さつばっ は諸国におこって絶えないであろう。人間はますます殺伐にるだろう。おう、おまえも早くゆくがいい、そして、まんいち しよう - 一 にんじようびふう てんこう なり、人情美風はすたれるだろう。なげかわしいが天行のめぐの用意に、これを証拠に持ちかえるがよかろう』 りあわせ、まことにぜひないわけである』 そういって、居士がかれにあたえたのは、さいぜん、燕作が がくいた と、空をあおいでそういった。 どこかへ投げすてた額板だった。 ゅうちょう ったのすけとおや ああ悠長な。 蔦之助の遠矢がけっして敗れたのではないと聞かされて、 こぶんじ 文治がことばをはさもうとすると、そこをまた、 文治はこおどりして、 ことづて 『伊那丸君にもよく言伝をしてくれよ。よいか、ますます自重『では、ごめんを』 げざん と、下山の道へ走りだした。 あそばすようにと』 『おお、せくなよ。せいてあとの不覚をとるなよ』 『は、、い得ました』 しらとーり しお 見送りながら、居士は白鳥の奥の院のほうへ風のごとく立ち しい機と、小文治が立ちかけると、 去った。 『あ、待て』 またか、 しばらくすると、草むらのなかから、 そう思わずにいられないで、 『ウーン : : : ア痛、アイテテテテ』 『さきをいそぎますゆえ、なにとぞ、このまま失礼ごめんくだ さいまし』 と腰をさすりながら起きあがった燕作が、夢のような顔をし と、そこに落ちている矢をひろって右手につかむと、居士てのこのこでてきた。 『どうしたんだろう ? おれはいっこ、 も、やっと腰をあげて、 ・しな ずれこの空がまッ あたりをみると、いっか夕暮れらしい色が、森や草にはって 『小文治、その品ばかりでは、いもとない、い りゅうけっそ たんはけ ゅうやけ こずえ 梢にすいてみえる空の色も、丹の刷毛でたたいたよう 赤にタ焼するころには、御岳の山も流血に染まるだろう。 しんもん まだらな紅に染まっている。 戈をうごかすなかれ、血をみるなかれの神文もとうていいまの じんしん 『あツ・ : ささささ、さア、大へん ! 』 人心には守られる気づかいがない。見ろーーー』 おおとりい たいざんちゅうふく はじかれたよ、つこ田 5 し . いだして、大鳥居の上を見ると、南無 手をあげた居士の指が、そこから対山の中腹をゆびさした。 きようう・れ物、つき 三、そこに立っていた矢はすでにぬき取られてあるではない 『あれを見ろ、小文治。みだれた凶雲と殺気にみなぎってい ら へいほうだいこうえ 『ちえツ、出しぬかれたそ、小文治のやつに』 く『では、兵法大講会の第二日も、いよいよ無事にはおさまりま せぬか』 わくわくと自分の腰に手をやってみる。 神 こんせき おび 『おそらく、三日目を待たず、今タかぎりでめちやめちゃにな さいぜん、帯へさした、蔦之助の矢はたしかにあった。 しょ - 一く み た みたけ しつれい じちょう ゃぶ ふかく いん えんさく イ 77
神州天馬快 『な、なんといわるる ! 』 がくぜん 四人は、愕然として空を見あげた。 『咲耶子どの、その呂宋兵衛は、ただいま小文治どのがこれに て生けどりました。それはなにかの人ちがいであろう』 『いえいえ、たしかにあれへ登ってゆくのこそ、呂宋兵衛にそ せむい ういありませぬ。オオ、施無畏寺の境内へかくれようとして様 子をうかがっておりまする、もう、わたしもこうしてはおられ ませぬ』 しらかばこずえ 咲耶子は、笛を帯にたばさんで、スルスルと白樺の梢から下 てがら りてしまっこ。 山県蔦之助も、さっきの笛合図と、小文治の手柄名乗りをき いて、弓組のなかから一散にそこへ駈けつけてきた。 「や、ことによると此奴も ? とうゆう でかした小文治ーーーと、党友の功をよろこびつつ、忍剣も童 忍剣は、さっき空井戸で打ちころした影武者を思いおこし えり 太郎も、声のするほうへとんでいってみると、いましも小文治て、黒衣の襟がみをグイとっかんだ。と同時に、その顔をのぞ きこんで竜太郎も、おもわず声をはずませて、 は、黒衣の大男を組みふせて、あたりの藤蔓でギリギリとしば ばんじん - 一うもうへきどう りあげているところだ。 『はてな、呂宋兵衛は蛮人の血をまぜた、紅毛碧瞳の男である みごと おお、見事やったな』 はずだが、こりや、似ても似つかぬただの野武士だ、ウーム、 蔦之助と竜太郎があおぐように褒めそやす。忍剣はちょっとさてはおのれ、影武者であったな』 ざんねんがって、 『ええ、ざんねんッ』 どきしんとう たつみ 『どうも今日は、よく小文治どのに先陣をしてやられる日だわ 怒気心頭にもえた巽小文治、朱柄の槍をとって、一閃に突き とう てがら ころし、いまあげた手柄名乗りの手まえにも、当の本人を引っ がけ と、うれしいなかにまだ腕をさすっている。 とらえずになるものかと、無二無三に崖上へのばりかえした。 しらかば しじゅう すると、白樺のこずえの上にあって、始終をながめていた咲 一足さきに、白樺を下りて、追いすがった咲耶子は、いまし 耶す か、にわかに優しい声をはって、 も権無寺の境内へ、ツウとかくれこんでい「た黒衣のかげを つけて、 『あれあれ、蔦之助さま、忍剣さま ! 上の手うすに乗じて、 和田呂宋兵衛が逃げのばりましたぞ、はやくお手配なされま 『呂宋兵衛、呂宋兵衛ーー』 と二声よんだ。 やまがたったのすけ るそん・ヘえ レ」、つ 多宝塔 た ふじづる あかえ せん ノ 86
暮れてしまった。 『む、して先生はおいでであろうな』 ほたるび ひなわゆいっ たいりゅう 麓でもらった、螢火はどの火繩を唯一のたよりに振って、う 『このあいだから、お客さまがご滞留なので、この頃は、ずつ 4 馬 むかでばら そうえん 天わばみの歯のような、岩壁をつたい、百足腹、鬼すべりなどとと荘園においでなさいます』 せっしゃ ナいう嶮路をよじ登ってくる。 『そうか。じつは拙者の道づれも、足をいためたご様子だ。お めんもう 神おりから初秋とはいえ、山の寒さはまた格別、それに一面朦まえの鹿をかしてあげてくれないか』 ろう ひなわ 『アアこのお方ですか、おやすいことです』 朧として、ふかい霧が山をつつんでいるので、いっか火繩もし いわっぱめ めって、消えてしまった。 竹童はロ笛を鳴らしながら、鹿をおきずてにして、岩燕のご け、りゆス′ こぶんじ 「小文治どの、お気をつけなされよ、よろしいか』 とく、渓流をとびこえてゆくと、猿の大群も、ロ笛について、 ワラワラとふかい霧の中へかげを消してしまった。 『大丈夫、ご心配はいりません』 あらなみ ふくいく とはしったか、小文治も、海ならどんな荒浪にも恐れぬが、 鹿の背をかりて、しばらくたどってくると、小文治は馥郁た あかえ っえ かおり せんきよう 山にはなれないので、れいの朱柄の槍を杖にして、足をひきずる香に、仙境へでもきたような心地がした。 だんまが そうじようがたに りひきずりついていった。千段曲りという坂道をやっとおりる 『やっと僧正谷へまいりましたぞ』 やましば と童太郎が指さすところを見ると、そこは山芝の平地で、甘 と、白い霧がムクムクわきあがっている底に、ゴオーツとい、つ けいりゆ、つ いにおいをただよわせている果樹園には、なにかの実が熟れ、 すごい水音がする。渓流である。 『橋がないから、その槍をお貸しなさい。こうして、おたがい大きな芭蕉のかげには、竹を柱にしたゆかしい一軒の家が見え あか に槍の両端を握りあってゆけば、流されることはありません』て、ほんのりと、灯りがもれている。 あんしつ はくはつどうがんおきな りゅうたろう くだもの 竜太郎は山なれているので、先にかるがると、岩石へとびう 門からのそくと、庵室のなかには、白髪童顔の翁が、果物で そうはっ りつば だんがい 酒を酌みながら、総髪にゆった立派な武士とむかいあって、な つった。すると、小文治のうしろにあたる断崖から、ドドドド 0 ッとまっ黒なものが、むらがっておりてきた。 にかしきりに笑い興じている 『竜太郎、ただ今帰りました』 『や ? 』と小文治は身がまえて見ると、およそ五、六十びきの と彼が両手をついたうしろに、ト文治もひかえた。 山猿の大群である。そのなかに、十歳ぐらいな少年がただひと り、鹿の背にのって笑っている。 『なんじゃ ? おめおめと帰ってきおったと』 ちくどう かしん - 一じ おきな 『おお、そこへきたのは、竹童ではないか』 翁ーーそれは別人ならぬ果心居士だ。竜太郎の顔を見ると、 しか あかざっえ 岩の上から童太郎が声をかけると、鹿の背からおりた少年ふいと、かたわらの藜の杖をにぎりとって、立ちあがるが早い も、なれなれしくいった。 『竜太郎さま、ただいまお帰りでございましたか』 『ばかもの』ビシリと竜太郎の肩をうった。 ふもと けんろ しか かくべっ み
くすぶッてしまったところだ。見よ、さしも人穴の殿堂すべてでロをふきながら、ヒョイと、岩角へとび乗って、わざわざ蔦 かいじんき がんがん 灰燼に帰し、まるで鬼の黒焼、巌々たる岩ばかりがまっ黒にの之助のまとに立ってしまった。 こっている。 竜太郎はあわてて、うしろのほうへ馬首をめぐらし、 やけあと すると、さっきから、その焼跡を見まわっていた三騎のかげ『待てツ、味方だ ! 』 は、じよう もうも、つ が、廃鹹の門をまっしぐらに駈けだした。そして濛々たる野火『竹童だ、うつな ! 』 きんめいせん ぜっきよう の煙をくぐりながら、金明泉のちかくまできたとき、さきにき 小文治も絶叫した。 やまがたったのすけ つるな た山県蔦之助が、ふいに、ビタッと駒をとめて、 力、間にあわなかった。ブツン ! とたかい弦鳴りがもう彼 『や ? ご両所、しばらく待ってくれ』 方でしてしまった。 たつみこぶんじ こがくれりゅうたろう たか と、あとからきた二騎ーー巽小文治と木隠童太郎へ、手をふ躰手は名人、矢は鷹の石打ち、ヒ = ーツと風をふくんで飛ん わら って押しとどめた。 だかと思うと、狙いはあやまたず彼の胸板へ んとう るそんべえ まっげ 『おお、蔦之助どの、呂宋兵衛の残党でもおったのか』 あっけらかんと口をふいていた竹童、睫毛の先にキラリッと やじり と首をすくめて右手すば 『いや、よくはわからぬが、あの泉のほとりに、なにやら怪し鏃の光を感じたせつなに、ヒョイ いなずま いやつがいる。いま、拙者が遠矢をかけて追いたてるから、 やく稲妻つかみに、名人の矢をにぎり止めてしまった。 かんてい あとは斬るとも生けどるとも、おのおのの鑑定しだいにしてく 『竹童、みごと』 れ』 矢にもおどろいたし、褒め声にもおどろいた竹童、竜太郎と 『ウム、心得た』 小文治のすがたを見つけて、 きんめいせん おとな といった返辞よりは、童太郎と小文治、金明泉へむかって馬『木隠さま。大人のくせにして、よくないいたずらをなさいま を飛ばしていたほうがはやかった。 すね』 蔦之助は、鷹の石打ちの矢を一本とって、弓弦につがえ、馬 と、ニッコリ入った。 わるみ、 上、横がまえにキラキラと引きしばる。 『いや竹童、いまのは木隠どのの悪戯ではない。むこうにいる ちょう しゅんめこうう かんにん 小一町は、駿馬項羽で一足とび、 山県氏の見そこないだから、まあ堪忍してやるがよい』 『やツ、しまった ! 』 小文治がいいわけしていると、蔦之助も遠くから、この様子 いまためとも 争 と、そこまできて童太郎はびつくりした。なぜといえば、、 を見てかけてきた。そして、今為朝ともいわれた自分の矢を、 の さみ、むら 月 ましも金明泉のほとりから、笹叢をガサガサ分けてでてきたのつかみとるとは、末おそろしい子だという。 日 くらま だいじだいじ 術は、呂宋兵衛の残党どころか、大切な大切な鞍馬の竹童。 けれど当の竹童には、末おそろしくもなんともない。 こんな たんれん 竹童はなんにも知らない。金明泉の水でも飲んできたか、袖鍛練は、果心居士のそばにおれば、のべっ幕なしにためされて へんじ たか ゅづる そで なた あ
横木へわたろうと考えた。 にどこか近いぬけ道をまわっていったな』 いわゆる、負けた者のくそ落ち着きではないけれど、小文治 いまわしが降りてゆくから、くるにはおよばんよ。そこ とおが しようはいてんい もこうなるうえは、この遠駆けの勝敗を天意にまかせるよりほで待っているがいし』 『や ? かはないとかんねんをきめた。 ぜんのうぜんりよくせいとう 全能全力を正当につくしてみて、それでも敗れれば、まこと耳のせいではない。 つみしゃ ぜひ に是非のないわけだ。男らしく、一党の人の前へでて、罪を謝だれだろう、何者だろう、この白鳥の峰でなれなれしく話し するよりほかにみちはない。 かける人間は ? こだち あん かれの目はしきりにうごいて、うしろの樹立をすかしたり暗 と、覚悟をきめてしまったので、かれもぞんがい元気をたも りよくけいだし っていた。 緑な境内を見まわしたりしたが、ついに、そこからなにものも ただ、さいぜんから明らか そこで、しずかに、持ちかえる矢をさがすと、蔦之助の矢は見いだすことはできなかった。 おおとりい がくぶちさ 見あたらないで、大鳥居の額縁に刺さっている加賀爪伝内の矢に知っていて、べつに気にも止めなかったのは、鳥居の横木に はいいろ が目にとまった。 うずくまっている一羽の灰色の鳥だった。 がくぶち かれはハタとと、つわくして、 ところが、かれの鼻のさきへ、上から額縁の矢が抜けて、ポ ひとみ ーンと落ちてきたので、眸をこめて見なおすと、その灰色のか 『どうしてあれを取ろうか』 げが鳥ではないのがはじめてわかった。 と腕をくんで考えた。 とり、 もく 衣のような物をきている人間だ。鳥居の横木に腰をおろし、 一ばうを見ると、そこにすばらしく大きい椋の大木がある。 その高い稍の一端がちょうど、鳥居の横木にかかっているの杖のようなものを持っているあんばい で、 矢を落として、するすると横木の端へはいだしてきた。 ひげあご 『そうだ』 銀のような髯が頤からたれて風をうけているのが、そのとき あお むく こずえ 駆け寄ってそれへよじのばろうとすると、 冫し一からもありありと仰がれた。老人はやがて椋の梢にす くも 『小文治、小文治』 がって、蜘蛛がさがるようにスルスルとおりてきた。 かしんこじ ず 不意に、。 とこかで自分を呼ぶものがある。 『あツ、あなたは果心居士先生』 ら - あいみ . が、どこを見まわしても、人らしいかげはあたりの欝蒼『小文治、ひさしく相見なかったの』 にも見えないのである。 『どうして、あんなところに』 欺 は『耳のせいか ? 』 『まあよい、そこへすわれ』 むくみき すわって話しこむどころの場合ではないが、ついそここしば かれはそう思った。ふたたび椋の幹にだきついて、大鳥居の かく′一 こずえ ま たん とりし とう ゃぶ おおとりい うっそう っえ ・一ろも しらとりみね とりー イ 69
『ーーそれと、さいぜん、勝負あずけとなっている遠矢のあた 『まるで、山を舟で越えようというのとおなじ無謀な沙汰だ』 『しかし、あいつ、おそろしく自信のあるような顔をしているりの証拠を持ちかえってもらいたい』 馬 『ようがす、じゃ、あっしは、あの額のふちを引ッばずして持っ 天な』 けんとう 州『ふうていもかわっている、杣か、野武士か、百姓か、見当てくりやいいんだ。そして、相手方より一足でも早く、この試 あいじよう けんしようしようぎ あおさい 合場へ持ってきて、それを検証の床几のおかたに手渡しすりや 神のつかぬような青二才だ』 : なアんだぞうさ あ勝ちというわけなんでございましよう。 『なにしろ、どう敗けるか、その敗けぶりをみてやろう』 す あくひょう こぶんじ もねえ、それならとちゅうで、さんざん煙草を吸って帰ってこ 小文治の耳にも、こんな悪評が、チラチラ耳に入らぬでもな もくしよう られまさ』 かった。けれど、かれは黙笑している。うすら笑いをすると、 うわちょうし と、浮ッ調子な町人ことばで、おそろしく大言をはいた。 その頬には、ちいさな笑くばができて、愛らしい若者だった。 小文治は、そら耳で聞きながら、一つかみ草をとって馬に飼 いながら、ニコニコ笑っていた だんな 一方。 『旦那、支度はまだですか』 これはまた、おそろしく雲の上でも飛びそうなすがたででて燕作の足は、もう、やたらにビグ。ヒクしてきたふう。 えんさく 『おお、よいそ』 きたのは、早足の燕作。 しんめくさなくら たつみ というと、巽小文治、ひらりと神馬草薙の鞍つばにかるく飛 『ゃあ、くろ、つさま』 ちょうにん びのった。 小文治のすがたを見ると、町人らしく、腰をまげた。 め、、き ちょっと、いままでの試合と目先がかわったので、見物はよ『待った ! 』 めつけ と、目付の人々はあわてて、そこから合図の手をあげると、 ろこんだ。大きな弥次のこえが、高い樹の上ではりあげてい みなが る。 ドウ ンと三流れの太鼓が鳴りこむ。 なお、いざ ? というのはまだである。 『お役人さま、念のために、よくうかがっておきますがね』 み、ゆう みいろほろむしゃ と、燕作は、よくしゃべる。 太鼓は三色の母衣武者が、試合場の左右から正面へむかって がんもく 『なんでござんしようか この遠駆けの勝負の眼目は、つまかけだす報らせだった。そこには、矢来と二重に結いまわされ ぐんしゅう しらとりみねおおとりい とおや り、あの白鳥の峰の大鳥居までい 0 て、さっきの遠矢を、一本た柵がある。柵の周囲の群集を追いはらうと、そこのひろい城 みたけさんどう もんじ 戸が八文字にあいて、御岳山道の正面のみちが、試合場からズ ずつ持って帰ってくりゃあよろしいンですね』 『そ、つじゃ』 ッとゆきぬけに口をあいた形になる。 ひあし とき しあいめつけそうほう 刻、すでに七刻ごろの陽脚。 と、試合目付が双方へくわしく説明した。 ほお ま え ま とおが ひやくしよう さた しようこ したく ななっ しようぶ とおや し 46 イ
てる気力もなく、なにかわけのわからないことを叫びつづけすまい』 くじよう ひきような苦情である。 ほうゆう なんくせ 小文治一番ーーと聞いて色めき立ったのは、かれの朋友たち負けたがゆえに理のないところへ理をつけた難癖である。 ぶもんちり だき で、 かりにも、武門の塵をはいて行われた試合のうえに唾棄すべ やくそく 『それ、このうえは、約束のとおり一火どのから咲耶子を申しききたない心がけだ。 どき めんじよう 、つけ・、よ , っ』 忍剣や竜太郎の面上には、みるまに、青い怒気がのばった。 ったのすけ しんばんしようぎ ぜんじよう かいとう ながやすほそくび と、忍剣をはじめ童太郎に蔦之助や竹童などが、審判の床几その禅杖、その戒刀は、いまにも長安の細首へ飛びかかろう かねまきいっか きくちはんすけ るそん にいる鐘巻一火のところへかけ集まってくると、いちじ色をう としているふうだったが、かれの周囲にも、菊池半助や、呂宋 いわみのかみ しなった徳川家のほうからも、大久保石見守、菊池半助、鼻か兵衛が、眼をくばって護っている。 るそんべえ かねまきいっか ドッと けト斎、和田呂宋兵衛。そのほかおびただしい人数が ただ、こまったのは鐘巻一火である。 そうほう いたー癶、 しょち 流れだしてきて、 かれは双方の板挾みとなって、この場合をどう処置していし けんしよういっか のか、ほとんど、とうわくしてしまった。 『検証の一火どの、軍配がちがうぞ』 ひ くちびる と抗議をもちこんだ。 それを是とするか非とするか、自分の唇をでる、ただ一句 こうへ きようじん みたけしんぜん 一火は公平なたいどで、 で、どんな兇刃がものの弾みで御岳の神前を血の海としないか せっしやけんしよう ぎりもない。 『なんで拙者の検証がちがうといわれるか』 色をなして突ッ立った。 『、つーむ。これはど , っしたものか』 り・つほら′ されば石見守は一火の左の手につかんでいる矢をさして、 両方のあいだに立って、かれがとうわくの腕ぐみをかたくむ 『それはだれが持ちかえった矢であるか』 すんだ時、 『これは小文治どの。またこちらは燕作の持ってきた矢である 『いや、しばらく』 じあ、 が、それがどうかしたといわれるので』 一党の人々を押しなだめて、それへでてきたのは遠駆け試合 とおが しようぶ たつみこぶんじ 『ちがう。この遠駆けは勝負なしじゃ』 の当の本人である巽小文治。 ら 『なぜ ? 』 黒々とひとくせある顔をならべた先ばうの者をずッと見まわ 『小文治は蔦之助の矢を取ってかえるべきがとうぜん、また燕して、 でんない 、、つほら′ はままつじよう しようはい 作は、伝内の矢を持ちかえらねばならぬはずじゃ。それを双方『 いかに浜松城の武士ども、たとえ、いまの遠駆けを勝敗 こころえ 心得ちがいをして、かくべつべつに取りちがえてきた以上、こ無しとしたところで、もう咲耶子はこっちへもらいうけたそ。 神とおが の遠駆け試合は、やりなおしか、互角とするよりほかはありま人はあざむき得るとも、神はあざむくべからず、疑わしくば首 ぐんばい ひとかず * 、くや - 一 と、フ はず うたが とおが とおが
馬をすすめていった。 と見かえして、そういうが早いか、燕作のからだは、岩に着 がむしゃ もの さわ みずべ が、そこには我武者にかけとばしても、たちまちまた一つの物をきせてころがしたように、そこから沢の下の水辺まで一 馬 天難関があった。なんの沢というか知らないが、おそろしく急なきにザザザザザとかけおりてしまった。 けいりゆ、つ 州傾斜で、その下には幅のひろい渓流がまッ白な泡をたてて流れ 神ている。 こぶんじ え まよった。 ト文治はまよわざるを得なかった。 もうまよっている場合ではない。 かく 1 一 手綱にそうとう要意と覚悟をもてば、自分とて、こんなとこ 小文治は馬をすてた。 きようばくたづな ろを乗り落とすことができないではないが、帰る場合にどうし あたりの喬木へ手綱をくくりつけておいて、燕作のあとか ひちょう し玉、つ ? ・ ら、これも飛鳥のように沢へおりた。 けいしゃ お けいりゆ・ ( ′ たいがん ほかに登る道があれよ、、、、、、 。しし力ないとすると、この傾斜で降りてみると燕作はもう渓流の岩をとんで、ひらりと対岸へ は、馬を乗りあげることがむずかしい。それに、下に見える湜あが 0 ている。小文治が河の向こうへ渡りついた時には、やは りゅう きよ - 流もはたして騎馬で越せるかどうか ? り同じ距離だけをさきへのばして、こんどはスタスタと登りに つ、 ) 0 『ウーム、さては大久保をはじめ徳川家のやつばらめ、あらか じめ地の理をしらべておいて、うまうまと最後の勝負でこっち 『お、白鳥の山へかかってきたのだな』 に一ばい食わせたのだ。 : はてざんねんなわけ、・ とうしてや かれは気が気ではなかった。 「つ、つか』 まだ一里も二里もさきがある勝負なら、なんとかそれだけの めいばくさな i•j きょ . り と、名馬草薙の足もそこよりは進みえずに、手綱をむなしく距離を取りかえすことができようが、たしかここから十二、三 ちゅうふく おおとりい して、馬上にばうぜんと考えこんでしまっていると、そこへ飛町のばった中腹がれいの大鳥居だ。 えんさく すちょうにん んできた早足の燕作が、 『おのれ、燕作ごとき素町人におくれをとって一党の人々に顔 『ああ、やっと追いついた』と、ふりかえって、 向けがなろうか』 たいし ~ うしつれい はやが 『おい大将、失礼だけれど、お先へごめんこうむりますぜ』 早駆けとはい、 し条、ことここに立ちいたってみれば、武莞以 しり けいしやがけ じようひっし 尻をたたくようなか 0 こうを見せて、びよんと、傾斜の崖ッ上の必死だ 0 た。いや、そんな意地よりも名誉心よりも、まん おう ぶちへかかった いち自分が敗れでもした時こま、、 。。しやでも応でも、咲耶子の身 「 ~ のツ』 を徳川家の手にわたさなければならない。 とう ぜんだく と、われにかえって歯がみをする小文治を、 いわば一党の人の然諾と咲耶子の運命とは二つながら、かか 『まあ、ごゆっくり』 0 て自分の双鳳にあるのだ。賺れてなるものか、おくれてなる なんかん けいしゃ たづな たづな あわ しようぶ ゃぶ じよう しようぶ とう 、、くや - 一
かがみにんけん とーーー、幕をはらって加賀見忍剣、 をまっている。 おん 『わが君』 で、御大将をはじめ軍師の民部も、咲耶子も、みな一家のご だんらん と声をかけた。 天とく団欒して、この冬をこし、初春をむかえたのであるが、た にんけん ちくどう 『おお忍剣、なんであるな』 州だ一人、人気者の竹童がいないのは、なにかにつけて、だれも 「ご講義ちゅうでござりますか』 神がさびしく感じていた ちくどう 『いや、兵学のっとめも、ちょうどおわったところじゃ』 竹童よ。竹童よ。お前はいったいどこにいるか ? やまがたたつみ きじん 『では、せんこく帰陣しました山県、巽の二人、すぐこれへ召 ああ、グロの行方がわからないように、竹童のたよりもいっ ち上う りゅうたろう こうわからない と、いまも童太郎が灰色の空をあおいで長入れましてもよろしゅうござりましようか』 ばんそっ とりでさく たん 『オオ、北国と徳川領へさぐりこ、 ししった二人のもの、日ごとに 嘆していると、・ハラ・ハラと、砦の柵の方から、ひとりの番卒が 帰りを待っていた。すぐここへ呼んでよかろう』 かけてきた。 こがくれ 『よッ 『木隠さま ! 加賀見さま ! 』 幕をおとして忍剣のすがたが消えると、やがてふたたびその 『なんじゃ』 ったのすけたつみこぶんじ 幕がはねあげられ、山県蔦之助と巽小文治、それに童太郎と 煙のかげから二人の声が一しょにおうじた。 なまる けん やまがた たつみこぶんじ 剣もつづいて、伊那丸の前へひざまずいた。 『ただいま、巽小文治さまと山県さまが、ふもとのほうからこ 『雪中の細作、さだめし難儀にあったであろう』 ちらへのばっておいでになります』 と伊那丸は、まず二人の使いをねぎらって、 『オオ、かえってきたか ! 』 まっこくすじ とりで かがり 『順序として、北国筋の動静をさきに聞きたい、ト 二人はすぐに篝をはなれて立ち、・ハラ・ハラと砦の一つの柵ま きぐりはど、フであった』 で迎えにかけだした。 儀をただして、小文治が復命する わし ここは大将の陣座とみえて、綺羅ではないが巨材をくんだ本「多宝塔のいただきから、たくみに鷲をつかって逃げうせまし えちぜんきたしようへ るそん・ヘえ たけだびしまく 丸づくり、おくには武田菱の幕がはりまわされ、そのうちにあた呂宋兵衛は、どうやら、越前北ノ庄を経て、京都へ入りこみ こばたみんぶ って、当の武田伊那丸は、いましも、軍師小幡民部から、呉子ましたような形跡にござります』 『ウーム、京都へ ! 』 の兵法図国編の講義をうけているところであった。 こばたみんぶ - 一おり 小幡民部がうなずいた。 そばには、咲耶子もいて、氷のような板敷にかしこまり両手 すその やじりかじ ひざ 『おりから、裾野にいた鏃鍛冶のド点も、柴田の家中へひきあ を膝において、つつしんで聞いている。 へいほうとこくへんこうぎ さくやこ じんざ ぐんし みんぶ さくやこ いたじき きょ早 - い 0 こぶんじ / 文治そちの 218
よわ ぐんりつ に、あるいは、軍律を破って、夜半の眠りをむさばっていたのがたで、 『あははははは、床下から戸まどいしてござったのは、さてこ ではないかとさえうたぐった。 ちん ばっか 『なぜ、かがり火を焚いておらぬ、この暗さで、いざとある場そ、伊那丸が幕下のおかたでござるな。なんにせよ、深夜の珍 きやく ふらちもの 客どの、お話もござりますゆえ、まずそれへおすわりくださ 合になんといたす。不埓者めが。はやく灯をつけい』 し』 『はい、ただ今すぐに明かるくいたします』 やじりかじ ようばう こわね へん いう声がらも容貌も、それは、まぎれもあらぬ鏃鍛冶の鼻か と答える者があったが、すこし声音が変である。調子がおか しわが 小文治は、部下の者のなかにこんな皺嗄れた声はなかったは ずと思って、きッとなりながら、 意外なおもいにうたれた忍剣と小文治の目は、つぎに部屋の 『何者だツ、そこにいるのは ! 』 なが なかを眺めまわした。 と、声あらく、どなりつけてみた。 いろいろやじりかたずめん ここは斎の書斎とみえて、兵書、武器、種々な鏃の型図面 にもかかわらず、相手は平気で、まだカチカチと闇のなか ちょうたねがしま ざった ひうちいしす などが雑多にちらかっており、なかにも一挺の種子島が、いま で、火打石を磨っている。 ひなわ 使ったばかりのように、火繩をそえて、彼のそばにおいてあっ 『名を申さんと突きころすぞツ、敵か、味方か ! 』 あかえ ビラリツーーー朱柄の槍の穂先がうごいて、闇のなかにねらい あまたけ すいさっ 『いかにもご推察のとおり、われわれはいま雨ガ岳を本陣とし すまされた。と、その槍先から、ポーツとうす明かるい灯がと はたもと ている、武田伊那丸さまの旗本でござるが、して、そこもとは もった。 なんびと 『わしは敵でもなければ味方でもない。そう申すおまえがたこ何人 ? またここは一体いずこでござりますか ? 』 しの ややあって、忍剣が、こうしたたした そ、深夜に床下から忍びこんできて、ひとの家へなにしにき すその 『ここは、やはり裾野の村、お二人が間道へはいられた蚕婆の やじりかじ かいこばばあ 家から、さよう、ざっと五、六町はなれた鏃鍛冶の小屋でござ 『やや、ここは蚕婆の家ではなかったのか あるじばくさい ばうぜん 客忍剣も小文治も、あまりのことに茫然としながら、そこに立る。すなわち、手前は主のト斎と申す者』 かぎよう やじりかじ 『ではそちも、鏃鍛冶とは世をあざむく稼業で、まことは蚕婆 珍った一人の人物を、そも何者かと、みつめなおした。 あんどん の いま灯した行燈を前にだして、しずかに席についたその男とおなじように、人穴城の目付をいたしておるのであろう どうふく 夜 は、するどい両眼に片鼻のそげた顔をもち、熊の毛皮の胴服 あざわら ざや 深 小文治が、グッと急所を押すと、ド斎は、ひややかに嘲笑っ に、刻み鞘の小太刀を前挾みとなし、どこかに、凄味のあるす きイ - すごみ 739