ひえい ン列島を攻略するための艦隊で、比叡・金剛の二戦だろうと推定できていながら、作戦直前までアメリ カ側にも決定的な確信はなかった。 艦、空母一隻で構成された艦隊だ。 合計すると、ミッドウェー作戦に参加した戦力そこで班長のジョセフ・ロシュフォート中佐が中 は、三五〇艦に一〇〇〇機の飛行機、そして一〇万心となって、日本側にカマをかけた。 ミッドウェー島からハワイのオアフ島に向けて、 人を超える兵士に膨れ上がった。 山本の意図どおり、もしアメリカ海軍機動艦隊平文 ( 暗号文でない普通の文 ) で「島の蒸留装置が ? か、この巨大な艦隊におびき出されたとしたら、た故障してしまい、飲料水が乏しくなっている」と打 電したのである。 ちまちにして全滅させられてしまったであろう。 ところか、アメリカ側にこのミッドウェー大作戦すると二日後、まんまと日本海軍はワナにかかっ っ は、すべて筒抜けになっていたのである。何月何日た。「は飲料水に困っているようだ」という日本 、つ は、つじゅ を何時頃、どこを連合艦隊が通過するといった情報ま側の無線を傍受したのである。これで、がミ戦 憐で、敵は事前に察知していたのだった。それは、海ッドウェーであることは確実となり、その結果、こ 悪 の 軍の暗号が完全にアメリカの第十四海軍区戦闘情報れまで傍受した暗号文から、六月四日午前三時 ( ハ 曝班 ( ハワイに拠点 ) に解読されてしまっていたためワイ時間 ) 時点での、日本の機動艦隊の位置が完全戦 大 章 に特定できたのである。 のである。 第 ところで、私が感心するのは、このときよくアメ ただし、日本側はミッドウェー作戦を作戦と リカ海軍の司令官は出撃を決意したということであ 呼んでおり、おそらく <<E がミッドウェーを示す語 その頃の日本 こんごう
ミッドウェー海戦は、日本が決して負けるはすのうのが、その狙いであった。 ない戦いだったといえる。しかも、その負け方は、 真珠湾攻撃のときとは異なり、山本は自ら旗艦大 尋常なものではなかった。空母を一挙に四隻失うと和に乗って、ミッドウェー攻略に参加している。率 ながと いる主力艦隊は、大和・長門・陸奥・伊勢・日向・ いうすさまじい大敗北であり、これによって制海・ ふそう 制空権の確保も一時危うい状態になり、やがて敗戦山城・扶桑の七戦艦と空母飛翔であった。先発隊と への道を転がり落ちていくきっかけとなったのであして、真珠湾攻撃で活躍した南雲中将率いる機動部 る。 隊が、五〇〇キロ前方にあった。機動部隊は、赤 そ、つりゆ、つ 大本営が渋るのを制して、強硬にこのミッドウェ城・加賀・飛竜・蒼竜の四空母と榛名・霧島の二戦 ー作戦を実施しようとしたのは、山本五十六連合艦艦、くわえて巡洋艦三隻、駆逐艦一二隻で構成され ていた。 隊司令長官である。 ミッドウェー島を攻略することで、アメリカの機さらに、このとき、も、つ一つ艦隊が編成されてい 動艦隊をおびき出し、これを壊滅してしまおうといる。ミッドウェー作戦の一環として、アリューシャ まさかの大敗北 制海権を失うきっかけとは ? ◆ミッドウェー海戦 はるな 232
0 アツツ島 1943.5.29 アツツ島玉砕 日本勢力の 最大進出線 1 945.3.1 0 1 942.6.5 終戦時の 東京大空襲 ミッドウェー海戦 4 1 941 . 1 2.8 真珠湾攻撃 1 944.6.1 9 ーユーギニア 日本勢力線 マリアナ海戦 サイバン島 0 グアム島 0 ミッドウェー島 マーシャル諸島 ハワイ諸島 0 0 9 オーストラリア 0 トラック島 日本統治領 0 1942.8 ~ 1 2 シロモン海戦 ギルバート諸島 ガダルカナル島 62 1943.2.1 ガダルカナル島撤退
る。 ェできる空母は一隻もない。もしここで負けてしま アメリカ側の機動艦隊は、空母三、巡羊濫、、区 、冫月ノ馬えば、太平洋戦争でのアメリカの反攻予定は、大幅 逐艦二一で、艦載機は一三一機だった。 にずれ込むことになる。へたをすれば、アメリカ本 もしまともな神経の持ち主なら、日本の連合艦隊土を空母艦載機で空襲される危険も予想された。っ に立ち向かうことは差し控えるだろう。しかも、空まり、アメリカにとってこの戦いは、背水の陣だと さんご 母ヨークタウンは、先の珊瑚海戦で中破してしまっ い、んた。 ており、本来ならとても使える状態ではなかった。 これに対して、日本の連合艦隊は奢っていたとし ところが、キンメルにかわってアメリカ太平羊監豕 、 ~ 癇ドカ田 5 えない。 司令長官となったチェスタ ー・ミニツツ少将は、ヨ早朝より南雲機動艦隊は、ミッドウェー島の総攻 ークタウンをハワイのドックまで曳航し、わずか三撃を開始した。第一次攻撃飛行隊の爆撃が終了した 日で修理せよと厳命、さらに五月三十一日、まだ修時点で、同隊より第一一次攻撃隊派遣の要請がなされ 理が済まないヨークタウンを無理やりミッドウェーた。爆撃が不十分であり、も、つ一度ミッドウェー島 方面へ派遣してしまったのである。驚くべきことを空爆する必要があると判断したからだ。 に、ヨークタウンのなかには多数の修理工が乗り込 、第二次攻撃隊は、島の基地を破壊するため み、ミッドウェーに向かいつつ、船体を修理したとではなく、アメリカの機動艦隊を迎撃するための部 し、つ・ 隊であり、空母攻撃のための魚雷を満載していた。 アメリカには、もはや後がなかった。今年中に夋 立が、南雲はこの要請を受けてしまい、航空基地爆撃 おご 234
太平洋戦争の緒戦による連戦連勝で、東条英機内一九四三年十一月には、軍需生産の一元的統制の 閣の威信は大いに上がった。さらに翼賛選挙の結ため、商工省と企画院を合併して軍需省を創設、初 果、議会も東条の言うがままになった。ところが、 代大臣を東条自身が兼任した。 ミッドウェー海戦、ガダルカナル島撤退、アツツ島このころ、陸軍と海軍が飛行機などを中心とする の玉砕など、次第に戦局が悪化してくると、反東条軍需品や資材の配給をめぐって醜い争いをしてい しゅんどう 勢力が蠢動をはじめだした。 た。そうした対立を解消するとともに、自分が軍需 一方東条は、首相といえども統帥権 ( 軍事指揮品統制の権限を掌握して、陸海軍をコントロールし 権 ) には一切介入できず、ミッドウェーの大敗北もたいと考えたのだ。 正確に知らなかったといわれる。 翌年一一月、東条は大本営の参謀総長 ( 陸軍の戦争 それゆえ、内閣の国務権にくわえ統帥権をも掌握最高責任者 ) に就任し、腹心の嶋田繁太郎海相に軍 して、絶大な権力のもと戦争を完遂しようと動いて令部総長 ( 海軍の戦争最高責任者 ) を兼ねさせたの である。さらに翌月、戦時行政特例法の職権特例を 戦争中になぜ東条内閣は 総辞職してしまったのか し」、つす・い ◆小磯内閣の誕生 166
った。全権を握っていたのは、ウィリアム・ハルゼこの頃、真珠湾攻撃で撃ち漏らした空母三隻が、 ー中将だった。ハルゼーは、プルという異名をもっ東南アジア海域に現れては、艦載機をあちこちに飛 猛将で、一か八かの賭けに出て、計画の続行を命じばして日本軍基地の空襲を敢行するといった、神出 た。当日は波がかなり高かったものの、奇跡的に一鬼没のゲリラ戦を展開していた。そして今度は、つ いに本土である。 機も失速することなく、爆撃機は空へと飛び立っ た。同時に、アメリカ艦隊はターンして全速力で当時、山本は、アメリカ軍の要とするミッドウェ ー島を攻撃することで、敵の機動艦隊をおびき寄 日本本土から遠ざかっていった。 ただし、このころ日本連合艦隊の機動部隊はセイせ、一挙にこれを殲滅してしまおうという計画を練 っ り、職を辞すると恐喝してこの作戦実施を大本営に ロン沖にあり、アメリカ機動艦隊が襲撃を受ける可 認めさせたばかりであった。この空襲は、ますます 能はほとんどなかった。 日本軍に負け続けていたアメリカ国民は、この成山本の焦燥を強くし、ミッドウェー作戦の実行を急 活 受 生 がせたのである。 襲功を聞いて狂喜したと伝えられる。 民 空 がしかし、後に述べるように、この作戦が太平洋国 て先に述べたように、アメリカ軍機の来襲は、翌日 じの夜だろうとタカをくくっていたが、不意を突かれ戦争において日本の命取りになってしまうのだ。 章 当日昼に襲われたこと、空爆したのが空母搭載の海 人 第 本 軍機ではなく陸軍双発機だったことで、山本五十六 川連合艦隊司令長官は、非常なる焦りを覚えた。 その頃の日本 かなめ
太平洋戦争中における新聞報道、とくに戦果に関だろうか。 するものは、過大報道で満ちていたことはよく知らそれは、そうするように国家が厳しく法律で新聞 れている。 報道を規制したからである。太平洋戦争中、国家の 具体的にいえば、一九四二年のミッドウェー海戦不利になることは、一切記載を許されなかった。も においては、新聞には「敵空母一一隻を撃沈し、敵機し戦闘の敗報記事でも書こうものなら、すぐさま担 を一一一〇機撃墜。味方の損傷は空母一隻沈没、飛行当記者は逮捕されて拷問を受け、新聞社は解散させ 機を三五機失った」と記されたが、実際は日本側のられてしまうだろう。その記事も、絶対に日の目を 大敗で、出撃した空母四隻を撃沈されてしまってい見ない。印刷されるまえに厳しく内閣情報局や大本 るのである。 営報道部などでチェックを受け、破棄処分されるか つまり戦果の過大報道というより、これは明らからだ。 なるウソである。 すでにそうした新聞・雑誌規制は、日中戦争の頃 なぜこのような虚報を平然と新聞は垂れ流したのからはじまっていた。 新聞は戦時中、なぜウソの戦果を 報道し続けたのか ◆戦時中の報道規制
ミッドウェー海戦の大敗北によって、大本営はアに適していたのはガダルカナル島だけであった。だ メリカ本土とオーストラリアの連絡を絶っためのから、日本軍は何としてもこの島を手中におさめた co ( フィジー諸島・サモア諸島攻略 ) 作戦を中止しかった。それは、アメリカ側でも同じこと。それゆ た。そのかわりに、 coZ 作戦を実行して両国の連絡え、このガダルカナル島をめぐって、日米で半年間 しやだん を遮断しようとした。作戦とは「ソロモン諸にわたる水陸の激しい攻防戦が繰り広げられること 島、ニューギニア東部における航空基地獲得設営のになった。 ための作戦」の略である。 最初にガダルカナル島に上陸したのは日本軍であ ここに飛行場をつくって両国間の通行を絶ち、さった。上陸するとすぐに飛行場建設をはじめ、一九 らにオーストラリアへの空爆を徹底的におこなえ四二年八月、これを完成させた。 ば、厭戦的傾向の強い同国は連合国側から脱退する が、それを待っていたかのように、完成から数日 だろうと読んだのである。 後、アメリカ海兵隊が上陸、日本兵をジャングルに ソロモン諸島のうち、航空基地に地理的・地形的駆逐し、これを占拠してしまったのである。アメリ ガダルカナル島に 日本軍が固執したのはなぜか ◆ガダルカナル島の激戦 238
1 まさかの大敗北 / 制海権を失うきっかけとは ? 戦艦大和 ミッドウ工ー海戦 第 5 章 戦局の悪化と終戦 235
一九四三年四月十八日、連合艦隊司令長官山本五本の死は、国内でも秘匿されていたから、国内より 十六が死んだ。 情報が漏れることはなかった。それゆえ、たまたま この日の早朝、山本は前線基地ラバウルから最前運悪く長官機が撃墜されたのだと軍部は認識したの 線を視察するため、数名の幕僚とともに飛行機で飛だった。 び立ったが、 長官機はプーゲンビル島上空に到達し しかし、それは、全くの誤りであった。 たさい、アメリカ軍戦闘機と遭遇し、なんと撃ミッドウェー海戦前より、海軍の暗号は完全にア 墜されてしまったのである。 メリカ側に解読されており、山本の視察情報は、筒 突如偉大な指導者を失ったわけで、日本海軍にと抜けだったのである。だが、アメリカ側は、解読で っては衝撃的事件であった。だが、海軍はこの事件きていないように見せかけるため、わざと山本の死 を偶然の出来事と考えた。もし山本の死を知っていを報道しなかったのだ。 れば、アメリカ側は必すプレス発表するはすだと思 五月二十一日、山本五十六の死は国民に公表され ったからだ。が、 敵はそれをしなかった。また、山た。これは国民に大きな衝撃と戦局に対する漠然と アツツ島玉砕とアメリカ軍の 本格的反攻 ◆山本五十六の戦死 244