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検索対象: 勝海舟 : わが青春のポセイドン
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1. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

めつけ しようぎたいこうげきかいし ちょうしゅうへい かぞくきがい 彰義隊攻撃を開始すると同時に踏みこんできたのは、長州兵らしく、家族に危害はくわ とこま とうけんなげしやり かいしゅうふぎい はいりようきんまきえ えなかったが、海舟が不在とわかると床の間にあった刀剣や長押の槍、拝領の金蒔絵の筥 かたばし など片っ端から略奪してひきあげたという。 と たみ みずえ みずえ かいしゅういも、つと ぜん この日、家には妻のお民やお、それから瑞枝がいた。瑞枝は海舟の妹で、以前はお順 さくましようざんつま ちんにゆうやから げんじがんねんあんさっ きじようじよせい といっていた。元治元年に暗殺された佐久間象山の妻で、気丈な女性だった。闖入した輩 みずえ とのやりとりは、すべて瑞枝がやった。 ゆる かつあわのかみやしきし ろうぜき 「勝安房守の屋敷と知っての狼藉ですか。許しませぬぞ」と、睨みつけて一歩もしりぞか よかっこ。 かいしゅう ねらいはどうやら海舟らしく、殺すつもりだったにちがいない。 しようぎたい ざんとうたんさく 彰義隊の残党探索にことよせ、どさくさにまぎれて目ざわりな海舟をけしてしまおうと いうことだったのだろう。 「黙っている手はないね」 こ、つ」 いちおう とくがわよしよりたやす しんげん ししやだいそうとくふ と、一翁は徳川慶頼 ( 田安 ) に進言し、抗議の使者を大総督府に送るよう段どりをつけた。 すうにんとも だいそうとくふ はしづめせいいちろうかみしもき 目付の橋詰政一郎は裃を着て、数人の供をつれ、大総督府にのり , 、み「なんらの罪科にて、 そうろう こう」しよさ ヾたいそ、つレ」く ごさた とくがわよしより かかる御沙汰これあり候や」と徳川慶頼から大総督にあてた抗議書を差し出した。 ひ て りやくだっ つま どうじ ころ め にら かいしゅ、つ だん だ ざいか じゅん 190

2. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

あわ いまのおいらにも似て、哀れだね。 まんえんがんねんがっ しかし万延元年二月のあの日、三本マストを傾けて、 たいへいようふゅあらなみつ 太平洋の冬の荒波を突っきった おお ゅうび 雄々しく優美なおまえのすがたをわすれない かんりんまる かっかいしゅうむね かがや 咸臨丸は、おいら勝海舟の胸のなかでルり輝き、 らいめい うちゅ、つ はんそ、つ 雷鳴をとどろかせながら宇宙を帆走する ほツ」」、か しゅごしん 誇り高きわが守護神ポセイドンである。 ひ ん か かたむ 207

3. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

しま まも かんりんまるいっこうでむか さつまはんしゅしまづなりあきら やまがわこう 山川港では薩摩藩主の島津斉彬が、咸臨丸一行を出迎えた。斉彬を乗せて咸臨丸は鹿児 ひみつ け・んカ′、 じよ、つりく さつまはん へいきこうじよ一つほうだい 島にまわり、上陸して薩摩藩がほこる兵器工場や砲台を見学した。海舟としては、秘密を はんしゅなりあきら もくてき 守ってきた薩摩のようすを見ることも目的だったが、名君といわれる藩主斉彬とのつきあ いもこれからはじまった。 ぐんかんちょうようまる ねんがつばくふ かいしゅうあんせい かいぐんでんしゅうお ながさき 長崎での海軍伝習が終わって、海舟は安政六 ( 一八五九 ) 年一月、幕府の軍艦「朝陽丸」 で、江戸にもどった。三年四カ月ぶりである。 ぐんかんそうれんじよきようじゅかたとうどりめ、 かえ 江戸に帰るとすぐ軍艦操練所教授方頭取をじられる。幕府は幕臣およびその子どもた ようしきかいぐんぎじゅっおし ちに洋式の海軍技術を教えようとしていた。 しょはんもの ぐんかんそうれん くにまも 「国を守るための軍艦操練なら、幕臣だけでなく諸藩の者にも教えたらよいではないか」 しんげん かいしゅう 海舟はそのことを進言したが、まったくとりあげられなかった。 くん ちよくご がつながさきかいぐんでんしゅうじよへいさ えど 海舟らが江戸にひきあげた直後の二月、長崎の海軍伝習所が閉鎖されたのは、そこで訓 しょはん れん 練にはげんでいる若者たちが諸藩からもあつまってきているという理由がかくされている。 、かん。か、カた きよ、つい′、 ばくふ 幕府に敵対する気配のある者までを教育する必要はないという考え方を、老中たちはいだ いているようだった。 ひと あの人たちは、幕府の , 、としか頭にないようだねえ。 えど かいしゅ、つ てきたい さつま わかもの ばくふ ねん もの ばくしん あたま ひつよう めいくん ばくふ なりあきらの おし ばくしん かいしゅう りゆ , っ ろうじゅう かんりんまるか・こ こ 6

4. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

かいしゅうちゅ、つこく ほんにんしよく たことを、そのままいわないのがよい」と、海舟に忠告してまもなく、その本人も職をお おおくぼ させん まつだいらしゅんがく じゅうだいじきよく じんぶつ ろされてしまった。大久保の左遷には、松平春嶽が「重大な時局にはかかせない人物」と しようぐんこうけんしよくしよっけん ひとつばしよしのぶごういんかれようしよく して反対したが、将軍後見職の職権をふりかざした、一橋慶喜が強引に彼を要職から追 たいりつ ものばくせいちゅうすう 放した。対立する者を幕政の中枢からしりぞけたのだ。 かっかいしゅうこうべかいぐんそうれんじよはいし さくどう ひとつばしよしのぶふか おそらく勝海舟の神戸海軍操練所を廃止する策動には、一橋慶喜が深く関わっているに ちかいない。 かいしゅう かたろうじゅ、つ こうべかいぐんそうれんじよ 海舟のやり方が老中たちを不愉快にしているのは、神戸海軍操練所にあつまっている者 とさじんめだ ちょうしゅうはんにんげん の顔ぶれである。土佐人が目立つのは仕方ないとしても、長州藩の人間もいる。 としがっちょうしゅうぶそうへい せんきようとらんにゆう はっせい はまぐりごもんへん こうべかいぐんそうれん その年七月、長州の武装兵二千が京都に乱入して発生した蛤御門の変に、神戸海軍操練 じよものさんか じようほ、フばくふ った こうきよ、つ 所の者が参加したという情報も幕府に伝わっているようだった。もともと海舟の「公共の き 力しきょ′、 ろうじゅう こうべかいぐんそうれんじよへいさ かんが 海局」が気にくわぬ老中は、このさい神戸海軍操練所を閉鎖してしまおうと考えたのだ。 ざんねん 「これからちゅうとき残念です」 さかもとりようまな 坂本竜馬が泣きべそをかいている。 かいしゅうもんかせい さかもとりようま ひとびときしゅうだつばんむつようのすけ 海舟の門下生は、坂本竜馬はじめとする土佐の人々や紀州脱藩の陸奥陽之助 ( のちの陸 つむねみつ えちぜんみと 奥宗光 ) 、そのほか越前や水戸の浪士などもふくめて約二十人である。 かお はんたい ふゆかい ろうし しかた とさ にん かいしゅう カカ もの 8

5. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

おいらは江戸っ子べらんめいざむらい じきさんはたもと 直参旗本・勝麟太郎義邦だ。 いすれは勝海舟と名のるのだが、 いまは勝麟とでも呼んでくれ。 たびだ さればカツリンひとりの旅立ち。 おうべいれつきようやぼう 欧米列強の野望から身を守る ぐんかんぶぎよう 力いぐんぶぎよう 軍艦奉行に海軍奉行。 ゅめ きぼうふなで 夢ははるかな希望の船出。 りんたろう くる くる 「麟太郎、苦しめ。そして苦しみをのり越えよ」 らいめい こえ」 雷鳴のような声を出して、 おいらにささやくボセイドン。 かつりん えど かっかいしゅうな かつりんたろうよしくに み まも 8

6. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

かま 「釜さんはいるかい」 そうだ どなると、大勢の奴らが総立ちとなっておいらをとりかこんだ よ えのもとかんちょう 「榎本艦長のことををさんなどと呼びやがる。だれだこいつは」 かっかいしゅう とくがわけ 「徳川家を売り渡した勝海舟じゃないか。 よくもノコノコあらわれたものだ」 もの みおぼ かお などといきり立つ者どものなかに、見覚えのある顔もならんでいる。 ゅうげきたい れんちゅう どうやら遊撃隊の連中である。 やこ ) じいんナ . ゝ」 かれ 大慈院で警護の任についていた彼らは、 もりで うえの よしのぶこうみと 慶喜公が水戸に移ったあと、上野の森を出て、 はし えのもと 榎本のもとに走ったのだろう。 ぐんじとりあっかいかつあわのかみ えのもとかまじろうあ 「軍事取扱勝安房守である。榎本釜次郎に会いにきた。とりつげ」 「なんの用だ」 よ、つ おおぜい うつ わた にん やっ ま 177

7. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

山岡鉄太郎 けいおうねんがついっか よるかいしゅう 、つまや、つま もとひかわやしきかえ 慶応四年三月五日の夜、海舟がへとへとになって元氷川の屋敷に帰り、厩に馬をつない ものか。け ふくめん ばっとう で母屋にはいろうとすると、物陰にひそんでいたふたりの覆面がぬっとあらわれた。抜刀 している。 「おめえたち、名を名のれ」 「へえ、身分はあかせねえんだな。おいらを斬ろうてえのか。おもしろいねえ。仕事に疲 おも じきしんかげりゅうめんきようで れて死にたいと思ってるところだ。だがこれでもおいら直心影流免許の腕だからね。こう しようめん むり 見たところ、その構えで正面からは無理だろう。うしろから斬られてやるから、かかって おいで」 ある そういうなり、くるりと背をむけて歩きだした。賊はそこへ突っ立ったまま、うごく気 配がない おもや やまおかてったろう みぶん かま しごとっか 147

8. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ろうじゅうじゅうだい すおうのかみ さっちょうれんごうせいりつ 周防守はそんなこともいう。薩長連合が成立したという事実を、この老中は重大なこと と、うけとっていないらしい なんだい 「これは難題ですねえ」 きつぼうま 「吉報を待っておる」 ほんき 本気で期待しているんだから、まったくあきれたものだな。大身の老中なんて、み んなこのとおりのとんちきぞろいだよ。 当、よ、つと かいしゅうどく 海舟は毒づきながら、京都にむかった。 ちか じぶん あいづがわこうしよう あいづ まず会津側と交渉する。会津は自分たちから手出しはすまいと誓ってくれたので、まず やくめ さつま しゆっぺいきょひ まず役目は果たしたが、薩摩の出兵拒否をひっこめさせることについては、もうどうなる ものでもなかった。 ぎき かっ 「いかに勝どんであろうとも、この儀聞きいれることはできもさず。薩摩が幕府の私戦に どうり 兵を差しむける道理はごわはん」 と、相手にしない。そうですかと、ひきあげてきた。子どもの使いといわれても仕方がな さいしょ それも最初からわかっていたことだ。 あいて きたい てだ こ じじっ つか たいしんろうじゅう さつま ばくふ しかた しせん

9. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

しよ、つかい ぶれの旗本と聞いていたので、春嶽さんの紹介でも、おかしなことをいえば斬ってしまお おも うと思うておりました」 「わたしもそうです」 ちばじゅうたろう と、千葉重太郎がいった じきしんかげりゆ、フしよ、つしようつか 「おいらだって直心影流を少々使うからねえ。ただで斬られるわけにはいきませんよ」 「もう、それはいわないでください。先生、きようから、わしを弟子にしていただけませ んですろうか」 「弟子をとるほどの身分ではないが、おいらの考えに賛成なら、これからやろうとするこ てつだ とを手伝ってくれてもいいよ」 きよ、フと りよ、つま どうきよう そんなわけで海舟の門下生となった竜馬は、そのころ江戸や京都にやってきていた同郷 なかま りよ、フまおい こんど、っちょうじろうしんぐううまのすけ たかまったろうもちづきかめ の近藤長次郎や新宮馬之助らを仲間にひきいれ、また竜馬の甥にあたる高松太郎、望月亀 やすおかかねま 弥太、安岡金馬などもさそったので、海舟の門下は、そのころ、土佐人ばかりの顔ぶれに なってしまった。 でし はたもとき かいしゅうもんかせい みぶん しゅんがく かいしゅうもんか せんせい かんが さんせい き えど とさじん でし き か 6

10. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

めいよ しあげたのですが、まことに名誉なことでござるな。しつかり、はたらかれますように」 かいしゅうへんじ 歯の浮くようなことをいう。海舟は返事をしなかった。 おんき すじあ べらばうめ、てめえなんかに恩着せがましいことをいわれる筋合いはねえよ。この こぢえ しゆくん 野郎、あいかわらず小知恵をはたらかせて主君をけしかけているのか。 よしのぶごしょ かえ そのうちに慶喜が御所から帰ってきた。 たいぎ 「大儀である」 「はは ~ の」 かたどおかいしゅうよしのぶ 型通り海舟は慶喜のまえに平伏した。 まちそだ 「あまりかたくなるな。そなたは江戸の町に育って、万事ざっくばらんにふるまっておる そうではないか」 した み ぶんざい きつもん 親しげではあるが、見おろしているのだ。その分際で幕府を悪しざまにいうのかと詰問 ヤ」と・は する意味をこめた刺をふくむ言葉だ。 あわのかみ かいしゅう かつりんたろうちすじ 「安房守とか海舟などともったいぶっておりますが、この勝麟太郎、血筋をたどれば、さ ごけにんかぶか はたもとなかまい しよみんで むらいではございません。御家人株を買って旗本の仲間入りした庶民の出でやんすよ」 こた わざとくだけて答える。 やろう 、つ ばんじ ばくふ 104