『あッ 『ちえツ、血のめぐりがどうかしているぜ』 という声が、どうやら地底でしたと思うと、かたわらの車井と、あやうく鉄杖の二つ胴にされそこなった佐分利五郎次、 よろい つるべ かんしやく 天戸にかけてあ「た釣瓶が、癇癪を起したように、カラカラカラ井戸がわから五、六尺とびのいてき 0 と見れば、鎧武者にはあ らず、黒の染衣かろやかに、ねずみの手甲脚絆をつけた骨たく 州とゆすぶれた。 わかそう そこ ましい若僧、今、血ぬられた鉄杖をしごきなおして、ふたた 神「や、この井戸底にいるのか』 び、らんらんとした眼をこなたへ射向けてくるようす。 『そうです、ここより逃げ場はありませんぜ』 ばっか 「さてはこいつが、伊那丸の幕下でも、カ第一といわれた加 『バカなやつめ』 にんけん るそんべえ かげむしゃ 影武者の一人か、ただしは本人の呂宋兵衛か、井戸がわに立賀見忍剣だな : から 五郎次はプルッと身ぶるいしたが、すでに空井戸の逃げみち ってあざ笑いながら、 めんそか は断たれ、四面楚歌にかこまれてしまった上は、とうてい助か 『こんななかへとびこむのは、自分で墓へはいるも同然だ』 てき から 『おッと、そいつは大安心、ここは空井戸で一滴の水もないばる術はないとかんねんして、やにわに、陣刀をギラリと抜き、 かんどう 『おお、そこへきたのは加賀見忍剣とみたがひがめか、もと穴 かりか、横へぬけ道ができているからたしかに間道です』 けんせん 山梅雪が四天王のひとり佐分利五郎次、きさまの法師首を剣先 『なに抜け道になっているとか、そりやもつけの幸い』 え - : っ から にかけて、亡主梅雪の回向にしてくれる、一騎うちの作法どお と、にわかに元気づいた七人、かわるがわる釣瓶づたいに空 り人まじえをせずに、勝負をしろ』 井戸の底へキリキリとさがってゆく。 ど一一う そして、すでに七人のうち五人までがすがたを隠し、しんが窮鼠猫をかむとはこれだ、すてばちの怒号ものものしくも名 りに残った影武者のひとりと佐分利五郎次とが、つづいて釣瓶乗りをあげた。 忍剣は、それを聞くとかえって鉄杖の力をゆるめ、声ほがら 繩にすがって片足かけたとき、早くもなだれ入った伊那丸勢の しつぶう かに笑って、 まっ先に立って、疾風のごとく飛んできたひとりの敵。 あくにゆうどう なんじ 『はははは、さては汝は、悪入道の遺臣であったか、主人梅雪 『おのれッ』 しゅうがいすその らいかっ と、駈けよりざま、雷喝一声、闇から唸りをよんだ一条の鉄がすでに醜骸を裾野にさらして、相果てたるに、いまだ命ほし おくめん ろそん・ヘえ 杖が、プーンと釣瓶もろとも、影武者の一人をただ一撃にはねさに、呂宋兵衛の手下にしたがっているとは臆面なき恥知ら ず、いで、まことの武門をかがやかしたもう伊那丸さまの御内 飛ばしこ。 ちゅうばっ ′一うりき そのおそろしい剛力に、空井戸の車はわれて、すさまじく飛人加賀見忍剣が、天にかわって誅罰してくれう』 きじん やせほうし しゅろなわおろち び、ふとい棕梠繩は大蛇のごとく蜿「て血へいをはいた影武者「はざくな痩法師、鬼神といわれたこの五郎次の陣刀を、受け られるものなら受けてみろ』 のからだにからみついた なわ うね つるべ つるべ てつ びと きゅうそねこ ! うしゅ どう しん みうち 782
ちょうど、夜逃げの二人が、人無村のはずれまできた時、 なかに、目立つは一人の将、漆黒の馬にまたがって、身には ぶう * 、い しらさや よろい かしらかぶと ノ風斎がふいにビタリと足をとめて、 鎧をまとわず、頭に兜をかぶらず、白の小袖に、白鞘の一刀を むちすその 『はてな ? 帯びたまま、鞭を裾野にさして、いそぎにいそぐ と、耳をそばだてた。 『あ、あの人は見たことがあるぜ』 『な、なんです親方』 物かげにいた蛾次郎は、目をみはって、その馬上を見おくっ 『だまっていろ : ・・ : 』 たが、ふと気がついて、 しばらく立ちすくんでいると、たちまち、ゆくての闇のなか 『そうだ、そうだ』とばかり、あとからつづく人数のなかにま ひづめ から、とう、とう、とうーーー・と地をひびかせてくる軍馬の蹄、ぎれこみ、まんまと、八風斎の目をくらまして、越前落ちの途 おびただしい人の足音、行軍の貝の音、あッと田 5 うまに、三、中から、もとの裾野へ逃げてもどってしまった。 あらし だぎようじん 四百人の蛇形陣が、嵐のごとくまっしぐらに、こなたへさして『おお、あの矢さけび、火の手もみえる、流れ矢もとんでくる くるのが見えだした。 わ。この一時こそ、一期の大事、息もっかずに、いそげいそ ノ風斎は、ぎよっとして、さけんだ。 がじろう な ) - うばく 『蛾次郎、蛾次郎、すがたを隠せ、早くかくれろ』 人無村をかけぬけて、渺漠たる裾野の原にはいると、黒馬の 『え、え、え ? なんです。親方親方』 寺は、鞍のうえから声をからして、はげました。雨ガ岳の火は ノカぐず ! 見つかっては一大事だ、はやくそこらへ姿まだ赤々ともえている。 をけせ』 『敵 ! 』 『ど、どこへ消えるんで ? 『敵にツー・』 と、不意のできごとに、蛾次郎は、度をうしない、まだうろ『討て ! 』 うろしているので、八風斎は、『えい面倒』とばかり、彼をも と、俄然、前方の者から声があがった。四、五間ばかりの小 せんばうないとうきよなり のかげに突きとばし、自分はすばやく、かたわらの松の木へ、 石河原、そこで端なくも、徳川家の先鋒、内藤清成の別隊、四、 しようとっ するするとよじ登ってしまった。 五十人と衝突したのである。 から やみ あんたん 暗憺たる闇いくさ、ただものすごい太刀音と、槍の折れる音 隊二人が、辛くも、すがたを隠したかかくさないうちである、 うしお 八風斎の目のしたへ、潮の流れるごとき勢いで、さしかかってや人のうめきがあったのみで、敵味方の見定めもっかなかった だよう だようじん きた蛇形の行軍、その人数はまさに四百余人。みな、一ようのが、勝負は瞬間に決したと見えて、前の蛇形陣は、ふたたび一 じんがさこぐそくてやりめきみ せんじん 、んか 陣笠小具足、手槍抜刀をひっさげて、すでに戦塵を浴びてるよ糸みだれず、しかも足並みいよいよはやく、人穴城の山下へむ つ、 ) 0 うなものものしさ。 くら ひととき わ 7
白き衣をつけた居士のすがたとみえたのは、はからざりき一 まする』 たんちょう かしん - 一じ 『なんという。では、果心居士先生が、この近くにおいである羽の丹頂 ! まっ白な翼をハタハタとひろげて、四人の上に輪 ありあ 馬 をえがいて舞いめぐり、あれよと見るまに有明けの月のかげを 天のかオオ、ちょうどよいおり、ぜひお目にかか「ておこう』 かすめて、いずこともなく飛んでしまった。 と伊那丸はにわかに立ちあがった。 かしん - 一じ りゅうたろう 神竜太郎や忍剣も、居士のすがたを拝さぬこと久しいので、先しかし、四人はまだ、なお岩の上に、果心居士がいるような だれ たき たいまっ の松明をふりかざし、竹童を案内にして、雷神の滝の断崖をよ心地がして、その上まで登ってみた。そこには誰もいなかっ じ登っていくと、やがて竹童。 ただ残っているのは一本の刀。 『みなさま、ごらんなさいませ。あのいちばん高い岩の上に、 たいまっ つぼ ししよう お師匠さまが立っておられます。そしてこちらの松明が、近づ滝壺のなかに落としたとばかり思っていた、竹童の愛刀般若 丸は、水にもぬれずにおいてある。 いていくのを待っておいでなされます』 『や、まだなにやらここに : 指さすかたをみると、なるほど、滝の水明りと、ほのかな たいまっ - 一ろも - 一がん と、伊那丸は松明の光をよんで足もとをみつめた。 星影の光をあびて、孤岩の上に立っている白い道士の衣がみえ すう - よう る。 見ると、岩をけず 0 て、数行の文字が小柄でりのこされて ある。それは、うたがう余地もなく、果心居士らしい枯淡な筆 『おお、老先生ーーー』 せきで、 竜太郎は、はるかに見てさえ、なっかしさにたえぬように、 声をあげた。 おうとっ 父子の邂逅はむなしく 熊笹にせばめられた道、凹凸のはげしい坂、息をあえぎあえ とりで 小太郎山の砦はあやうし ぎ、その岩の根元までいそいできた四人は、そこへくると同時 に、岩の上をふりあおぎ、声もひとつによびかけた。 - よ、つ とただ二行の文字であった。 『果心先生 ! 果心先生 ! 』 よげん - 一がん しかし、この二行にすぎぬ文字の予言は、武田伊那丸にとっ するとーーーおうという声はなく、ふいに、孤岩の上の道士の て、否、その帷幕の人すべてにとって、なんと絶望的な、そし すがたが、ふわりと宙へ舞いあがったので、四人のひとみも、 と空へ吊られていった。 て戦慄すべき予言ではあるまいか その時ーー・ ありあけ 夜はまだ明けぬが有明の月、かすかに雲の膜をやぶって黒い 鞍馬の山の端にかかっていた。 くま早、 * 、 っ ちゅう まる せんりつ っ第はみ、 25
部屋のすみには、たくさんな火繩の束が釘にかかっていた。 知らせる者がない』 そこへ、メラメラと火がはいあがった。 『いやだー いやだ、おいらは ! 』 馬 ごうおん やまほり と地震のような轟音は、その一瞬生きのこった山掘夫どもが、もう向こうからワッワッとわめ 天 かいめい がん あたりを晦冥にしてしまった。 いてくるようすなのに、竹童は頑とそこをうごかないで、強く たいまっ ひなわ 神松明の火が火繩にうつり、その真下に積んであ「た銃丸の箱かぶりをふっていった。 りよく かやく から火薬の威力を発したのである。 『逃げてゆくなんていやなこった、小太郎山をとられるものな てつばう ばんせん とりで しかし、火薬も鉄砲も、当時まだ南海の蛮船から日本へ渡来ら、おいらも砦と一しょに斬り死する ! どうして、そ、そん しようせきはつかりよく したばかりで、硝石の発火力も、今のような、はげしいものでなことをいって、民部さまに会われるもんか』 ひなわ はない。それに、火繩の下にあったのも二箱か三箱なので、火『アア、この場合、そんなことをいって、わたしをこまらさな やまほり ひめい に吹かれたのは山掘夫の十二、三人、あとは悲鳴の声のあがっ いでおくれ、ネ、竹童さん』 たのを見ても、いのちだけは助かったらしい 『イヤだ ! 落ちてゆくなら、おまえひとりで逃げてゆきな』 、、くや・一 ちくどう だっと ぐんし 咲耶子と竹童は、脱兎のように、軍師の間のそとへ飛びだし 『ま、なにか考えちがいをしていますね』 いのべくまぞう ていた。そして、そのあとから伊部熊蔵とド斎などが、黒けむ『なぜ』 ひきよう ふ りと一しょにはきだされて、二人のあとを追いかけた。 『落ちるといってもけっして卑怯でも不義でもない。かえっ まえの井楼の下まできたとき、咲耶子は足をとめた。 て、砦を枕にして斬り死するより、立派なっとめをはたすんで 『ちツ・ す。ここで二人が一しょに最期をとげてしまったら、だれが、 えんしよう とう なにかいおうとしたらしいがし。 、まこなって焔硝にむせんこの事情を一党の方にしらせますか』 で、あとのことばがでずにしまう 『でも : : : おいらは、そんな役目は好きじゃない』 竹童も、 ハッとふとい息をついた。まッくろな煙の柱が、も 『こうしている一刻が大事、たのむから、はやくグロを飛ばし ちゅうてん くもくと宙天におどりあがっているのを見る。 て』 『わ、わたしは、少し思うところがあるから、ここに踏みとど 『よし、おいらはすぐにまた帰ってくる』 まって、最後の力をつくします。竹童さん、おまえははやく樺 『えツ、じゃ落ちてくれますか』 わし とう の林へもどり、あすこにつないである鷲に乗って、ここを落ち 『クロを飛ばしていくなら一羽ばたきだ。一党の人を見つけた - 一しよう ておくれ、後生です。早くここを、逃げてください』 ら、おいらはすぐに帰ってくる。咲耶子さま』 『に、逃げろッて ? 』 エ ? 『二人とも、ここで斬り死してしまっては、民部さまへ事情を 『それまで、樺の奥へかくれこんで、敵のやつに見つからない せいろう ひなわたば 0 みんぶ とら、 しゅん とりで かた 、、は 352
『あッ , 小遣などをくれるはずがない。 あくちめ 蛾次郎の不良性は、そこから悪智の芽をふいて、ひとつの手そういったきり足をすくませ、水独楽にあらぬ眼の玉を、グ ルリとき、きにまわしてしまった。 段を思いついた。かれは城下の盟場はずれに立って、皿まわし ちくぶじまきくむらくない だいどうデいにんこうじよう の大道人の口上をまね、れいの竹生島で菊村宮内からもらっ きよくまわ らんぶ みずごま てきた水独楽の曲廻しをやりだした。ふしぎな独楽の乱舞を、 りよく おうらい こうろひまじん かれの技カかと目をみはる往来の人や行路の閑人が、そこで・ハ ラ・ハラと銭や拍手を投げる。ーー蛾次郎、それをかき集めて るす のでんしばい は、毎日、ト斎の家を留守にして、野天の芝居をみたり買い食 いに日を暮らしている。 きようも、夕方ぢかくなるのを待って、柳のつじの鳥居の下 ちくぶじましんでんまごま に立ち、竹生島神伝の魔独楽 ! 水を降らす雨乞独楽 ! そう 叫んで声をからし、半時ばかり人をあつめて、いざ小手しらべ - 一うじよう ほんげい こじわた さて、いよいよ本芸にとりかかったところで、どうしたのか 心 ! そんな口上をはり は虻渡りの独楽 ! 見物人は傘の御用 みよう がじろうだゅう あげて蛾次郎、いよいよ独楽まわしの芸にとりかかろうとして蛾次郎太夫、ふと妙なことが気にかかっていたせいか、いつも きよく みずごまにじ あざやかにやる水独楽虹渡りの曲まわしを、その日は、三度も だいどう ちょうしよう しゅび やりそこなって、首尾よくドッという嘲笑を、大道の見物人 きよど・フ一よ - っし ぐんしゅう その群集のなかに立って、かれの挙動を凝視している二人のからあびてしまった。 しんでんまごま ふかあみがさまゆ はんしん ろうにん 浪人ーー深編笠に眉をかくした者の半身すがたがまじって見え通力のある神伝の魔独楽。 『こんなはずはないぞ。こんなはずはないそ』 ・一うじよう びしよう なにか、ささやき、なにか、微笑し合っている。 と、蛾次郎はドギマギしながら、いくども口上をやりなおし 灸するとまた、そのうしろにかくれていた六部の指が、前のさて、独楽を空に投げあげたが、水を降らせるどころか、廻りも 禁むらいの背なかを軽くついて、ふりかえ 0 た顔となにかひそひしないで、石のように曲もなくボカーンと自分の頭の上へ落ち てくるばかりだ。 のそ話しているようす。 みずごま たゆう 首尾よくゆかないでも、見物のほうはワイワイいって にわかごしらえの水独楽まわしの太夫、いでや、独楽をまわ 神 ・一うじよう ひとわ 、つれしがった。 訪そうとしてはでな口上をいったま、 。しが、ひょいと人輪のなか だいどうげい きどせん 木一尸銭をだしていない大道芸のせいでもあろうが、とかく人 の浪人と六部のすがたを見て、 ) 0 はんとき かさ あまごい′一ま さら とりい っ・つりキ、 すわがみ まじないきゅ、つ 諏訪神さまの禁厭灸 みずごま 3 〃
もん しているようすであったが、やがて八門の陣をシッグリと編ん かれらはその迅さに目まいがしてきたように、ただアッ しようぐんねま かそくど で、あたかも将軍の寝間をまもる衛兵のように、三十六人が屹と、あッけにとられている。その姿はいよいよ加速度に早くな 天然とわかれて立った。 って、ついには、小姓たちの目にも、遠くからながめている人 じんけい ちゅうぐう はっきゅう ほしかわよいち 州その、陣形の中宮に、白球をも 0 た星川余一と、紅球を持 0 人の目にも、それが半助か、一片のくろい布がつむじ風でめぐ まんちょ じんそく 神た万千代とが、ゆだんのない顔をして立っと、菊池半助はその っているのか、ほとんど目にもとまらないほど迅速になってき ・一うきゅう 紅球をとって、もとの場所へかえることを、また木隠童太郎は しあいめつけ しせん 一方の白球を取ることを、試合目付から命じられた。 それに、すべての者の視線がうばわれているまに、、 しまま がりゅうしの こがくれ これは伊賀流の忍びをほこる半助にも、木隠にも、おそろしで、一方に立 0 ていた木隠の姿がこっぜんと消えている。 なんじ にんじゅっ 『や、さては』 い難事だろうと思われる。およそ忍術というものも夜陰なれば そよう 」もくとん こそ鼠行の法もおこなわれ、木あればこそ木遁、火あればこそ と、小姓の面々がハッと身をかためていると、 門の陣の一 かとんじゅっ はくちゅう 火遁の術もやれようが、この白昼、この試合場のなかで、しか方に、白いものがヒラリとおどった。 - 一しよう も三十六人のとんば組の小姓たちが八門の陣を組んでまもって『それ』 いる鞠を、どうして、気づかれずに自分の手へとってもとの場と、心もちそのほうへ、一同のからだがズズとよりつめてゆ あら 所へかえるだろうか くと、非ず ! そこへ散ったのは数枚のふところ紙で、みなの しせん ちゅうぐう 視線が、それにみだされて散らかったせつな、陣の中宮にいた め しの ほしかわよいち はくしかたて 『目をかすめて、忍べるものなら忍んでみよ』 星川余一が、風でりついた一枚の白紙を片手で取りのけなが ふう - 一しよう ら、 という風に、お小姓とんばの面々は、ゆだんのない目をみは 『あツ、しまった』 りようし 両士は、サッと左右にわかれて、 と、とんきよ、フにき、けんだ。 といっても、そこには木陰があるわけではなく、身をか 五 くす家があるのでもないから、もとよりどう手をくだす法もな まんちょ 余一の声におどろいて、万千代もひょいとろうばいした。と 、、そく み、そく ひじ 木隠が右へまわれば右へ、半助が左側をねらえば左側の目ば たんに、だれかが、かれの肘を足もとからトンと突い - 一しよう しこい小姓たちの眼が光ってうごく。 ひじ すると、菊池半助は、とっぜんとんば組の陣形のまわりを、 しったが、肘をつかれたはずみに、赤い鞠はかれの掌をは しつぶう 疾風のようにぐるぐるまわりだした。 なれて、ポンと飛びあがった。 えいへい 八門の陣のすきをうかがう。 もん もん じんけい ゃいん - 一うきゅう きっ や めの まり
け、膝のところへ性笠と杖とを持った、三十四、五の女房であった。 むじひ る。 『これ、なにを無慈悲なことをなさる』 きくむらくな、 おんなじゅんれい しいえ、そう悪くお取りなすってはこまりますが、たしか菊村宮内はわれをわすれて、その女巡礼の身をかばいなが しゆくつじどう - 一ま力い おび ら、 に、駒飼の宿の辻堂で、ちょっと帯をしめ直しているあいだ じゅんれいどう に、あなた方おふたりが、足もと〈おいたわたしの入れをお『ふびんではござらんか、かような巡礼道の人の持物を巻きあ 持ちになってかけだしたので、悪気はないほんのいたずらをな げて、それがどれほどおまえたちの幸福になるものじゃない。 てあら されたのであろうと、ここまで追ってまいったのでごさいま どうか、そんな手荒なことをせずに返してあげておくれ』 『おやッ』 す。どうぞ、あの金がなくては、これからさきのながい旅がで きない身の上、かわいそうだと思って、お返しなすってくださ 『一 ) , んっノ、ー ) よ、つ - め』 むなげ と、胸毛をむきだして腕まくりをしなおした二人の道中稼 『この女めツ、だまっていりや好い気になって、まるで人を盗ぎ。 と よ - 一あ ツ人のようにいやあがる』 『横合いから飛びだしゃあがって、なにをてめえなんぞの知っ けんか 『どういたしまして、けっしてそんな大それたことを申すのでたことか。利いたふうな文句をつける以上は、この喧嘩を買っ てでるつもりか』 かわい 『やかましいやいツ。てめえがおれたちに金入れを取られたと 『はははは、飛んでもないことをあなた方を相手にして、腕 どろばう いやあ、おれたち二人は泥棒だよくも人に濡衣を着せやがつずくなどの争いは、とてもわたしたちにはできないことです』 かわたた ようじゃ 『じゃあ引ッこめ、引ッこめ ! 鉦叩きのやせ行者め』 『いや、引ッこめません』 『あれツ、そのふところに見えます金入れが、たしかに、私の 持っていた包みでございます』 『これでもかッ てつけん 『飛んでもねえことをいうねえ。こりや、おれが甲府の町でさ いきなり一方の鉄拳が、風をうならせて宮内の横顔を見舞っ かねい る人からあずかってきた金入れだ。それを見やがってぶっそうてきた。 だいかんしょ 人なししがかり、どッちが白いか黒いか代官所へでてやるところ『あぶない』 おんなじゅんれい きくむらくない だが、女巡礼を大の男ふたりで相手にしたといわれるのも名軽く身をかわした菊村宮内、その腕くびをつかみ取って、 旅 折れだ。さ、命だけを助けてやるから、サッサとでていきやが 『そんなめちやをなさらずに、、、 とうか、ゆるしてあげてくださ の しよう - 一 かねざいふ れ』 その金財布が、げんざい、あなた方の持物でない証拠に いろあい 馬の草鞋にもひとしい土足が、むざんに女の肩をはげしくけ がらも色合も女物ではありませぬか』 わらじ かね どそく かねい ぬれぎめ か めす あらそ もんく どうちゅうかせ 409
るまいな』 そのいわれのある古戦場で、その信玄の孫が、わずか二人の ぶ筆よう じゅうしゃ さびがたな 『じゅうぶん、ご奉行とともに、お打ち合せをいたしますつも従者とともに、錆刀で首を落とされるとは、なんと、あわれに いんねん もまた皮肉な因縁よ ! ・一うみ、つ あざみかわぶし と、気の毒がるささやきもあれば、心地よげに嘲む三河武士 『矢来、高札、送り駕、また警固の人数など、そのほうは ? 』 もある 『いちいち、手配ずみでございます』 りようみん とにかく、春もくれかかる東海道の辻には、そのうわさが、 『またその日はうわさを聞きおよんで、あまたの領民があつま こうがぐみ なにかしら、人に無情を思わせた。 るにちがいない。甲賀組、伊賀組の者、残りなく狩りだして、 はな あやしい者の見張りに放ちおくように』 へんそうぐみ 『変装組百人ばかり、もう今日のうちに、ご領内へ散らしてお きました』 たけだいなまるかがみにんけんこがくれりゅう 『ウム、ではもう牢内の、武田伊那丸、加賀見忍剣、木隠童 たろう 太郎、その三人を都田川にひきだして首を洗って斬るばかり 、よい 『御意。もはや、裾野の雲は晴れました』 か うれい 『甲斐ざかいの憂惧がされば、これで心を安らかにして、旗を ちゅうげん 中原にこころざすことができるというもの。家康にとって、伊 ふえね がん ゆくすえ すんだ笛の音がながれてくる。 那丸はおそろしい癌であった。幼少ながら、かれの行末は浜松 のろ あまひこ かん かいじ 城の呪いであった。それを捕らえ得たのは近ごろの快事、いず鬼一管とか天彦とかいう名箝の音のようだ。なんともいえな 、、り げつめい ざんけい おんしよう かいちょうよいん い諧調と余韻がある。ことに、笛の音は、霧のない月明の夜ほ れも斬刑のすみしだいに、恩賞におよぶであろうが、その日の ど音がとおるものだ。ちょうど今夜もそんな晩。 くるまでは、かならず油断せまいそ。よいか、半助』 しらかば 人 る そこは、白樺の林であった。 さては、家康のごきげんなわけは、伊那丸が捕らえられたこ あんうん さらぬだに白い斑のある樺の木に、一本一本、あおじろい月 擲とであるか。と一同はうなすいて、徳川家のため、暗雲の晴れた を 心地がした。そして、城を退ったものは、このうわさを城下に光が横から射している。 首 れいき のったえて、その日のくるのを、心待ちにしていた。そしてかっ 笛がとぎれた時の、シーンとした静寂と冷気とは、まるで深 いくさがみしんげん きようゆう のて軍神の信玄が、甲山の兵をあげて、梟雄家康へ、乾坤一擲の海の底のようだ。けれど、事実はおそろしい高地なのだ。 4 わけっせん みかたはら こたろうんちゅうふくじんば 血戦をいどんだ三方ガ原。 小太郎山の中腹、陣馬ガ恥の高原つづき。 ろうない すその がぐみ けんこんてき 0 おのれの首を投げる人 くびな めいてき は しじま ひと - 一うち 引 7
『こりや、、 だの光でもない、音のない銀の風 ! カような少年をとらえてなんとするのじゃ』 かま オオ、無数の針 ! はツたと睨めて、よらばふたたび投げつけそうな構えであ 光線をそそぐがごとくビラビラピラ。ヒラ ! と吹きつけてきる。 - 一じきばうず て竹童の目、竹童の耳、竹童の毛穴、ところきらわずつき刺さ 『おや、この乞食坊主め、よくも生意気な手だしをしやがった はんにやまる 『ウーム ? 』 うばい取った般若丸を持ちなおして、いきなり燕作が斬って もんぜっ と息ぐるしい悶絶の一声。 かかると、旅僧はやすやすと体をかわして、手元へよろけてき きじ製・う かいどうじ しゅん 燕作はしたたかに手首をうたれ さすが気丈な怪童子も、その一瞬に、にわかにあたりが暗く た小手をビシリと打った。 はんにやまる なった心地がして、名刀般若丸をふりかぶったまま、五肢を弓て、ホロリと刀を落としたので、それをひろい取ろうとする どて と、ふたたびャツー というするどい気合、こんどは堤の下へ ドーンとうしろへたおれてしまった。 形に屈して、 『ざまをみやがれ、すなおに渡してしまえばい、に、おあつらっき落とされた。 しよう ズルズルとすべり落ちたが、まだ性こりもなく起きあがっ えどおりに、苦しい目を見やがった』 えんさく セセラ笑って、ひっ返した早足の燕作、歯がみをする竹童のて、いまの仕返しをする気でいると、一人とおもった旅僧のほ むないた あんやそう はんにやまる 胸板に足をふんがけて、つかんでいる般若丸をカまかせに引っ 、に、まだ同じすがたの行脚僧が二人、すぐそこにたたずんで いたので、 はわた そして、ニャリと刃渡りをながめていると、ふいにだれか、 『あツ、いけねえ ! 』 えりくびをムズとっかんだ。 とばかり一もくさん、堤のしたを縫って逃げだしてしまっ 『あツ、なにをするんだ』 い、つまもなかった。 そのうしろすがたのおかしさに、 二人の僧は見おくりなが ちゅう フワリと足が大地をはなれたとたんに、かれのからだは宙をら、 かすって、堤の若草を二、三間さきへズデンともんどり打って『ははははは』 曽しる とほがらかに笑い合う。 どて の『 と、堤の上から先の一人の僧が降りてきて、燕作のすててい あじろ はんにやまる と跳ねおきて見ると、いつの間にそこへきたか、網代の笠をつた般若丸をたずさえてきて、 丸 まぶか てつばち - 一ぶし たち 若眉深にかぶったひとりの旅僧、ひだりに鉄鉢をもち、右に拳を『この太刀を見おばえはござりませぬか : : に ひ早、 ふりあげて、 膝をおって、丈のたかい僧の一人へさしだした。 0 どて どて えんさく えんさく 223
ししったいなんなのでござりましよう』 のばっているのよ、、 そのうちの一人がいった。 『あれかい』ト斎はくだらぬことに、呼びとめられたといわん 『おめえの家で、ゆうべ宿をかした旅の客があったな。なんだ ものし 天か怖らしい顔をしていたが、物識りらしいところもある、一つばかりに、 『あれは多分、人穴の殿堂が焼けたのでしよう』 十 / し、カ』 州あの客人にきいて見ようじゃよ、 やみ、く 『へえ、人穴の殿堂と申しますると』 、ところへ気がついた、どこに戦がある 神『なるほど、矢乍、、、 やまじろ わだるそん・ヘえ のか、あの人なら知っているかもしれねえ、はやくお呼び申し『野武士の立てこもっていた山城、ーー和田呂宋兵衛、丹羽昌仙 などというやつらが、ひさしく巣をつくっていたところだ。そ てこいやい』 じせつ 『あ、その人は、おれがでてくるときに、先をいそぐとやらでれもとうとう時節がきて、あのとおり、焼きはらわれたものだ じたく 立ち支度をしていたから、ことによるともうでかけてしまったろう』 『ああ野武士ですか、野武士の城なら、いい気味た』 かもしれねえが、おいでになったらすぐ連れてこよう』 ばっ まっ 『お富士さまの罰だ』 与五松という若者は、すぐ自分の家へかけだしていった。 と、里人はにわかにほっと安、いしたばかりか、日ごろの鬱憤 ちょうど、立ちかけているところへ間に合ったものか、しばら くすると、かれは一人の旅人をつれて一同のほうへ取ってかえをはらしたようにどよみ立った。 するとまた二、三の者が、 してきた。 『あ、だれかきた』と叫びだした。 『あれかい、与五松の家へとまった、お客というのは』 とりみ、 かにさいぞう そで みると鳥刺し姿の可児才蔵が、山路をこえてこの部落にはい 里の者たちは、袖ひき合って、グスグス笑いあった。なぜか ・一うふ しようよう といえば、片鼻そげている顔が、いかにも怪異に見えたのであってきたのだ。ここは街道衝要なところなので、甲府へいし みなみしなの る。 も南信濃へはいるにも、どうしても、通らねばならぬ地点にな えち′一じ はつぶうさい っている。 旅の男というのは、鼻かけド斎の八風斎であった。越後路へ ゅうべ がじろう むかっていく彼は、蛾次郎を見うしなって、一人となり、昨夜『おお鳥刺しだ』 と、部落の者たちは、また才蔵を取りまいて、裾野の様子を はこの部落で、一夜をあかした。 ちゅうやけんこう くどく聞きたがった。けれど才蔵は、これから安土へ昼夜兼行 『わざわざ恐れ入りまする』 ちく でかえろうとしている体、裾野における逐いちの仔細は、まず と、年かさな矢作が、ト斎のまえへ、小腰をかがめながら、 第一に、秀吉へ復命すべきところなので、多くを語るはずがな ていねいにききだした。 やじりし すその 『あなたさまは、裾野からおいでになった鏃師とやらだそうでい 「さあ、ふかい様子は知りませんが、なにしろ、裾野はいま、 ござりますが、あのとおりな黒煙が、二日二晩もつづいて立ち とりみ、 にわしようせん うつぶん 166