一つ - みる会図書館


検索対象: 勝海舟 : わが青春のポセイドン
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1. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

めいしゆす にほんあたら しゆっぱっ とくがわけ 徳川家はのこしておくべきで、日本が新しい国家として出発するための盟主に据える人物 みと ぜんしようぐんよしのぶこうさいてき としては、前将軍慶喜公が最適であることはだれもが認めるところです」 かいしゅうねつべん 海舟は熱弁をふるった。 むごんあつりよく もっかていしゆっちゅうたんがんしよしんせいふ そして目下提出中の嘆願書を新政府がうけいれるよう、イギリスが無一言の圧力をもって ちょうてい 朝廷にはたらきかけてもらいたいと頼んだのだ。 「できるだけのことはやりましよう」 よてい うなず かんたい 1 クスは、こころよく頷いた。また東インド艦隊は、近く出航する予定と聞いて、 ていはく せいふぐんにら 「政府軍に睨みをきかせてもらいたいので、もうしばらく停泊することはできませんか」 ちゅ、フじよ、つようせい と、ケッペル中将に要請した。 むり せき 「それは無理だが、一隻だけなら一カ月にかぎってのこすことにしよう」 ごう じまんこうてつかん やくそく かんたい そう約束してくれた。アイアンデューク号は、艦隊ご自慢の甲鉄艦である。 たの ひがし こっか ちかしゆっこう じんぶつ 163

2. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ゅうれい 「幽霊じゃありませんよ」 かるくち きゅうのすけてったろう 軽口をたたきながら、休之助は鉄太郎のまえにあぐらをかいた やまおか すんぶ そうとくふ さいごうあ あんない 「山岡さんが、駿府の総督府にいる西郷に会し ) に行くそうだ。案内しておあげよ」 しゆっぱっ いつ出発します」 きゅうのすけまがお 休之助が真顔になり、鉄太郎にたずねた。 「このまま発ちたい」 きゅう 「そいつはまた急なことだ」 えどそうこうげききじっ ぢか 「江戸総攻撃の期日がま近ににせまっている。ゆっくりしてはおれない」 「ああ、さようですか」 きゅうのすけしたく かいしゅうさい′」、つ てがみか 休之助が支度しているあいだに、海舟は西郷あての手紙を書く。それを持ったふたりは、 ヤ」、つしよ、つ はるよいやみ えどそうこ、フげききげ・ん 春の宵闇にまぎれて発って行った。江戸総攻撃の期限は三月十五日だ。切羽つまった交渉 である。 かえ てったろうきゅうのすけ 鉄太郎と休之助は、八日の午過ぎに帰ってきた。 さいこ、つ あ 「益満さんのおかげで、西郷とも会うことができました」 「どうでした」 ますみつ た た よ、つーか てったろう ひるす がっ にち せつば も 153

3. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

しようぎたいうえのせんそう 彰義隊上野戦争 けんあくど しようぎたい おそ 海舟たちが恐れたとおり、彰義隊の空気は日増しに険悪の度をくわえているようだった。 あんさつはか もの せいふぐんへいし こわだかひなん せんたっ 人数も四千に達し、街頭に出て新政府を声高に非難する者、さらに政府軍兵士の暗殺を謀 る者がいるという風説もひろまっているらしい。 おおむらますじろう いっきよかこく とくがわしよぶん しようぎたい ぼうはっ 彰義隊が暴発すれば、徳川処分は一挙に過酷な決定に走るだろう。あるいは大村益次郎 ま しようぎたい あば などときたら彰義隊が暴れだすのを手ぐすねひいて待ち構えているのかもしれないのだ。 かいしゅう ひさ 五月五日、久しぶりにアーネスト・サトウが海舟のところにやってきた。 / 、つつ、つ みずあわ そ、つ」、つノげ・き 「江戸はたいへんですね。総攻撃をのがれるため、勝さんが苦労したことも水の泡になり しようぎたい ざんねん そうで残念です。彰義隊はどうですか」 サトウは江戸のようすをおれから探り出すためにやってきたんだろう。 「パークスさんに、また骨を折ってもらわばなりません」 「そうですね。しかしまえのようにはいきませんよ」 かいしゅう にんずう もの えど カついっか えど 力いと、つで ふうせつ ほねお しんせいふ さぐだ ひま けってい かっ 184

4. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

将軍家茂と海舟 えどじようちゅうじゅうだい かいしゅうぐんかんぶぎようなみにんめい ぶんきゅうねんがつはつか 海舟が軍艦奉行並に任命されてから三日後の文久二年七月二十日、江戸城中で重大な ひょ、つじよう かいぐんそうせつきほんけいかく ごぜんかいぎ 評定がひらかれた。海軍創設の基本計画を話しあう御前会議である。 しようぐんいえもち ろうじゅうわかどしよりおおめつけかんじようぶぎよう こうぶしよぶぎようぐんかんぶぎよう 将軍家茂をはじめ老中・若年寄・大目付・勘定奉行・講武所奉行・軍艦奉行といった要 しよく 職があつまった。 ばくしん ぐんかんびやくすうせき のりくみいん 「軍艦三百数十隻をそなえ、幕臣をつのって乗組員とし、この海軍の大権を幕府によって そな くにしほううみぐんたい かんりよ、つ 維持し、わが国の四方の海に軍隊をおくことにしたい。その備えが完了するまで幾年かか るであろうか」 しつもんかっかいしゅう そんな質問が勝海舟にむけられた。 ぐんかんひやくすうせき 「軍艦三百数十隻をそろえるとなれば、五百年はかかりましよう」 かいしゅう ひょ、つじよ、つ あぜん いきなりそんなことを海舟がいうので、老中たちは唖然として、にがりきった表情をし かいしゅ、つ ねつべん た。海舟はさらに熱弁をふるう。 じ しようぐんいえもちかいしゅう みつかご ひやくねん ろうじゅう かいぐんたいけんばくふ くねん よう

5. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

おんなき 「その女に聞いてみな」 たみ きみえねえ 「お民さん、いや君江姐さんだったね。どうしたんだ」 ざしき 「お座敷でのいざこざですよ」 きみえ ひけ しんねんえんかい せつめい 君江が手みじかに説明するところによると、火消しの新年宴会の席上、酔った男のひと らんぼう わかげいぎ むり おとこほっ りが若い芸妓に無理やり酒を飲ませようとして乱暴しているので、君江がその男の頬べた さけ がんじっそうそうひけ しるしばんてんさけ をひつばたき、酒をぶつかけてやめさせた。元日早々火消しの印半纏に酒をかけたという ぎしき きみえ ことで、あわや血を見るところだったが、君江はしばらく座敷には出ないということで、 おとこ 一番組の頭がうまくとりしずめた。男はまだ腹の虫がおさまらないらしい 「相手というのは、この兄さんかね」 りんたろうきみえ と、麟太郎は君江にたずねた。 ひと 「ええ、この人ですよ」 はなし 「話はついてるんでしよう。い りんたろ、つわら 麟太郎が笑いながらいった。 やろう 「野郎、しやらくせえ」 じ なぐ つぎしゅんかん と、いきなり麟太郎に殴りかかってきた男は、次の瞬間、もんどり打って地べたにたたき ばんぐみかしら あいて て りんたろう ち み さけの つまでもこだわるのは江戸っ子らしくないねえ」 おとこ はらむし えど せきじようよ きみえ で おとこ 2 -4

6. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

た まもなく海舟を呼びにきた。陣笠・太刀すがたで椅子に腰かけている板倉のまえに立ち、 こえだ つか かいしゅ , つもくれい 海舟が黙礼すると、彼もすぐには声を出さない。ひどく疲れているようだった。 十にた。カ 「わしは戦うつもりだったのだ」 板倉がつぶやくようにいう。 「なるほど、さようですか」 かえ おおさかじようで 「大坂城を出るとき、上様は江戸に帰って兵をおこすと仰せられた」 きよ、フと おおさか おお 「京都では大坂でやることがあると仰せられたそうじゃありませんか」 し 十十・カし かえふね 「うむ。江戸に帰る船のなかで、じつはもう戦う意思はないと打ちあけられたのだ」 きようじゅん したが 「恭順 ( つつしんで従う ) ですか」 おお 「それしかないとの仰せだ」 かれ くやしそうに彼がさらになにかいおうとしたとき、外があわただしくなった。いよいよ くわなりようはんしゅしたが よしのぶ かいしゅうふなっきば あいづ よしのぶじようりく 慶喜の上陸らしい。板倉につづいて海舟も船着場に行く。会津・桑名両藩主を従えた慶喜 あさよ、つこ、つ にしきじた ふくそう の錦仕立ての服装が、朝の陽光をうけてまばゆいばかりだ。 かいしゅう よしのぶまつおちやや しせんな 平伏する海舟に、チラリと視線を投げ、慶喜は松の御茶屋にはいる。すぐにお呼びがか かった。 いたくら へいふく かいしゅうよ かれ いたくら うえさまえど じんがさたち そと おお こし いたくら よ 129

7. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

とくがわけごさんきよう ひとつばしけたやすしみずけ 一橋家は田安・清水家とならぶ徳川家御三卿のひとつ。御三家 ( 尾張・紀伊・水戸 ) に っ しようぐんえらだ かかく ひとつばしけっ ひとつばしよしまさな はつのしん 次ぎ、将軍を選び出されるほどの家格である。一橋家を継いで一橋慶昌を名のった初之進 よしまさ しよ、フぐん が、いっか将軍にならないともかぎらない。その慶昌が、子どものころ小姓として自分に かつりんたろう おぼ ひとつばしけしゆっし れんらく 仕えてくれた勝麟太郎のことを覚えていて、一橋家に出仕するようにという連絡が勝家に キ ) っこ 0 し / 「これはてえへんなことになった」 しろ かっこきち おど おだにけ 勝小吉はまたまた躍りあがった。本家の男谷家でも色めきたった。一族の者が御三卿の ひとつばしけ おだにかつりようけれきし ひとつ、一橋家の家臣として召し出されるなどは、男谷・勝両家の歴史にとって、もちろ はなし んはじめてのことで、夢のような話だ。 いんきょ りんたろうかとく 「おいらは隠居して、麟太郎に家督をゆずろう」 とど と、フしゅ こきちおお りんたろうはたもとこぶしんぐみかつけ と、小吉は大いそぎで、麟太郎を旗本小普請組勝家の当主にする届けを幕府に差し出しだ した。 むやく ほ、つヤ」、つ じきさんはたもとかつりんたろうよしくに ひとつばしけ 無役といっても直参旗本勝麟太郎義邦である。胸をはって一橋家にご奉公できるように、 ま よ かつけ じゅんび 勝家ではすべての準備をととのえて呼び出しを待っていた。 きゅ、つし ひとつばしよしまさ はつのしん びようき りんたろう ところが、一橋慶昌こと、初之進がにわかの病気になって急死したのである。麟太郎の つか かしん ゅめ め ほんけ だ むね ごさんけ こ おわりきい いちぞくものごさんきよう ばくふ こしよ、フ さ みと じぶん かつけ 2 2

8. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

さか。もとり , よ , つま 坂本竜馬がやってきた たず せいねん 文久二 ( 一八六一 l) 年秋のある日、勝家にふたりの青年が、のっそりと訪ねてきた。土佐 じゅうたろう ちばさだきちこ りようまけんじゅっし さか、もとり・よ , つま の脱藩浪士・坂本竜馬、もうひとりは竜馬の剣術の師である千葉定吉の子、重太郎だ。ど りよ、つま しやく ちかおお ほくしんいっとうりゅうつかて ちらも北辰一刀流の使い手として知られている。竜馬は、六尺 ( 一・八メートル ) 近い大 じゅ、ったろうりよ、つま かっかいしゅう くいはんしゅまつだいらしゅんがく かいしゅう しようかいじよ、つも おとヤ」 男だ。福井藩主・松平春嶽から海舟にあてた紹介状を持っていた。重太郎は竜馬が勝海舟 あ に会うというので、ついてきたのである。 いけん けんじゅっ ちばどうじようめんきょ じせい 「千葉道場で免許をもらっているが、剣術だけでなく、時勢に対する意見をもつ見どころ あ もあるようすなので、会ってやってほしい」 だいどうじよう ちばどうじよ、つ ほくしんいっとうりゅうし カ そんなことが書いてある。千葉道場といえば、北辰一刀流で知られる江戸三大道場のひ とつだ。 あ 「おまえさん、土佐の郷士だそうだが、よく春嶽さんに会えたねえ」 ふく いはんこんい ものたの おかもとけんざぶろう 「知りあいの土佐藩・下横目の岡本健三郎が、福井藩の懇意な者に頼んでくれたんですら。 だつばんろうし んきゅう し とさはんしもよこめ と当」 ねんあき 。こ、つし ひかつけ し しゅんがく み とさ

9. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

たいへいようおうだん 太平洋横断 あんせい あかさかもとひかわさかしたいえうつ びんぼ、つはたもと 安政六 ( 一八五九 ) 年七月には、田町から赤坂元氷川坂下の家に移った。もう貧乏旗本な ぐんかんそうれんじよきようじゅかたとうどり やしきく どではない。軍艦操練所教授方頭取ともなれば、それにふさわしい屋敷で暮らすことにな ゆた かつけせいかっ いいなおすけどくさい あんこくじだい り、勝家の生活もすこしは豊かになったが、井伊直弼が独裁の権力をふるう暗黒時代はま だつづいている。 ちょうしゅうよしだしよういんしけい がっ たいごく 、かんけ・い 長州の吉田松陰が死刑になったのは十月二十七日だった。そんな大獄とは関係なく、そ げつご かいしゅ、つ じゅんび ぐんかんぎようみずのただのり めいれい の一カ月後に、海舟はアメリカに行く準備をするように、軍艦奉行の水野忠徳から命令さ れた。 にちぺいしゅうこうつうしようじようやく りよ、つじ」ういんちょういん 日米修好通商条約は、アメリカのハリス領事が強引に調印をせまり、国内の反対意見 むし いいなおすけ おう じようやくていけっそう を無視して井伊直弼がそれに応じたものだ。その条約締結の総しあげである「批准」は、 ほんごく アメリカ本国でおこなわれる。 ひじゅんた あ にほんしせつ ごう がっしゅうこくぐんかん 批准に立ち会うために渡航する日本の使節たちは、アメリカ合衆国の軍艦ポーハタン号 ねんがっ AJ ヤ」、つ たまち にち けんりよく こくない ひじゅん はんたいいけん 8 6

10. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ぐんじちしきみ カくしょよ 学書を読んでいくうちに新しい軍事知識を身につけた専門家になるという例もある。 りんたろう せいようちしきまなもくてき 医師ではない麟太郎は、最初から西洋知識を学ぶ目的で、まずオランダ語をマスタ 1 し ようとしたのである。 かつけ びんぼうはたもと 勝家はいぜんとして貧乏旗本の暮らしをつづけていたので、第太郎はオランダ語を教え しゅうとく みち あたら じゅく る塾をひらいた。オランダ語を習得して、新しく生きる道をもとめようとする人たちもふ らんがくせんせいかつりんた りんたろうじゅく えてきた。太郎の塾にすこしずつ若者があつまるようになり、そして蘭学の先生勝麟太 ろ、つ 郎の名も、しだいにひろがっていった。 ざいたく かつりんたろうどの 「勝麟太郎殿はご在宅かな」 いようふうぼうおおおとこたず ひげ かえい 嘉永二年の秋、どじよう髭をはやした異様な風貌の大男が訪ねてきた。 さくましようざんも、つ せっしやしんしゅうまっしろはんし 「拙者は信州松代藩士・佐久間象山と申す」 さくませんせい 「ああ、佐久間先生」 しようざんあ りんたろう いちど 麟太郎はまえに一度、象山に会っているのだ。 きこ、つ あ あかさかたまちらんがくじゅくひょうばん 「赤坂田町の蘭学塾が評判であると聞いたが、貴公だとわかり、会いにきた。このごろは てつぼう 鉄砲もっくっているというではないか」 しさくひん 「まあ試作品です」 し ねんあき あたら さいしょ わかもの き せんもんか りんたろう ひと ご おし 9