一一一浦しをん ふむふむ おしえて、お仕事 ! ふむふむ ーおしえて、お仕事 ! ー 978-4-10-454107-2 また面白い人に会ったぞ ! 靴職人、漫画アシスタント、現場監督・・ 技と熱を持って働く 16 人の女性たち。 小説と妄想の名手が驚きと感動とともに 「ふむふむ」と相槌を打ったインタヒュー集。 ・ 1365 円 三浦しをんの本 新 格闘する者に〇 夢のような幸福 潮 97 & 4-10-116751-0 ・ 546 円 97 & 4-10-1167 浦 -5 ・ 578 円 乙女なげやり 庫 しをんのしおり ・ 515 円 97 & 4-10 -116757-2 ・ 546 円 978-4-10-116752-7 人生激場 風が強く吹いている 97 & 4-10-116753-4 ・ 546 円 97 & 4-10-116758-9 ・ 882 円 秘密の花園 桃色トワイライト ・ 515 円 ・ 578 円 97 & 4-10 -116754-1 978-4-10-116759-6 私が語りはじめた彼は きみはボラリス ・ 515 円 ・ 620 円 97 & 4-10-116755-8 978-4-10-11678-2 私が 語りは 0 めた 彼は ~ ( 一 三浦し←ん 開絶スパイラル 0 三浦しをん 三浦しをん 風が強く 格闘する者に〇 三浦しをん 天国旅行 三浦しをん きみはボラリス 三しをん 0 0 悶絶スパイラル ・ 620 円 97 & 4-10-116761-9 天国旅行 恋の聖地 ーそこは、最後の恋に出会う場所。ー 978-4-10-133254-3 ・ 546 円 最後の恋 ーっまり、自分史上最高の恋。ー 97 & 4-10-120123-8 978-4-10-116762-6 ・ 546 円 アンソロシー ・ 578 円 http://www.shinchosha. CO. jp ・表示の価格は消費税 ( 5 % ) を含む定価です。
想の生き りたくて、 事を書く 就職活動をテーマにした『格闘する者に〇』でデビューして以 、林業き辞書編纂、文楽太夫、便利屋、つまみ簪職人など、 、きまぎまな職業に就く人々を描いてきた三浦しをんさん。 ご自身もをビュー以来、ハイベースで仕事を続けてきた三浦さん ( : いま改めま「仕事 / はたらく」について 、どう考えすいるのか、伺ってみました。ふむふむ。 三浦しをん 加Ⅳ ié : 新 Miura Shion 福岡耕 1 引撮影 を
働く人々。⑩ text by SagaYukie photograph by Kawamura ao 山で救える命を ひとりでも多く救いたい 国際山岳医・ 46 歳 大城和恵 interview with Ohshiro Kazue 取材、文・嵯峨幸恵撮影・川村勲 〇一三年五月、冒険家・三浦雄 一郎がエベレスト ( 八八四八メ 1 トル ) の頂上に立ったその時、 医師・大城和恵は標高五三〇〇メ 1 トル のべ 1 スキャンプにいこ。 史上最高齢 八十歳でのエベレスト登頂の喜びに湧く なかで、大城は三浦の体調の変化に気を 配っていた。 頂上でマスクを外した三浦は、想像以 上に体力を消耗していた。下山を始める が足元がふらっき、カが入らない。 無事 にべ 1 スキャンプに戻ってきた三浦の姿 を目にした大城は、「山で仲間と再会で 「登山者の遭難事故を未然に防ぐことが、私の最大の目標です」と大城は言う。 4 きるとふつうならハグをするのですが、 5 この時は抱きしめてしまうと壊れてしま うのではと感じるほど、健気で、愛おし い命を感じました」と振り返る。大城の 緊張が緩み、ほっと安堵する瞬間たった。 大城は、一一〇一〇年、英国で国際山岳 医 UK Diploma in Mountain Medi ・ cine 日 UIAA ( 国際山岳連盟 ) 、 ICAR ( 国際山岳救助協会 ) 、 ISMM ( 国際登 山医天三の認宀疋資格を取得した初めて の日本人だ。国際山岳医は、高山病、低 体温症、凍傷といった山で起こりうる病 気やけがについての専門知識をもち、対 応にあたる。登山隊を医療面からサポー トする国際山岳医は、山岳医療の知識だ けでなく高い登山技術も必要た 医学生の頃から登山が趣味だった大城 は、アフリカの最高峰キリマンジャロは じめ、マッキンリー、 マナスルなど数多 くの山を踏破した豊富な登山歴がある。 その経歴により、三浦雄一郎の二〇一三 年工べレスト遠征にチームドクターとし て参加した。 この前年の秋、登攀トレーニングを兼 ねたヒマラヤ・ロプチェ東峰の予備遠征 にも同一行して ( オノ 、こ。、十歳の三浦には、 不整脈と狭心症という持病がある。頂上 まであとわずかという五五〇〇メ 1 トル 付近で、三浦は不整脈の発作が起きてい た。頂上まであと五〇〇メートル、順調 に行けば二日で登頂できる だが、その時、大城は「エベレストを
今のお話を伺っていると、やはり三浦さんご自身も まさにそのとおりで、どんどんのめり込んでいってし まうところがあるから、すっと書き続けていらっしゃ るんじゃないかと思います 三浦確かにそうですね。いろいろ試したい。やれ ばやるほど、課題とか工夫のしどころが見えてきて、 やめられなくなるというところはあるかもしれない。 こんなにいろいろな人がいろいろな小説を書いてい るのは、やはり一生かけても、よし、これ以外は必 要ないというほどの傑作が書けたということはない から、だからみんな挑戦して書くんだと思うんです。 駆けっこの一等賞と違って、どれが一番優れている、 劣っているかという問題では全然ない倉作物って 全部そうだと思うんですよ売れ行きが評価なのか、 売れ行きが人の心を何か打つのかといったら違うわ けで、だからこそやりかいがあるんたと思うんです。 次はこういうふうにするのはどうかな、ともやもや 考えるのをやめられない。構想段階では、すごくい いことを考えついた気がして「ルンツ ) 」なんて思 うんですけれども、書き出すと「全然書けねえや、 だめだこりや」と。もやもや構想というか妄想して いるときは楽しいんですけれどもね。 働いていて、やった、とか、うれしいなと思う瞬 間はどんなときでしょ , つか 三浦 ない ( きつばり ) 。あ、でも、お手紙やトー クイベントなどで、「この人はこんなに深く受けと めてくださったんだ」とこちらが驚いて恐縮してし まうほど、すごく真剣に向き合ってくたさったこと が伝わる一一一一口葉をいただいたときには、とてもうれし しです。そういうときは、ああ、よかったと田 5 うん ですけれども。楽しいとき : : : 書いているときに、 ごくごくたまにありますね。一瞬だけ、何かすごく 気持ちいい瞬間。 作家を目指そうという人に対しては、とついう職 業だとおっしゃいますか 三浦通勤がないのは楽 ( 笑 ) 。一作だけものすご し傑作を書ける人は結構いらっしやると思うんです。 、仕事として継続し、常に書き続けたいのか どうかによって、アドバイスは変わります。書くこ とである程度の年月、自分を食わせたいと思うのだ ったら、やはり相当っらい職業じゃないでしようか でもやってみないとわからないですよね。向き不 向きはやってみないとわからないし、向いていると 思っていたのに全然だめだったわと気づくことだっ てあるでしよう。体を壊したらおしまいですしね。 たからどんな仕事もみんな同じだと思います。一一週 間ぐらい人としゃべらなくても苦じゃないという は、向いているんじゃないでしようか 天職とは、ど , つい , っことだと思いますか 三浦天職なんてないと思うんですよ。楽天の田中 将大投手のように特別な才能がある人はいますが、 そういう人だってほかの仕事に全然向いてないかと いったら、きっとそんなことはない。ヾ とんな仕事に おいても、人それぞれ向き不回きがあり、それはや ってみなければわからない。天職っていうのは幻想 だと田 5 いますね 会社員だったら、会社が潰れない限り六五歳まで とか、ある程度の年齢の区切りが来ますが、三浦さん はいつまで今の仕事を続けようとお考えですか 三浦本当に最近は燃え尽き症候群なんですよ。全 然そう見えない、 異様に元気そうだとみんなに言わ れるんですけれども、疲れたんだと思う。早期退職 したいけど、退職金も出ないしなあ ( 笑 ) 。いつま で続けられるかはわからないけど、そんなにずっと 長く書き続けられる感じもしないですね。 作家として探究するべきところは、一生かけたっ て追いっかないぐらい、小説というものに果てがな いのは間違いないと思うんです。だけど、そこに自 一」 , 」は , 」 , フ 1 ) 4 、らいフ 分の力がもう追いっかない、 だろうって試すことを思いつける間はまだしも、何 をどうしたら、 ししカカわからない、 これ以上方策が し J . い , フ . 思いっかない、 一人の脳では限界を迎える 局面が絶対あると思います。才能の量と質にもよる でしよう。そう考えると私が六〇歳、六五歳まで働 き続けるのは到底無理だと思ってしまいます。 この職業には「旬」が絶対にあります。そのあと、 6 人 3
将来の夢なんて考えてなかった 小さい頃になりたかった職業は何でしたか 三浦幼稚園ぐらいのときには、魔法使いになりた かったんですよ ( 笑 ) 。小学校に入っても、熱心に 近所の廃屋を経巡っては、魔法使いが住んでいるに 違いないと痕跡を探そうとしたり : いろいろな児童書を読むうちに、魔法が使えるつ てすごく楽そうだし、格好いいなと思ったんでしょ うね。幼稚園や保育園ぐらいの女の子が将来何にな りたいかと聞かれると、大体、パン屋さん、お嫁さ ん、お花屋さん、その三つぐらいが挙がるんですよ。 私はどれにもなりたくなかった。パンよりはごはん 派だし、花も全然興味がなかった。お嫁さんなんて、 はあ ? と思って。幼稚園ぐらいのときから本当に 仕事っていうものが自分には全くイメ 1 ジできてい ませんでした。 父が大学の教員たったので、よそのサラリ 1 マン のお父さんのように、毎日決まった時間に家を出る わけでもなく、あまり働きに行ってる印象がありま せんでした。家に一日中いる日も結梦タくて、一応 部屋にこもって研究しているんですが、子供にとっ ては「わあ、お父さん家にいる、遊んで ! 」って思 いますよね。だから父が仕事しているとは全然思っ ていなかった。母も専業主婦でしたし、みんなで家 でだらだら暮らせるっていいなという感じで、働く とい , フことかい土 6 いち一イメ 1 ジしにくかったん、たと 思います。 魔法使いに憧れていた幼少期を経て、小学校や中 学校に入ると、具体的になりたい職業とか、こういう ふうに働いていきたいなという考えは・ 来を田 5 い描くこともなかっ 三浦全然なかった。 * 小学校ぐらいのときは、漫画がすごく好きだっ たから、曼画家になりたいなと瞬思ったような気 がします。だけど、絵が描けないので、同じ顔をい くつも描くのは無理だとすぐに挫折しました。大学 生のときに高村薫さんの小説を読んで、検事になり たいと思いましたが、時既に遅し ( 笑 ) 。 働かなきゃいけよい、いずれ働いて生活していか なきゃいけないなとは田 5 っていたんですよ。お嫁さ んというラインも自分の中に全然なかったから。何 かしら働かなきゃいけないとなると、会社に入るの 具 がやはり順当な道だろうとは田 5 っていましたが、 体的には何もしていませんでした。あ、映画監督に なりたかったときもありました。それで映画の勉強 ができる大学に入ったんですが、これもまた協調性 がなくて全然映画づくりに向いてないなとわかった ので諦めました。なりたいものに向いてないことが 多かったので、具体的に目指す職業は全然ありませ んでした。 就職活動しなきゃいけないときになって、これは 会社に入る以外にどうもあまりお金を稼ぐ手段はな いようたし、そうでなければ公務員しかない公務 本が 員は絶対無理だから、会社にどこか入りたい、 好きだから出版社を受けるという、すごく安易な感 じでしたね。周りの友達も医師や薬剤師を目指して いる子はいましたが、少数派でした。 小説家を夢見たことは ? 三浦 ない ( きつばり」、 ) 。ハ説を読むのは好きでし たが、書きたいことは何もなかったから、職業にで きるとは田 5 いもしなかったです 今だったら、たとえば農業をやるとか、もっと他 にもいろいろと選択肢があるだろうと思いますが、 それまで知っていた世界が狭かった。ずっと町で暮 らしてきて、第一次産業などにもあまり触れたこと がなかったですし、みんな就職活動するって言うし、 やはりそういうものなのかなと、会社員になる選択 肢しかなかった。そのわりに就職活動を積極的にし ていたわけでもなく、早々とリクル 1 トス 1 ツを着 ているような知人に「セミナ 1 に行った」と言われ ても、「え、何、ネズミ講のこと ? 」と田 5 っていた くらいです。 当時は文学部というだけで、まず就職は難しかっ たですね。さらに、演劇や映画の理論研究をする学 科だったので、つぶしがきかない特技も資格もな いですし。結局大学のときの友達はみんな会社には 入れませんでした。自営業はかりです。その人たち も一応就職活動はしたけれども、どこも受からなか ったから、ふらふらしている , フちに可となくとい - フ 流れで、フリーランスで生計を立てている人ばかり ですね しくらでも職業選択が 就職活動をしていた頃は、、 あるはずで、自分もそれなりに視野を広く、周りを 見回していたはずなのに、今思うと実はものすごく 少ししか見ていなかった気がします。 あの頃、もうちょっと何か会社以外の勤め先を知 っていればよかった。手仕事でも何でもいいんです が、林業とか農業とか。漁業はちょっと船酔いする んで難しいですが ( 笑 ) 、そういう仕事をもう少し 知っていればよかった。でも、そういう職種に募集 0 3
ないのです。 たまにト 1 クイベントなどを行いますか、すごく 熱、いに読んでくださったんだなとわかる感想などを 伝えてくださる方はたくさんいらっしゃいます。あ りがたしと思うんだけれども、でもすぐに、都合の いい短見や幻聴だったのではと歪女になる ( 笑 ) 。 読書は音楽と違って同じ空間を他人とリアルタイ ムで分け持てないんですよね。來只ド 1 ムでのコン サートのように、ライプ感や一体感を共有すること はできない。そこが音楽とは違いますよね。 でも、現実には三浦さんの小説を読んで喜んでい る読者がいます。 三浦自分自身も、小説に限らず創作物全般から、 すごく胸打たれることが多かったから、自分の書く ものがもしそうだったらどんなにいいたろうとは田 5 います。だけど、どれだけ読んで楽しかったですよ と言っていたたいて、「ありがとうございます、う れしい ! 」と思っても、ネガティブな意見一つで簡 単にへこみますから ( 笑 ) 。とくにそのネガティブ な意見が的外れな批評だと感じられるものだったと とう衝撃が き、「ぎや 1 ん、伝わらなかった 不思議なぐらい激しいんですよ。 そして、その衝撃は、つらいだけで創作のエネル キ 1 にはならない。じゃあ何で書き続けるかという 圭日け・、は圭日′、ほい J 、こ , 」はもっし」 , ソフい , フふ , フに したほうがよかったかもしれないという課題のよう なものが見えてくる。この小説ではここがちょっと 書き切れなかったな、じゃあその書き切れなかった 部分を、次どういう話にしたらより深く考えること ができるかなというのがどんどん出てくる。デビュ 1 する前に「書くことなんてない」と思っていたと きは、本当に何もなかったんです。でも書いてい につれて、次が見えてくる。足りない、ああ、何で ここがうまくいかないのかなというのかどんどんど んどん出てくるし、そういう意味で切りがないんだ と思います。だから、また次も書いてしまうんだと 思います。 それはやはり仕事のおもしろさ、奥の深さに目覚 めていっているということでは ? 三浦仕事というか、小説はいろいろ書き方がある し、自由さと同じぐらい不自由な部分もある表現方 法たなと気づいたってことですかね。でももし依頼 ゞ、こごけなくなったら、多分ムフのようには書かな いでしよう。つらすぎるもん。逆に、自分の中で仕 事だと思うからこそ、真剣に取り組もうとする面も あると田 5 います。 小説には果てがない 依頼というよりも、その向こう側にいる、三浦さ んの作品を読みたいという読者の存在は気になりませ んか 三浦それがそうでもないんです。読者が何を読み たしか、実はあまり考えていません。こういう人が 読みそうな、好きそうな小説はこれかなということ も、あまり考えません。結局、締め切りがなかった ら書かないです。 書いているときは読者に何を求められているかま で考える余裕がそんなにありません。編集者の方が どういうティストを求めているかは、執筆を始める ときに伺います。それがイコール読者が求めている ものだと信じて、明るいのかいいのか、暗いのがい いのかそれが読者の声だと思っています。 仕事として依頼してくださるからには、それに応 えるべく、どういう文章にしたら一番びったりくる かといった試行錯誤をします。それから、依頼時に 分量も決まっていますから、今書こうとしているこ とをどういうふうにその枚数におさめたら一番 ( ( かを考えなくてはいけない。同人誌だったら、好き なだけ自分の情熱の赴くままの枚数だったり、表現 でいいと田 5 うんですけれども。そうすると、仕事は つらい ( 笑 ) 。つらいというのは、自分の思いどお りに書けないのがつらいのではなく、考えてどんど んクリアしていかなきゃいけないものが次々あらわ れて、実力的に追いつけない自分がいて、はがゆい とか、そういう感じなんですよね。常に自分の中で 1 ドルが何かしら生まれてくるから。 政と源』 ( 集英社 ) の中で、エリート銀行マン だった国政が幼馴染でつまみ簪職人の源ニ郎のこと をこのように考える場面かありました。 〈職人は、自分の仕事を「業種」という一言葉に当ては めてみたことなどないだろう。源ニ郎も、見習いの徹 平でさえ、つまみ簪を作ることを単なる仕は思っ ていないはずた。稼ぎの多寡も、かれらにとっては問 題ではない。追究すると楽しいから、作っても作って もまだ底が見えぬほど奥深いから、毎日ピンセットで 布をつまむ。指さきから、精巧で華やかな花や鶴や鯛 を生みだしていく。 の 源ニ郎や徹平にとって、つまみ簪職人とは職業では本 5 なく、生きかただ。〉 3 かんざし
登りきるのが最終目標ですから、すぐに れた。リウマチを患う母の治療に当たる たが、そこでも多にな日々が続いた 山岳での医療の在り方を学びたいと強 下山して治療しましよう」と助一言した。医師を見て、子供心に人を治す仕事かし時間をかけて一人ひとりの患者に向き合く思うようになり、国際山岳医の存在を 工べレスト登頂までは、あと四カ月たらたいと感じた。日大医学部卒業後、大学 したいが、その時間にも限りがある。時知る。だが、当時、国内ではそうした資 ず。十分な治療をするには、あまり時間病院に勤務し総合医を志す。一方で、少間に追われる中で、医師としてありたい 格はとれなかった。大城は英国に渡り、 かない今すぐに下山すれば、まだ間にしでも時間が空くと登山に出かけた。目姿でなくなることの矛盾を抱えていた。 講習を受けるとともに山岳地帯でのレス 合う。その助言に、三浦は下山をためらの前に見たことのない風景が広がり、ひ「五年後の自分をイメ 1 ジすることすらキュー技術も身につけ、一一〇一〇年、国 わなかった。 とりの静かな時間を味わえるのが山の醍難しかった」というほど消耗していた大際認定山岳医となった。 「普通に考えれば、あと五〇〇メ 1 トル 城は、岐路に立ってい 「山で救える命を、ひとりでも多く救い で頂上なら誰でもあきらめたくないです レ」 よね。でも、三浦さんは、目標に向って 「がむしやらに働いて この年、大城は、勤務先の心臓血管セ 央 どんな意見にも耳を傾け、それを受け入 キャリア形成するだけンター北海道大野病院で「登山者外来」 中 れることができる。そこか、三浦さんの が、自分の人生だろうを開設した。登山者が、山登りで起こり 氏 亠用 素晴らしさです」。三浦は、この後、治 か」。自分の人生も大うるリスクのある潜在的な病気を事前検 療と一一度の手術を経て不整脈を克服した。 道せ切にしたい、山に登る診で見つけ、予防するための助言や指導 工べレスト登頂から二日後、べ 1 スキ を行っている。山岳医療情報サイトでの 応時間も大切にしこい。 働ハ順 ャンプに戻る前日にアイスフォ 1 ルが崩、 もう一方で、「この状情報発信に加え、事故予防啓発活動も始 成生 ~ 落した。アイスフォ 1 ルは、天候状態に 工高況から誂一げているだけめた。 い形人 よって時にはビルの高さほどの氷が滑り 自治体初の北海道警山岳遭難救助アド むアのか体ではないか」と自分を 落ちるという危険の高い場所た。春の訪 責める気持ちもあった。 バイザー医師としての活動も行っている カ ヤ・目工ず れとともに、山は刻々と変化していた そんな中、山岳医療日本の山岳救助隊は、救援技術が高く長 ム少 チ 1 ム三浦の高所登山のエキスパ 1 トた に関心を持つようにない歴史もある。だが、中高年、若者と登 ちは、それぞれの立場で意見を出し合っ る、ある出まが起き山者のすそ野が広がり、登山のスタイル ク た。亠ハ年ほど前、、イノ も多様化するなか、道警山岳遭難救助隊 「今回の遠征では、私自身が危険を感じ 1 ルでトレッキングをは全国に先駆けて医療面からの指導や助 る場面はまったくありませんでした。チ していた大城は、途中、言を大城に求めた。登山者の救ム十を上 ーム三浦が、いかにリスクマネジメント醐味だった。 具合の悪くなった登山者に遭遇した。高げるための取り組みが始まった。さらに、 できるプロフェッショナル集団たったか 一九九八年、長期休暇をとってキリマ山病の症状でふらふらした登山者に、大登山者向けのファーストエイド ( 初期救 を実感しました」 ンジャロに登頂。大城はこの頃から海外城は水を飲ませ、意識して深く呼吸をす助 ) 講習会、夏場の山岳診療所と、大城 そこに集まるだれもが、「必ず生きての山々にも頻繁に出かけるようになり、 るよう促し、自分の水も手渡した。あとの仕事の場は多岐にわたる。 帰ってくる」という三浦の強い決意を支これまでとは違う環境に身を置きたくなで無事に下山したことを知ったが、あの「登山の安全のために、やりたいことは の えていた っていた四年後、スキ 1 や登山にたび対応が最養たったかどうカ 、。ほかにも何山ほどある」。そう語る大城の真っ直ぐ本 かあったのではないか。 大城和恵は、一九六七年長野県に生またび訪れた北海道への移住を決めた。 な視線に迷いはない。
あるときはみんなで一緒に目標に ふだんはばらばらで独立心がある 感じのものにすごく惹かれをんぞ か - つけれい」、 はかからない。就職課に来るのは会社の求人です。 公務員になりたかったら、自分で公務員試験を受け なければいけない。フリーランスなんて、どうやっ てなったら、 ( ( 力、なおさらわからない。 自分が好きなもの、興味があるものに関係する仕 事をしたいと思ったから、それ以外の会社は受けな かったんです。でももしかしたら、やってみたら楽 しかったかもしれない・ : と今になって田 5 います。 あらゆる仕事に通じますが、やってみないと本当に わからないから、こればっかりは難しいですよね 実際には、たくさん入社試験を受験なさったので しょ , つか 三浦出版社と伊勢丹だけです。伊勢丹は服が好き だから、社員割引で服買いたいなと田 5 って。そうい フ根性だから、受かるわけないですよね デビュー作『格闘する者に〇』 ( 新潮文庫 ) の主 人公・藤崎可南子も、漫画と洋服が好きで、出版社と 百貨店を受験しますねデビュー作で就職活動をテー マにした理由はなんだったのでしようか 三浦全くもって受動的な理由です。就職活動して いるときに早川書房を受けたのですが、今「ポイル ドエッグズ」という著作権エージェントをやってい らっしやる方が、当時早川書房の編集者で、採用担 当たったんです。その方が私の書いた入社試験の作 文を読んで、「おもしろいから小説書いてみろ」と 言ってくださったんですよ。でも、「は ? よく意 味がわからない」と思って聞き流していました。そ れで就職できないまま大学を卒業して、古本屋さん でずっとフリ 1 タ 1 をやっていました。それでも 「書いてみたらどうか」と熱、いに言ってくださる まる 2 3
じのものにすごく惹かれるんだなって、何作か書い てみてわかりました。どんな仕事でも、そういう面 はあると思うんですが、べつに「職業」じゃなくて もいいんです。 そういう生き方をいいなと思うようになる、その きっかけは何でしよう。何か自分なりにもやもやとず っと思い続けてこられたものがあるような気がします 三浦結局私は会社に就職することができないまま、 作家として働くようになりました。本にしていたた ( ろいろな人とのチーム くまでには編集者を始め、、 ワ 1 クが必要ですが、書いているときに限って一一一一口え ば一人です。しかも小説なんて、衣食住の中で優先 されるものではない。なくても全然生きていける人 はいつばいいるわけで、それをこんなにぐお 1 っと 書いている自分はばかなんじゃないのかってたまに 思います。 つらくてたまらないときが結構あって、どうして 私は大の大人のはずなのに嘘八百をすごく真剣に書 いて、そして誰にも相談できず、今こうやってふて 寝をしているんだろうと我に返る瞬間がある。その ときに、これって私が思い描いていた会社で働くと いうこと、「仕事」というものと何か違うぞと思っ たんですよ。働くってこういうことでもいいんたろ うか、私が今やっていることは「労働」だと認めて もらえるんだろうかものすごく真剣に取り組んで ( るんたが、とにかくいつも家にいるし、近所に住 む母は「ちょっとお母さん出かけるけど、雨が降り そうだから洗濯物を取り込んでおいてくれる」と言 ってくる。会社に勤めている娘に、会社まで来てそ んなことを一一一一口う人はいないはずです。おかしい、私 だろうかと気になり出して、個人と団体のいい酉 のようなものを実現している仕事ってどんなだろう、 どんな生き方だろうと考えるようになったのではな でしょ - フか は働いているはずだが違うんだろうか、と田 5 うこと が結構ある それで、働くって何なのかな、私のやっているこ とも働くということだと認めていただけるものなん 4 また、私は常に相棒がいるとか、常に誰かに支え 3 てほしいとか、誰かを支えたいとは全く思っていな でも、 いんですよね。面倒くさいから一人がい ( それだと寂しいときやつらいときもある。なので、 孤独と連帯のいい按配ってどこにあるのかなという のを妄想することが結梦タくて、それも影響がある のかもしれません。 一冊の本かできるまでにいろんな人が本作りにか かわっていて、書店で本が売られ、その向こうに読者 かいて : ・ : ・ということを三浦さんは特に意識されてい るように思いますが : 三浦それは私がずっと古本屋や新刊書店で働いて いて、自分も本がすごく好きで、新刊書店や古本屋 さんに買いに行くので、本を売る人や買う人の熱し 思いが循環するような感じを体感してきたからでは ないでしようかそうやって読者のもとまで届けて したたくわけたし、届くと いいなと願って書いてい ます。でも、書いているときは本当に絶望的な気持 ちになります。いっ終わるの、この原稿って。 本をめぐる人たちというのは、書店員さん、読者 も含めてみんな同じチ 1 ムというか、仲間でもある し、共鳳フレ 1 ャ 1 でもあると思うんですよね。で も書いているその瞬間は、やはり非常に一人なんで すよ。その感じがね、どう折り合いつけていいのか がよくわからないんですよね。たとえばポ 1 ル・マ ッカートニーだったら、全世界の人の愛を感じてい ますよね、きっと。來只ド 1 ムで観客がウワーツと 自分に向かって「ポール」「ポ 1 ル」と歓声をあげ てくれる。でも小説家はーー漫画家さんも多分そう でしようがーー・読んでいたたいている実感があまり
協力したり出し抜き合ったりしたかという小説は全 「でも書きたいことってないんですけど」って言っ 然興味がなかったので、どうしたらそこから脱せる たら、「就職活動したんだろう。全部落ちたんだろ かを考えたんだと思います。 う。その体験を小説にしないと、君、元とれないだ ろう」って ( 笑 ) 。「せつかくだからその体験を書け ばいいじゃないか」、「そんなもの誰が読みたいんで 「職業」を書き始めた理由 しようか」、「いいから書いてみなさい」というやり とり・が ~ のり年した。 その後、職業にスポットライトを当てた小説を発 表されていますか、職業にフォーカスするようになっ あの小説は、単に学生が就職活動をしているだけ たきっかけは何だったのでしようか でなくて、主人公の藤崎可南子か政治家の娘という設 三浦全然意識はしてなかったですね。人間関係を 定です。家を継ぐことを期待され、それに従えば将来 しろいろな形で書くということをずっと試してきま 安泰のはずなのに、こんな家継いでたまるかと、ここ した。そうするうちに、人間のかなり重要な部分を でまず「政治家にはならない」という職業選択を一つ 占めるのが、特に現代の日本の大人においては、仕 します。そして、漫画と服が好きだから、出版社と百 ごということに気づきました。仕事がないという ろいろ苦労する中で成長していくと事ナ 貨店を受けて、い 事実もその人の中で大きなウェートを占めている。 いうお話ですか、その設定は、どこから来たのでしょ 、つカ 人間関係とはどうあるのがいいのか、悪いのかを考 えると、仕事と私生活とか、仕事でのつき合いにお 三浦単に自分の就職活動をテーマにしてもつまら ける距離のとり一方とか、そ、フい - フところに「ラマが ないだろうと思ったんですよ。私自身が、そういう あるかなと思ったんですよね。気がつくと、職業に 現実的なテ 1 マが苦手なんです。その後、職業を取 スポットを当てたテーマが増えました。 り上げたものをご覧になってもわかるように、リ益 何をよしとして、自分の中の理想として生きるの を追求しましたという話は全然好きじゃない。就職 か何を自分にとって大事なものとして生きるのか 活動も、しよせん稼げる自分を実現するための手段 を考えると、そこにはその人がど、フい - フふうに仕事 であり、会社で働くということもつまり自分を安泰 に向き合っているか、どういう職業を選んでいるか にする手段ですよね。そんなことを小説にしたって どういう職業に熱、いに取り組んでいるかで何かか現 ちっともおもしろくない、少なくとも私は読みたく ないと田 5 いました。 れてくる。それで職業を書くようになったんだと思 います。 それで、登場人物は就職活動を一応一生縣大叩頑張 まず、自分の中の理想の生き方や、仕事への理想 るけれども、主人公の家はどんな家なのか、周りの 的な取り組み方をしている人たちの魅力があって、 お友たちがどんな子たちなのかを書きたかった。就 それでその職業を取り上げる。でも中心にあるのは、 職活動でこういう戦略を立てて、友達とどのように やはり人間関係の部分です。その理想像を実現でき る職業なのかどうか、実現できるように見える職業 なのかどうか「この仕事に携わっている人たちを 主人公にしたら、そこを書ける」と感じられたら、 書きたくなるんだと思うんですよね。 もともと、辞書も文楽も林業も好きで興味はあり ますが、同じくらい興味がある漫画家について小説 にしようとは思わない。 ( 注 ) なぜ辞書とか文楽とか林 業とか 『風が強く吹いている』 ( 新潮社 ) で取 り上げた箱根駅伝は職業ではないけれどもその一種 。ことす・ると に取り組んでいる人たちだったら、 自分の考える理想像や人間関係が書けるかというと、 まず団体でやっている。団体で取り組みつつ、個々 人の技術を各々磨かなきゃいけない部分が非常に多 さらに、その集団内にある程度の年齢の幅があ ること箱根駅伝はちょっと一いますけれども、そ ういうのが好きなんですよね。おじいさんから若者 まで、世代が異なる人がそれぞれ好き勝手に自分の 技術や芸を磨いていて、でも次代へ技術や芸を伝承 しようともする。あるときはみんなで一緒に目標に 向かうけれど、ふだんはばらばらで独立心がある感 、 0 注 三浦さんの作品には、職業がテ 1 マになっている小説が多い 「仏果を得ず」 ( 双葉社 ) ー文楽太夫 『神去なあなあ日常』「神去なあなあ夜話』 ( 徳間書店 ) ー林業 「星間商事株式会社社史編纂室」 ( 筑摩書房 ) ー社史編纂 「舟を編む」 ( 光文社 ) ー辞書編纂 「政と源』 ( 集英社 ) ーっまみ簪職人など。 そのほか、靴職人や活版技師など、技と熱を持って仕事をして本 いる人の女性たちへのインタビュー集「ふむふむおしえて、日 お仕事 ! 』 ( 新潮社 ) もある。