一つ - みる会図書館


検索対象: 勝海舟 : わが青春のポセイドン
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1. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

き しゅんがく との おとこ お おも 春嶽という殿さんも、わしのような男によう会うてくれたもんじゃと思うちよります」 ふくい めいくん にほん ひつようひと ぐんかんそうれんじよとうどり 「福井の名君だが、福井というより日本にとって必要な人だよ。おいらも軍艦操練所頭取 とじよ、つ ひと などという役をもらって、登城するようになったので、ああいう人と話す ,. ともできるよ しゅんがく ひとばっ うになったが、春嶽さんのような人物は、ほかにいないようだ。そんな人を罰したりする ばくふ んだから、幕府はもうだめだねえ」 たいごく あんせい しゅんがくひとつばしはぞく ばっ いいなおすけし 安政の大獄のとき、春嶽は一橋派に属してうごき、罰せられたが、井伊直弼が死んだあ ゆる けん は′、せいかしカ′、 じゅうようじんぶつ かいしゅうそんけい さかもとりよ、つまはなし と許された。幕政改革の意見をもつ重要な人物で、海舟は尊敬している。坂本竜馬の話を かいしゅうやく しゅんがくおも 聞いて、この男なら海舟の役に立っと春嶽は思ったのだろう。 かいこくろんじゃ 「勝さんは、開国論者だそうですな」 「一つ、む」 かいしゅうこた さっき かん 海舟は答えながら、それとなく身構えた。ふたりの若者の目に殺気のようなものを感じ たからである。 力い ) 」′、 「開国とは、どういうことか教えてください」 力い」′、 力いこくじん 「ひとくちにいえば開国だが、ただ国をひらいて外国人をうけいれようというのではない。 さかもと くろふねみ おまえさん、坂本といったねえ、ペリーが乗ってきた黒船を見ただろう」 かっ おとこ おし じんぶつ みがま の わかものめ -4

2. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

でよ」 かいしゅう りようまめい かんが 海舟はそんなことも竜馬に命じた。いずれは西郷とも協力しなければならないと考えて かいしゅう あいて じんぶつ いる海舟は、相手がどんな人物であるかも知っておきたかったのである。 りようま きようとで よくじっこうべかえ 京都に出かけていった竜馬は、翌日神戸に帰ってきた。 さいごうあ 「どうだったえ。西郷は会ってくれたかね」 かっせんせいもんか あ いちどあ 「勝先生の門下ならと、よろこんで会ってくれました。しかし一度会ったぐらいで正体を にんげん おも あらわす人間とも思われません」 「ほ一つ、」一つ力し」 り・こ、つ り・ ) 」、つ とほ、つ 「馬鹿でもその幅がどれほど大きいかわからんほどの大馬鹿、利ロなら途方もなく利ロな おとこみ ちい たま おお がね 男に見えました。小さくつけば小さくひびき、大きくつけば大きく鳴りひびく、つり鐘の にんげんみ ような人間に見えます : : : 」 りよう じんぶつひょう がねあ 「なるほど、なるほど竜さんの人物評はおもしろいねえ。おいらもぜひそのつり鐘に会っ てみてえよ」 かいしゅうさいごうあ かいしゅうさかもとりようまりようまさい′」う 海舟が西郷に会うのは、もっとあとになるが、このころ海舟と坂本竜馬、竜馬と西郷と であ れきし み の出会いが、歴史をうごかすほどの意味をもってくるのである。 おお し さい′フ おお おおばか きようりよく しようたい 2 8

3. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

「謙遜するにはおよばない」 でんち しょ , っざんがいこくしよもっさんこう つうしんじつけん はつでんき でんせん 象山も外国の書物を参考にして電線による通信の実験をはじめ、電池や発電機をつくり、 しんしきしようじゅう ゝゞゝこきたのかとい一つと、そ一つ また新式の小銃をつくったりしているので、ようすをうカカし。 でもない おも 「このまえ、めずらしいものを手にいれたので、そなたにお見せしようと思ってな」 さっしよるい ひょうし 。カ しようざんふろしきづっ おらんだふうせっしょ 象山は風呂敷包みから、一冊の書類をとり出した。表紙には『和蘭風説書』と書いてあ つうじ ながさき ながさきぎようつう せんった 「長崎にはいるオランダ船が伝える世界の風説をオランダ通詞が翻訳し、長崎奉行を通じ しようかんかいがいじようほ、っていきよう、む て幕府に差し出されたものだ。もともと幕府はオランダ商館に海外情報の提供を義務づけ ほ , っこくしょ ているので、ときどきこのような報告書がとどけられてくる」 「そんなものがあるとは知りませんでした」 かい力いじよ、つほ、つ しよみん 「幕府が秘密にあっかっているからだよ。このような海外情報は、庶民には知らせずに幕 ながで どくせん にゆうしゅ 府が独占しておる。しかしたまには、それが外部に流れ出る , 、とになる。それを入手した のだ」 きちょ、つじようほう 「貴重な情報がありますか」 ふ ばくふ ばくふ けんそん さ ひみつ し て せかい ばくふ ふうせつ がいぶ み ほんやく し 0 一つ

4. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

きゅうけいだんがん 。こきゅうしきせいど、つほ、つ アームストロング砲は、球形の弾丸をはじき出す旧式の青銅砲とちがい、砲身が鉄でで らせん きている。なかに螺旋がきってあって、細長い砲弾が螺旋にそって旋回しながら飛んで行 なが ばくはつりよくめいちゅうりつばつぐん く。射程も長いし、爆発力、命中率も抜群だ。 じんはつめい ほうも ひぜんさがはん ョ 1 ロッパ人が発明したこのアームストロング砲を持っていた大名は、肥前佐賀藩だ。 ひぜんへい しようぎたいこうげき にちあさ 肥前兵がこれを二門ひつばって江戸へはいってきた。彰義隊攻撃がはじまった十五日の朝 す くせん は、据えつけに手間どり、官軍が苦戦しているころには、まだ火を噴けなかったのである。 しのばずのいけ うえの しようぎたいじんち ほ一つ、け・き どきごご これが不忍池をへだてて、上野の彰義隊陣地を砲撃しはじめたのは、八つ刻 ( 午後二時 ) ごろだった。 ほうだんかんえいじ たてものめいちゅう 砲弾は寛永寺の建物に命中して火を起こし、その黒煙があがるのを見て、大村は「輒 ろ、つじよ、つ かる は勝ったぞ」といって、楼上から足どり軽くおりて行ったという。 たてものめいちゅう ごうおん 砲弾のわずかばかりは建物に命中したが、じっさいには付近に着弾して破裂する轟音が きも ものすごく、これに肝をつぶした兵士があわてふためきはじめた。まず攻めあぐんでいた き くろもんぐちかんぐん とっかん じんち さんのうだい しようぎたい 黒門ロの官軍が、機を見て突貫し、陣地を陥落させ、山王台の彰義隊は敗走をはじめた。 だんごぎかほうめん すいでん こうせん ちょうしゅうへいすす てんのうじふきんたっ おおむら 団子坂方面から水田をはさんで交戦していた長州兵も進んで、天王寺付近に達し、大村 どうじぜんしん くろもんぐちしょへい すす うえのぜんいきせんりよう 藩丘も同時に前進して黒門ロの諸兵とともに進んで、上野全域を占領した。戦いがまった は ん ほうだん ・カ しゃてい てま もん ほ、つ み かんぐん し ほそなが かんらく ほうだんらせん こくえん ふきんちゃくだん だいみよう せんかい ーしそ、つ はれつ ほうしんてつ おおむら AJ 188

5. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

休之助の最期 ますみつきゅうのすけし 。カ十に 益満休之助の死について語っておかなくちゃならない きゅうのすけさつまへい うえのせんそうさんか 休之助は薩摩兵のひとりとして上野戦争に参加し、 、つ くろもんぐちたたカ しようぎたいし てつぼう なが 黒門ロの戦いで彰義隊士が撃った鉄砲の流れ弾にあたって し 死んじまった。 てんまちょうろう 伝馬町の牢であやうく刑死するところを、 すく いのちち せつかく おいらが救ってやったのだが、折角の命を散らしてしまった。 さい」 ろうや くびき しかし牢屋で首を斬られるよりはましな最期だ。 せんじよ一ついき すくなくとも戦場で息をひきとったのだ きゅうのすけさいご けいし 199

6. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

お おいらは馬をとばして逃げるやつらを追い、 ふ しった 踏みとどまれと叱咤するのだが、 」しだ れんちゅう なにしろ浮き腰立ってる連中だからね。 とくがわしん りつば 「おのしら、徳川の臣として立派な死に方はしたくねえのか うえさまえど 上様は江戸にいなさるんだぜ。 さい」 最後までおそばにいて、 みちた 武士の道を立てようという者はいねえのかい」 けんめい おう せっとく 懸命の説得に応じる者もいれば、 みみ ぞうひょう 耳をかそうともしない雑兵づらも、すくなくはないのだよ。 とんしゅう さわ 学 / . し学 / 、し 。はんちょ一つへいたし せんにん 三番町に兵隊が二大隊、千人ばかりが屯集して騒いでいる。 十 / し子′し そうと知ってかけつけ、大隊だけはしすまらせたが、 ひやくにんとうそう もう一大隊のほうは二百人が逃走、 し 、つま もの もん し 。カた 144

7. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

。たいそ、つとくふ 、かいレ」、つ しようぎたい いちおう それに対しては「大総督府は関知せず」との回答があった。一翁は「これからも彰義隊 ちえ さっき てあ さつばっ 探索にことよせ、知恵の足りない手合いが殺伐なふるまいをするであろうから、その殺気 ちゅうこく を避けたがよい」と忠告した。 しごとざまお この期におよんで逃げかくれなどするものか。おいらの仕事は無様に終わったのだ いのち お から、命なんざ惜しくもないよ。 かいしゅうもとひかわいえはな と、海舟は元氷川の家を離れようとはしなかった。 だいりとくカわよしよりまつだいら とくがわしよぶんもうわた かんとうかんさっしさんじようさねとみとくがわかめのすけいえたっ 徳川処分の申し渡しは、関東監察使三条実美が徳川亀之助 ( 家達 ) の代理徳川慶頼・松平 まんごく なりたみよ りようちだか かめのすけするがのくにふちゅうじようしゅ 斉民を呼んでおこなわれた。亀之助を駿河国府中の城主とし、領知高七十万石を下賜する むねった 旨が伝えられた。 ち かいしゅう おそ A ) ′、・カわ 海舟たちがもっとも恐れたのは徳川が一大名として、どこかの地に移封されることだっ けつか りようちさだ けつきよく するが たが、結局そんな結果となり駿河に領地を定められた。 よそう まんごく わる しかし悪くすれば三十万石ぐらいにけずられるのではないかという予想が、七十万石と まんごく なったのはひとまずよろこばなくてはなるまい。百万石、二百万石などはすでに望むべく もないとあきらめてはいたのだ。 たんさく さ たい かんち だいみよう まんごく のぞ まんごく 191

8. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

かお せいいちろうしわおおっか 政一郎は皺の多い疲れた顔をうつむき加減にしていう。 たやすちゅうなごんさま せんぼうそうとくふ 「田安中納言様にあてて、先鋒総督府から とくそくじよ一つおく ぐんかん 軍艦ひき渡しの督促状が送られて参りました。 なにぶんともこまったことで、 ちから かっせんせい 勝先生のお力にすがるほかはありません」 「やつばりそ一つかい」 したう おも おれも思わず舌打ちしてしまった。 よしのぶしゃざい 慶喜謝罪の条件のなかに、 ぐんかんとういっさいちょうていわた へいき 「兵器・軍艦等一切を朝廷に渡すこと」の一項がある。 ぐんかん りくぐんへいき 陸軍の兵器はともかく、軍艦はおかしなことになっていた。 かいぐんふくそうさい えのもとかまじろ、つ 海軍副総裁の榎本釜次郎が、 しながわおきしゅうけっ 品川沖に集結していた艦隊をひきいて わた じよ、つけん かんたい かげん いっツ」、つ 174

9. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

仕方なく腰をあげることにした。 たてやま えのもとかまじろう 榎本釜次郎がいつまでも館山にとどまるとはかぎるまい と しゆっこう 出航しないうちにと、馬を飛ばして館山にかけつけたよ。 かいようばんりゅ一つかんこ、つかんりんちょうようふじさんかいてんちょだかた 開陽・蟠龍・観光・咸臨、朝陽・富士山・回天・千代田型 ばくふ ぐんかんおきせい そんな幕府の軍艦が沖に勢ぞろいしている。 けっちゃく 海戦だけで決着がつくのなら、 ぶねかんたい あしもと 新政府のポロ船艦隊など足元にもよせつけない海軍力だ わた えのもときも これを渡したくない榎本の気持ちもわからなくはないが、 よしのぶこ一つ 慶喜公の首がかかっているといえば、 かんたい このまま艦隊をつれて逃げるとはいわないだろう。 。力いーかん ふねだ かいよ、つ、けんてい 海岸から舟を出させ、開陽の舷梯 ( タラップ ) をのばって行き、 しんせいふ しかた かいせん くび こし 、つま たてやま かいぐんりよく 176

10. 勝海舟 : わが青春のポセイドン

と、つばっ ちょうしゅ、フきなし あ 「癶よ一つ ークスさんと長州の木梨さんが会いました」 物」いど」い ぎぶとんうえ 。しオ六年近くも滞在してい 座布団の上にぎこちなくあぐらをかきながら、サトウよ ) っこ。、 たっしゃ るので、日本語も達者なものだ。 きなしあ 「ほう、木梨が会いに行ったのですか」 よこはまよ 「いや、 ークスさんが、横浜に呼んだのです」 はなし 「どんな話をしておりましたか」 がた わるはなし 「聞きたいですか。あなた方にとって悪い話ではないですよ」 サトウはニャリと笑った。 っ かいしゅうけいかい なぜわざわざそんなことを告げにきたのかと、海舟は警戒した。 じしんかんが 「ここにこられたのは、あんたご自身の考えでんすか」 ークスさんが、勝さんに知らせておけといいましたので、わたしやってきまし 一」一つ・け・き よこはまきよりゅうちあんぜんおびや せいふぐんえど ノ ークスは政府軍が江戸を攻撃して戦争になったとき、横浜居留地の安全が脅かされる み けねんきなしった とくがわよしのぶきようじゅんたいど のではないかという懸念を木梨に伝え、徳川慶喜が恭順の態度を見せているのに、 , 、れを 、はんこくこ , つほ , っ 討伐するのは『万国公法』にもそむくことになるといっているという。 「いや、 き にほんご わら かっ し せんそう ねんちか 159