ウォルマ - みる会図書館


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1. 考える人 2014年冬号

ると、その地域的基盤が南部や中西部、とりわけ郊 外のスモールタウン、あるいは農村部、すなわち 「田舎」にあることが見て取れる。つまり、都市部 から離れた場所に暮らし、幅広い商品やサ 1 ビスに 容易にアクセスできない顧客がワンストップで買物 を済ませることができる点を重視してきた。ス 1 1 センターがそのだ近年、スモ 1 ル・フォ 1 マットが都市部の一部に進出しているか、あくまで 自家用車で乗り付け、大量にまとめ買いしてゆくラ イフスタイルを前提にしている もう一つ注目すべきことは、東海岸や西海岸、あ るいは都市部に比べると、所得の低い地域が多い点 だ。ウォルトン氏自身、オクラホマ州の農家に育ち、 大恐慌の真っただ中、少年時代を過ごした。アメリ カ全体の失業率は一一十五パ 1 セントに達し、僅かな 収入を、失業中の友人や近所の人達に分け与え、 子供の靴や衣服を交換 ターや卵や砂糖を分け合い、 し合い、住む場所を失った親族のために自宅を開放 する光景も決して珍しくなかった。「協力すれば、 みんなで一緒に生活費を下げることができる。物を 安く買って生活の質を向上させるチャンスがあるの だということを世界に見せつけたかったのです」と いうウォルトン氏の信念は、生活の必要性に追われ た地域へ積極的に店舗を展開する大義となった。と りわけ、南部のサンベルト ( ほば北緯三十七度以南の温 暖な地域 ) は人口増加も著しく、市場としても潜在 。高所得者層向けのネイバ 1 的可能性に富んでいた フッド・マーケットや都市部の一部にも進出してい るスモール・フォ 1 マットが誕生したのはウォルト ン氏が亡くなった後である ウォルマートのこうした特質を敢えて「南部性」 と呼ぶならば、ウォルマ 1 トに対する批判もまた 「南部性」に根ざしていると言える 最も典型的な批判は、従業員の人件費や福利厚生 が最低限に抑えられ、労働組合もないというものだ。 ウォルマ 1 トだけがアンチ労組というわけではない。 しかし、産業界における規範形成力という点では、 往年のに匹敵する影響力を有している。そして、 安定した雇用や福利厚生、賃金体系の保証がの 関係の基本にあったことを考えると、ウォルマ 1 トがアメリカの労働運動史において保守化の象徴 であることは確かだ もちろん、そこには地域的・時代的背景もある ウォルマ 1 トは大恐慌後の南部に出現した。工 業中心のアメリカ北東部とは対照的に、労組への 文化的抵抗が強く、法的保護も弱かった。この地 域が歴史的に安い農業労働に依存してきた点、そ して、アフリカ系アメリカ人労働者が蜂起するこ とへの根強い恐布心がその背景にある。 ( 中略 ) ほ とんどの南部州同様、アーカンソ 1 州の労働権法 は労組の組織化を困難にしてきた。サム・ウォル トンは、彼のキャリアを通して、ずっと最低賃金 法と闘い、労働法を無視してきた。 ( 中略 ) 今日に 至るまで、北米のウォルマ 1 トではただの一つも 労組の組織化が成功することはなかった。 (The World of WaI-Mart. NichoIas Copeland 年 Christine Labuski. Routledge. 2013. P. 70 ) アメリカでは第一一次大戦後の一九四七年、強大化 6 1 トレー法が した労組の権限を抑制するタフト・ 2 成立し、保守的な南部州を中心に「労組弱体化」法 とも揶揄される労働権法が次々と成立した。その結 果、北部の製造業は南部へと工場移転を加速し、南 部の経済発展を支えた。しかし、労働権法が企業誘 致や雇用拡大を促進するのか、それとも賃金低下な と労働環境の悪化を招くのかは議論が分かれている。 労働権法の導入が広がった背景には、ソ連との冷 戦が始まり、労組への反発が強まったこともあると される。その意味では、以下の指摘は興味深い ウォルマ 1 トは、一九八〇年代に拡張した際、主 に男性からなる経営戦力をアメリカ南部の小規模で、 保守的で、競争率のあまり高くない大学から採用し こ。彼らの多 , くは SIFE (students 三 Free Enter- prise 、サイフ ) というキリスト教と資本主義、起業 家精神の連携を育み、広める組織のメンバ 1 だった ( 中略 ) ウォルマートはすぐに SIFE 最大の後援者と なり、〃自由企業フェロ 1 シップ〃 (free enterprise fellowship) を数多く提供するとともに、会社の幹部 や冗店にプログラムのアドバイザーや財政支援者 として奉仕するよう促した。 ( 前掲書、を辷ー 42 ) 労組の保護がない従業員のみならず、生産者や納 入業者もまた、ウォルマートが主要製品の最大の購 入者であるという「買い手独占」状況にある以上、 激しいコスト削減の圧力を甘受せざるを得ない。そ の結果、製造業に対する生冗業の優位がますます加 速することになる。コスト削減のツケは決して小さ いものではない。

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また、ウォルマ 1 トをめぐっては、出店主疋の地 地元の同業者にとって 域からの批判も少なくない。 は、勝ち目のない価格競争を強いられ、撤退や倒産 の危機に晒されることになる。地域の景観や文化、 伝統、共同体の崩壊にもつながりかねない。進出反 対運動も盛んで、その動向を監視する非営利団体も 複数存在する。スモ 1 ルタウンの経営哲学がスモー ルタウンの人びとによって抗われているとすればい かにも皮肉だ 加えて、ウォルマ 1 トが労働力の安い中国から製 品を大量に購入していることへの反発も強い ( 約七 十パーセントという報告もある ) 。一九八〇年代以降、 雇用の海外流出が全米で問題視されるなか、ウォル マ 1 トは "Buy Amenca" ( アメリカ製品を買おう ) キ ャンペーンを展開する。しかし、中国・深訓に設け られたグローバル調達本部を通じて、中国製品の輸 入は増加の一途を辿った。また、中国との自由貿易 ・協定締結や中国の加盟へ向けてアメリカの政 治家 ( とくに共和党議員 ) に多額の献金をし、積極的 ア こ働きかけた。中国にとってウォルマ 1 トは世界最 大の上客である。アメリカ南部の保守性に鑑みて、 やや意外な気がしないわけでもない。 「サ・ニュ 1 ョ 1 カ 1 』誌のスーザン・オルレアン 己者よ、ウォルマ 1 トのこうした二面性や両義性を 的確に表現している。 ウォルマ 1 トといえば必ず意味を付される。田舎 の人びとにとっての救世主か、それともスモ 1 ルタ ウンの殺生暑か。持続可能性に新たに取り組もうと しているのか、それとも酷い当記録を持っ会社に すぎないのか銃の御用商人か、それとも災害支援 にしばしば真っ先に駆けつける企業か安つばく、 軽薄な消費主義の記念碑か、それとも多くの人びと を央適にする手段か ("WaIart". susan OrIean. The New Yorker. February 11 年 18.2013. p. 48 ) ウォルマーテイゼーション 「ウォルマ 1 トは生活費を下げることで人々を助け とい一フウォル る。それはアメリカにとどまらない」 トン氏の信念に従い、ウォルマ 1 トは一九九一年に メキシコ・シティでサムズ・クラ。フをオープンして 以来、海外市場への参入を加速している。マクドナ ルドの世界展開が "McDonaldization"" コカ・コ 1 ラのそれが "Coca ・ CoIanization"—あるいは 「文化的植民地主義」との批判を込めて 60Ca60L onization" と揶揄する向きさえあるーーーと称され ているように、ウォルマートについてもま Wa 一 mar ・ tization" という造語が存在する。もはや間違いな く "Americanization' ・の一翼を担、フブランド企業 の一つだ 早速、一一〇〇五年にオ 1 プンした中国・上海の一 ロ歹店を訪れてみる。発展著しい浦東地区の上海儿童 医学中心 (Children's MedicaI center) 駅から赤一いて 七、八分。中国での相疋顧客は中流層以上で、彼ら の多くが都市部に暮らすため、郊外中心のアメリカ とは立地環境がおのずと異なる。周りを高層住宅に 囲まれたウォルマートを見たのは初めてかもしれな 、。店舗は一一階建てで、延床面積一万八千平方メ 1 トル。食料品から衣服、電イ製品、イ粧品まで取り ーセンタ 1 だ。巨大駐車場も 扱う、いわゆるスーハ 完備されている。店頭にセルフロッカーが設置され ている点や、中国産の食材や調味料が多く並んでい る点などを除けば、アメリカの店舗とさほど変わら ない。さらに言えば、日本の地方にある大型ス 1 1 と似たようなものだ。ただ、中国の一般庶民の感 覚からすれば、アメリカ製品も売られ、ウェット・ マーケット ( いつも床が濡れているような生鮮市場 ) とは 、、パックに入った商品が整然と山積みされてい る光景は、それなりに高級感や清潔感を感じさせる のかもしれない訪れたのは平日の昼過きだったが レジは混雑週末ともなると長蛇の列らしい ウォルマ 1 トが中国に進出したのは一九九六年だ が、一一〇一三年現在、その数は三百九十三店舗にま で拡張している 興味深いのは全店舗に労組の支部がある点だ。 一一〇〇六年、中華全国総工会 (ACFTU 、日本の労働 組合総連合会に相当 ) はウォルマートに労組結成を求 め、激しい交渉の末に勝利を収めた。中国が農民と 労働者の代表政党である中国共産党の一党独裁の国 で、「工会法」という名前の労組設置を義務づけた 法が存在することが大きかった。さすがのウォルマ ートも共産党には逆らえない。ただ、 実際には、合 意内容には曖味な部分も多く、国箜父渉では百戦錬 磨のウォルマ 1 トが依然として優位にあるようだ一 シ (Walmart in China. Anita Chan. ed.. CornelI University ガ press. 20 三。また、中国共産党は労組内に共産党支 ン カ 部の設置を義務づけているため、ウォルマートにも 共産党支部が結成され ( ! ) 、支部員の大半はウォア 7 ルマートの経畳部でもある ( 産經新聞、一一〇〇六年十 2

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るのはいかにもアメリカらしい狩猟に愛用してい たビックアップトラックも展一小されているが、こち 、いたってシンプ らも七九年のフォ 1 ド社製という ルな中古だ。ファ 1 ストクラスには決して乗らなか ウォルトン氏は一九一八年にオクラホマ州の農家 に生まれ、ミズ 1 リ大学で経済学を修め、四〇年に 百貨店チェーンとして有名なペニ 1 の経営研修 生となった。ペニーといえば、新約聖書の「さ らば、すべて、人にせられんと思うことは、人にも また、そのごとくせよ」 ( マタイ福音書七章十一一節 ) を 経営の黄金律 (golden rule) として掲け、一九〇一一年 にワイオミング州にオ 1 プンした一口歹店を Go 一 den RuIe store" と命名したことで知られる。ウォルト ン氏がウォルマ 1 トの一号店の店頭に掲げたのも 「我々はより安く売る ()e sell For Less) 」と「満足 を保証します (Satisfaction Guaranteed) 」とい , フ一一 つのモット 1 だった。特売やセールを行わず、年間 を通じて商品を同じ低価格で冗する戦略、いわゆ る「毎日低価格」 ("Every Day. Low price". EDLP) を打ち出したのもその一環だ ビジタ 1 センタ 1 から車で十分ほどの距離にある ウォルマ 1 ト本社 ("Home Office ・・ ) の社屋もまた驚 くほど簡素な平屋建てで、一瞬、地元の高校かと見 紛うほどだ。「ウォルマ 1 トが無駄なお金を使うた びに、お客様の財布に直接響くようになる」という 信念がその背景にある。出張の際、社員は一一人一室 か原則で、食事は安いファミリーレストランで取る よう奨励された。新店舗建設の際も瓶詰工場の倉庫 を新店としてリノヴェ 1 ションするなど、コスト削 減を徹底している。 経費をできるだけ節約し、その分、価格を下げて 顧客に還元する姿勢。店内に返品受付所を設置し、 顧客に安心感を与える制度。出入り口に挨拶係を置 き、近所の商店街のような雰囲気を漂わせる演出。 それはウォルトン氏なりの聖書の黄金律の体現たっ たのかもしれはい。 の 年な 2 - ん し客 日 務 て て ン さ一 オ ウ再 サ正 者が 設内 創室 アメリカ有数の億万長者になってもウォルトン氏 は、終世、べントンビルを離れることなく、無駄を 無くし、「毎日低価格」を追い求めた。「節約したお 金で人びとは人生をより豊かにすることができる」 とする "Save Money, Live Better" もウォルマ 1 それこそが彼にとって トの代表的なモット 1 だが、 サ 1 ビスⅡ奉仕に他ならなかった。 ウォルトン氏は、一九八〇年代にイリノイ州で巨 第第ツ、 1 こをい 大竜巻が発生した際、被災者へいち早く物資支援に 2 乗り出したことでも知られる。 ( 企業の社会的 責任 ) が流行語になる遥か以前の話である。その後 も、ウォルマ 1 ト社は、例えば、一一〇〇五年のハ ケーン・カトリ 1 ナ来襲の際には、大型トラック二 千五百台分相当の救援物資と千八百万ドルの義捐金 を提供している。一一〇一一年には世界中の地域に対 して九億ドル以上の寄付を行なっている。環境問題 への取り組みにも積極的だ リこよ、長年 一九九一一年に骨髄ガンで亡くなる直前 ( ( の功績に対し、ジョ 1 ジ・。フッシュ大統領 ( 父 ) よ り文民に贈られる最高位の勲章である大統領自由勲 章が授与された。「アメリカ人を最も強くゆり動か している情熱は、政治的情熱ではなく、商業的情熱 である」と指摘したのはアレクシ・ド・トクヴィル だが、「毎日低価格」の体現者はまさにアメリカ ン・ドリ 1 ムの体現者でもある 余計な装飾や気取った抽象論を嫌い、シンプルな 原理原則を重んじる "no-nonsense" の精神。人懐 っこく、義理や人情を大切にする姿勢。アメリカを 純粋に愛し、誇らしく思う気持ち。ビジタ 1 センタ 1 を訪れながら、ウォルトン氏の何気ない言動の こうしたスモ 1 ル 端々、そして経宀ロ学のなかに、 タウンの気質が滲み出ている印象を強くした。ウォ ルトン一族の多くは今でもべントンビルに居を構え ており、ごく普通に町中を歩いている。タクシ 1 運 転手やウェイトレスに尋ねても「質素で気さくな人 たちですよ」と皆一様に口を揃える

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「ウォルマート・ネーション」 ペニーの黄金律よろしく、ウォルトン氏もビ ジネスを成功に導くための十戒を掲けているが、彼 は「ウォルマ 1 トとは文化であり、それは世界の他 の地域でも通用する文化である」と述べている。自 分たちは世界の縮図であり、自分たちの価値は普遍 的であるという、まさに「アメリカ例外主義」 (American Exceptionalism) の典型的な発想ともいえ る。いわば、モジュ 1 ルのように世界のどこででも 組み合わせや拡張が可能というイメ 1 ジである。 確かに、二〇一一一一年現在、世界一一十七ヶ国の一万 七百七十一一一店舗に一一百一一十万人以上の従業員を抱え、 四千六百六十一億ドル三〇一三年一月期 ) を売り上 、毎週一一億人以上の顧客が訪れるウォルマ 1 トは、 事業規模、店舗数、従業員数、売上高、顧客数のい ずれを見ても、人類史上最も成功した生冗企業とい える。アメリカ国内に限っても、四千六百一一十五店 舗に百四十万人以上の従業員を抱え、三千三百九億 、ルの売上高 ( 同右 ) を誇っている。二〇〇一一年に は全米上位五百社がその総収入に基づきランキング される「フォーチュン 500 」のトップに躍り出た。 サ 1 ビス業界からは初の快挙である。 店舗の形態も多様化しており、一九八一一一年には商 品を大量購入したい中小企業の所有者のための会員 卸売店「サムズ・クラブ」がオクラホマ州 年には、薬局からメカネ・宝飾、タイヤ、鮮魚に至 るまで、あらゆる商品やサ 1 ビスを一ヶ所で提供す る、食料品と総合商品を組み合わせた「ス 1 パ ンター」が、、、ズ 1 リ廾 ( 、九八年には食料品を中心 マ 1 ケ とした高所得者層向けの「ネイバ 1 フッド・ ット」がア 1 カンソ 1 州に、 二〇一一年には生活必 需品を中心とした小型店舗「スモ 1 ル・フォ 1 マッ ト ( エキスプレス ) 」がア 1 カンソ 1 州にそれぞれオ 1 プンし拡大を続けている。二〇一三年現在、アメ リカ国内では、従来のディスカウントストアが五百 六十一店舗、サムズ・クラブが六百一一十店舗、ス 1 1 センターが三千百五十八店舗、ネイバ 1 フッ イサ レど 一な ヾる マ オ ス で ャ ジ ン テ ス 会と 総ち 株員点 の業満 年従 k ド・マ 1 ケットが二百六十七店舗、スモ 1 ル・フォ 1 マットが十九店舗、それぞれ展開している。 1 センタ 1 はニュー ちなみに、全米最大のス 1 パ ョ 1 ク州オ 1 ルバニの店舗で、ウォルマートとして は珍しい一一階建てで、延床面積一一万四千平方メ 1 ト ル、およそ東泉ド 1 ムの半個分というスケ 1 ルを誇 る。この店舗は「クロスゲーツ・コモンズ」 (cross- gates Commons) という巨大ショッビングプラサの 中に位置しているが、鳳フラザ全体の延床面積は十 一一万平方メ 1 トルに及ぶ。全米最大級のショッピン グプラザはミネソタ州、フル 1 ミントンにある「モ 1 ル・オプ・アメリカ」 (MaII of America) で、延床面 積は三十九万平方メ 1 トルに達する ウォルマートの株主総会は他の巨大企業と比べて も桁違いの規模である。べントンビルの隣町にある アーカンソ 1 大学フェイエットビル校のバッド・ウ ォルトン・アリ 1 ナには毎年六月、世界各地の店舗 から五千人以上の従業員が招待され、参痂者総数は 一万五千人近くに及ぶ。会場の入り口には「ウォル マ 1 ト・ファミリ 1 ・リュニオン」 ( 家族の再会 ) と 掲けられ、家族の一員であることの誇りや団結力を 高めるのが主たる目的だ。本社やビジタ 1 センター 日ー、ヾ、 、 1 ティーやカントリー・ 1 ベキュ 1 の訪 ウエスタンのコンサ 1 トなどイベントも盛りだくさ んで、芸能人 ( 俳優のトム・クルーズやウイル・スミス、 元バスケットボ 1 ル選手のマイケル・ジョ 1 ダンなど ) も招 かれる。余計な装飾を嫌うウォルマートらしからぬ 華やかさだが、株主もこのときばかりは目をつむる ビジターセンターの挨拶係をしていた女性 は「株主総会は世界中のウォルマート・ネーション ( 民族、国民 ) のお祭りよ」と微笑んだ。ウォルマ 1 トが「文化」であるならば、同じ文化を共有するの一 が「ネ 1 ション」というのは言い得て妙である ウォルマートの南部性 シ レ ン カ メ 5 ウォルマ 1 ト・ネーションの拡張の歴史を振り返幻

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二月一一十六日付 ) 。それゆえ、労組といっても草の根 の従業員の利益が顧みられることは期待薄で、彼ら にしてみれば、上意下達の関係が徹底している点で、 中国共産党とウォルマ 1 トの親和性は案外高いのか もしれない 二〇一三年現在、ウォルマ 1 トはアルゼンチン、 プラジル、チリ、カナダ、中国、コスタリカ、エル クアテマラ、ホンジュラス、日本、メ キシコ、ニカラグア、英国、インド、アフリカ ( 十 二ヶ国 ) の二十六ヶ国の六千百四十八店舗に七十八 万人以上の従業員を抱え、売り上げは千三百五十一一 億ドルに及ぶ。国別の店舗数ではメキシコ三千三 百五十一一一店舗 ) が断トツで、英国 ( 五百六十五店舗 ) 、ブ ラジル ( 五百五十八店舗 ) 、日本 ( 四百三十八店舗、若菜 六十六店舗を含む ) を大きく引き離している。 メキシコは海外一口歹店がオ 1 プンした国たが、現 地の小売大手シフラ (Cifra) との合弁会社設立 ( の ちに買収 ) を通して、地元の事情やニ 1 ズの把握に 努めた。北米自由貿易協定 (NAFTA) の締結によ って店舗拡大が後押しされたが、アメリカからの安 い農産物の流入によって地元の農業は大きな打撃を 受け、失業や人口流出が社会問題化した。かってト ウモロコシの名産地だったメキシコが、今となって は、アメリカからの輸入品に依存しているありさま た。こうした状況のなか、メキシコで最も貧しいナ とされるチアパス州を中心に先住民 ( インディオ ) の 権利擁護を訴えているゲリラ組織・サバティスタ民 族解放軍 (EZLN) などがウォルマ 1 トへの抗議活 動を繰り」広、けている ("Manufacturing a Food crisis," WaIden BeIIo. The Nation, May こ . 2008 ) 。 国 中 在 店 号 海 上 の ン オ盛 5 る 、し る 店 あ 舗の人気大手百貨店が存在したことに加え、大衆向 けの市場が遍在していることがネックとなった。ど ちらも現地企業の「買収」によって新規参入を図っ た国である。一方、インドネシアや香港では現地企 業との「合弁」が進められたものの、立地環境や販 売商品の選定ミス、経営文化の違いなどが障壁とな った。カナダのように「買収」によって、あるいは ブラジルのように「合弁」によって市場を拡大して また、ウォルマ 1 テイゼ 1 ションという一言葉とは 裏腹に、ドイツや韓国、インドネシア、香港などで は比較的早い段階に撤退を余儀なくされている。ド ィッではアルディ (Aldi) など現地の超格安ス 1 パ ーがすでに存在したことに加え、土地利用のゾーニ ングや地元企業保護に関する規制も厳しく、労組文 化も頑強だった。韓国でもロッテや新世界などの老 W 処☆期 A ・ SUPERCENTER 8 いる事例もあり、参入形態だけで成否を判断するの 2 は難しい。類型分析を試みた最近の研究でも、アメ リカ・モデルをそのまま国外に適用することはリス クが大きく、現地の市場や文化を正しく理解し、謙 虚に振る舞うことが大切だと結んでいるに過ぎない (WaImart. NataIie Berg 年 Bryan Roberts, Kogan page. 2012 ) 。ウォルマ 1 テイゼ 1 ションといっても一方 通行では立ち行かないようだ。ちなみにウォルマー トは日本では一一〇〇一一年に西友と資本・業務両面で 包括提携し、親会社となっている。 道徳的ポピュリズム 海外進出が進むにつれ、アメリカ国内での批判が、 よりクロ 1 、ハルな様相を呈するようにもなっている 一一〇〇七年、世界最大の靴下メ 1 カーである中国 の「ランシャ」 (Langsha) はウォルマ 1 トによる 買い値が低すぎるとして契約を断った。中国国内の 労働賃金の上昇が背景にあるが、当時、ウォルマー トの ( 最高経営責任者 ) だったリー・スコット 氏は、仮に中国から撤退することになれば、インド ネシアやベトナム、カンポジアなどへ生産拠点を移 すと明言している。実際、一一〇一〇年には衣料製品 の拠点の一部をバングラデシュに移転。その際、ウ ォルマ 1 トは同国の労働法が適用されず、労組の活 動も禁じられた経済特区の疉疋を政府側に要請して いる (Walmart in China) 。 バングラデシュでは最低 賃金の引き上げや労組活動の自由化を求めるデモや ストが頻発している インドは一一〇〇六年に外国の小売企業が「卸売

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業」として参入することを認め、ウォルマ 1 トも現 地企業との合弁ス 1 パ 1 を一一十店舗ほど展開してい る。二〇一二年、マンモハン・シン政権がさらに踏 み込み、外資の規制緩和を認める方針を発表したと ころ、野党やインドの生冗業界の大半を占める家族 経営の零細店舗が猛反発、ウォルマ 1 トがその矛先 になった (The Financial Times, October 9. 2012 ) 。そ して一一〇一三年十月、インドから撤退する計画を発 ~ 衣した。 だが、ウォルマ 1 トのような大規模小売チェーン を一方的に断罪するのは公正さに欠く。一九七〇年 代以降、欧米の製造業は安い労働力を求め東アジア に次々と生産拠点を移したが、その結果、韓国や台 湾、香港、シンガポ 1 ルの「四小龍」 (Four Little Dragons) が急成長を遂げたことは記憶に新しい バングラデシュの状況もそうしたマクロな構図のな かで捉えるべきなのかもしれない。 同様に、インドの場合、外資を積極誘致する大き な目的として、国内市場の活性化がある。物流シス アムが効率化されれば、農産物の四割近くが店頭に 並ぶ前に腐ってしまう現状を改善し、一次産品の値 段を下げることができるかもしれない。 消費が刺激 されれば農民の収入が増加し、非農業部門にも雇用 が広がるかもしれない。 財政赤字と経常赤字に苦し むインドにとっては、国債の信用格付けの低下を防 ぐうえでも、経済改革は急務だ メキシコでは中流層向けの店舗には行けない低所 得者層の購買様式に合わせた店舗フォーマット「ポ 一アガ・アウレラ」 (Bodega Aurrera) を開発、商ロ を通常より小さいサイズでより安く販売することで、 大きな成功を収めている。その発想は企業の利益を 追求しつつ、低所得者層の生活水準の向上を目指す 「 BOP (Base ofthe Pyramid) ビジネス」とも親和性 かありそうた。 「毎日低価格」という理念を即座に否定できる人は そういないだろう。同じ商品であれば安いほうが良 そのための経営努力は報われて然るべきだ。政 府の役割は民間活力や自助努力を支援することにあ って、支配することではない。 こうした論理には強 い説得力と世論の支持がある。プリンストン大学の 社会学者リべカ・ビ 1 プルズ・マッセンギルはそれ を「道徳的ポピュリズム」 (moral populism) と呼ぶ (Wal-Mart Wars. Rebekah Peeples Massengill, New York University press. 2013 ) 。 ウォルマ 1 トはこのイデオロギ 1 の体現者であり 推進者であるが、同時に、その前にあっては世界一 の小売企業とて安泰ではない。一一〇〇八年のリーマ ン・ショック以降、アメリカでは百円ショップのア メリカ版が急成長をけている。ダラ 1 ・ゼネラル ( テネシー州 ) 、フア、、、リー・ダラー ( ノースカロライナ 州 ) 、ダラー・ツリ 1 ノ 1 ジニア州 ) の上位三社の店 舗数の合計は、一一〇一一一年現在、一一万三千店舗に達 し、十年前から一・八倍に増えた。日用雑貨から生 鮮食品へと扱う商品の幅も広け、売上高の合計は 百一一十八億ドル、五年前から一・六倍に膨らんだ。 当初は低所得者層を対象に、南部や中西部を拠点に していたが、今日では全米各地の中流層にまで裾野 を広け、ウォルマ 1 トを猛追している。高効率の物 流システムとハイテクな情報システムが一層のコス ト削減を可能にしている点はウォルマ 1 トと同じで、 もはや時代の趨勢、いや常識といって良いだろう 繰り返すがコスト削減のツケは決して小さくない。 その先にある監視社会の遍在化や低賃金の非正規雇 用者の常態化など、社会にとってリスクも高い。し かし、だからといって、賃金上昇という逆のべクト ルがなかなか働かないのか現状だカリフォルニア 大学の経済学者ロバ 1 ト・ライシュは、今日、「消 費者」や「投資家」としての選択肢が豊かになった 一方、「労働者」や「市民」としての権利が蔑ろに されていると指摘する。しかし、その彼が提唱する のは、企業の法人格を廃止すること ( アメリカ連邦最 高裁が企業を法的に人格と判断したのは一八八六年 ) 、法人 税の代わりに株主に課税すること、企業の刑事責任 を問う代わりに個人の刑事責任を問うことなど、 かにも現実味に乏しい (SupercapitaIism. Robert Reich. Knopf, 287 ) 。コスト削減を極限まで押し進め ることにしか「現実」はないのだろうかそして 「未来」をイメージすることはできないのだろうか 土さ それは決してアメリカだけの問いではない。 にこの「道徳的ポピュリズム」、そこから派生する ジレンマやフラストレ 1 ションを世界に拡散してい ることこそがアメリカン・レガシーの一つと一一一一口える のかもしれない。もちろん、ウォルマートとい一 在はそうした摩擦の中を生き抜いている、あるいは 生き抜こうとしている私的試みの一例にすぎない。 こうした現実を「新自由主義 ( ネオリべラリズム ) ガ レ の横暴」だと嘆き、批判する人は少なくないたた ン その人が、実は、隣町のウォルマ 1 トをこっそり利リ メ 用したりしている。それこそかまさにアメリカン・ レガシ 1 の美しい完成形だ。

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スモールタウンの経営哲学 世界最大のス 1 パ ーマーケットとアメリカ南部の スモールタウン。一見、両者を結びつけるのは難し しかし、中央広場の真向かいにあるウォルマー トのビジタ 1 センターを訪れると、そのつながりを 垣間みることができる 同センターは "Walton's 5 年 10 ・・の外観を残し、 内部をウォルマ 1 トの歴史やウォルトン氏の人柄を 伝えるミュージアムとして無料開放したもので、私 が訪れた土曜日の朝十時には、ウォルマ 1 ト関係者 らしき一行や観光客が、百人ほど見学中だった。 ウォルトン氏が他界した一九九一一年当時の執務室 が正確に再現展示されているが、あまりの簡素さに 驚く。広さはせいぜい八畳ほどで、天井も低く、煌 びやかさとはまったく無縁。ウォルマ 1 トの言歹店 が隣町のロジャ 1 スにオ 1 プンしたのが一九六一一年 ( 現在はウォルマートとは関係のないストアが建っている ) 。 七〇年に株式公開し、七九年には年間売り上げが十 億ドルに到達、九三年にはそれが一週間の売り上げ になっていた ( 現在は一日の売り上げが十億ドルを超え る ) 。そのトップの執務室というよりは、貧しい大 学の古ばけた学部長室のよう、というのが私の偽ら ざる第一印象だ。展示の解説ノ、イノ ( ー 。、、レこよ「田 5 い出す べき最も重要な点はサムの執務室は普段、ほとんど 空室だったことです。彼は自分が最も楽しみにして いたことーー各地の店舗の従業員 ("associates") を 訪れることーーのために極力時間を割いていたので す」とある。ドアの脇に猟銃が何気なく置かれてい 第ツ第を Every daY ・ oneveryth 、叫二・ ー Mi5500 ・カンザスシ尹ー 。 , ノーズウ工スト・ ア←カンソー ・ウイチダ 彎トジョナル空港 0k0h0E0 ・ヘンドシピル タルサ・ フ上イ オクラマシティ ・リトルロック A 「 k00505 ウォルマートのスーパーセンターのレジには、 モットーの生 ow prices. Every day. On everything" が掲げられている ( ◎ walmart) K0n505 わたなべやすし 一九六七年生まれ。慶應義塾大学一 教授。専攻は、文化人類学、文シ 化政策論、アメリカ研究。九七年ハレ ード大学大学院修了、 Ph. D. ( 社 会人類学 ) 取得。〇四年、『アフタ ・アメリカ」でサントリーム賞 を受賞。著書に「アメリカン・コミ ュニティ」「アメリカン・デモクラ シーの逆など。

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ウォルマートの「聖地」 ノ 1 スウエスト・アーカンソー・リージョナル空 港。その名の通り、アメリカ南部ア 1 カンソー州の 北西部にある地方空港で、ミズ 1 リ、カンザス、オ クラホマの三州に近く、やや南寄りながらアメリカ 本土のほば中央に位置している。シカゴから一時間 半の飛行中、眼下に広がるのはひたすら広大な農地 ばかり州都リトルロックから車で三時間の距離と 知り、かなりの田舎であることを覚悟する。どう考 えても保守の牙城に違いあるまい ところが、空港内はいたって明るくモダン。公共 交通機関がないのが玉に瑕だが、タクシーは綺麗で、 時間に正確、運転手の応対も実に紳士的。北海道を 思わせる緑豊かな大地が広がるなか、十分もすると 築浅の戸建て住宅地が目立ち始める。過疎化に悩む 「田舎」とは異なるようだ。 ほどなく辿り着いたべントンビルの中心部は二十 分もあれば歩き回れてしまうほど小ぶり。中央広場 にはお洒落な店が並び、なかなかの賑わいだ。チェ ックインしたホテルはオープンしたばかりで、フロ ント階はア 1 トギャラリ 1 になっている。立派な邸 宅街と美しい木菻公園の散策道を抜け十五分も歩く と、やはりオープンして間もない巨大なクリスタ ル・プリッジス美術館が忽然と姿を現わした。これ までに訪れたアメリカのスモールタウンにはない華 やかさを感じる これらすべてを結ぶキーワ 1 ドは「ウォルマ 1 ト」である。そう、べントンビルは世界最大のス 1 ーマーケットチェ 1 ン、ウォルマ 1 ト本社の所在 Legacy riC an アメリカン・レガシー 03 ウォルマート 「道徳的ポピュリス囚の功罪 渡辺靖 text by Watanabe Yasushi ウォルマートの前身である。 Wa は on ' s 5 & 10 " ( 著者撮影 ) ”い 0 霍 5 2 地であり、その創設者サム・ウォルトン氏が一九五 2 〇年にウォルマ 1 トの前身のバラエティストア "Walton's 5 年 10 ( ファイプ・アンド・ダイムを興し 」「聖地」でもあるのだ ドレイク飛行場が老朽化し、また発展著しい地域 の需要に応えるべく、現在の空港がオ 1 プンしたの は一九九八年。目下、さらなる拡張工事が続いてい る。ウォルマート本社へは世界中から訪問者が絶え ない。タクシ 1 会社やホテルにとっても上客だ。ウ ォルトン氏が倉業した一九五〇年からの六十年間で べントンビルの人口は約十一一倍の三万五千人へと膨 らんだ。新興住宅地にはウォルマートや関連企業の 従業員が多く暮らす。人口の九割は白人で、キリス とくに保守派の教会が目立つが、従業員の多 様な背景を反映し、近郊にはモスクやシナゴ 1 グ、 ヒンズ 1 土寸院もある。クリスタル・ブリッジス美術 館に八億ドルを寄付したのはウォルトン氏の娘アリ スとウォルトン・ファミリ 1 財団で、一右油王—・ポ 1 ル・ゲティー氏による»-—・ポ 1 ル・ゲティー美術 館 ( カリフォルニア州ロサンゼルス ) への六億六千万ド ルの寄付を上回る史上最高額となっている。 訪れたのは真簒たったこともあり、日中は摂氏三 十五度を超えるが、かっての来只のようにタ暮れ時 には涼しくなり、中央広場では地一兀の人びとが集い、 談笑している。長閑で豊かなひとときだ。週末には ファ 1 マ 1 ズマ 1 ケット ( 農産物などの直売店 ) が早朝 から軒を連ねる。広場の中央には南北戦争時の南軍 の英雄ジェ 1 ムズ・べリ 1 ( のちにアーカンソー州知事 ) の記念碑が建つ。ステーキはもちろん、南部名物の ナマズ料理やケイジャン料理も地元のイチオシだ。

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, フになっていった。フ 1 パー社が当夜実施した聴取 率調査 ( 五〇〇〇人対象 ) では、「字宙戦争」はわ ずか二 % だけが聞いていたことになる。つまり、こ の調査によれば、被調査者の九八 % は「火星人襲来 パニック」を事後的に知ったのだが、 その後の新聞 報道やウエルズの名声に触れる中で自らも体験した かのごとき集合的記憶を持つに至った。 また、キャントリルの感情カテゴリ 1 分類にも問 題があったという。ラジオ劇に「驚いた」か「丕女 になった」と答えた聴取者が、必ずしもパニックに なって道に飛び出すわけではない。誇張された聴取 亠数し」同じよ、フに 、パニックの様子も誇張された新 聞報道のイメ 1 ジがそのまま受け入れられていた そうした影響力の誇張は、ラジオ調査の大型予算を ロックフェラー財団から引き出すためにも研究者に よって黙認された。 こうしてパ一一ックの神話イは = = ロ憶の風化とともに 進んだ。キャントリルはその後国際的に著名な社会 心理学者となるが、そのため『火星からの侵入』は マス・コミュニケーション研究の古典として「神 話」にお墨付きを与えることになっていった。 メディア・イベントの決算 もし火星人襲来パニックが現実に発生していたら、 果たしてやウエルズが懲戒されないというこ とがあり得ただろうか。は放送事業を監督す る連邦通信委員会に対して、今後は加雍工の臨時ニュ ースを放送しないと非公式に伝えたが、それが規則 として制度化されたわけではない。アメリカ放送規 制史において、この事件が何らかの意味をもったこ とは確認されていない 最後に、ジョナサン・ロ 1 ゼンバウム編『オ 1 ソ ン・ウエルズその半生を語る』 ( キネマ旬報社、一九 九五年 ) におけるウエルズ本人の語りに耳を傾けた 反響をある程度まで予測していたウエルズも、 「わがアメリカの狂気は、われわれの想像をはるか に超えて広がっていた」と一応は驚いてみせる。だ が、罪があるかと問われると、こう開き直っている。 賠償総額千ニ百万ドルの訴訟と、新聞の見出しにあ ったな。わたしは有罪を容認すべきだったかね ? その後、「精神的苦痛」の慰謝料を求める訴訟は ほとんどすべて却下されている。ウエルズは用意周 到に「ハロウインのおふざけ」であることを番組内 で説明していた ほとんどは新聞社の思い込みによるでっち上げだっ た。ちょうどラジオに広告を取られ始めていた時期で、 新聞としては逆転のチャンスと、つい勇み足をしたん だな。 さらに、三年後の真珠湾攻撃の際、アメリカ人が 臨時ニュースを信用しなかったのはこの出来事のせ いではないかとの質問にもサ 1 ビス精神旺盛な回答 をしている。 ほんとうだとも。というのも、こんなことがあった からだ。あの朝、わたしは国策番組に出演していて、 そこに臨時ニュースが飛ひ込んだからだ。全国放送で アメリカがいかに美しい国であるかというウォルト・ ホイットマンの抜粋を朗読していたところに、真珠湾 の話だからね。またもや、わたしが何か仕掛けた、 と受け取られてしまった。 いずれにせよ、ウエルズにとって「火星人襲来」 はスターダムへの踏み台たった。どこまで計算ずく だったかは判らないが、結果はこれがプロモ 1 ショ ンであったことを雄弁に物語っている。 映画入りのきっかけになった。それをラッキーとい うべきか ? 何ともいえんな。だが「火星人襲来」で、 番組にスポンサーがついた。とたんに売れっ子になっ て ( 中略 ) 次ぎなるステップはハリウッド : この事件を糾弾する新聞報道により、演劇人ウェ ルズの則は全米に知れわたり、それまでスポンサ 1 が付かなかった「マ 1 キュリ 1 放送劇場」は、キ ャンベル・スープ社が名乗り出て「キャンベル劇 場」となった。話題性に敏感なハリウッドでは、ウ エルズが全権委任を条件にで映画を製作した。 このとき制作・監督・脚本・主演をすべてウエルズ 一人がこなした第一回作品が、名作『市民ケ 1 ン』 ( 一九四一年 ) である。新聞王ウィリアム・ランドル フ ・ハ 1 ストをモデルとした作品だが、 そこに火星 人襲来パニックでウエルズ批判を行った新聞業界に 対する当てこすりを読み込んでも誤りとは言えない。 『市民ケ 1 ン』は興行的には失敗ながら、芸術的な 声価を高めた点では「宀工由戦争」と表裏一体だった。 その後も火星人襲来パニックそのものを題材とす る映画 ( ジョセフ・サージェント監督『アメリカを震 撼させた夜』一九七五年 ) やビデオ教材 ( 『マスメディア のカーーー米国を震憾させたオーソン・ウエルズ』英国オープ ン・ユニ。、 ーシティー、一九八八年 ) などが何種類も製 作されている。こうした作品はハロウインのテレビ 番組編成の伝統となり、リメイク、再放送が繰り返 されてきた。