だとして同性愛を忌避する国が、欧米からの援助を 切望している状況も然り「反西洋」や「反欧米」 を掲げたしたたかなダブルスタンダード ( 二重基 準 ) といえよう。 ワトト教会 たたし、急いで付け加えなければならないのは、 根本派教会がウガンダで果たしている社会福祉的な 役割である。 その好例がカンパラ中心部に本部を構えるワトト 教〈た。カナダからウガンダに赴任したゲ 1 リー・ スキナー牧師と妻マリリンによって、ウガンダ内戦 中の一九八三年に創設された聖霊派教会で、国内八 地域に一一十の礼拝堂を持ち、週末には一一万一一千人以 上の信者が集う。同性愛に反対なのは当然だが、同 教会が有名なのはエイズや戦争で親を失った孤児 その数はウガンダ全体で約一一百万人と推定され るーーらへの救済活動によってである ( ワトトとは スワヒリ語で「子どもたち」を指す ) 。「子どもたち を大きな施設に入れるのではなく、家族の中で育て る」という方針のもと、孤児八人と母親一人 ( 主に 夫を亡くした女性 ) で一家族を形成しながら、住 居・学校・病院・教会・集会所・清潔な水・道路・ 電気が整った「子ども村」を設営している。女性の 自立や児童兵士の社会復帰を促す支援活動にも積極 的だ。孤児らで構成された聖歌隊「ワトト・チルド レンズ・クワイア」はとりわけ有名で、日本を含め、 世界各国を回り、感動と希望を届けている。 ワトト教会そのものは典型的なメガチャ 1 チで、 1 チのノウハウを学んでいるかは不明たが、セルと いうアメリカ流の呼称がそのまま用いられている点 は示唆的だ。 アメリカにおける根本派 ( ファンダメンタリス ト ) とは福音派 ( エバンジェリカル ) や聖霊派 ( ペ ンテコスタル ) などキリスト教保守派の総称であり、 メソジスト派、ユニテリアン、聖公会派といった主 アメリカ同様、信者たちが「観客」ないし「傍観的 な参茄者」にならぬよう、一一千以上設けられたセル と呼ばれる小さなグル 1 プを単位に日頃の活勲が行 なわれている。文字通り、メガチャ 1 チという巨体 のセル ( 細胞 ) を成す基本単位であり、例えば、毎 週水曜日にはセルごとの集いが信者の家で開かれて いる。スキナ 1 夫妻がどこまでアメリカのメガチャ イ被 ワの ク北 ・東 ズ ン レ行 を一 ワ 2 も で 日 よ的た に界れ ち世訪 日し物 1 4 流派 ( メインライン ) に比べて、形式的にはインフ 9 オ 1 マルだが、 教義的には原理主義的であることを 特徴とする。社会階層との相関性が高い主流派 ( 例 えば、聖公会派は中上流層以上に多いとされる ) に 比べると、より開かれており、「神の下の平等」を 体現しているという人もいる。 一方、ウガンダでは古くからさまざまな民間信仰 か存在していたが、約半世紀ほど前からそれらを習 合しながら救済を説く根本派的なキリスト教ーーエ 、ンジェリカル、ペンテコスタル、ポーン・アゲイ ン、カリスマティックなど呼称はさまざまだが、地 元ではバロコレ (Balokole) と総称されることか 多いーーーが誕生し始めた。ェイズや内戦による貧困 や社会歪女が深刻化する一方、国家基盤が脆弱なウ ガンダにあっては、根本派教会のメッセージやスタ イル、そして社会福祉的な営為は急速に民衆の間に 浸透した。政府もそれを歓迎し、教会との関係を密 にしていった。文化人類学者ェイミー・スタンバッ ク ( オックスフォード大学教授 ) は、こうした構図 が、ウガンダに限らず、東アフリカにおける根本派 教会の勢力拡張を助長していると指摘する (Amy Stambach. ミ・ Sc 、 00 Stanford University press. 2010 ) 。少なくとも根本派教会が「 に対して不寛容」という事実のみで説明できる存在 ではないことだけは確かだ アメリカのジレンマ オバマ大統領は、就任早々、保守派のブッシュ前 大統領が出した国際援助に関する大統領令を撤回し、
性、すなわち神に求めたという点では、プラトンは、 法を自然よりも上位においていたことは確かであろ う。だからこそ、法は一旦制定されれば厳格に遵守 されねばならないのである。 8 「ソクラテスの方法」とアゴラ アテナイの人々が「自由」に対して大いなる憧れ を抱いたことはすでに述べたとおりである。こうし た自由への憧れの根拠は何だったのか。個人の精神 的な欲求 ( 私的欲求 ) としての自由は、東方の専制に 対する戦いへの戦意の中に現れている。しかし、単 に私的な精神的欲求としての自由を求めただけでは ない点に、ギリシア人の自由を尊重する気概がうか がえる。それは、自由な議論が新しい知恵と知識を もたらすという、「社会的」な効果を発見したこと である。真理へ近づく手法としての「対話」 (dia- logue) の効力の発見と言ってもよい 西欧社会の伝統の中から生まれた言論の自由の根 拠は、ギリシア人たちが、ソクラテスの対話で示さ れているように、対話こそが真理に到達する主要な 方法であるということを発見したことにある。自由 に語る権利は、真理への接近、「善き社会」の形成 にとって欠くべからざる手段の 1 つだと気付いたの である。問いと答え、肯定と否定の対立を和解に導 きつつ、より高い真理への道を進もうとするのが弁 証法である。論争者は、双方が、論争を始めたとき に持っていた知識より一層深い叡智を獲得するため 、「協同的に」議論するのである このソクラテスの方法 (Socratic Method) はいわ それ自体としては、公共の必要事であるよりはむし ろ私的な央感を満たしているにすぎない。言論の自 由や表現の自由は精神的な自由であるから、対立す る利益は何か、「公共の福祉」に抵触するかが考慮 されねばならない。 名奢の毀損、プライバン 1 の侵 害や、醜い自己顕示、虚偽の広告などの行き過ぎに より「真理の核心」が見えなくなれば、言論の自由 は害悪を生む。自由 (freedom) と放縦 (hcense) の境界線は、言論の自由がもはや真理の手続として 尊重されなくなったときにあらわれる でし より真理に近いところ、より深い理解の世界へと 雄導く対話のプロセスは、経済活動におけるアゴラの 機能に似ている。「市場」と訳されるアゴラは、言 め刮 論の自由と「市場における評価」を尊重するという ' 勝の にめ姿勢と深く関連していることは推測がつく古代ポ リス ( 都市国家 ) ではアゴラは広場を意味したが、主 に商取引 ( 特に生鮮食料品 ) の場所を指した。しかし ス アゴラは民会の場所であり、市場交換をする場所で ラ クく もあった。古代ギリシアのポリスにおいては「市 場」と「共同体」は同じコインの両面たったのであ 弁証法というと、ヘ 1 ゲル哲学を想起し、晦渋の る。この二つの概念を結びつけているのは、「交 極みのように思えるが、あらかじめ「真理」を手中 換」によって人と人が結びつくという経行為であ つ、」 0 にしているものはいないから ( 神のみ ! ) 、お互い ( 論議 (debate ではなく、 dialogue) を交わす過程で、 この点にペリクレスは気づいていたのであろうか 少しでも真理に近づこうではないか、という姿勢を裕福な政敵キモンが、自ら所有する古来からの領地断 の 意味するに過ぎない。真理へと疾駆する馬に「鞭」 から生まれる富を一方向に再配分して支持を得ようつ る をあてる道具と言えるかもしれない。 としたのに対して、ペリクレスは積極的にゴラで 自由は、真理を発見するという希望につながるか の亠無貝を自ら行い、アテナイの商業的な場としてのを ・目 らこそ高い公共性を獲得するのである。知りたいこ アゴラを育成しようと努めたと言われる。第 7 0 とを知ろうとし、表現したいことを表現する権利は、 ゆる「弁証法」の基本的な型であり、雄弁術で論争 に勝利を得ようと努力するソフィストの方法とは根 本的に異なる。ソフィストの多くは自らの知識や弁 論の技能を人々に伝授することによって金銭的な報 酬を得ていたのであって、そこにソフィスト自らが さらに賢明になるという余地は勘宀疋に入っていない。 弁証法が、真理へ通じる過程での批判と総合である のに対して、雄弁術は説得の方法に関する技術なの
あったと一一一一口うべきかもしれない かし、それは、たしかに、・磧だったでしかもしれない。しかしグレ 1 アムはそこ 恐らく収録ページ数の制限があり、まようかそれとも、ときには、歌にうつ にこれら逸脱的な、ないし道草的な二章 た低年齢の子供に面白く読めるところだ っていったのではないでしようか ? 」酩を割りこませ、随所に豊麗な自然描写を ナ取り出してほしいという要請も受けて酊状態になったネズミはふらふらと家出盛りこむことで、あえて冒険譚のサスペ 成った結果に違いない菊池訳を貶めるこしようとしてモグラに引き戻されるのだンスを断ち切って、物語に不要な蛇行を とは、しかしわたしの本意ではない。今が、そのモグラがネズミを現実に引き戻導入した。曲がりくねって流れる川のゆ 読み直してみると、当然ながら菊池氏は、すために描写する、この田園の川辺でのるやかなたゆたいのように、とでも言お 「 7 あかっきのパン笛」と「 9 旅び定住暮らしの楽しさもまた、やがて橘うか。そこに、不思議な光芒を放っ特異 とたち」の二章を丸々削り、さらに随所詩のような美しさを帯びるに至る。 なユートピア譚が生誕した。そこでは、 でグレ 1 アムの長い描写を摘まんでいる。「 7 」では現実を垂直方向に逸脱する超「内部」への快楽的な自足 ( それがもっ 上記の条件下で、訳題の通りの「ひきが越性の水準が導入され、「 9 」では現実とも鮮烈に語られるのは「 5 なっかし えるの冒険」という主要ラインに物語をを水平方向に越境したところに広がる地のわが家」の章だろう ) が、「外部」へ 還元しようとすればそうするのが当然で、理的な外界が示唆される。この一一章は、自の戦慄的な誘惑 ( ヒキガエルの人生を絶 これはこれなりに良、い的な配慮の凝らさ足した小ュートピアのようなこの「たのえず悩ましつづけるのはそれだろう ) に れた周到な縮約版になってはいたのだ しい川べ」の世界を超出した、「外部」のよって、甘美にまた残酷に、そこはかと しかし、石井桃子訳の完全版がわたしに在り処を一小しているのだ。「川べ」の暮なく脅かされつづける。 教えてくれたのは、ヒキガエルの投獄とらしの牧歌的平穏は、半獣神によって表それにしても、物語全体を織りなす石 脱獄と逃亡譚の合い間に挟まれる「 7 」象される超越界の庇護の下で初めて保証井桃子の日本語の何と見事なことだろう。 と「 9 」のこの二章にこそ、さらに子供され可能となること。さらにまた、 この文章の自然でのびやかなリズム感は、 セデンタリー ノマド 向けの本としてはやや冗漫という誹りを「定住者」の快楽とは異質な「放浪者」幼年期から思春期にかけてのわたしの心 受けかねない全篇にわたる自然描写の豊の興奮といったものがこの世にはあり、 に慈雨のように沁みこみ、わたしがその 饒にこそ、この物語の魅惑の本質的部分前者を堪能し尽くすためには後者を潔く運用を習得しつつあった母語のとりうる、 かあるとい一フことだった。 断念せざるをえないこと。この一一章で語 もっとも親密で優美なすがたを開一小して 「 7 あかっきのパン笛」はネズミとモられるのはそうした認識であり、それをくれた。『たのしい川べ』や『クマのプ グラが半獣神に出会う挿話で、全体が散 くぐり抜けることでこの「川べ」の小ュ 1 さん』は、この現世に生きるのは、そ 文詩のような美しい文章で書かれた章で 1 トビアの魅惑は形而上的次元を獲得し、んなに悪いことではないのかもしれない ある。「 9 旅びとたち」は、ネズミがまたかすかに悲劇的な陰翳を帯びもする。とわたしに囁きかけてくれたのである 海ネズミに会い、七つの海を股に掛けたそれがこの稀有な物語に漲る美と幸福を子供のための物語が果たすべき唯一の使 放浪生活の話に魅了されるという章で、ますます深く、豊かなものにしている。命とは、そう囁きかけることに尽きるの ここでもまた物語は詩に、あるいは歌に 単線的に進行する冒険譚 ( 「ひきがえではないだろうか。石井桃子はわたしの 近づく。「そして、話はーーーすばらしい るの冒険」 ) に純化し特化した方が、あ人生の最大の恩人なのではないか、と近 話はー・ー流れるようにつづきました。しるいは物語としての完成度は高くなった頃しきりに田 5 う。 まつうらひさき 一九五四年東京生れ。作家・詩 人。短篇小説集『もののたはむ れ』「幽』「あやめ鰈ひかがみ』、 中、長篇小説に「花腐し』 ( 芥 川賞受賞 ) 『巴』「半島』 ( 読売 文学賞受賞 ) 、評論に「折ロ信 夫論』 ( 三島由紀夫賞受賞 ) 「エ ッフェル塔試論』 ( 吉田秀和賞む 受賞 ) 、詩集に『冬の本松浦寿を 輝詩集」 ( 高見順賞受賞 ) など。子 新聞連載小説「川の光」は、著 者はじめての児童文学として、 石 9 話題を呼んだ 8
私を育てて くれた一冊② 和三十年代に四国で少女時食いしん坊でボクサー志望のマティ 代を過ごした私にとって、 アス。チビで臆病者のウ 1 リ。けれ 海外児童文学の世界は憧れどこの、「ジャイアン」のようなマ そのものだった。 ティアスと「のび太」のようなウ 1 なかでも、リンドグレ 1 ンとケスリが大の仲良しなのである。二人は、 トナ 1 にはまった。なぜなら、登場強い友情で績はれている。それが、 ジョニ 1 は幼 する少年たちが魅力的だったからだ。 なんとも気持ちいし そんなエーリヒ・ケストナ 1 の最高い頃親に捨てられたみなし子である。 傑作と言われているのが『飛ぶ教けれど、芸術的才能があり、今回の 室』である。 劇の作者なのだ。そして境遇の差は ス 時代は、ナチスが台頭する前のドあるものの、登場する彼ら少年たち がみな、健気なのである。ぐれたり ィッ。高等中学校 ( ギムナジウム ) の生徒たちは、クリスマスに上演す拗ねたりしている者は一人もいない る劇の稽古に余念がない。そしてそ不遇な運命でも決して打ちひしがれ の後に続く休暇で、寄宿生たちは親ず、常にユ 1 モアを忘れない。そこ っ が、少女だった私の心を打ったので の待っ故郷に帰ることができる。ま だまだ親の恋しい年頃の少年たちにあった。因習的で閉鎖的な、およそ な ュ 1 モアというものが通じない故郷 とって、心から待ちに待ったクリス マスなのだ。 の町は、ケストナーの世界とは真逆と 少年たちの寄宿生活。それだけで、であると感じていた 0 ケストナ 1 はる 少女の、いはときめくというもの。さ らに、ケストナ 1 はキャラクタ 1 設「子どもだって、ときにはずいぶん 定がじつに上手い。家は貧しいが正悲しくて、不幸なことだってあるの 血 義感あふれ学業も優秀なマルティン。 photograph by Hirano Mitsuyoshi 1 『飛ぶ教室』 [ 岩波少年文庫 ] ドイツの寄宿学校を舞台に、あるときは快 活に、あるときは悩みを抱えながらも、成長し ていく少年たちを描いた物語。ボクサー志 望のマティアス、貧しくも秀才のマルティン、 臆病なウーリなど登場人物が魅力的。 2 4
面ライダー』や『帰ってきたウルトラマ添いながらそれをいかに説得力のあるも高畑は年に「名作シリース」の路線 ン』といった特撮番組によるみ変身ブーのにしていくかが私たちの意図でした。〉変更を提案する文章の中で、『ハイジ』 ム % み第一一次怪獣ブームのただ中にあ ( 同前 ) と記している。 以降に制作された「名作シリーズ」のイ った。さらに、このブームを追いかける 外国の生活の細部は想像で描くことはメージと路線を次のようにまとめている。 ように年にはロホット同士のヾトレゞ / 丿力できない 。『ハイジ』はテレビアニメで〈物語の内容は様々でも、素材は共通し 売りとなるアニメ『マジンガー N 』が始は初と呼ばれる海外ロケを行った。高畑、て古典的名作、舞台は古き良き欧米の美 まり、こちらの路線も人気を集めていた。宮崎、小田部らは舞台となった現地を回しい自然と村や町。宀筬的に幸せとはい 当初、 > 局や広告代理店は、刺激の 丿、四世紀末のアルプスやフランクフル えない主人公が明るくけなげに生きてゆ 少ない『ハイジ』では視聴率が望めない トの風土と生活を伝える資料を見たり収く姿をたっぷりと一年かけて描きあげる。 と乗り気ではなかったという。高畑は集したりした。『ハイジ』の世界のリア原作をダイジェストするのでもなく、い 〈この企画を b-> 局に提案した時、局かリティとはそういった取材に基づくとこたずらに事件主義で表面的なドラマを追 代理店の担当者が、もし成功したら銀座ろから生み出された。それは従来の「ア 加するのでもなく、むしろ傍役を含めお を逆立ちして歩いて見せると言ったと聞ニメの背景は書き割りでよい」といったのおのの人物像を豊かにふくらませる。 物語の大きな流れは原作の進行にまかせ、 きました。〉 ( 『映画を作りながら考えたこと発想とは一線を画すものだった。 Ⅱ』徳間書店 ) と回想している。 『フランダースの犬』や『赤毛のアン』そのなかで主人公の日常にいわば密着取 だが『ハイジ』は大ヒットとなった。のファンが作品の舞台となった土地を訪材して彼等の一日一日の生活 ( 生き方 ) その理由はいろいろ考えられるカ ゞ、四れている、というニュースをしばしは耳を克明に追いかける。まわりの人々との にすることかあるだろう。このように 世紀末に執筆された古い原作を巧みにア 心の触れあい、主人公の喜怒哀楽は充分 に描いてみせるが、日々の小事件や出来 レンジしつつ、リアリティある映像を作「現地を訪れてみたい」と思えるのも、 り上げた点を無視することはできない 『ハイジ』ではじまった、取材に基づい事からすぐ教訓をひきだしたり価値判断 原作はキリスト教の信仰に基づいた描て現地の風土と生活を描き出す姿勢があを加えたりせず、あくまで日常的な事象 写も多く教訓的な内容も少なくない。アればこそといえる。 として取り扱い、それに視聴者を立ち会 ニメでは宗教色を抑えつつ、原作ではあ こうして『ハイジ』か切り開いた新たわせ、主人公とともに生きることを可能 にさせる。まわりに配された大人達も、 まりページか割かれていないアルムの山な地平し こ、さまざまな作品が生まれた。 の生活を丁寧に描き込んだ。 具体的には乃年『フランダースの犬』無理に子供の理解出来る範囲に醜悪 ( 矮 『ハイジ』というと、暖炉であぶられて ( 本作の途中より、制作がズイヨー映像から日本小 ) 化または英雄 ( 巨大 ) 化せず、様々 とろけるチーズや、ふかふかの干し草のアニメーションとなる ) 、年『母をたずねな性格をもった等身大の大人として現実 べッドなどを思い出す人も多いだろう。て三千里』、年『あらいぐまラスカル』、的に描く。〉 ( 『映画を作りながら考えたこと』 このような山の生活を魅力的に見せた細年『ペリーヌ物語』、四年『赤毛のア徳間圭居 ) 部は、アルムでの生活を描き込むというン』と続く。いずれも「懐かしのアニ これは読者の中にある「名作シリー 方針から生まれたものだ。こうしたアレメ」特番などで取り上げられることの多ス」の印象とも重なるだろう。 ンジについて高畑は〈原作の美点に寄り リアリティのある外国の風景の中でキ 49 海外児童文学ふたたび
が必要なんですよ。 人間はひとりではない、なんて社会との関係性に こだわるのは、一人っ子の特性ですね。いちがいに 一一一口えないけれど、僕の場合はとにかく「二十億光年 の孤独」に原点があるから。 三十億光年の孤独」を書いた頃から頭の中に、 例えば今のインターネットでおおわれた世界のような、 黍への予感があったのでしようか。 当時はそこまでは田 5 い付きもしてなかったんじゃ ないかな。最近「セロ・グラビテイ』という映画を で観て、「二十億光年の孤独」のリアリティは こうなんだ、と納得しました。子どものころは、抽 象的に、観念的に、一一十億光年の孤独があったんだ けど、字宙船からば 1 んと一人が放り出された時の 孤独は、到底そんなものじゃないんだよね。 詩の = = ロ葉をとう味わうか 詩が掲載されるメディアはもはや紙だけでなく、 ハソコンにタブレット、スマートフォンなとに選 ぶことができる時代です 詩をタブレットで読むのと紙で読むのは感覚的に 違いがあります。はっきり意識できないけれど、読 む人に影響を与えるんだな、とは感じていますね。 僕は昨年の一一月から、メールマガジンで詩の配信 を始めたんですよ。月に四回週に一篇、未刊の詩を 写真とともに配信しています。 メールマガジンによる配信というスタイルでは、 詩の書き方は変わりますかワ それは変わりたくないですね。一番はやつばり詩 カ ( いか悪いかなんだから、どのメディアに載ろう 力いい詩を書かなきやという覚吾はある。でも、 実際にディスプレイで見ると、違う書き方があるか なとも思います。紙とディスプレイとで読むときに 感覚的な違いがあるということは、自分の咸又性が どこかで影響を受けているということです。だから、 もし完全にディスプレイで読むための詩を注文され たら、ちょっとは書き方が変わるかもしれないです ね。 縦圭日きと横日きはど , つでしょ , つか。メール配信は 横組みですね。 僕は基本的には縦書き派です。このごろは横組み の雑誌も増えていて、やや抵抗はありますよ。 味わいある動物たちは谷川さんの大切なコレクション。 媚びない言葉 谷川さんの言葉は強く、古ひることかありません だからこそ、さまざまなメディアに乗ってこれからも 愛されていくでしよう。大人にも子ともにもしつかり と伝わる言葉です 自分ではあまり強いという意識はありません。た だウケなきゃいけないという田 5 いはとてもあります 喜んでくれると、こっちもうれしいですよ 子どもの本では、難しい漢字は使わない、できる だけひらがなを使う。でも、すこし難しめにしたい ときも時々あります。子どもにあんまり媚びたくな いんです。子どもにはわからないけどこれでいいん じゃないの、というもの。自分の経験でも、わけの わからないことをけっこう宀見えていて、大人になっ てから、「あ、そうだったんだ」ということがあり 土亠 9 か、ら。 ( い表現にであうと目を開かれます。今は、決ま り文句的なものやキャッチフレ 1 ズがあふれている けれど、ああいうものを読むのは体に悪いですよ 絆なんて一一一口葉でも、以前はきれいないい言葉だった のにもう使えない。マスメディアはすごい力を持っ ています。 今日お話をうかかって、谷川さんがいかにいろい ろなものとつながり、ことばの世界を生きてこられた か、実感しました。 僕は「二十億光年の孤独」なんていうわりには、読 を 自分以外のものから刺激を受けて詩を作っていると子 う自覚はあります。完全なひとりなんいうのは井 人間としてはおかしいですよ
で、その一割が汝矣島純福音教会で洗礼を受けてい るとされる 趙鏞基とアメリカとの関係は深く、一九六四年に は聖霊派世界最大の一派「アッセンプリ 1 ズ・オ ブ・ゴッド」に韓国代表として参痂、九一一年には国 際組織の議長に選出されている。七六年にはアメリ カ地区連合会を設立し、八一年にはロナルド・レ 1 ガン大統領の就任祝賀会にも招かれている。その反 面、スキャンダルや失一一一一口も多く、一一〇一三年には巨 額背任容疑で在宅起訴されている。 汝矣島純福音教会には牧師や伝道師が七百人ほど いるが、その大半がアメリカの神学校に学んでいる という。現在、世界六十七ヶ国に地区連合会を有し、 日本にも支教会や支聖殿が多く設立されている。国 際展開という点ではアメリカのメガチャ 1 チよりも、 俄然、活発だ。 その一方、韓国と対照的なのがフランスである。 デロテスタントは人口 ( 十八歳以上 ) のわずか一一バ 1 セントほど、しかも世俗主義の伝統が強いメカ チャーチもパリ近郊に三つ、アルザスに一つあるの み。パリ郊外のル・プランⅱメニルにあるカリス マ・キリスト教会 (Charisma Eglise Chrétienne) が最大だが、信者数は約七千人で、汝矣島純福音教 会とは比べるべくもない。 しかし、カリブ海やアフリカなどからの新移民を 中心に、メガチャーチの信者数は増加の一途にある 他の欧州諸国同様、主流派教会で信者数が激減しつ つあることを考えれば、これは冪すべきことだ。 カリスマ・キリスト教会は一九八九年に聖霊派のポ び者 る れ 者登 = = ロも 教 ーレ る イ的色彩が強いとい一フ (Sebastien Fath. "French megachurches", a conference paper, 2010 ) 。それは、 唯一バリ禹にあるメガチャ 1 チ、ランコントル・ エスペランス教会 (Rencontre Espérance) で私 自身が受けた印象とも重なる。アメリカ都市部のヒ スパニック系教会にいるような感覚に襲われた。し ルトガル人宣教師によって創設されたが、フランス 語であることを除けば、礼拝のメッセ 1 ジやスタイ ルはアメリカのメガチャ 1 チと酷似している。 歴史学者セバスチャン・ファト ( フランス国立科 学研究センタ 1 研究員 ) によると、フランスのメガ チャ 1 チは、白人中産階級の信者も多いアメリカに 比べると、例えば、新移民がフランス語を習得した 、仕事の伝手を得るなど、移民の互助コミュ一一テ つ 1 ! 第い【新 ( 気 ) 3 材にむ自に 」会 かも警戒されたのだろうか、教会内部の一 ( 撮影は 許可してもらえなかった。メガチャーチでは初めて の経験だ これまで見てきたように、アメリカの根本派教会 の影響、とりわけメガチャーチのそれは国外にも及 んでいる。メッセ 1 ジやスタイルが似ていても、そ の社会的位相が国によって異なることは上述した通 りだ。とはいえ、それぞれの国の社会的文脈に起因 する苦悩や葛藤、すなわち「意味への渇望」と向き 合い、それを充足するための実践的なツ 1 ルやプラ ットフォ 1 ムを提供している占 ~ は注目に値する クロ 1 ノノ・ 4 ヾレヒの時代、とりわけアジアの時代にあ っては、シンガポールや韓国など、アメリカ以外の 国の教会や牧師が存在感を増す局面がより顕著にな るかもしれない。しかし、そのメッセージやスタイ ルそのもののなかにアメリカのレガシーは生き続け ている。それはいわばコンビュ 1 タ 1 の基本 Oco の ようなものかもしれない。 アレクシ・ド・トクヴィルは『アメリカのデモク ラシー』のなかで、権威主義的で学識深い聖職者に 反抗し、 1 ナキュラ 1 ( 日常ロ語的 ) な表現で熱 狂的な礼拝を司ったリバイバリズムの巡回説教師を 「神の言葉をあちこち伝えてまわる」行商人と同然 と侮蔑した ( 第一一巻〈上〉、岩波文庫、一一三〇頁 ) 。 それから百七十絜りその信仰のはまさに行一 商人的情熱を以て海を超え、巧みにローカライズさか れながら、着実に世界に拡散しつつある ン カ メ 9
森村さんが「ヨコハマトリエンナ レ 14 」のアーティスティック・ティレ ター ( 芸術監督 ) に就任されると伺っ ときには意外な印象を受けました。 森村一昨年の夏に最初の打診があ てから僕も迷いました。まずそんな本 じゃない。アーティスティック・デ レクターとは組織を束ねるリーダー いう立場ですが、そもそもリーダー ( あまり魅力を感じない。 でも逆に、今まで学校や会社とい た組織か苦手で仕方なかったという 分がこの役割を引き受けることで、 しいオーガナイスの仕方や新しいリ ダーのタイプを示せるのではないか 思いました。 どんな展覧会にしようかと考えた時 芸術とは基本的に世の中であまり役に 立つものではないのに、どうしてこん なにハマってしまい、表現への衝動み たいなものが生まれるのかという根本 的なネ見点に立っことにしました。 「理想的なリーダー」というと役立つ 人材を活用し、不要なものはすべてリ ストラしてしまうような、今どきのあ り方を思い浮かべます。 役立たないものに目が行く。そういう 人間がリーダーらしからぬリーダーに なることで、自分にしかできないョコ ハマトリエンナーレか構想できるので はないかと思い、引き受けました。 ー今回のタイトル「華氏 1 の芸術・ 界の中心には忘却の海がある」はティレ クター就任当初からあったのてしようか。 森村最初の段階からほやっとしたも 港町ョコハマから 忘却の海気旅に出る 森村泰昌 interview With MO 「ⅱれ u 「 a Yasumasa ミ第ー 1951 年大阪市生まれ。京都市立芸術大学美術学部 卒業、専攻科修了。 1985 年、ゴッホの自画像に したセルフポートレイトを発表。以後、一貫して 「自画象的作品」をテーマに、美術史上の名画や往 年の映画女優、 20 世紀の偉人たちなどに扮した写 真や映像作品を制作。 2007 年度芸術選奨文部科学 大臣賞受賞、 201 1 年に秋の紫綬褒章受章。 189 しつもん、考える人
る。郊外には付属大学も設立 ( 州は不認可 ) 、約千 人の学生がフルタイムで在籍している。その一方、 過激な教義や礼拝形式に対しては「カルト」との批 判も絶えない。 無論、反同性愛の活動に携わっているのは同教会 だけではない。全米各地から根本派の牧師や信者が 続々とウガンダを訪れては、地元の警察、教師、政 治家、市民の集会に参茄、同性愛者を矯正する方法 から未成年への誘惑を防ぐ方法まで伝授している。 「同性愛者は婚姻に基づく社会を破壊し、乱交文化 に置き換えようとしている」というのが基本的主張 といってよい 反同性愛法案の強力な推進者であるウガンダ人の マ 1 ティン・センパ牧師は、全米最大級のメガチャ 1 チ、サドルバック教会 ( カリフォルニア州、福音 派 ) の創設者・主任牧師リック・ウオレン氏の弟子 筋にあたる。ウオレン牧師は二〇〇九年のオバマ大 統領の就任式で開会の祈疇を務めた著名人だが、 「同性愛は小児性愛や近親相姦と同等の罪だ」と述 べるほどの保守派でもある ( リべラル派のバラク・ オバマ大統領は超党派の姿勢を演出するために同氏 を起用したとされる ) 。ウオレン牧師自身は、周囲 からの圧力を受けた結果、法案への反対を表明して いるが、「懸念表明」や「情勢注視」などに留めて いるアメリカ人牧師は少なくない。 O ストリート ウガンダに関与しているキリスト教保守派のなか で、その政治的影響力の大きさが注目されているの がバ 1 ジニア州を拠点とする「フェロ 1 シップ」 ( 「ファミリ 1 」とも呼ばれる ) である。そして、同 組織が運営しているとされる建物がワシントン・ 0 ・の連邦議会議事堂から徒歩五分ほどのところに ある。通りの名前から、俗に「 0 ストリ 1 ト」と呼 ばれるその邸宅は三階建ての煉瓦造り。寝室が十一一 部屋、バスル 1 ムが九つ、リビングが五部屋、ダイ ニングが四つ、オフィスが三室、台所、礼拝堂があ り、主に共和党の宗教保守派の有力議員たちにワシ ントン滞在中の住まいとして廉価で間貸しされてい る。料理人や使用人は同組織から派遣され、政治的 な会合や晩餐会、祈疇会も催されているという。リ べラル派のウォッチドッグ ( 監視 ) 団体などからは、 宗教組織としての一線を越えた、事実上の「秘密結 社」ないし「政治結社」であるとの批判が絶えない ジョ 1 ジ・ブッシュ ( 子 ) 大統領が就任後、最初 に出した大統領令は「海外で人工妊娠中絶を実施・ ワシントン D ℃ . の連邦議会議事堂のそばにある 「 C ストリート」 ( 著者キ開彡 ) 支援する ZCO への資金援助を制限する」という保 9 守的なものだったが、逆に、ウガンダを含め、アフ リカ諸国の保守的な性 ( 純潔 ) 教育。フログラム コンド 1 ムの焼却運動など に対しては巨額の資 金援助がなされた。そのロビイスト的役割を果たし た一つが「 O ストリ 1 ト」とされている。二〇〇九 年の反同性愛法案の原案作成を主導したデヴィッ ・バハテイ議員は「フェローシップ」のウガンダ 支部の幹部である。と同時に、その中身があまりに 過激だったため、ムセべニ大統領に法案取り下 げを迫ったのも「フェロ 1 シップ」だったとい う。ウガンダ以外でも、例えば、一一〇〇一年に は、当時、戦争中だったコンゴとルワンダの両 大統領を極秘裏にバ 1 ジニア州の「フェロ 1 シ ップ」本部で引き合わせるなど、フィクサ 1 的 役割も担ってきた。両大統領は、翌年、停戦合 意 ( プレトリア包括合意 ) に署名している ()e ・ ter J. Boyer,"Frat House for Jesus". The New 1 「 0 e 、 . September 13. 2010 Jeff Sharlet. C S 、、ミ 4 Little, Brown 年 Company. 2010 ) 。 もちろん、「 O ストリート」のような存在がある 一方、アメリカの人権擁護団体もまた議員への ロビイングやウガンダ人活動家への資金提供、国際 社会への告発に精力的に取り組んでいる。まさにアメ リカにおける保守派とリべラル派の「文化戦争」の代 理戦がウガンダを舞台に繰り広けられている格好、た したたかなダ、フルスタンダード そのウガンダを訪れたのは一一〇一三年の秋。往年
るはずであり、誰も「ゴルディオスの結び目」を断 ち切るような良い答えを持っているわけではない。 しかしいわば例題として、筆者が若い頃不田 5 議に思 った「運命」にまつわる論理学上のパラドックスを ひとつ紹介しておこう 試験を前にした若者がこう考える。「若し自分が この試験に落ちる運命にあるのであれば、 いくら勉 強しても落ちる。また、もし自分が受かる運命にあ るのであれば、勉強しなくても受かるはずだ。自分 は受かる運命にあるか、落ちる運命にあるのかのい ずれかだ。したがって、いずれの場合も、自分は勉 強する必要はない」 こうした論理はもちろん「馬鹿げている」と一笑 に付される。「運命」は、「どれだけ勉強をするか」 という自由意思と性格によって大きく左右されるわ けであるから、実際にはこの「運命」の論理を信じ て、「勉強しない」ことを選択する者はいない。 の論理が、論理としては形式的に成立しているのに、 卩とい , フ ( 意思や 現実的には正しくないのは、「運合」 性格に左右され ) 事後的にしか定義できない「カ」を 知るものが現実には存在するかのように相疋してい るか、ら、た。 6 ペリクレスのラディカル・デモクラシー 『オイデイプス王』で運命を描いた悲劇詩人ソフォ クレスやペリクレスと、ツキュジデスは親しく交わ ったと一言われる。したがって同時代史であるツキュ ジデス『戦史』に描かれたペリクレス像にはバイア スがあるはずだ。親しく交わっている人を客観的に が展開する「ペリクレス論」から最大公約数的なと ころを抽出すると、ペリクレスが親スパルタ派の政 敵キモンを追放 ( BC461 ) したあと、ペロポネソ ス戦争開戦 ( BC431 ) までに行った重要な政策が 一一つある。ひとつは民衆法廷への出席に手当を支給 することによって貧困階級の政治参茄を可能にした こと。もうひとつは、パルテノン神殿の建設などの 公共事業や悲劇・喜劇の観劇手当を支給するなどの 、ハラマキ政策を行ったことである。文化政策を重ん 公正に描くことは難しい。その点ではペリクレスを じ、哲学や教育を大事にしたようだが、他面、心霊 知るための文章として、帝政ローマ時代のギリシア に関わる現象には懐疑的なレアリストであり、金の 人、プルタルコスの『対比列伝』は参考になる。デ 力をよく知る政治家だったと推測できる。時にペリ ータの鮮度は落ちるが、多くのペリクレス研究の専 クレスは、自由と平等のデモクラシー絶頂期の政治 門家はこの『対比列伝』にかなり依拠しているよう を執り行った政治家として語られるが、実際は、大 ヾ、、 0 0 ヘリクレス死後 500 年以上が経過しているた 資産家であった政敵キモンに対抗するために、かな め、想像で作り上げられた虚像部分もあろう。した りきわどい公金使用を行っていたことも指摘されて がってすべてをそのまま受け入れることはできない。 いる ( アリストテレス『アテナイ人の国制』第章 ) 。 しかしなるほどと思わせる占 ~ も多い 要するに、自由と平等のために、ペリクレスは民 ッキュジデス、プルタルコス、現代の歴史家など 衆の人気をいかに買うかに大いに、いを砕いていたの だ。その過程で生まれたのが、「リべラル」のペリ れクレスがして「保守派」の政敵キモンを陶片追 評放したという図式なのだろうか。デモクラシーの下 のも で政治を動かすためには、民衆の支持が必要であり、 の蒔民衆の支持を得るためには、自由と平等を実感でき る条件を創り出さねばならないという現実は、現代 と少しも変わらない。自由は人々に直接的な快感を 崩 窈そ与える。その自由と平等の央楽の中に、すでにアテ レか ナイのデモクラシ 1 の崩壊の兆しは現れていたので クる リえ ペ支あろ , フ。 その。ヘリクレスの人となりは、極めて寡黙で、自 己規律に厳しかったという点は主目に値する。棺を 蓋って事定まるとすれば、「ペリクレス程に威厳の 中に節度があり、温和のうちにも尊厳さのある人柄 というものは何びとにも備わっていないということ断 の を、 ( アテナイ市民は ) 改めて認識しなければならなっ る かった」 ( 「フルタルコス英雄伝』所収、馬場恵一一訳「ペリ クレス」 ) というプルタルコスの言葉は重いアテナを イの民主制は、こうした彼の人柄によってえられ自 5 0 たのであろう