図書館 - みる会図書館


検索対象: 考える人 2014年春号
17件見つかりました。

1. 考える人 2014年春号

財団法人の許可がおりたのは奇跡だと思っています。 七四年一月、の賃貸アバートで法人として スタート。従来の文庫を継続しながら、お話の講習会 や出版など大人向けの活動も本格的に開始する 私が働いていた六〇年代初めの大阪の図圭贔では、 座席の数しか館内に入れない。小学校一一一年以下の子 どもは本を借りることもできない、 という状況でし た図書館といえば受験生のための学習室というの が一般の人のイメージでしたから。 それが、七〇年代に急速に変わり始めたのですね。 子どもの読書をすすめるための、今でいうボランテ ィア活動も盛んになり、公立の図書館にも新しい動 きが出てきました。経済の高度成長にともなって図 書館数は増え、席貸しではなく資料の貸出へとサ 1 ビスの中心が移りました。お話会のような児童サ 1 ビスも重視されるようになりました。 來只子ども図書館が始めた大人への講習会などの 活動は、こうした背景の中で、多くの人に求められ、 活用されました。おかげで支援してくださる方も 徐々に増え、初めは手弁当たった職員にも、わずか ながらお相料が払えるようになりました。 四〇年の間には、仕事の広がりにともなって、ヤ ドカリが殻を大きくするように、アパ 1 トからマン ションへ、一部屋から一一部屋へと事務所もステップ アップしていきました。そして九七年、一一〇周年の 募金をもとに、ようやく自前の建物を建てることが できました。念願の児童室ができたのを機に、かっ ら文庫を残して、あとの文庫は活動を終えました。 泉子とも図書館の活動は、設立当初から既存の 図書館の枠にはまらないものだった。 石井先生は、一九五四年の留学のとき、アメリカ 子どもたちは お話を聞くこ お話をしたあ ばっと本に 飛びつきますよ で、とてもよく整備された公共図書館の児童サービ スを見て来られました。私もポルティモア車皿図書 館で働いて、その実態を体験してきましたから、東 京子ども図書館の活動には、アメリカの図書館から 学んだことが色濃く反映されています。もともと公 共図書館の児童サ 1 ビスの概念は、アメリカで生ま れて世界に広がっていったものなんです。 私たちが大事にしているのは、読み聞かせとお話、 それから、時間をかけてていねいに本を選ぶこと 「お話」は、一番力を入れている活動と言っていし かもしれません。お話はストーリ 1 ・テリングとも 呼ばれ、本なしに、語り手が直接子どもたちに物語 を語って聞かせるものです。子どもたちはとにかく 1 6 7

2. 考える人 2014年春号

東京子ども 図書館の年 小特集 石井桃子を 読む インタビュー 松岡享子 interview with Matsuoka Kyoko 苜野健児・撮影 photographs by Sugano Kenji 東京子ども図書館は、 石井桃子さんが設立に尽力した 私立の児童図書館です。 子どもたちが本を通して 豊かな世界を手に人れられるように、 創立以来、児童図書館の発展を けん引してきました。 四〇年にわたる活動とあわせて、 理事長の松岡享子さんに お話しいただきました。 石井桃子さんのかつら文庫をはじめ、示都内の 四つの家庭文庫が集まってできた束泉子とも図贔 石井さんは一九五七年、村岡花子さんたちと家庭文庫 10 0 研究会をつくり、全国の家庭文庫を支援し、 まんびきのねこ』など絵本の刊行も進める子ともの 本をめぐる状況の改善には、公共図圭贔の充実こそが 必要と考え、六五年に家庭文庫研究会は発展的に解散、 公共図書館員が集う児童図宝研究会に合流した。 一九七一年のある日、松岡享子さんに一本の電話が かかってきた。この一報からすべては始まった。 東京子ども図書館の始まり あの日、石井先生から四谷駅までいらっしゃいと お電話をいただいて、連れられていったのが駅近く の弁護士事務所。そこで、初めて財団法人を作ると いう話になって、驚きました。 文庫の仲間の間で「自分たちの図書館がほしい ね」という意見は出始めていました。石井先生ご自 身は、六〇年代から図書館を作りたいという構想を おもちだったようで、メモも残っています。六五年に 土つおか、さよ - フこ は、かつら文庫の最初の七年の記録を『子どもの図 一九三五年神戸市生まれ。神戸女学院 書館』 ( 岩波新書 ) という本にまとめて発表されます 大学、慶應義塾大学図書館学科卒業 六一年渡米、ウエスタンミシガン大学 か、この本をきっかけに、 全国に子ども文庫が飛躍 大学院で児童図書館学専攻ののち、ポ ルティモア市立公共図書館に勤務。帰的に増えました。その動きの陰に、自治体が児童図 国後、大阪市立中央図書館を経て、自 書館を作るべきだというご自分の主張が隠れてしま 宅で家庭文庫・松の実文庫を開く。七 四年財団法人東京子ども図書館を設立、ったことを先生は残念に田 5 っていらっしゃいました。 同館理事長。著書に「うれしいさん かなしいさん』『じゃんけんのすきな女手さぐりで法人化への準備が始まりました。財産 の子」『えほんのせかいこどものせかい』 目録を作れといわれて、「こたつ一万円、こたつがけ 翻訳に『しろいうさぎとくろいうさぎ』 「パディントン」シリ 1 ズなど多数。 一一一九〇〇円 : : : 」などと記す有様。不動産もなしに

3. 考える人 2014年春号

古典から学ぶことはたくさん あります。『宝島』のように長 い間、読み継がれている古典に は、おもしろい物語の要素が詰 まっています。児童文学の歴史 ( たカたか一一〇〇年ぐらいのも のですけれど、そのなかでも残 ったものと残らなかったものが ある。残ってきたものにはそれ だけの生命力があるわけで、そ の要素をしつかり学ぶ必要があ ると田 5 います。 本を選ぶということは児童図 書館員の大切な仕事です。たと えば、グリムのお話が四つの出 版社から亠ハ種類も出ていたら、 読み比べて検討し、もっとも子 どもの読者にふさわしいものを 選ぶ。その判断を任されるのが 図書館員です。それだけの責任 を負っているのです。 公立の図書館では、リクエ ストが多いと流行の本が何十冊 とならぶという話も街く 壅只子ども図書館は私立で、 税金で運営されているわけでは ないので、独自の選書の自由が ありますが、公立の図書館では 納税者のリクエストを何故受け 2 「クマのプーさん 「ちいさなうさこちゃん一「ピーターラビットのおはカ ーちいさいおうち」 バートン作 - 石井桃子訳ミルン作石井桃子訳カレーナ作石井桃子訳ボター作石蚶兆子訳 岩波書店 福音館書店 岩波少年文庫 福店 よなし のトムさん 石橋 . ( ユたい 3 チム・ラビットのばうけん 基本蔵書目録「絵本の庭へ」。東 京子ども図書館と 4 つの家庭文庫 で楽しまれてきた選りすぐりの絵 本 1157 冊が紹介されている。 「山のトムさん」 石井桃子作 福音館書店 「ふしぎなたいこ」 「チム・ラビットのほうけん 石井桃子作清水崑絵 ~ アトリー作ー中川宗弥絵 石井桃子訳童心社 岩波書店 ないのかと詰め寄られたら、つらいところかありま すよね。でも、その要求を無制限に受け入れている と、流行がすぎたとき、まったく顧みられない本が たまってしまう。ときどき公立の図書館の書庫でそ れを目の当たりにすると、税金をそんなふうに使っ ていいのか、その分の予算で、のちに必要となる貴 重な本が購入されていなかったとしたら、図書館の 使命が果たせるのかと問わないではいられません。 市民の要求に応えることは大事です。けれども、 、ハランスをとることも必要ですね。以前に、イキリ スの児童図書館員のアイリ 1 ン・コルウエルさんが おっしやっていたのですが、イキリスである子ども 向けシリーズが大流行したことがあったそうです。 図書館の選定基準には満たない作品たったけれども、 リクエストが多いので購入しないわけにはいか った。コルウエルさんは、日取低部数いれることにし たそうですが、あっというまに借りられるそこで 借りに来た親や子どもには「残念 ! 今貸出中だわ かわりに、これはどうかしら ? 」と他の本を勧める 達 ようにしたというのです。 瀬 広 「図書館ではそんな本は置きません」などと一一一口えば、 影 , 読みたいと思った読者は、自分を否定されたように 本 感じてしまうだろう。その子の要求を認めた上で、 「他にもおもしろい本があるのよ」と、上手に勧めて、 質のいい本への道をつけるのが児童図書館員のやり 甲斐でしよう、と話しておられました。 む 読 を 子 一番伝えたいこと 桃 石 子どもたちの世界を広けるお手伝いをするのが私四

4. 考える人 2014年春号

石井桃子一一 現在の日本の子どもの本は、 敗戦の焦土の中に誕生しました。 なかでも石井桃子さんの存在を 措いては語れない 石井さんは翻訳・創作・編集、 そして誰もが本に触れられるよう 自宅を開放した家庭文庫など、 さまざまなかたちで、子どもたちに 本を読むよろこびを教え、 生涯「忘れがたい一冊 , を届けた人。 石井さんが設立・運営に尽力した 「東京子ども図書館ーの周年と、 クプ ( 尾崎真理子著 ) の刊行を迎える今年、 小特集「石井桃子を読む」を むかし子どもだったみなさんにお届けします 写真提供公益財団法人東京子ども図書館、 さいたま市立中央図書館 1950 年、岩波少年文庫の 編集を手がけ始めた頃。 をーレ ⅱ冗 -.u 咫 、・人ト気ま第 。 = ト作 0 / 40 ・、ーきÖ物い 屮物学心 S ・ 宿解物物 作気 第 0 fi ヨ着ー 磐ー 3 S プ、並ト事 第物謝 ′物ニーまー 6 、一イ鹵 本の撮影・広瀬達郎

5. 考える人 2014年春号

」 / 開ぐ。 ( 簿唇組午を作ら農業にはる生活を ) 0 始める。 1947 年 ( 昭和 ) 歳 プ / ちゃん雲に乗る』 ( 大地書房 ) 一 1950 年 ( 昭和 ) 歳 岩波書店の吉野源一一一郎らに編集の仕事を勧 められ資金に困窮していたこともあり上 京。岩波書店に嘱託として入社月に ・「岩波少年文庫一が到行開始、「企画編集で 指揮を執る。 " 倉ラインナップは『宝島』 「あしながおじさん』「ク牙スマス」キャ・ロ ル』「ふたらのロカテ』『小さい牛追い』 ( 示さい牛追い』ば石畊訳 ) 。 1951 年 ( 昭和 ) 歳 『ノンちゃん雲に乗る』 - が、第 1 回芸術選 奨文部大臣賞受賞。 1953 年 ( 昭和囲 ) 歳 「ふしぎなたいこ』 ( 岩波書店 ) 到打。 1954 年 ( 昭和四ソ歳 第 2 回菊池寛賞受賞。岩波書店から「ちい さいおうち』 - 翻訳刊 ( 仔。 8 月より口ックフ ラー財団奨学金で 1 年間の米国留学 0 戦前より文通をしていたミラー夫人 ( 「ホ ー・、ブック」誌の創刊者 ) にポス一トンで 会う。一アメリカとカナグっ公共図圭や児 童図圭贔、出版社を訪れる 1956 年 ( 昭和引 ) 歳 瀬田真二、鈴木晋二松居直、。いぬいとみ こと「子どもの本研究会」一 会 ) をはじめる。後に渡辺茂男が参師。 1957 年 ( 昭和 ) 歳 ⅲのトムさん』 ( 光文社 ) 型村花子、 土屋滋らと「家庭文庫研究会」を立ち上 げゑ 1958 年 ( 昭和 ) 計歳 来只 ~ 荻絆の宅「部を開放し、「子どもの たの図書室「が ? あ文庫」を始める。軒 日新聞夕刊に一「迷子の天使』を連載。 ゴ 959 年 ( 昭和 ) 歳 1956 頃 イギリスの湖水地方にて 9 ~ 世界中で愛され 19 フ 2 るピーターラビットの作品舞台。 え住ム 「星の王子さま』の翻訳を託し第ピッツバーグではカーネギー た内藤濯 ( 前列右から 2 番目 ) と。三 - 図書館学校の講義を聴講。 1981 年 ( 昭和 ) 4 歳 効ものがた ! ( 福亠書店 ) 刊 1993 年 ( 平成 5 ) 歳 日本芸術院黨受賞 ( 子どの本の世界にお ける長年の貢献と業績に対して )9 1994 年 ( 平成 6 ) 訂歳 「幻の朱い ( 上・下、岩被書店 ) 刊 本作で年「読売文学賞を受賞する。 1996 年 ( 平成 8 ) 歳一 子どもの本に携わる人材育成に向けて、石 ナを = ) 井桃子翁子研修助成金が里只子ども図聿贔 シす で始まる でせ 1997 年 ( 平成 9 ) 叩歳 一文劬 ) 一来只子ども図圭贔の完石井は理事 らみ を引退、名含理事に ) 一一つ読 コかの 1998 年 ( 平成 ) 引歳 かつら文庫が周年を迎え、関係者が祝 盛だ いに集っ力。ニ石井桃子集』 ( 岩波書店 ) 全 大う 7 巻刊行開始》 2003 年 ( 平成 ) 歳 翻訳に 5 年を費やした、 < : 、、ルンり自 伝『今からでは遅すぎる』 ( 岩波書店 ) 翻 訳劉打。 2006 年 ( 平成 ) 歳 『百いのきもの』を浦年ぶりに改訳した いのドレス』 ( 岩波書店 ) を発表。 2007 年 ( 平成四 ) 100 歳 3 月 3 日に向けて、エッセイ「雛つう」 を書き上げる 3 月間日、満 100 歳を迎え - る。 一然一つ 2008 年 ( 平成 ) 101 歳 1 月には 2007 年度朝日重を受賞し「 - 贈 で一 呈式に出席。 3 月、東京子ども図書館が ー」十ノ = 一、かつら文庫の年」記念行事を開催。 4 山る 月 2 日逝去一。享年 101 歳。 ので 分中 追集 『石井桃子集 7 』 ( 岩波書店 ) 、「ユ一リイカ」 ( 2 住 07 年 7 月号 ) 、「石井桃子展」録 ( 世田谷 文学館 ) を参萼に作成。 1962

6. 考える人 2014年春号

みんなでなかよく絵本を囲む。子どもたちはあっという間に物語の世界に引き寄せられる。 語り手がろうそくを灯し、お話が始まる。 お話を聞くことが大好きです。お話をしたあとだと、 ばっと本に飛びつきますから、読書につなかるとて もいい手立てなんですよ お話会で人気のあった物語やわらべうたをまとめ た「おはなしのろうそく」は、設立凖幇の七三年に 創刊、今年、三〇巻目が刊行となる 今、來只子ども図書館では、一一〇人ほどの職員が 働いていますが、ほとんどの者が「お話」を語るこ とができます。「おはなしのろうそく」は、そのみ んなの体験をもとに編集されています。候補作を子 どもに語ってみて、反応を見た上で、分かりにくい 言い回しや、リズムがうまく流れないところなどを みんなで指摘、検討し合います。こうして身に付、 たテンボのいい語り口が反映されているので、どの お話も読みやすく、語りやすいと、全国の語り手た読 ちから信頼されています。 「おはなしのろうそく」に収録されているのは、ほ井 とんどが世界各地の昔話です。時代も国もさまざま、

7. 考える人 2014年春号

初めて読んだのは小学一一年生か三 それが、なぜか新聞記者になった。 けれど、リンドグレ 1 ンさんがみ〈リンドグレ 1 ンさんの書いた本は きっかけの一つは、高校の現代国んなへの返事として書いたオ 1 プン十五さつも、もっています。わたし 小学生のころの私にとって、本は語の教科書の「想像力と現実」とい レタ 1 を私は見つけた。ピッピで何は四年生です。岩波書店で、リンド グレーンさんのじゅうしょをやっと どこか食糧みたいなものだった。 を一言おうとしたの、という問いに、 う文章にあった、サルトルの言葉。 両親は和文と英文のタイプライタ〈飢えていく子供のまえでは私の書彼女は〈ピッピもほかの本も、私のきいてきました〉 1 を打つ小さな事務所をしていて、 」『嘔吐』はなんの意味も持たな本には何のメッセ 1 ジもない。私は 〈リンドグレーンさんはばくたち四 私は時々バスに乗ってそこへ行った。 ただ私のなかの子どもを楽しませた 年三組の大人気です。ばくもできた お手伝いしたり、弟に牛乳を飲ませ現実に働きかけられる書き手にな っこだけ〉と書いていた。 らリンドグレ 1 ンさんみたいに本を たりして待っていると、たまに本をりたいと考えるようになったのだ 〈私の本を読む子どもたちを教育しかく人になりたいです。リンドグレ ーンさんにあいたいです。いっかは 買ってもらえた。夜の書店で大人に こご、記者を続けながら見た現実ようとか、影響を与えようとか、意 識していない いきますからよろしくおねがいしま : もし私が誰かの まじって本を選ぶときのキラキラ感は、そう優しいものではなかった。 は、忘れない 突然に家族を亡くした人たちの話憂鬱な子ども時代を輝かせることがす〉 家では、明治生まれの祖母にロ答を私は聞くようになって、どうにもできたなら、私はそれで満足なの〉 〈 I love P ぎ三 very much. Be- みくだりはん えして、「そんなことじや三行半だ変えられない現実の過酷さを知った。 それはとても腑に落ちる「お返 cause she is very strong. very よ」とたたきのめされる日々。ョメ いまここ、目の前に見えて手でつか事」だった。 cute. and very kind. 〉 子どものころにピッピに会えて幸 に行ってもすぐ返される、という意める世界だけでは、とても人間は生 一一〇一四年、王立図書館に連絡を きていけない。 とると、手紙の整理が終わっていたせだった。ビッビは、ためになる本 励ましの一一一一口葉に苦し 机に向かって本を読んでいれば、 むことだってある。人を「慰める」私はストックホルムを訪ね、リンドでも感動する本でもないけれど、そ あまり文句を言われなかった。たぶのは難し、 したた、いを旧皿めて、心が グレ 1 ン・コレクションに残された こでは心が自由に動く。そう、私の んそのときの私は、ここにいて、こ動くようにすることーーーそれがどれ日本の子どもたちの手紙を見ること 心臓の何分の一かは、ビッピででき ている こにいなかったのだと田 5 う かできた。 ほど大切か 『やかまし村の子どもたち』『名探二〇〇一年、記者が旅する企画で、保存されていたのは、一九六〇年 私はスウェ 1 デンに一丁っこ。、 偵カツレくん』『ミオよわたしのミ 月学生代から九〇年代の約八〇通。すべて オ』 : リンドグレーン作品集に夢のときリンドグレ 1 ンさんに出したではないようで、私の手紙もなかっ たけれど、私と同じような子ども 中になった私は、「子どもの本を書手紙の行方を追ったのだ。世界の子 キ」中つ、刀。し↓ノー く人になりたいー 手紙を読むうち、子 ・」と願うようにな どもたちからの手紙は王立図書館が った。物語らしきものを書いて、友整理中。リンドグレーンさんは当時どもの私に会ったようで、笑って泣 達と「のばら文庫」なるものも発行九三歳。亡くなる前年で、もう会え いて、温かい気持ちに包まれた なかった。 抜粋してみる。 かわはらみちこ 一九六一年東京生まれ。朝日新聞記者 になる。ニ〇〇一年、日曜版の企画 「旅する記者団人」でスウェーデンを 訪ね「物語の森」を書く。自分でつけ こリードは「吐日むかし、あるところに、 世界一強い女の子にあこがれた、ひね くれ娘がおりました」。社会部が長く、 編集委員から現在、甲府総局長。著書 に「フランクル「夜と霧」への旅」「犯 罪被害者』など。 57 海外児童文学ふたたび

8. 考える人 2014年春号

知らない言葉や習慣も出てきま すが、子どもたちは全く気にせ ず、まっすぐ物語の世界に入っ ていきます。古いから聞かない、 なんていうことはありません 昔話が子どもを惹き付けるカっ てすごいものですよ私が四〇 年仕事をしてきた中での一番の 発見は昔話の底力を学んだこと ですね。昔話は何百年もたくさ んの人が関わって作り上げてき た文学ですから、とても強い普 昔話こ 遍性があるのでしよう。 そは子どもの文学の一番核にな るものだと思います。 機関誌「こどもとしよかん」 では新しく出る児童書からおす すめの本を紹介し、ブックリス トを発行している 石井先生が文庫を開かれたの は、本に対する子どもたちの反 松岡享子さんが選ぶ 石井桃子さんの冊 私の好みに加えて、石井先 生にとってエボックメイキン 乍庫一グだったものを選びました。 一引文 石福 拗 しい子ども心をきちっと捉 - ん ている文章表現の素晴らしさ。 私たちが子どもの目線を考え るときに読みたくなる一冊。 の 「イギリスとアイルランドの ~ ン = 一店昔話』には、子どもたちに人 ラ編書 ル子館一気のあるお話がたくさん収録 尹、イ兆 キ音 されていて、お話の語り手た レ」 ちのお気に入りでもあります。 とっても先生らしい創作なの イ が『三月ひなのつき』。雛祭 りの節句と、女の子の心の動 きがとてもよく描けていて。 き 朗読を聞いていると過不足の - 一一の朝ない気持ちのいい = 一 = 葉が続き な館一ます。子どもたちのメンタリ ティは少しずつ変わってきて ひ暗 月ネ いるけれど、長く愛される作 品だと思います。 石 なのき 昔話は子どもを惹き付けます。 四〇年で一番の発見は、 昔話の底力を学んだことです。 0 オ物一物鯲真 = = ロ 応を見て、そこから子どもにとってのよい本はどう あるべきかを学びたい、 というお気持ちからでした。 『子どもの図書館』にも『ちびくろ・さんば』を分 析して、子どもにとってわかりやすく、おもしろい 本とはどういうものかを論じていらっしゃいます。 先生の、おもしろさへの考え方や基準は、私たちの なかに濃厚に受け継がれています。 私たちの選書会議は厳しいですよ ( 笑 ) 。選書の 上で大事なポイントはふたつ。古典に照らし合わせ てみることと、自分の子ども時代を田 5 い出しながら、 子どもがどう読むのだろうかという視点を失わない 「おはなしのろうそく」は全巻累計で 170 万部超えの大口ングセラーだ。 おはなしのる・ ) そ ( ー 8 7

9. 考える人 2014年春号

石井挑子の この一冊 序を追って物語っていかねばな伝わっていたものだ。鵐外の三男である るまい。たぶん小学校の一年生森類氏が「観潮楼」跡の一角に開いてい か二年生の頃だったと思うが、 たこの書店が外記念本郷図書館の建設 わたしがまず最初に読んだのは抄訳版のに伴って閉店するのは一九六一年のこと 不思議な光芒を放っ ケネス・グレアム『ひきがえるの冒険』 たから、この一冊がそこで購われた可能 ( 菊池重三郎訳、著者名表記はグレーアムではな性は大いにある ) 。ともあれ、後年の読 ュートビア譚 くグレアム ) である。これを収録した『少書を準備する導き手となった良い冊に 年少女世界文集川イギリ , 編 7 』僥倖と言。てもよ」めぐり合わせで出会ケネス・クレーアム『たのしいーへ』 ( 講談社、一九六一年一月刊 ) には、ア 1 サえたものだと今改めて思う。 ・ランサム『山の伝書ばと』 ( 白木茂訳、石井桃子訳のケネス・グレ 1 アム『た 松浦寿輝 原書を四分の一に縮めた抄訳 ) 、パメラ・»-a ・のしい川べ ヒキガエルの冒険』 ( 岩 text by Matsuura Hisaki フバ 1 ス『公園のメアリ 1 ・ポビン波書店、一九六三年初版 ) を読んだのは、そ ズ』 ( 瀬田貞一一訳、二つのエビソ 1 ドのみ ) なれからどのくらい経ってからのことだっ ども入っており、わたしはそれらのどれたのか。それは圧倒的な体験だったはず をもひと通り面白く読んだはずだ。 だが、爾来、中学・高校を通じて繰り返 全五十巻の講談社版『少年少女世界文し巻き返し再読し、ほとんどその全文を 学全集』で記憶に残っているのはこの一諳んじてしまうほど濃密に付き合うこと 恐らくこの巻だけ買ってもら になったので、再読の反復のなかに最初 ったのだろうが、本屋の店頭でそれを選の読書の印象はいっしか揮発してしまっ たようである んだのが母だったのかわたし自身だった のか、そのあたりの経緯はまったく覚え 一つ確実に一一一一口えるのは、菊池重三郎訳 ていない。 もしそれが団子坂上の母の実を通じてその梗概だけは承知していたこ せんだ 家のすぐ近所の「千朶書房」でのことだのお話は実はこれほど豊かな物語たった ったとすれば、そこに連れていってもらのかという驚きが、還暦を迎えようとす うたびに店の奥から出てきて本選びを手る現在まで続いているこの本とのその濃サーガ」のほんの一部分にすぎないこと に目を開いてくれた岩波版『ア 1 サ 1 伝ってくれた、いつも柔和な表情の優し密な付き合いの、原点にあったというこ いご主人のアドバイスが、その選択に働とだ ( 同じような驚きをわたしは後年、ランサム全集』全十一一巻に対してもまた、 いたのかもしれない ( そのご主人が何や神宮輝夫訳の『岩波少年少女文学全集味わうことになる ) 。そうした驚きを可 能にしてくれたという意味で、菊池氏に ら偉い文豪のご子息だということは、周ツバメ号の伝書バト』に対して、さらに よる抄訳には一種の反面教師的な意義が 囲の大人の噂話からわたしにも何となく この全訳版さえ実は巨大な「ランサム・ 順 たのしい川べ ーヒキガ工ルの冒険ー ケネス・ルーアム作石井桃子訳 ケネス・グレーアム「たのしい川べ』 岩波少年文庫、 2002 年。 岩波世界児童文戦、 2003 年など。

10. 考える人 2014年春号

の竪琴』を持ってきてくれました。初めて「家の 本」ではなく「自分のための本」を手にして、す ごくうれしかったのを覚えています。 高校に入る頃には、外国から様々な読み物が入 ってきました。戦争の間は遮断されていた本や映 画がアメリカやフランスから入ってきて、『風と 共に去りぬ』『ハックルべリ 1 ・フィンの冒険』 『あしながおじさん』三都物などを読みまし 大学に入ってからは、サルトルやカミュが流行 身につき した時代で、北びして読みましたが、 ませんでしたね。三島由紀夫を読む傍ら、サマセ ット・モームやウィリアム・フォ 1 クナ 1 、ジョ ン・スタインべックを読むようになりましたが、 英文科だったので、この頃には原書で読んでいま した。つまり、海外から良質な子供の文学が入っ て出回るようになった頃にはすでに大人になって いて、子供として読む機会を逃したのです。 その頃、石井桃子さんが手がけた「岩波の子ど もの本」が刊行されたのです。『ちいさいおう ち』『まりーちゃんとひつじ』『はなのすきなう し』『どうぶつのこどもたち』・ : ・ : 紀伊國屋書店 で見て、衝撃を受けました。戦後間もない貧しく て灰色の時代に、こんなに美しい本があるなんて、 と。以来、アメリカ大使館の図書館に行っては、 『ニュ 1 ョ 1 カ 1 』や『ハ ーズ・バザ 1 』『ラ イフ』といった雑誌を見るようになり、ブックデ ザインの仕事を志して紀伊國屋に入社しました。 その後、退社してブラジルに渡ったのですが、一一 ヶ月の船旅に持って行ったのは、新潮社から出て いた一一色カバ 1 のモ 1 ム全集。本は、ただそれだ けを抱えて船に乗ったのです。 でも、児童文学もかなり読んでいらっしゃいま すよね 角野本格的に読み始めたのは、自分も書くよう になってからのことです。『ドリトル先生』『たの 想像をかきたてる宣示色」に 惹かれるのですが、 用尺ト説にはそんな物語性 をたたえた風景があった。 しい川べ』『トムは真夜中の庭で』『クマのプ 1 さ ん』、アストリッド・リンドグレ 1 ンやエリナ 1 ・ ファ 1 ジョンの一連の作品など、それはもうあれ これとずいぶん読みましたよ。日本のものも読ん だけれど、私はむしろ翻訳の語り口の方が、リズ ムが体にあったんです。父から「熊さん、八つつ あん」の話を、「とんとんとんつ」っていうリズ ムで聞いて育ったからかもしれません。 加えて、外国の物語から見えてくる風景がたま らなく好きだったのです。「カ 1 テン」ひとっと っても、当時は珍しいものでした。私は小さい頃 から、「扉の向こうには何があるんだろう。角を 曲がったら何があるんだろう」といった想像をか きたてる「景色」に惹かれるのですが、翻訳小説 にはそんな物語性をたたえた風景があった。 そういえば、都心の中学に通っているとき、地 続きにある周囲のお屋敷が占領軍将校たちに接収 されていて、何度か忍び込みました。洋式の暮ら しを見たくて、勝手に敷地に入って窓からのぞく んです。想像力をかきたてるものを見たくて仕方 なかったのですね。 もうひとつは、海外文学のナンセンス性。ジョ 1 ン・エイキンの『とんでもない月曜日』や、イ タロ・カルヴィ 1 ノの『マルコヴァルドさんの四 季』といった素っ頓狂な物語から、自由に書くこ とは許されるという気持ちをもらいました。戦争・ 中にあらゆる価値観を押しつけられて、規則で人 の気持ちが縛られた。せつかくそれから解放され たのだから、縛りや「 くくり」のある世界に戻り たくない。そんな気持ちは今も続いています。テ ーマ主義は嫌いだし、イデオロギ 1 を押しつける お話は書きたくないそもそも、押しつけるほど 学 文 私はエラくない。 童 子供の文学は一人一人の心に不思議の種をそっ児 海 と置いていくものだと思っています。その種が自 3 3