おおさか - みる会図書館


検索対象: 勝海舟 : わが青春のポセイドン
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1. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

いずみのかみ 和泉守はいつも仏頂面をしている。 おれに対しては、とくにそうだ。 はらだ おも あくたい 日ごろ幕府に悪態をついているのを腹立たしく思っているのさ。 むなもとかぜ いずみのかみおうぎ 和泉守は扇をひろげて、胸元に風をいれている。 かつあわのかみぐんかんぶぎようおお 「勝安房守、軍艦奉行を仰せつけらる」 いきなりそ一ついっこ。 よ かたどお 型通りに書きつけを読み聞かせ、 「まずは、めでたい」 いずみのかみ ニコリともせす、和泉守はつづけていう。 」よ、つ おおさか 「御用これあり、ただちに大坂へおもむくべし」 おおさか 「大坂にては何用でございましようや」 「一丁けばわかる」 ひ ばくふ 。カ なによう ぶっちょうづら き 9 8

2. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

とじよう まつだいらしゅんがくっ はん」、つ 反抗する意思はまったくない」と、登城してきた松平春嶽に告げて、老中板倉勝静らとと おおさかじよううつ そうだんうえきよ、つとで も相談の上、京都を出て大坂城に移ることにした。 にじようじよう、つらもん よるよしのぶ その日の夜、慶喜は「大坂で、やることがある」といいのこし、二条城の裏門からぬけ にしゆっきよう とくがわよしかったく ちょうてい じよ、っそうぶん 出した。朝廷への上奏文は、徳川慶勝に託すという夜逃げにも似た出京である。 もとひかわやしき じしよく むやく かいしゅう 海舟はそのころ江戸にいた。辞職して無役になっているのだから、元氷川の屋敷でぶら みまも きよ、つと とお じようほ、つ ぶらしているが、情報だけはあつめている。遠くから京都のようすを見守っていた。 せんりやく おおさか よしのぶこうどう 慶喜の行動も、「大坂で、やることがある」というのだから、なんかの戦略だろうと、海 しゅうおも 舟は思っていた。 よしのぶ せいりよく と、つ D ばくぐんすうまん おおさかちゅうしん 当時、大坂を中心とする幕軍は数万にのばり、意外な勢力となっていた。おそらく慶喜 じきゅうさく せいりよくばんかい おおさかじよ、つ は、大坂城にたて , 、もって持久策をとり、勢力挽回をはかるつもりにちがいない。そのう かいしゅ、つおも よしのぶせんりやく さつま こりつ ちょうてい ち朝廷にはたらきかけて薩摩を孤立させようという慶喜の戦略かとも、海舟は思っていた。 しはん さつまはんてい くわなはんべい ・け・き、」、つ はたもとあいづ だんぜんさつま そんなとき、断然薩摩を討つべしと激昻した旗本・会津・桑名藩兵が、薩摩藩邸と支藩 さどはらはんてい 佐土原藩邸を襲って焼き払った。江戸もたいへんなことになった。 たたか ふしみ じゅうこうひ 待ってましたとばかり薩摩の銃ロも火をふき、鳥羽・伏見の戦いがはじまったのは年が せんきよう としがっかいげんめいじがんねん けいおうねん あ この年九月改元、明治元年ーー一月三日だ。戦況は、はじ 明けた慶応四年 ( 一八六八 ) おそ おおさか はら さつま し。力し がつみつか ろうじゅういたくらかっきょ とし 、力し 125

3. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

けん 着く」 ろうじゅうしんげん ぐんかんじゅんどうまるしようぐん かいしゅうあたら 海舟は新しく幕府が購入した軍艦順動丸に将軍をお乗せしたいと老中に進言した。陸路 ふたん えんどうじんみん じかん うえひょう をとると時間がかかる上に費用がかさみ、沿道の人民にも大きな負担をかけるので、ひそ ふまんこえ かに不満の声があがっているのだ。 しゆっぱっ きゅ , つりくろ にちしようぐんじよ、つらくと へんこう ぜんにんとも 二月十三日、将軍は上洛の途についたが、急に陸路に変更、三千人の供ぞろいで出発し よ、つい かいしゅ、つかた じゅんどうまるしながわおきう た。順動丸を品川沖に浮かべて用意していた海舟は肩すかしをくってしまった。順動丸は しようにん カ てっせいがいりんせん イギリスの商人から買ったばかりの鉄製外輪船 ( 四〇五トン ) である。 おおさかいまおおさかてんぼうざんおきっ しゆっぱんよく かいしゅ、つしようぐんお 海舟は将軍を追って二十四日に出帆、翌二十六日には大坂 ( 今の大阪 ) 天保山沖に着いた。 しよ、つぐん きようとっ しゅうかん 将軍は三週間かかって三月四日に、やっと京都に着いている。 きよ、つと しようぐんいえもち せつかいおおさかわんじゅん につていお 、がつはつか おおさか 京都での日程を終えた将軍家茂は、四月二十日に大坂にやってきた。「摂海 ( 大阪湾 ) 巡 しゆっぱん じゅんどうまるしようぐんむか いえもちじしん 検」は、家茂自身がいいだしたことだという。順動丸は将軍を迎えて二十四日に出帆した。 しん わか たよ しようぐんおも いえもちびようじゃく 家茂は病弱で、年齢も若く、なんとなく頼りない将軍と思われているようだが、芯は、 ろ、つじゅ、つ ずいこ、フ ぐんかんおおゅ じんぶつ しつかりした人物だった。あらしのため軍艦が大揺れに揺れたとき、随行した老中などは と、つじよう いえもちがん きけんかん みなと かん 危険を感じて、港にたどりつくと艦からおりるようにいったが、家茂は頑として搭乗をつ わか しよ、つぐん けなヂ . かいしゅうかんどう づけた。その健気なようすに、海舟は感動した。そのときの将軍のすがたを「いまだお若 っ がっ ばくふ ねんれい 」、つにゆ、つ がつよっか か にち ゅ おお じゅんどうまる りくろ 9

4. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

嫌だといって尻ごみする。 きよ、つ なんだか、へんなことになっている今日このごろ。 くび ぐんかんぶぎようふくしよく 馘にしたおいらを軍艦奉行に復職させて、 おおさか 大坂に行けというのだから、 し」と どうせろくな仕事じゃないだろうよ。 しり 9-

5. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ぐんかんぶぎよう 軍艦奉行なんかやめた ! おおさかきちゃく 大坂に帰着したのは九月十日だった。 みち かいしゅう あしじよ、つきよう ばくふがわ てつべい 海舟はすぐその足で上京した。やはり幕府側から撤兵して和解の道をさぐるしかあるま にじようじようい こうしようけいか おも よしのぶ いといった意見を添えて、交渉の経過を報告しようと思いながら慶喜のいる二条城に行く。 ろうじゅう しなんおも しせんこうしようやくめ 至難と思われていた止戦交渉の役目だけは、なんとか果たしたつもりでいたのだが、老中 くろ、つ こえ ほ , っこくき たちは報告を聞こうとしないばかりか、ご苦労だったという声もかけようとしない。 たいど み しゆっぱっ たよ よしのぶ 慶喜にしてからが、出発のときはおまえひとりが頼りだといった態度を見せておきなが かいしゅうあ ばくふちょうしゅうりようぐんてつべいじゅんちょう ぶじかえ ら、無事帰ってきた海舟に会おうともしないのだった。幕府・長州両軍の撤兵が順調に ちょうていて ちょうしゅう しせんしようちよくこうそう は ,. びはじめたのは、朝廷に手をまわして長州にあたえてもらった止戦の詔勅が効を奏し かいしゅう よしのぶ おも たものと思ったのだろう。海舟のことはケロリとわすれている。慶喜さん、それはないよ といってやりたかった。 じひょう ひろしま おおさか かえ むいかご 広島から大坂に帰ってきてから六日後の九月十六日、海舟は、辞表をたたきつけ、復職 いけんそ がっとおか がっ にちかいしゅ、つ わかい ふくしよく 113

6. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ち いツ」′、 いっせんまじ 異国の軍艦と一戦交えよう よっ ′、にど、、かい あんじようしんしきしようじゅうそうび せいきようちょう 四つの国境からの包囲作戦をとったのはよいが、案の定、新式小銃で装備した精強な長 しゅうへいていこ、つ ぎまたたか せいちょう 州兵の抵抗にあって手も足も出ない無様な戦いになった。それでも退くにひけない。征長 そ、つと′ . 、 ひろしまた 総督は広島で立ち往生しているのだ。 なや おうべいれつきよう ひょうご . ーし、刀十 ~ そんなとき、もうひとっ幕府を悩ませているのは、欧米列強による兵庫 ( 神戸 ) と新潟の 力いこうえど かいし じようやくちょっきょようきゅ、つ まちがいこくじんかいほう 開港、江戸・大坂の開市 ( 町を外国人に開放する ) 、そして条約勅許の要求だった。 え じようやくちょっきょ じようやくたい ちょうていゆる あんせい 条約勅許とは安政にむすんだ条約に対する朝廷の許しを得るということだ。 きようとちかひょう′」かいこう つよじようい たちば てんのうきよか 京都に近い兵庫の開港は、それでなくても強い攘夷の立場をとる天皇の許可がもらえる はずもない じようやくちょっきょで しかた 力いこくカわしよ、つ 幕府は条約に勅許が出ないのだから仕方がないと泣くように訴えるのだが、外国側は承 力いし せきぐんかん ひょう」おおさかかいこう お、つじようち 知しない。九隻の軍艦は、兵庫・大坂の開港・開市をせまって、ついに王城の地をふくむ にほんちゅうす、つとち せかいれつきよう むほうもの きよ、つぼう 日本中枢の土地に砲口をむけてきた。世界の列強は、もはや無法者としかいえない凶暴な ばくふ ぐんかん おおさか ほ、つヤ」、つ おうじよ、つ ほういさくせん て あしで ばくふ な うった ひ こ , フべ 9

7. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ばくぐん かく′」 ゃいん めのうち幕軍優勢だった。 ばくふ ぐんかんせつつかいしゅうけっ ちょうしゅうぐんいちぶ とうちゃく 幕府の軍艦も摂津海に集結している。このときすでに長州軍の一部が到着したとしても、 はん。けきき へいりよく ばくぐんせん せんとうたいせい なんこうふらくおおさかじよう 幕軍はその三倍の兵力だ。反撃を期す幕軍五千は、戦闘態勢をととのえ難攻不落の大坂城 しゅうけっ に集結している。 しようさんじゅうぶん よどはん つはんうらぎ きしゅうはん 勝算は充分だったはずだが、それがとんだ誤算で、淀藩につづく津藩の裏切りや紀州藩 きようとがわた ばくぐんだいはいぼく ふしみ たたか げんき が京都側に立つなど、幕軍大敗北のうちに鳥羽・伏見の戦いは終わった。すると元気のよ よしのぶ きょわしせい かった慶喜がとっぜん、人がかわったように気弱な姿勢をとりはじめた。 き 一は おおさか よしのぶ けんこんいってきおおばくち 「大坂で、やることがある」と気を吐いていた慶喜としては、ここで、乾坤一擲の大博打 ひせん かいしゅう たいせいほうかんだいひょうじよう を打っときだった。非戦をとなえていた海舟にしても、大政奉還の大評定があったとき、 まんいちよしのぶこうえんだい はたん いすす だんぜんじようこくへ 「万一、慶喜公遠大の計画が破綻させられるようなことがあれば、断然上国に兵を進めれ ろうじゅういなばまさくに か いけんしょ で ぐんかんぶぎよう ばよい」と、老中稲葉正邦にあてて書いた意見書のとおり、軍艦奉行をかって出て、死を 覚悟して大坂に乗りこむつもりだった。 くわなりようはんしゅ がつむいかよるよしのぶあいづ ところが意外なことに、一月六日夜、慶喜は会津・桑名両藩主らわずかな人々をつれ、 おおさかじようこうもん だっしゆってんぼうざんおきとうびよう かいようまるの 夜陰にまぎれて大坂城の後門から脱出、天保山沖に投錨していた開陽丸に乗りこみ江戸へ かえ 逃げ帰ったのだ。 、つ ばくぐんゅうせい おおさかの ひと 」さん お ひとびと し 126

8. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

ちょうしゅう こ、フしよ、つないよう ちょうしゅうもんだい しより れいせい 海舟は筆をとって、長州との交渉の内容をくわしくまとめ、長州問題は冷静に処理する いけ ; ルか ほうししまっ いたくらろうじゅうていしゆっ ことが大事だという自分の意見も書きくわえた「奉使始末」を、板倉老中に提出して大坂 を発った。それもどうやら、にぎりつぶされたようだ。 よしのぶきら じんでばん いちぐう 慶喜に嫌われた自分の出番はとうぶんなさそうだから、江戸の一遇で息をひそめながら、 げ・きどう きようとせいじよう みまも 激動する京都の政情、そして国の行く末をひたすら見守ることにした。 そら にちきちゃくえど のわきひめ よしのぶこじ だいしよう 十月十六日帰着、江戸の空には野分が悲鳴をあげていた。慶喜が固辞していた十五代将 き しわす 軍の座についたことを聞いたのは、師走にはいってからだった。 がっ ぐんざ た かいしゅうふで だいじ じぶん すえ れいしゝ おおさか 115

9. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

まゆ かいしゅうおも 海舟は思わず眉をひそめた。あれほど嫌いぬいた自分にむかって、憐れみを乞うような ちからっ よしのぶしようすい かおみ 慶喜の憔悴した顔を見ながら、海舟はしだいに身が震えてきた。この人のために力を尽く おも してみようと思ったのだ。 そんぞく かいしゅう とくがわけ ばくふ だが、海舟がやらなければならないことは、徳川家を存続させるという大仕事だ。幕府 はたもと ろくだか とくがわおん はつぶれても一向にかまわないが、わずかな祿高であるにしても、旗本として徳川の恩を はたら とくがわけ おも うけてきた身だ。およばずながら、徳川家のためにひと働きしようと思った。 きも うえさまぜったいきようじゅん 「上様、絶対恭順のお気持ち、かわりませぬか」 こころ かいしゅうふしんかん ねん よしのぶたい あらためて念をおすのも、慶喜に対する海舟の不信感が、心のどこかに巣をつくってい るからだ。 こうせん 「うむ。そのことは大坂を出るときから決めておった。抗戦などするつもりはなかったと さい」、つ った 西郷に伝えてくれい」 しろ きようじゅんひょうめい 「では、お城にいなすってはいけません。恭順を表明するには、さしあたり上野の寛永寺 あたりにおはいりになるのが、よろしゅうございましよう」 「そのようにいたす」 ねが おおくぼいちおうどのふくしよく 「ところでお願いの儀がございます。大久保一翁殿を復職させていただけましようや、難 み いっこ , っ おおさかで かいしゅう きら き み じぶん ふる と わ す おおしごと うえの かんえいじ なん 132

10. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

あわ かえ 「安房、帰ってきたぞ」 いたずらこ きゅうしんみよう びしようう おも まるで悪戯っ子が急に神妙になったような微笑を浮かべている。かっときて思わず海舟 ま ) っこ 0 し子 / おおさかろうじよう おも 「なぜ逃げてきなすったんです。大坂に籠城されるものとばかり思っておりましたのに」 ぶれいものだま どせい 無礼者、黙れと怒声が飛ぶのを覚悟したのだが、 ばんさくっ 「もはや万策尽きた。頼るはそのほうひとりじゃ」 あわ よ , つい こえよしのぶ 哀れにすがりつくような声で慶喜がいうので、用意していたことばもひっこんでしまっ さつま 「薩摩とのあいだをとりもってくれぬか」 頼りというのは、そのことだったのかと、海舟は返事をせずに黙っていた。 ちょうしゅうはん じたいじゅんちょう こんど まえは長州藩に行けと命じ、事態が順調にはこぶとなれば、知らぬ顔だった。今度もそ かんじよう じぶん ういうことになりそうだが、いまは感情をさしはさむときでもあるまい。自分にしかでき さい」 ぶたい ないことなら、最後の舞台をきりまわしてみようかと、とたんに海舟は腹を決めた。 ぎよい 「およばずながら、御意にそいましよう」 こた かいしゅ、つこうどう かいし 吠えるように答えてその日は退きさがり、ただちに海舟は行動を開始した。まずは大久 たよ たよ AJ ひ ひ かいしゅうへんじ し 力いしゅつはらき かお かいしゅ , っ おおく 130