働くことと生きること ドイツの学校で使われる英語の教科書にこんな例 文が載っている。 "I don't live to work-l work to live." 「人間は本来、働くために生きているのではなく、 生きるために働いているのだ」という意味である。 私からすれば、ごく当たり前の話たし かし、その感覚にも実は大きな問題があ る。ドイツ人の労働観はややもすると、 とんでもない錯覚を呼び起こしかねない。 つまり「働いている時間は、生きている 時間ではない」と、労働がマイナスの意 味しか持ち得ないことだ。 現代において、「働き方」っまり「ワ 1 ク・ライフ・バランス」が頻繁に言わ れるようになったのも、「働くこと」と 「生きること」をそもそも別物のよ , フに 考えているからではないだろうかしか し「ワーク」と「ライフ」を天秤にかけ た時点で、すでにそのバランスが狂って しまっている。働いているときも、人間 は生きている。一日二四時間という生命の時間から、 「私の時間」だけをメスで切り取ろうとすれば、い ずれの時間も生命を失ってしまうだろう。 ーというドイツ出身の エルンスト・シューマッハ 経済学者がいる。彼は今から約六〇年前にビルマ ( 現在のミャンマ 1 ) に赴き、しばらく政府のアド 、ハイザ 1 を務めた。その経験を踏まえ、彼は主著で ある『スモ 1 ル・イズ・ビュ 1 ティフル』にも収録 これは、たとえばオ 1 トメーションを採り入れて、 理想的にはゼロにしたいところである。労働者の観 点からいえば、労働は『非効用』である。働くとい うことは、余暇と楽しみを犠牲にすることであり、 この犠牲を償うのが賃金ということになる。したが って、雇い主からすれば、理想は雇い人なしで生産 することであるし、雇い人の立場からいえば、働か ないで所得を得ることである」 ( 『スモール・イズ・ビ されている「仏教経済学」を唱えた。そこでシュ 1 マッハ 1 は、キリスト教圏の資本主義をビルマに押 し付けるのはとんでもない話であると、結論してい る 「現代の経済学者は『労働』や仕事を必要悪ぐらい にしか考えない教育を受けている。雇い主の観念か らすれば、労働はしよせん一つのコストにすぎず、 ュ 1 ティフル」講談社学術文庫 ) しかし、シューマツ、 ノーがビルマで目にした「仏 教経済学」は、こうした考え方と正反対のものだっ た。仏教経済学の根幹にあるのは、仏教の根本教義 の「八正道」である。その中でも「正命」という 「正しい働きによって営まれる生活」を重視してい る そうした観点から考えると、欧米では負の意味し か持たない労働にも、三つの意義が見えてくると、 シュ 1 マッハーは主張している す 流 ひとつは、働くことによって、人は自分に内在す を 汗 る能力を発達させ表現できること。次に、人々が一 共 つの目的に向かって共に働くことによって、自分の ・ま エゴを捨てることができること。最後は、社会生活 のために必要な物資を生産、またはサ 1 ビスを提供 者 できること ら の「正命」の観点に立てば、オートメーションによっ 創て労働量を減らすことが得策にはならない右の三 妬つの意義がいずれも無用にな「てしまうし、肝心な 「人間」を不必要なものにしてしまうからだ。 現代の経済学は、もつばら生産だけを問題にし、 人間と自然環境を見失っているというのがシューマ ッハ 1 の気づきだった。この国の政治家も盛んに消 費を促しているが、そもそも何のためにするの かを考えているのだろうか消費をすれば、お金が 回り、景気が良くなるという。そうすれば、やがて 日本のの世界ランクも再び向上するかもしれ しかしそれでは回し車の中で走り続けて の いるネズミでしかないそう思うのは、ネクタイを本 しめたこともない田舎坊主の私だけだろうか
「安奎寸の修行は、一般社会から見れば重労働に思 うかもしれない。しかし、ここでの乍務は自給自足 で生きていくのに最低限のことをしているだけ。 『キツイ、汚い』以前に、働かなければ食べていけ ないのだ。食べなければ働くことも、坐禅もできな いたろう。『好き、嫌い』じゃなくて、この営みそ のものが修行なのだ。作務も修行、食事も修行、坐 神も修行。それらすべてが、″命の輝き〃なのだ」 なるほど、 " 命の輝き。ね。わかったようなわか らないような・ 炎天下に畑で草刈りをしていたときのこと、つい うつかりと「熱いなあ」と漏らしたその瞬間、先輩 の喝が飛んでくる。「作務中は私語を慎め。与えら れた仕事に不平不満を言ったり、サポったりしない こし」ー・」 0 よ、、 わかりましたと黙々と作業をして いると今度は「一生縣大叩に作務をするのは結構だが、 夢中になりすぎて周りが見えなくなってはだめだ」 とくる。これでは一体、どのような態度で仕事に臨 めば " 正解〃なのかがまったくわからない ようやく仕事を終えて、乍業道具を倉庫の中にし まおうとすると、そこにはまた別の先輩が目を光ら まさかその泥のついたスコッ せている。「おい プをそのまま〈庫にしまうつもりじゃないだろうな。 道具は自分の手足より大事に扱え ! 」。洗い場へと 向かうと、「どういうつもりだ。お前のせいでみん ながイライラしているじゃないか今夜の坐禅はな し。一人で畑に残っとれ」。イライラが爆発しそう なのは、この私なのに : し」にか′、このよ - フに理不尺はこし」はかり . 確か 宀女泰寺は特殊な世界かもしれないが、上司がなかな か認めてくれないのは、どの世界でも同じことだろ 奴隷のように働かされているという錯覚をしてい た私は、坐褝もまともにできないほど疲れていた 自分の意志で安泰寺に上山したはずなのに、「自分 の時間がない」と思い始めていたのだ。その疑問を という中国の 解決するための鍵となったのが、趙州 褝僧の言葉だ 「汝は十一一時に使われ、老僧は十一一時を使い得たり ( 私が時間を使っているのか、それとも時間が私を 使っているのか ) 」 一日の時間は一四時間。その一一四時間のうち、ど れくらいの時間が「私の時間」なのだろうか一一四 時間のうち、「私の時間」ではない時間は一分もな いはず。社会で働くのも、家事に従事するのも、そ の仕事に費やしている時間を、「自分の時間ではな い」と思えば、 いくら時間があっても疲れるだけ。 仕事が単に苦痛な時間に変わってしまう。 それで思い出したのが、一一〇一一一年冬にドイツ人 を驚かせたあるニュ 1 スだ。。 トイツが誇る - 目動車メ ーカーのポルシェが、週の労働時間を三五時間から 三四時間に短縮させると発表したのだ。経営が苦し かった一九九〇年代前半にも、ポルシェは大幅なリ ストラを避けるために労働時間を減らし、従業員の 賃金を抑制しようとしたことがあった。 ところが最近は、車「カイエン」のヒットな 九九五年の販 どによって、すこぶる景気がい ( 売台数が二万台を切っていたのに、二〇一三年は一 五万台と絶好調。本社のあるシュトウットガルトだ けでも、一日の生産量は四年間で一四一一台から一一〇 6 〇台にも増えたそうだ。好調の最中なのに、ポルシ 9 工はなぜ労働時間を短縮したのだろうか その問いに対して経営者は、「さらなる生産性の 向上を目指すため、従業員のストレスを減らすのが 目的である」と答えている。生産量が増えた分だけ 給料を上げればいいと普通は考えるものだが、それ では一向に従業員のストレスは減らない。そこでポ ルシェは、給料をそのままに、労働時間を減らすこ とにしたのだ。それによって、仕事に余裕ができ、 モチベ 1 ションが上がることを期待しているようだ。 問題は労働の「クオンティティ ( 量 ) 」ではなく、 その「クオリティ ( 質 ) 」であるというわけだ。 「クオリティ」が「クオンティティ」に反比例する というのは、ポルシェの経営陣のみならず、多くの ドイツ人の考えでもある。サ 1 ビス残業が当たり前 の日本では、考えられない話かもしれない。 褝寺の修行と会社での労働は基本的に違うと思わ れるかもしれないが、「時間の超過より、中身が問 題」という意味では全く同じことであると私は思う。 宀女泰寺の住職つまり寺の〃経営者。となった私は、 修行僧たちに闇雲に遅くまで働いてもらいたいとは 思っていない皆で決めた目標が達成すれば、その 時点で早めに作業を終了してもらっても一向に構わ いくら「作務が " 命の輝き〃」だからといっ て、目標を達成せずだらだらと遅くまで作務を続け ることに何の意味があるというのだろうか。「一日 とい , 2 一一一口葉は、一日じゅう一にしそ 作さざれば : ・・ : 」 うに走り回れば良いという意味ではないはずである。
間は集団を作って生きる動物で全体としての効率を高めるように行動し ある。各人は社会で果たす役割ていることもご存知かもしれない。これ というものを持っており、それは人間の組織によく似ている。だから、 をこなし、働くことで、社会の中に存在アリやハチかどのように働いているかを している。いってみれば、働くというこ見て行くことで、人間が働くとはどうい とは人間存在の根源につながっているのうことかについても考えて行くことが出 だ。 ) そして、多くの人は「社会のために来るだろう。 役立つようなことをしたい」と考えてい アリやハチ達には、全体の状況を把握 る。個人のためよりも社会や全体のためして、組織に指示を出す個体はいない。 になることこそか場窖同なことなのだと考人間の組織はそのように運営されている える人もいる。このような考えも、人間が、それは人間が極めて高い知能を持っ というものを考える際に考慮しなければ生き物だから可能なのだ。アリやハチは ならない根源的な要因である。しかし、ごく単純で小さな脳しか持たない昆虫だ 人間とは何かと考えるとき、人間以外のから、高度な状況把握が必要な判断は不 ものとの対比が必要たろう。その対比な可能た。ではどうしているのか。ひとっ しに、人間というものの型を取ることはの例を出そう。ミッパチやアリが新しい 出来ないのだ。ここでは、人間以外の生巣場所を選ぶとき、たくさんの偵察個体 物で集団を作り、自分の能力を他のメン かいくつかの候補地を探してくる。偵察 ーのために発揮する ( つまり働く ) 生個体は 1 カ所にしか行かないことがほと 物として、アリやハチを取り上げてみる。んどで、帰ってくると、他のワ 1 カ 1 を験的に候補地間に巣場所としての好適さ そして、働くことの本質について考えて自分が行った候補地に連れて行くというの差をつけておくと、彼らは必ず一番い みる。 行動をとる。ミッパチの場合は有名な 8 い候補を選ぶ。 1 匹の偵察個体は 1 カ所 アリやハチは人間に近しい生物であり、の字ダンスで動員が行われる。はじめは にしか行かないので、個体が複数の候補 ほとんどの人が、その社会は女王とワ 1 各候補に動員される個体数にはあまり差の間の相対的価値を見定めて一番いい場 カー ( 働きバチや働きアリ ) から出来てがっかないが、ある程度の時間が経っと所を選んでいるのではない。 個体は目の いることを知っている。もしかしたら、徐々に差が開く。そうして、全体のうち前の候補に対して OK or NO という半 卵を生むのは女王だけで、ワ 1 カーは集のある割合の個体がある候補地に行くよ断をしているだけだが、 全体としては最 団の維持に必要な様々な仕事を分担し、うになると、全員がそこへ移動する。実適な判断が出来るのだ。なぜこんなこと アリは何のために 働くのか 長谷川英祐 text by Hasegawa Eisuke 須山奈津希・イラストレーション illustration by Suyama Natsuki 6 8
4 観測と理論予測のずれを説明するたく、蛇行や寄り道することも多い。にも科学のさらなる厳密化に突き進むならは、値より〇・一 % 程度だけ小さかったので め、より外側に別の惑星が存在するとのかかわらず、十分長い時間スケ 1 ルでみやがてはその大前提たる再現可能性がどはないかと主張する観測グル 1 プも存在 仮説をたて、それが予言する場所に実際れは、科学は基本的にはこのような明確の精度まで保証されているのかを同時にする ( 厳密には、ではなく微細構造定 な方法論にしたがって進歩してきたし、 問う必要が出てくるのは不可避だと思う。数という値を測定したもの。また、この に惑星が存在するか検証する ( 海王星は、 その結果、「いつでもどこでも誰とで結果を受け入れている研究者はほとんど 天王星の軌道予測からのすれをもとにこ今後もそうであろう。 のように発見された ) 。 世の中の科学哲学者の多くは、上記のも」が厳密に成り立っていることが分かいないことも注意しておく ) 。 しかし万が一、定数が定数でない事が ったとすれは、それ自身が極めて驚くべ 5 重力の逆二乗則は極めて広範に適用 ( 私を含む多くの科学者が共有してい できる優れた法則ではあるが、より根源る ) ナイ 1 プな科学観に強く反論するかきもっとも根源的法則 ( 摂理 ) だと思う確定したとすれは、その時間変化をも記 述する、より上の階層の物理法則が提案 的な物理学的意味を追究する過程で、そもしれない。しかしそれは、科学を正しのだ。 二〇一二年にヨ 1 ロッパの粒子加速器されるはすである。そのより高い視点の れをさらに普遍化した一般相対論が提案く理解していない、少数の例外的事例に される。その結果、単純な重力の逆二乗過度に注目している、科学の進歩をとらを用いた実験でヒッグス粒子が発見され、法則から世界を眺め直せは、やはり「再 則だけでは説明できない謎とされていた える時間スケ 1 ルが短い、のいずれかに翌年十月にその理論モテル提唱者二名の現可能性」は復活するのかもしれない。 科学がエンドレスな営みであると同時 過きないと考える。しかし、ここでそのノ 1 ベル物理学賞受賞が発表された。同 水星の近日点移動が見事に説明された。 かくして、一般相対論は重力の逆一一乗則ような論争を吹っかけて、時間を浪費すじ実験を今後どこで行おうが、ヒッグスに、我々は、そしてこの世界は ( 自然 ) よりさらに根源的・普遍的な理論 ( 原るのは今回の意図ではない。上記のよう粒子の発見はもちろん、その質量の値も法則の呪縛から決して逃れる事ができな い運命なのか。そもそも法則は本当に存 な ( 健全な ) 科学観を多くの科学者が安 ( 測定誤差範囲内で ) 完全に一致するは 理 ) として認められるようになる。 在するのか、するならは一体どこにある この一般相対論とて決して最終的な心して共有しているのはなせか、を紹介ずだ。 一方、歴史や人間の行動など、自然科のか。実に不思議であると同時に、科学 したいだけなのだ。 「厳密に正しい理論」とは考えられてい ない。従来直接検証がなされていなかっ 私の答えは「法則の普遍性」に支えら学以外のほとんどの出来事には、明らか者としては不謹慎かもしれないが、いさ さか薄気味悪い念を禁じ得ないのもまた な「再現可能性」は全く見当たらない。 た、一ミリメ 1 トル以下のスケールでのれた「現象の再現可能性」である。平た 正直なところである。 これは本質的に再現不能なのか、あるい 実験や、逆に太陽系をはるかに超えた宇く言えは、いつでもどこでも誰とでも。 は単に自然科学で行うよう「完全に同じ 宙スケ 1 ルでの観測を通じて、さらなる世界のどこでだれがいっ実験しようと、 ろ 検証が継続中であり、より普遍的な理論条件さえ同じなら必す同じ結果が保証さ条件のもとで」という制約を満たし得な の すとうやすし いからだけなのか。私にはわからない れているからである。科学者にとってこ の模索が継続中である。 一九五八年、高知是一希ル ~ まれ。東早人学理学部 ただし、百ー千年スケ 1 ルではなく、 実際には、すべての科学研究が、常にれはあまりにも自明な前提であり、それ 物理堂科卒業、同大学院理宀子系研富士課程修了れ 同研究科物理学専攻教授。著書に「一般相対論入 このような明確なプログラムのもとに進を疑うなど夢にも思わない。しかし、そ百三十八億年におよぶ宇宙進化を取り扱 埋「もうひとつの一般相杖叩人門」「ものの大きさ 行しているわけではない。研究者の誤解、れの厳密な正しさを疑い始めるときりがう天文学では、この「再現可能性」を検自然の階層・ ~ 缶の階層』『解析力学・量子な どの専門書に加ん、第一回「いける本大賞」を受賞印 証しようとする野心的な研究も行われて 実験の間違い、コミュニティー全体の偏ないのもまた確かである。 した「人生一般ニ相杖四や「三日月とクロワッサよ いる。電磁気力の強さを決める基本電荷ン ~ 缶物理 ~ 薯の天文学的人生論「主役はダー界 見や思い込み、哲学的・政治的な研究者 私自身は決して「再現可能性」を疑っ ク宀工奥九極の謎 ( 、 こ迫る』など軽妙なエッセイが好世 o の値が数十億年程度以前には、現在の評を博している。 間の力関係、などのため、直線的ではなているわけではない。にもかかわらす、
登りきるのが最終目標ですから、すぐに れた。リウマチを患う母の治療に当たる たが、そこでも多にな日々が続いた 山岳での医療の在り方を学びたいと強 下山して治療しましよう」と助一言した。医師を見て、子供心に人を治す仕事かし時間をかけて一人ひとりの患者に向き合く思うようになり、国際山岳医の存在を 工べレスト登頂までは、あと四カ月たらたいと感じた。日大医学部卒業後、大学 したいが、その時間にも限りがある。時知る。だが、当時、国内ではそうした資 ず。十分な治療をするには、あまり時間病院に勤務し総合医を志す。一方で、少間に追われる中で、医師としてありたい 格はとれなかった。大城は英国に渡り、 かない今すぐに下山すれば、まだ間にしでも時間が空くと登山に出かけた。目姿でなくなることの矛盾を抱えていた。 講習を受けるとともに山岳地帯でのレス 合う。その助言に、三浦は下山をためらの前に見たことのない風景が広がり、ひ「五年後の自分をイメ 1 ジすることすらキュー技術も身につけ、一一〇一〇年、国 わなかった。 とりの静かな時間を味わえるのが山の醍難しかった」というほど消耗していた大際認定山岳医となった。 「普通に考えれば、あと五〇〇メ 1 トル 城は、岐路に立ってい 「山で救える命を、ひとりでも多く救い で頂上なら誰でもあきらめたくないです レ」 よね。でも、三浦さんは、目標に向って 「がむしやらに働いて この年、大城は、勤務先の心臓血管セ 央 どんな意見にも耳を傾け、それを受け入 キャリア形成するだけンター北海道大野病院で「登山者外来」 中 れることができる。そこか、三浦さんの が、自分の人生だろうを開設した。登山者が、山登りで起こり 氏 亠用 素晴らしさです」。三浦は、この後、治 か」。自分の人生も大うるリスクのある潜在的な病気を事前検 療と一一度の手術を経て不整脈を克服した。 道せ切にしたい、山に登る診で見つけ、予防するための助言や指導 工べレスト登頂から二日後、べ 1 スキ を行っている。山岳医療情報サイトでの 応時間も大切にしこい。 働ハ順 ャンプに戻る前日にアイスフォ 1 ルが崩、 もう一方で、「この状情報発信に加え、事故予防啓発活動も始 成生 ~ 落した。アイスフォ 1 ルは、天候状態に 工高況から誂一げているだけめた。 い形人 よって時にはビルの高さほどの氷が滑り 自治体初の北海道警山岳遭難救助アド むアのか体ではないか」と自分を 落ちるという危険の高い場所た。春の訪 責める気持ちもあった。 バイザー医師としての活動も行っている カ ヤ・目工ず れとともに、山は刻々と変化していた そんな中、山岳医療日本の山岳救助隊は、救援技術が高く長 ム少 チ 1 ム三浦の高所登山のエキスパ 1 トた に関心を持つようにない歴史もある。だが、中高年、若者と登 ちは、それぞれの立場で意見を出し合っ る、ある出まが起き山者のすそ野が広がり、登山のスタイル ク た。亠ハ年ほど前、、イノ も多様化するなか、道警山岳遭難救助隊 「今回の遠征では、私自身が危険を感じ 1 ルでトレッキングをは全国に先駆けて医療面からの指導や助 る場面はまったくありませんでした。チ していた大城は、途中、言を大城に求めた。登山者の救ム十を上 ーム三浦が、いかにリスクマネジメント醐味だった。 具合の悪くなった登山者に遭遇した。高げるための取り組みが始まった。さらに、 できるプロフェッショナル集団たったか 一九九八年、長期休暇をとってキリマ山病の症状でふらふらした登山者に、大登山者向けのファーストエイド ( 初期救 を実感しました」 ンジャロに登頂。大城はこの頃から海外城は水を飲ませ、意識して深く呼吸をす助 ) 講習会、夏場の山岳診療所と、大城 そこに集まるだれもが、「必ず生きての山々にも頻繁に出かけるようになり、 るよう促し、自分の水も手渡した。あとの仕事の場は多岐にわたる。 帰ってくる」という三浦の強い決意を支これまでとは違う環境に身を置きたくなで無事に下山したことを知ったが、あの「登山の安全のために、やりたいことは の えていた っていた四年後、スキ 1 や登山にたび対応が最養たったかどうカ 、。ほかにも何山ほどある」。そう語る大城の真っ直ぐ本 かあったのではないか。 大城和恵は、一九六七年長野県に生またび訪れた北海道への移住を決めた。 な視線に迷いはない。
混沌としていたくわえて時の政府は支持率の最低 記録を更新する菅直人内閣である。メディア論の常 識からすれば、パ一一ックが起って当然とも言える状 況かもしれない。実際、枝野幸男官房長官 ( 当時 ) は震災翌日のテレビ会見で、国民に対しデマに惑わ されぬよう、それを流す側に回らぬように、と訴え た。このときも日本の政治家の壓表にあったパニッ クの原型は火星人襲来だったのではあるまいか たとえば、一一〇〇六年一〇月一六日の衆議院「国 際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並び にイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」 における、民主党・伴野豊委員の発言である。この五 日前に発生したマスコミの「」朝鮮核実験」誤報事 件に関連して、火星人襲来パニックに一一一一口及している。 過度の恐れや右往左往、集団ヒステリックや集ハ ニックになることなく御対応いただきたいと思うわけ でございます。これは、私の記憶だとアメリカのラジ オ番組だったですか、同じような例にはならないんで すけれども、火星人襲来ということでアメリカじゅう かというようなこともありました。要するに、集団ヒス テリック、バニックというのも非常に恐いわけでござ いまして、暴発ということにもなるわけでごさいます 当時の塩崎恭久内閣官房長官は、政府として国際 情勢の把握につとめ、マスコミに冷静な対応を要請 すると回答している。「火星人襲来パニック」は国 会でもまじめに議論すべき教訓として扱われている。 しかし、東日本大震災では極度の歪女感情を抱い た人々も冷静に対応し、極端な混乱は発生しなかっ た。冒頭の学生たちの認識、 通りだ。ここでは敢えて、 なせパニックが起こらなかったのかではなく、問題 を逆に立ててみたい。そもそも、なぜ大災害でパニッ クが起こると考えるのか、と。その上で、はたして火 星人襲来パニックはモデルとして妥当なのか、と。 藤竹暁『パ一一ックーー・流一言蜚語と社会歪女』 ( 日経 新書、一九七四年 ) は「マス・パニックーーー火星から の侵入事件」を次のように書き起こしている。 一九三八年十月三十日、東部標準時間午後八時から 九時までの一時間、アメリカの OØ(D ラジオはオーソ ン・ウエルズの「マーキュリー放送劇場」で、・ ・ウエルズ原作の『宇宙戦争を放送した。この一 時間のラジオド一フマは、アメリカ放送史上あまりにも 大きなパニックを作りあげたことで有名である。この 番組をきいた人は全米で六〇〇万人にのぼり、少なく とも一〇〇万人はこの番組によって驚き、バニック状 態を呈したといわれる。 ( 中略 ) ドラマをきいた人た ちのうち約一〇〇万人は、このド一フマの途中で神に祈 り、泣きさわぎ、また火星人の攻撃からのがれようと 必死にかけまわった。 ( 傍点は筆者 ) 六〇〇万人も一〇〇万人もキャントリル報告の数 字である。だが、本当に一〇〇万人がパニック状態 で「必死にかけまわ「た」のだろうか今日の害 社会学研究 (æ・・クアランテリなど ) では現 実のパニックでは人々は逃避するよりその場にとど まることが多く、災害や戦時にパニックが発生する のは例外的だとされている。「災害パニック神話」 の古層にあるのが、火星人襲来パニックなのだ。 弾丸効果神話 この火星人襲来パ一一ックを掘り進むと、メディア 論の「弾丸効果」パラダイムに行き当たる。弾丸効 果論はマス・コミュニケーション研究が始まった一 九二〇年代から四〇年代にかけて、つまりファシズ ムと戦争の時代に支配的だったメディア学説の総称 である。それはマスメディアが受け手大衆に直接作 用して、画一的で強力な反応を即座に引き起こすこ とができるとする仮説だ。総力戦期のプロバガンダ 研究を支えるパラダイムとなった。しかし実証研究 がすすむと、メディアは受け手の先有傾向を補強す ることはできても、人的コミュニケーションを経す 即時に直接的な態度変更を引き起こすことは難しい と考えられるようになった。いわゆる「限定効果 論」である。その後、一九七〇年代以降には長期的 影響を視野に入れた「新しい強力効果論」が台頭す るが、今日では古典的な「弾丸効果論」を主張する 研究者はいない。 しかし、専門家と世間一般の認識ギャップは大き いまだにメディアの「魔術的」効果を語る議論 は跡を絶たない。昨今の事例でいえば、一一〇一三年 夏の参院選挙におけるネット選挙運動解禁に関する 報道である。新聞やテレビはネット選挙運動解禁で せいぜ 大きな変化が起こるかのごとく報道したが、 いが山本太郎 ( この連載の終了時には忘れられてい るような気もする ) ひとりを当選させた程度である 大きな変化を予想した研究者は最初から存在しなか ったし、もしいたとすれば、それは研究者ではない。 そもそも、公示前に投票先を決めている有権者が半 数近い現状において、約一一週間ほどのウエプ運動で 投票結果が激変する可能性は少ないまた、新聞や 放送などブッシュ ( 押し出し ) 型メディアとちがっ
カリフォルニアのロサンゼルス い息子を気にかける、というのが具体的にとっては普通のことがなんだか新鮮でうものにはっきりとした輪郭を与えるの 」 0 から六五〇キロほど離れたサンにどういうことなのか、想像するしかな面白く思えた。 一一ユ 1 ョ 1 クと東京に生まれ育った私 フランシスコまで車で北上するいのだが。 カリフォルニア州はほんとうに大きい。 ふたりが三人になるまえの旅行であると妻が長年の転勤移動の末に流れ着き、 のに、いくつかの選択肢がある。内陸の ハイウェイを使えは、景色はやや単調でと同時に、何年も別々の州、別々の町でひょんなことから根を下ろすことになっ面積は約四二万四〇〇〇平方キロメ 1 ト た、この広いカリフォルニア州は、まもルで、日本がすっぽり収まってしまうほ あるが、五時間半くらいで目的地に着く。仕事をし、通い婚をつづけてきた自分た もちろん、時間短縮が目的であれば飛行ちが、やっとひとっ屋根の下に暮らせるなく産まれようとしている息子には、故ど広い。北部と南部とでは気候も風土も 機を選択すれはいい。国道一〇一号線だようになったのを祝いたい気持ちもあっ郷となる場所である。この土地がどんなせんぜん違う。人々のライフスタイルも と一時間ほど長い旅になるが、最初の一一一た。ひとりがもうひとりに会いに行くたところか、しつかり見てみたいという気その景色と同じくらい違う。そして、北 部にしても南部にしても、私たちにはま 分の一は清々しい海沿いをドライプできめに旅をするのではなく、ふたりとも同持ちもどこかにあったのだ。 旅はこうして、過去、現在、未来を一だまだ馴染みが薄い。 る。さらに、太平洋を望むくねくねとしじ家から出発し、一緒に荷物を車に積み、 窓を開けて州道一号線を走ると、遥か た崖道の州道一号線を選択すれは、八時車を走らせる。旅のあとにも、一緒に帰点に収縮させ、記憶につなきとめる。非 下から波音が響く。東海岸の海辺ほど濃 れる家があるという、そんな多くの夫婦日常を通して、今という時間、日常とい 間以上の長旅を覚悟することになるが、 厚ではないが、かすかな海水や海藻の匂 移動時間と景色のすばらしさが反比例の 6 いが風に乗って車の中に滑り込んでくる。 関係にあるかのような、絶景のなかを走 クれてで得授か美る ッま経院取教ほ弘け リ生を学号准〃上が 道路がつづら折りに左に、右に曲折し、 り抜けることになる。 っこ メ州学駄社〕 急に坂を上ったり、下ったりするので、 つい先日、私と妻は景色のいいル 1 ト 一ン大の学角訳 ル「トア学大〉一英ハンドルを握 0 ている私は脇見もできず を選ひ、途中温泉宿に一泊して疲れをと ケ一スビ文ア源の イ、ンン本ニ加橋な に道に神経を集中させるしかない。やや りながら、サンフランシスコまでゆるり リロ日ル高オ 。フコオ / たどたどしく、慣れない旅をしているこ とロ 1 ドトリップを楽しんで来た。 も がイ英し 4 理よとを手元から感じる。 浦 景勝ル 1 トだけあって、数台の車が停 一月中旬に子どもが産まれる予定なの 書 著 まれるくらいの幅の路肩がときおり準備 で、忙しくなる前に、夫婦ふたりで気ま されていた。私と妻は、頻繁に下車し、 まに美しい風景と美味しい食事を楽しむ 足を伸はし、さまさまな濃淡の青が混じ 最後の旅をしよう、という趣旨であった。 る海や、その海を突き破る巨大な岩石、 これからは、両親に子どもを預かっても さらにその上にそひえ立っ崖を、ただ茫 らい、夫婦だけで小旅行にでかける機会 然と眺める。砂浜から眺める海と、風が はあるのかもしれないが、そうなれは、 吹きすさぶ高台から見下ろすそれとでは、 どこかで後ろ髪をひかれながら出かける だいぶ景色が違うことに気がついた。近 ことになるのだろう。まだ産まれていな 南 べヒ・ムーン マイケル・エメリック 財 / c ん“ / わ〃〃肥ん 杉田比呂美・イラストレ→ョン illustration by Sugita Hiromi 1975 年、 0 0 0 、 0 118
需要と供給を通して市場価格に集約して反映される か、らた。 それほどに自由市場で成立する価格は、合理的な 経打動にとって必要不可欠な情報を提供している という認識のべ 1 スが築かれていた。言い換えれば、 功利主義的な視点から、「自由」が社会的な厚生の 極大化を実現するという考えが、理論的な体系とし て確立していたのである。 もちろんこのことは、「市場価格はつねに公正で ある」ことを必ずしも保証するものではない。 が真に「自由で公正」であれば、自由市場で成立す る価格は公正であると言いうるが、市場での取引が つねに「自由で公正」な環境で行われるとは限らな 現実のすべての取引 ( 例えば賃金交渉 ) が対等の 立場で「自発的に」なされているわけではないこと を示す例は沢山ある。生の魚を売る商人の交渉力が 時間とともに弱まるように、立場の違いによって、 あるいは外的条件の変化によって交渉力に差が生ま れるのが現実なのだ。この点は四世紀後半から自由 主義経済をめぐる公正の問題として激しく議論され たテ 1 マであった。自由経済における「公正さ」に 最も激しい疑義を呈したのが、一群の社会主義思想 皮らよ・目由と社 家であったことは一一一一口うまでもない彳 ( 会的正義という一一つの価値が多くの場合両立しえな いと主張したのである。 6 真理への扉を開いておく 国家による干渉と強制が望ましくないと考えられ る、もう一つの理由がある。それは、国家という単 、 0 こよって、人々が行動を選択 一理性が統合した知識 ( するのではなく、多くの人々が関わる「思想やアイ ディアの市場」をとおしたほうが、予測しがたい未 来に対して「真理」により近づきやすいという点に ある。この考えは古代キリシア人が発見した、真理 への、迂遠ではあるがもっとも確実な接近方法であ った。古代キリシア人はポリスを市場としてとらえ、 市場を「発見のための装置」と考えた。 ポリスが、真理だけではなく、美や善に関しても、 発見と洗練のための「装置」として働いたと哲学者 田島正樹氏 ( 千葉大 ) は指摘する ( 『古代ギリシアの精 神』 ) 。ポリスの社交生活は、洗練されたもの、良き ものを選別する力を持っていた例えば、ファッシ ョンは厳しい審美眼によって選別され、淘汰される。 見苦しい行動は誰にも真似をされなくなる。そして 悪徳も少なくとも表面には現れない。隠れて生きる ホリスという装 ことを望まない古代キリシア人は、。、 置によって、自然に徳の習慣へと導かれたのだと。 さまざまな思考実験や生活の多様性は、前人未踏 の、あるいは人それぞれの個性にあった「新しい方 法」をもたらす重要な契機になる。「自由な実験」 という行為を許さないで、単一理性の提供する知識 を強制すると、さまざまな可能性を現実のものとす るための扉を閉ぎ」してしまうことになるのだ。 一般に一元論者 (monist) が、社会の問題にも 「科学的に決定的な」回答を原理的に見出し得ると みなすのとは対照的に、この考えは人間行動におけ る非合理的で無意識的な要素の存在を強調するとい う点で、多元論 (pluralism) と名付けられよう。さ らに、自分はこう考える」とい - フことを過度に強 調すると、他の可能性を排除してしまうだけでなく、 過去の知恵への敬意を弱め、他人の考え方を軽視す ることになる。一人の人間の知恵など、社会全体に 蓄積された過去と現在の知恵の総量に比べれば、お 粗末なものなのだ。だからこそ、同時代の他者の考 えを抑圧せずに、ゆっくり耳を傾けなければならな さらに死者 ( 過去 ) の一一一口葉を振りかえらなけれ はならない理由もここにある。古きをたずわること が大切であり、「自分はこう考える」と軽々に、そ して頑固に主張したり、己の「独創性ーを強調する ことほど愚かな幻想はないのだ また、人間というものの存在目的が作為的に狭小 化され、大多数の人間がその単純な目的のために働 「勤勉な羊」からなる社会より、人間が趣味と意 見を異にし、議論し、攻撃し、拒否しうると同時に、 それでもなお「共存する」という知恵を失わない社 会の方を「よし」とする考えがここにはある。こう した姿勢のよって立っところは、人間の知識という ものは原則として不完全であること、たえず誤る可 能性があり、普遍的に通用するような唯一の真理を 現在手にしている人も国民も存在しないということ だ。それゆえにこそ、われわれの信念というものは 、こ虫くとも、新しい実験や議論によって常に修 正を受ける性質のものであることを肝に銘じなけれ ばならない知識の扉を閉ざすことは、長く「誤断 っ 謬」に留まることに等しいのである る 現実の世界は、一瞬一瞬に各自があれこれ選択で 、さることか、らはり - たっている。しかし、できることを ( 可能性 ) が全く制約されていないとすると、具体的自 5 な選択の可能性はなきにひとしくなり、「完全な非
働く人々。⑩ text by KangaeruhitO photographs by Kawamura ao 本で最も美しい景色のひとつ、 北海道の広大な畑を前にして 「美瑛の丘のおもちゃ屋さん」 は立つ。この店は午後三時までしか開い ていない。そのあとは、地域の子供たち に開放された遊び場となる。一一〇一〇年 に埼玉県から移住した竹川陽一さんがこ こで目指すのは、稼ぐことではなく、大 自然の中で家族の時間を育むことだから。 実行までの四年間は苦渋に満ちていた 「北海道に移住した人たちの話を読むと、 みんな " つるん〃と移住して幸せそうに 日 いまこの瞬間の 家族の時間を大切に 輸入玩具販売・歳 竹川陽ー interview with Takekawa Youichi 撮影・川村勲 を・を第や 自宅の目の前は「これぞ北海道」という雄大な美瑛の小麦畑。 見える。それなのに、自分たちはどうし てこんなに苦しいんだろうって何度も思 いました」。竹川さんは振り返る つか↓ノ↓ま、、 ( まのおもちゃ屋の建物 を手作りした父の死だった。横浜でシン クタンクを経営していた父は、母が旅先 で心筋梗塞のために急死したことで失意 のどん底に落ちた。しばらくして唐突に 北海道への移住を決意。ところが家の建 設資金を持ち逃けされてしまった。それ でも自ら材木を調達。美瑛町の人々の助 けを借りながら一一年がかりで現在ある建 物を手作りし、美術館を開いたたが ガがたたったのか八年前、肺を病んで 亡くなってしまった。 母を五十七歳、父を六十一一一歳でなくし た竹川さんは、このとき強く自問した。 自分が本当にやりたいことは何なのか 父が手作りした家は立派なものだが、いかんせん素人の作。 あちこちをイ善しながら暮らす。
めたが、「人生の時間を売るくらいなら、断食でも して生活費を削ろう」とすぐやめてしまった。大学 を出てから一度も就職しようとせず出家の道を選ん だのも、ただの「なまけもの」だったからかもしれ ない。仏教の僧侶は一切の生産活動に関わらず、托 鉢によって生活の糧を得ていると聞いていた私は 「夢のような生活ではないか」と産れていた。「そう と、その道に飛び込んだのも ご、禅僧になろう ! 当然のことである いざ日本で仏門に入ると、そんな甘い話ではない ことにすぐ気づかされた。なせなら私が出家した安 奎寸は、運悪く檀家ゼロ、自給自足の山寺だったか らだ。生活のための重労働に追われる日々で、「こ んなはずではなかった : ・ : 」と後悔するばかり その安泰寺も一九七六年までは京都にあった。修 行僧たちは、坐禅に励みながら街に出かけて、托鉢 で寺を支えていたようだ。 一九六〇年代後半から托 鉢による〃収入〃も急激に増えたという。毎朝の乞 食行もいつの間にか週に一回、月に一回のペ 1 スに こんなうまいⅱはないと田 5 うの 落ちていたらしい だが、当時の修行僧たちの考えは、私と一八〇度違 っていたようだ。 「かっての百丈褝師は言っていたではないか、『一 日作さざれば、一日食らわず』と。甘い生活を脱出 して、大自然の中で自給自足をしようではないか。 、、ナにもなるはす」 それは日本の現代社会へのしカ ( 百丈とは唐代の褝僧のこと。インドとは違い、中 国の仏教僧は朝廷の支援で生活していたと聞く。と ころが、唐代の中頃から仏教界の堕蓬が問題視され、 一時期は僧侶への寄付も禁じられた。多くの叢林 ( 僧侶の共同体 ) はそのときから廃滅に向かってい たよ - フた。 その大ピンチをチャンスに変えたのが百丈たった。 戒律を抜本的に改革、作務すなわち肉体労働こそ仏 弟子にふさわしい修行だとした。この一八〇度の方 針変更が、仏教の後世への発展に緊がったと言われ ている。 百丈の精神を伝える有名な公案がある ある日、年老いた百丈が農作で使う鍬やスコップ をいくら探しても見つけることができなかった。師 匠の身体を心配した弟子たちが隠していたのだ。す ると百丈は断食に入ってしまった。不思議に田 5 った 弟子の問いに対して、有名な禅語が返ってきた。 一日不作、一日ーー この言葉は、「働かざる者は食うべからず」とい う意味ではないのだ。正しくは、「食物は天地から したたいた命の源。だから食べることは大事な修行 である。同様に、作務のエネルギ 1 も天地からいた ごいたものであり、それは食べるための手段ではな 食物と同じように天地からの贈り物なのであ る」という意味である りの上であぐらをかいて、人々の施しを受ける だけが托鉢ではない。鍬やスコップを持って田畑に 向かう姿こそ、本当の仏道修行なのである。 「天地も施し、空気も施し、水も施し、植物も施し、 動物も施し、人も施す。施し合い。われわれはこの 布施し合う中にのみ、生きておる」 ( 沢木興道『禅に聞 宀女泰寺を再興した褝僧の言葉である。托鉢とは一 方が一方に施すというような関係ではなく、作務が 天地からの贈り物であれば、それは「自然へのお布 施」ともなる。 田畑を耕すということは、自分の命を耕すこと 残念ながら現代は、僧侶が自ら農作業に携わ るという伝統は途切れてしまったようだ。宀女泰寺以 外で自給自足の生活をおくっている修行寺を寡聞に して私は知らない。 禅寺の「時間」、ポルシェの「時間」 ところが、入門したばかりの私はこの一一一一口葉の真意 を理解できないでいた。禅寺の本来の目的は坐褝を することで、農作業や掃除といった乍務は、あくま で坐褝を支えるためのもの。つまり手段に過ぎない。 そう私は思っていたなせ作務を坐禅と同じ、いや それ以上に大事にするのか、理解に苦しんだ。とに かく宀女奎守では時間がなかった。誰一人として効率 的な「働き方」なんて考えていないのだからそれも 当然である 秋晴れが続き、稲刈りの時期を迎えても、「もう 少し実るから、あと一一、三日待とう」という担当の 雲水 ( 修行僧 ) の根拠のない判断に従うと、その日 は朝から雨。どろどろの田んばの中で長靴を取られ ながら、雨中一一一日間かけて夜遅くまで収穫作業を 終えた頃に天気は再び好転・ : ・ : 。誰しもが思うだろ う、「なぜ最初から天気予報を確認しないのか臨 機応変に対応できないのか」と。しかしそれを告げた たところで、「俺たちは修行しているんだ。天気予 の 報なんて見ていられない ! 」と突っぱねられるのが本 5 関の山である 9