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検索対象: 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠
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1. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

つかいばん かみがいそうじんばおりしも ている使番もすべて上は鎧装陣羽織、下は小具足、ことに人夫案内申しあげる。こちらへ』 ばっとう けらいかにさいぞう を使っているものなどは抜刀をさげて指揮しているありさま。 うしろへ目くばせすると、かれが無二の家来可児才蔵、 馬 『い六、』 天 ( 怠けるものは斬る ) ちくじようばせんげん 州これが築城場の宣言だ。 と三名のうしろについて、主人と首尾をつつんで秀吉のいる しずたけやなせかっせんきんちょう ほんまるにわて 神したが「てここの空気は、賤ガ岳、柳ガ瀬の合戦の緊張ぶり本丸の庭手へあがってい「た。 とすこしもかわっていないのである。 ( はてな ? ) さくじぶようつつ、 がのかみ ーがいはちべえ 「ーー作事奉行、筒弗伊賀守の家臣、猪飼八兵衛』 そのとちゅうで可児才蔵は、自分の目のまえに立ってゆく、 と大声で答える。 少しちぢれ毛のある男の襟もとを見つめながら、 もんかん 『門鑑』 ( はて : : : どこかで見たことがある ) 『いやお送りでござるーー・徳川どののお使者』 いくども首をひねって考えたが、どうも思いだすことができ 『徳川家の使者 ? して何名』 ながいしなののかみなおまさ とくがわけ ししゃ ぶれい 『永井信濃守尚政と、つきそい両名』 徳川家の使者についてきた侍、横顔をさしのぞくのも無礼 ぎわん しゆくん 『そのものは ? 』 であるし、疑念のあるものを易々と、主君の前へ近づけるのは みずのげんごろう 『水野源五郎』 なおのこと不安なはなし。 、 - くじもん 『ウム、徳川殿のお旗本でござるな。もう一名は』 でーー作事門からついてきた番士に、ソッと耳をよせてきい きくちはんすけ 「菊池半助』 てみると、 きくちはんすけ 『それだけでござるか』 『あの方ですか。あれはただいまたしか、菊池半助とか名のり 『さよ、つ』 ました』 『ごくろうでごギ、ツた』 『えツ、菊池 ? 』 がいはち・ヘえ 案内の猯飼八兵衛はかけもど「て、送りこまれた徳川家の家そうだー やり かにさいぞう 臣三名、槍ぶすまの間をとおってひかえ所に待たされた。 それで可児才蔵にも思い起すことができる。かれは徳川家の がしゅうおんみつぐみ くみがしら ひとあなじよう やがてそれを、秀吉のところへ知らせると、かれはもう心得伊賀衆隠密組の組頭で、かって富士の人穴城へ、じぶんが主命 ていて、福島前松に出えをじる。 でようすをさぐりにいったとき、はじめてその名を知った男 いちまっ じんだち ぐそく 市松はガチャツ、ガチャッと歩くたびに、陣太刀が具足をた とも たく音をさせながら、巨石でたたみあげた石段をおりてきて、 ( これはいけない ! 油断のならない使者のお供だ ) えんろはままつじよう ふくしまいちまっ 『遠路浜松城からおこしのお使者、ごくろうです。福島市松ご かれがそう思いあたった時には、もう、秀吉のまえにきて、 はたもと ししゃ にんぶ 、、学 ) 0 かた に、いぞう えり み、むらい やすやす ばんし しゅび ししゃ 474

2. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

ずらわしたい、 との懇願。事件、人物がまた容易ならぬ人、な んとへんじをしましようかと、三人の旗本がこもごも申したて刀 馬 はしばあらはたもとわきざかじんないひらのさんじゅうろうかとう と、そのとき、羽柴の荒旗本、脇坂甚内、平野三十郎、加藤た。 天 まくやすそ とらのすけ 『ふウむ : : : 勝頼がな』 州虎之助の三人、パラ・ハラと幕屋の裾にあらわれて一大事を報告 ちんしめいもく 神した。 と秀吉も、これを聞くとしばらく沈思瞑目していたが、やが て重く、 しかも、ふしぎな事件である。 『はかならぬ徳川どののおたのみ、聞いてあげずばなるまい いま、ふいにこの陣屋へ徳川家の武士五人がおとずれてき かしら た、というのである。五人の頭は、徳川家のうちでも、音にき承知いたしましたとごへんじをいたせ』 『はツ、お伝え申しまする』 こえた菊池半助。 ひらのさんじゅうろう と平野三十郎ひとりだけが立ってゆく。と、脇坂甚内、すぐ その半助のいうには、武田勝頼、ほか二人の従者が、すみそ こひ ころもあじろがさま に小膝をゆるがして、 めの衣に網代笠を目ぶかにかぶり、ひそかに、東海道からこの らくちゅう ついせき しよういん 京都へはいったので追跡してきたが、ついに、 この洛中で見う 『ご承引のうえは、それがしと虎之助どのとにて、四郎勝頼の - 一う しなったゆえ、羽柴どののご手勢でからめてもらいたいとのロありかをたしかめ引っとらえてまいりましようか』 じよう 上である。 『待て待て : ・・ : 』 めいもく こんな奇怪な話はない。 秀吉は、まだ瞑目をつづけていたが、はじめて、いつもの調 なまる たけだしろうかつより 武田四郎勝頼ーー・ 、すなわち、伊那丸の父なる大将は、去年子でいいのける。 ちくぜんのかみ 天正十年三月、織田徳川の連合軍にほろばされて、天目山の麓『やがてこの筑前守は伊勢の滝川攻めじゃ、この用意のなか、 ろうどう ではなばなしい討死をとげていること、天下の有名、だれあっ死んだ勝頼をさがしているひまな郎党はもたぬ』 『まッ て知らぬものはない。 じんない 。。しオ甚内は五体をしびらせておそれいった。 だのに、その勝頼が、すみそめの衣をきて、京都こよ、つこ めんよう とは、なんとしても面妖である。 『じゃが、ひき、つけたことは抛ってもおけまい、この役目は一和 るそんべえ 『おまちがいないか』 田呂宋兵衛に申しつける。よいか』 らくちゅう と、虎之助が念をおした時、 『承知いたしました、すぐ洛中をくまなくただして、ご前へそ の者を召しつれます』 『断じて相違はござらん』 「やってみろ、そちには手ごろな尋ねものじゃ』 と、菊池半助が語をつよめていった。 けんない しかし、京都は徳川家の勢力圏内ではない。ぜひお手配をわ人使いの名人、顔を見たとたんに、もう呂宋兵衛をあそばせ ふもと こんがん たず わきざかじんない

3. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

ちんびん り、なお・ハタビヤ、ジャガタラなどの国々の珍品もたくさん持『な、なんじゃッ ? 』 こえ 『シッ : : : 大きな声をだすと、殿さまのおためにもなりません ちかえりましたので、殿のお目にいれ、お買いあげを得たいと ちまなこ たけだ、なまる 馬 ぜ。徳川家で、血眼になっている武田伊那丸、それをお売りも もうすので』 天 、っそ , っとい、つことなんで』 州『それは珍らしいものが数あろう』 おもて まいせつにゆうどう 神梅雪入道は、このごろしきりに、堺でそのような品をあつめ『む : : : 』入道はじッと郷士の面をみつめて、しばらく、その だいたん 大胆な押し売りにあきれていた。 ていたところ、思わず心をうごかしたらしい 『けっして、そちらにご不用なものではありますまい。武田の 『とにかく、 通してみろ。ただし一人であるぞ』 おんぞうし 御曹子を生けどって、徳川さまへさしだせば、一万石や二万石 『はい宀久臣は、さがっていく。 おんし上う の恩賞はあるにきまっています。先祖代々から禄をはんだ、武 入れちがって、そこへあんないされてきたのは、衣服、大小 ほろ りつば さむらい や、かつぶくも立派な侍、ただ色はあくまで黒い。目はおだ田家の亡びるのさえみすてて、徳川家へついたほどのあなただ から、よろこんで買ってくださるだろうと思って、あてにして やかとはいえない光である。 なみしま きた売物です』 『取りつぎのあった、浪島とはそちか』 ゆすり めどお ほとんど、強請にもひとしい口吻である。だのに、梅雪入道 『ヘッ、お目通りをたまわりまして、ありがとうぞんじます』 てう 『き、っそく、 ハタビヤ、ジャガタラの珍品などを、余に見せては顔いろをうしなって、この無礼者を手討ちにしようともしな もらいたいものであるな』 ふいちょう どんな身分であろうと、弱点をつかれると弱いものだ。穴山 『じつは、他家へ吹聴したくない、秘密な品もござりますゅ 梅雪入道は、事実、かれのいうとおり、ついこの間までは、武 え、願わくばお人払いをねがいまする』 だかつより という望みまでいれて、あとは二人の座敷となると梅雪はさ田勝頼の無二の者とたのまれていた武将であった。 それが、織田徳川連合軍の乱入とともに、まッ先に徳川家に らにまた急きだした。 しんげんいらいおんこ こうふうちい くだって、甲府討入りの手引きをしたのみか、信玄以来、恩顧 ロ。しかなるものじゃ』 『して、その秘密のロロとま、 のふかい武田一族の燧期を見すてて、自分だけの命と栄華をと りとめた武士である。 浪島という、郷士のまなこが、そのとき異様な光をおびて、 え っ S ・よく この利慾のふかい武士へ、伊那丸という餌をもって釣りにき 声の調子まで、ガラリと変った。 ばはんせんたつまき たのま、 レ化けているが、八幡船の竜巻 。いうまでもなく、武士 ' 『買ってもらいたいのは、ジャガタラの品物じゃありません。 りつば たけだびしもん このであった。 武田菱の紋をうった、立派な人間です。どうです、ご相談し りませんか』 せ かず こうふん えいカ たけ

4. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

とうし がしんしようたん 臥薪嘗胆の文字どおりに、伊那丸と一党の士が、ここ一年余 そ、そんな、さかさまごとがあるもんか』 - 一じよう と 、生命を賭してきずきあげた小太郎山の孤城。そのただ一つ 『ですけれど、竹童さん』少女のひとりがなぐさめ顔に、 とくがわけ はたじるし やまじ 「わたくしたちも泣きながら、七里の山路を歩いたのです。もの物から、再起の旗印を引きぬかれて、それに代る徳川家の指 うおよばないことですから、このうえ、悲しいことをいわない物が立ってからすでに半年。 天下は秋となった。 でくださいまし』 ふえふきがわ しようしよう らくく 落堤とした甲山の秋よ、蕭々とした笛吹川の秋よ。 つぎの少女が口をそえた。 てん・ヘん なまる 国ほろびて山河かわらずという。しかし、人の転変はあまり 『そのかわりに、あなたは体をしつかり癒して、伊那丸さまや じようか みんぶ に。なしたしいたとえば、いま甲府の城下を歩いて見ても、 民部さまに、、 太郎山の砦のしまつを、くわしくお告げしてく とくがわけい 逢うものはみな徳川系の武士ばかりだ。 れとおっしゃいました』 つつじ きんびようかごぎんあん 金鋲の駕、銀鞍の馬、躑躅ガ崎の館に出入りする者、誇りは 三番目の少女がっげた。 りゆ、つーりゆ・つ 『そして、みなさまの救いの手を、敵のなかで待っていますかれらの上にのみある。隆々と東から海八方へ覇翼をのばす レ」′、が、わ 2 朝 もん 徳川家の一門、その勢いのすばらしさったらない。 あしがる しかん ことづて 『おなじ武に仕官をするなら、足軽でも徳川家につけ』 竹童はもうそういう言伝などを、じッと、聞いていなかっ ろうにんなかま ほわぶし 当時、浪人仲間でそういったくらい た。どこか、骨節がつよく痛むのであろう、キッと口をゆがめ ン、ゴ ゴ ながら、松にすがって立ちあがった。 ひがん 彼岸にちかい秋の町を、鉦をたたいて歩く男があった。その 『あ、どこへ ? 』 こうふめしやまち ゴ 。しま、甲府塗師屋町の四ツかど ンとい、つき、ひしい亠日よ、、 『竹童さん、どこへ ? 』 のきした をでて、にぎやかで道のせまい盛り場の軒下をたどってくる。 『竹童さーーーん ! 』 れんげ かれの歩むにつれ彼の手から、紙でつくった桃色の蓮華の花 呼べどふり向きもしなかった。 おうらい 『ア、ア、あツ・ 片がひらひら往来へ散らばった。 れんげ その蓮華のあとを慕って、 旅と、不安そうに見おくる少女たちの視界をはなれて、途中か か 『おじさん、紙おくれよ』 つら、脱兎のごとく駈けてしまった。 キ - せキ一イ、キ - 変 肉体の生命が奇蹟的に無事だったかわりに、あの少年の精神『おじさんおくれよ』 の 『紙をよ、紙をよ』 者に狂気が与えられたのではないか ? 少女たちは虹の松原から 行 『紙をおくれよ、おじさん』 蔵めいめいの都へ帰った。 はつか と、こまツかい町の子供が、二十日ねすみのようについてあ 轗」っレ」 とりで しかい なお もの びら こうざん 、一・ルが いきお かね 、 - きたち はよく 367

5. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

わし 『ええいわぬことではないのに : : 』と苦りきりながら、望楼 とっさに、鷲をばたばたと舞いあげた。蛾次郎はそのするどい の段を踏みのばっていった。 翼にはたかれて、 るそんべえ かに - いぞうしよう 馬 そこには、宵のうちから、呂宋兵衛と、可児才蔵が床几をな しじゅう ふかん らべて、始終のようすを俯瞰している。 州と、四、五間さきの流れへはねとばされたが、夢中になっ るそんべえ およ 『呂宋兵衛さま』 神て、飛びあがり、及びもない両手をふって、 『おお、軍師』 『ゃーい、竹童、竹童』 うちじに 『又八は城外へでて討死いたしました』 と、泣き声まじりに呼びかけた。 ちゅう 『ウム : けれど、それに見向きもしない大鷲は、しずかに、宙へ舞い せんかい あがって、しばらく旋回していたが、やがて、ただ見る、一条と、呂宋兵衛は、自分にも非があるので、気まりわるげに沈 たいまっ ほのお んでいたが、 の流星か、焔をくわえた火食鳥のごとく、松明の光をのせて、 暗夜の空を一文字にかけり、いまや三角戦のまっ最中である人『おお、それはともかく あなじよう と、話をそらして、 穴城の真上まで飛んできた。 『伊那丸と徳川勢との勝敗はどうなったな。かすかに、矢さけ もよう びは聞えてくるが、この闇夜ゆえさらにいくさの模様が知れ ぬ』 『いまはちょうど、双方必死の最中かと心得ます』 『そうか、いくら伊那丸でも、三千からの三河武士にとりかこ まれては、一たまりもあるまい』 ものみ 『ところが、斥候の者のしらせによると、にわかに四、五百の かめいむさしのかみ かくし部隊があらわれて、亀井武蔵守をはじめ、徳川勢をさん ざんに悩めているとのことでござる』 かちめ とどろきまたはち 『ふむ : : : とすると、勝目はどっちに多いであろうか』 軍令をやぶって抜けがけした轟又八が、伊那丸がたのはか 『むろん、最後は、徳川勢が凱歌をあげるでござりましよう りごとにおちて、ついに首をあげられてしまったと聞き、人穴 そそう 城のものは、すツかり気を沮喪させて、また城門を固めなおが』 たかみ 『さすれば、こっちは高見の見物、伊那丸の首は、三河勢が槍 にわしようせん ちゅうしん 敗走の手下から、その注進をうけた丹羽昌仙は、 玉にあげてくれるわけだな』 ちくどう こけっ 虎穴に入る鞍馬の竹童 ひくいどり くらま ひと そうほう ぼうろう 160

6. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

ナんそう いる加賀見忍剣の前へつかっかと寄っていった。 徳川へわたせと喞騒した。 しんかん ばん わ 神官は、だんじて、それをこばんで、 常には、一飯一衣を分けあって起き伏しする友であるが、い S ・ようち しんけい とがにん みたけしんじよう 「科人はご神刑にかけます。ご領地のできごとなら知らぬこ まは、御岳の神繩をかりて捕りおさえにきた小幡民部。 ばっ しんばく とがにんとうざん なわ と、ご神縛の科人は当山のならいによって罰します』 その繩を右手につかんで、 たいきよめい そして、一同に退去を命じた。 『刃剣』 だいこうえ としずかに呼びかけた。 血をながした以上、大講会の中止はやむをえないことだが、 そうぜん いわみのかみけらい 徳川家の武士や石見守の家来たちは、まだ騒然とむれて、そこ 五 を去らなかった。 しんかん 神官はまた、法によって、伊那丸や民部や、竜太郎やすべ 忍剣は、ハッとしたようすで、 こりどうらっ きんしん て、忍剣と道づれである者を六人とも、垢離堂に拉して、謹慎 『おう、民部どのか』 めい おきて すべきように命じた。これも、掟とあればいなむことができな と、炎のような息をついた。 そんけい せんごく およそ、戦国の世には、神はど尊敬されたものはな 『伊那丸君のおいいつけを受けて、若君の代りとしてまいった しん とがもの く、神のカ、神の法はど、うごかすことのできないものと、信 小幡民部だ。神の掟をやぶった科者、すみやかにご神縛につけ じられたものはなかった。。 とんな合戦も、一枚の野の第 し ほ - 一おみ 1 げんか 言下に、ガランと地を掘って、かれの足もとへ血みどろの鉄紙で、矛を収めることができた。神をなかだちにして誓えば、 じよう 大坂城の濠さえうずめた。 杖が投げだされた しんもんけつばん 町人ですら、神文血判は、命以上のものだった。 そして忍剣は、すなおに、うしろへ手をまわして、 けいしん ぶもん まして、武門の人は、ぜったいに、神に服し、敬神を心とし 『民部どの、ご心配をかけました。いざ : ていた。 と、大地へ坐りこんだ。 こりどうかんきん あらなわ れんるい しめ 注連のついた荒繩がギリギリとかれの腕へまわされた。民部連累のものとして、伊那丸たちが、垢離堂に監禁されたのを 、むらい はこのあしたー 、ってやりたかったけれど、胸がい見ると、さすが、がやがやさわいでいた徳川家の侍たちも、 し力い ちしお いくぶんか気がすんだと見えて、死骸をかたづけ、血汐に砂を つばいで、かれにあたえることばを知らなかった。 毛 おくしゃ みたけしんかん だいこうえ 山 忍剣のからだは繩つきのまま、民部の手から、御岳の神官にまき、大講会につかった屋舎をこわして、夜の明けがたに、ひ 年 みたけ とりのこらず、御岳の山からおりてしまった。 千わたされた。 おおくばながやす はえ ふしゅび それと見ると、逃げまわっていた徳川家の者たちが、また蠅不首尾ながら、翌日は、大久保長安はふもとの町から甲府へ あつま さっしようざいにん ようれっした しんかん のように集って神官を取りまき、忍剣をわたせ、殺傷の罪人をかえる行列を仕立てた。 こばたみんぶ ほのお ぎみ おきて なわ と わかみ ふ こばたみんぶ しんばく てつ いのち - 一うふ

7. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

すその 要、つ その時、はるか南裾野にあって、ばう と鳴りひ『けなげなご一言、われらも、斬って斬って斬りまくろう』 とおね にんけん じんがね と、忍剣もいさみたったが、かえりみれば、前後に、この強 びいてきた法螺の遠音、また陣鐘。 ぐんびよう みわたせば、、 しつのまにやら、徳川三千の軍兵は、裾野半円敵をうけながら、伊那丸のまわりにのこった人数は、わずかに えんえん たいまっ を遠巻にして、焔々たる松明をつらね、本格の陣法くずさず、 四十五、六人 そくかくよくそな 一鼓六足、鷓翼の備えをじりじりと、ここに詰めているよう す。 るそんべえ また、人穴城では、い まの敗北をいかった呂宋兵衛がこんど ばうろう はみずから望楼をくだり、さらに精鋭の野武士千人をすぐって あらし 、一つとう 嵐のごとく殺到した。 ひゅッ ! ひゅッ ! やばしり と早くも、闇をうなってきた矢走から見ても、徳川勢の先 手、亀武蔵守、藤清成、柾ル甲守の軍兵は、ほど遠か しよう - 一 らぬところまで押しよせてきたものとおもわれる、その証拠に あま ちくどう ものみ がじろう ふんかざん は、伊那丸の陣した、雨ガ岳のうえから噴火山のような火の手竹童にたのまれて、人穴城附近の斥候にでかけた蛾次郎は、 かあがった。 どうやら戦がはじまりだしたようすなので、草むらをざわざわ みかわぜい 三河勢が火をかけたのである。 かきわけてもどってくると、とある小道で、向こうからくる一 ぼんてんだい その火明りで、梵天台にみちている兵も見えた。まぢかの川人の男のかげを見つけた。 を乗りわたしてくる軍馬も見えはじめた。裾野はタ焼けのよう 『ア。あいつは雨ガ岳のほうからきたらしい、あいつに聞け に赤くなった。 ば、伊那丸がたの、くわしい様子がわかるだろう : 『若君、いよいよご最期とおばしめせ』 道ばたに腰かけて、先からくるのを待っている。 ト幡民部が、天をあおいでこういった。 ビタ、ビタ、ビタ : : : 足音はちかづいてきたが、星明りぐら いでは、それが百姓だか侍だか判じがっかないけれど、蛾次郎 隊『覚悟はいたしておる。わしはうれしい、わしはうれしい ! 』 「おお、うれしいとおっしゃいまするか』 は、ひょいと前へ立ちあらわれて、 「野武士づれの呂宋兵衛をあいてに討死するより、ただ一太刀『もし、ちょっと、うかがいます』 おんてき でも、甲斐源氏の怨敵、徳川家の旗じるしのなかにきりいって と、頭をさげた。 死ぬこそ本望、うれしゅうなくて何とするぞ』 おおかたびつくりしたのだろう、あいてはしばらくだまっ かいげんじ さい - 一 ゅうれい 幽霊軍隊 くみ、 ぐんたい わ 5

8. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

すいしようは 『へ工、それはこまりましたナ』 急に間がわるそうな顔をして、でたらめな水品掘りの歌をやめ しわ てしまった。 とト斎、べしゃんこな鼻に皺をよせて、 すその やじりかじ 『わたくしは、もと富士の裾野におりました鏃鍛冶で、徳川さ その蛾次郎はともかくも、ド斎の風体人相、ひとくせありげ かちゅう いのべくまぞうがんろく まのご家中のお仕事をした者でございますから、なんとか、ひ に見えたので、伊部熊蔵は雁六に目くばせをして、 『オイ、待てまて』と呼びとめた。 とっ無事に通れるようなおはからいをしてくださいませんか』 たきよう ふり 『ウム、それはしてやってもよいが』 他郷に入って争いすべからず、利ある争いもかならす不利、 くまそう ことわざ てがた がんろく あんないき という諺は、むかしの案内記などにはかならず記してい と熊蔵が、手形を書いてやろうかと考えていると、雁六は、 へたまわしもの ましめてあることだ。まして、相手が悪そうだから、斎も悪およしなさい 、もし下手な諜者でもあって、裏をかかれると大 びれないで、 へんですぜーーーというような目まぜをした。 。し』とすなおに腰をかがめた。 『あ、いけないナ』 『どこへいくんだ、い とト斎は、その顔色で相手の肚を読みとおした。 じよみ - 、 「甲府へまいります』 で、こんどは如才なく、はなしの鉾先をかえて、なんでぶつ 『↓なにー ) に ? ・』 そうなのか、事情をさぐってみようと考えた。 しんじよう え、なんでございます : : : もしごっごうが悪ければ、わ 『ちかごろ、甲府のご新城は、代がかわって、たいそう暮らし よいといううわさを聞きましたので』 たくしにいたしましても、命が大事です。すこしあとへもどっ 『じゃあ、きさまは、武田家の時分よりは、 いまの徳川の御代て、どこか安全な百姓家にでも泊めてもらいますで』 しんみよう をありがたいと思ってゆくのか』 『ウム神妙なやった。なろうことなら、そうしたほうがおまえ えんこ 『さようでございます。昔からのご縁故で、わたくしは、どこでたちのためだろう』 りようち 『ですからお武家さま、失礼なことをうかがいますが、あなた もよいから、徳川さまのご領地に住みたいと願っております』 『ふウム : : : そ、つか : がたはいったいなんのために、こんなところで日が暮れるのに いのべくまぞう ン : つわ′、 と伊部熊蔵はわるい気持がしないようすだ。ド斎の目から見たむろをしていらっしやるんで ? : 見れば、なにか、当惑 やまめつけ だいみようぞく しイが、どこの大名に属している者かそうなご様子にも思われますが』 砦れば、この山目付らし、寺 『じつは、まことに少し当惑しておる』 うぐらいは、腰をかがめた時にわかりきっている。 しよくぎよう み″いゾ」、つ しん 『できることなら、ご相談し こ乗って進ぜようじやございません 『して、職業はなんだ ? じつは、この街道は、今日すこし 水ぶ 0 そうなことがあるから、さきへい「ても通してくれるかど か。見ればどなたもお若い方、およばずながらわたしの方が、 毒 、つかわからない』 年をとっているだけに、 いくらかその功がないこともございま み、むらい ふうていにんそう しる しよ、つや 345

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だいこうえさんか 『昨年はそうであったとうけたまわる』 涯の思い出ともいたしとう存じますゆえ、なにとそ大講会参加 とうし ろん 『陣法勝負などの場合は、やはり論議だけでございましようの一闘士として飛びいりおゆるしくださいますよう』 ねつがん と、熱願した。 カ』 - 一りどう あしがる しやくよう 『足軽何百人ずつを借用して、じっさいの陣あらそいになる場それは一同の希望で、ゆうべも月ノ宮の垢離堂で、血気の面 とうし 面がみな口をそろえていうには、自分たちも闘士として出場 合もある』 とくがわけしさい だいこうえ そうかん し、この秋の徳川家司宰のもとにおこなわれる大講会をして木 『壮 . 観で、一」ギ、りましよ、つな』 ばみじん という意気があがった。 ッ葉微塵にしてやろうではないか と、小文冶はわかわかしい目をした。 つうかい こみみ いなまる 『痛快だ ! 』 伊那丸はふたりの話を小耳にはさんで、 とうしゅう だい上うじ 『武田家の大行事を徳川家に踏襲されるよりは、この秋かぎり 『わしのおさないころは、なおさかんなものであった』 こんぜっ 根絶させろ』 と、とおい思い出を呼ぶ。 しんげんこうざいせい 『それこそわれわれの願うところ、ぜひとも試合にでる』 『さよ、つで 1 ざりましよ、つとも、信玄公ご・在世のころからくら おうこう がんしよく ひかく 『武をもって横行するやからの顔色をなくしてやろうそ』 べれば比較にならないと、町人たちもささやいております』 にんけんえりんじ 忍剣も恵林寺にいたころ、一年、その盛時を見たことがある『武田は亡びても人ほろびずと、天下に名乗りをあげることに ついおく もなる』 ので追憶がふかい。 . てつけっし と、やむにやまれぬ鉄血の士が、膝をまげて伊那丸にすが 『おもえばむねんしごくな ! 』 くちょう とっぜん、童太郎がこうふんした口調で、 みたけ いえ ! ようじ ぶぎよう たけだびし だが伊那丸はーー・ゅうべもいまも、 『お家の行事もいまは徳川に奉行されて、御岳の神前に武田菱 『ゆるす ! 』 の幕一はり見えませぬ』 ひと - 一と という一言を、かれらの熱望にたいしてよういにあたえない と、つよくいった。 めつじん かりにお家のかたちは滅尽するとも、ここに武田ので、 れいせい : だが、冷静にこうしてながめているのもおもしろかろ 人あることを知らせてくれたい』 おう と蔦之助もそれに応じる。 会 び・しよう と、微笑しているばかり。 講忍剣は伊那丸の前へズッとよって、なにかうごかぬ決意をし 大ながら、 柳に風である にくたいど きみ へいほうだいこうえ こしんげんこう ・法わかみ 『若君、昨夜もお願いいたしたとおり、兵法大講会は故信玄公君ながらお憎い態度 ! とひそかに思いうらまれる。 きようみ ようじ しよう こばたみんぶ 兵か ぶふう てんか が甲斐の武風をあくまで天下にしめされた行事、われわれが生また、小幡民部もあまり興味をもたない顔つきで、とりなし じんばうしようぶ ひととせ る。 ほろ 0 ひざ けつき 431

10. 吉川英治全集 別巻 第1巻 神州天馬侠

くだ かんさっ とくがわけ も、心ならず徳川家に降っていましたが、ささいなあやまちか 『おあんじなさいますな、ここに蓑と、わたくしの鑑札があり ん早、い ら、父は斬罪になってしまったのです。わたくしにとっては、 ます。お姿をつつんで、これをお持ちになれば大じようぶで 馬 うら はままつじよう 天怨みこそあれ、もう奉公する気のない浜松城をすてて、一日もす』 ・一き製・う - 一うふ わのきち たけだけ 州はやく、故郷の甲府にかえりたいと思っているまに、武田家子之吉は、下からそれを渡すと、岸をついて、ふたたび、筏 おだとくがわ どぶんとそこ 神は、織田徳川のためにほろばされ、いるも敵地、かえるも敵地を濠のなかほどへすすめていったが、にわかに なまる というはめになってしまいました。ところへ、ゆうべ、伊那丸から水けむりが立った。 さまがっかまってきたという城内のうわさです。びつくりし 『ややッ』と、岸の二人はおどろいて手をあげたが、もうなん て、お家の不運をなげいていました。けれど、今宵のさわぎに ともすることもできなかった。 ねのきち いかだ は、てつきりお逃げあそばすだろうと、水門のかげへ筏をしの 子之吉は、筏をはなすと同時に、脇差をぬいて、見事にわが のどぶえ ばして、お待ちもうしていたのです』 喉笛をかッ切ったまま、濠のなかへ身を沈めてしまったのであ ねのきち とくがわけ - 一しゅ 『ああ、天の助けだ。子之吉ともうす者、心からお礼をいいまる。後日に、徳川家の手にたおれるよりは、故主の若君のまえ ほうおん もりねのきち で、報恩の一死をいさぎよくささげたほうが、森子之吉の本望 あしがる と、伊那丸は、この至誠な若者を、いやしい足軽の子とさげであったのだ。 すんではみられなかった。い くとか、頭をさげて、礼をくりか いかだ、、 えした。そのまに、筏はどんと岸についた。 ねのきち 『さ、おあがりなさいませ』と子之吉は、葦の根をしつかり持 い力だ って、筏を食いよせながらいった。 『か 4 にド ) ↓丿よ、 レオし』と、ふたりが岸へ飛びあがると、 あ、お待ちください』とあわててとめた。 ねのきち めぐ 『子之吉、いっかはまたきッと巡りあうであろう』 『いえ、それより、どっちへお逃げなさるにしても、この濠端 かた を、右にいってはいけません、お城固めの旗本屋敷が多いなか いなまるりゅうたろうそとばり へ入ったら袋のねずみです。どこまでも、ここから、左へ左へ 伊那丸と竜太郎が外濠をわたって、脱出したのを、やがて知 せき はままつじよう おって とすすんで、入野の関をこえさえすれば、浜名湖の岸へでられった浜松城の武士たちは、にわかに、追手を組織して、入野の せき ます』 関へはしつこ。 と - りようめい 『や、ではこの先にも関所があるか』 ところが、すでに二刻もまえに、蓑をきた両名のものが、こ いりの かいせんたつみこぶんじ 怪船と巽小文治 しカ广 みの わきざし みの いりの