子供 - みる会図書館


検索対象: 考える人 2015年冬号
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1. 考える人 2015年冬号

ートナ 1 シッ と違い、同性同士のパ ズビアンのインタビュー記事を読み、言ったら会う』と言いました。だか ら、『親父に会いた ( 、』って言う子プは、「夫婦みたいなものだと分か 」と強く田 5 った。 「これになりたい 初志を貫き、精子提供を受けて三十に育てるんです。彼から預かった子ってもらえない場合は、ただの友情 かル 1 ムシェア。制度としての結婚 八歳のときに出産した。「子供が欲供だと思っています」 ノ 1 トナ彼女は、職場では「二歳児を育てという社会的後押しがないぶん、自 しい」と打ち明けたとき、。、 ーは「いいんじゃない」と受け入れるシングルマザ 1 」ということにな分たちの力だけでつながっていかな っている。たが、直属の上司には同ければならない」。 てくれた。ただ、一一人とも精子バン 法律婚ではないために、所得税の 1 トナ 1 と暮らしていること クは使いたくなかった。価値観や気性のパ 1 トナ 1 質などを知っている男性から精子提は打ち明けてある。子供を預ける保配偶者控除がないとか、パ やその子供が入院した時に家族とし 供を受けようと考えたため、数年か育園には書類上「同居人」としてパ 1 トナ 1 を届けてあるが、実際にはて必要な手続きができないとか、ハ けて一人のゲイの友人と互いに深く ートナ 1 の葬儀のときに喪主を務め フ「ママが二人」と受け止められてい 理解し合ってから実行に移した : る。ただ、「もう一人のママ」であられないどころか参列さえ拒まれる ルーライさんは一一一日フ。 1 トナーは、 " 子育て , の実態ことがあるとか、小野さんたちが満 「それ以前からゲイの知り合いはい 悩 たされない思いを抱くのは、そうい ましたが、 を職場で理解してもらいにくく、 子供を望むことが難しい った生活上の様々な不便や不都合が 彼らの孤独感を感じることが多かつみの種だという。 あるためだけではない。 たのです。叶うなら、みんなで家族 「国勢調査で世帯構成を率直に書い になりたいと思いました」 ュニットとしての存在 ても同性同士では " 誤記〃扱いされ 目論見が外れたのは、妊娠中に彼 が子供の人生から姿を消したいと一一一口「結婚とは何か、家族とは何か、ふて、世帯としてカウントされない ナっ , フとは可か パッケージとしてつまり、家族として認定されない いたしたこと。でもそれは、進けこ のでなく、「ゲイの父親」はいない方の結婚にのつかっていれば考える必まるで存在を無視されているような 状態を解消したいのです。私たちが 要がないけれど、同性とくつついた カ ( いと考えての苦渋の選択だった。 ことでいろんなことを考えざるを得家族として、ひとつのユニットとし 「出産翌日、彼がス 1 ツ姿で会いに なくなった。それはい、 ( 事ももちろて存在している。そのことを認めて 来て、子供を抱き上げてくれました。 どれほどその子を愛しているか一目んあるけれど、心が弱るとくじけそ欲しいと思うのです」 つながっている手応えが欲しいの うにもなります」と言うのは、冒頭 でわかりました。大切だからこそ、 異性婚でも同性婚でも変わらな 身を引こうとしたのです。彼は『子に紹介した小野さん。 民法の後ろ盾がある男女間の結婚 供が大きくなって父親に会いたいと 私たちが家族として、 ひとつのユニットとして 存在している。 そのことを認めて欲しいと 心、うのです。 8

2. 考える人 2015年冬号

家族は孤立しているわけではなくて、周囲から 家族として認められて初めて家族になるものであ り、私は男ですから、家族をつくるということは 私が父親になるということです。 父親にもなるし」はいフい - フこし」カ 4 も、コリ・」フか、ら 学びました。、、 コリラのオスは自分の力だけでは父 親になれません。生まれてすぐの赤ん坊に対して 子育てをするわけではないし、赤ん坊に強い関、い を示すわけでもない まずメスが生まれた赤ん坊 を一年間は腕の中で専心的に育てます。一歳を過 ぎると、お乳も吸っていますが、お乳以外のもの を食べるようになって、お母さんの腕の中から 徐々に赤ちゃんは離れていきます。そのときに、 ′、そ お母さんは赤ん坊をオスのもとに連れてい してオスのもとにそっと置いて離れていく。車の 駐車みたいにノ ーキングといって、子供を預ける のです。一頭のオスに対してそういうメスが何頭 実の生活で、どこから来たかわからない人に対し て信用がおけないのと同じように、私たちはそれ ぞれ出自や由来を持っているからっき合える。そ れがなければ、人間は深い闇の中に個として存在 するしかないそれに気づいたことが、私が家族 を見直すきっかけになりました。家族というのは ( いもんだなと。 ニ重に選択されて父親が成立する もいて、オスの周りには置き去りにされた子供が は一つの計画性です。そしてそれは、みんなの合 、つ。↓よ、、 ( ( しる。その子供たちが互いに遊び合うよ 意の上の共通の概念です。それを父親に当てはめ うになって、母親から離れていることにだんだん ていくと、まず非常にプリミティブな文化装置と なれて、やがてオスについて歩くようになる。そ いうものが出てくる。しかも、父親という文イ的 こでやっとオスは子供に接することができるよう な装置をつくることによって、人間はそれまで生 になり、子供を保護し、喧嘩を仲裁し、子供の憧物学的な存在でしかなかった母親を、文化的な装 れの対象になるのです。メスから子供を託すこと 置に押し上げることができた。言うなれは、擬制 のできる信頼できるパ 1 トナーとしてはれ、そ の父母ができるわけです。産みの子ではない、産 して子供から憧れる対象、あるいは自分を保護し みの親ではなくても、親として振る舞える。父親 がますそうです。 てくれる対象として選ばれて、初めて父親として の役割を発揮することができる。つまり、メスと 父親は、自分の子供を生物学的に見分けること ができない。 子供の双方から一一重に選択されて父親というもの これは霊長類の研究によって明らか は成立する になったことですが、すごくおもしろい現象があ これは人間も同じです。ただし人間の場合には、 るのです。十九世紀の終わり、人間の家族の起源 母親と子供だけではなくて、周囲から、あなたは を探求しようとした文化人類学者がたくさんいま この子の父親ですよ、あるいは子供に対して、こ した。その筆頭がアメリカ人のルイス・ヘンリ の人はあなたの父親ですよというふうに幾度とな ・モルガンです。この人は、家族の起源に、イ く言われることによって、父親という社会的存在 ンセストタブ 1 ( 近親相姦禁止 ) を当てはめた。 が成立する。これが人間の社会とゴリラの社会の 家族というものが成立するためには、親子間での 違うところですが、いずれも男がいくら自覚的に 性行為が禁じられていなければいけない、あるい 父親になろうとしてもなれるものではない。周囲 は兄弟姉妹間での性行為が禁じられていないとい の合意によって、父親という存在が成立する。こ 人間以外の動物は霊長類も含めてすべて れは変わりません。 そういったインセストタブ 1 を持っていない。簡 だから私は、以前本で、父親というのは人間に 単にいうと、人間家族というのは、そのタブ 1 を とって最初の文化的な装置だと書いたわけです。 持っことから始まったというのが、『古代社会』 という本で著されたモルガンの説です。 なぜ文化的な装置かというと、それはある計画性 を合意の上に成立させるということです。文化と でも、人間以外の霊長類の研究が一一十世紀後半 0 4

3. 考える人 2015年冬号

仮に父親は要らないとしても、少なくともコミ ュニティは必要たと思います。そういうものかあ って初めて、子供は信頼に足る世界をつくること ができる。信頼に足る世界というのは、背後に常 にいてくれる母親だけではだめなのです。もう少 し広い世界が、自分を常に見つめていてくれると いう安心感が必要たと思うのです。それが今の子 供にはないのではないかという気がする。子供に は案件に信頼できる世界が必要です。 そのためには、母親、父親たけでなく、言うな れば先ほどの老人ですね、老年期にある人たちが 非常に重要です。まだ十分に体力のない子供は、 体力の衰えた動きの鈍い老年期の人たちによく合 うわけです。もちろんエネルギ 1 は子供のほうが あります。でも老年期の人たちは許してくれる、 許容力がある。時間を無駄に使ってくれる。子育 てしたらわかるけれども、忙しいときに限って子 供に何か起こる。そのために時間を快く差し出し てくれる老年期の人たちは、子供にとってすごく ありがたい存在だと思います。それが、安心とい う壁をつくってくれるものです。それが今ないこ とが非常に問題だという気がします。 確かにそうですね 山極愛なんて嘘つばちの世界かもしれないけれ ど : : : つくづく不思議たと思うんです。人間が生 涯にわたるパートナーをつくるというのは。 本当に。 山極人間には閉じた世界で満足しようとする傾 向があります。可能性はいつばいあるにもかかわ らず、自分がつくってしまった世界に固執する。 男でも女でも。だから、外から見ると全然似合っ てないとか、別れればいいのにとか思うようなカ ( したりするでしよう。で ップルが、ずっと一緒一 も、どうなんだろう。それって結果的には、子供 にとっては幸福なものかもしれないわからない れちてユま 央くたつ。 をて人とカ ) ) り一田じ ですけれどね。もちろん、喧嘩ばかりで子供を虐 待して : : : なんていう場合もあるわけだから、一 概には一一一一口えないかもしれません。でも子供って、 夫婦間でトラブルがあると一生縣大叩間に入って仲 をとりもとうとするでしよう。それは子供にとっ て安心の壁が崩れるからだと思います。そういう 中で一〇〇 % 満足できるカップリングなんてある わけないので、お互いの欠点や不満を補い合いな 0 がら生きていくことも重要なのかなという気がし ます。 家族あっての人間であり、これを引き受けてい くのが人生かもしれないとい -2 持ちになりました 山極京都を歩いていると、最近、初老の人たち がよく手をつないで歩いているんですよ。「えつ」 と思います。 だめですか、手をつなぐのは ? 山極まだその心境にはならないな。子供が手を 離れて、宀疋年退職もして、夫婦の時間を持てるよ うになって、改めて寄り添って生きる人たちが増 えてきているのかなという気はしますね。それも 決して悪いことじゃないと思いますが、僕はまだ ちょっと恥すかしくてできないですね ( 笑 ) 。 でも、物事がネガティブに見えるのは、一律的 な価値観に縛られているからです。子供の時間や 老人の時間は壮年の時間とは違うわけで、そうい った時間に合わせて自分の価値観を変えられる楽 しさというのも、人生の中にあってもいいのかな と思います。 やまぎわじゅいち 一九五一一年界只生まれ。京都大学総長。京都大学理学部 卒、同大学院理学研士課嵂了。理学博士。カリ ソケ研究センター貢研究員、日本モンキーセンター リサーチフェロー、京都大当市亠長類研究所助去京人教 授を経て現職。「「サル化」する人間社会』「家族進化 「暴力はどこからきたかーー人間性の起源を探る』 「野生のゴリラと再会するーー一一十六年前のわたしを覚え ていたタイタスの物飜聖など著書多数。 2 5

4. 考える人 2015年冬号

が特別に生きてくるのであって、壮年期の時間し かなかったら、人間はロポット化します。老年期 の人たちと幼年期の人たちが合うのは、彼らの時 間の使い方がともに効率的でないからです。彼ら ( ( た、いるこし」カ は目的意識を持たなくて、 重要。人間社会が保てるのは、そういうクッショ ンのような存在があるからだと思うのです。 介護を「負担」としてしまったのは、今の日本 社会が壮年期の人たちの時間で動いているからで す。ただし、それは都市社会での話です。地方に 一丁けば、介護が必要であっても、そういう人たち かいることが、周囲の人たちの幸福につながるよ , フな一」」カ . ( 、、、、つばいあるはずで、それは人間の 日々の生活が効率優先で回っていないからだと思 います。 人間は多産だったから共同保育になった、ゴリ ラと同じように子供を託されたことで社会的存在と しての父親ができたというお話でしたが、少子化の 中で、経済力をつけた女性が「父親」を必ずしも必 要としなくなっていないでしようか 山極母親たちは、父親を必要としなくなってい ます。 父親受難の時代だと思いますが、この先、どこ へ向かうと見ていらっしゃいますか 山極家族をつくるというのは、男の側から見る と平等社会なのです。男はそれぞれが家族を持っ ことで対等につき合える。それは会社の関係とは 違います。社会的地位がどんなに違っても、みん なが子供に責任を持っ存在であるというのは、潜 在的な平等主義です。家族が男たちの平等意識を 満足させてくれるという点で、社会における一つ の緩衝材となった。コミュニティがいかに階層性 に富むものであっても、家族というのは対等なん です。 女からすれば、父親は自分と子供の保護者です。 介護を「負担」 としてしまったのは、 今の日本社会が 壮年期の人たちの時間で 動いているからです。 ある意味社会は男がつくってきましたから、これ は女にとっては満足できないことかもしれないけ れども、社会を男がつくってきて、その社会に通 じるパイプを握っているのは男だった。父親がい なければ、その父親の親族でもいし 。自分と子供 をきちんと守る存在が必要たった。それがこれま での社ムだったと思うのです。 それが崩壊してきた。まず、男が家族を持っこ とによって平等であることを欲しなくなった。み んなバラバラで平等もへったくれもない。一人で あっても構わないわけですよね。それが一つ。 次に、女にとっても、男という保護者が必要な くなった。別に男がいなくたっていいじゃないか と思うようになった。それが大きな問題です。 女は一人で生んで、小さな家族をつくることが できますから 山極相手がいなくても、精子バンクなどいろい ろ手段がありますからね。でも子供は欲しい。そ こが問題たと僕は思う。果たして、子供にとって 母親だけでいいのか、あるいは父親だけというこ ともありますから、片親たけでいいのかしかも 地域コミュニテイもない非常に限られた人間関係 の中で育っことが、果たして子供にとって幸福な のか、ということです。 僕は子供であるときの自分を思い返したとき、 あるいは今一般に育ってくる子供を見るとき、親 というのは世間に通じる関門たと思うのです。そ のときに、常に一対一で親と向き合うのは辛い。 やはり、親は複数であってほしいし、親以外のコ ミュニテイもあってほしい。たとえば父親と喧嘩 してどうしようもなくなったときに母親が助け舟 を出してくれたり、姉貴が慰めてくれたり、ある いは近所の人たちがとりなしてくれたりするでしな て よう。そういう緩衝材がなければ、世間を知ってつ 家 いるわけではない子供は非常に辛い 5

5. 考える人 2015年冬号

個人の欲求を満足させるような食事の場をつくる。 その中からできることをやっていくということな のだと思います。昔は、例えば会社で上司が飲み に行こうと一言うのにつき合わされて嫌な田 5 いをし た方がたくさんいるたろうと思いますか、そうい うものを今さら復活させようとしたって無理に決 まっている。でも、見方を変えれば、それはビジ ネスになる。上司と部下が食事できる場をつくる ことも、魅力的な仕掛けを考えれば、それによっ ていろいろな人間関係ができるのだから、 思います。 また、今、個人で自由な時間を持て余している 人が多い。特に日本は少子高齢化社会で、高齢者 かさらにふえていく。そういう人たちはお金と時 間を持っている。彼らの時間をどう使うか。その 中に若い人たちをどう巻き込むかによって、日本 社会は変わってい 。お金を持っている高齢の人 たちが、思い思いに個人の果たせなかった欲望を 獲得しよう、達成しようとしても社会はよくなら ないし、バラバラな社ムができるだけです。 今の高齢の人たちは、冒頭に私が言った三つの 変化をみんな知っている。高度成長期、安定期、 そして崩壊期と。その中で何がよかったかを過去 にさかのばってることがで、さる。これは亠 9 ご′、 重要なことです。若い世代は、時代の変遷を知ら ないから、人間関係の価値や変化のプロセスを理 解できない今ある自分、今ある関係をただ受け 価値観を「麻痺」させる子育て 山極さん御自身、御家族をお持ちになって発見 したこと、教えられたことは何ですか 山極家族というのは、実は他人とのつき合いか ら始まる。要するに妻と自分には全く血縁関係が ない。しかも歴史を共有していない。育ってきた プロセスは知らないわけですから。他者ですよね。 他者との間に子供をつくる。子供はゼロから自分 が責任を負うわけです。あるいは子供にとったら、 もう既にゼロから自分を取り巻いている人々がい る。それは一生つき合わなくてはならないもの。 それを僕はネガティブなものと考えていたけれど も、ポジテイプなものかもしれない い J 一フ二い , フ↓」」、刀し」ー , , フ・し」 、子育てをやってみた ら膨大な時間を子供に対して与えなくてはいけな いことがわかる。あらゆるものを犠牲にして。子 供か病気になれば何もかも捨てないといけよい。 それは戻ってくるものではない。ただ 価値観をそ こでいったん麻痺させて、誰かのために自分の時 間を捧げるのは、非常に人間的な行為です。人間 的と一一一一口うよりも、むしろ生物としての行為です。 しいカ、わ力、らない とうやったら、 入れるしかない。。 そこをみずから実践できるのは、高齢者だと思い ます。それをやらないとまずいと思います。私も 高齢者になってきたから。 ゴリラもそうなんだから。そして人間はそれを大 きく広けたのです 自分を犠牲にする行為がなせなくならないかと いうと、根本的にうれしいことだからです。母親 は自分のお腹を痛めて産んだ子だから当然かもし れないし、養子に迎えた子や、あるいは近所の子 であっても、子供に対して尽くすのは、人間にと って大きな喜びです。歪十なことになったり、ア クシデントが起こったときに、子供を助けてやり たいと思う気持ちは、人間が共通に持っている幸 福感なのです。それがあるからこそ、そして分か り合えるからこそ、人間は存在すると思うのです。 私はアフリカで ZCO の活動をずっとやってき ました。文化も社会も違い、言葉も違う人たちだ けれども、何が一番根本的に了解し合えるかとい ったら、「未来のため」ということ。子供たちの ために何かをしてやりたい、 現在の自分たちの利 定で世界を解釈してはいけない、自分たちの 持っている資源を未来の子供たちに託さなければ いけないという思いです。そういうことを重荷と 田 5 ってはいけないのです。 人間というのは、現実から来る抑制ではなくて、 タイムスケ 1 ルの長い過去と未来に縛られる抑制 によって生きている。それが人間的なものだと思 います。それを一番実感できるのが、子供を持つな て ということ、家族をつくるということなのです。っ 家 家族に何か事件が起これば、今やっていることを 9 4

6. 考える人 2015年冬号

檀単なる同級生。不思議だな。一回お会いして みたかったです、お母様に。 子供の頃に親の不貞を知ると、それが原因で親 を憎んだり、あるいは家族から遠ざかったりする人 も少なくありませんがおニ人はいかがでしたか 酒井私はシンプルに、あれだけモテてすごいっ て尊敬しています。でも、もしモテていたのが父 親だったら、もっと複雑な気持ちになっただろう なとは田 5 うんですけれども。 檀うちの父は「火宅の人」時代にたまに子供に 会いたくて帰ってくると、子供の好きなことや子 供といる時間をものすごく大切にしてべったりと 一緒にいたので、父との思い出が濃厚なんですよ。 それも父を好きな理由のひとつですし、母が父の 悪口を言いつつも嫌いじゃなかったのも大きいん じゃないかしら。 父が入院して〈夫叩いくばくもないときに、母が そのときに母もまた病気 付き添っていましたが、 になってしまって、手術のために病室を離れなけ ればいけない時期があったんです。その間に父の 足にマヒがきて動かなくなってしまった。母が手 術を終えて父の病室へ行ったときに、少し変だな と気づいたんでしようね。私に「チチさんの足は もう動かないの ? 」と訊くのでしかたなく「う ん」と言ったら、母が天を見上げてばろばろばろ って泣いたんですよね。そのときに、ああ、この 人は父をすごく好きなんだって思いましたね。そ がありますお父様は〈侘しく、辛い、信条〉を子 の後に私は沢木耕太郎さんの『檀』 ( 檀一雄の妻・ヨ 供にも抱かせてしまっているとお気づきだったかと ソ子の視点で書いたノンフィクション ) で、母が〈私は 思いますが、おニ人は親御さんに対して〈寛大〉な 子供たちの母である前に檀の妻だったのだ。〉と ように見えます 言っているのを読んだときに、母の気持ちを再確 認しました。 檀侘しく辛い思いをさせている、なんて父は思 母が父の悪口をずーっと子供に言っていたら、 ってたのかしら ( 笑 ) 。私は思春期にドロドロし たところを全然見ていないから寛大でいられるの 多分私も母の味方になったかもしれませんが、母 のは悪口は悪口でも、愛ある悪口だったんじゃな であって、同性の親か異性の親か、あるいは子供 の年齢などによっても、受け止め方が変わるでし しなも 、よ - っノ , ね なきの 酒井さんは中学生というすごく多感なときに、 れ好たな ご両親の離婚騒動があったにもかかわらず、非常 託クつれ に達観したお気持ちだった。 ツやし みれカチちも 酒井後から考えれば、少しショックも受けてい すプたンっか ましたね。 対いれマな 擅泣いたりはなさらなかったんですか によ古衣ロこ 酒井泣きませんでしたね。むしろ驚いて茫然と 親オ盟な間 していました。ただ、父は機嫌の高低がすごくあ 生ュ人そ 人 る人で、両親が三カ月間口をきかないこともしょ っちゅう。母親は自分が不倫をしておきながら、 いかしら。父の全てを否定するわけではなかった。 「私がこうなるのも無理ないわよね、順子ちゃ だから親に対するみはないけれども、人生は壊 れたかもしれない。 こんなロマンチック好きな人 ん」って : : : すごい言いわけというか、自己正当 間になっちゃったのもそのせいかもしれない。 化ですよね ( 笑 ) 。 檀でも、そう思うんですか無理ないなって。 『火宅の人』に〈どのような高貴な恋愛であれ、 子供にとっては、その子供を産んだ肉親の恋愛沙汰 酒井まだ中学生だったので、なるほどそうかと に関して、寛大であり得ない。これは私が幼年の日 は田 5 っていたんですが、大人になってみると、ど わび っちもどっちですよね。 に得た侘しく、辛い、信条なのである〉という一文 つら 0 6

7. 考える人 2015年冬号

もっとおもしろいことがあります。そ - フいっこ 脳の急成長と大きな脳を支えるために、人間は食 糧美叩を起こさなくてはならなくなったことです。 直立一一足歩行が、食糧を集めて運ぶために発達し 官です。大人の脳の重さは体重の一一 % しかありま せんが、摂取エネルギ 1 の一一〇 % を脳の維持に費 やしています。さらに成長期の子供は、摂取エネ ルギーの実に四五 % 5 八〇 % を脳の成長に回して いるのです。だから、人間の子供は重たい体重で 生まれてくるのです。赤ちゃんの体重の重さは、 脂肪の重さです。人間の赤ちゃんの体脂肪率は一一 五 % 以上ありますが、ゴリラの赤ちゃんは五 % ぐ らいしかありません。その体脂肪を何に使うかと いったら、脳の成長のための備蓄なのです。摂取 凶 エネルギーが停滞すると一番悪影響を受けるのは 0 長 脳の成長です。だから、人間の赤ちゃんは成長を ′ル一 ) ÅJ 保障するために厚い脂肪にくるまれて生まれてく やれ一成劫 ち、、ナギのし るわけです。 赤熄ル体て 人間の赤ちゃんは、脳は急速に成長するけれど のすネ、れ 司脳長工分遅 も、摂取エネルギーを脳に回す分、ゴリラの子供 に比べたら、体の成長は遅れてしまう。ゴリラは 成取回 五歳で五十キロになりますが、人間の子供は五歳 で二十キロにもなりません。それほど体の成長に 違いが出てくるのです。 とを始めました。一緒に食事をするのは、サルで はできないことなのです。 脳を支えた食糧革命 サルが共存するためには、優劣順位の低いほう が自分の食べたいという欲望を抑えて、食物を強 いサルに独占させます。弱いサルはその場から離 れて、別の食糧資源を探しに行く。だから食べる ときは散らばる。食べることは、個人的な行為で す。ところが人間は、食べるときに集まる。サル 」特殊よ歩行様式、たということを申し上げました が、その時代に人間は、チンパンジ 1 ができない ことを始めたのです。 チンパンジ 1 は、時々食物を分配します。ゴリ ラも食物を分配することはわかっています。でも、 食物を運ぶことはしません。人間は、直立一一足歩 行をして、食物を手に持って運んで、仲間のもと に持って帰って、そこで一緒に食事するというこ とは全く逆のことをやっているわけです。食べる というのは、人間にとっては集団の行為なんです ね。それを始めたのは人間の進化の初期たと思い ます。そのことによって、サルであれば互いに競 合する食糧資源を前に置いて、仲よく共存すると いうことを始めたわけです。 このころから、「共感」という人間に特有な能 力が育ち始めたのだろうと思います。そしてさら に多産になって、子供を母親一人では育てられな くなった。成長の遅い、頭でつかちでひ弱な子供 をたくさん抱えることになったわけですから。そ のために父親が必要になった、あるいは子供を持 っていない大人の世代の人たちがこぞって子育て に参入して、共同保育をしなくてはならなくなっ た。チンパンジ 1 では、母親と子供だけで暮らす 時間がすごく長いわけです。ところが人間は、そ うはしていられなくなった。人間の祖先は母親以 外の大人が子育てに参入し、一緒に育てることが 必要になった。そのために、集団を大きくせざる を得なくなったのです。 実は、人間以外の霊長類でも、脳が大きくなっ た理由が集団の大きさに対応することが知られて います。これは、一九九〇年代にイギリスの人類 学者ロビン・ダンバーが出した仮説なんですね。 ん 人間以外の霊長類の脳の大きさは、脳に占める大 て 脳新皮質の割合に比例します。人間の脳は、そのつ 家 新皮質の割合が格段に大きい。その割合が大きく

8. 考える人 2015年冬号

に始まると、サルもインセストタブーを普遍的に 持っていることがわかってきました。母親と息子 は交尾しません。母系的な社会、つまりオスが群 を渡り歩いていく社会では、オスに自分の子供は 見分けられません。しかし、母親は自分の子供が 見分けられるわけです。自分が産んでいるのです から。そして同じ母親のもとで一緒に育った兄弟 姉妹の間柄でも交尾が起こらないことがわかって きました。つまり、インセストタブ 1 として制度 化されているわけではないけれども、近親相姦を てカ な 起こさないような忌避関係が、人間以外の霊長類 的よでで にもあることがわかってきた。しかもそれは、母 ヒにま在見置 親と子供の間にある生物学的なつながりが功を奏 文ュ存装 しているのではない。つまり、それは生後に生じ うるよなた る子育てを通じた親和的な関係なのです。例えば、 っ的っヒガ 生まれてすぐの兄弟姉妹を隔離して育ててしまえ ば、その間に交尾は起こります。母親も、もし隔 装生押 離して育ててしまえば、大きくなった息子との間 に交尾は起こる。でも、ある程度親密な期間を幼 ました。その間でどういう 少期に過ごせば、その間で交尾は起こらないので 交尾が起こったかを後 す。 で検証してみると、まず母系的な血縁関係を通じ 、ハリーマカクで非常におもしろい研究があ た母、息子、兄弟姉妹、いとこ同士では、ほとん ります。 ハ 1 バリーマカクはニホンザルと同じマ ど交尾は起こっていない。 これは生物学的な認知 カク属で、モロッコあたりに住んでいます。ニホ があるのかもしれないし、あるいは母親のもとに ンザルと同じような社会構造を持っているのです 育った経験によるものかもしれません。今度は父 が、複数のメスと複数のオスが一緒に群をつくっ 系関係を調べてみた。これも血液を採っているか ていて、オスだけが群を渡り歩いていく母系社会 らわかる。父親を中心にした父と娘、兄弟姉妹、 です。普通オスは自分の子供を認知できません。 たたし ハ 1 、ハリ 1 マカクは、オスが生まれたば かりの子供を引き取って一生縣大里育てるという行 動が知られています。 そこで、母親のように子育てしたオスとその娘 の間に交尾が起こるかどうかを調べた研究がある 1 ーリ / のです。この一群のバ 1 マカク全ての個体 から血液を採取して、生物学的な血縁関係を調べ そしていとこ同士、これは普通に交尾が起こって います。このことから、彼らは少なくとも生物学 的な血縁関係を認知して交尾を忌避しているわけ ではないことがわかった。 さらに、先ほど言った、生まれたばかりの子供 を育てるオスと、その子供が性的成熟に達したと きに交尾が起こるかどうかを調べてみると、それ は、その子供が小さかったときの、子育てをした オスとの間の親密度に比例して交尾を避けること もわかりました。両者に生物学的な血縁関係はあ りません。どの程度親密に世話をしたかにかかっ ているのです。あまり親密でなかったペアでは交 尾が起こっていた。でも、非常に親密に世話をし ていたペアの間で交尾は起こりませんでした。 この親密度とは、一日のうち六 % の時間を六カ 月くらい続けた程度のことです。それほど強い親 密度ではない。そういうことが明らかになると、 人間以外の霊長類でも、実は生まれつき親子ある いは親族という血縁関係を認知しているわけでは なく、生まれてからの関係の親密さが、その子が 大きくなったときに性的対象となるかどうかの選 択に大きな影響を及ばしていることがわかってき たのです。 人間のインセストタブ 1 というのは、霊長類の こうした社会的な認知によって既につくられていな て たものを、単に制度化したものに違いない逆につ 家 言えば、人間関係が複雑になり、霊長類のような 4

9. 考える人 2015年冬号

こに移転したのは 1916 年のことである。 柳子を園長とする箕面家なき幼稚園を可能にした のは、ひとえに岸本汽船が協力を惜しまなかったか らである。岸本汽船は本来が海運業者として出発し た。三代目を継いだ岸本兼太郎は第一次大戦によっ て巨利を得ると、小林が放棄した箕面動物園の跡地 を別荘地に切り替え、「箕面土地会社」なる不動産 会社を設立、宅地造成に乗り出した。また財政難で 四苦八苦していた小林を再度にわたって助け、阪急 電車が神戸線を開通させるのに尽力した。兼太郎は 教育事業にも積極的で、 1926 年には箕面学園尋 常小学校を設立し、それは後に箕面自由学園として 現在に至っている。こうした一連の箕面開発の一環 として、岸本汽船は現在の箕面公園の一角、箕面学 園小学校の隣に、幼稚園のための土地を提供したの である。 1924 年 6 月、柳子は箕面家なき幼稚園の初代 園長として、女子大時代から夢見ていた児童教育家 としての道を歩み出した。橋詰が最初に手掛けた池 田の幼稚園が「お宮の幼稚園」と呼ばれたのに倣っ て、箕面の幼稚園は「山の幼稚園」という愛称を得 た。最初の園児たちのなかには、柳子の実家、矢野 家の係累に当たる飯國キョの幼い顔もあった。子供 たちは端午の節句には鯉のばりを揚げ、七夕には飾 りものを作って願いごとをした。池田や雲雀ヶ丘の 園児たちと合同で、明石まで遠足に行くこともあっ 大阪禹の家なき幼稚園では園児の送迎に 人ほどが乗車できるフォードの大型車が 2 台使用さ れたが、 ' おそらく箕面においても同様の大型車が用 いられていたはずである。記録によれば、大阪での 、、 0 には、まず表紙を開くと箕面土地会社の全面広告が 自動車使用には 1 か月円の経費がかかった ( 19 飛び出し、続いて 7 つの家なき幼稚園からの報告や 32 年 4 月 ) 。そこから推測するならば、幼稚園の月 園児の父兄からの投書などが掲載されている。北原 謝はおそらく 3 円から 4 円を徴収していたものと推 白秋から巌谷小波、賀川豊彦、薄田泣菫、また神話 測できる。これは当時の物価水準からすればけっし て安いとはいえなかった。にもかかわらず箕面の新学者の松村武雄といった面々が、童謡やエッセイを 寄稿している。そのなかに「自然物手技」と題して、 箕面の家なき幼稚園の保母からの報告が寄せられて 家なき幼稚園長翡饂橋詰良一著識大 , いるのを紹介してみよう。箕面の奥深い渓谷や広々 大 主年 京知 と続く草原のなかで、柳子が園児たちとどのような 《ー第ー第 : 。、夛ま ! 。、当幼知遊戯に興じ、どのような手作り玩具を老蓁してした 第六情製の紀第一三野外差載の自第ニ一母のお番との 【目歌内容】 第セおき催第の修養 な瞹 かが髣髴されるからである。 ー・まれ物土 : 人竹 ~ 第れ、の第′らー ! 第のれめ 第一計第の動査 0 第一五 5 日のお第び 第ニ勲の目指すところ第れ関後の第評 告 め・、・食上 1 いーーまー 木の葉の籠。木の葉とタンポポの電車。桜の葉と 第一穴健銀上の要 第ー女庭のま 第一セ使丁の第応 ・・ , 曾郎広 ”に、つんた : のす物 , 。中驫一第一一五上・物 ~ 三の 見第ー製第のつ ( ら ~ 第一 0 各増 ~ 6 等新 で宿まⅢ物 第一一保の内 第三名のおこる所以 保物のロはーは“の第富は第一 ^ 郎外から第市、 第ニ六効種の一設化一五 第圏最初の理想第 ! 保項Ⅱり・収 : 第な、・新 - 村をふよす・第歳 ! 、 みの松葉の虫籠。芦の葉の弓と矢。木の葉の蝶々。タン 製の一“ー第 : に物見の 月口をら人第第・ . 第ニセ様學と炊の載 第五関のを強 からー各わ年中行物 ・ 0 内容にー・自ドま第機 ・第一一八第集 詩第 : 一の ◆美第なも 工あ■カー・の第所ー用具事大強・、、 4 ーをは第第一れ自動から電阜へ 外、 第ニ 0 小との終 : 直第載十第入◆ に載 - 、の解震 橋実ポポの輪つなぎ。レンゲ草の眼鏡。栗の葉の飛行船。 木の葉のアイスクリーム入。花びらつなぎ。藤の葉 と艶紙のトンポ : : : 女子大時代に高島平三郎から、 子供の玩具は毀れやすいものがよく、原色が好まし いと教えを受けた柳子は、年後に実際に子供たち が草木を素材に自由に老蓁した玩具を、次々と手に することになった。 情熱の中断、死 もっともこの至福の日々は長くは続かなかった。 もとより病弱であった柳子は、その上に疲労が重な ったため、外出を控え、寝所に臥せる日が少しずつ 増えてきたのである。婦人会も、幼稚園も、いっし か他人に任せる日々が続くようになった。そうした 柳子を見かねて、保は母屋のわきに 3 部屋からなる 離れを新たに設けた。飛び回る子供たちから離れて、 興住宅地に居住を始めたホワイトカラ 1 の一家は、 争って子弟をこの幼稚園に入園させようとした。 橋詰せみ郎はみずから主幹となって、 1920 年 代後半から年代前半にかけて、幼稚園運動の機関 誌『愛と美』を発行している。「児童愛、生活美」 という角書きをもったこの判間頁ほどの月刊誌 箕面の山を負て南に開け 暖い住宅地を一度御覽下さいませ 理想の小學校「糞面學園」 もあリます 理想の幼稚園「面自然 幼稚園一もあリます。 貸家も美しくて巖、こ ご天下無類です。 家なき幼園 西洋貸家の一ッ 所務事社會地土面箕 代国面箕電 ) 丁ー凡に東りよ點終面箕急阪 川川Ⅲ目 箕面土地会社の広告。「愛と美」 1932 年 5 月号。 いろカみ

10. 考える人 2015年冬号

ん大人になるにつれ、違うらしいと気づきました。 とはいえ、女性がいくつになっても遊びたいとか モテたいという気持ちはよくわかるので、納得し て見ていましたね。 檀お母様は今の女性の先駆けのようですね。女 性は昔からそういう気持ちを持っていたはずなの に、どこかで封印していたうちの母も : : : ちょ っと疑わしいところがなくはないけど ( 笑 ) 。 酒井でも、お母様は小説では、とても清い感じ で、お出かけもあまりお好きでないような : 檀そんなことはないんです。後々になってみる と実は好きだとわかってくるんですよ。母の時代 の人は「妻とはこうあるべき」と、自分を枠には めているんでしよう。でもその次の時代から、そ れはないような気がしません ? 酒井そうですね。うちの母を見ていると、父は 昭和一桁生まれで、母はその一〇歳下なんです。 その世代差が起こした火宅だった気がします。 母は戦争を子供のころ少し経験しつつも、基本 的には豊かになっていく世の中で、好きなように 遊んだり、おしゃれを楽しんだり、自分を抑える ことをあまり知、らすに生きてきた。それに対して、 「俺が白いものを黒と言ったら黒」という元軍国 少年の父だったので、それに我のならなかった 若い母がはじけたんだろうと今にして思いますね。 檀そういった家庭環境が私たちを独身に向かわ せているということはあるんですかね 酒井独身でいる原因を考えた時、親の火宅を結 びつけると納得しやすいので、自分の中では母の せいだということにしていますね。もし母が京塚 昌子タイプだったら、ちゃんと今ごろ一一人の子供 が高校生ぐらいになっているはず。 檀でも、お母様は結局離婚なさらないで、最後 までお父様に明るく添い遂けていらした。 酒井一応父の最期を看取りました。でも別居を 解消して母が家に帰って来た理由が「同居してい た父方の祖母がかわいそうになったから」って 檀ほおー 酒井「おばあちゃんは私が看取らなきゃいけな いと思ったので帰ってきた」と。「え、子供のた めじゃないの ? 」 ( 笑 ) お母様が戻られたということは、お父様はお許 しになったということですよね 酒井そうですね、そこは父が偉いなと思いまし 祖母はもう九〇代で確かに捨てるのに心が痛 むというのはわかったんですけれども。 擅それでお父さんと寝室は別になったんですか 酒井祖母が生きているうちは一緒でした。祖母 が他界してから、祖母の部屋に母が寝るようにな り土した。 檀どのくらいの期間、お母様は家を出られてい たんですか 酒井別居していたのは半年ぐらいでしたね。私 もついていって、母の実家にいたんですけれど 檀実家がよく許してくれましたね、また。 酒井ねえ ( 笑 ) 。でも、何かやつばりそのあた りから、母の実家と父方は何となく仲が悪くなっ ていましたね。 檀うちの母は、父が火宅に走ったとき、五人の 子供を残して家出しましたからね。うち一人は病 気で寝たきりですよ。「よくもまあできたもんだ わよね、お母さん」って、私ずっと母をそのこと でいじめていましたけれど ( 笑 ) 。 酒井そのときの記憶は、残っていますか 檀ないですが、母は清々したって。ところが、 母が出ていったあとに父方の祖母が「この家は私 が立て直します」とやってきた。そこに母が荷物 を取りに帰ってきて、祖母が張り切っている姿を 見て、負けてなるものかと結局家に戻って来た。 酒井おばあさまとしては、お父様の味方でいら したんですね。 檀そうみたいですね。やはり祖母も火宅の人だ ったから、火宅の味方なんじゃないですかね。 酒井火宅連合 ( 笑 ) 。 檀かたく結はれている ( 笑 ) 。 酒井お母様は、離婚されようという気持ちはな かったんですか 檀したかったみたいですよ。ただ、 結局なぜ離 婚できなかったかというと 、父はその恋人と結婚 したかったけれど、彼女は五人もの子供は引き取 6 5