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検索対象: 考える人 2014年春号
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1. 考える人 2014年春号

しみて、この世のほかの事まで思ひ流され、面白さもあはれさも、残らぬ 浸け置くこと丸一日液はこのまま飲みたいようなロセワインの色である 折なれすさまじきためしに言ひ置きけむ人の、心浅さよ ( 朝顔 ) 梅や桜はその色を見ていると、食べることも、飲むこともできたのにと感 「すさまじきためし」とは、一般的には、場違いなもの、興ざめなことこ 慨深い。うちに来た梅や桜は、色になって人を包む着物になる運命なのだろ う。愛でてよし、食べておいしく、飲んで元気に、そして衣装を纏った姿は こでは冬の月、凍てつく池、雪景色に象徴される、色なき色の精神の美しさ を讃え、それを「すさまじきためし」として、理解しない人をたしなめてい 歌になる植物はすべてにおいて命の源である る紫式部は、「すさまじきためし」とされた荒涼とした無彩色を美の極致 余談であるが、染めあがった薄紅色の糸を眺めていると、つい食べたくな としてとらえ、単に雅で色彩豊かな世界よりも、死をも見据えた深い境地に ってくる食べたいというより、体に入れたくなると一言ったほうが正直であ るそれは私の内臓や皮膚が色に共感し、生命体としての深い体験を求めて至るものとみている いるからではないだろうか 薄紅という色は人の肌の色に似ている肌色 は内側からの命が輝く色ともいえるので桜や梅、 桃の色が肌色であるのは偶然とは思えない さに敷島の山桜の色は肌色といえる 色オき色 現在の京都は自然が多いと一一一口われているが 殆どが人工的に作られた景色である植林、 治水、公園、石垣等々過去からの知恵の集積 である佇まいは、長い年月を経て、自然と 体化して見える私の住む嵯峨の地はまさに そのよ - フな場所と一一一口える 一「三年前の四月に雪が降って驚いたこと があった。四月の初めは桜の開花時期に当た 終わりに、襲色目の中で最も重要な無彩色に 、近くの小学校の入学式は校門脇の桜が新 ついてお話ししたい。 一年生を出迎えると相場が決まっていたそ 源氏物語が書かれた平安時代は、様々な色彩 んなある日、朝目覚めると玄関先の桜に雪が に彩られた宮廷文化の時代である源氏物語は 色彩の文学とも一一 = ロわれ、紫式部の色に対する感性は今の時代に重要なメッセ積もり、比叡山は真っ白に煙ぶって見えた。「これは一大事、またとない景 ージを送ってくれているその透徹した眼差しは、桜や柳、紅葉などの輝か色が見られるに違いない ! 」、飛び起きて近くの広沢池に行くと、まさに山 しく雅な色ばかりではなく、真冬の月、凍れる湖、雪景色などを、死と袞退、水画の世界、この世ならぬ風景が展開されていた 雪と氷で静まり返った池を囲んで桜並木が雪の重みでゆらゆらしている 断念と哀惜などの人の運命と同次元でとらえているさらに宗教的意味合い の深い、ほとんど無彩色といえる、鈍色、白、白銀、銀鼠、そして黒の美し雪に覆われた花びらは朝日に匂うばかりの姿である遠景の愛宕山はキラキ ラ光る雪の粉を放射して輝き、山頂には有明の月が頼りない弧を描いて残っ さまでをも理解し絶賛している ていたまさに、雪・月・花の世界が出現していたのである偶然垣間見た、 時々につけて、人の、心をうっすめる、花もみぢの盛りよりも、冬の とんでもない自然現象色なき色は美の極みと確信した朝だった 夜の澄める月に、雪の光あひたる空こそ、あやしう、色なきもの、、身に 4 150

2. 考える人 2014年春号

ることは、やはり購読者である女子大生の間で、頭 痛が深刻な問題であったことを示している。 料理のレシピもふんだんに掲載されている。西洋 料理は「鶏のスープ」「べイクドカリフラワ」「ヒレ 肉のポイル」に始まり、苺の栽培法、それを用いた 「ショ 1 トケ 1 ク」「ゼリ 1 」「ポンチ」の調理法が あかなす ズラリと並んでいる。「蕃茄」なる野菜が図解で説 明され、調理法が記されているのは、トマトのこと たろう。だがさらに驚くべきは、寄宿舎で毎週出さ れる献立が、逐一紹介されていることだ。たとえば 夏季における合宿では、朝は「パン、ジャミ ( ハタ ンキャウ ) 、白玉 ( 砂糖蜜カケ ) 、ポールドボテト 1 、 麦湯」、昼が「皿 ( ナマリプシ、胡瓜三杯酢 ) 、椀 ( 豆腐、ウスクヅ、ワサビ ) 、桜飯、香ノ物」、夜は 「パン、蜜 ( レモン入 ) 、南瓜ス 1 プ、オムレット ( 海老 ) 、キャベ 1 ヂマキ、サラド ( ワカメ、ハス、 白玉 ) 、果物桃」といったぐあいに、毎日が和洋 を取り交せて調理されている。家政学部の学生はも とより、多くの学生がこうした献立を通して、「模 範的家庭生活」を体験できるように計画されている。 もちろんテ 1 。フルマナーの記事は、機会があるたび に登場している。 心理学の教授による「オ 1 ルドミスの弊害」なる ェッセイが掲載されているのは、やはり当時でいう 高学歴が災いとなって、卒業後に結婚相手に廻り会 うのが困難であったり、結婚を当初から諦めてしま う読者が存在していたことを物語っている。 夏休みが近づいて来ると、編集部は「休暇心得」 を一面に掲げなければならなかった。これなどは 1 00 年以上が経過した現在に読み直してみると、き を選ぶと聞く。これ避暑地の体質に適さゞる為め、 却て身体をやぶる事なしとせざればなり。」 「お嫁入りかと思はる、様の服装して、きのふけふ すていしょん 停車場辺りに輻輳するは、これ避暑客なりといふ。 勿論西洋人の様に旅行服などいひて一定のものなき ことなれば、身分によりて差異あるはまぬかれざる べけれど、今少し質素に活漫の服装してありたきも わめて面白い何も変わっていないのではないかと ( う気がするからである。 「大磯、逗子、軽井沢よと人も行けばわれも行かん とて、何の目的もなく、何の主義もなく避暑地を定 むるは大なる誤りなり。人々の体質によりて或は山 に適するものもあらん、海に適するものもあらん。 欧米人は医師の診断をうけて、山に海にその避暑地 かへつ 1900 年代の日本女子大における、化学の実習風景。 衂←→〃 のなり。」 「旅は道づれとて兎角旅行には友の欲しきものなり さればとて汽車中などにて見も知らぬものに言葉を かくる無礼はもとよりさけざるべからず。またかな たより言葉をかけられて迷惑することあるべし。人 を見ては盗人と思へとはなる言葉なれど、決し て旅中は気を許すべからず。されば言葉をかけられ て臨機応変に応ずる必要はあるべけれど臨機応変と 思ひて、計らざる失敗を招くことあるべければ、ま づかゝる時若き人などは応せぬがよかるべし。」 倉された直後の『家庭週報』はこのように、 1 900 年代前半の日本女子大の学生たちに必要な情 報を提供するばかりか、彼女たちの生活をも間接的 に描いている。矢野柳子は、 3 年の時間をこうした 世界に生きた。その 3 年を、彼女は生涯にわたって、 もっとも幸福な時代として追想することだろう。 児童心理学に目醒める 女子大での生活が一段落すると、平塚明は講義に 飽き足らないものを感じるようになった。折しも時 は日露戦争のただなかで、高揚するナショナリズム に一向に馴染めなかった彼女は、人生の意義をみず から見極めようと悪戦苦闘していた。入学当時は心 酔していた成瀬仁蔵の実践倫理には、いっしか幻滅 してしまった。そこで授業を放り出しては本郷教会方 に通ったり、参に勤しんでもみた。父親の庇護かの ら経済的に独立しようと思い立ち、速記術の取得を 決意したこともあった。どれも長続きがしオかった。母 2 柳子にこうした目立った内的煩悶があっ」かは、

3. 考える人 2014年春号

のかいかに戦争にとっては勝敗の決定的な要因であ るかを強調するのである。「運」は、言い換えると 人間の知りえない「神意」ということになる。人間 の傲慢が許容しがたいほどになると、神の怒りは大 *IJ いし」 この『ベルシア人』の中で、ベルシア軍の敗走を 伝える使者がアトッサへ、アテナイ海軍の船団から 次のような喚声が聞こえたと告げる。 「おおヘラスの子らよ、すすめー 祖国に自由をー 子や妻に自由をー 古い神々の御社や父らの墓地に自由をー すべてはこの一戦できまるのだ。」 ( 久保正彰訳 ) 「ヘラスの子」であるギリシア人にとっては、ベル シアとの戦いは、「自由」を護るための戦いを意味 したのだ当時歳を少し過ぎたペリクレスがこの 『ベルシア人』の上演世話人として奔走したといわ れるが、自由と平等の過激な政治家がこの悲劇の上 演に熱、いだったのはもっともなことだ。 イオニア反乱からベルシア戦争へ ベルシア戦争についてはヘロドトス ( BC485 頃 ー BC430 頃 ) が『歴で雄弁に語っている。へ ロドトスの戦闘の記述自体には誇大な表現があり、 「事実」を云々するための歴史資料としての信頼度 は低いともいわれる。しばしば挙げられる例として、 ヘロドトスはベルシア軍の兵力について戦闘員 26 4 万人と伝えているが ( 『歴史』 7 ー 185 、松平千秋 訳 ) 、これはどう考えても信じ難い数字だ。ッキュ ジデス ( BC460 頃ー BC400 頃 ) が批判するよう ヘロドトスは「真実探究というよりも聴衆の興 味本位の作文に甘んじ」 ( 『戦 1 ー幻、久保正彰訳 ) 確かに衄ら た「伝承作者」であったかもしれない。 れた事柄が「事実」であるか否かを、いわゆる実証 史家は問題にしたがるかもしれない。しかし歴史叙 者 学 哲 派 学 ス レ る す レ」 且 を一 ス レ タ で 中 の 文 の 、、、山宀 述において大事なことは、それを「事実」だとして 語った叙述者の見方、すなわち思想こそが重要なの と筆者は考える そのような視点から、『戦冒頭でツキュジデ スが自作について、暗にヘロドトスを批判しながら 「私の記録からは伝説的な要素が除かれているため 2 これを読んで面白いと思う人はすくないかもし れない。 ( 中略 ) この記述は、今日の読者に媚びて賞 を得るためではなく、世々の遺産たるべく綴られ ー ) と述べているところを読むと、 た。」 ( 『戦 1 彼のヘロドトスへの強いライヴァル意識を感じざる を得ない。ッキュジデスの『戦史』にも、その場に いなかったのに「まるで見てきたように」、そして いくつかの合戦や演説を記述し 「実況放送の如く たと考えざるを得ない箇所が少なからずあるからだ。 こうした歴史記述に対する評価は、現代日本のい わゆる「歴史小説」の好みを友人と話すときの論点 を想起させる。例えば友人は「司馬遼太郎」派、私 はどちらかと言えば「吉村昭」派。司馬遼太郎を礼 賛する友人は「司馬遼は面白い」といい、士籵昭の 作品が好きな私は「吉村昭は実によく調べている」 と感心する。要するに優劣をつけるような比較では ないのだ 何はともあれ、ベルシア戦争は東西対立の大戦争、 「自由と専制」の天下分け目を決する一大危機であ ったことは確かであろう。この点に関するヘロドト スの叙述に耳を傾けよう。 ベルシア帝国は小アジアのギリシア人全体に対し て過酷な弾圧を加えたわけではなかったが、そのな かで小アジア西岸の中央部イオニアのポリス ( キオ ス、サモス、ミレトス、エフェソスなど ) のキリシア人は、 自由なギリシア的生式を墨守していた人々であ り、ギリシアの「先進地域」としての誇りも持って いたしたがってベルシア王ダレイオス 1 世 ( クセ ルクセスの父 ) の支配に対して属州民として強い不満 を持っていたことは推測がつく。特に前 6 世紀のミ

4. 考える人 2014年春号

おきょ うがよを ーしまると、 おさむがまっ かなかおで、 したをむいて、 しる。 わらうのを カまんしてるの , ・ みんなにう 0 りそう。 1 月刊行の絵本「かないくん」 ( 絵・松本大洋、 ほば日ブックス ) から、お気に入りのページです。 もの本作りにエ月てはどのように瞿してきましたか。 で」に化マ本 郷ラ訳文ル絵 う 1 ん、子育ては全部、妻任せでしたからねえ 孤知翻訳一にを の間只翻 ~ 著あ 年世賞本詩近が僕は父・徹三さんと自分の関係を「君子の交わりは 光「夫田 始ス淡きこと水のごとし」なんて言っていたんだけど、 億賞ご月用 う十学月 ろ二文信貶自分が親になってみたら、僕と子どもとの関係もそ た売」ス 3 配要 んな感じです。あんまりべタベタしなかった。子ど ん集読一田を ゅ詩 ( シグ 2 し年図ラ一数ル著もはといえば、たとえば、息子の賢作は僕の詩にず め地「ザ多 いぶん曲をつけているから、「小さい時からお父さ 力。のソマど、 これム「なデと 、ロロ ナ生田ズル大んの詩を読んでいたんですか」なんて聞かれてます 京一 東償ォメ舩けどそんなことはない ( 笑 ) 。作曲を始めた頃に手 著ⅵ ~ ポ近に僕の詩があ「たから、これは便利たと使い始め 宀な 、ユ原一 たんです。 人ビ萩ビ 詩デ ( 「賞ガ「 そうでしたか。では、これまで手掛けた子ともの 本のなかで一番お気に入りの作品を教えてください 一冊を選ぶのは難しいけれど、『わたし』 ( 絵・長 新太 ) は、自分ではうまくできたと思う。ただ からは攻撃されたんですよ。「アイデンティティは もっと自発的 他人との関係で決まるものではない。 な私という存在がある」というようなことを、佐野 さんにも伊藤比呂美さんにも言われましたね。 『わたし』はとてもいいと思いました。つみあげ うたみたいに他人との関係性で語られていく〃わた し % つまり、孤立してませんね。 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の影響を 受けて書いた絵本なんです。人間はみんな網みたい につながっている ( 「人間分子の関係、網目の法 則」 ) という考え方が、子どものころからとても印 象に残っていて『わたし』かできました。そういう 見方が当然、人間社会にはある。それとは別にひと りの自分というものを、自発的に出していく両方

5. 考える人 2014年春号

のイギリス宰相ウインストン・チャーチルが「アフ リカの真珠」と喩えたように、機内からは緑豊かで 風光明媚な景観が眼下に広がる。首都カンパラは赤 道直下に位置するが、高地のため東只と気温はさほ ど変わらない。治安も悪くないが、マラリア感染地 域であるため汕断は禁物だ 貧富の差は歴然としており、生活必需品こそ安い が、それ以外は日本の物価と同水準といってよい 高級モール といっても日本の地方都市のス 1 パ マ 1 ケットのよう も幾つかオ 1 プンしている。 プリペイド式の携帯電話の普及率は約一一百パーセン トで、かなり貧しい人でも所有していることに驚く ついでに言えば、日本から流れてきた中古車もやた ら目につく。右ハンドルで燃費が良いとのことだが、 私の自宅近所のスク 1 ルバスとウガンダで遭遇 ( 再 会 ? ) するのは不思議な気分だ ウガンダはかっての宀小王国イギリスの法体系を継 ・ ' 」しており、欧米社会から「独裁者」と称されるこ との多いムセべニ大統領も、少なくとも形式的には、 0-- い寒王的に選出されている。公用語は英語とスワヒリ 五興、、 0 マケレレ大学は市の中む部から車で十分ほどの距 離にある、東アフリカを代表する国立の名門総合大 学。早速、ウガンダの政治・社会に詳しい専門家ら にヒアリングを重ねた。その多くは欧米の大学や研 究所への留学経験を有し、総じて反同性愛法案には 批半的だっこ。 「ウガンダの人口の約半分は十五歳以下ですし、人 ロの約半分は読み書きが不目由です。昔から同性愛 が存在していたことを知らず、西洋から輸入された 亠 ましたが、 それは同性愛についてはロに出さないと いった程度の話たったのです。それがこの五年くら いで一気に政治化されてしまいました。以前はゲ イ・パレ 1 ドなども公然と行なわれていましたが、 ハ 1 ティ 1 を開くのがやっ 今ではこっそりホーム・ とのようです」 「これまでに人権活動宀豕が一一人殺害されている事実 と本当に信じているのです。そして『人権』を支援 する団体は西洋の『手先』に違いないと・ : : ・。政府 にとっては同性愛の問題を煽ることで彼らの支持を 得られるわけですから好都合です。ウガンダが抱え る問題のなかではマイナ 1 な案件のはずですが、民 族間の対立や汚職、貧富の差など、他の重要案件か ら国民の目をそらすことができるのです」 「ウガンダには昔からホモ・フォビアが存在してい は重いです。ただし、なかには欧米に亡命したい 心で、本当は同性愛者ではないのに『への 弾圧』を口実にしている人がいるのも事実です。そ れを欧米のメディアが鵜呑みにし、リべラル派が騒 ぎ、保守派が騒ぎ返す : : : という構図です」 「ウガンダ国民の九十八パーセントは同性愛に反対 なので人権擁護を掲けるのは大変です。以前、牧師 を対象にした『人権をどう宗教に取り入れるか』と いうテ 1 マの研修会に参痂 マ したのですが、すぐに同性 立 国 愛の話になり、ヒステリッ クな拒絶反応が相次ぎま した。今秋「主疋されていた ン設 カ研修会は延期にな 0 たそう 2 です。警察が取り締まるか もしれないからたそ - フで モ醐す」 「大学のキャンパスでは同 の 内権性愛に関する議論はできま 一フ す。でも人権擁護派を自認 しつつも、こと反同性愛法 レ 田ケ案に関しては賛成という学 生も少なくありません」 アメリカの宗教保守派の影響については、ウガン ダ人牧師の多くがアメリカでトレーニングを受けて一 いる点も含め、広く知られているようた。嗣性愛がガ 西洋からの「輸入品」だと反発するのであれば、布 ン 教のノウハウが西洋からの「輸入品」であることに励 も反発してよさそうだが、そうしたパラド一ックスはア 3 9 不問に付されているようだ。欧米からの「輸入品」

6. 考える人 2014年春号

ハホネンはい。ただし、クニットやム るい陽射しを受け、真冬のヘル シンキとは思えない暖かさのマ ーミントロールかその後、ニ度とさびし ンション。児童書が山と積まれ、 い思いをしないかといえば、そんなこと 子供のおもちやか床いつばいに広がる部はありません。少し孤独との付き合い方 屋でインタビューは始まった。 を学んだとい一つことでしょ一つ。 孤独といえば、興味深いのがモランの」 博士論文のテーマが「ムーミン谷の変化です。モランはなぜ触れるものをす 『孤独』と『連帯』」だったのですね。 べて凍らせる冷たくて怖い存在になって ハホネンそうです。ャンソン作品の重しまったのか。ムーミントロールとママ ソリチュード 要なニつの主題ですから。孤独との間でこんなやりとりがあります ( 『ム トウギャザーネス 連帯は様々な形で表され、かっ作品 ーミンパパ海へ行く』より小野寺百合子訳 ) 。「 ごとに変容しました。 「ママ、あいつはどうしてあんないじわ まず、孤独には、創造的で発明的な孤るになったの。」 ( 中略 ) 独があります。一人でいることそのもの 「だれのこと。」 を心から楽しみ、一人でないと詩や歌を「モランさ。だれかがなにかしたために、 作れないスナフキンのように。一方で、 それであんなにわるくなったのかしら。」 はずかしがりやのクニットや、触れるも「そんなことがわかるものですか。 ( 中 のをすべて凍らせてしまう冷たいモラン略 ) むしろ、だれもなにもしなかったか 孤 のような、寂しいネガティブな孤独があ らでしようね。だれもあの人のことは気「 ります。 にかけないという意味よ。 ( 後略 ) 」 この作品の終盤、モランはムーミント ただ、後者のような孤独も逃れられな い固定化されたものではありません。絵ロールの前でダンスを踊ります。そして、 本『さびしがりやのクニットを読むとそのあと彼女の歩いた後の草は枯れなく わかるように、自分よりもっと小さくてなりました。少し温もったわけです。 ャンソンはこのあと、モランの扱いを 弱い存在を救うことによって、クニット ン は人見知りの殻を破って成長し、孤独か変えました。「脅威」を意味する左向き ら抜け出します。同様に、冬眠から一人ではなく、右を向いての登場になるので 目覚めてしまい寂しさを味わうムーミンす。 トロールも、ひと冬生きのびることで自 一九五〇年代の研究で明らかになって いることですか、本を右から左へ開く西 一信をつけます。 ネガティブな孤独であっても力にな欧の本では、主人公は左側におかれ、悪 るということですね。 役はだいたい右のページからやってきて インタビュー シノレケ・ハポネン interview with Sirke Happonen 一人でいることの豊穣と、 屋敷を訪れる者を受け入れる共存の温もり。 その二つのテーマが交錯するのが、 ムーミン物語の特徴のひとつ。 児童文学研究者でヘルシンキ大学で 教鞭を執るハポネンさんに、その魅力を街 ヴェッサ・モイラネン・撮影 photographs by Vessa Moilanen 編集部・取材、文 text by Kangaeruhito 特集 海外児童文学 ふたたひ 0 0 2

7. 考える人 2014年春号

べてを女子教育に捧げ、歳で逝去した。ちなみに おける教養課程総合コースくらいの内容を意味して いるのではないだろうか わたしがどうしてここで梅花のことを強調しておく かといえば、それは本連載の後の方になって四方田 それぞれの講座をもう少し詳しく説明してみよう。 第 1 学年で全員必修である実践倫理の講義を担当し 保が一人娘を梅花女学校に通わせることに繋がって くるからである たのは、校長の成瀬仁蔵本人であった。この学年で は他に、「家庭応用理化」や「衣、食、住」「女礼」 日本女子大学校は第 1 回生として、家政学部に別 の講義があった。第 2 学年では、「家庭経済」や 名、国文学部に名、英文学部に川名の学生を入学 させた。開学して数年の間に次々と校舎や体育場が 「社交」という講義が登場し、卒業年度の第 3 学年 増設され、隣地に寄宿舎が開寮された。最初の年は 川月の運動会のために、飛鳥山の澁澤榮一別邸の庭 園を借りなければならなか 0 たが、 2 年次からは本′ : 、」「「「」ー 目の運動会ともなると、 5000 人余りが参観する ほどの大事業となった。 柳子は第 3 回生として家政学部に入学した。同期 で卒業したのは爲名である。だが一体「家政学」と は、目一 ( 体的にどのような学間たったのだろうか 家政学は成瀬仁蔵の発案によるもので、日本女子 大が最初に掲け、その創立に関わる重要な総合科学 であった。『日本女子大学校四十年史』はそれを、 教育学が複数の科学の寄せ集めの上に組み立てられ た混成学であるように、家政学も「一層独立の体面 を備へざる所の混成学にして、而かも寧ろ実地応用 を目的とする術なり」と説明している。実際にカリ キュラムを覗いてみると、自然科学では博物学、生 理学、衛生学、物理化学、園芸学などが教えられた。 「精神科学方面」、つまり今でいう人文科学としては、 心理学、倫理学、教育学、児童学、美術史、社会科 学方面では、社会学、法制、経済の名が講義要領に 見える。これは現在の言葉に直してみると、大学に 正 の 子 日 も ま には「児童研究」「童話研究」「看病学」「帝国憲 法」「民法及諸法規」という講義が付け加えられる。 家政学部の学生たちは、一一通りの「会合」に出席 しなければならなかった。一つは「研究会」、つま り今でいうゼミナールであり、家政の改良に資する とい - フ目的のとに、 校長や教授から与えられた問 題を共同研究して報告する会合である。もう一つは 毎週一度の「談話会」で、ここでは学生同士が将来 簽、第ら宀新 0 2 卒業後も一致協力して社会に活動できるようにと、 う配慮から、その親交を厚くすることが求められた。 もっともこうした講義内容はどこまでも制度的な ものである。柳子も同級生たちも、こうしてあらか じめ定められた知識の取得だけを、女子大生活のす べてと考えていたわけではないだろう。日本女子大 学校の同窓会にあたる桜楓会が刊行していた会報 『家庭週報』を手に取るならば、当時の日本女子大 での学生たちの雰囲気をより詳しく、また身近に知 ることかできる 『家庭週報』は桜楓会を発行所として一部 3 銭で販 売された、大判 8 頁からなる雑誌である。 1904 年 6 月に創刊されたときは隔週刊であったが、 月からは週刊となり、やがて TI ・ IE HOME ・ WEEKLY 「 と英語タイトルが付いた。 雑誌の性格上、入学式の校長の祝辞や新校舎の落 成といった、日本女子大の公式情報が中心に置かれ ていることはい - フまでもないが、 号を重ねるに従っ てさまざまな記事が掲載されるようになった。 10 0 年後の読者であるわれわれは、それを通して当時 の女子大生の生活や社会風俗、流行、時事的な関心 について、多くを知ることができる。澁澤榮一欝 の病状を憂う記事がある一方で、日崟豕庭の経済比 較の報告があり、開国周年をめぐる大隈重信伯爵 の談話が掲載されている。日露戦争の最中であると 、、。、レチック艦隊全滅を告げ いう時勢を反映してカノノ る記事が大きく取り上げられていたかと思うと、そ の隣頁にはいつもながらに、三越呉服店や「水晶お しろい」「プレスト洗剤」の広告が大きな場所を占 めている。脳病頭痛に効く漢方薬の宀日伝が常連であ

8. 考える人 2014年春号

の時代も、 ( 都市 ) 国家の内部でも、あるいはギリシ アとベルシアという東西の国家間でも、裏切りや策 謀が渦巻いていたのだ。そのデマラトスは、テルモ ピュライの合戦の直前に、クセルクセス王からご下 問を受ける。「果してギリシア人どもが敢えてわし に刃向い抵抗するであろうか否か、わしに申してみ よ」と。デマラトスはクセルクセスが「自分を喜こ ばす答えではなく、真実を知りたい」と思っている ことを確認した上で、「ギリシア精神」なるものを 次のように説明する。『歴史』からその箇所を引用 しておこう 「そもそもわかキリシアの国にとっては昔から貧困 は生れながらの半呂のごときものでありました。し かしながらわれわれは叡智ときびしい法の力によっ て勇気の徳を身につけたのであります ( 筆者傍点 ) 。 この勇気があればこそ、キリシアは貧困にも挫けず、 専制に屈服することもなく参ったのでございます。 ( 中略 ) 私が申し上げたいことはすなわちまず、ギリ シアに隷属を強いるごとき殿の御提案は、絶対に彼 らの受諾するところとはなりませぬし、さらにはこ とえ他のキリシア人がことごとく殿の御意に従うこ とがあろうとも、スパルタ人のみは必ず殿に刃向い 戦いを交えるであろうということでございます。」 ( 『歴 7 ー 102 、松平千秋訳 ) 0 、らに、 「彼らは自由であるとはいえ、いかなる点において も自由であると申すのではございません。彼らは法 ( ノモス ) と申す主君を戴いておりまして、彼らがこ れを怖れることは、殿の御家来が殿を怖れるどころ ではないのでございます ( 筆者傍点 ) 。」 ( 同 7 ー 104 ) ここに「法」と「自由」の関係が、「人の支配」 ではなく「法の支配」という形で提示されているこ とに主目したい。 この点について、後段でプラトン 『法律』の議論にもう一度戻ることにする。 5 自由と運命 その前に ヘロドトスの考えた「自由」と「運 命」との関係についてふれておこう。自由を求める ことと運命に支配されるということは矛盾するので はないかという古典的な問題だ。運命と自由の間を 結びつける糸は、人間の努力を含めた自由意思であ 、謙虚さや傲慢などの人間の性格なのだ。 ヘロドトスは『歴の冒頭で自らの叙述姿勢を 次のように述べている 「かって強大であった国の多くが、今や弱小となり、 私の時代に強大であった国も、かっては弱小であっ たからである。されば人間の幸運が決して不動安定 ・」とわ したものでない理りを知る私は、大国も小国もひと しく取り上げて述べてゆきたい」 ( 1 ー 5 、松平千秋訳 ) 。 この文章は日本の軍記物『豕物巴の冒頭を思 い起させる。多くの人が暗唱している『平家物巴 の巻第一の出だし、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常 の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわり をあらわす。おごれるひとも久しからず、只春の夜 の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風 の前の塵に同じ。」という諸行無常と盛者必衰の思 想である。 驕れる者の代表としての平清盛、その清盛の死後、 工豕を京から追い出そうとする木曾義仲、次いで後 白河法皇を幽閉した義仲を討ち、さらにエ豕を屋島 に討ち、壇ノ浦で滅亡に追いやる源義経、これらす べての主人公がみな「盛者必衰」の理どおりに滅ん でいく運命を、誇張や虚構を織り交せつつ語るさま は、ギリシア悲劇やヘロドトスに見られる人間の 「運命」と「自由」の関係に対する見方と共通する ものがあるよ、フに見える もちろん、ギリシアの歴史家や悲劇作家における 「運命」という概念と、平家物語における「盛者必 衰」が同じだとは言い難い。「先に決められている」、 「人の意思や想いをこえて人に幸・不幸を与えるカ に翻弄される」という点では似ているかもしれない しかしへロドトスの場合、個人の悲劇たけでなく国 家の盛衰を問題としているが、『平家物語』は、一 族の滅亡であり、政治や軍事の天才の「盛者必衰」 を物語っている。さらに古代キリシアにおいては 「運命」は驕慢という人間の性格に左右される点を いま少し分析的に捉えられている。 また、ソフォクレス『オイデイプス王』に展開さ れているように、「自分の行動それ自体が予言の成 就へと駆り立てていく」という性格を持つ。いわば 「自己実現的期待」 (self-fulfilling expectations) と呼 ばれるもので、当人は自由意思で行動を選択してい るつもりでも、実際は一つの予言の成就のために行 動してしまっているに過ぎないという 「運命」であ る 「運命」「運」「偶然」「必然」など、運命と自由に 関する老小には様々な類似の概念が登場し、哲学者 や神学者でさえ苦闘しているような状態である。こ うした難問にはそれ相応の論理の厳密さが要求され

9. 考える人 2014年春号

レトスはイオニア文化の中心であり、いわゆる「ギ リシア哲学」の誕生の地といってもよいほどに、多 くの萌芽的な哲学思想を生み出していたのである。 したがってベルシア戦争の前哨戦とも言うべき 「イオニア反乱」 ( BC499 ー BC494 ) は起こる べくして起こったという面がある。この反乱の経過 のなかで、筆者が興味を持つのは、ミレトスの王 アリスタゴラスが反乱を決断して取った次のような ノイー / 「アリスタゴラスはまず、ミレトス人が進んで自分 の謀反に加担してくるように、本、いはとも角名目上 は、ミレトスで独裁制を廃して万民同権の民主制を 敷くこととしたが、つづいてイオニアの他の地区に も同様の政策を実施しようとし、幾人かの独裁者を 追放したり、また彼と共にナクソス遠征に参茄した 船団から捕えてきた独裁者たちを、町々に恩を売る ため、それぞれの出身地である町へ引き渡したりな どしたのであった。」 ( 『歴 5 ー松平千秋訳 ) 多くの兵力を動員し兵士の戦意を発揚するために は、独裁制で「強制」するよりも、民主制のもとで 兵士から自発的な戦闘意欲を引き出した方が効率が 良いという考え方である。しかし、自分以外の電王 はすべて追放し、アリスタゴラス自身は独裁権を握 り続けるのである。市民に平等と自発性を尊重させ るように仕向けつつ、その「自発性」のべクトルを ひとつの権力 ( つまりアリスタゴラス ) に集中させるた めには、デモクラシ 1 ほど都合のよい装置はないこ とを彼は知悉していたのであろう。この「本心はと も角名目上は」というへロドトスの言い回しは、彼 の人間への洞察の見事さを際立たせている。また、 ペロポ不、 アケメネス朝ベルシア戦争史 ィヾノレシア 前 6 世紀に誕生した空前の大帝国アケメネス朝ベルシ ア。その支配下にあったギリシア植民市ミレトスの反乱を、 アテナイなどが支援したことに激怒したベルシア王は、つ ・サルティみいにギリシア本土への遠征を決意する。この 2 度にわたる ギリシア遠征は、ヘロドトス「歴史』に記述されてし、る。 ・、・エフェ、ノス 前 6 世紀半ばアケメネス朝ベルシア成立 サモス島 有朝 522 ・ミレトス ダレイオス 1 世がベルシア王に即位 前 499 イオニア反乱が始まる 前 494 ミレトス陥落 ( イオニア反乱の終わり ) 前 48 第 1 回ベルシア戦争 ( マラトンの戦い ) 有 485 クセルクセス 1 世がベルシア王に即位 有な 480 第 2 回ベルシア戦争 ( サラミスの海戦 ) 前 478 アテナイを中心としたデロス同盟結成 アイスキュロスの悲劇「ベルシア人」上演 前 472 前 461 アテナイのペリクレス、政敵キモンを追放 ペロポネソス戦争が始まる 前 431 第テル キオス島 アテナイ、 ピレウス ~ ナクソス サラミス島 クて卩 アリスタゴラスがイオニア反乱軍の敗色が濃くなる と逃亡を画策するのも、デモクラシ 1 の下での独裁 者の姿を的に示しているのではなかろうか名 誉を重んじる貴族制の下では、主権者 ( 王や貴族 ) は 逃走などせずに命を差し出したであろうから。 「イオニア反乱」でアリスタゴラスが救援を求めた ギリシア本土のポリスのうち、スパルタ王クレオメ ネスは拒否したがアテナイは援軍の兵船を送る。し かしベルシア軍の反撃は功を奏し、ミレトスはベル シア軍に占領されるのである ( BC494 ) 。スパル タ王クレオメネス 1 人を欺くよりも、 3 万人のアテ ナイ人をだますことの方が容易だった、とヘロドト スは皮肉っている。結局この反乱が、ダレイオス大 王のギリシア本土攻撃を決意させる。いわばベルシ ア戦争への導火線となったこの「イオニア反乱」の 経過をへロドトスは巧みに説明するのだ ( 『歴 5 4 アテナイの自由と東方の専制 アテナイ市民は自由への憧れが大きかったからこ そ、アリスタゴラスの求めに応じてイオニアへ援軍 を派遣したのであろう。しかし反乱開始後 6 年たら すでミレトスは陥落、全市民は奴隷となる。こうし た結末は、アテナイ人の自由への憧れをますます強断 の っ めたに違いない る かってスパルタ王であったデマラトスは、クレオ メネス 1 世の策略にあって廃位され、ベルシアへとを 渡っていたが、 第 2 回ベルシア戦争ではクセルクセ自 3 スに同行し、小アジアに領地を充てられていた。こ

10. 考える人 2014年春号

いて親しげに頷きかける。そうする かすっとリアリティがあった。木で はまるで、雪たまりにしずみこむよ波文庫 ( 大畑末吉訳 ) では「カイは とカイは魅入られたようになって、 うな感じでした」と描写されている まるで、雪の吹きだまりの中へ、はできた一人乗りの橇を私は持ってい また自分の橇に座ってしまうのだ。 大塚勇三氏の訳から引いたが、大人 いったような気がしました」となって、家の近所の斜面でよく遊んでい になってこの部分を読んだとき、なている。原文は知らないが、やはり こうしてカイは、雪と氷でできた女 たが、それは『雪の女王』の挿絵に んて宀見北的なのだろうと田 5 った。 王の宮殿に連れて行かれる。 ここは絶対に「雪だまりにしずみこ出てくるカイの橇とよく似ていた。 劇にしたのは、この冒頭の場面と、 む」でなければいけない。大塚氏の 『雪の女王』と同じくらい好きだっ 深くやわらかく積もった雪の中に カールフレンドのゲルダがカイを追ゆっくりと沈んでい 、あの感じ プロフィ 1 ルを見ると、戦前の中国た作品にマルシャークの『森は生き いかけ、宮殿から助け出して町に連音という音はくぐもって消え、世界東北地方生まれとあり、ああやはりている』があるが、こちらはロシア せば の冬の森で少女が十一一の月の精と出 れ帰る最後の場面たけだったと思う。 がぎゅっと狭まる。雪の降る地方で北の人なのだと納得してしまった。 なにしろ持ち時間は十分ちょっとし育った人にしかイメ 1 ジできないで 少年が美しい大人の女性に連れ去会う話である。雪の中から現われる よ ) っこ。 、刀オ、刀キ / あろうエロスの感覚である。北海道られるのがエロティックだと書いカ 未知のものを待ちながら冬を暮らし カイを探しにたったひとりで旅に育ちの私は、この一文の冷たい宀見北が、これがもし北国の話でなかったていたのは、北国の子供だった私も ら、子供時代の私がここまで惹かれ同じだった。 出たゲルダはさまざまな試練を経験性が体感としてわかる する。彼女の冒険が『雪の女王』の 小学生の私が、誰が訳したどの本ることはなかったろう。この物語の『雪の女王』では女王の内面は描か れない。無垢なものを完全に支配下 ほんとうの主人公は雪と氷であり、 ひとつの読みどころなのだが、そのでこの物語を読んだのか定かではな におきながら、皮女はいつのまにか あたりは私にはどうでもよかったよ 細部を省略した子供向けのバ 北国の冬である うで、劇ではすっ飛ばしている。当ジョンだったのではないかと田 5 う。 思い起こせば、私が好きだった童消えている。女王は冬そのものの比 時の私が強く惹かれたのは「雪の中、大人になってからいくつかの訳で読話や児童文学は、もつばら雪の降る喩なのだろう。その冷たい宀見肥、清 潔な孤独に九歳にして魅了された私 無垢な少年が美しくも布ろしい年上み直してみたが、とりわけ素晴らし外国の話たった。北海道は寒いだけ は、湿度の高い人間関係や、込み入 の女性にさらわれる」という設定で、かったのが、この大塚勇三氏 ( モンでなく風土も大陸的で、そこで育っ った感情がいまでも苦手である ゴル民話から再話し、絵本の名作とた子供には日本の民話や童話はなじ 後年になって気がついたのたが、こ まない。日本昔話的な物語の舞台は れは相当にエロティックなイメ 1 ジされる『ス 1 ホの白い馬』を書いた である。 人でもある ) によるものだ。福音館里山であることが多いが、その里山 のイメ 1 ジをどうしてもっかむこと 町の広場からカイを連れ去った雪書店から、大塚氏の訳文とデンマー ができないのだ。近代以降の開拓地 クの画家ラ 1 ス・ポーの挿絵による の女王は、途中でいったん止まり、 カイを小さな橇から降ろして自分の『雪の女王』が出ているが、これはである北海道に里山は存在しないの 橇に乗せる。そして自分のそばにすほんとうに美しい絵本で、大学時代だから仕方がない。雪が舞い、窓ガ ラスに氷の花が咲き、町のすぐ近く わらせ、毛皮をかけてくれるのであに入手していまも大事に持っている。 コー、十ノロ に森がある北欧やロシアのお話の方 ちなみに、先に 」部分は、岩 る。そのときのカイの気分は「それ かけはしくみこ 一九六一年熊本県生れ。北海道大学文 学部卒業。編集者を経て文筆業に。初 の単行本である『散るぞ悲しき」は、 ニ〇〇六年に大宅壮一ノンフィクショ ン賞を受賞、米英仏伊など世界カ国 で翻訳出版されている。他の著書に 「猫を抱いた父』など。 55 海外児童文学ふたたび