母 - みる会図書館


検索対象: 考える人 2015年冬号
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1. 考える人 2015年冬号

ん大人になるにつれ、違うらしいと気づきました。 とはいえ、女性がいくつになっても遊びたいとか モテたいという気持ちはよくわかるので、納得し て見ていましたね。 檀お母様は今の女性の先駆けのようですね。女 性は昔からそういう気持ちを持っていたはずなの に、どこかで封印していたうちの母も : : : ちょ っと疑わしいところがなくはないけど ( 笑 ) 。 酒井でも、お母様は小説では、とても清い感じ で、お出かけもあまりお好きでないような : 檀そんなことはないんです。後々になってみる と実は好きだとわかってくるんですよ。母の時代 の人は「妻とはこうあるべき」と、自分を枠には めているんでしよう。でもその次の時代から、そ れはないような気がしません ? 酒井そうですね。うちの母を見ていると、父は 昭和一桁生まれで、母はその一〇歳下なんです。 その世代差が起こした火宅だった気がします。 母は戦争を子供のころ少し経験しつつも、基本 的には豊かになっていく世の中で、好きなように 遊んだり、おしゃれを楽しんだり、自分を抑える ことをあまり知、らすに生きてきた。それに対して、 「俺が白いものを黒と言ったら黒」という元軍国 少年の父だったので、それに我のならなかった 若い母がはじけたんだろうと今にして思いますね。 檀そういった家庭環境が私たちを独身に向かわ せているということはあるんですかね 酒井独身でいる原因を考えた時、親の火宅を結 びつけると納得しやすいので、自分の中では母の せいだということにしていますね。もし母が京塚 昌子タイプだったら、ちゃんと今ごろ一一人の子供 が高校生ぐらいになっているはず。 檀でも、お母様は結局離婚なさらないで、最後 までお父様に明るく添い遂けていらした。 酒井一応父の最期を看取りました。でも別居を 解消して母が家に帰って来た理由が「同居してい た父方の祖母がかわいそうになったから」って 檀ほおー 酒井「おばあちゃんは私が看取らなきゃいけな いと思ったので帰ってきた」と。「え、子供のた めじゃないの ? 」 ( 笑 ) お母様が戻られたということは、お父様はお許 しになったということですよね 酒井そうですね、そこは父が偉いなと思いまし 祖母はもう九〇代で確かに捨てるのに心が痛 むというのはわかったんですけれども。 擅それでお父さんと寝室は別になったんですか 酒井祖母が生きているうちは一緒でした。祖母 が他界してから、祖母の部屋に母が寝るようにな り土した。 檀どのくらいの期間、お母様は家を出られてい たんですか 酒井別居していたのは半年ぐらいでしたね。私 もついていって、母の実家にいたんですけれど 檀実家がよく許してくれましたね、また。 酒井ねえ ( 笑 ) 。でも、何かやつばりそのあた りから、母の実家と父方は何となく仲が悪くなっ ていましたね。 檀うちの母は、父が火宅に走ったとき、五人の 子供を残して家出しましたからね。うち一人は病 気で寝たきりですよ。「よくもまあできたもんだ わよね、お母さん」って、私ずっと母をそのこと でいじめていましたけれど ( 笑 ) 。 酒井そのときの記憶は、残っていますか 檀ないですが、母は清々したって。ところが、 母が出ていったあとに父方の祖母が「この家は私 が立て直します」とやってきた。そこに母が荷物 を取りに帰ってきて、祖母が張り切っている姿を 見て、負けてなるものかと結局家に戻って来た。 酒井おばあさまとしては、お父様の味方でいら したんですね。 檀そうみたいですね。やはり祖母も火宅の人だ ったから、火宅の味方なんじゃないですかね。 酒井火宅連合 ( 笑 ) 。 檀かたく結はれている ( 笑 ) 。 酒井お母様は、離婚されようという気持ちはな かったんですか 檀したかったみたいですよ。ただ、 結局なぜ離 婚できなかったかというと 、父はその恋人と結婚 したかったけれど、彼女は五人もの子供は引き取 6 5

2. 考える人 2015年冬号

私の 舟 ( ママ ) ハラ」問題 クハラ、ハワハラ、マタハ ラ : ・ : 。他者への発言や行 動が本人の意図には関係な 相手を傷つけたりすることを、 ハラスメントと呼ぶ 私はここに、母と娘の抑圧問題を 総称する一一一一口葉として、「母ハラ」を 加えたい。 大人になった娘の言動にダメ出し をしたり、家を出て暮らす娘の身の 回りを世話する。仕事や結婚相手の 選択にロ出しする。娘の自己決定権 を奪う行為だが、当事者にも抑圧で あることが分かりづらいものが、私 の考える母ハラだ。言葉を与えるこ とで当事者が苦しみを客観視できる ようになれば、と願う これまでこの問題は、「母と娘の といった言葉 確執」、「母が重たい」 で表現されてきたが、生ぬるい。母 ハラは母親が無自覚に娘を苦しめ、 プライドを奪い、深刻なケースでは 命をも脅かすのである 献身的な愛情を注ぐ母親を加生暑 と呼ぶなんて、と憤る人や、親を批 判するのは娘の甘え、と不快感を持 つ人もいるたろ - フ。しかし、そうい う周囲の無理解も、母ハラ被圭暑を 追い詰めてきた。 セ のなのだから。 いる親子を否定するつもりはない。 致し方ない側面もある。家庭内の 何を隠そう、私自身が母ハラ被害 問題は外に見えにくく、自分の家族多様な親子関係の中に、難しい問題 者である。 を抱えているケ 1 スがある、という のあり方が普遍的と信じている人は 家族は 子どもの頃から、母と折り合いが ことを認めて欲しいだけだ。 多い。人が物心つくころ、家族は世 しろいろあ 悪く家族に何か問題があるとは感じ それぞれ固有の文化を持っていて、 界たったからだ。別に、、 てきたが、 それをはっきりと理解し そこでのル 1 ルや関係性も固有のも っても基本的には信頼関係を築いて たのは、夫の家族と出会ってからだ。 特集 メぎ g ミミ、ミ 0 ミ、 十五年前、夫の実家で初めてその 山極寿一さんと考える 家族って家族全員と対面した。ダイニングで なんだ ? 団欒する義父母、義兄夫婦と甥っ子 たちを観たとき、現実 ティを感じられず「まるでホ 1 ムド ラマみたい」と田 5 った。 誰もが新しい家族の私を受け入れ てくれる。歓迎して気にかけてくれ る。その暖かさがつらい という感 覚を理解してもらえるだろうか今 は違うが最初の数年、私は自分に居 場所が用意されている状態が耐えが ここ数年、母と娘の関係が かってないほどこじれている 「毒母」「母娘問題」など、 さまざまに呼称されてきたが これからは「母ハラ」と呼ばう それだけ根深い問題なのだ。 阿古真理 text by AkO Mari 亠の , 」土まり . 作家・生活史研究家。 庫旧笙まれ。神戸女宀 を卒業後、広告制作へ ーに。食を中、いに、 性の生き方などをテ , 書に「昭和育ちのお、 和の洋食平成のカ一 理の年』「うちの「 母・母・娘の食卓」貪 ポ「まる子世代」』 ( 生 4 7

3. 考える人 2015年冬号

檀単なる同級生。不思議だな。一回お会いして みたかったです、お母様に。 子供の頃に親の不貞を知ると、それが原因で親 を憎んだり、あるいは家族から遠ざかったりする人 も少なくありませんがおニ人はいかがでしたか 酒井私はシンプルに、あれだけモテてすごいっ て尊敬しています。でも、もしモテていたのが父 親だったら、もっと複雑な気持ちになっただろう なとは田 5 うんですけれども。 檀うちの父は「火宅の人」時代にたまに子供に 会いたくて帰ってくると、子供の好きなことや子 供といる時間をものすごく大切にしてべったりと 一緒にいたので、父との思い出が濃厚なんですよ。 それも父を好きな理由のひとつですし、母が父の 悪口を言いつつも嫌いじゃなかったのも大きいん じゃないかしら。 父が入院して〈夫叩いくばくもないときに、母が そのときに母もまた病気 付き添っていましたが、 になってしまって、手術のために病室を離れなけ ればいけない時期があったんです。その間に父の 足にマヒがきて動かなくなってしまった。母が手 術を終えて父の病室へ行ったときに、少し変だな と気づいたんでしようね。私に「チチさんの足は もう動かないの ? 」と訊くのでしかたなく「う ん」と言ったら、母が天を見上げてばろばろばろ って泣いたんですよね。そのときに、ああ、この 人は父をすごく好きなんだって思いましたね。そ がありますお父様は〈侘しく、辛い、信条〉を子 の後に私は沢木耕太郎さんの『檀』 ( 檀一雄の妻・ヨ 供にも抱かせてしまっているとお気づきだったかと ソ子の視点で書いたノンフィクション ) で、母が〈私は 思いますが、おニ人は親御さんに対して〈寛大〉な 子供たちの母である前に檀の妻だったのだ。〉と ように見えます 言っているのを読んだときに、母の気持ちを再確 認しました。 檀侘しく辛い思いをさせている、なんて父は思 母が父の悪口をずーっと子供に言っていたら、 ってたのかしら ( 笑 ) 。私は思春期にドロドロし たところを全然見ていないから寛大でいられるの 多分私も母の味方になったかもしれませんが、母 のは悪口は悪口でも、愛ある悪口だったんじゃな であって、同性の親か異性の親か、あるいは子供 の年齢などによっても、受け止め方が変わるでし しなも 、よ - っノ , ね なきの 酒井さんは中学生というすごく多感なときに、 れ好たな ご両親の離婚騒動があったにもかかわらず、非常 託クつれ に達観したお気持ちだった。 ツやし みれカチちも 酒井後から考えれば、少しショックも受けてい すプたンっか ましたね。 対いれマな 擅泣いたりはなさらなかったんですか によ古衣ロこ 酒井泣きませんでしたね。むしろ驚いて茫然と 親オ盟な間 していました。ただ、父は機嫌の高低がすごくあ 生ュ人そ 人 る人で、両親が三カ月間口をきかないこともしょ っちゅう。母親は自分が不倫をしておきながら、 いかしら。父の全てを否定するわけではなかった。 「私がこうなるのも無理ないわよね、順子ちゃ だから親に対するみはないけれども、人生は壊 れたかもしれない。 こんなロマンチック好きな人 ん」って : : : すごい言いわけというか、自己正当 間になっちゃったのもそのせいかもしれない。 化ですよね ( 笑 ) 。 檀でも、そう思うんですか無理ないなって。 『火宅の人』に〈どのような高貴な恋愛であれ、 子供にとっては、その子供を産んだ肉親の恋愛沙汰 酒井まだ中学生だったので、なるほどそうかと に関して、寛大であり得ない。これは私が幼年の日 は田 5 っていたんですが、大人になってみると、ど わび っちもどっちですよね。 に得た侘しく、辛い、信条なのである〉という一文 つら 0 6

4. 考える人 2015年冬号

は来只で暮らす私の携帯に電話をか けてきた。 世話を焼きつつ、母は、ピアノの 稽古で失敗する幼い私を感情的に叱 りつけた。子どものときも、大人に なってからも私が何かプレゼントす ると、嫌そうな顔をして受け取る 未だにそうだが、私の言い分はほば スル 1 する。 感情の行き違い、と言ってしまえ ば簡単に片付きそうな些細な積み重 ねだ。母は感情表現が不器用な人な のだ子育てに手一杯だったのだろ : 母の側に立った客観的な意見 を述べる人は多い。しかし、なぜ人は 娘の側には立とうとしないのたろう。 子どもにとって親は、生きる術を 教えてくれた絶対の権力者だ。その 影響力は絶大である。 私は未だに人がキレるのを見ると、 それがテレビの中であっても耐えら れない。 怒られると、思考停止する 自分は軽く扱われて当然と思ってい たせいで、 いくつかの深刻なトラブ ルにも遭ってきた。 母にとって私は、永遠に完成しな い作品らしい。電話や会う機会を捕 まえては、私のあら探しをして直さ せようとする。次第に私は電話を受 ( 写真の人物は本文と関係ありません ) ◎ amanaimages けると不機嫌になり、体調を崩し、 実家に帰った後は疲れ果てて寝こむ よ , フになった。 八年ほど則か、ら私は親に土 6 し J* もに 電話もしない送っ 会っていない。 てきたものは受け取らない接触し なくなって影響力が小さくなったの か、他人は敵でないことに気づいて、 人付き合いが面白くなった。自分が 生きていていいのか悩むことがなく なった。親と離れて、初めて人生が 楽しくなった。 母から離れて分かったことは、母 ハラの怖さである。娘の自己決定力 を奪って誇りを失わせ、ときには自 らの存在意義すら見失わせてしまう。 親は子どもを産み、さらに子育て することで子に決定的な恩を与える その恩を返すことは不可能たたカ らこそ親は子にだけ窈で絶対的な 権力を持っている。ありがたいと感 じているからこそ、娘は親の干渉を 無視できないで苦しむ。 現在、私の最大の悩みは、七十五 歳の母に、今後どう向き合えばよい のかだ。そのために私は母のことを 日々考え続けている。これも一つの 愛情の形なのか。私には分からない。 75 家族ってなんだ ?

5. 考える人 2015年冬号

が家は間歳の父 1 名、れ歳 私の家族② 三 ustration by Minegishi Toru の娘 1 名の最少人数で構成 されています。母も両祖父 母も鬼籍に入っており、兄弟はいな 父祐歳、 い父か娘、どちらかが欠けたら 「家族」ではなくなる限界家族な上、 唯一の娘である私が嫁に行く気配は 娘れ歳。 まるでなく、父に再婚の「主疋もない。 しかも、ハラ、ハラに住んでいるので、 ジェーン・スー 限界家族のうち一人が単身赴任みた いな状態です。 母は私が幻歳の時に亡くなりまし た。歳でした。積み木を崩すよう な目立った反抗期もなかった ( よう に自誌する ) 私が、子供の頃から母 にお願いしていたことはたったひと つ、「お父さんより先に死なない で」でした。だって、あのお父さん とふたりじゃあ心配だったんだもの。 しかし、願い虚しく母はスルっと逝 ってしまった。さあ、それからが大 変でした。案の定、父は父親役をな かなか引き受けてくれませんでした。 母より 6 歳年下、昭和年生まれ の父は、典型的な昭和の自営男です。 よく稼ぎ、よく遊び、よく喋り、よ く笑い、ワガママでお調子者で、父 親の威厳なんてものとはまるで無縁。 母がよく「うちにお父さんは居なく text by Jane Su て、うんと年の離れたお兄さんとあ なたとお母さんの 3 人家族よ ! 」と 笑っていたのを覚えています。年よ りも若く見えることを自負し、法事 で親族の学生から学ランを借りて集 合写真にビースサインでおさまる、 そんな父でした。 このユ 1 モア溢れる洒落男の帰宅 はいつも夜中で、どこから帰ってく るのかはイマイチわからない。 一歩手前の清潔好きで、朝は入浴や 髭剃りや髪の手入れで洗面所を独占。 ノリが効きすぎたワイシャツの胸ポ ケットには、必ず櫛を入れていまし た。例えるならば、艷やかな色どり の羽が自慢の雄鳥のような父。あ、 体驅が小さいというわけではなく、 小鳥のように身軽なのですよ。巣の 外で自慢の羽を広け、ほかの雌鳥と 夜な夜な華麗なダンスを踊っていた であろうことは想像に難くありませ ん。と同時に、母と私のことを深く 深く愛していました。そして、自分 自身のことも。 子供の頃、父に宿題を見てもらっ たことは一度もありませんし、家族 旅行も片手で数えられるほどしか 行っていません。運動会を見に来て くれたのも、たった一度か一一度でし 0 9

6. 考える人 2015年冬号

m 一 n 一をプレセントしました。これ た。背広で現れてすぐ帰った父を、 から幻か月、月々 6000 円弱のお 私はグラウンドから体育座りで見て し土した。。 安い親孝行がスタ 1 トします。「明 トカンと怒られることは 日から朝は『ああ ! 今日も親孝行 あったけれど、それは教育的指導と な娘のおかげで一 pad m 一三が使え いうよりは彼の気分を害したとき。 る ! 』と思いながら起きてよね」と 家族の団らんは土曜日の夜の外食か、 父がゴルフに行かない日曜日の朝ごしてしつかりして欲しいのに私より夏には花火大会なんか行っちゃって、照れ隠しに言った私に、父は「じゃ 私よりずっと人生をエンジョイしてあおまえは成人するまで喰いつばぐ はん。外食では 3 人で軽口を叩きあメソメソし、父は自分のことばかり れなかったことを、毎朝俺に感謝し 日曜朝は新聞とテレビを観なが考えているように見えました。どう 歳で母が亡くなったとき、私はろよ」とニャリ笑いました。 らの父と食卓を囲むのみ。高田純次して娘である私のことをもっと考え そうそう、そうなんだよね。稼ぎ 2 歳。この片年そればかり考えてい のような軽薄さで、石原慎太郎とナてくれないのだろう ? 父親らしい べツネを足して 2 で割らない程度に大きなあたたかさで、私を安心させましたが、母が亡くなった当時父は続けることのプレッシャーを知った いま、そのありがたみは一層身に染 不謹慎なことを平気で言う。リべラてくれないのだろう ? 母の死と残歳だったことに、自分がを超え された私に向き合ってくれない父へてから気付きました。父もまた、妻みます。それにしても母という管理 ルたれ、という学校教育を早くから 人を失ってから、随分と銭も失った 受けていた私は、中学時代に父からの苛立ちで、私の心はどんどん狭くを亡くすには若かったのです。 ねえ、お父さん。 さみしくなっていきました。妻、親先日、父から電話がありました。 ″アカ〃呼ばわりされていたことも 世間一般の父親らしさとは無縁の 友、そして自分にとっても母親のよスマホが欲しい、と。放っておくと あります。父に「親たるもの」とい うな存在だった三位一体の母を失っとんでもないものを買ってくるのは父は、私にも世間一般の娘像 ( 結婚 った気概がないのは気楽でしたが、 とか出産とか ) を押し付けてきませ 私はどこかで大木のような父親像を、ナ こ父は、その隙間を埋めるように私過去に何度もやらかしていますから、 ん。これはこれで、私にとって大変 ずっとずっと求めていたような気がを含めた周囲の人間に頼り切り。子私は父の機種変更に同伴することに します。その思いが、母の死を境に育てを母に任せつきりだった父のツしました。年金暮らしの間歳にスマ都合のよいこと。まあこれもひとっ の父娘のかたちかなと、最近はそう 1 トフォンは贅沢かと思いつつも、 噴出してしまった。 ケを支払っているのは、なぜか私の まあ孫の顔を見せる「主疋もないので、思うようになりました。 母の奢で、私たちは途端にバッ方でした。 それぐらい買ってあげようかと あれから片年、私たちは度重なる が悪くなり、不毛な諍いをたびたび じえーん・すー 店頭での検討の結果、父にはハタ 起こしました。母を挟んでの父娘で衝突を経て、そこそこ居心地の良い 一九七一一一年、東泉生まれ東曇月ちの日 本人。作詞家 / , / ラジオパ 1 ソナリティ チそこそこの店員さんにちょっかい しかなかったことを、痛感させられ着地点を見つけたように思います。 1 / コラムニスト。著書「私たちがプ る毎日でした。父の個性は、母と一 父は相変わらずのお調子者ではありを出して粗品を 2 個もらう技能はあ ロポーズされないのには、 101 の理 由があってだな』 ( ポプラ社 ) 、「貴様 ますが、母より先に倒れた大病を克っても、スマホを使いこなす能力 緒なら長所。私とふたりだけになる いつまで女子でいるつもりだ盟」 ( 幻 夂本ロ ) はいずれもベストセラーに。 服し、ケロっと元気にやっています。と根気には乏しいと判断し、 iPad と、短所に裏返りました。大黒柱と 91 家族ってなんだ ?

7. 考える人 2015年冬号

家族小説から おしなべていえるのは 「家族の絆」がいかに 危ういか、であろう。 母であることをやめ、ようやく悩み苦しむ等身大 の姿を取り戻したのかもしれない 元気な母子家庭を描いた長嶋有『猛スビードで 母は』 ( 二〇〇一一年 ) 。妻は家出し、息子は不登校 という最悪の状況から父が自らを見つめ直す重松 清『流星ワゴン』 ( 二〇〇一一年 ) 。元過激派の過激 な両親に子どもたちが振り回される奥田英朗『サ ウスパウンド』 ( 二〇〇五年 ) 。一二世紀の家族小 説は、近代家族が家族のモデルケースとして通用 て匂を子 な。れ 長、猛 しなくなりつつあることを示している。 現代の格差社会を背景に、不出来な息子に母が 手を焼く林真理子『下流の宴』三〇一〇年 ) は 「猛母の系譜」がもろくも崩れる物語だし、明治 \ ◆ 人雄 ) の、晉 ) の「家庭小説」を意識した水村美苗『母の遺産 ー新聞小説』 ( 二〇一二年 ) で描かれるのは、 中年をすぎたが老母の介護に手を焼く「猛母 の末路」の姿である。 一〇〇りの間に家族の形は大きく変わった。 戦前の船場が舞台の谷崎潤一郎「細雪』 ( 一九四 八年 ) と、八〇年代を舞台にした金艾恵子『恋 愛太平記』 ( 一九九五年 ) を読み比べれば、その 差が歴然とわかるはず。ともに四の物語であ り、ある意味、婚活小説でありながら、人々の結 婚観や家族観の差に改めて驚く しかし、家族小説からおしなべていえるのは 「家族の絆」がいかに危ういか、であろう。明治 末期の「家庭小説」の時代から、家族は常に対立 の場であり、トラブルの源であり続けたのである そうした中、新しい活路が見えるのは血縁に依 拠しない家族の姿だ。佐川光晴『おれのおばさ ん』三〇一〇年 ) は親と離れた子どもたちがひ とつの家族のように暮らす成長譚。原田ひ香毎 親ウエスタン』 ( 二〇一二年 ) は用心棒よろしく 父子家はかりを渡り歩く、母親代行業のような 家政婦の物語である。 人類が続く限り家族は続き、家族の物語も書き 続けられるだろう。だが、何をもって「家族」と するかは、時代によっても人によっても異なる 現在の家族像が永遠に続くとは限らないのだ。 69 家族ってなんだ ?

8. 考える人 2015年冬号

檀すごくおしゃべりなお医者さんですね。 酒井ランドセルが捨てられないんであれば、確 酒井私、八度五分の熱を出しながら「そうなん かに人は : : : ( 笑 ) 。本当に愛情が深いんですね。 ですか : : : 」って相槌打って ( 笑 ) 。 檀離婚騒動のときの恋人とは、また別の方 ? 火葬場に来た母の元恋人 酒井別だと思います。 檀うわあ、すごい、そのモテ方。ちょっと爪の 擅お母様は三年ほど前に他界されたそうですが、 恋人たちは、お葬式にはいらしたんですか 垢でも煎じて飲ませていただきたかった。 酒井さらに母の同級生で、食事を一緒にしては、 酒井来ました。母のお棺を担いでいましたね。 プランド物をじゃんじゃん買ってくれる人がいま 檀えーっ。それ、すばらしいですね。そういう 人生、局じゃないですか 酒井火葬場まで行くのって普通は親族だけじゃ ないですか。何も言わないのにバスにも乗り込ん できて、あれ、火葬場に来ているみたいな。 擅ヘーえ。その方たちは独身なんですか ? 酒井いえ、もう妻子、孫もあるような。 さらに、両親の他、私が実家に戻ってきて から、風邪を引いて近くの医院に行ったら、「順 子ちゃん、今だから一言えることがあるんだよ」っ て、お医者さんに言われて ( 笑 ) 。 檀えつ、お医者さんとも何かあったんですか 酒井お医者さんの同級生と何かがあったらしい んです。若い頃、母が入院したときに、そのお医 者さんの同級生が担当医になったら、その人が母 のことを好きになったそうで。夫と子供がいるこ ともわかっているはずなのに。「僕、その後、順 子ちゃんのお母さんとその人が一一人で銀座歩いて いるの見ちゃったんだよ」って。 檀えええっー 酒井「これ、買ってもらっちゃった」ってティ ファニーやシャネルのプレゼントを見せてくれる んです。当時まだ父も生きていたので「それ、お 父さんになんて説明してるの」って訊いたら「ル ミネのバーゲンで買ったって言ってる」って ( 笑 ) 。 檀わからないからって ( 笑 ) 。 酒井すごく無邪気に娘の私にそういうことを言 うんですよね。私も「よかったじゃん、次はエル メスにしてもらえば ? 」なんて特に気にしていな かったんですが 檀お母様のその魅力って、どこにあったと思わ れますか 酒井明るさだと思います。天真爛漫で明るくて キャーキャーしていて、遠慮しない。たとえばト ラットリアとリストランテか並んでいたら、リス め 初 トランテヘ行きたいってはっきり主張する。私だ が れ ったら「パスタでいいです」とか遠慮してしまう は の んですけど、母はリストランテで一番高いコース る れ 頼むタイプ。さらに「ああ、おいしい ! 」って満 話喫する。そしてそれを悪いとも思わない。 判檀それで何とかなるんですね。はあ 5 。私、そ の路線で行きたいんですけれども ( 笑 ) 。もし何 の か買ってもらったら、見返りを要求されたら嫌だ ん お なって思うわ。よくお相手も買ってくれますよね。 が て ん っ 酒井私もそう田 5 っていました。だって青い関係 族 子 家 順 の単なる同級生なんですよ。 9 井 5 酒

9. 考える人 2015年冬号

れないすると母が引き取るしかないわけですが、 父は莫大な養育費を払って、一一つの家庭の面倒を 見なくてはならないそんなお金がなかったので、 離婚できなかったらしいです。 酒井思い返すと、うちの母には「お金がないと 離婚もできないから、稼げるようになっておきな さい」とは言われていました。 檀ああ : : : それでこうなったんですね。 酒井はい ( 笑 ) 。結婚はしなくてもいいので、 子供は産んでおけばとも言っていましたね。 結婚生活はそんなに楽しいことばかりではなか ったわけですが、子育ては楽しかったみたいです。 檀よかったじゃないですか。それは酒井さんご 自身が肯定されていることだから。 酒井そうですね。私が、結婚以外の面ではまあ まあ道をはずれず育ったのは、楽しんで育ててく れたおかげかなという凩はします。 檀火宅はしていても、愛があった。 酒井そうですね。とりあえすごはんだけはつく 食べること ってくれた。夫婦仲は険悪でしたが、 だけでつながっていました。 擅それが一番大事なんじゃないですかね。 酒井私も周りを見ていても、どんなに母親が遊 んでいたり仕事で家をあけたりしていても、食事 をつくっている家はわりとうまくいっているかな いう気は、何となくします。 檀ああ : 。それは正論ですよね。食事さえち かりけ遍たで檀 りでの子もかも し食料供なら含父 たべ理のい 独身でいる原因を 味らじ食んどが合 付れや事じうつ一卩 考えた時、 けななはやぞい 、な召たよ のかい 大っか母いしけり 人たらとか上ど母親の火宅を結びつけると ので、父なが 納得しやすいので、 料す私が っ母っ 理。はってがく なみもく 自分の中では んんうり と た でな嫌ま れ料 号を理母のせいだということに す、いし わなた たつは していますね。 そり料 のと理子とり 上しば供はまま っか向 ゃんとしておけは、 , フまくいく 。お母様が家をあ けるときにも、食事はつくっていらしたの。 酒井はい。何をして遊んでいたかは知らないけ れど、冷蔵庫などにこれを食べろという料理は入 っていました。 檀さんのお父様は、ご自分でつくるほうがお好 きだったんですよね。お父様がお母様の手料理を 召し上がることはあったんですか 子供が嫌いなものが全部入っているんですね。ビ 1 マンとか干しシイタケを戻したのとか、高野昱 腐とかニンジンとか。私はとにかく好き嫌いかし つばいあったので、父がいるときの食事は拷問の ようでした。父がいない時は、母の料理はすごく 手抜き。でも子供たちはそれも好きだった。 酒井檀さんもすごくお料理をなさいますよね。 檀私、今うちで料理担当になっちゃったんです。 ほかの家事や母の世話は全部妹がやっているので。 酒井今は、妹さんとお母様と一緒に暮らしてら っしやる。 檀そうです。三人暮らしで、さらにドア一枚向 こうには兄一家も」る " 大家族一ですね。酒井さ んは今は全くのお一人ですよね 酒井いや、実は今パ 1 トナーはいるんですよ だから、檀さんも私も独身だけれど、純粋な独り 身ではないですよね。 檀どちらがほんとの独身か、どちらが不幸か ・ ( 笑 ) 。競い合うものではないんだけど。 酒井でも、私は何となく、どんな人と交際をし ても、絶対に男と女はいっか別れるという頭があ るので、いつでも別れる自由は持っておきたいな とは考えています。 もしかしたら一生一緒にいるかもしれないです が、世間の既婚者に「もしかして一生添い遂けよな て うと思って結婚したの ? って聞くと「一応結婚っ したときはそうだ」ってみんな言うんですね。 7 5

10. 考える人 2015年冬号

厳しさはもつばら、いたずらっ子である長男カッ オに向けられている。この結果、両親と同居しつ つも、ササ工とマスオの夫婦はニュ 1 ファミリ 1 的な色合いを帯びることになった。これが作品の 間口を広け、長期放送によって生じた視聴者との 家族観の距離を調整したのだ。伝統的価値観と一一 ューファミリ 1 の巧みな折衷こそが『サザ工さ ん』を屈託なく「良き日本の家族」と呼べる存在 にしているのだ もちろんアニメにおいて『サザ工さん』だけが 家族を描いたアニメではない。むしろそのほかの 作品のほうが積極的に時代を反映した家族の姿を 描いてきたといえる。 まず「母親の仕事」という観点からアニメにお ける家族の姿の変遷を見てみよう。 たとえば 1972 年放送の下町人情もの『ど根 性ガエル』の主人公ひろしは、仕立物屋をやって いる母に女手ひとつで育てられたという設定た 劇中にもしばしばミシンを踏んでいる母のが描 かれる。この母の仕事は、そのまま父親の歪仕と 結びついている。専業主婦が多い時代であればこ その「働く理由ーだ これが 1980 年代になると、より自然な形で 母親と仕事が結びついてくる 1983 年の『魔法の天使クリイミーマミ』は、 魔法のステッキを手に入れた川歳の少女森沢優が、 マミという川代半ばのアイドルとなって活躍する 魔法少女ものだ。メルヘンの世界の要素を抑えめ にして、中央線沿線を思わせる郊外を舞台に設定 して、従来の魔法少女ものより日常性を強調して いるのが特徴だ 優の両親・森沢哲夫と森沢なつめは、クレ 1 プ 店を経営している。主人公の家族が自営業を営む という設定は珍しいものではないが、『マミ』の 家族像で特徴的なのは、この二人がともに働くこ 1 トナーであることを表 とを通じてイコール・。、 現している点にある。生活のためというより、夫 との共同事業として「働くお母さん」が描かれて いるのだ。 これが 1999 年から 2003 年まで放送され た人気作『おジャ魔女どれみ』シリ 1 ズになると、 「働くお母さん」はさらに当たり前の存在になる。 『おジャ魔女どれみ』シリ 1 ズには最終的に 5 人 の少女が登場するが、それぞれの両親の仕事は次 の通り。主人公どれみをのぞく 4 人の母親はいず れも仕事を持っている 春風どれみ父〕釣り雑誌のライター / 母【主婦 藤原はづき父〕映画監督 / 母【インテリアコ 1 、ティネイタ 1 妹尾あいこ父【タクシ 1 運転手 / 母【看護 師・ケースワ 1 カー 瀬川おんぶ父〕鉄道運転士 / 母〕マネ 1 ジャ ( ※おんぶがアイドルのため ) 飛鳥ももこ父【建築デザイナー / 母〕カメラ 父母ともにいわゆる会社勤めがないのは、主た る視聴者層である未就学児童にとっては「会社」 力、わカり・に′、 い場所たからたろう。子供にとって ある程度想像が可能で、かっ憧れを感じるような 職業がセレクトされている ちなみに平成年 ( 2010 年 ) の国勢調査に よると、全夫婦のうち「調査期間中、主に家事を していた妻竈専業主婦と思われる妻 ) ーの占め る割合は約・ 5 % である。つまり残り 6 割の家 庭では妻がなんらかの形で働いており、こうした 変化がアニメの家族像にしつかりと反映されてい るのた また、本作で冪すべきは妹尾あいこの家庭環 境だろう。あいこの両親は離婚しており、あいこ は父と二人暮らしをしているという設定なのだ。 劇的なスト 1 リ 1 を追究する作品ならともかく、 日常性の上に立脚する魔法少女もので、離婚によ る一人親家族が描かれたのは画期的だ。離婚件数 は 1980 年代と比較して、およそ川万件も増加 し、万牛前後に達しているというのが現状 この点でも、子供たちの身の回りに一人親家族が 珍しくはない現実が作品に反映されているのだ。 次に「父親と仕事ーの観点から興味深い作品を ん ピックアップしてみよう て 『機動戦士カンダム』 ( 1979 年 ) はスペースっ 家 コロニーと地球の独立戦争に巻き込まれた少年ア