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検索対象: 考える人 2014年春号
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1. 考える人 2014年春号

が必要なんですよ。 人間はひとりではない、なんて社会との関係性に こだわるのは、一人っ子の特性ですね。いちがいに 一一一口えないけれど、僕の場合はとにかく「二十億光年 の孤独」に原点があるから。 三十億光年の孤独」を書いた頃から頭の中に、 例えば今のインターネットでおおわれた世界のような、 黍への予感があったのでしようか。 当時はそこまでは田 5 い付きもしてなかったんじゃ ないかな。最近「セロ・グラビテイ』という映画を で観て、「二十億光年の孤独」のリアリティは こうなんだ、と納得しました。子どものころは、抽 象的に、観念的に、一一十億光年の孤独があったんだ けど、字宙船からば 1 んと一人が放り出された時の 孤独は、到底そんなものじゃないんだよね。 詩の = = ロ葉をとう味わうか 詩が掲載されるメディアはもはや紙だけでなく、 ハソコンにタブレット、スマートフォンなとに選 ぶことができる時代です 詩をタブレットで読むのと紙で読むのは感覚的に 違いがあります。はっきり意識できないけれど、読 む人に影響を与えるんだな、とは感じていますね。 僕は昨年の一一月から、メールマガジンで詩の配信 を始めたんですよ。月に四回週に一篇、未刊の詩を 写真とともに配信しています。 メールマガジンによる配信というスタイルでは、 詩の書き方は変わりますかワ それは変わりたくないですね。一番はやつばり詩 カ ( いか悪いかなんだから、どのメディアに載ろう 力いい詩を書かなきやという覚吾はある。でも、 実際にディスプレイで見ると、違う書き方があるか なとも思います。紙とディスプレイとで読むときに 感覚的な違いがあるということは、自分の咸又性が どこかで影響を受けているということです。だから、 もし完全にディスプレイで読むための詩を注文され たら、ちょっとは書き方が変わるかもしれないです ね。 縦圭日きと横日きはど , つでしょ , つか。メール配信は 横組みですね。 僕は基本的には縦書き派です。このごろは横組み の雑誌も増えていて、やや抵抗はありますよ。 味わいある動物たちは谷川さんの大切なコレクション。 媚びない言葉 谷川さんの言葉は強く、古ひることかありません だからこそ、さまざまなメディアに乗ってこれからも 愛されていくでしよう。大人にも子ともにもしつかり と伝わる言葉です 自分ではあまり強いという意識はありません。た だウケなきゃいけないという田 5 いはとてもあります 喜んでくれると、こっちもうれしいですよ 子どもの本では、難しい漢字は使わない、できる だけひらがなを使う。でも、すこし難しめにしたい ときも時々あります。子どもにあんまり媚びたくな いんです。子どもにはわからないけどこれでいいん じゃないの、というもの。自分の経験でも、わけの わからないことをけっこう宀見えていて、大人になっ てから、「あ、そうだったんだ」ということがあり 土亠 9 か、ら。 ( い表現にであうと目を開かれます。今は、決ま り文句的なものやキャッチフレ 1 ズがあふれている けれど、ああいうものを読むのは体に悪いですよ 絆なんて一一一口葉でも、以前はきれいないい言葉だった のにもう使えない。マスメディアはすごい力を持っ ています。 今日お話をうかかって、谷川さんがいかにいろい ろなものとつながり、ことばの世界を生きてこられた か、実感しました。 僕は「二十億光年の孤独」なんていうわりには、読 を 自分以外のものから刺激を受けて詩を作っていると子 う自覚はあります。完全なひとりなんいうのは井 人間としてはおかしいですよ

2. 考える人 2014年春号

from NY to TOkyo これを聞いてドリトル先生は「世界の医学とイを一変させるだろう」と述 べます。 20 世紀の医学、化学、薬学の大発展は民俗学や文化史の中にあった 自然の知恵に負っているわけで、ロフティングはこういったことも早くも 20 世紀前半から展望できていたわけです。 ロフティングはイギリス生まれですが、ニューヨークおよび米国東海岸に住 んだ人でした。ちょうど私も今 ニューヨークにいるので翻訳しているあいだ もことさら彼のことを身近に感じていました。ロフティングは金知首技師として アフリカで仕事をしたこともあり、もしかしてブリストルから出港する船に乗 ったことがあるのかなあ、それが「ドリトル先生航海記」の原風景なのかなあ、 などと夢想しながら。 ということで何回読んでもその都度、新しい発見の感慨があるのがドリトル先生の物語だと思います。古い本な のにもかかわらず全く古びていない。それは阿川さんが駅されたプーの物語にも言えることだと思います。すぐれ た物語というのは、自分自身の中に流れている、あるいは流れていってしまった時間を追体験できる本のことなの だと思います。つまり、このお話になぜ自分は惹かれつづけてきたのか、なぜ大切だと思うのか、その理由のあり かか発見できるということです。だからこそ阿川さんはプーやイーヨーたちと一緒に森のイ中間の一員となってこ の物語をもう一度たどりなおすことがこの上なく楽しかったわけですし、私は私で、スタビンス君になりきってド リトル先生と再会し、もう一度、ドリトル先生と一緒に旅に出かけることが、かけがえのない至福の時間となった お互いこの仕事が、 のではないでしようか。ですから一一これは阿川さんも賛同していただけると思いますが この年齢になってできたことはたいへん光栄なことだったと思います。 ニューヨークでまわりの米国人に聞いてみると、子どもの頃、ドリトル先生の物語を読んだことがあるという人 に今のところ出会ったことがありません。バーンズ & ノーブルにもありませんでした。こんな素敵な物語か米 では忘れ去られつつあるというのはどうやらほんとうのようです。それが日本では今だに読み継がれていることは とてもうれしいことですし、こうしてリニューアルの一端をお手伝いすることができたことはとても幸いなことで した。少年が出会うべき理想の大人としてのドリトル先生、人生にとって何がほんとうに大切なことかを教えてく れるロールモデルとしてのドリトル先生というのは、日弋や土或が変わっても、普遍的なものだと確信しています。 翻訳ということについていえば、石井桃子さんや井イ尊ニ先生を超えることは、はなからできっこないことであ ったわけですが、あえていうならば、私たちは、むしろ彼らのおかげで、彼らにはできない形の時間旅行ができた ということになります。そしてこれは、じゃあもう一度、久しぶりにこの物語を読んでみようかな、と思ってくだ さるすべての読者の方にも確約できる旅路だと思うのです。もちろんそれは言うまでもなく、訳文ではなく物語そ のものの力と深みのおかげなのですけれど。 福岡伸ー 01 from TOkyo tO NY 福岡伸ーさま さっそく 2 通目のお手紙をありがとうございました。なんてこった ( ちょっと悲しいことや困ったことが起きた ときのコプタンの口癖 ) ! やつばりニューヨークから離れられなくなってしまわれたのですね。そうだろうと思 っていました。でも、釈迦に説法ながら、異国に住む経験は少なくとも氏 2 回の四季を過ごしたほうか楽しいで すよね。私はちょうど 1 年間、ワシントン D. C. で生活したことがありますが、すべてが初めての経験だと、感動 するばかりで比較考察することができない。タイダルべイスン沿いの満開の桜を見ても、独立記念日のお祭り騒ぎ に浮かれても、サンクスギビングデーに友達の家のパーティに招かれて七面島を食べても、街中のクリスマスツリ

3. 考える人 2014年春号

美枝もしかしたら、伝えたいというよりも、書 く人の使命として、訳さずにはいられなかったの ではないでしようか 自分の周りの景色を見回したとき、軍国調の言 葉が飛び交って、婦人たちも竹槍ゃなぎなたを持 って、エイエイと突いている。そんな荒つばい光 景に囲まれた中で、あの物語を開いたときに、そ こにオアシスのように美しい言葉、美しい風景が あふれていて、祖母自身がすごく励まされ、ペン を執らずにはいられなかった。 祖母は、物がなかった時代に育ったとは言え、 東洋英和でたくさんの本を読んで心豊かな女学生 むらおかみえ 1960 年東京都生まれ。日本女子大学大学院博 士課程前期修了。妹・恵理とともに花子の書 斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」と して保存。訳書 0 = 、ゴ .- リ 0 、出 の日々匪 ) ( ード ) 』 ( 新朝文庫 ) などがある 時代を送ったのに、我が子 ( 註・の母みどり ) はち ようど小学校三年生ぐらいのときに、戦争が始ま ります。 祖母自身が幸せな読書体験のおかげで前を向い て歩んでこられた。読むものがなく、また、いっ まで戦争が続くかわからず、心底つらい思いをし ている日本の少女たちに「アン」を届けたかった。 自分自身のためもあったでしよう。「思いよ、届 け」と祈りながら訳していたのではないでしよう 、刀 花子さんは、少女たちが少女であるときに読 むものがいかに大切かということを、繰り返し説 訳して いでしょ一つか。 かれています。おニ方は少女時代の読書にどんな 影響を受けましたか。 美枝小さいときに祖母にお話を聞かせてもらっ 母が読んでくれたり、本を介して何となく 愛を感じたのが大きいです。祖母も母もいなくな ったあとは、祖母が読んでくれた本、与えてくれ た本、訳してくれた本、母が読んでくれた本を、 今度は自分の子供と一緒に読んでいる。 子供に本を読んであげるとき、その子がお金で は買えない価値観や、人が何かにこだわっていく おもしろさといった、一番人間が人間として失っ てほしくないものを持って大人になっていくとい いなと、読み聞かせを通して届けていたのかな 自分の子供に正面から「こうしなさい」といって もなかなか聞き入れてもらえませんが ( 笑 ) 、伝 えたい 大事な何かを運んでくれるのが本ですよね。 恵理私たちは読書家ではありませんがもし本 当に何か困っても、読む本があれば何とかなるか なと思ってしまうのです。 楽観的かもしれませんが、たくさんの素晴らし い本が、人間の財産ではないでしようかそれこ そ祖母はプリンス・エドワ 1 ド島にも行かなかっ たけれども、だからって全然不幸ではなかった。 まだ手をつけていない祖母の蔵書を一冊ずつ全部 ゆっくり読めば、私たち結構幸せに暮らしていけ文 るのかもしれません 外 海 9 3

4. 考える人 2014年春号

いて親しげに頷きかける。そうする かすっとリアリティがあった。木で はまるで、雪たまりにしずみこむよ波文庫 ( 大畑末吉訳 ) では「カイは とカイは魅入られたようになって、 うな感じでした」と描写されている まるで、雪の吹きだまりの中へ、はできた一人乗りの橇を私は持ってい また自分の橇に座ってしまうのだ。 大塚勇三氏の訳から引いたが、大人 いったような気がしました」となって、家の近所の斜面でよく遊んでい になってこの部分を読んだとき、なている。原文は知らないが、やはり こうしてカイは、雪と氷でできた女 たが、それは『雪の女王』の挿絵に んて宀見北的なのだろうと田 5 った。 王の宮殿に連れて行かれる。 ここは絶対に「雪だまりにしずみこ出てくるカイの橇とよく似ていた。 劇にしたのは、この冒頭の場面と、 む」でなければいけない。大塚氏の 『雪の女王』と同じくらい好きだっ 深くやわらかく積もった雪の中に カールフレンドのゲルダがカイを追ゆっくりと沈んでい 、あの感じ プロフィ 1 ルを見ると、戦前の中国た作品にマルシャークの『森は生き いかけ、宮殿から助け出して町に連音という音はくぐもって消え、世界東北地方生まれとあり、ああやはりている』があるが、こちらはロシア せば の冬の森で少女が十一一の月の精と出 れ帰る最後の場面たけだったと思う。 がぎゅっと狭まる。雪の降る地方で北の人なのだと納得してしまった。 なにしろ持ち時間は十分ちょっとし育った人にしかイメ 1 ジできないで 少年が美しい大人の女性に連れ去会う話である。雪の中から現われる よ ) っこ。 、刀オ、刀キ / あろうエロスの感覚である。北海道られるのがエロティックだと書いカ 未知のものを待ちながら冬を暮らし カイを探しにたったひとりで旅に育ちの私は、この一文の冷たい宀見北が、これがもし北国の話でなかったていたのは、北国の子供だった私も ら、子供時代の私がここまで惹かれ同じだった。 出たゲルダはさまざまな試練を経験性が体感としてわかる する。彼女の冒険が『雪の女王』の 小学生の私が、誰が訳したどの本ることはなかったろう。この物語の『雪の女王』では女王の内面は描か れない。無垢なものを完全に支配下 ほんとうの主人公は雪と氷であり、 ひとつの読みどころなのだが、そのでこの物語を読んだのか定かではな におきながら、皮女はいつのまにか あたりは私にはどうでもよかったよ 細部を省略した子供向けのバ 北国の冬である うで、劇ではすっ飛ばしている。当ジョンだったのではないかと田 5 う。 思い起こせば、私が好きだった童消えている。女王は冬そのものの比 時の私が強く惹かれたのは「雪の中、大人になってからいくつかの訳で読話や児童文学は、もつばら雪の降る喩なのだろう。その冷たい宀見肥、清 潔な孤独に九歳にして魅了された私 無垢な少年が美しくも布ろしい年上み直してみたが、とりわけ素晴らし外国の話たった。北海道は寒いだけ は、湿度の高い人間関係や、込み入 の女性にさらわれる」という設定で、かったのが、この大塚勇三氏 ( モンでなく風土も大陸的で、そこで育っ った感情がいまでも苦手である ゴル民話から再話し、絵本の名作とた子供には日本の民話や童話はなじ 後年になって気がついたのたが、こ まない。日本昔話的な物語の舞台は れは相当にエロティックなイメ 1 ジされる『ス 1 ホの白い馬』を書いた である。 人でもある ) によるものだ。福音館里山であることが多いが、その里山 のイメ 1 ジをどうしてもっかむこと 町の広場からカイを連れ去った雪書店から、大塚氏の訳文とデンマー ができないのだ。近代以降の開拓地 クの画家ラ 1 ス・ポーの挿絵による の女王は、途中でいったん止まり、 カイを小さな橇から降ろして自分の『雪の女王』が出ているが、これはである北海道に里山は存在しないの 橇に乗せる。そして自分のそばにすほんとうに美しい絵本で、大学時代だから仕方がない。雪が舞い、窓ガ ラスに氷の花が咲き、町のすぐ近く わらせ、毛皮をかけてくれるのであに入手していまも大事に持っている。 コー、十ノロ に森がある北欧やロシアのお話の方 ちなみに、先に 」部分は、岩 る。そのときのカイの気分は「それ かけはしくみこ 一九六一年熊本県生れ。北海道大学文 学部卒業。編集者を経て文筆業に。初 の単行本である『散るぞ悲しき」は、 ニ〇〇六年に大宅壮一ノンフィクショ ン賞を受賞、米英仏伊など世界カ国 で翻訳出版されている。他の著書に 「猫を抱いた父』など。 55 海外児童文学ふたたび

5. 考える人 2014年春号

サルと暮らしているんですよ ( 笑 ) 。 死」。未体験のものに惹かれるわけで 絵本を「読む」ようになってからす。 は、文字を追わず、自分で物語を作っ 詩集でデビューしたのは十九歳の て読んでいたとか ときですね。 スタルクええ。文章や行間を読むのスタルク小さい時は左利きなのに無 でなく、その奥を読むんですね。書い 理に右手で書くように指導されて、字 てあることに関係なく、勝手なお話を を書くのか大嫌いでした。だから、 作って「読んで」いました。いつも、 「物書き」ではなく「物聴き」になり 犬をめぐる物語です。犬を飼いたかっ たいと思っていました。 たからかもしれません。イタリアの作 でも、十七、八歳のころから雑誌な 宀豕、イタロ・カルヴィーノも同じこと どに圭日くよ一つになりました。とにかく をしていたと話していました。 本が好きで、学校から帰宅すると図書 つまるところ、本を読むとは、自分館に行く。父が家で開業していたから 自身を読むことなんです。 家にいるなと一言われたせいもあるので すか。そこで心理学や哲学も含めて片 もう少し大きくなってからは、お っ端から本を読んでいるうちに、書き 父さんが古本屋から「キロ単位で」買たい欲求が高まってきたのです。 ってくる雑多な本を抜き取っては乱読 最初は、ありきたりなティーンの悩 したそうですね。 みです。自分は何者か、なぜ存在するつまるレヒンっ、本 ) スタルク十ニ歳の頃のお気に入りはのか、自分を愛してくれる人なんてい 読むとは、自分自身を 写真満載のドイツの医学書女性のセるのか ? 書くことは、自分からの逃 クシ、アリテイ』でした。裸の写真ば避であり、同時に自分を取り戻す道で士冗 . 一 A 」な , ル一 :_, 亠 9 かりでなく、病気の人の顔とか興味もありました。でも、しばらくして、 津々で見ていました。ティーンエイシ 欠に何を圭曰いていいかわからなくなっ たのです ャーの頃の最大の関心は「セックスと 4 0 子供向けの物語を書こうにも、ニ十四 歳やそこらで子供のお話は書けない。 児童文学を書くには大人でなくてはな らないのです。子供の本を書く作業は、 「大人の自分」と「内なる子供」の対 話ですからね。そこで、しばらく役人 をしたのです。 役人、ですか ? スタルク労働局に勤めて、人材教育 をしたり、文書をまとめたり。そのう ち、小説『 Loonies and Phonies で賞をとり、四十歳のときに役所を辞 めて専業作家になりました。以来ずつ と書いています。 今日は、スウェーデンで出たばかり の新作をもってきました。神様が「進 化」を放置していたら、「影のない世 界」ができてしまった。すると、子供 たちは悪夢を見なくなった代わりに夢 も失った。そこで、ある少女と少年が 影を探しに行って、神様に影を戻して くれと交渉するお話です。 子供の物語には、「暗い側面」があ 、、ツピ る方かいし みんなが明るく ーといった抗鬱剤的世界ではダメなの です。嘆きの存在があってこそ喜びは 明確になり、死の存在が近くにある方 か生きている実感もくつきりとする ただし、暗さと悪は別物。私は悪意の ある物語は書きません。 少し話はそれますがいまスウェー デンでは、子供たちが本を読む力が衰

6. 考える人 2014年春号

て来るメアリー・ポビンズを知らぬ った。メアリ 1 ・ポビンズの物語の 広い子ども部屋から始まるお話で まま大人になるなんて、なんて気の世界と、私を取り巻く実際の世界は、はなく、障子越しの淡い光に包まれ 毒な子たちだろう。 余りにも大きく隔たっていることをた四畳半から始まるお話をーー。森 メアリ 1 ・ポビンズは、バンクス私は初めて認識した。 のような公園のどこかにある御伽の 家の子守りである。ジェインとマイ うちには、バンクス家の子どもた 国ではなく、狭い路路のむこうに待 ケルら姉弟のお世話係だ。しかも魔ちに与えられているような広い子どちうける異界をーー書いてみようと 法の力を持っていて、子どもたちをも部屋なんてなかった。もちろん料田 5 った。 そういうわけで、十歳から今日ま こっそりと、不思議な世界に連れ出理女もいないし、私を午后のお茶に してくれる 招いてくれそうな知人も田 5 い当たらで、すっと物語を書いている。子ど 十歳の私は、この本の虜になった。 なかった。街路樹にふちどられた広もたちのための物語を書き続けてい 毎日毎日、いっかメアリ 1 ・ポピン い通りや森のような公園もうちの近る。何故、大人ではなく子どもの物 語なのかと尋ねられる度に、私はい ズが日本上空に飛来しはすまいかと、所にはよい。 つも同じことを答える。 そのギャップに気付いた時、物語 学校の行き帰りには必ず空を見上げ だって、大人より子どもの方が、 ながら歩いていたもし運良く風向の魔法は解け、私の目の前で、あん なに輝いていた世界は色褪せてしまずっと熱心な読者ですから きの関係で彼女が日本の空を通りか メアリ 1 ・ポビンズを捜して←毋日 かったら、その時はなんとしても、 った。この物語は私の暮らす世界の この物語と私の町は空を見上げていた頃のような気持ち イキリスに向かう前に私の家に滞在お話ではない。 で本を読むことは、大人の私にはも してもらおうと本気で考えていたのつながっていない うできない。現実と非現実の境界を そう思ったら、今まで軽々と入り しかし : : : である。ある日、十歳込めていた海外の児童文学の世界に越えて人が物語の世界と行き来する ことを許される時間はそう長くはな 私は入っていけなくなってしまった の私はハッと気付く。我が家には、 のである。 ( のである。私はもう、メアリー・ メアリ 1 を泊める部屋がないー だから私は本を閉じ、ペンを取っポピンズの世界には行けないが、物 畳の和室には私と弟の一一段べッド。 まあ、正確には、十歳の私語の世界で遊んだ、あの至福の時を 八畳の居間では、父と母と下の弟が 覚えている。それが、今も私の物語 布団を並べて眠っている。残る四畳が手に取ったのは鉛筆だったのだけ を支えてくれる。幼い頃出逢った本 半の父の書斎には所狭しと本や書類れど : たちは私の、いに消えない輝きを残し 私は自分で物語を書こうと田 5 った。 が積み上げられていたその現実に てくれた。 自分が今いる場所からつながってい 気付いた瞬間、私は自分を包んでい た魔法が消え去るような感覚を味わる世界を描いてみたいと思ったのだ。 おとぎ とみやすようこ 一九五九年生まれ。和光大学卒業。 『クヌギ林のザワザワ荘』で日本児童 文学者協会新人賞と小学館文学賞、 「小さなスズナ姫」シリーズで新美南 吉児童文学賞、『盆まねき』で野間児 童文芸賞など受賞多数。主な著書に 『ぼっこ』『キツネ山の夏休みなど。 『チビ竜と魔法の実』で始まる「シノ ダ ! 」シリーズは現在七巻まで出てい る人気シリーズ。 45 海外児童文学ふたたび

7. 考える人 2014年春号

りですが、とりわけ圧巻は「私を育てて ~ 物語の魂のようなものを宿してしまっ に届けた人ーーーまさに石井桃子さんのよ 明らかにそんな顔でした。 くれた一冊」に集積した熱量です。子供 ~ た」と語る上橋菜穂子さん。「ケストナ ~ うな人ーーがいたことです。戦火をくく・ 「えつ、来るのか ? 」 の頃に読んた本が、どれほど強い光でそ 1 作品は、私の漫画家としての創作活動り抜けて翻訳を続けた村岡花子さんの強 そう思った瞬間、柵を蹴ったリスは私の人の人生を照らし続けてくれるのか の血であり肉でもあったのだ」と書いナ い意志と使ムなければ、日本で半世 の左肩に飛び移り、首の後ろを駆け抜け ~ それがよくわかる読み応えのあるエッセ柴門ふみさん。「『芸人的』なものへの憧紀以上読みつがれてきた『赤毛のアン』 イばかりです。 て右肩から飛び去って行きました。他に れを与えてくれた作品が、『モモ』かも という物語に私たちは出会えなかったか 誰もいない冬のストックホルムの公園で、 作家になった原点として「メアリ 1 ・ しれない」と一一一一口うサンキュ 1 タッオさん。 ~ もしれません。 リスは遊び相手が欲しかったのか、それ ~ ポビンズ」を挙げた富安陽子さんが、あ ~ 『さんご島の三少年』を幼い頃に読んだ そういえば、北欧への旅は、菱木晃子 ともエサをせびりにきたのかわかりませ さんという翻訳者を再発見する旅でもあ ん。リンドグレーンの国に来たという高編集部の りました。ウルフ・スタルク作品の翻訳 わざ 揚感のなせる業たったのかもしれません 者として菱木さんの仕事に初めて触れた が、一瞬、リスの言葉が聞こえたような と思っていたのですが、旅を終えて自宅 気がしたのです。その公園には、なにや に戻り、子供たちに何十回と読み聞かせ ら含蓄ある台詞を吐きそうな鋭い顔つき をしたエルサ・ベスコフの絵本をふと見 のオオカミもいました。 ると、訳者には他でもない菱木さんの名 ヘルシンキでは、要塞の島スオメンリ か・ーー・・不明を恥じるばかりですが、十 ンナに向かって凍った海をすたすた歩い 数年もの間、訳者の則を意識すること て渡る人を見ました。どこか非現実的な なく作品を味わい、楽しみ続けていたの 光景で、しばらく目を離すことができま でした。改めて、海外児童文学の恵みと せんでした。 は、作者からの贈り物であると同時に 一月末、取材で訪れた北欧の街は、小 翻訳者からのプレゼントだと認識した瞬 リ・シ 雪が舞うと、ワルシャワ出身のユ 間でした。 ュルヴィッツによる絵本『ゆき』そのま まの美しい景色となり、角野栄子さんが 今号で、一保堂・渡辺都さんの「京都 インタビュ 1 で語ってくれたような「物 寺町お茶ごよみ」が最終回となりました 語性をたたえた風景」であふれました。 る講演で「ムーミンを読んでいた頃、気ことが「貴重な財産だ」と振り返る山極 ~ この秋、単行本として弊社よりリ行一主疋 ああ、こうした空気の中で、ビッピが生分は完全にムーミン谷の住人だった。私寿一さん : : : 言葉や文化の違いを超えて、です まれ、やかまし村の子供たちが育ち、ム はあそこに住んでいた」と語っていたの力強い物語は子供の心を掴んだことがわ 代わって、医学界屈指の読書家、向井 かり・土亠 9 1 ミントロ 1 ルが冒険したのだ。そう腑】を記憶しています。たしかに、子供時代、 万起男さんによる本の紹介「どんな本、 に落ちる気がしたものです。 大人とは次元の違う物語世界への " 沈み とはいえ、物語は自分で勝手に国境をこんな本」が始まりました。初回は、こ ~ 手 込み方〃をしていたように思います。 超えるわけではありません。忘れてなら ~ れからの連載を前にしての「大施政方針 ( 部 今号では、海外児童文学を特集しまし サトクリフの『運命の騎士』が「私の ( ないのが、遠い国の物語を見つけてきた演説」です。この先、どんな本が登場す ~ 編 3 たどれも読んでいたたきたいものばか 心の底に、いまに至るまで輝き続ける、 人、翻訳した人、編集した人、子供たち るのか、どうぞお楽しみに。 ( 草 ) 第・ 2 児童文学に直に 触れた北欧への旅 考える人」編集部 text by Kangaeruhito photograph by Ka コ gaeruhito

8. 考える人 2014年春号

の竪琴』を持ってきてくれました。初めて「家の 本」ではなく「自分のための本」を手にして、す ごくうれしかったのを覚えています。 高校に入る頃には、外国から様々な読み物が入 ってきました。戦争の間は遮断されていた本や映 画がアメリカやフランスから入ってきて、『風と 共に去りぬ』『ハックルべリ 1 ・フィンの冒険』 『あしながおじさん』三都物などを読みまし 大学に入ってからは、サルトルやカミュが流行 身につき した時代で、北びして読みましたが、 ませんでしたね。三島由紀夫を読む傍ら、サマセ ット・モームやウィリアム・フォ 1 クナ 1 、ジョ ン・スタインべックを読むようになりましたが、 英文科だったので、この頃には原書で読んでいま した。つまり、海外から良質な子供の文学が入っ て出回るようになった頃にはすでに大人になって いて、子供として読む機会を逃したのです。 その頃、石井桃子さんが手がけた「岩波の子ど もの本」が刊行されたのです。『ちいさいおう ち』『まりーちゃんとひつじ』『はなのすきなう し』『どうぶつのこどもたち』・ : ・ : 紀伊國屋書店 で見て、衝撃を受けました。戦後間もない貧しく て灰色の時代に、こんなに美しい本があるなんて、 と。以来、アメリカ大使館の図書館に行っては、 『ニュ 1 ョ 1 カ 1 』や『ハ ーズ・バザ 1 』『ラ イフ』といった雑誌を見るようになり、ブックデ ザインの仕事を志して紀伊國屋に入社しました。 その後、退社してブラジルに渡ったのですが、一一 ヶ月の船旅に持って行ったのは、新潮社から出て いた一一色カバ 1 のモ 1 ム全集。本は、ただそれだ けを抱えて船に乗ったのです。 でも、児童文学もかなり読んでいらっしゃいま すよね 角野本格的に読み始めたのは、自分も書くよう になってからのことです。『ドリトル先生』『たの 想像をかきたてる宣示色」に 惹かれるのですが、 用尺ト説にはそんな物語性 をたたえた風景があった。 しい川べ』『トムは真夜中の庭で』『クマのプ 1 さ ん』、アストリッド・リンドグレ 1 ンやエリナ 1 ・ ファ 1 ジョンの一連の作品など、それはもうあれ これとずいぶん読みましたよ。日本のものも読ん だけれど、私はむしろ翻訳の語り口の方が、リズ ムが体にあったんです。父から「熊さん、八つつ あん」の話を、「とんとんとんつ」っていうリズ ムで聞いて育ったからかもしれません。 加えて、外国の物語から見えてくる風景がたま らなく好きだったのです。「カ 1 テン」ひとっと っても、当時は珍しいものでした。私は小さい頃 から、「扉の向こうには何があるんだろう。角を 曲がったら何があるんだろう」といった想像をか きたてる「景色」に惹かれるのですが、翻訳小説 にはそんな物語性をたたえた風景があった。 そういえば、都心の中学に通っているとき、地 続きにある周囲のお屋敷が占領軍将校たちに接収 されていて、何度か忍び込みました。洋式の暮ら しを見たくて、勝手に敷地に入って窓からのぞく んです。想像力をかきたてるものを見たくて仕方 なかったのですね。 もうひとつは、海外文学のナンセンス性。ジョ 1 ン・エイキンの『とんでもない月曜日』や、イ タロ・カルヴィ 1 ノの『マルコヴァルドさんの四 季』といった素っ頓狂な物語から、自由に書くこ とは許されるという気持ちをもらいました。戦争・ 中にあらゆる価値観を押しつけられて、規則で人 の気持ちが縛られた。せつかくそれから解放され たのだから、縛りや「 くくり」のある世界に戻り たくない。そんな気持ちは今も続いています。テ ーマ主義は嫌いだし、イデオロギ 1 を押しつける お話は書きたくないそもそも、押しつけるほど 学 文 私はエラくない。 童 子供の文学は一人一人の心に不思議の種をそっ児 海 と置いていくものだと思っています。その種が自 3 3

9. 考える人 2014年春号

村岡花子 寄り添い 続けた人 インタビュー の 子る ナた花返 「洗練された平凡」 ソ おふたりが自分の祖母が「村岡花子」である ー刀 理 オ。、た 睚に跡 肪 ことに気ついたのはいつですか ? 。ぐジカの機足 た子なラた、 / っちなをの文。 美枝私が小さい頃、祖母の家に遊びに行って書 こ色の女文 花は者もカ 介岡で育を子督る皮斎に入ると、いつも本に埋もれるようにして、机 支。村 」教面のれ髫部一 で書き仕事をしていました。「お話しして」って 本れて各側人知に一編一蒴 お願いすると、本を読んでくれたり、素語りをし 2 一三ロ 日らし集で可今 カ一フレ」ン 美 アてくれました。自分の手掛けた本以外にも絵本を 知編ざにやド人 0 ルし訳者ま紲華ヒ二毛 たくさん贈ってくれて、母と一緒に、あるいは一 と翻宀子こは見レる撮赤 寸毛赭如取「て一テあ 5 一 ~ 人で読んだりしました。祖母がお話に携わる人だ 猷赤 翻彼児しすそ今孫青写 ということを、いつのまにか自然に受け止めてい 土 6 した。 恵理私が生後十一カ月のときに祖母は亡くなっ め 、祖母が本 たので、記億は全くありません。ただ のと ち をつくる人だとは小さい頃にはもう知っていまし 母いわく「 ( 恵理は ) 姿のないおばあさんに 人私 るそ ひたすら憧れていた幼年時代でした」とのこと。 或こ 世こ 憧れていたことすら覚えていませんが ( 笑 ) 。 す うちの母は、おばあちゃんの本だから読みなさ を一 翻訳書や絵 いとは全く言いませんでした。ただ、 本がたくさんある、〃本の牧場〃に放牧されてい て、読んでもいいし読まなくてもいいわよと。多 分母自身もそのように育ったんでしようね。 ふ 学 美枝史咼生の頃はちょっと離れたい時期もあり文 ました。むしろ大人になって、祖母の随筆などを児 海 読み、あの時代をどのように生き抜いたかを知っ 5 3 特集 海外児童文学 ふたたび

10. 考える人 2014年春号

初めて読んだのは小学一一年生か三 それが、なぜか新聞記者になった。 けれど、リンドグレ 1 ンさんがみ〈リンドグレ 1 ンさんの書いた本は きっかけの一つは、高校の現代国んなへの返事として書いたオ 1 プン十五さつも、もっています。わたし 小学生のころの私にとって、本は語の教科書の「想像力と現実」とい レタ 1 を私は見つけた。ピッピで何は四年生です。岩波書店で、リンド グレーンさんのじゅうしょをやっと どこか食糧みたいなものだった。 を一言おうとしたの、という問いに、 う文章にあった、サルトルの言葉。 両親は和文と英文のタイプライタ〈飢えていく子供のまえでは私の書彼女は〈ピッピもほかの本も、私のきいてきました〉 1 を打つ小さな事務所をしていて、 」『嘔吐』はなんの意味も持たな本には何のメッセ 1 ジもない。私は 〈リンドグレーンさんはばくたち四 私は時々バスに乗ってそこへ行った。 ただ私のなかの子どもを楽しませた 年三組の大人気です。ばくもできた お手伝いしたり、弟に牛乳を飲ませ現実に働きかけられる書き手にな っこだけ〉と書いていた。 らリンドグレ 1 ンさんみたいに本を たりして待っていると、たまに本をりたいと考えるようになったのだ 〈私の本を読む子どもたちを教育しかく人になりたいです。リンドグレ ーンさんにあいたいです。いっかは 買ってもらえた。夜の書店で大人に こご、記者を続けながら見た現実ようとか、影響を与えようとか、意 識していない いきますからよろしくおねがいしま : もし私が誰かの まじって本を選ぶときのキラキラ感は、そう優しいものではなかった。 は、忘れない 突然に家族を亡くした人たちの話憂鬱な子ども時代を輝かせることがす〉 家では、明治生まれの祖母にロ答を私は聞くようになって、どうにもできたなら、私はそれで満足なの〉 〈 I love P ぎ三 very much. Be- みくだりはん えして、「そんなことじや三行半だ変えられない現実の過酷さを知った。 それはとても腑に落ちる「お返 cause she is very strong. very よ」とたたきのめされる日々。ョメ いまここ、目の前に見えて手でつか事」だった。 cute. and very kind. 〉 子どものころにピッピに会えて幸 に行ってもすぐ返される、という意める世界だけでは、とても人間は生 一一〇一四年、王立図書館に連絡を きていけない。 とると、手紙の整理が終わっていたせだった。ビッビは、ためになる本 励ましの一一一一口葉に苦し 机に向かって本を読んでいれば、 むことだってある。人を「慰める」私はストックホルムを訪ね、リンドでも感動する本でもないけれど、そ あまり文句を言われなかった。たぶのは難し、 したた、いを旧皿めて、心が グレ 1 ン・コレクションに残された こでは心が自由に動く。そう、私の んそのときの私は、ここにいて、こ動くようにすることーーーそれがどれ日本の子どもたちの手紙を見ること 心臓の何分の一かは、ビッピででき ている こにいなかったのだと田 5 う かできた。 ほど大切か 『やかまし村の子どもたち』『名探二〇〇一年、記者が旅する企画で、保存されていたのは、一九六〇年 私はスウェ 1 デンに一丁っこ。、 偵カツレくん』『ミオよわたしのミ 月学生代から九〇年代の約八〇通。すべて オ』 : リンドグレーン作品集に夢のときリンドグレ 1 ンさんに出したではないようで、私の手紙もなかっ たけれど、私と同じような子ども 中になった私は、「子どもの本を書手紙の行方を追ったのだ。世界の子 キ」中つ、刀。し↓ノー く人になりたいー 手紙を読むうち、子 ・」と願うようにな どもたちからの手紙は王立図書館が った。物語らしきものを書いて、友整理中。リンドグレーンさんは当時どもの私に会ったようで、笑って泣 達と「のばら文庫」なるものも発行九三歳。亡くなる前年で、もう会え いて、温かい気持ちに包まれた なかった。 抜粋してみる。 かわはらみちこ 一九六一年東京生まれ。朝日新聞記者 になる。ニ〇〇一年、日曜版の企画 「旅する記者団人」でスウェーデンを 訪ね「物語の森」を書く。自分でつけ こリードは「吐日むかし、あるところに、 世界一強い女の子にあこがれた、ひね くれ娘がおりました」。社会部が長く、 編集委員から現在、甲府総局長。著書 に「フランクル「夜と霧」への旅」「犯 罪被害者』など。 57 海外児童文学ふたたび