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検索対象: 考える人 2015年冬号
170件見つかりました。

1. 考える人 2015年冬号

家族は孤立しているわけではなくて、周囲から 家族として認められて初めて家族になるものであ り、私は男ですから、家族をつくるということは 私が父親になるということです。 父親にもなるし」はいフい - フこし」カ 4 も、コリ・」フか、ら 学びました。、、 コリラのオスは自分の力だけでは父 親になれません。生まれてすぐの赤ん坊に対して 子育てをするわけではないし、赤ん坊に強い関、い を示すわけでもない まずメスが生まれた赤ん坊 を一年間は腕の中で専心的に育てます。一歳を過 ぎると、お乳も吸っていますが、お乳以外のもの を食べるようになって、お母さんの腕の中から 徐々に赤ちゃんは離れていきます。そのときに、 ′、そ お母さんは赤ん坊をオスのもとに連れてい してオスのもとにそっと置いて離れていく。車の 駐車みたいにノ ーキングといって、子供を預ける のです。一頭のオスに対してそういうメスが何頭 実の生活で、どこから来たかわからない人に対し て信用がおけないのと同じように、私たちはそれ ぞれ出自や由来を持っているからっき合える。そ れがなければ、人間は深い闇の中に個として存在 するしかないそれに気づいたことが、私が家族 を見直すきっかけになりました。家族というのは ( いもんだなと。 ニ重に選択されて父親が成立する もいて、オスの周りには置き去りにされた子供が は一つの計画性です。そしてそれは、みんなの合 、つ。↓よ、、 ( ( しる。その子供たちが互いに遊び合うよ 意の上の共通の概念です。それを父親に当てはめ うになって、母親から離れていることにだんだん ていくと、まず非常にプリミティブな文化装置と なれて、やがてオスについて歩くようになる。そ いうものが出てくる。しかも、父親という文イ的 こでやっとオスは子供に接することができるよう な装置をつくることによって、人間はそれまで生 になり、子供を保護し、喧嘩を仲裁し、子供の憧物学的な存在でしかなかった母親を、文化的な装 れの対象になるのです。メスから子供を託すこと 置に押し上げることができた。言うなれは、擬制 のできる信頼できるパ 1 トナーとしてはれ、そ の父母ができるわけです。産みの子ではない、産 して子供から憧れる対象、あるいは自分を保護し みの親ではなくても、親として振る舞える。父親 がますそうです。 てくれる対象として選ばれて、初めて父親として の役割を発揮することができる。つまり、メスと 父親は、自分の子供を生物学的に見分けること ができない。 子供の双方から一一重に選択されて父親というもの これは霊長類の研究によって明らか は成立する になったことですが、すごくおもしろい現象があ これは人間も同じです。ただし人間の場合には、 るのです。十九世紀の終わり、人間の家族の起源 母親と子供だけではなくて、周囲から、あなたは を探求しようとした文化人類学者がたくさんいま この子の父親ですよ、あるいは子供に対して、こ した。その筆頭がアメリカ人のルイス・ヘンリ の人はあなたの父親ですよというふうに幾度とな ・モルガンです。この人は、家族の起源に、イ く言われることによって、父親という社会的存在 ンセストタブ 1 ( 近親相姦禁止 ) を当てはめた。 が成立する。これが人間の社会とゴリラの社会の 家族というものが成立するためには、親子間での 違うところですが、いずれも男がいくら自覚的に 性行為が禁じられていなければいけない、あるい 父親になろうとしてもなれるものではない。周囲 は兄弟姉妹間での性行為が禁じられていないとい の合意によって、父親という存在が成立する。こ 人間以外の動物は霊長類も含めてすべて れは変わりません。 そういったインセストタブ 1 を持っていない。簡 だから私は、以前本で、父親というのは人間に 単にいうと、人間家族というのは、そのタブ 1 を とって最初の文化的な装置だと書いたわけです。 持っことから始まったというのが、『古代社会』 という本で著されたモルガンの説です。 なぜ文化的な装置かというと、それはある計画性 を合意の上に成立させるということです。文化と でも、人間以外の霊長類の研究が一一十世紀後半 0 4

2. 考える人 2015年冬号

高島嘉右衛門の学校に学ぶ 天心岡倉覚三は、一八六三 ( 文久一 l) 年、横浜 に生まれた。 たが、この記述も精確ではない。彼の親が付け た名則は「角蔵」だった。父親は武士だったが、 一家は、かっては朝 明治になって商人になった。 倉家の家臣で、朝倉を名乗っていたが、あるとき から「朝」を「岡」に変え、岡倉の姓を名乗った。 子供は、文字通りこの新しく商家となった家の蔵 の角で生まれた 「角蔵」ではなく「覚蔵」だったという説もある 父は幾度か改名するのだが、覚右衛門と名乗って した時期があるからだろう。どちらであったとし ても、のちに本人はこの文字が気にいらず、自分 で「覚三」と改めることになる。いつのことだっ たかは分からないたが、遅くても十代の終わり 泉こよすでに「覚三」と記され にあたる学校の記金 ( ( ている。 明治維新は、徳川幕府から天皇家への政権の移 動というよりも、文字通りの革命、たった。このこ この革命が起こった とは今一度再考されてよい とき、角蔵は七歳である。視座の、あるいは地位 の逆転が起こり、価値と意味の転換があらゆると ころで生起した。政治の問題として起こったが、 それは宗教、芸術、学問といった分野にも強く影 響した。新政府の樹立と明治憲法の発布に象徴さ すみ れる行政、立法の世界で起こった変革は、市井の 人々にも大きく影響を与えた。多くの革命におい てそうたったように、 変わってはならないものさ えも変えようとした。のちに天、いは、美の世界に おいて、形而上の問題において、この無秩序な 「改革」の波と闘うことになる 当時の横浜は、今日のような大都市ではないが、 すでに国際社会にむかって開かれた場所たった。 横浜からは欧米の文化、風俗が日本に流れ込んだ その一つが英語である。角蔵もその影響を一身に 浴びることになる。彼が英語を習い始めたのは八 歳のころだった。『岡倉天心全集』 ( 平凡社 ) の年 譜によると、彼がまず学んだのはジェイムズ・、ハ ラ 1 の私塾で、その後、高島学校に学んだと記さ れている。この高島学校をめぐって、天心の息子 岡倉一雄の評伝『父岡倉天心』には次のように 記されている。入学したとき天心はすでに十歳に なっていた文中に出てくるジョン・バラ 1 はジ ェイムズの弟である 当時の横浜では洋学に志すものすこぶる多く、その需 要に応するためにニ、三の英学校を営む英米人があっ た。なかんずく、米人へポンの居留地に開いた語学校 と並んで、伊勢山下に設けられた高島学校は出色のも ので、教師としては、ジョン・バラーか教鞭を執って いた。そして、その語学校を出た幾多の人材は、やが て来たった明治文化の発展に協力し、相当の寄与をな しているようである天心もまた、同校に入学を許可 され、 ) ンヨン・バラーから英語の基礎教育を施された。 一見すると何気ない記述だが、天心の生涯を考 、んるとき、 いくつか重要な問題をはらんでいる。 高島学校は、単に優れた語学学校たっただけでは なかった。創立者は高島嘉右衛門で、横浜市の都 市基盤を作った実業家である同時にこの人物は、 占いを論じた『高島易断』の著者でもあった。だ が、今日流布している「高島暦」と高島嘉右衛門 の間には直接的な関係はない。高島の生涯は、松 田裕之の『高島嘉右衛門横浜政商の実業史』に 高島が、明治実業界の大人物であることは異論 を俟たないが、この人物をめぐる評価となるとさ まざまな意見がある。江戸時代末期一八六〇 ( 万 延元 ) 年、高島は金貨密造の罪で逮捕、投獄され る。そこで出会った人物に易を教わった。六五年 に赦免され、このとき、名則を嘉右衛門に改めた し」、つ , 」 0 もともとの名前は「嘉衛門」 経済活動は、現代人が感じているよりよほど霊 的な才能を必要とする。現代でも優れた実業家が 同時に優れた霊的感覚をもっていることは少なく ことに明治のような変革期にはそうした人 物によって時代は牽引されたここでの「霊的」 とは、いわゆる貧しきスピリチュアリ、スムとはま倉 7 ったく関係がない人間を超える大いなる存在、 2

3. 考える人 2015年冬号

適応しているから、「不衛生」と決めつけられな いのだが、シャンとパオが互いに相手の納豆を好 まず、自分たちの納豆に固執するのはちゃんとワ ケがあるのだった。 三日後。七時半にブックおじさん宅に行った。 日当たりのいい屋根の上に置いてあった籠を下 ろし、開けてみる。またしても「サー」「サー」 という一一一一口葉が飛び交う。「よく煮えた」という表 現かと思っていたら、「食べ物がよくできあがっ た」という意味だったらしい 大豆の表面にできた例の白い模様を指さして、 「サ 1 」と言っているので、どうも、これが判断 の基準らしい。日本と同じだ。 糸は全く引いてないが、匂いも味も納豆。「お お ! 」と感動する。 ブックおじさんとキンメ 1 さんがそれぞれ大き な木の臼と杵をもってきてくれたので、日向のポ トン カボカした場所で、豆を大きな匙ですく トン搗きはじめた。ここではミンチマシンなど使 わないらしい 豆が柔らかいので初めは簡単な作業だと思って いたが、豆がいったんべ 1 スト状になると、臼の 底に貼り付いて剥がすのにけっこう力がいるそ れに豆がなかなか完全に潰れてくれない。ものの 十分としないうちに腰に来始めた。ブックおじさ んと一緒に、「トン、メチャ、トン、メチャ ・ : 」と息を合わせて頑張る。ブックおじさんは さっさと自分の分を終えた。私のを見ると、「パ イ・ライ ( まだ ) 」と首をふる。むうう。 たちまち額から汗が流れ出した。私たちは台所 の涼しい場所に移動した。私たちが一心不乱に ンヌチャやっていると、いつのまにか丸い大きめ のちゃぶ台が出され、女性陣が小さな腰掛けにす わり、せんべい納豆の作製に入っていた。この日、 イを 初めて見る顔もある。近所の人やキンヌーさんを 訪ねてきたライカの人たちだ。 ちゃぶ台に団子状に丸めた納豆を置き、それを 葉っぱで上から叩きながら丸く、平たく伸ばして みんな、よく喋り、よく笑う。ときにはキンメ 1 さんが話の内容を日本語で教えてくれたり、ナ ン・ノムが英語で通訳してくれたり、私が聞き取 る れることはもあ一る て っ 「誰だ、この豆が残ってるのを作ったのは 5 ? 」 白 と苦情が出たり、「これ、日本に持って行って売 ろう ! 」 と言ったり、ブックおじさんなど「俺は す っ 日本に行くぞ。日本で死んだら来世は日本人だ 面 ! 」とよくわからない冗談を飛ばし、でもそれ 表 の が大受けしたりする。 豆 大 この光景はどこか心の底で憶えがあり、杵を上 成 け下ろししながら考えていたら、もちつきにそっ くりだと気づいた。男がもちを搗き、女性がそれ 納 ダ シ を千切ったり伸ばしたりする。 ん 三回分、納豆搗きを終えると、今度はせんべい 込 仕一 作りに挑戦。こちらは体力を使わないし、腰にも 者来ないのでラクと思いきや、不器用という私の別 筆 の欠点が発揮された。納豆団子はうまく広がらな いわ、途中で葉っぱが破れるわ、散々 一つ驚いたのは、キンヌーさんが団子納豆を指 さし、「これ、日本にもあるでしよう」と言った こと。茶色くてペースト状で納豆のようなものが

4. 考える人 2015年冬号

ん大人になるにつれ、違うらしいと気づきました。 とはいえ、女性がいくつになっても遊びたいとか モテたいという気持ちはよくわかるので、納得し て見ていましたね。 檀お母様は今の女性の先駆けのようですね。女 性は昔からそういう気持ちを持っていたはずなの に、どこかで封印していたうちの母も : : : ちょ っと疑わしいところがなくはないけど ( 笑 ) 。 酒井でも、お母様は小説では、とても清い感じ で、お出かけもあまりお好きでないような : 檀そんなことはないんです。後々になってみる と実は好きだとわかってくるんですよ。母の時代 の人は「妻とはこうあるべき」と、自分を枠には めているんでしよう。でもその次の時代から、そ れはないような気がしません ? 酒井そうですね。うちの母を見ていると、父は 昭和一桁生まれで、母はその一〇歳下なんです。 その世代差が起こした火宅だった気がします。 母は戦争を子供のころ少し経験しつつも、基本 的には豊かになっていく世の中で、好きなように 遊んだり、おしゃれを楽しんだり、自分を抑える ことをあまり知、らすに生きてきた。それに対して、 「俺が白いものを黒と言ったら黒」という元軍国 少年の父だったので、それに我のならなかった 若い母がはじけたんだろうと今にして思いますね。 檀そういった家庭環境が私たちを独身に向かわ せているということはあるんですかね 酒井独身でいる原因を考えた時、親の火宅を結 びつけると納得しやすいので、自分の中では母の せいだということにしていますね。もし母が京塚 昌子タイプだったら、ちゃんと今ごろ一一人の子供 が高校生ぐらいになっているはず。 檀でも、お母様は結局離婚なさらないで、最後 までお父様に明るく添い遂けていらした。 酒井一応父の最期を看取りました。でも別居を 解消して母が家に帰って来た理由が「同居してい た父方の祖母がかわいそうになったから」って 檀ほおー 酒井「おばあちゃんは私が看取らなきゃいけな いと思ったので帰ってきた」と。「え、子供のた めじゃないの ? 」 ( 笑 ) お母様が戻られたということは、お父様はお許 しになったということですよね 酒井そうですね、そこは父が偉いなと思いまし 祖母はもう九〇代で確かに捨てるのに心が痛 むというのはわかったんですけれども。 擅それでお父さんと寝室は別になったんですか 酒井祖母が生きているうちは一緒でした。祖母 が他界してから、祖母の部屋に母が寝るようにな り土した。 檀どのくらいの期間、お母様は家を出られてい たんですか 酒井別居していたのは半年ぐらいでしたね。私 もついていって、母の実家にいたんですけれど 檀実家がよく許してくれましたね、また。 酒井ねえ ( 笑 ) 。でも、何かやつばりそのあた りから、母の実家と父方は何となく仲が悪くなっ ていましたね。 檀うちの母は、父が火宅に走ったとき、五人の 子供を残して家出しましたからね。うち一人は病 気で寝たきりですよ。「よくもまあできたもんだ わよね、お母さん」って、私ずっと母をそのこと でいじめていましたけれど ( 笑 ) 。 酒井そのときの記憶は、残っていますか 檀ないですが、母は清々したって。ところが、 母が出ていったあとに父方の祖母が「この家は私 が立て直します」とやってきた。そこに母が荷物 を取りに帰ってきて、祖母が張り切っている姿を 見て、負けてなるものかと結局家に戻って来た。 酒井おばあさまとしては、お父様の味方でいら したんですね。 檀そうみたいですね。やはり祖母も火宅の人だ ったから、火宅の味方なんじゃないですかね。 酒井火宅連合 ( 笑 ) 。 檀かたく結はれている ( 笑 ) 。 酒井お母様は、離婚されようという気持ちはな かったんですか 檀したかったみたいですよ。ただ、 結局なぜ離 婚できなかったかというと 、父はその恋人と結婚 したかったけれど、彼女は五人もの子供は引き取 6 5

5. 考える人 2015年冬号

今の技術は人間の身体を超えたところにあ りますから、身体がついていかない。どこかで揺 り民しがあるだろうと思います。人間の五感を満 足させるような機能を持った技術が新たに開発さ れるか、さもなければ、人間自身が機械化してい くしかありません。機械が一番効率的なのだから、 人間がロポット化していく。機械と人間が違うと ころは、機械は疲れません、不服を言いません、 しかも行動が予想できます。 機械の対極にいるのは動物です。動物は予想が できません。疲れます。不服を言います。人間の を 思うようにならない。弋人のペット志回が非常 っョてな に強いのは、効率性や経済性を推進するトレンド 違シし日寸 と同時に、自分で思いどおりにならない世界の方 よ一は 日ケ々る にも強」ト」一ドを持「て、その二「の間で揺れでニ我ざ 動いているカら。人間は、もともとそういう両面 今ミ を持っていると思うのです。 今の日本社会は、一方で経済効率性、個人の自 由、個人の利益を高める方向に向かう動きと、他 方でスローな社会、無駄の多い、予想できないよ うなものに憧れる両面を持っていると思います。 重要なのは、人間の信頼や関係をつくるものは、 効率性の逆の方にあるということです。いかに効 率性を高めても、逆に関係は壊れていく。相手に 対して優しいということは、そのために自分の大 切な時間を使うということだからです。 そこを、もう一度考え直して社会をつくり直さ です。そして、人間同士の信頼関係を担保するの は、古いコミュニケーションだということです。 いまだにそれは大切にしますよね。書類だけでな 面接をしないと相手がわからないとか言うよう しいところはあります。それは、 技術にも、 階層化しないということ。これは大いに利用する 必要があるかもしれない。点と点ですから、権威 ないと、幸福感あるいは信頼関係は取り戻せない と思います。もちろん技術を捨てるわけには いきませんから、そういったものを利用しながら 新たな信頼できる社会をつくっていくにはどうし いいかを考えるべきなのです。 重要なポイントは、家族というものが生物学的 なつながりだけでできているわけではない、むし ろもともと「つくられるもの」であるということ をつくらないということが大きい。それは、これ からの社会をしているような気がします。 これからはリーダーをつくらない時代たと思い ます。お互いが共同参茄して、リーダーをつくら ずに意見を述べ合っていく。ただし、どうやって 意思決定をするのかがまだ定まっていない。だか ら社会は歪女に包まれている。今までは、意思決 定をする機関を選ぶために選挙をして、選挙で選 ばれてしまえばその意思決定は済んだけれども、 って , フ↓玉、 ) ( ( 力なくなってしまった。もはや選挙もあ まり意味をなさない時代に来ている。別の意思決 定の仕組みが必要なのだろうと思います。 そういうものをつくる中で、新しい社会システ ムが芽生えていくのではないでしようか今まで とは違ったコミュニケーションを我々はしていか ざるを得ない。そこで担保される集団規模は、こ れまでと全然比べものにならない大きさを持って いる。それをどう扱っていくのか。個人情報の漏 洩などは最たるもので、かってそれは人と人との 間を通じてしか流れないものだったけれど、今は 一斉に流出してしまう。しかも逆に言えば、個人 情報を意思的に発信する人たちもいるわけです。 たとえばフェイスブック。以前は日記でしかなか ったものを、プログの世界でどんどん発信してい るのですから。マスコミの機能も全然変わってきな て っ ました。これまではマスコミが公共圏をつくり、 族 家 ある意思決定に大きな影響力を持っていたけれど、 4

6. 考える人 2015年冬号

謎の行 納豆 ンダレー ) チェントウン タウンぐ たかのひでゆき 一九六六年界只都生まれ。早稲田大学 探検部在籍時執筆した『幻獣ムペンべ を追え』でデビュ 1 。辺境倭をテー マにしたノンフィクションを中心に 「西南シルクロードは密林に消える』 「ミャンマーの柳生一デヘン王国 潜入記』デジア新聞屋台村』など著 圭数。一一〇〇六年「ワセダ三畳青春 起で第一回酒飲み書店員大賞受黨 『謎の独立国家ソマリランド』で第 三十五回講談社ノンフィクション賞、 第三回中大・山と倭文学賞受賞。 ーラオス タ 【第三回】 火花を散らす 納豆ナショナリズム せんべい納豆に味噌納豆、 ミャンマー・シャン州の納豆には 驚くべき多様性があった そして、シャン州の納豆中心地・ タウンジーで出会ったのは : 名パートナー・竹村先輩とゆく爆笑紀行 カンポジア 2 ( よいよ 1 シャン州東部の町チェントウンから、 同州の州都にして、一説には「シャン州の納豆中 心地」とも呼ばれるタウンジーにやってきた。 ここで私は二つの大きな目標をもっていた つはシャン料理を習うこと、もう一つは、シャン 人のせんべい納豆を一から自分で作ってみること である。 たやす 最初の目標は容易かった。ここには私の旧友で ありシャン文化の伝道師でもあるセンファーの実 家がある。今はお母さんとお姉さんが住んでおり、 私たちは毎日そこに通い、シャン料理を習ってい たか、もう一つの納豆作りは意外にも難題だっ 自ら「納豆の民」を称するシャン人は納豆にう るさい。その彼らに「どこの納豆が美味しいの か」と訊くと、最も多い答えが「ライカ」と「ム ンナイ」だ。どうやらその二ヶ所がシャン州にお ける納豆の名産地、日本で言えば水戸に相当する 場所らしい。両方ともタウンジ 1 から車で一日か からない 距離だと聞き、「じゃあ、そのどっちか で体験させてもらおう」と気軽に考えていたのた か、そう甘くはなかった。 両方とも外国人は許可なしでは訪れることがで きない町だったのだ シャン州はつい最近まで外国人にとって「秘 境だった。今でも、外国人旅行者がふつうに訪

7. 考える人 2015年冬号

動物からお乳を利用できるようになった、あるい は消化効率が良く、毒素の少ない食糧を生産でき るようになって、人間の内臓はもっと小さくなっ たり、十分に大きな脳をつくれるようになった。 だけど、現代人の脳の大きさに達するのは六十万 年前ですから、最後の食糧美叩が起こるずっと前 、大きさの面たけでいえば、人間の脳は完成し ています。 その大きな脳は集団の大きさに比例しています から、たくさんの人間が一緒に集まって生活する 社会的複雑性に耐えられるような時代が、六十万 年前には既に到来していたと思われるわけです。 人間の脳、すなわち千四百 8 から千亠ハ百 8 の脳 に適する人間の集団規模がどのぐらいかというと、 百五十人ぐらいと言われています。これは「ダン 1 数ーと言われ、実は現代の狩猟採集民でも、 幾つかの家族が集まってつくる「バンド」と呼ば れる地域共同体が、ほばその規慎だと言われてい ます。私はそれを、毎年年賀状を書くときに思い 出す人の数と一言うのですが、大体それが百五十人 ぐらい。つまり常に顔を覚えていられるような人 間、自分がある程度の信頼関係を持てるような人 たち。それが百五十人なのです。それは、言葉を 使って達成された人間関係ではありません。私た ちは日常的に言葉を使って人間関係を左右してい ると信じ込んでいますが、そうではない。顔を思 い出す、あるいは仕草や自分との関係を思い出す、 それが百五十人です。 実は、百五十人という集団の中には、さらに幾 つかの規模の集団がある。例えば家族です。ゴリ ラは家族的な集団だけで暮らし、それを超える集 団をつくりません。それは熱帯雨林に住んでいる からこそ保てる集団規模です。一方、チンパンジ ーは家族をつくらず集団をつくって暮らしていま す。これも家族と集団とを両立させず、集団た で暮らそうと思ったら、熱帯雨林が一番過ごしゃ すいからです。しかも、チンパンジ 1 は熱帯雨林 を少し出始めていますから、ゴリラより柔軟性に 富んだ力強い集団なのだと思います。 でも、人間はゴリラともチンパンジーともちか って、家族と社会という一一重性を持った集団をつ くることができた。それは、恐らく百五十人ぐら いの集団なのだろうと思います。その中に、家族 的な集団がある。それは、言葉を介さずとも保て る集団です。 言葉のいらない共鳴集団 家族みたいな集団は、もう一つあります。共鳴 集団と言いますけれども、要するにお互いが共鳴 するように一つの目標に向かって一致団結できる、 そういう集団です。たとえばスポーツです。その 適正な数は十人 5 十五人と言われていて、サッカ 1 のイレ。フン、あるいはラグビ 1 の十五人を思い 出していただければわかりますが、彼らはスポー ツをしているときに言葉をほとんど交わさない。 もちろん声はかけ合います。でも、日々顔を突き 合わせて、体を同調させて暮らしている中で、お 互いがどういう動きをすれば自分に何が求められ ているのか、あるいはどういう目配せでどう動け ばいいのかということを知っています。そのため 一つの生き物のように動ける。それが人間の 基本的な集団です。言葉は要りません。 そしてその外に、さらに三十人 5 五十人規模の 集団があります。これは例えばクラスです。学校 のクラスというのは三十人 5 五十人ぐらいです。 あるいは会社の一つの部、幾つかの課が寄り集ま った部です。先ほどの共鳴集団に相当するのが、 会社で机を並べている数だとも言えます。毎日机 を並べて顔を突き合わせていますから、健康に卩 題があるかもしれないとか、ちょっとこいっ気分 が悪そうだなんていうのも、顔つきや仕草でわか る。そういう集団がいくつか集まった部。誰かか 欠けていればわかる、あるいは一つの目標を立て れば、集まれる集団です。宗教の布教集団などが これに当たります こういった分節化された集団に、人間は個人で 幾つも属している。言い方を変えれば、毎日そう いった規模の集団を遍歴しながら暮らしを営んでな て いて、それが人間の非常にすばらしいところなのつ 家 です。人間は、一つの集団たけ 一つの家族だけ 7 3

8. 考える人 2015年冬号

もっとおもしろいことがあります。そ - フいっこ 脳の急成長と大きな脳を支えるために、人間は食 糧美叩を起こさなくてはならなくなったことです。 直立一一足歩行が、食糧を集めて運ぶために発達し 官です。大人の脳の重さは体重の一一 % しかありま せんが、摂取エネルギ 1 の一一〇 % を脳の維持に費 やしています。さらに成長期の子供は、摂取エネ ルギーの実に四五 % 5 八〇 % を脳の成長に回して いるのです。だから、人間の子供は重たい体重で 生まれてくるのです。赤ちゃんの体重の重さは、 脂肪の重さです。人間の赤ちゃんの体脂肪率は一一 五 % 以上ありますが、ゴリラの赤ちゃんは五 % ぐ らいしかありません。その体脂肪を何に使うかと いったら、脳の成長のための備蓄なのです。摂取 凶 エネルギーが停滞すると一番悪影響を受けるのは 0 長 脳の成長です。だから、人間の赤ちゃんは成長を ′ル一 ) ÅJ 保障するために厚い脂肪にくるまれて生まれてく やれ一成劫 ち、、ナギのし るわけです。 赤熄ル体て 人間の赤ちゃんは、脳は急速に成長するけれど のすネ、れ 司脳長工分遅 も、摂取エネルギーを脳に回す分、ゴリラの子供 に比べたら、体の成長は遅れてしまう。ゴリラは 成取回 五歳で五十キロになりますが、人間の子供は五歳 で二十キロにもなりません。それほど体の成長に 違いが出てくるのです。 とを始めました。一緒に食事をするのは、サルで はできないことなのです。 脳を支えた食糧革命 サルが共存するためには、優劣順位の低いほう が自分の食べたいという欲望を抑えて、食物を強 いサルに独占させます。弱いサルはその場から離 れて、別の食糧資源を探しに行く。だから食べる ときは散らばる。食べることは、個人的な行為で す。ところが人間は、食べるときに集まる。サル 」特殊よ歩行様式、たということを申し上げました が、その時代に人間は、チンパンジ 1 ができない ことを始めたのです。 チンパンジ 1 は、時々食物を分配します。ゴリ ラも食物を分配することはわかっています。でも、 食物を運ぶことはしません。人間は、直立一一足歩 行をして、食物を手に持って運んで、仲間のもと に持って帰って、そこで一緒に食事するというこ とは全く逆のことをやっているわけです。食べる というのは、人間にとっては集団の行為なんです ね。それを始めたのは人間の進化の初期たと思い ます。そのことによって、サルであれば互いに競 合する食糧資源を前に置いて、仲よく共存すると いうことを始めたわけです。 このころから、「共感」という人間に特有な能 力が育ち始めたのだろうと思います。そしてさら に多産になって、子供を母親一人では育てられな くなった。成長の遅い、頭でつかちでひ弱な子供 をたくさん抱えることになったわけですから。そ のために父親が必要になった、あるいは子供を持 っていない大人の世代の人たちがこぞって子育て に参入して、共同保育をしなくてはならなくなっ た。チンパンジ 1 では、母親と子供だけで暮らす 時間がすごく長いわけです。ところが人間は、そ うはしていられなくなった。人間の祖先は母親以 外の大人が子育てに参入し、一緒に育てることが 必要になった。そのために、集団を大きくせざる を得なくなったのです。 実は、人間以外の霊長類でも、脳が大きくなっ た理由が集団の大きさに対応することが知られて います。これは、一九九〇年代にイギリスの人類 学者ロビン・ダンバーが出した仮説なんですね。 ん 人間以外の霊長類の脳の大きさは、脳に占める大 て 脳新皮質の割合に比例します。人間の脳は、そのつ 家 新皮質の割合が格段に大きい。その割合が大きく

9. 考える人 2015年冬号

当時はバブル経済の真っ盛りで、誤算は、妻が料理に無頓着たったこている。 とで、結婚から一年が過ぎた頃には、 親による東縛や干 就職戦線は空前の売り手市場だった。 家族というと、 男女雇用機会均等法が施行されて、私はエプロンをして台所に立つよう渉が付きものらしいが、私の両親は フェミニズムが流行し、女性にとっ になっていた。以来、主夫歴は一一十私の将来に一切ロ出しをしなかった。 て結婚は自分の可能性を否定するの年を超えて、私は工夫をこらした料進学も就職も結婚も、私は自分で決 も同然だといった意見をあちこちで理で妻と息子たちを満足させ続けてめたことを報告しただけだ。もちろ 聞いた。夫婦別姓を主張する人も多いる。「主夫のつぶやき」というコん両親が私を手塩にかけて育てて、 かった。私は男性も女性も自分の可ラムを新聞で連載していたこともあなにくれとなく心配していることは 能性をとことん突き詰めてみればい るし、年に一、一一度は男女共同参画の重々承知していた。しかし私の人生 いと思っていたが、そのことと結婚集まりに講師として招かれているのは私のものだ。自分の選択に責任を は必ずしも矛盾しないはずだと考え だから、何が幸いするかわからない。 負うことでしか、人生は自分のもの ていた。ひと組の男女が本気で知恵 「料理も掃除も洗濯も楽しいですよ。 になってゆかない。私が主夫をして いることにも私の両親は一度も口を を出し合い、体力と気力をふりしば子供たちからも感謝されますからね。 れば、子供を育てながら自分たちな 私の妻は小学校の教員で、帰宅は毎出したことがないが、妻はひたすら りに世の中を渡っていけるにちがい晩七時を過ぎます。へとへとになっ 恐縮していて、それでどうにかこう て家に辿り着けば夕飯はできていて、 にかバランスが保たれているようで いくらカんでみても、私を気に入お風呂も沸いている。もちろん洗濯ある。 ってくれる女性がいなければ始まら物も取り込まれています。先生たち わが家の長男は四月から大学生に ないが、ありかたいことに物好きはの集まりで講演をする時は、この話なり、都内のアパ 1 トでひとり暮ら いるもので、私と妻は一九八九年一一一をしたあとに、『女性教員のみなさんしを始めた。次男は十一歳なので、 、またし、は、ら 2 、はそ、はにいて / 、れるの 月に結婚した。新郎は一一十四歳、新は私の妻を羨ましいと思われている 婦は一一十七歳。晩婚化が進んだ現在ようですが、私も私の妻が羨ましい がありがたい。私の妹弟は四人とも から見ればどちらも若いが、女性のです』と一言うと、会場は大爆笑です」結婚して、それぞれ家庭を営んでい 一一十七歳はギリギリという感じがし誤解のないように断っておけば、 る。わが両親は五人の子供を育てて、 たのを憶えている。 私は主夫であることに本気で幸せを十一人の孫を持つに至った。依然と 出会ってから結婚の約東をするま感じている。息子たちの成長に寄りして茅ヶ崎の団地で暮らしていて、 で半年足らずというスピード婚だっ添いながら年月をおくり、少しは親ふすまのない見通しのいい部屋は、 たため、我々はお互いのことをあま らしいことをしてきたおかげで、小 今では孫たちの憩いの空間となって り知らなかった。私にとって最大の説を書き続けていられるのだと思っ さがわみつはる 一九六五年東京都生まれ。北海道大 学法学部卒業。出版社、屠畜場勤務 を経て、一一〇〇〇年「生活の設計」 で新潮新人賞を受賞してデビュー。 「縮んだ愛』で野間文芸新人賞、「お れのおばさん」で坪田譲治文学賞を 受賞。その他、「おれたちの青空」「お れたちの約東 = おれたちの故郷 = 山 あり愛あり」「牛を屠る」などがある。 89 家族ってなんだ ?

10. 考える人 2015年冬号

仮に父親は要らないとしても、少なくともコミ ュニティは必要たと思います。そういうものかあ って初めて、子供は信頼に足る世界をつくること ができる。信頼に足る世界というのは、背後に常 にいてくれる母親だけではだめなのです。もう少 し広い世界が、自分を常に見つめていてくれると いう安心感が必要たと思うのです。それが今の子 供にはないのではないかという気がする。子供に は案件に信頼できる世界が必要です。 そのためには、母親、父親たけでなく、言うな れば先ほどの老人ですね、老年期にある人たちが 非常に重要です。まだ十分に体力のない子供は、 体力の衰えた動きの鈍い老年期の人たちによく合 うわけです。もちろんエネルギ 1 は子供のほうが あります。でも老年期の人たちは許してくれる、 許容力がある。時間を無駄に使ってくれる。子育 てしたらわかるけれども、忙しいときに限って子 供に何か起こる。そのために時間を快く差し出し てくれる老年期の人たちは、子供にとってすごく ありがたい存在だと思います。それが、安心とい う壁をつくってくれるものです。それが今ないこ とが非常に問題だという気がします。 確かにそうですね 山極愛なんて嘘つばちの世界かもしれないけれ ど : : : つくづく不思議たと思うんです。人間が生 涯にわたるパートナーをつくるというのは。 本当に。 山極人間には閉じた世界で満足しようとする傾 向があります。可能性はいつばいあるにもかかわ らず、自分がつくってしまった世界に固執する。 男でも女でも。だから、外から見ると全然似合っ てないとか、別れればいいのにとか思うようなカ ( したりするでしよう。で ップルが、ずっと一緒一 も、どうなんだろう。それって結果的には、子供 にとっては幸福なものかもしれないわからない れちてユま 央くたつ。 をて人とカ ) ) り一田じ ですけれどね。もちろん、喧嘩ばかりで子供を虐 待して : : : なんていう場合もあるわけだから、一 概には一一一一口えないかもしれません。でも子供って、 夫婦間でトラブルがあると一生縣大叩間に入って仲 をとりもとうとするでしよう。それは子供にとっ て安心の壁が崩れるからだと思います。そういう 中で一〇〇 % 満足できるカップリングなんてある わけないので、お互いの欠点や不満を補い合いな 0 がら生きていくことも重要なのかなという気がし ます。 家族あっての人間であり、これを引き受けてい くのが人生かもしれないとい -2 持ちになりました 山極京都を歩いていると、最近、初老の人たち がよく手をつないで歩いているんですよ。「えつ」 と思います。 だめですか、手をつなぐのは ? 山極まだその心境にはならないな。子供が手を 離れて、宀疋年退職もして、夫婦の時間を持てるよ うになって、改めて寄り添って生きる人たちが増 えてきているのかなという気はしますね。それも 決して悪いことじゃないと思いますが、僕はまだ ちょっと恥すかしくてできないですね ( 笑 ) 。 でも、物事がネガティブに見えるのは、一律的 な価値観に縛られているからです。子供の時間や 老人の時間は壮年の時間とは違うわけで、そうい った時間に合わせて自分の価値観を変えられる楽 しさというのも、人生の中にあってもいいのかな と思います。 やまぎわじゅいち 一九五一一年界只生まれ。京都大学総長。京都大学理学部 卒、同大学院理学研士課嵂了。理学博士。カリ ソケ研究センター貢研究員、日本モンキーセンター リサーチフェロー、京都大当市亠長類研究所助去京人教 授を経て現職。「「サル化」する人間社会』「家族進化 「暴力はどこからきたかーー人間性の起源を探る』 「野生のゴリラと再会するーー一一十六年前のわたしを覚え ていたタイタスの物飜聖など著書多数。 2 5