動物からお乳を利用できるようになった、あるい は消化効率が良く、毒素の少ない食糧を生産でき るようになって、人間の内臓はもっと小さくなっ たり、十分に大きな脳をつくれるようになった。 だけど、現代人の脳の大きさに達するのは六十万 年前ですから、最後の食糧美叩が起こるずっと前 、大きさの面たけでいえば、人間の脳は完成し ています。 その大きな脳は集団の大きさに比例しています から、たくさんの人間が一緒に集まって生活する 社会的複雑性に耐えられるような時代が、六十万 年前には既に到来していたと思われるわけです。 人間の脳、すなわち千四百 8 から千亠ハ百 8 の脳 に適する人間の集団規模がどのぐらいかというと、 百五十人ぐらいと言われています。これは「ダン 1 数ーと言われ、実は現代の狩猟採集民でも、 幾つかの家族が集まってつくる「バンド」と呼ば れる地域共同体が、ほばその規慎だと言われてい ます。私はそれを、毎年年賀状を書くときに思い 出す人の数と一言うのですが、大体それが百五十人 ぐらい。つまり常に顔を覚えていられるような人 間、自分がある程度の信頼関係を持てるような人 たち。それが百五十人なのです。それは、言葉を 使って達成された人間関係ではありません。私た ちは日常的に言葉を使って人間関係を左右してい ると信じ込んでいますが、そうではない。顔を思 い出す、あるいは仕草や自分との関係を思い出す、 それが百五十人です。 実は、百五十人という集団の中には、さらに幾 つかの規模の集団がある。例えば家族です。ゴリ ラは家族的な集団だけで暮らし、それを超える集 団をつくりません。それは熱帯雨林に住んでいる からこそ保てる集団規模です。一方、チンパンジ ーは家族をつくらず集団をつくって暮らしていま す。これも家族と集団とを両立させず、集団た で暮らそうと思ったら、熱帯雨林が一番過ごしゃ すいからです。しかも、チンパンジ 1 は熱帯雨林 を少し出始めていますから、ゴリラより柔軟性に 富んだ力強い集団なのだと思います。 でも、人間はゴリラともチンパンジーともちか って、家族と社会という一一重性を持った集団をつ くることができた。それは、恐らく百五十人ぐら いの集団なのだろうと思います。その中に、家族 的な集団がある。それは、言葉を介さずとも保て る集団です。 言葉のいらない共鳴集団 家族みたいな集団は、もう一つあります。共鳴 集団と言いますけれども、要するにお互いが共鳴 するように一つの目標に向かって一致団結できる、 そういう集団です。たとえばスポーツです。その 適正な数は十人 5 十五人と言われていて、サッカ 1 のイレ。フン、あるいはラグビ 1 の十五人を思い 出していただければわかりますが、彼らはスポー ツをしているときに言葉をほとんど交わさない。 もちろん声はかけ合います。でも、日々顔を突き 合わせて、体を同調させて暮らしている中で、お 互いがどういう動きをすれば自分に何が求められ ているのか、あるいはどういう目配せでどう動け ばいいのかということを知っています。そのため 一つの生き物のように動ける。それが人間の 基本的な集団です。言葉は要りません。 そしてその外に、さらに三十人 5 五十人規模の 集団があります。これは例えばクラスです。学校 のクラスというのは三十人 5 五十人ぐらいです。 あるいは会社の一つの部、幾つかの課が寄り集ま った部です。先ほどの共鳴集団に相当するのが、 会社で机を並べている数だとも言えます。毎日机 を並べて顔を突き合わせていますから、健康に卩 題があるかもしれないとか、ちょっとこいっ気分 が悪そうだなんていうのも、顔つきや仕草でわか る。そういう集団がいくつか集まった部。誰かか 欠けていればわかる、あるいは一つの目標を立て れば、集まれる集団です。宗教の布教集団などが これに当たります こういった分節化された集団に、人間は個人で 幾つも属している。言い方を変えれば、毎日そう いった規模の集団を遍歴しながら暮らしを営んでな て いて、それが人間の非常にすばらしいところなのつ 家 です。人間は、一つの集団たけ 一つの家族だけ 7 3
から経済的なメリットがあるわけで になって、ようやく自分を素直に出始末まできちんとしてくれたり、助ちは、電車で一一十五分くらいのとこ けてくれました。 ろにいる長男以外、みんな目と鼻のはありません。 せるようになりました。乱暴しない 双子が高校生になったとき、五人先に住んでいます。孫が学校から我里親仲間で話をしていると、「自 子だから、女の子にもてましたよ。 目となる女の子を四歳で預かりましが家に帰宅してタご飯食べてお風呂分が生きた証を社会に残したいから 二人が小学四年生と一一年生になっ たとき、三歳三ヶ月の男女の双子をカ こ。「短期でお願いします」と言わまで入って帰ったり、年末はみんな里親をやっている」と言った人がい 預かりました。男の子は足に障害がれましたが、もうかれこれ十四年で集まったり、兄弟妹同士も仲良く暮て驚きましたが、私たちはただみん な「我が子」と思って育ててきまし ありました。でもまあ、自分で産んす。いつも最初は「短期で」と言わらしています。 もちろん、この間、いろんなこと た。だって、そこに生命があるなら だって障害をもって生まれることはれます。実際、短い子は三日、一週 あるわけだし、双子を引き離すとい 間の子もいれば一年の子もいて、ずがありました。事故にあって生死の世話する人がいなきゃならないでし っと育ててきた五人の他にこれまで境を彷徨ったり、プチ家出したり、 う選択はないと思ったので、一一人一 我が家では、「真実告知」は小学 十四人くらい預かっています。 不祥事を起こして学校に呼び出され 緒に引き受けました。 。それぞれの子に本一冊書四年生、十歳の誕生日にやることに うちで育った五人のうち三人は、 【を見せてもらって、初めて面 会に行ったときは私の母も一緒に行十八歳になった時に、自分の意思でけるくらいのエピソードがあります。決めています。自分が里子だとわか きました。母は障害のある子を引き養子縁組をして我が家の子になってこれから里親になる人に話をする機っている子もいればよくわかってい います。最初にうちにきただけは会があるときは、「何が起きるかわない子もいる。低学年だとびつくり 受けることに不宀女がないわけではな からない。 子供は何をしでかすかわするかもしれないけれど、十歳にな かったのですが、会ってみると母の事情があって十五歳で養子縁組しま っていれば判断力もある。「産んで 方になついて、すんなり決まりまし した。五人目の子はもうすぐ自分でからないと思ってください」とアド 、ハイスしています。でも、私は大変はいないけれど、私たちがお父さん、 た。私は息子を鍛えようと思って重決断するでしよう。 自分で育てることができなくて施だと思ったことはありません。虹莪お母さんなんだよ」と話します。泣 い牛乳を運はせたりしていたのです いた子はいました。あれは、誰だっ が、母はかわいがる一方でしたね設に入れていても、実の親はなかな夢中でやってきました。 時々誤解されるのは里親手当でたかなあ : ( 笑 ) 。高校生のときに手術を受けて、か親権を手放しません。だから、里 変わった家族といえば変わってい いまは普通に歩いています。家族で親と養子縁組ができるのは十八歳に「儲かる」と思っている人がいるこ るかもしれません。でも、この前、 血がつながっているのは、この双子なるのを待ってからのことが多いのと。医療費と生活費の補助はありま ごけです です。また、一般論でいうと、子供すが、習い事には一切出ないし、私息子が友達と電話で話していたとき、 双子が六年生になったとき、私のの方もたとえ虐待を受けた親であっ学に入れば学費は半分しか出ません。「あ、いま実家なんだ」と言うのを 聞いて、「ここが彼にとって帰る場 母が脳梗塞になり、同居介護が始まても、親のいいところを見ようとす十八歳以降、専門学校の費用は私た ん るので、無理矢理実の親との縁を切ち夫婦が負担しています。車の免許所なんだな」と思うと、ほっとしま りました。四人の子供たちはいつも て っ はアルバイト代を貯めて半分自分たした。 おばあちゃんの周りに集まっては話らせることはできません。 家 しかけ、トイレに連れていったら後今では三十代になった四人の子たちで出させるようにしています。だ
「そんなふうに思わないで結婚する人いるんです か ? 」なんて逆に言われて。 檀えつ、本当ですか。私は、自分で一言うのも何 ですが、非常にロマンチックな人間なんですよ 真実の愛というものを信じているの。だから、酒 井さんと別の意味で結婚できなかったのは、一生 添い遂けたいからこそ、この人とは添い遂ける自 信はないって田 5 ってしまうと、もう結婚できない。 酒井なるほど、本当に選んでいるわけですね。 結婚 檀選んでないの ( 笑 ) 。選んでないけど、 に対して「本当にこの人じゃなきやだめ」「親も 兄弟も何もかも捨てて、この人と暮らさないと私 は生きていけない」「この人は私の片割れであ る」「前世から決まったものだ」と、そのくらい のロマンチックな想いがあるんですよ。 酒井私にはそんな発想は、みじんも・ : : ・ ( 笑 ) 。 檀本当にないですか。恋愛小説とか読まなかっ たんですか 酒井読まなかったです。 檀じゃ、私は読み過ぎたんですね、やつばりね。 酒井私はマイナスからスタートして、だんだん と、あ、こんないい ところが、こんなに素敵なと ころもと見出していくタイプです。「馬には乗っ てみよ」精神で。 檀私も若い頃、先輩方から「馬には乗ってみよ だよ、ふみちゃん」ってよく言われました ( 笑 ) 。 酒井晩婚化や少子化はいかがなものかというと ころから『負け大の遠吠え』を書いたのですが、 目に見えるほどの効果はあまりないですね。 , フちの 檀今はお金の問題がものすごく大きい 甥も「俺、結婚しねえよ」とか言うから、「何で、 あんた、早くしなさいよ」って言ったら「お金が かかる」って。 酒井でも、一一人口になれば、今は奥さんも働い ているので、案外そっちのほうがうまくいくのて はないでしようか 檀なかなかそうは思えないみたい。 姪はもっと ん さ年齢が上ですが、とにかく早く結婚しなさいって すすめています。おばが一一人も独身でいると、そ れが当たり前の、家風みたいになってくるから 語 と ( 笑 ) 。我が家の隣に八〇代の独身姉妹が一一人で暮 濃 らしているんです。道路を隔てた向こう側には、 咄私よりも一つ上と、三つぐらい上の姉妹が一一人で 思 暮らしているんです。 れ酒井独身姉妹通りだ ( 笑 ) 。 檀周りにそういう地縛霊か何かいるのかも : っ 酒井独身の姉妹がいると老後も支え合ってい な ことができて、うらやましいです。 檀姉妹で一緒に暮らすよりも、気が合った男の ま 、じゃないですか あ人と一緒にいるほうか ( ( 父 酒井男女の仲はいつどうなるかわからないです が、姉妹は別れることがないですよね。 擅まあね。実を一一一口うと私、ロマンチックとか言 いながら、一回くつついたら離れないんじゃない かってとこがあって、それが心配でもある。だっ てもしかして、その相手が天からドカンと降って 来た運命の相手じゃなかったときに離れられなか ったら : : : 私はすごく情が深いんですよ 酒井ポイツとはできないわけですね。 檀多分ね。あなたはポイツとできるんでしよう。 酒井多分 : : : ( 笑 ) 。 檀すばらしいですね。 しいですよね。私、物も 捨てられないです。小学校のランドセルから全部 残っていますよ。
一切放り出して駆けつけなくてはならないことも ある。そういう別の価値観を持っていることが 人間を豊かにしているのだろうと思います。 相当子育てに関与されたんですね 山極いや、関与してないって女房から言われま す ( 笑 ) 。 夫婦の間で常に認識の差が生まれるところです よね夫は「こんなにやっているのに」と言い、妻 は「手伝い程度で何を威張っているのか」と御自 身の認識としては相当父親業をされたと 山極そうですね。いろいろ文句はあると思いま すが 食事をともにする重要性をおっしゃいましたが、 「ご飯は家族と」を実践されていますか 山極晩飯は大体家で食べる。もちろん外で食べ なくてはならないこともあるけれども、家で食べ られるときは一緒に食べます。 今後、人が進む可能性のある一つの道として機 械化の危険を指摘されました実際、身につけるコ ンピュータなど人間のクロポット化の流れがある 中で、抗しきれない恐れはないでしようか 山極それはあると思います。科学技術というの は、人間の持っている能力を伸ばすように伸ばす ように働いてきた。だけど、伸ばせないものがあ る。それは何かというと、例えば愛という一一一口葉で 表現されるものです。人間は個別性から出発して いる。つまりある特定の人間に対して持っ特別な 思いというものを、不特定多数の人間に対して伸 ばすことはできない。自分が子供に対して、ある いは愛する人に対して持っている感情を全ての人 に対して持っことはできないのですよ、絶対に これは科学技術によっては伸ばすことはできない オ ( たけど人間の 身体能力は伸ばせるかもしれよ、 心が持っている個別性には普遍化しようがない部 分がある。それには自覚的にならないといけよい。 身体の部分でも、例えば成長期間を縮めて四歳 ぐらいで大人にしちゃおうかということはできな いでしよう。これは現代の科学技術を使ってもで きないことなのです。子育てには、それだけの時 間がかかる。一一十年ぐらい絶対かかる。その期間 を縮めることも、最大化することもできないのは 覚えておくほうかいし なせそういうことを一言ったかというと、人間社 会は、個別性と、どうしても改良や改善をするこ とができない成長期というものからできているカ らです。 老年期の重要な意味 先ほど老人がいることの意味をおっしゃいまし た子育てと逆に、死に向かう部分で、介護とかマ イナスで語られることの多い家族の一面ですがそ の意味について語っていただけますか 山極子育てと同じなのは、人間の老年期も効率 0 化できないことです。縮められない。しかも時間 5 の持ち方が違う。壮年期にある人たちは、時間を なるべく効率よく使おうと思う。だけど老年期に ある人たちは、時間を効率よく使って大きな目的 を達成しようと田 5 っているわけではない。そうい う人たちの時間がどこに合うかというと、成長期 にある子供たちとびったり合うのです。壮年期に ある大人から見れば、子供たちは時間を持て余し ている。遊んで泥まみれになって帰ってきて、じ ゃあ一体何を学習したのかといったら、何も学習 していない。 大人から見れば。でもそういう時間 のあることが、子供たちを成長させるのです。そ れは大人たちからは価値づけることができない時 間なのです。老年期の人たちもそうです。彼らが しているのは決して生産的なことではない。ただ 時間を無駄に使っているように見えるかもしれな 、。でもそれは、実は人間関係を回す上で絶対に 必要なことなのです。 老人の介護はもちろん必要なことです。壮年期 の人から見れば苦労ばかりに田 5 えるし、なせこん なことをしなくてはならないのかとネガティブに 見えるかもしれないでもそれは、僕が最初に言 った、家族というものかネカティブに見えたとい うのと同じようなものであって、そこにおける時 間の大切さは、幼年期や壮年期の人たちに非常に 大きく跳ね返ってくるものだと思います。老年期 の人たちかいるからこそ、壮年期の人たちの時間
檀単なる同級生。不思議だな。一回お会いして みたかったです、お母様に。 子供の頃に親の不貞を知ると、それが原因で親 を憎んだり、あるいは家族から遠ざかったりする人 も少なくありませんがおニ人はいかがでしたか 酒井私はシンプルに、あれだけモテてすごいっ て尊敬しています。でも、もしモテていたのが父 親だったら、もっと複雑な気持ちになっただろう なとは田 5 うんですけれども。 檀うちの父は「火宅の人」時代にたまに子供に 会いたくて帰ってくると、子供の好きなことや子 供といる時間をものすごく大切にしてべったりと 一緒にいたので、父との思い出が濃厚なんですよ。 それも父を好きな理由のひとつですし、母が父の 悪口を言いつつも嫌いじゃなかったのも大きいん じゃないかしら。 父が入院して〈夫叩いくばくもないときに、母が そのときに母もまた病気 付き添っていましたが、 になってしまって、手術のために病室を離れなけ ればいけない時期があったんです。その間に父の 足にマヒがきて動かなくなってしまった。母が手 術を終えて父の病室へ行ったときに、少し変だな と気づいたんでしようね。私に「チチさんの足は もう動かないの ? 」と訊くのでしかたなく「う ん」と言ったら、母が天を見上げてばろばろばろ って泣いたんですよね。そのときに、ああ、この 人は父をすごく好きなんだって思いましたね。そ がありますお父様は〈侘しく、辛い、信条〉を子 の後に私は沢木耕太郎さんの『檀』 ( 檀一雄の妻・ヨ 供にも抱かせてしまっているとお気づきだったかと ソ子の視点で書いたノンフィクション ) で、母が〈私は 思いますが、おニ人は親御さんに対して〈寛大〉な 子供たちの母である前に檀の妻だったのだ。〉と ように見えます 言っているのを読んだときに、母の気持ちを再確 認しました。 檀侘しく辛い思いをさせている、なんて父は思 母が父の悪口をずーっと子供に言っていたら、 ってたのかしら ( 笑 ) 。私は思春期にドロドロし たところを全然見ていないから寛大でいられるの 多分私も母の味方になったかもしれませんが、母 のは悪口は悪口でも、愛ある悪口だったんじゃな であって、同性の親か異性の親か、あるいは子供 の年齢などによっても、受け止め方が変わるでし しなも 、よ - っノ , ね なきの 酒井さんは中学生というすごく多感なときに、 れ好たな ご両親の離婚騒動があったにもかかわらず、非常 託クつれ に達観したお気持ちだった。 ツやし みれカチちも 酒井後から考えれば、少しショックも受けてい すプたンっか ましたね。 対いれマな 擅泣いたりはなさらなかったんですか によ古衣ロこ 酒井泣きませんでしたね。むしろ驚いて茫然と 親オ盟な間 していました。ただ、父は機嫌の高低がすごくあ 生ュ人そ 人 る人で、両親が三カ月間口をきかないこともしょ っちゅう。母親は自分が不倫をしておきながら、 いかしら。父の全てを否定するわけではなかった。 「私がこうなるのも無理ないわよね、順子ちゃ だから親に対するみはないけれども、人生は壊 れたかもしれない。 こんなロマンチック好きな人 ん」って : : : すごい言いわけというか、自己正当 間になっちゃったのもそのせいかもしれない。 化ですよね ( 笑 ) 。 檀でも、そう思うんですか無理ないなって。 『火宅の人』に〈どのような高貴な恋愛であれ、 子供にとっては、その子供を産んだ肉親の恋愛沙汰 酒井まだ中学生だったので、なるほどそうかと に関して、寛大であり得ない。これは私が幼年の日 は田 5 っていたんですが、大人になってみると、ど わび っちもどっちですよね。 に得た侘しく、辛い、信条なのである〉という一文 つら 0 6
酒井今日は私から檀さんのお話を伺いたいと申何だろうと思いつつ、子供なりに納得するんです よ。あ、両親の仲が悪い原因はここであるなと。 し出て、実現した企画なんです。いま檀さんと一 酒井さんのところはどんな状況だったんですか 緒にテレビ局の番組審議会の委員を務めています 酒井私も、小さいときからずっと両親の仲が悪 が、先日、養護施設を舞台にしたテレビドラマの いとは田 5 っていました。決定的になったのは、中 審議の際に予想以上に話が盛り上がって : 学一年か一一年のある日の夜に、兄と私が両親の寝 檀盛り上がりましたねえ。 室に呼ばれて、「お母さんには別に好きな人がで 酒井自然と各委員の家庭環境の話題になった。 きたので、離婚することになりました」って言わ 「酒井さんは普通のおうちだったの ? 」と訊かれ れて。「仲が悪いのでそういうこともあるんたろ たので「うちは母が『火宅の人』 ( 註 ) でした」と うなあ、とはいえ母親か : : : 」なんて思ったりし 答えたら : て ( 笑 ) 。その後、別居などすったもんだがあり 檀みんなが驚愕した。 つつ、結局離婚はしませんでしたが、常に母には 酒井なので、せひ檀さんに「火宅」話をうかがい 異性の影があった。 たかったのですが、檀さんはお父様がいわゆる 檀モテたんだ、お母様。 「火宅の人」の頃は何歳ぐらいだったんですか 酒井そうですね。吸い取られましたね、私 ( 笑 ) 。 檀多分私が一「三歳ぐらいから小学校三、四年 ぐらいまでじゃないかな。 檀うちは、父よりも先に祖母が「火宅の母」だ ったんですよ。だから脈々と「火宅の血」が受け 酒井七、八年に及んだのですね。その間の御記 億というのは。 継がれているはずなんです。 祖母は最初の結婚は失敗して、それを隠して再 檀何かを目撃したということは切ないですが、 婚して、父が生まれた。そこで四人子供が生まれ 「知っている」んですよ。「それ」が何だかわから たのに、医学生と恋をして出奔して、その後にま ないけれども、両親の仲が異常に悪い。ある日、 た別の方と出会って結婚して、子供をそこでも六 私の部屋にたまたま並んでいた日本文学全集のう 人、全部で一〇人ぐらい産んだんじゃないかな。 ちの、「檀一雄ーと背表紙に書かれた一冊をちょ 酒井 ええつ、すごい。時代を考えると、いや、 っと読んでみた。年譜のところに自分のことが出 今の時代に生きていても、かなりモテるおばあさ てくるのがおもしろくて見ていたら「ふみ生まれ まだったんですね。 る」の少し後ぐらいに「このころ、—嬢と事を起 檀いやあ、吸い取られましたね、私たち ( 笑 ) 。 こす」とか書いてある ( 笑 ) 。「事を起こす」って 祖母には多分何十人と孫がいますが、一人非常に お盛んだったいとこを除いて、他の孫たちは全部 吸い取られていますね。 酒井一族の中の一人にモテが集中すると、他に 描 は分かち与えられないものなんですね ( 笑 ) 。 檀あるとき、父が家系図を描いてくれて、まず 「おばあちゃんは三遍か四遍結婚したかな」。祖父 過 は「二遍かな、三遍かな」。自分は二遍。母も一一最 遍。「だからあなたたちも一遍じゃ済まないでし ようね」 0 て言 0 ていましたが、まさか一遍もで亠 きないとはね。 酒井お父様が事を起こされたのをどう思ってい 気 人 らっしゃいましたか。うちは同性だったからか巍 「まあ、そういうこともあるたろう」という感覚た で見ていたんですが 作 遺 の 檀すごく冷静なんですね、酒井さんって。 うちの父は非常に子煩悩で、家にいるときは子檀 供たちとよく遊んでくれました。たからかしら、 私は父に嫌悪感を抱くことは不思議とありません気 の でしたが、 男性に対する疑いは強いと思います。 み 酒井さんはお母様だからこそ、生理酌に嫌だと か許せないという気持ちはなかったんですか 酒井ほかのお母さんを知らなかったので、母親 下 上 というのはこういう感じなのかなと ( 笑 ) 。しょ っちゅう家に男の人が車や、ハイクで遊びに来たりの 火 : そういう時に、私も連れていかれたので、世 註 間では普通のことだと田 5 っていましたが、だんだ
年ほど前から本部でアジア地域の広報を担当してい る ロ 1 タリ 1 には現在、世界八ヶ所に約六百人の常 勤スタッフがおり、うち約五百人が本部で働いてい る。本部スタッフの十パ 1 セントは外国人で、公用 語は七一一一口語 ( 英仏独伊西日韓 ) 。公式の会議には必 ず同時通訳が付けられる。会長の任期は一年で、一一 〇一一一年度には埼玉県の八潮ロ 1 タリークラブの田 中作次氏が選出されている。日本人の会長としては 三人目、三十年ぶりだ。 一九三九年、新潟県の農家に生まれた田中氏は、 中学卒業後、集団就職で上京。夜間学校で苦学しな一 がら、下町の紙問屋「田中米一一商店」に養子入りし た後、会社を引き継ぎ、家庭紙の総合商社に成長さ せた。全国家庭紙同業界連合会会長や八潮市商工会 副会長も歴任している。三十代半ばに同僚から誘わ れたのがロータリ 1 入会のきっかけだったという ノ 1 ー 1 ヘー - し J ( 「毎日新聞」一一〇一一一年七月一日 ) 。「学歴工 は真逆の、いわば「叩き上げ」のお手本のような人 物だ。その彼が世界一一百以上の国・地域 ( 五百三十 六地区、三万四千五百七十八クラブ ) に約百一一十万 人の会員を擁する国際ロ 1 タリ 1 の指揮を託された のである。巷に飛び交う「グロ 1 バル人材」をめぐ る議咽が急にちつばけにーーーそして、極めて小手先 の話のように 思えてくる。ちなみに日本国内に は三十四地区の一一千一一百八十六クラブに約九万人の 会員かいる会員数では米国、インドに次ぐ世界三 位だ。最盛期の一九九六年には十一一一万人を超えたが 高齢化の影響などにより、一九九七年以降は減少傾 向が続き、一一〇〇〇年に約五十一一人だった一クラ。フ 人工妊娠中絶や人権といった論争的なテーマを避け る一方で、ポリオ撲滅など普遍性の高いミッション を掲けてきたからだという。米国や日本などでは会 員が減っているものの、インド、タイ、台湾、韓国、 ブラジル、東欧、アフリカなどでは増加傾向にある の平均会員数は、一一〇一三年には三十九人にまで減 少している。 チャン氏によると、ロ 1 タリ 1 が世界に広まった のは「有益な事業の基礎として奉仕の理想を鼓吹、 育成する」と定めた綱領が魅力的であること、また 2013 年 1 月、ロータリー世界平和フォーラムでアウンサンスーチー氏にハワイ平和賞を 贈呈する田中作次・国際ロータリー会長 ( 当時 ) 第ニ次世界大戦後の躍進 ロ 1 タリーの起源は一一十世紀初頭のシカゴに遡る 南北戦争後の「金びか時代 (Gilded Age) 」と呼ば れるバ。フル期を経て大発展を遂けたシカゴだが、過 当競争や誇大広告、不正が横行し、「悪徳と腐敗の というイメージも強くなっていた ( ちなみに、 アル・カボネが「暗黒街の顔役」としてシカゴで暗 躍したのは、もう少し後の一九二〇年代である ) 。 当時、シカゴに事務所を構えていた青年弁護士ポ 1 ル・ハリス ( 一八六八 5 一九四七 ) は、そうした風 潮のなかで虚無感と孤独感に苛まれていた。異業種 の友人一一一人 ( 石炭商、鉱山技師、仕立て屋 ) と相談 し、仕事の上でお互いに信頼のできる公正な取引を 、更にはそれを真の友情に発展できるような仲 間を増やしたいと切望し、定期的に集う会を立ち上 げた。その初日が一九〇五年一一月一一十三日で、ロー タリー誕生の日となった。当初、四人の事務所を 「輪番 ( Ⅱ in rotation) 」で会合場所としたことか ら「 Rotary ( Ⅱ回転 )- と名付けられ、歯車がエン ブレムとされた。ハリスらが最初に行なった社会奉 仕活動は公衆トイレの設置運動たった。 設立三年で会員数は一一百人を超えたが、やがて会 員同士の親睦や相互扶助を優先させようとする一派 と、対外的な奉仕活動を積極的に行なおうとする一 派の対立が顕在化するようになった。そこで両者の 融和のために創出されたのが「ロータリー・ソン グ」だったという。会員の一体感を演出し、差異を 242
パオ村の碁石納豆。ぶつくり膨らんでいて、焼き菓子にも近い印象 ( 上 ) 。今回の納豆作りの貢献者・キンヌーさん ( 右頁 ) 。 、ッ れることのできる土地はシャン州の五パーセント に満たない。反政府少数民族ゲリラがそこかしこ に出没するから、ミャンマー政府はひじように神 経質になっているのだ。民主化されてもっと自由 になったと田 5 いこんでいたカ 、状況はさして変化 していなかった。 タウンジ 1 の市場では納豆がたくさん売られて いるが、シャンの納豆はライカのものだけしか見 ない。しかも、売っているのはみなビルマ人だ 他はダヌーとかインタ 1 、あるいはパオといった シャン州内の少数民族が作ったものだという シャン人の作った納豆には初めてお目にかかった それはそれで興味深いが、やつばり実際に作るの はシャン人の納豆にしたい。そして、シャン人に 自慢したいと田 5 った。 「やつばり、あの店にするか」 実は、一軒だけシャン人が納豆を売っている店 を発見していたのだ。屋台ではなく、ちゃんとし た店。そこではせんべい納豆も売っていたし、北 部のプロック状の納豆も売っていたしかもビル マ語で「タウンジ 1 」というプランド名が記され、 ビニ 1 ルできれし 、にパッケ 1 ジされた商品になっ ている 私はできれば村の生活の中で納豆作りを体験し豆 たかったからあえてこの店を除外していたが、 えてみれば、商品として納豆を生産しているのは、の 私たちが見たかぎりタウンジ 1 ではその一軒だけ
が特別に生きてくるのであって、壮年期の時間し かなかったら、人間はロポット化します。老年期 の人たちと幼年期の人たちが合うのは、彼らの時 間の使い方がともに効率的でないからです。彼ら ( ( た、いるこし」カ は目的意識を持たなくて、 重要。人間社会が保てるのは、そういうクッショ ンのような存在があるからだと思うのです。 介護を「負担」としてしまったのは、今の日本 社会が壮年期の人たちの時間で動いているからで す。ただし、それは都市社会での話です。地方に 一丁けば、介護が必要であっても、そういう人たち かいることが、周囲の人たちの幸福につながるよ , フな一」」カ . ( 、、、、つばいあるはずで、それは人間の 日々の生活が効率優先で回っていないからだと思 います。 人間は多産だったから共同保育になった、ゴリ ラと同じように子供を託されたことで社会的存在と しての父親ができたというお話でしたが、少子化の 中で、経済力をつけた女性が「父親」を必ずしも必 要としなくなっていないでしようか 山極母親たちは、父親を必要としなくなってい ます。 父親受難の時代だと思いますが、この先、どこ へ向かうと見ていらっしゃいますか 山極家族をつくるというのは、男の側から見る と平等社会なのです。男はそれぞれが家族を持っ ことで対等につき合える。それは会社の関係とは 違います。社会的地位がどんなに違っても、みん なが子供に責任を持っ存在であるというのは、潜 在的な平等主義です。家族が男たちの平等意識を 満足させてくれるという点で、社会における一つ の緩衝材となった。コミュニティがいかに階層性 に富むものであっても、家族というのは対等なん です。 女からすれば、父親は自分と子供の保護者です。 介護を「負担」 としてしまったのは、 今の日本社会が 壮年期の人たちの時間で 動いているからです。 ある意味社会は男がつくってきましたから、これ は女にとっては満足できないことかもしれないけ れども、社会を男がつくってきて、その社会に通 じるパイプを握っているのは男だった。父親がい なければ、その父親の親族でもいし 。自分と子供 をきちんと守る存在が必要たった。それがこれま での社ムだったと思うのです。 それが崩壊してきた。まず、男が家族を持っこ とによって平等であることを欲しなくなった。み んなバラバラで平等もへったくれもない。一人で あっても構わないわけですよね。それが一つ。 次に、女にとっても、男という保護者が必要な くなった。別に男がいなくたっていいじゃないか と思うようになった。それが大きな問題です。 女は一人で生んで、小さな家族をつくることが できますから 山極相手がいなくても、精子バンクなどいろい ろ手段がありますからね。でも子供は欲しい。そ こが問題たと僕は思う。果たして、子供にとって 母親だけでいいのか、あるいは父親だけというこ ともありますから、片親たけでいいのかしかも 地域コミュニテイもない非常に限られた人間関係 の中で育っことが、果たして子供にとって幸福な のか、ということです。 僕は子供であるときの自分を思い返したとき、 あるいは今一般に育ってくる子供を見るとき、親 というのは世間に通じる関門たと思うのです。そ のときに、常に一対一で親と向き合うのは辛い。 やはり、親は複数であってほしいし、親以外のコ ミュニテイもあってほしい。たとえば父親と喧嘩 してどうしようもなくなったときに母親が助け舟 を出してくれたり、姉貴が慰めてくれたり、ある いは近所の人たちがとりなしてくれたりするでしな て よう。そういう緩衝材がなければ、世間を知ってつ 家 いるわけではない子供は非常に辛い 5
納豆が発酵するのを待っ間、私たちはパオとい う民族の納豆作りを見に行った。 ハオ人はここタウンジーで最も人口が多い「土 た。パオ語はビルマ・チベット語族の 着の民族」、、 一一一口語だというから、民族的にはビルマ人と類縁関 係にあるはずだが、顔つきや生式はまったく 異なる。彼らは平地ではなく、主に山岳地帯に住 む。顔は丸みを帯びているし、女性は民族衣装を 身につけているのでどこにいてもすぐわかるノ ジャマのようにゆったりした濃紺の丸首のシャッ に同じ色の巻きスカ 1 ト、そして頭には布をタ 1 ハンのようにぐるぐる巻いている。奇妙なのはそ の布がたいていバスタオルであること。色は黄色 やオレンジが多いが、白や赤、あるいは二色以上 の組み合わせもある。 衣装がパジャマのようでもあるし、まるで日本 の女性が自宅で風呂上がりにバスタオルを髪に巻 いているようだ。この「常時風呂上がり」スタイ ルの人たちが市場の一大勢力として、野菜や果物 や納豆を売っていた ハオの納豆は風変わりで、碁石が大きくなった ような形状をしている。センファ 1 に前もって教 えてもらっていなかったら、納豆だと気づかなか っただろう。「カントリ 1 マアム」みたいなクッ キ 1 の一種と思ったかもしれない 納豆を売っている何人かのパオの女性に話を聞 いたところ、たいていは自分たちが郊外の村で作 った商品を売りに来ていることがわかった。碁石 納豆は炙って砕いて豚肉と一緒に炒めたり煮たり するとのことで、シャン人と同じように調味料と して使用しているらしい いちばん愛想のよいパオの納豆売りのおばさん に村の名前を教えてもらい、そこを訪ねてみるこ とにした。実はこのアイデアは周囲のシャン人に は受けがよくなかった。「パオの納豆はくさい」 と顔をしかめるのだ。同じ納豆好きの民族なのに、 この差別的な反応は不思議だった。納豆はそもそ もくさいものじゃないのか シャン人は納豆原理主義者であると同時に、納 豆ナショナリズムも強いようだ。 でも、シャンの人たちは情に篤く、ネットワ 1 クが強い。 英語の通訳をしてくれているナン・ノ ムは自分の知り合いの中からひと組の夫婦を探し タンナは車をもっており、奥さん て連れてきた。。 はたまたま子供のとき隣の家にパオの一家が住ん でいたためパオ語が話せるという。 ナン・ノムとパオ語通訳の奥さんは体にびった りフィットしたシャン・ドレスと頭には菅笠とい う、大晦日の祭りのときと同じスタイル。車を運 転するダンナさんも上はふつうのポロシャツだが、 、ヾこまっとし 下は「シャン・パンツ」と呼ばれるナ ~ た布のズボン。みなさん、シャンの民族意識が強 、、 0 実際にひじように美しく、格好 性 女 村は未舗装の悪路を三十分ほど走ったところに オ あった。 の 柱と梁は竹の棒、床と壁は竹の皮を張って作ら 趾れた「竹の家」が数軒ならんでいる。頭に緑のバ 風 時 スタオルを巻いた男性が一一人、出迎えてくれた。 ここでは男性も風呂上がりスタイルだ。一一人とも ビルマ語とシャン語を解さないらしい。私たちは 見 で英語↓シャン語↓パオ語の一一重通訳で、「納豆に 市 興味があるので見せてください」と頼んだ。風呂 上がりの男性はにこにことしてくれた。 「やってる、やってる ! 」と思わず声が出てしま った。家の脇の空き地で、まさに私たちがやって いたのと同じように、大昱を大鍋でぐっぐっ煮て いたさらに、少し高床気味の家の中に入ってみ カ . し たら、そこには毛布にくるまれた大きな物体 くつも転がっていた。毛布を開けるとプラスチッ ク袋が現れ、さらにそれを剥がすと大きな籠にぎ っしり詰まった黄色だったり茶色だったりする豆 146