雇せしわれ 大井学 仲間が解雇されるーーその酷い通知を貼り出すと き、悲しみと怒りで指に力がこもり、押しピンは漲 く深く突き刺さるのである。しかし、解雇する側 ( も痛みはある。「玄米のごはんの弁当」には何か実 直さが滲むが、仕事とはいえ、そんな慎ましやかな 人を辞めさせなければならないのは辛いことだろう。 楽しき職場 職場は常に緊張しているわけではない。 胸がとき めくこともあれば、笑いを誘われることもある さな出来事が案外と、働く日常を支えてくれる。 気の抜けたコーラみたいな提案と詰め寄る君のハ ンプスがよく 堀合昇平 「何これ。もっとちゃんと考えてよ ! 」と厳しく指 摘するのは、同僚だろうか、上可たろうか。うつむ いてしまった作者だが、 心底落ち込んではいない。 的確な指摘に「やつばりな : : : 」と、「君」をまぶ しく田 5 う甘い感情が滲む。 働くひとのうつくしきかなと見てをれはむかうむ きてのち首と肩まはす 真中朋久 職場ではいっ誰に見られているか分からない。せ つかく霄薊に働いている姿って、きれいだな ! 」 と思われていたのに少々残念な場面であり、苦笑さ せられる。そして、何とはなしに雰囲気のいい職場 を想像する。 三台のコピー機われに従ひて資料五百部作る音美 し 水上芙季 五百部もの資料を作るのは大変な作業だが、作者 はそれを楽しみ、コビ 1 機の発する轟音を楽しんで いる。コピ 1 機を従わせている、という見立ては楽 しいが、常に誰かに従わされている立場の鬱屈もあ り一そ - フた。 ワーキングガールのを リクルートスーツをけはあらはるる男尊女卑に 怒るふともも 辰巳泰子 男女雇用機会均等法が施行されて四半世紀が過ぎ 面 たが、「男女平等」はまだまだ画餅に過ぎない。 接会場ではにこにこしていた女性たちの内なるり が、帰宅後の弾けるような「ふともも」に表されて 派遣会社ことなるわれら時給には触れずランチは なこやかに過ぐ 後藤由紀恵 それぞれ違う時給で働く仲間たち。相手も傷つけ たくないし、自分も傷つきたくないから、時給の話 はタブ 1 である。しかし「皮女はいくらもらってい るのかな」という思いが兆すこともあるたろう。正 社員がどんどん切られ、派遣社員が増える職場事情 も垣間見えて切ない。 〈らーめん〉の行列の女子の割合は女性管理職の 割△ロほとか 小島ゆかり 「確かに ! 」と納得する一首。世界経済フォ 1 ラム による「男女平等指数ランキング」を見ると、日本 は一三六カ国中一〇五位である ( 二〇一三年 ) 。ラ ーメン店の行列から会社組織へと飛躍する想像力が 見事だ 誇らしく働く 人間は時に変はれる運ちゃんと呼はれ運ちゃんに なれるわたくし きむらし、けいち 「開演に間に合ひました」と喝采を受くることな き吾が言はるる 作者はタクシードライバ 1 である。別の仕事を経 て、この職に就いた「運ちゃん」という、ハに どこか軽んじられている感じが漂い、作者の胸はず きりと痛むのだが、 それでも「人間は変われる」と 胸を張る。華やかなコンサ 1 トホ 1 ルや劇場へと乗 客を送り届けるとき、彼の耳には会場に満ちるであ ろう万雷の拍手が聞こえる。しかし、たった一人の 客が「おかげで間に合いました」と喜ぶ「喝米」ほ ど嬉しいものもない。それで十分ではないか、と静 かに笑む作者の顔が見えるようだ。
それはやってみなければわからない。 9 技術や本人の情熱でカバーできる部分もあると思い ますが、やはりいつまでも続けられるものではない んじゃないかなと思いますね。 でも、集中力が落ちたり忘却力が高まったりとい うことも、プラスに働くこともあるかもしれません かって、就職活動がうまくいかなかった、その経験 ( ナマイナスと思われる を書かずにど - フすると、つこ、 ことすらも物語になるというのが、この仕事の残酷 かついいところではありますね。 これからも格闘しなから働き続けるということで しょ , つか そう一言うとなんだか格好いいですね ( 笑 ) 。格闘 とい - フより低尢亠飛打でよろよろと、行けるところま で行きたいなと思います。結局、働くのが結構好き なのかもしれません。 みうらしをん 1976 年、東京生まれ。早稲田大学 第一文学部卒業。 2000 年、書き下ろ し長編小説『格闘する者に〇』でデ ビュー。以後、『秘密の花園』『風が 強く吹いている』『神去なあなあ日 常』などの小説を発表。『悶絶スパ イラル』など工ッセイ集も注目を集 める。 06 年『まほろ駅前多田便利 軒』で直木賞を、 1 2 年『舟を編む』 で本屋大賞を受賞。 37 日本の「はたらく」
間は集団を作って生きる動物で全体としての効率を高めるように行動し ある。各人は社会で果たす役割ていることもご存知かもしれない。これ というものを持っており、それは人間の組織によく似ている。だから、 をこなし、働くことで、社会の中に存在アリやハチかどのように働いているかを している。いってみれば、働くというこ見て行くことで、人間が働くとはどうい とは人間存在の根源につながっているのうことかについても考えて行くことが出 だ。 ) そして、多くの人は「社会のために来るだろう。 役立つようなことをしたい」と考えてい アリやハチ達には、全体の状況を把握 る。個人のためよりも社会や全体のためして、組織に指示を出す個体はいない。 になることこそか場窖同なことなのだと考人間の組織はそのように運営されている える人もいる。このような考えも、人間が、それは人間が極めて高い知能を持っ というものを考える際に考慮しなければ生き物だから可能なのだ。アリやハチは ならない根源的な要因である。しかし、ごく単純で小さな脳しか持たない昆虫だ 人間とは何かと考えるとき、人間以外のから、高度な状況把握が必要な判断は不 ものとの対比が必要たろう。その対比な可能た。ではどうしているのか。ひとっ しに、人間というものの型を取ることはの例を出そう。ミッパチやアリが新しい 出来ないのだ。ここでは、人間以外の生巣場所を選ぶとき、たくさんの偵察個体 物で集団を作り、自分の能力を他のメン かいくつかの候補地を探してくる。偵察 ーのために発揮する ( つまり働く ) 生個体は 1 カ所にしか行かないことがほと 物として、アリやハチを取り上げてみる。んどで、帰ってくると、他のワ 1 カ 1 を験的に候補地間に巣場所としての好適さ そして、働くことの本質について考えて自分が行った候補地に連れて行くというの差をつけておくと、彼らは必ず一番い みる。 行動をとる。ミッパチの場合は有名な 8 い候補を選ぶ。 1 匹の偵察個体は 1 カ所 アリやハチは人間に近しい生物であり、の字ダンスで動員が行われる。はじめは にしか行かないので、個体が複数の候補 ほとんどの人が、その社会は女王とワ 1 各候補に動員される個体数にはあまり差の間の相対的価値を見定めて一番いい場 カー ( 働きバチや働きアリ ) から出来てがっかないが、ある程度の時間が経っと所を選んでいるのではない。 個体は目の いることを知っている。もしかしたら、徐々に差が開く。そうして、全体のうち前の候補に対して OK or NO という半 卵を生むのは女王だけで、ワ 1 カーは集のある割合の個体がある候補地に行くよ断をしているだけだが、 全体としては最 団の維持に必要な様々な仕事を分担し、うになると、全員がそこへ移動する。実適な判断が出来るのだ。なぜこんなこと アリは何のために 働くのか 長谷川英祐 text by Hasegawa Eisuke 須山奈津希・イラストレーション illustration by Suyama Natsuki 6 8
じのものにすごく惹かれるんだなって、何作か書い てみてわかりました。どんな仕事でも、そういう面 はあると思うんですが、べつに「職業」じゃなくて もいいんです。 そういう生き方をいいなと思うようになる、その きっかけは何でしよう。何か自分なりにもやもやとず っと思い続けてこられたものがあるような気がします 三浦結局私は会社に就職することができないまま、 作家として働くようになりました。本にしていたた ( ろいろな人とのチーム くまでには編集者を始め、、 ワ 1 クが必要ですが、書いているときに限って一一一一口え ば一人です。しかも小説なんて、衣食住の中で優先 されるものではない。なくても全然生きていける人 はいつばいいるわけで、それをこんなにぐお 1 っと 書いている自分はばかなんじゃないのかってたまに 思います。 つらくてたまらないときが結構あって、どうして 私は大の大人のはずなのに嘘八百をすごく真剣に書 いて、そして誰にも相談できず、今こうやってふて 寝をしているんだろうと我に返る瞬間がある。その ときに、これって私が思い描いていた会社で働くと いうこと、「仕事」というものと何か違うぞと思っ たんですよ。働くってこういうことでもいいんたろ うか、私が今やっていることは「労働」だと認めて もらえるんだろうかものすごく真剣に取り組んで ( るんたが、とにかくいつも家にいるし、近所に住 む母は「ちょっとお母さん出かけるけど、雨が降り そうだから洗濯物を取り込んでおいてくれる」と言 ってくる。会社に勤めている娘に、会社まで来てそ んなことを一一一一口う人はいないはずです。おかしい、私 だろうかと気になり出して、個人と団体のいい酉 のようなものを実現している仕事ってどんなだろう、 どんな生き方だろうと考えるようになったのではな でしょ - フか は働いているはずだが違うんだろうか、と田 5 うこと が結構ある それで、働くって何なのかな、私のやっているこ とも働くということだと認めていただけるものなん 4 また、私は常に相棒がいるとか、常に誰かに支え 3 てほしいとか、誰かを支えたいとは全く思っていな でも、 いんですよね。面倒くさいから一人がい ( それだと寂しいときやつらいときもある。なので、 孤独と連帯のいい按配ってどこにあるのかなという のを妄想することが結梦タくて、それも影響がある のかもしれません。 一冊の本かできるまでにいろんな人が本作りにか かわっていて、書店で本が売られ、その向こうに読者 かいて : ・ : ・ということを三浦さんは特に意識されてい るように思いますが : 三浦それは私がずっと古本屋や新刊書店で働いて いて、自分も本がすごく好きで、新刊書店や古本屋 さんに買いに行くので、本を売る人や買う人の熱し 思いが循環するような感じを体感してきたからでは ないでしようかそうやって読者のもとまで届けて したたくわけたし、届くと いいなと願って書いてい ます。でも、書いているときは本当に絶望的な気持 ちになります。いっ終わるの、この原稿って。 本をめぐる人たちというのは、書店員さん、読者 も含めてみんな同じチ 1 ムというか、仲間でもある し、共鳳フレ 1 ャ 1 でもあると思うんですよね。で も書いているその瞬間は、やはり非常に一人なんで すよ。その感じがね、どう折り合いつけていいのか がよくわからないんですよね。たとえばポ 1 ル・マ ッカートニーだったら、全世界の人の愛を感じてい ますよね、きっと。來只ド 1 ムで観客がウワーツと 自分に向かって「ポール」「ポ 1 ル」と歓声をあげ てくれる。でも小説家はーー漫画家さんも多分そう でしようがーー・読んでいたたいている実感があまり
さん。みずからの就職活動を小説にした 小さい頃から身近たったし、本の手触り ~ そんな繰り返しの中に、現在がありま たらく」というテ 1 マを一般論と す。 『格闘する者に〇』で作家デビュ 1 。そ には産れがある。本を書くという行為に して述べることは、正直に言って、 の後も「仕事」をテ 1 マにした作品が多 だから、「やりがいのある仕事は ? 」 手に余ります。何たか分別くさくて、エ ~ も、本を書く人自身にも敬意を抱いてい い三浦さん自身の「はたらく」観、仕事 と問われても、人さまざまだし、基準が ラソ 1 に聞こえることを恐れるからです。 ~ るーーーといったことなどがないませにな との関わり方をたつぶり語っていたたき たいたい、ふだん自分がどんな気持ちで ~ って、何となく希望して、あとは成り行 ~ 外にあるわけでなし、自分で見つけるも きに身を任せたというのが、偽らざると ~ の、育てるものとしか答えようがないの ~ ました 働いているか、ましてや人がどんなこと ころです。それが許された、まだ良き時 ~ です。そして、大概の仕事はやってみな ~ 就活で苦しんでいるあなた、たとえ内 を考えなから働いている力とい - フことに、 定がもらえなくても、社会全体があなた ければ分かりません。 それほど関、いを払うことはありません。 ~ 代でもありました。 今号では、幻人の働く人たちの生の姿を不必要たと言っているわけではありま なので、自分に向いた職業なのかどう 労働の結果として現れた商品やサ 1 ビス せん。特集に登場している人たちの生き といったものは感想や評価の対象となり 編集部の 方に接して、少しは肩の荷が軽くなった ますが、それを提供した側がどんな気持 とか、ハが楽になったとか、田 5 っていた ちで、何を願「て、どんなふうに仕事を中 . だければ幸いです。大企業でなくとも、 しているのか、といったことまでいちい ~ 界只でなくても、人生、いたるところに ち気を使っている余裕はないからです。 せいざん 青山あり、なのです。 ひと頃は、大学生から就職の相談を受 けることがし、はし、は ~ のり・ . ました。白取近は 作家・安部公房氏が肪歳で新築し、 転職や定年後の再就職の話をよく聞きま 『砂の『他人の顔』など数々の傑作を す。けれども、後々まで、いに重く残るの 生み出す拠点となった調布市の自宅が、 は、やはり若い人たちとのやりとりです この冬に取り壊されることになりました。 ~ 彼らがさかんにロにする「やりがいのあ そのたたずまいをで紹介いたします。 る仕事」という問いかけに、身もふたも また戦前・戦後にわたって「検閲」と真 ない応じ方しかできなかったという思い っ向からぶつかり合った硬骨の作家・石 かあるからです。 川達三氏の足跡と、差し替えられていた 振り返って、自分自身が就職を考えて を通して、「はたらく」ことのヒントを ~ 一文字の「謎」を特別記事といたしました。 かも不明でした。ある程度働いてみて、 ( た頃、「こういう仕事に就きたい」 う具体的な目標が明確にあったわけで ~ 次第に分かってきたことばかりです。そ ~ 探ってみました。歳、津波や台風にも めげずに、それでも海で生きていこうと 今号で養老孟司さんの「ヨ 1 ロッパの して楽しいことだけではないけれども、 はありません。ろくに考えていなかった 身体性」、お 1 なり由子さんの「みちく いう漁師から、歳、北一性の羊飼い というのが正直なところです。もっとも ~ 続けるうちに面白さが分かってきました。 ~ らしい理由は、後から考えた理凪が大半 ~ つらいこと、苦しいこともあるけれども、 ~ 歳、小さな島の時計店店王まで、いま ~ さ絵本」が最終回となりました。代わっ それらをすべてチャラにして余りあるよ ~ の仕事に出会うまでの紆余曲折はあるに ~ て猪不武徳さんの「自由をめぐる八つの手 で、ウソではないけれども、考え抜いた うな、嬉しい出来爭にもめぐり合いまし ~ せよ、皆さん、情熱をもって仕事に取り ~ 断章」、佐藤卓己さんの「『メディア流 ~ 部 結論というわけでもありませんでした。 一一一口』の時代」が始まります。どうぞご期 ~ 編 たうまくいかなければ、その悔しさが ~ 組んでいる人たちばかりです。 出版社の人気が高いらしい、ただし競 3 6 じっくり話を伺ったのは、三浦しをん ~ 待ください 。、ネになって、またその次を考える 2 争率が高くて難関みたいだ。でも、本は くた いたるところに 青山あり 考える人」編集部 text by Kangae 「 uhitO せいざん 考える
島県の本州部分から、四本の橋 と三つの島を経由して、大崎下 島に上陸する。淡青で穏やかな 瀬戸内海を眺めつつ、島の輪郭をなぞる ように車を走らせ、反対側までぐるりと 回るとようやく着いた。呉市豊町御手洗。 江戸から明治にかけて、日本海序から 瀬戸内海までを行き来した韭則船の寄港 地として栄えた土地だ。いまはすっかり 静かだが、時間が止まったかのように古 し町並みがそのまま残る。 「辺境」とい 2 言葉も浮かんでくるこの 場所に、しかし年間三百個という時計が 全国から、ときに一からも送られてく る。「松浦さんになら、この時計を直し てもらえるのではないか」という送り主 の - 田いし」し」 4 も 1 」 0 創業百五十年を過きた「新光時計店」 は、現存する日本最古の時計店と言われ る。その名をこの時代に知らしめた四代 目の松浦敬一さんは、届いた時計の一つ ひとつに対して、送り主の思いを実らせ買い付けなどに連れて行かれるようにな時計産業に激震が走った「クオーッショ 、経宀ロ学も教え込まれた。実際に働ック」のあと、仕事は急激に減っていっ るべくあらゆる労力を惜しまない仕上 時計は修理して使うものからす がった時計 ( ( こよ、その使い方まで含めて、き出したのは、広島の商業学校で簿記をた。 手書きの手紙とともに送り返す。 身につけて戻ってきた十八歳のとき。そるものに変わったのだ。そんな時代はひ 一こ詰まった思い出や思いをれからすでに半世紀。時計の修理と冗たすら地道に外商した。いかにして相手 「私は、時計 ( 一 = ロ なりわい いつも一番に考えます。一緒に働き、生を生業として、ずっとこの島で生きてきの心を擱み、買ってもらうか広い知識 きてきた時計というのは、その人にとっ 太陽光がよく入る窓際の小さな机にを身につけてあらゆる話題についてい ては決して代えられないものじやから」向か 0 て、一ミリもないような部品を時ことで、客との関係を築くことにも、い血 を注いだ。商売人としての魂は、船で外 松浦さんは昭和十九年にこの地に生ま計の中にそっと収め続けてきた。 れた物心ついたときから身近に時計が苦しかった時代も短くない。一九七〇からきた人を客とした御手洗の人間に染 あった。五歳のころには、祖父・哲次に年代、水晶時計の発明によって世界中のみ込んでいるものでもあるらしい 広 働く人々。⑩ text by KondO Yuki photographs by Yoshida Akihito 8 1 辞めたいと思ったことは度もない。 苦しくとも一、いにこの道を突き進むこと で技術を磨いた。そんな松浦さんのが 、つ番 人ある雑誌に取り上げられたことがきっか 田 けとなり、その存在は、全国へ知られる 。士ロ ようになっていった。直してもらえるの 影 = = 口を を待っ時計は、全国に無数にあった。 まさに天職。彼は一一一日フ。 藤 「天職は、たまたま出会うものではない。 = = ロし計、 ~ 土寸田じ光ムー努力して、自分で天職にして」くん 取 取材を終えるころにはすでに暗くなっ ていた。お暇しようとすると、「一杯だ けでも、お茶を」とコ 1 ヒ 1 を淹れてく ださった。別れ際、五代目となる息子さ んとともに店の前で深く頭を下げられた。 その丁寧な仕草一つひとつに、松浦さん の歩んできた人生が詰まっていた 跡継ぎの光司さんと肩を並べて机に向かう。静かな店 内は 30 分ごとに複数の時計の優しい音色に包まれる。 4 6
「こころよく我にはたらく仕事」とは、どんな仕事 石川啄木が「それを仕遂けて死なむと思ふ」と詠 ったのは、一一十四歳のころだった。啄木のみならず、 若者はよく「自分の能力が活かせる仕事」だとか 「天職と思える仕事」に就きたいと言う。しかし、 こ 4 も八刀か、ら そんなものは当人はもちろん、ほかの誰 ( ない。分かるのは、夢中になって働いている瞬間た ったり、長く働いて職を退いてからだったりする。 いろいろな職場かあり、さまざまな仕事の悩みが ある。私たちは、それぞれの場で自分の時間と知力、 体力、感情を費やして働く。その中にこそ、生きて いることの確かな手応えがある。現代の啄木たちが 短歌に込めた思いを見てゆこう。 恋も仕事も 結局は本が好きです本屋です本読む暇もなく本を 売る 柴田瞳 客として行きし他店でしやきしやきと本棚整理し てしまいけり 書店で働く若い作者。好きで選んだ仕事なのに、 その仕事に忙殺され、肝心な「好き」の部分を置き 忘れてしまうロ惜しさが詠われている。「本当に好 きなことは仕事にしない方がいい」などと言われる けれども、オフのときに訪れた書店でつい乱れた棚 をきれいに整えてしまうくらい、本も「本屋」の仕 こんな書店員に会いた ( 事も好きでたまらない、 ほがらかに「社畜 ! 」と囃す友といて口角少し持 鯨井可菜子 ち上げている 「社畜」と言われて嬉しい人はいない。「友」に悪 意は全くなく、「このごろ付き合いが悪いんだか ら」「ホントに仕事が好きなのねえ」といった、か らかいや多少の羨望の念を含む軽ロだろう。でも、 言葉そのもののインパクトか強いため、言われた方 としてはほんの少し傷ついてしまう。気色ばんで 「違うって ! 」などと反論しないところを見れば、 労働時間 作者はやつばり仕事が好きなのだ。ただ、、 の長さや突発的な残業など、不本意な部分はどんな 仕事にもある。そのあたりが彼女の複雑な微笑とな っているのかな、と田 5 う。 ハソコンをたたく指圧が高くなる恋も仕事も自由 もほしい 畑彩子 仕事が立て込んで忙しいとき、「今アドレナリン が放出されているなあ」と昂揚した気分になること がある。作者は急ぎの仕事を命じられたのだろうか 職場で頼られているという自信、気分のよさが伝わ ってくる。恋も大事だが、仕事も大事だ。そして、 それらを選びとる自由も。独身女性の三人に一人が 専業主婦願望を抱いているという厚生労働省の調査 があるが、職場環境や保育行政が整えば、「恋も仕 事も」の延長として「結婚や育児も、仕事も」と願 フ女性はもっと多いのではないだろうか ノルマを超えて 職場へ向かうのが億劫なときもある。仕事にかか わる憂鬱を詠った歌を読むと、なぜか心が慰められ、 自分も頑張ろうという気にさせられる はるはると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ叱られに 渡辺松男 行く この歌は作者が県庁勤めをしていたころの作品た。 中央官庁へ持参する書類そのものは薄っぺらで軽い のだが、それを精査されるときの緊張を思うと足取 りは重くなる。対句の語呂のよさが「トホホ」な感 じを強めている わがデスク株価ホートに近けれは背後しはしは舌 和嶋勝利 打ち聞こゅ いちにんにいやおうも無き一人称ノルマは寒きロ シアの言葉 証券マンの職場は慌ただしさと緊張感に満ち、戦 場のようなのだろう。同僚の苛立ちも、一人すっノ ルマを課せられるストレスから来ているものに違い ない。「ノルマ」がロシア語から来ていることを思 寒々とした思いに駆られる作者のナイーヴさに 胸が痛くなるようだ。 戦力外通知を示す紙きれに押しピン四本深くささ 久保剛 の 本 日 玄米のごはんの弁当おとたてすはみていしひと解田
政の末端の現場で、職員のヤルも恵まれなかった多くの職員は、あの職 気と熱意と誇りは半端でない。 場に配属された十年近くをどう見ている 「いいか、俺たちが死んでも、のだろう。 俺たちが建てた学校は残るんだ」と、叫結婚後、その典型的な男職場から、女 んでいたのは大工の裨梁ではない。八王子が段ボール箱を担ぎ、脚立を上るガテ 子市役所教亠員会学校教育課施設係の、ン系の職場に異動した。図書館である。 主任以下中堅、若手職員たちだった。課 ( 段ボールの中身はもちろん本。脚立は に一人配属された「女の子」 ( 均等法施閉加杢日庫の高棚のもの。 ) 行以前の日本の職場には、こういうシゴ女子たちの熱意も半端ではなかった。 トがあった ) として、私は八桁、九桁の市立図書館立ち上げの時期でもあり、と にかくあれもやりたい、これもやりたい、 数字をうんざりしながら電卓で叩いてい 大規模団地建設に伴い、一一十年くら予算だけついて人がいないか、とにかく いの間に禹の小中学校数も五十から百利用者、特に子供たちのあらゆる要求に に倍増した時期の話た。用地買収から始応えていきたい。おにぎりを片手に残業 まり、造成、建設、果ては修繕まで、補に次ぐ残業ご法に抵触しない範囲の 助金も絡んだ発注と管理事務のすべてを時間数のみ申告し、それ以外は当然サ 1 十一「三人で回す。「女の子」は別としビス残業。その使命感と責任感と滅私奉 て、糧職員は残業 + サ 1 ビス残業 + 休公の精神の体となった圧倒的熱量 自分探しのための資金稼ぎ目的で役 日出勤は当たり前。役戸のそばに木賃アに、 ハートを借りて合宿という、 凌まじい生所に入った私は、はなからついて行けな 、 0 活まであった。できの悪いドラマか ? 、勤務中 ( というか、サ 1 ビス残業 と思われるような冒頭の台詞は、金や出 ~ 中 ) に証券会社に電話をかけて買い注文、」賞を受賞したとたんに。もしあのとき辞 世ではなく、使〈畿 ~ と男のロマンに牽引他の職員が深夜十一時まで働いているとめていなければ、不本意な異動その他の されて激務に耐えた職員の真情だった。 きに、とっとと早退して転職のためのス手段で、いずれ退職に追い込まれていた あれから三十年近い月日が流れ、職員キルアップ講座に通う。これだけは言っ だろう。一般市民の方が考えているほど、 は幸い過労死を免れてまだ生きているが、ておきたいが、ここまでモラールもモラお役所は職員に甘くない。 少子高齢化の波の中で、残るはずの学校ー、ルも低い職員は、例外なのである。だか の方が統廃合でいくつか消えた。金銭的ら私は役所を辞めた。十三年と十ヶ月。 ではなぜ、お役所の仕事、あるいは仕 にもその後のポストについても、必ずしあと一歩で鑒がつくというのに、新人事ぶりは、批判の対象にされるのか ? 、」 0 船役所仕と 言われても 篠田節子 text by Shinoda Setsuko 須山奈津希・イラストレーション illustration by Suyama Natsuki
『論語』巻第九「微子」には「四体勤めず、五穀分 かたぬ」っまり「手足を働かさず、穀物の見分けも つかない」という言葉がある。ロ達者だが、農作業 をまったく知らない儒者を批判する言葉だが、孔子 はそれについてとくに論評をしていない。 それから千年近く経て、労働についての考え方が 変わり始めた。もっとも顕著な変化は六朝の頃に起 いんいっ きた。そのことは隠逸思想の流行と関係がある。も っとも代表的なのは陶淵明である。彼がいう 隠逸の特徴は自ら農作業に従事することで、 田園生活はいわば隠逸の同義語のように語ら れていた。陶淵明は「勧農」という詩のなか 、フしょ第、 で、「哲人とは誰か。后稷その人である。彼 はどのようにして民を豊かにしたか。種を播 き、苗を植える農作業を民衆に教えたのであ る。かくして舜も自ら田を耕し、禹も自ら作 物を植え付け、取り入れた」と書いている。 舜も禹も稷も聖人と言われ、孔子は為政者 の手本として『論巴のなかで何度も一言及し 孟子の一一一一口葉を借りれば、一二人とも民を統 治する「心を労する者」で、自ら働く必要は よい。しかし、陶淵明は彼けつが自ら曲辰作未をすると いう、「力を労する者」としての一面を強調した。 その点において、大きな変化を見ることができる 陶淵明の隠逸思想には道教的な人生観に由来する ものがあるが、働くことを隠者の生き方の基本とし たのは、老荘哲学にないものである。荘子にとって、 道を悟った人間は自己の内面にとらわれない自由を 生きることができ、あらゆる世俗的規範は皆自由な 生を妨げるものである。直接「働き」について一一一一口及 物車 ヨいー贏れ かで、そのような考え方が強くあらわれている 南宋の学者である陸游は『放翁家訓』のなかで、 子孫の将来を案じ、「わが家はもともと農家であっ たので、 ( 子孫が ) また農業に従事することができ れば最上の選択である。家に閉じこもって儒学の古 典を究め、科挙の試験を受けず、役職につかないの は中の選択である。小役人の地位に満足し、栄達を 羨ましがらないのは最も下の選択である。この三者 以外には選択肢はもうない」と言っている。 しないものの、働くことが世俗的な目的を目指して いる以上、荘子の哲学においては価値と見做される 余地はない。 しかし、陶淵明の場合は本物の老荘思想と若干の 違いがある。働くことは価値観というより、むしろ 隠逸を保証する手段として語られていた 時代が下ると、儒者たちは、勤勉に働くことは人 間の美徳と語るようになった。とりわけ家訓類のな 0 孟子の時代に比べて、肉体労働に対する考え方は衵 すっかりかわっている。農業を「力を労する」とし て蔑むどころか、もっとも理想的な選択肢として挙 げている。陶淵明の隠逸思想では働くことは生活手 段であるのに対し、陸游の場合、農業に従事するこ とはもっとも望ましい生き方として挙げられている そのことは宋における党派の対立と激しい政争と 関係があるであろう。権力争いに敗れれば、一族も ろとも滅ぼされるかもしれない。そのような苛烈な 作れ政治背景のもとで、政治に嫌気がさす文人が増えて 農こ 。きた。もともと中国の士大夫のあいだには隠遁思想 挿詳がつねに影響力がある。陶淵明に見られるように、 のを 謝官職を辞し世俗を離れて山中に住まうことは隠逸を 啓の入 光どに保証する手段であると同時に、人生の美学でもあっ 徐な畑 蚕田た。だが、宋代になると、政治の現場から身を引く ことは、もはや美学ではなく、現実的な保身の術に 全 政園 いなっていた党派闘争のなかで、政敵に対する情け ずす 書らを ( のない迫害を見て、多くの読書人はしがらみの 農な水 のみのない農村生活にあこがれを持つようになった。 代の 明業 さらに、「一生懸命働くこと」を究極の保身術と するという、乱世の知恵ともいえる考え方を集大成 させたのは曾国藩である。歴代の儒学者のなかでも 曾国藩は異色な存在である。やや誤解を招く表現を すれば、曾国藩は儒教と実用主義的な考え方を融合 させた人物である。彼の手になる『曾国藩家訓』は 近代に入ってからも大きな影響があった。 曾国藩家訓のなかで、もっとも多く強調されたの は「勤」すなわち一生縣大叩に働くことである。言い 換えれは、働くことだけでなく、働くことに対する 姿勢も問われている。たとえば曾国藩家訓には「家
将来の夢なんて考えてなかった 小さい頃になりたかった職業は何でしたか 三浦幼稚園ぐらいのときには、魔法使いになりた かったんですよ ( 笑 ) 。小学校に入っても、熱心に 近所の廃屋を経巡っては、魔法使いが住んでいるに 違いないと痕跡を探そうとしたり : いろいろな児童書を読むうちに、魔法が使えるつ てすごく楽そうだし、格好いいなと思ったんでしょ うね。幼稚園や保育園ぐらいの女の子が将来何にな りたいかと聞かれると、大体、パン屋さん、お嫁さ ん、お花屋さん、その三つぐらいが挙がるんですよ。 私はどれにもなりたくなかった。パンよりはごはん 派だし、花も全然興味がなかった。お嫁さんなんて、 はあ ? と思って。幼稚園ぐらいのときから本当に 仕事っていうものが自分には全くイメ 1 ジできてい ませんでした。 父が大学の教員たったので、よそのサラリ 1 マン のお父さんのように、毎日決まった時間に家を出る わけでもなく、あまり働きに行ってる印象がありま せんでした。家に一日中いる日も結梦タくて、一応 部屋にこもって研究しているんですが、子供にとっ ては「わあ、お父さん家にいる、遊んで ! 」って思 いますよね。だから父が仕事しているとは全然思っ ていなかった。母も専業主婦でしたし、みんなで家 でだらだら暮らせるっていいなという感じで、働く とい , フことかい土 6 いち一イメ 1 ジしにくかったん、たと 思います。 魔法使いに憧れていた幼少期を経て、小学校や中 学校に入ると、具体的になりたい職業とか、こういう ふうに働いていきたいなという考えは・ 来を田 5 い描くこともなかっ 三浦全然なかった。 * 小学校ぐらいのときは、漫画がすごく好きだっ たから、曼画家になりたいなと瞬思ったような気 がします。だけど、絵が描けないので、同じ顔をい くつも描くのは無理だとすぐに挫折しました。大学 生のときに高村薫さんの小説を読んで、検事になり たいと思いましたが、時既に遅し ( 笑 ) 。 働かなきゃいけよい、いずれ働いて生活していか なきゃいけないなとは田 5 っていたんですよ。お嫁さ んというラインも自分の中に全然なかったから。何 かしら働かなきゃいけないとなると、会社に入るの 具 がやはり順当な道だろうとは田 5 っていましたが、 体的には何もしていませんでした。あ、映画監督に なりたかったときもありました。それで映画の勉強 ができる大学に入ったんですが、これもまた協調性 がなくて全然映画づくりに向いてないなとわかった ので諦めました。なりたいものに向いてないことが 多かったので、具体的に目指す職業は全然ありませ んでした。 就職活動しなきゃいけないときになって、これは 会社に入る以外にどうもあまりお金を稼ぐ手段はな いようたし、そうでなければ公務員しかない公務 本が 員は絶対無理だから、会社にどこか入りたい、 好きだから出版社を受けるという、すごく安易な感 じでしたね。周りの友達も医師や薬剤師を目指して いる子はいましたが、少数派でした。 小説家を夢見たことは ? 三浦 ない ( きつばり」、 ) 。ハ説を読むのは好きでし たが、書きたいことは何もなかったから、職業にで きるとは田 5 いもしなかったです 今だったら、たとえば農業をやるとか、もっと他 にもいろいろと選択肢があるだろうと思いますが、 それまで知っていた世界が狭かった。ずっと町で暮 らしてきて、第一次産業などにもあまり触れたこと がなかったですし、みんな就職活動するって言うし、 やはりそういうものなのかなと、会社員になる選択 肢しかなかった。そのわりに就職活動を積極的にし ていたわけでもなく、早々とリクル 1 トス 1 ツを着 ているような知人に「セミナ 1 に行った」と言われ ても、「え、何、ネズミ講のこと ? 」と田 5 っていた くらいです。 当時は文学部というだけで、まず就職は難しかっ たですね。さらに、演劇や映画の理論研究をする学 科だったので、つぶしがきかない特技も資格もな いですし。結局大学のときの友達はみんな会社には 入れませんでした。自営業はかりです。その人たち も一応就職活動はしたけれども、どこも受からなか ったから、ふらふらしている , フちに可となくとい - フ 流れで、フリーランスで生計を立てている人ばかり ですね しくらでも職業選択が 就職活動をしていた頃は、、 あるはずで、自分もそれなりに視野を広く、周りを 見回していたはずなのに、今思うと実はものすごく 少ししか見ていなかった気がします。 あの頃、もうちょっと何か会社以外の勤め先を知 っていればよかった。手仕事でも何でもいいんです が、林業とか農業とか。漁業はちょっと船酔いする んで難しいですが ( 笑 ) 、そういう仕事をもう少し 知っていればよかった。でも、そういう職種に募集 0 3