星浩のニュース戦記 題になったばかりの頃のやり取り巻き込まれ、戦費の財政負担も重 0 政治ジャ 1 ナリスト が印象深かった。「私が核実験をくのしかかる。前米大統領である 済 批判すると、多くの人が『冷戦のオバマ氏は選挙の公約に従いイラ クからの撤兵は実現させたが、米洋 中で米国はソ連と戦おうとしてい 星の 0 東 る。核実験についてつべこべ言う国民の不安はぬぐい去れない 刊 一方、米国に新たに挑戦したの な』と反論してきました。本当に が中国だ。安価な製品を大量に輸 クレ 1 ジ 1 な時代でした」。 7 米国は第 2 次大戦の後も「ソ連出し、米国の製造業や雇用を脅か した。南シナ海では軍事拠点を建 との冷戦」という戦争を続けた。 米国が理性を失うとき そこでは民主的な議論も情報の開設し、軍事的緊張が高まっている。 小も抑え込まれた。米国人と接す冷戦に勝利したはずなのに、経済 、、戦から年が過ぎた。このもたばこもやらない。彼らはストると、冷戦時代の「恐怖」を耳にや安全保障では新たな脅威に直面 辛夏、テレビの特別番レスの低い生活を送っている。なすることがある。「ソ連が原爆をする。国内の貧富の格差も広がる。 組の取材で米国ュタ州のセントジのに、がんの死亡率が異常に高い。撃ち込んでくるかと思うと、本当そうした不安心理を巧みに突いた に怖かった」と言、つのだ。大げさのが、現大統領のトランプ氏だっ ヨージを訪ねた。モルモン教の印全米の平均が % 程度だった頃、 この町では 5 菊 % だったというな物言いだと感じたが、クラウデた。既成勢力を徹底的に攻撃し選 象的な教会が建つ、人口 8 万ほど ィアさんの証言で、米国人の「恐挙戦に勝利した。 のきれいな町が世界に知られるよ統計もある。放射能の影響は明ら 冷戦を乗り越えた米国は、繁栄 うになったのは、核実験による放か」と話した。被害を訴える人々怖」が本物だったことを思い知っ が連邦議会に対策を求め、医療費た。米国は周りの環境次第で時にを謳歌したのもっかの間、新たな 射能被害のためだ。 年 試練にさらされている。トランプ 広島、長崎に原爆を投下して第の助成などが実現したが、人々の理性を失うのだ。 そして時代は変わった。米国は流の「排外主義」「米国第一主義」 2 次大戦に終止符を打った米国だ不安や怒りが収まることはない。 には、理性を失った冷戦期の空気記キ 冷戦に勝利し、ソ連は崩壊した。 が、核実験を終わらせることはな 米ソ冷戦時代は 1990 年代はまさに、米国のに通じる社会心理が感じ取れる かった。ネバダ州の核実験場では、 クレージーだった 「一極時代」だった。インタ 1 ネ冷戦時代の過ちを繰り返さないた長ゅ 米国全体の 9 割に当たる約 900 で夜 聞の 年前、当時 6 歳の娘を亡くしットの普及などを原動力に、米国めに、どうすべきなのか 回もの実験を重ねた。セントジョ 新日 既成勢力への不満や怒りだけで日曜 たクラウディア・ピ 1 タ 1 ソンさ は繁栄を謳歌した。だが、落とし 1 ジは、実験場から東へ約 200 朝金 キメー 0 は政策は進まない。国際協調や情 ロトル 太平洋からの風は東に向かんにインタビューした。「娘は 3 穴があった。 2001 年の 9 ・ れ月 ま 歳で白血病が見つかり、一時は治同時多発テロを発端とするイスラ報公開を貫き、建国の理念である うことが多く、実験場から谷伝い 生引 ったが再発しました。息を引き取ム過激派との戦いは、米国を泥沼自由と民主主義を再構築するしか に、セントジョ 1 ジへ吹き抜ける。 ない。しかしその軌道修正ができ にはまり込ませていく。アフガニ る直前、『私が死んだらママは悲 この町の住民はダウンウインダ 1 し系 しい ? 』と聞かれ、涙が止まりまスタン戦争、イラク戦争、そしてるのか。超大国の悩みが深いことろ ズ ( 風下の人々 ) と呼ばれていた。 を今夏の短い旅が教えてくれた。 — ( 「イスラム国」 ) との戦い 地元の医師に話を聞いた。「こせんでした」。 飛ほ春 の地域はモルモン教徒が多く、酒彼女の話の中で、町で被害が話米国の若者が遠い中東での戦いに ニュース 第 68 回
22 ⅷ 駘厄ー Tech Conference Z01 い 0 〇 一人主知能が変える業の世界 ~ 日本の法人営業をもっと簡単に ! ~ 気合と根性が代名詞である日本の法人営業。働き方改革やライフワークバランスが重 要視される時代になり、営業も効率化が求められる時代となりました。人が情報伝達手 情報化社会における日本企業の 段となる属人型営業方法からインターネットを活用した情報提供型マーケティンク方 あるべき姿 法に営業のカタチか変化したことで、売リ方と同時に買い方も変わる、営業のバラダイ ~ 、テクノロジーを正しく活用していますか ? ~ ムシフトが現実化しています。 麾應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授 夏野剛氏 このような、新しい時代の営業は、眠る営業データを大量に解析することによってもた らされる「予測」がキーホイントとなります。予測された目標に適切にアプローチする ことで営業のムダを削減する事ができるのです。 この「新しい営業のカタチ」を可能にする方法が人工知能の活用です。本カンファレン スでは営業活動を効率化し活性化に導くためにトップ企業では現在とのようなテクノ ロシーを活用しているのか、近い将来人工知能は営業活動にとのような変革をもたら すのかを、講演やティスカッションを通して明らかにしていきます。 2017 年 9 月 22 日 ( 金 ) 13 : 00 ~ 17 : 00 ( 12 : 30 開場 ) 開催日時 セルリアンタワー東急ホテルポールルーム B2F 経営者、経営企画、営業、マーケティング、業務改革、 CRM 、情報システムの 参加対象 責任者、担当者の方々※対象外の方はご受講をお断リさせていたたくことがごさいます。 500 名 ※応募者多数の場合は抽選とさせていただく場合がごさいます。 無料 ( 事前登録制 ) ハネルティスカッション 東洋経済新報社ー 【モデレーター】 ウイングアーク 15t 株式会社代表取締役社長 CEO 内野弘幸氏 お問い合わせ / 東洋経済新報社フォーラム事務局 03-3246-5599 ( 土日祝日を除く 10 : 00 ~ 18 : 00 ) くお申し込み方法〉右記の URL よりお申し込みください。 Sessionl 株式会社 ABE 」 A 代表取締役社長 CEO 兼 CTO 岡田陽介氏 5e55i0n2 株式会社セールスフォース・ドットコム コマーシャル営業第 2 営業本部 第 2 営業部部長 寺本裕一氏佐 ) インサイドセールス本部第二事業部事業部長 鈴木淳一氏 ( 右 ) 東京都渋谷区桜丘町 26 ー 1 Session3 株式会社 W 日 C 代表取締役社長 員費催 定参 内山雄輝 htt ://toyokeizai. net/sp/st2017 /
ー日本の経営者よ 』ーに気づけー 世界から 特集 / 教養としてのテクノロジー ジネスのようにサ 1 ビス開発う方向に切り替えないといけない。 のあり方が収益やプランドをも左一例を挙げると、 ( 人工知 右する時代だ。当然ながら発想も、能 ) の機械学習で 253 年の経験 テクノロジ 1 の活用によってビジを持っ技術者は、米国だと年収 1 ネスをど、つ浮揚させるかとい、つふ 200 万 52000 万円超とい、つ ガートナー >m 兼最上級アナリスト。亦賀忠明 ガートナー > 兼フェロー一一マーク・ラスキーノ うに変えなければならない。テク条件を出さないと雇えない。それ ノロジ 1 はもはや裏方ではない。 が日本だと年収 400 万 5650 化するテクノロジ 1 はビジ ックス」を外部に公開している。 モ 1 ド 1 ではシステム構築など万円で募集していることもある。 、ネスにおいて、製品やサー 自社の製造現場で培った—。 e を外部のシステムインテグレ 1 タ賃金や人事評価制度にも直結する 問題だが、変えるしかない。 ビスを本質から変える力を持つ。 1 にほば丸投げしてきた。だがモ ( モノのインタ 1 ネット ) のノウ その認識の有無が 5 年後、川年後 このようにモ 1 ド 2 への移行と ハウを顧客企業に提供するものだ。 1 ド 2 では自ら手掛けることが大 の勝者と敗者を分ける 。今の時代、業界シェアを占有した切になる。そこで得た経験と知見は表層的な対応では難しい性質の 分野のリサ 1 チ・助言を行ってい いなら、このようなデジタルプラが将来大きな差を生むからだ。割ものだ。企業そのものを変化させ るガ 1 トナ 1 はそう考えている。 ットフォ 1 ムを自ら構築する必要り切りも必要となる。日本の場合、ていくという覚悟が必要となる。 欧米企業では 20125 年ごがある。それを怠ればプラットフ完璧と高品質をつ ろからテクノロジ 1 に対する経営 オ 1 ムを構築した企業にコントロねに求めるが、そ 1 ルされることになる。 層の姿勢が変わった。先進国経済 れでは速い変化に の停滞や新興国経済の台頭といっ 対応できない。ク 業務にテクノロジーを た経済環境の変化を考慮し、大企 ラウドの導入が典一 2 合わせる時代ではない 業を中心に長期的な戦略を練り直 型で、日本企業が すようになったことが背景にある。 では日本企業はというと、残念「セキュリティは た 象徴的なのが米ゼネラル・エレながら後れを取っているのが現状大丈夫か」といっ 要 だ。世界の動きに追いつくにはま クトリック (ee) だ。Ⅱ年にソ た調査・確認を続必 フト開発拠点を新設、米シリコンず発想を変える必要がある。ガ 1 けるうちに、米国え ム ハレ 1 の企業に勤める 1000 人トナーは「モード 1 」「モ 1 ド 2 」や中国の最先端企替 テ 成 & 超のソフト開発者やデ 1 タサイ工という分類で、従来のシステムと業との間には大き切し イ / の ンティストをスカウトした。燔年の違いを整理している ( 下図 ) 。 な差が生まれた。 これまでのモ 1 ド 1 の時代は、 にはソフト開発などの中核となる 基済 さらに重要なの代特一 1 クわン系チウ 経 テ合イ幹一ラ (.-5@デジタルを発足させ、モノづ業務にテクノロジ 1 を合わせると が人材への投資だ。のム にメ基オク の東 いう発想だった。メインフレーム高い専門スキルを 2 ス くりからデジタルサービスへとビ 業 刊 ナ 週 ジネスを転換させている。 などの業務系システムが典型で、持つ人材には費用一報 ガ は、産業界向けのクラウドテクノロジ 1 はいわば裏方だ 0 た。をかけ、後でリタモ情 1 ンを求めるとい■ 型情報デ 1 タベ 1 スの「プレディ 一方、モ 1 ド 2 は昨今の新しいビ ( 新システム ) ビジネスをテクノロジーで 浮揚させる ・ Web スケール・ IOT ・ロボット ・ドローン ・機械学習・的なもの ・フィンテック・プロックチェーン 目的用途 工ンジニア = クリエーター 最初から完璧はない 割り切る ますは自ら実践する 工ンジニア = 作業者 完璧を目指す 時間をかける すべてに高級品を使う べンターに依頼する 発想
生涯現役の人生学 第 172 回 ・歴史に見るク地域主権とク地方集権 駅前にいたタクシ 1 に飛び込み会 日県の地方銀行から七尾支を愛する私にとって、言いようの田信長が進出してくる。どっちに つくかで豪族が一一分される。守護場へ。滝のような雨の中を猛進。 店創業 130 周年記念の講ない喜びだ。 演を頼まれた。演題は「歴史に見話の骨子を得たので、今度はそは殺される。謙信派が勝利し、信こういうときは少年時代の特攻精 つらたっ 郎 神かうごめく一種の業だ。 る地方自治」だ。真摯な記念事業れに付着させる肉と皮の探索を始長派の長一族は連竜の脱出を除い 出番には間に合った。私はこの既 にこっちも身を引き締める。会場める。古代の七尾は中国や朝鮮とて絶滅。「越山併せ得たり能州の は和倉温泉なので、まず。ご当地の往来船の基地。国内でも蝦夷な景」という謙信の詩はこのときのごろ、歴史における地方自治を ・後 ソング。の仕込みから。「和倉温どとの交流が盛ん。アイヌや朝鮮もの。その謙信が死んで、信長の。地域主権 ( 豪族と地域住民 ) 。と 代わりに治者にな 0 たのが前田利。地方集権 ( 守護などの大名と地任 泉はかって眼前の浦 ( 七尾湾 ) の人の遺跡もある。つまり地域か 海中から湯か湧いていた。そこでら汎国内、さらに国際交流を目指家。七尾の小丸山城を拠点にした。方住民 ) 。という二つの言葉を用北 いて話す。土地と住民の支配をど 私の乱暴な見方によれば、信長 すグロ 1 カリズム ( グロ 1 湧浦が和倉になった」。 潮の引くのを待 0 てドッと押しムとロ 1 カルの合成語 ) の実行地晩年の人事方針では、利家は織田 0 ちが行 0 ているかという区分だ。策勉 寄せる湯治客。これに目をつけた域。これらの実績は、まさに与え日本株式会社の本社機能 ( 管理中身近な存在という意味で考えれば、長 これは豪族や地侍になる。それを報 藩の役所が温泉宿を廃止させて、られたテ 1 マの「歴史に見る地方枢機能 ) からはお呼びでなかった。 そこで利家は北陸に骨を埋める決自分の支配下に置こうと、で此 湯をおけ 1 杯いくらの専売制にし自治」の実行にほかならない 庁鷹 ( 合併・買収 ) を強行するのか大都杉 しかしその検証だけでは私自身意をし、さらにク文化立国クを志 た。怒った庶民が温泉宿復活の要 が満足しない。そのを当時のした。その立志の動機を得たのが名だ。大河ドラマの「おんな城主説 求運動をし、藩は屈した。立派な 、という仮説直虎」はまさにその例だ。 市民運動の勝利 ( 地域の特住民がどう活用し、地方の上部権七尾地域だった 東 利家は文化立国のために、まず年却 性 ) を生かしたエピソ 1 ドだ。し力がどう扱ったかまで話を広げなを立てた。あながちこじつけでは 七尾地域の地域主権を容認した。イ ないと思った。 かも自治。これで話の半分は構成ければ、私の責任は果たせない 講演当日は線状降水帯とやらのしかし加賀という地方の統一を図じ糘 戦国時代前まで能登半島は、足 できる。話の枕のつもりで調べた 利幕府任命の畠山氏が守護として大雨に襲われた。金沢までは新幹るために、地方集権を強行してい職 ことが、本筋の大半を占めうると ゆさぬく った。長連竜も前田家の重臣に組もに いう手応えを得て、うれしさにゾ治めていた。補佐は長、遊佐、温線が運んでくれたが、金沢からの う年 飛ど四 クリとした。こういう感触は歴史井など地域豪族だ。上杉謙信と織七尾線は真ん中の羽咋で運転休止。み込まれた。 わ / 、 - つら 厓几の 会ノチノイ ちょう 作家 童門冬ニ 2017.8.26 週刊東洋経済 118
今日いい明日はない っ生芳峩榊原英資ま CHINAWATCH きる。たとえば、年に日本海にも、先延ばしにしてきた問題には おいて中ロ海軍が合同演習を行っ対処しなければならない。 た際、中国海軍は同時期に、浙江習近平主席は、政権発足時から 省舟山海で実弾演習を行い、「中「大国外交」に重点を置き、同時 国とロシアが日本を挟撃する」と に、「周辺外交が重要」と述べて いる。だが、 なければ、たとえ「衝突を避けるで権力の基盤固めを狙う習近平主報じて日本を威嚇している。 中国の「周辺国」に ための原則」を含んでも、口先だ席は、対外的な難問を抱えたくな しかし、今回の海軍演習は、中対する本音が見えてくるのは四大 いからだ。 けの合意に終わる可能性がある。 国が重要視する南シナ海ではなく、の後かもしれない 国際社会では、拘東カがあっても 黄海・渤海で行われた。東南アジ 北戴河の目の前で 解釈を曲げて、自国に都合のよい ア諸国に対して協調姿勢を見せて 大規模な海軍演習 行動をとることがあり、つるのだ。 おきたいだけでなく、別の意味も すでに、中国と << Z の間 習近平政権が外交より内政を優あるだろう。 には、年Ⅱ月に発表された「南先している様子は、海軍演習から 黄海・渤海は、中国指導者たち シナ海における行動宣言」が存在も見て取れる。片年 8 月 7 日、中が集まって、四大以降の党の方針 する。その後、が求め国海軍と空軍が黄海・渤海で、数を決める北戴河会議の開催地から ていたのは、法的拘東カを持っ十隻の艦艇、潜水艦、川機以上の目と鼻の先である。 7 月日の軍 「行動規範」の策定だったのだ。 航空機による大規模な軍事演習を事パレ 1 ドとともに、政敵たちに 一口 中国は、諸国に期待実施した。 対して、習近平主席の軍の掌握を を持たせつつ、時間稼ぎをしてい 特に海軍の演習などの行動は、誇示する狙いがあるとも考えられ、建 るといえる。今秋に開催される四 実施する場所によって、対外的にる。習近平主席の権力掌握は完全 大 ( 中国共産党第四回全国大会 ) 政治的な意味を持たせることがでではないかもしれないが、それで エンジョイ 今カ最高の時代なのだと思い、 するというのが、現代の 日本人の生き方として非常に望ましい と 低成長時代を豊かに楽しむ知恵 978 ・ 4 ・ 492 ・ 39636 ・ 0 本体 1300 円 + 税 AP / アフロ 南海行カ准則 Nénhäi xfngwéi zhünzé 南シナ海の行動規範のこと。中国は 枠組みこそ承認したが、法的拘束力 のある規範策定には消極的。 東洋経済新報社 東洋経済オンライン」ては、 弊社刊行物の情報がご覧になれます 0103-8345 東京都中央区日本橋本石町 1-2-1 わせP: 〃 toyokeizai. net/ 101 週刊東洋経済 20 レ .8.26
特集教養としてのテノロジー 自動化技術はアポロ計画を先例に あって、同時に普通の CPU の超並 、′エヌビディアの半導体・ GP U を使ったスーパーコンピュ 列イヒには限界があるとわかっていた。 ータは今でこそ珍しくない。だが、 だから「なぜ挑戦したのか」と聞か れると、「当然のことだったから」 2008 年にわれわれがスバコン「 TSU BAME 」に GPU を搭載したときは、 としか言いようがない。 物の見方が人と違う理由を強いて かなりクレージーな取り組みだと言 挙げるなら、ずっとコンピュータを われた。 やっているから、だろうか。中学生 僕は合理的に考えた当然の帰結と で独学で学び始めて以来、物理学や して、 GPU を選んだだけ。超並列 計算機のさまざまな法則が、定量的 コンピュータという技術トレンドが な王野牟としても体得した感覚として も身にしみ付いている。 シンギュラリティが起こるかどう かというと、人間を超える機械の知 性なんて当分生まれっこない。これ はコンピュータを 40 年やってきた 人間として、かなり確信を持って言 える。 だが人間がある作業を機械に任せ たことで、何かやばいことが起こる というのは、可能性が十分ある。機 械による自動化は確実に広がる。そ の中で、限定的な働きしかできない 「バカな A 人工知能 ) 」が事故を 引き起こし、制御できなくなるおそ れがある。 だから AI については、制御の手 続きにきちんと人間が監督役として 組み込まれている「ヒューマン・イ ン・ザ・ループ」じゃないといけな い。これは宇宙開発競争の時代から の考え方で、米国のアポロ計画が成 功したのは、自動化を進めながらも 人を介在させてきたからだ。 自動運転もそう。完全な自動運転 ができるかというと、僕は非常に難 しいと思う。仮に運転手がいなくて も、何らかの形で人が関与しないと 非常に不安が大きい技術ではないか。 すべてはわかったふりから始まる 子コンピュータだ。必ず来る。これ いっそうテックを遠ざけてしまう。 までのコンピュータはみんな古典に 誰でもその気になれる なるかもしれない。どういう原理か というと、これまではビットがゼロ テックオンチを自認する人は、電 か 1 できっちり分かれていたのが、 子工作用の格安パソコンポード・ラ 量子コンピュータではゼロと 1 があ ズベリーパイを買っていじってみる る割合で重ね合わさる。よくわから といい。完成品のパソコンではなく、 ないだろう ? でもとりあえずこれ むき出しのポードに触れて LED で を丸のみして、わかった気になるこ もつないでピカピカさせてみれば、 とから始めよう。 誰でもコンピュータがわかった気に なる。それが重要なのだ。 やつばり原理原則のセンスを体得 したいと思うなら、放送大学の数学 と物理学を見るといい。東京大学や 京都大学の名誉教授が、普通の人の ためにわかりやすく教えてくれる。 あれはなかなかぜいたくな内容だ。 これから重要になるテックは、量 GPU スバコン のバイオニア ′松岡聡 東京工業大学 学術国際情報センター教授 撮影 . 今井康ー 003 年にグーグルに入る直前、 2 当時のエリック・シュミット CEO ( 最高経営責任者 ) に「あな たは AI に詳しいんだよね」と聞か れた。「最近の技術はわかりません」 と正直に返すと、エリックはこう言 った。「わかったふりができればい い。実は私もわからないんだよ」。 グーグルの要職にいた人物ですら、 最先端のテクノロジーには「わかっ たふり」をしている。もとより高校 時代に数学・物理学とお別れしたよ うな人ならば、インターネットや AIN 量子コンピュータなんかの原理 を深いところで王牟しろというのは 土台無理。 ただよくないのは、「これは自分 にはわからない、難しいことなん だ」と思い込んでテックを遠ざける ことだ。それか機械に負ける、仕事 を奪われるという乱暴な話になって、 、干洋経済 17.8. 6 コンピュータと 歩んで約半世紀 村上憲郎 グーグル日本 元会長 撮影 . 尾形文繁 5
経済覓る眼 新産業革命がもたらすもの 三品和広 のところ、や自動運転以下は単なる思考実験にすぎなしている暇があるなら、遠大な未ても、今や半導体なくして半導体 の話題で持ち切りである いか、考えさせられるところは少来に思いを馳せたほうがよさそ、つは造れない。逆に半導体の進歩が われわれはどうやら新たな産業革なくない。織機を駆動していた水である。 半導体のさらなる進歩を生み出す 命の渦中に生きているらしい。だ車を蒸気機関が置き換えていった もちろん、現在進行形の革命がという意味で、この革命にも自己 とすれば、元祖産業革命をレビュのは 1960 年代、機関の小型化元祖産業革命と同じペ 1 スで進む推進力が備わっており、先々が息 1 してみるのも悪くなかろう。うと高圧化が進んで蒸気機関車が商とは限らない。しかしながら、水の長いものになることは間違いな まくすると未来の透視図が見えて業運転を開始したのは 2000 年車を真空管とすれば、蒸気機関は くるかもしれない さて、未来はどうなるのであろ ごろ、電気モ 1 タ 1 が登場するのトランジスタ、そして小型機関は 元祖産業革命の本質は動力革命は浦年 ) 」ろ、石炭べ 1 スの蒸気機集積回路。羊毛をラジオとすれば、 うか。兀祖産業革命では、蒸気機 で、蒸気機関の市販開始によって関を石油べ 1 スの内燃機関が駆逐綿布はテレビ。そして鉄道網は光関が綿布の大量生産を可能にする スタートした現在進行形の産業してしまうのは年以降となる。通信網という具合に、ここまではと、染料の需要がケタ違いに膨ら 革命の本質は制御革命で、起点は とかくわれわれは過去と現在を見事なまでにタイミングが一致すんで、そこで勃興した化学産業が る。 トランジスタの市販開始と見るこ比較して、進歩の速さに驚くが、 電気を呼び込んだ。今はテレビに とができよう。そのトランジスタ現在を未来に照らしてみると、わ それだけではない。兀祖産業革コンテンツを供給するメディア産 の市販開始年に元祖産業革命の起れわれはまだまだ入り口をさまよ命では、鉄や石炭なしでは動かな業が往時の化学産業に相当する可 点を重ね合わせてみると、続くイっているだけで、なんと「大草原い蒸気機関が鉄や石炭の生産を容能性が高い。問題はそれが何を呼 べントは何年ごろに起きたことにの小さな家」より前の時代を生き易にすることで、革命が革命を推び込むかである。 なるのであろうか ている。すでに起きたことに感嘆進した。現在進行形の革命におい まだ見ぬ電気に相当するのは、 論理的に考えれば光である。光と いってもファイバ 1 ではない。制 御において電子が果たしてきた役 割を、光子が担い、熱を出さない 光コンピュ 1 ティングの時代がや ってくるのである。おそらく。 元祖産業革命は英国がリトし 7 ま部科大同助餓 谷たが、電気による第一一幕を先導し 生学究ド。 学よ 済 ' " ←たのは米国で、そこでくしくも両 学 大商一不丿 経 洋 ・橋院国の地位が入れ替わ 0 ている。日 東 本も、光に照準を合わせて、潔く を論半導体は捨てるくらいのことを考週 カ県大 嗇鬱妝 えてよいのではなかろうか。飛 み卒修学大北 【今週の眼】 神戸大学大学院教授
クノロジーに対する感度やセ ンスは、住む場所に左右され る。それが僕の経験だ。 僕は中国残留邦人 3 世で、黒竜江 省の田舎で育った。道路信号もない ような村だから、当時はもちろん何 にも知らなかった。 / 」咩生のときに 家族と日本に移住し、大学時代は長 野でコンピュータサイエンスを専攻。 だがコンピュータが好きでたまらな いという人は周りに少なかった。だ から情報も乏しかった。 撮影 : 尾形文繁 ゲームディレクター 米ナイアンティック 野村達雄 開発者 ポケモン GO 東京工業大学大学院に入ると、話 るのは米国自身だ」と答えたが、サ 困るか」と聞かれた。「いちばん困 ットから切り離したら、ほかの国は ら「サイバーテロに備えて米国をネ たのだが、同じ頃に米政府の高官か 界の航空網から国内の空港を遮断し 国同時多発テロの直後だ。米国は世 このことに私が気づいたのは、米 に理解するのはやや難しかった。 ら、日本人がネットという概念を真 本語には the のような言葉がないか をネットに引き寄せた。ところが日 念が普及の初期において、多くの人 のサイバー空間でつながる。この概 だ。人々が国境で分断されず、唯一 つまり世界で唯一の存在ということ the lnternet と定冠詞が付く。 イ ンターネットは、英語だと に聞いたことしかなかったスーパー コンピュータが研究室にあった。コ ンピュータに没頭している人も身近 に何人もいた。この時期に、僕のコ ンピュータに対する知識と見方が大 きく変わった。 セルからポケモン GO へ 今は米シリコンバレーが拠点。 こには、自分の作ったサービスや製 品が世界を変えると信じている人が ごろごろいる。日本でそんなことを 言えばバカにされるだろう。でもこ こではみんな本気で夢を語る。話を 聞くほうも、「その問題はこう解決 したら ? 」と本気でアイテアを出す。 ここにいれば自然と、テックの情報 はアップテートされる。 僕が開発に携わった「ポケモン GO 』は、数千万人が複数のサーバ ーにログインしながら、同じ世界を 楽しめることが特長だ。これを支え るのは、複数のコンピュータを並列 に動かし処理能力を高める「分散コ ンピューティング技術」だ。 僕が分散処理を学んだのは大学院 時代。その当時発売されたプレイス テーション 3 は、ゲーム機という 1 つのコンピュータの中で、複数のコ アを持つ半導体・セルが分散処理を していた。分散がこれからのコンピ ュータの未来だとは何となくわかっ ていたから、セルを見て「自然な流 れだなあ」と思ったことを覚えてい る。あの頃に学んだことは確実に につながっている。 住む場所がテック感度を左右する イバー空間の先導役だった米国がネ ットの分断を検討したという事実に ショックを感じた。グローバル空間 がナショナリズムによって脅かされ た、初めての瞬間だったと思う。 ネットは国境だけでなく、あらゆ るサイロ化 ( 細分化 ) したものを水 平につなぎつつある。異業種間の壁 もしだいになくなってコラボレーシ ョンがどんどん進む。 X-Tech とは そういうことだ。 国であれ業種であれ、すべてが 1 つの空間でつながったときに、いち ばん価値があるのは多様性。それぞ れが違うから組み合わせたときに面 白くなる。だから折に触れて学生に 「自分の好きなことをして自信を持 って生きろ。同時に人と仲良くしろ ネットの本質は「 the 」に表される よ」と言っている。これが、自律・ 分散・協調というネットのコンセプ トを、リアルの空間に生かすという ことだ。 人類の危機としてのシンギュラリ ティは起こらない。人がテックを恐 れるのは、それがブラックポックス 化しているときだ。原理から王牟で きれば、人間は賢いので望まない事 態を回避できる。そういう意味では、 今を生きるわれわれは科学技術の教 育に携わる人を増やすという責任を 負っているのだと思う。 の父 インターネット 環境情報学部長・教授 慶応大学 村井純 1 /. 8 , 26- 、、週刊東洋経済 54
伊藤穰ー Z 会特別講座抄録 特集 / 教養としてのテクノロジー 中高生に教える 現代の学び が物理に夢中になったのは、中学生の 頃に物理学者に会って何でも質問でき る機会があったから。勉強は本当に苦手で、 実は大学も出ていない。でも知らない先生に 手紙を送って質問するなど、何でも人に聞い て、それから自分で作ったり試したりした。 こうしていろんなことを学んできた。 教科書を使った勉強は、脳の発育に必要な 面もある。でも本当に自分に合った学び方は、 ほかにあるかもしれない。 MIT メティアラボ では、学ぶときに 4 つの P を重視している。 仲間 ( ピア ) と教え合いつつ、強い熱意 ( パ ッション ) を持ってプロジェクトに取り組む。 最後は遊び心だ ( プレー ) 。ご褒美や心理的 な圧力は簡単な作業の効率を高めるけれど、 創造的なことは楽しんでやるほうが、成果が 出る。そのことは研究で明らかなんだ。 「違う経験」が答えにつながる もう 1 つわかってきたのが、問題解決には 人の多様性が重要だということ。現代の問題 はとても複雑で、優秀でも似たような考えの 人ばかりでは解決しない。そんなに優秀でな くても、周りとは違う経験をしている人のほ うが答えを見つけられる。これも科学的に証 明されているんだ。 今の教育システムは、大量生産のために人 間か機械のように働く時代にできた。でもこ れからは、 AI やロポットが多くの作業をや ってくれる。そこで大事になるのは、ユニ クで創造的であることなんだよ。 講座には中学 1 年 ~ 高校 2 年の約 20 人が参加した 35 週刊東洋経済 2017.8.26 ー それじやダメ。きちんとコントロ いる。日本ではよく、打ち合わせ企業の草創期にはそういう人がた 指摘しています。この原則を実践 くさんいたんだと思う。車が大好 1 ルされた長期間の実験を設計ししている人や組織はありますか のための事前打ち合わせのさらに きで、エンジン音を一生懸命聴い シリコンバレ 1 はもちろん当て事前打ち合わせみたいなのをやり て、その結果を分析しないと。と にかくデ 1 タを集めただけじゃ何 はまる。中国・深訓のモノづくりますよね。地図ばかり作って、歩て、そうしたら何が壊れているの きだしていない感じがする。昨晩かわかるようになったとか。僕か のコミュニテイもこ、つい、つ行動か の役にも立たないと僕は思う。 深蜩で会うのは、そういうやつら ( 会の講座、左コラム ) みたい コンピュータは相関関係の分できていて、結果としてすごくい ばっかり・。 いエコシステムが形成されている。に若い子たちと話すと、彼らはと 析が得意だけれど、因果関係はま テックでも何でも、学びたいこ あとはトランプ米大統領。彼はすっても魅力的で、日本も変われる た別の問題 、、つい、つこと ごく上手。物事にすごく機敏に反予感がするんだけれどね。 とがあれば、材料と手段はネット 応するし、プランがない。興味深 今までは、就職するために大学にたくさんある。問題は、そうい 好きなことをやる、 いのは、この行動原則に沿ってい か必要で、大学に入るために勉強うものが存在しても興味がなけれ そのために学ぶ る人が必すしも善意の存在というするというプロセスが有効だった。ば見ないということ。サラリ 1 マ テックによって激変する時代わけではないということ。 でも今は、好きなことをやる、そンで自分の仕事がつまらないなら、 日本はどうですか のビジネスモデルを作る、そのた趣味でもいいから何か学習したい には、「ブッシュよりプル」「強さ まだフォ 1 マルすぎる。とんがめに学ぶというプロセスに切り替ことを見つける。シンプルだけれ より回復力」「能力より多様性」 。トヨタ自動車やどそれか重要だね。 といった原リゞ、 っている人がいても、組織のありえたほうかいし , 貝が要だと近著『 9 ( 聞き手・本誌【杉本り、つこ ) プリンシプルズ』 ( 7 月発売 ) で方が結品みたいにカチッとなってソニーなど、戦後日本を牽引した
サラリーマン弾丸紀行 今週の格安 サラリーマン と国 内旅行には行かないんで 所事務局長 ) と待ち合わせていた。 カ すか ? 」とよく聞かれる 鞍打氏は大学生のときに早川町海 賀 が 3 日以上休みが確保できれば海外 で調査を行ったのが縁となり、東剛 客 め問 に行くと決めているが、勤め人だ 京から—タ 1 ンで移住した。この休訪 日 参る る 旅 からそうそう休めない。そのため、 ときの調査というのかすさまじい 一多っすべての町民 2000 人にインタ員掛 内近場の国内旅行になることもたび らな 社出 たびある。 かとビュ 1 を行、つというもので、今で会に 問造 代行 る もホ 1 ムペ 1 ジで閲覧できる。 2 017 年 1 月、静岡県富士宮 る の外 わ のレストラン「ビオス」でイベン 鞍打氏との面識はなかったがフ身 トがあった。オ 1 ナ 1 の松木一浩 ェイスブックで名前を知り、早速都ス 氏は、かって恵比寿にあったフラ メッセ 1 ジを送った。 cozco は功東 レ き 罪あるか、こ、つい、つときはありか ンス料理店「タイユヴァン・ロプ ひ定 ション」で給仕長を務めた後、農盛期の明治時代には尸の集落にたい。図々しいかもしれないが、 を 家に転身 : ヒオスでは自家農園の 9 軒の宿があったという。 人とのつながりができると旅の面がル イ 野菜を楽しむことができる。 富士宮から富士川沿いにさかの白さは大きく変わってくる。 せいひっ この日の晩に投宿したのが、山ばり、さらに南アルプスのふもと翌日は静謐な赤沢の集落を探検 回 梨県早川町赤沢集落にあるゲスト に分け入っていく。すれ違いも難した後、鞍打氏らの発行する冊子 第 ハウス大阪屋だった。 しいつづら折りの坂をアクセルを『やまだらけ』を参考にしながら、 じゅうでんけん 重伝建という言葉を耳にしたこ踏みつつ上ると、山々に囲まれた町内の集落を探検して回った。ダ とがあるだろうか。正式には重要斜面が開ける。暮れかかった赤沢ム特需でかっては映画館まであっ 集落が姿を現した。 伝統的建造物群保存地区といい、 た新倉集落、山の斜面にへばりつ 、ス もぐら て 屋 ウ 歴史的な集落や古い街並みの保存目指す大阪屋はすぐに見つかっくようにある茂倉集落。何も知ら し 阪 に取り組んでいる地区を指す。世た。障子越しの淡い光が美しい なければ車でさっと通過してしま 大の円沁ス。 界文化遺産の白川郷や保存状態が年に閉館したが昨年、ゲストハ う所にも、それぞれ濃密な物語が ゲだ よい宿場町の妻籠宿などが有名だウスとして再度営業を始めた。床ある。 ス 0 〈た然 し同 7 ノ が、全国で指定されている 115 面積 800 平方麕でわすか 4 部屋最後にリニア中央新幹線の工事 0 ウ 0 、白 9 をプ切 地区の中には、赤沢集落のように、 現場を見に行った。このすぐ近く 済 経 ト 1 3 宿オ貸それほど知られていない所も多い には連合赤軍が山岳べ 1 スを置い 洋 集落に残された物語 東 ていたという 0 年日 赤沢は日蓮宗の総本山である身 ス 週 延山とその修験霊山の七面山に参大阪屋で、早川町の町おこしの現地でディテ 1 ルを拾い集める ゲ 築こ 拝する客の宿場として、江戸時代キ 1 1 ソンである鞍打大輔氏旅。これこそが国内旅行ならでは 9 後半から戦前にかけて栄えた。最 ( 法人日本上流文化圏研究の醍醐味である。 ・■ ■■ ーラ 3 トー気臨龕臨驫地むぬ