行なっている。このうえは大義を明ら はら かにし、幼帝の憂いを祓い、万民塗炭の苦しみを救うべきである。今回、輸王寺宮を迎え、 もと 奥羽越列瀞の勝算、固より疑いを容れべからざるところである。 夏 の と、自ら天下泰平の祈薦を行ない、感涙にむせんだ。 熱会津藩士小野権之丞や安部井政治は、玉虫左太夫、横田官兵と日夜、激論を交わした。 しろいし 「輸王寺宮は、あくまで、〃玉〃なのだ。同盟の公議所は仙台ではなく、白石である。白河の戦 115
した重さがある。 「梶原殿、貴殿こそが、奥羽に新しい時代をもたらす指導者です。できるだけの御協力はしま 友三郎は、梶原をじっと見た。 「心強い」 梶原は、勇気が湧いてくる己を感じた。 会議にはエドワード・シュネルも出席し、仙台藩玉虫左太夫が議事を進めた。いつもながら玉 虫の議事進行はあざやかである。 「今度の戦いは、アメリカの南北戦争と同じである。南北戦争は、不幸にして南軍が敗れたが、 南部と北部は、お互いに産業や文明を異にする二つの国であり、ともに正義の戦いだった。奥羽 越も同じである。この地にいまや北部政権が樹立されたのだ。この日本に薩長政府と北部政府の 二つの政府があるのだ」 玉虫は、南北戦争の例を引いて、薩長対奥羽越の二つの世界を説明した。 ( うまい。さすがにアメリカ帰りは違う ) 梶原は感心した。 玉虫の狙いは、中立政策をとっているアメリカを意識したもので、諸外国に北部政権を認知さ せることによって、新潟港、仙台港、酒田港など東北、越後の港を確保し、武器、弾薬の補給を
れるや、会津を目指して、潜行し、日光東照宮の僧侶たちも、戦禍を避けて、会津に入ってい た。 「輪王寺宮、海路、奥羽へ向う」 という知らせは、この僧侶たちからもたらされた。 但木は狂喜した。もはや、我々は賊軍ではない。輪王寺宮を推戴する正義の軍隊なのだ。西と 東の二つの国家が厳然として、この日本にある、という玉虫左太夫の理論が現実となるのだ。 但木の奇怪な笑いは、このことにあった。 「玉虫、予はこれで救われた」 但木は、こみ上げてくる笑いを禁じ得なかった。 会津藩主松平容保の喜びも、ひとしおだった。京都時代、あれほど朝廷に忠勤を尽し、孝明天 皇の絶大な信を得た容保は、一転して逆賊の首傀として糾弾されているのだ。 「天は予を見捨てはしない」 容保は、感激に打ち震えた。 京都時代、なぜか女性に恵まれず、単身帰国した容保は、会津に戻って二人の側室を得た。本 来ならば、しかるべき大名の息女が選ばれるべきだったが、戦時のさなかである。藩内から健康 で若い娘が、容保の身の回りを世話することになった。 「早く世継ぎを設けなければ」 106
させることにつながる」 と、怒りをつのらせて但木につめ寄った。 「判っている。この際、前山とともに総督を江戸に帰してはどうか。そうすれば奥羽の混乱もな くなる」 但木は妙なことをいって、玉虫を唖然とさせた。 「それでは元も子もなくなる。とにかく前山を追い返すことだ。さもなくば、前山らの一隊を攻 撃し、葬り去ることです」 玉虫はなおも食い下った。但木は総督がからむ話になると、不思議に尻ごみした。薩長は敵だ が、朝廷に対しては礼節を尽す、という旧来の観念を捨て切れずにいる。薩長政府に戦いを挑 み、奥羽越あげて新政権を樹立する、と心中深く期するものがあったが、朝廷に刃向うことはで きぬ、という勤皇論である。無理もない。奥羽、越後は、日々、混乱の極にあった。予想もしな い新たな事態が次々に起こる。会津、庄内、長岡は、死を決して戦いに入ったが、仙台、米沢は 絶えずゆれ動く嵐のなかにあった。玉虫左太夫、若生文十郎らが奥羽越列藩同盟を結成し、各地 向に檄を飛ばしたが、鉄のような意志が、全藩を貫いているわけではない。 宮前山は江戸をでるとき、大総督府参謀の大村益次郎から「秋田に九条総督を連れて行け」と、 王命令を受けていた。秋田は、奥羽越列藩同盟に加盟はしたが、庄内に出兵するなど、藩論は二分 している。大村は江戸で秋田藩内の情勢を把み、前山に下知したのである。勤皇論が根強い秋田 IOI
ティは、台所に立って、酒の準備をする。魚の干物と煮物が並んだ。梶原は、一気に杯を傾む 「うまい」 おうよう 鷹揚な微笑みが戻った。 「私は死なないわ、城に入って戦います」 ティがいた 酒が体にしみ渡る。 人生とは一体なにか。人間の究極の理想は一体なにか。人間はなにをなし、いかに生き、いか に死すべきか。 梶原は様々のことを回想した。 江戸、京都は遠い夢であり、この数カ月間の苦しみ、もだえた日々をおもいだしていた。河井 継之助、玉虫左太夫、千坂太郎左衛門、一人一人の顔が脳裡に写る。戦場を駆ける河井の姿が 髴と浮かび、熱弁を振う玉虫がいた。一喜一憂する毎日だった。多くの同志を得、ともに語り、 ともに涙にくれた。だが、いまの孤独感は、外の誰にも判るまい、梶原はおもった。己の栄達や 欲望のために会津を利用、旗色が悪くなると、さっさと逃げ出して行く卑怯な人間たちがいかに 多いか、考えれば、考えるほど腹が立った。泣きごとはいうまい。最後は己が自分の道を決める しかないのだ。会津の運命は、会津自身の手で決着をつけるしかないのだ。 ふつ う 188
北方は仁 六月十二日。新潟奉行所に同盟軍首脳が集まった。 仙台藩芦名靱負、牧野新兵衛、玉虫左太夫、富田敬五郎、横尾東作、金成善左衛門 星恂太郎、新井常之進。 米沢藩色部長門、大滝新蔵、佐藤源右衛門、黒井小源太、山田八郎、落合龍次郎、宇 佐美勝作、小田切勇之進。 会津藩梶原平馬、手代木直右衛門、神尾鉄之丞、唐沢源吾、萱場安之助、片桐弥九 郎、田中茂手木。 庄内藩石原倉右衛門、本間友三郎。 村上藩近藤幸次郎、平井伴右衛門、鈴木四郎右衛門。 一一本松藩奥田弥平右衛門、山田次郎八 新発田藩溝ロ内匠。 梶原平馬は、満足そうに周りを見た。東北、越後の錚錚たるメンバーである。仙台の玉虫左太 そうそう
「なんたることだ ! 」 会津藩兵は、悲憤慷慨し、罵声を浴びせた。奥羽越列藩同盟は瓦解し、仙台藩は盟主の座から すべり落ちたのだ。大鳥圭介もこれを目撃し、愕然とする。 本道より帰れば、道も近いのに、官軍が迫ったと聞いて恐怖し、四、五千の兵がありなが ら間道を潜行するとは、名にしおう仙台兵の所業と一同冷笑した。 大鳥は日記にこのように書いている。 仙台藩は混乱の極にあった。首席家老但木土佐、玉虫左太夫らの作戦はことごとく失敗したの だ。あまりの敗走ぶりに白石に滞在している輪王寺宮も落胆した。このままでは、仙台国境が破 られる日も近い。仙台藩主伊達慶邦直々の出陣しか、仙台藩を奮い立たせる方法はない。 「速やかに御出陣を」 輪王寺宮は仙台藩公に要請した。このため仙台藩兵はようやく福島に踏みとどまったが、とて も二本松奪回作戦を実行する勇気はない。まして、会津支援などできる状態ではない。 仙台藩は複雑に揺れた。帰順論の抬頭である。これに合わせて、西軍からの接渉も開始され た。西軍の狙いは、あくまで会津である。会津を徹底的に攻略するには、同盟を崩壊させ、会 津、仙台、米沢を切りくずし、離反させる必要があった。 176
無防備に等しい 仙台藩首席家老但木土佐、政務参謀の玉虫左太夫も必死だった。輪王寺宮に同行した旧幕府老 かっきょ ながみち 中の板倉勝静、小笠原長行らと協議し、反撃の戦略を練った。 「ストーン・ウォール号を手に入れるのだ」 板倉がいった。 「ストーン・ウォール号 ? 」 但木が尋ねると、板倉は興奮した口調でいった。 「幕府がアメリカに発注した軍艦だ。これは我々の軍艦だ。これが手に入れば、薩長の海軍など ものの数ではない」 甲鉄軍艦ストーン・ウォール号。正式には「ストーン・ウォール・ジャクソン号」という。榎 本艦隊の旗艦「開陽丸」よりは小型だが、鋼鉄製で、木造の開陽よりははるかに戦力に勝る。 ストーン・ウォール・ジャクソン号は、四月に横浜に入港したが、アメリカは局外中立を宣 言、薩長政府、旧幕府のいずれにも引き渡すことを拒否、星条旗をかかげて横浜に繋留されてい よ せるのである。 死これを手に入れれば、たしかに同盟軍に海軍が誕生することになるのだが、軍艦を走らせるに 潟は、高度な技術が必要になる。板倉の構想は、意表をつくものだったが、これを戦力として用い るには榎本武揚の協力がなければ、何の役にも立たないのだ。その榎本は、相変わらず、品 , ー けいりゅう 139
夫がいる。庄内の豪商本間友三郎がいる。 「梶原殿、武器を輸入し、軍備を強化すれば、薩長などわけなく叩きつぶすことができる」 じゅんたろう 玉虫左太夫は、気炎を吐いた。そして、星恂太郎を紹介した。精悍な表情のなかにも都会の雰 囲気がある。年令も梶原とほぼ同じ、三十前におもえた。 「額兵隊司令、星恂太郎です」 「額兵隊 ? 」 梶原が聞くと、星は、 「洋式軍隊ですよ。九月には出陣します」 星は、仙台藩の下級武士の出身だが、少年のころから熱血漢で、仙台にあきたらず脱藩して江 戸にでた。江戸で兵学を学び、さらに横浜で英語を学んだ。仙台藩首席家老但木土佐が星を召し しちょう だし、洋式部隊の編成を命じた。星は一千名の若者を選抜し、これを歩兵、砲兵、エ兵、輜重 兵、音楽隊に分け、仙台城下で猛訓練をしている。 ょにせ、すべて一か 「とにかく歯がゆい。一日も早く出陣し、貴藩を助けたいとおもうのだが、 / らなので時間がかかる。白河の戦いは惨敗し、貴藩に御迷惑をかけた。しかし、わが額兵隊が戦 線に出れば、これまでの仙台藩とは違いますよ」 星はさらりといってのけた。 がくへいたい