ひとみ 鏃師の鼻かけト斎といわれていた人物。 らんらんとした眸を射て、こなたのかげをすかしたものだ。 がじろう 蛾次郎はそのころかれの弟子であった。じつはまだはっきり ハッと思って、竹童は自分の顔に気がついた。 ひま とお暇もいただいてないのだから、ここで逢ったのはまずいと ト斎の鉄拳をくったせつなに、仮面は二つに割られてしまっ たたみ あざわら いうより運のつきだ。 た。・そして二つに割られた仮面が、畳の上に片目をあけて嘲笑 『南無三。とんでもねえやつが舞いこんできやがった。こいっ っている。 すその アどうもたまらねえ』 『なんでおいらの寝ているところをぶンなぐった。裾野にしオ やじりかじ と、 パタ・ハタと奥のほうへ逃げこんだので、八風斎の鼻かゆ 鏃鍛冶、顔は知っているが、怨みをうけるおばえはない』 ト斎は、さてこそ、秀吉のまわし者でもあろうかと邪推をまわ『ではなにか、今この方が宮内と話をしていたのを、ぬすみ聞 からかみ して、そこの唐紙を蹴たおすばかりな勢いーーー間髪をいれずに きしていたのは、きさまではなかったか』 あとを追いかけていった。 『それは向こうに寝ていた泣虫の蛾次郎だろう』 一足とびに二間ほど馳けぬけてくると、ド斎はなにか 『や ? 蛾次郎もここにおったかちツ、ちくしようめ』 とつまずい と、そのほうへ走りだそうとしたが、ト斎、なにをフト思い つか なおしたかにわかに大刀の柄をつかんでジリジリと竹童のほう ふとん といって、蒲団のなかから躍りだしたのは、尊の仮面をつけへよってきながら、 ちくどう て寝ていた竹童である。 『いやいや、たとえ怨みがあろうとなかろうと、ここへおれが せんぶく だがト斎は、その背かっこうの似ているところから、これこ潜伏しているということを知られた以上は、もうきさまも助け こわっぱ そ、奥へ逃げこんだ小童であろうと、拳をかためてなぐりつけ ておけない』 『なにツ』竹童も身がまえを直した。 ちくどうかわ はつぶうさい 寝ごみの不意をくったので、さすがの竹童も交すひまなく、 『秀吉の陣へ内通されれば、八風斎の運命にかかわる。気の毒 いのち グワンと血管の破れるような激痛をかんじてぶッ倒れたが、と だが生命はもらうそーーだめだだめだ ! 鞍馬の竹童ジリジリ はんにやまる あとず さっ旧 っさに枕元へおいて寝た、般若丸を抜きはらって、かれの足も ジリジリ二寸や三寸ずつ後退さりしても、八風斎の殺剣がのが 面とを颯ッと薙ぎつける。 すものか、立って逃げればうしろ袈裟へひと浴びせまいるそ、 仮『うむ』 ジッとしていろ、運が悪いとあきらめて、そのままそこ ふく こ、ノッとしていろ』 たとド斎一流の妖気みなぎる含み気合が、それをはねこえて壁 あおびかりわざもの れぎわへ身を貼りつけると、 スラリと青光の業物を抜い くらま 割 『オオ、なんじは鞍馬の竹童だな』 戦国時代の猛者が好んでさした、胴田貫の厚重ねという刀で やじりし - 一ぶし みことめん じやすい どうためきあつがさ 299
『、民部やある』 四 としきりに呼ぶ。 しょたいめん 『まッ 初対面のあいさつや、陣中の見舞いなどをのべおわっての おく 、とりいそいで、幕のなかへ姿をいれた小幡民部は、ふたたびち、八風斎は、れいの秘図をとりだし、主人勝家からの贈り物 しつか そこへ立ちもどってきて、 として、うやうやしく、伊那丸の膝下にささげた。 りようしょ 『よろこばれよご両所、にわかに若君が、八風斎に会ってやろ が、なぜか、伊那丸は、よろこぶ色はおろか、さらに見向き よい うとおおせだされた。御意のかわらぬうち、いそいで、彼をこ もしないで、にべなくそれをつツかえした。 こへ』 『ご好意はかたじけないが、さようなものは自分にとって欲し みやげ ゅうもない。持ちかえって、柴田どのへお土産となさるがまし です』 間もなく、上部八風斎はあなたの仮屋から、忍剣と小文治に ともなわれてそこへきた。迎えにたった民部は、そも、・どんな 『は、心得ぬ仰せをうけたまわります。主人勝家こそは、はる ようばう おんぞうし 人物かとかれを見るに、鼻かけ斎の名にそむかず、容貌こ かに御曹子のお身上をあんじている、無二のお味方、人穴城を ほくえっきようゆう そ、いたって醜いが、さすが北越の梟雄鬼柴田の腹心であり、 お手にいれたあかっきは、およばずながらよしみをつうじて、 かんろく うしろだて . よ かっ、攻城学の泰斗という貫禄が、どこかに光っている。 御若年のお行末を、後援したいとまで申しております。 じゅのう 『八風斎どの、それへおひかえなさい』 にとそ、おうたがいなくご受納のほどを』 制止の声とどうじに、く ノラ・ハラと陣屋のかげからあらわれた 『だまれ、八風斎 ! 』 槍組のさむらい、左右二列にわかれて立ちならぶ。 はツたと睨んだ伊那丸は、にわかにりんとなって、かれの胸 とーー武田菱のを打 0 たまえの陣幕が、キリリと、上〈しをすくませた。 なんじ あまて ばりあげられた。 いかに、汝が、懸河の弁をふるうとも、なんでそんな廿手に しよう、 見れば、正面の床几に、気だかさと、美しい成容をもった伊のろうぞ。この伊那丸に恩義を売りつけ、柴田が配下に立たせ なまる やまがたったのすけさくやこ はか 岳那丸、左右には、山県蔦之助と咲耶子が、やや頭をさげてひか よ , つ計りごとか、または、・後日に、人穴城を、フばお、つとい、つ汝 かんさく じゃくねん 雨えている。 らの奸策、この伊那丸は若年でも、そのくらいなことは、あき た『これは・ らかに読めている』 お と、槍ぶすまにもひるまぬ八風斎も、うたれたように平伏し うめきだした八風斎の顔は、見るまにまッさおになって、じ 死 まな - 一 っと、伊那丸を睨みかえして、眼もあやしく血走ってくる。 かんべ かりや 】か・つ、 - い へいふく ごじゃくねん おお けんがべん
がじろう 『えい、やかましいわい』 て、蛾次郎のかげを見すかしている。 『ア痛え、もう、もうけっして、飛びだしません、親方ア、こわ 『もしゃあなたは、雨ガ岳のほうから、やってきたのではござ かんにん 馬 れから、気をつけます。か、堪忍しておくんなさい : いませんか』 天 わんわんと手ばなしで泣きだした。もっとも、蛾次郎の泣虫 州『ああ、そうだよ』 神『あすこに陣どっている、武田伊那丸の兵は、もう山を下りなること、今にはじまったことではないから、その泣き声も、 かいしんい み たいして改心の意味をなさない。 ましたろうか、戦は、まだおッばじまりませんでしようかし 『・ハカ野郎、てめえに叱言などをいっていられるものか。こん ら』 どだけは、かんべんしてやるから、これをしよって、早くある 『知らないよ、そんなことは。お前はいったいなにものだ』 やじりかじ 『おれかい、おれはさ。もと鼻かけト斎という鏃鍛冶のとこに ししよう ひとなしむら いた、人無村の蛾次郎という者だが、どうもト斎という師匠と、今夜は八風斎の鼻かけト斎も、家にかえって落ちつくよ が、やかまし屋で気にくわないから、そこを飛びだして、今でうすもなく、書斎をかきまわして、大事な書類だけを、一包み かか だいだいみよう はあるところの大々名のお抱えさまだ』 にからげ、それを蛾次郎に背負わせて、夜逃げのように、立ち のいてしまった。 からす 『ア痛ツ。こんちくしよう、な、な、なんでおれをなぐりやが 門をでると、いま泣いた烏の蛾次、もうけろりとして、 る』 『親方、親方、こんな物をしよって、これからいったいどこへ でかけるんですえ』 『蛾次郎、いっ貴様にひまをくれた』 とききだした。 えちぜんきた 『いつ、このト斎が、暇をやると申したか』 『響ばかりで、この人無村では仕事ができないから、越前北ノ しよう 『あ、いけねえ ! 』 庄へ立ちかえるのだ』 どうり 蛾次郎が、くるくる舞いをして逃げだしたのも道理、それ『え、越前へ』 かんべはつぶうさい は、雨ガ岳からおりてきた当のト斎、すなわち上部八風斎であ蛾次郎はおどろいた。 『いやだなア』 ししぶ と、ロにはださないが、肚のなかでは、渋々した。せつか 『野郎 ! 』 、菊池半助が、ああやって、徳川家で出世の蔓をさがしてく ばらばらッと追いかけて、蛾次郎の襟がみをひつつかみ、足 ひとなしむらさいく れたのに、越前なンて雪国へなんかいくなんて、なんとつまら をはやめて、人無村の細工小屋へかえってきた。 ないことだと、また泣きだしたくなった。 ごめんなさい』 『親方、ごめんなさい、 ひま えり つる
と一声、待ちかまえていた独楽のつぶてを、パッとド斎の眉足音を聞きとめると同時に、 間へ投げつけた。 『、つぬッ』 馬 かせん ふんぜん 天すると、まっ赤な火独楽は、文字どおり、一条の火箭をえが 憤然として、その真ッ暗な部屋からかけだした。 うな ろうか 州いて、しかも、ビ、ツとおそろしい唸りを立て、鼻かけド斎の そして、いきなり廊下から、庭先へ降りようとして、やみの 神顔へ食いつくように飛んでいった。 なかにそれと見えた、沓脱石へ足をかけると、こよ、 。しかに、そ ふみいし 『おお、これはツ ? 』 れは庭の踏石ではなくて、ふわりとしたものが、足の裏にやわ と、おどろいた斎、斬りすべ 0 た厚重ねの太刀を持ちなおらかくグラついたかと思うと、 ちゅう かえんごま す間もなく、火の玉のように宙まわりをしてきた火焔独楽をガ 『ぎやッ』と、蛙のようにつぶれてしまった。 つば かなわ つば がじろう ッキと刀の鍔でうけたが、そのとたんに、独楽の金輪と鍔のあ それは、竹童より先ににげた泣虫の蛾次郎で、いま、床下へ ほたるか 1 一 いだから、まるで螢籠でもプチ砕いたような、青白い火花が、 もぐりこもうとしているところへ、ト斎の足音がしてきたの そうぜ試 まね 鏘然として八方へ散った。 で、そのまま、縁の下へ首をつつこんだなりに、石の真似をし 『、つつツ . ていたものらしい かんばっ ちくどう だいひょう と、ト斎が、片手で眼をふさいだ間髪に、竹童はいちはや あの勢いで、大兵な、ト斎に踏みつけられたのだから、蛾次郎 はんにやまる ろうか 般若丸の刀をひろ「て、パラバラッと廊下へでたが、それもギャッとい「て、びしゃんこにつぶれたのはも 0 ともだが。 きせきかえんごま と一しょに、奇蹟の火焔独楽、ポーンとはね返「て、竹童の手おどろいたのは、むしろそれへ足を乗せたト斎のほうで、ま 元へ舞いもどってきた。 さか、やわらかい石だとは、夢にも思わなかったはずみから、 いかにもふしぎな魔独楽のカよー よろよろとツンのめって、あやうく、向こうの梅の老木に頭を とあやしまれたがのちによく見れば、独楽の金輪の一端に ぶつけ、ふたたび、目から火のでるつらい思いをするところだ きんかん すうじようひも しんばう ほそい金環がついていて、その金環から数丈の紐が心棒にま、 てあるのだ。はねもどったのは、独楽それ自身の魔力ではな 「やツ・ ・ : おのれは蛾次郎だな』 ひもだんばっ く、竹童の帯に結んであ 0 た紐の弾撥。手元〈おどり返「てき気がつくとト斎は、いきなり蛾次郎のえりがみをつかんで、 たのは、とうぜんなのであった。 ウンと、そとへ引きずりだそうとした。 えん 蛾次郎は、半分もぐりこんだまま縁の下の土台にかじりつい て、 『ごめんなさい ! 親方、親方 ! 』 もぐら と土童のように、でようとしない。 竹童をとり逃がしてド点は、不意の燦光に目をいられて、一 時は、あたりがポーツとなってしまったが、廊下を走ってゆく あつがさ さん - 一う たち くつめいし 302
ちくどう ある。竹童ぐらいな細い首なら、三つや四つならべておいても 侠ゅう 優に斬れるだろうと思われるほどな。 馬 天そいつを抜いて、鼻かけド斎、ダラリと右手にさげたのであ 州る。そして、 神『ジッとしていろ ! 』 とおそろしい威迫を感じる声で、ズカリとくるなり足をあげ はんにやまる て、般若丸を構えていた竹童の小手を横に蹴った。しかも、そ はんにやまる の足力がまたすばらしい、あッというと、般若丸はかれの手を もろくはなれて、ガラリと向こうへ飛ばされてしまった。 しずたけ てきえ、 『これでおれの力量はわかったろう、じたばたするなよ、とて賤ガ岳の総くずれから、敵営、秀吉方の目をかすめて、やっ ちくぶじま もむだだ。 ジッとしていろ ! ジッとしていろ ! 痛くなと世をはなれた竹生島に、旧知の菊村宮内をたよってきた かんべ しように斬ってやる』 柴田の落武者、上部八風斎の鼻かけト斎。 きようきよう らく - 一しゃ どうためき いいながら胴田貫、おもむろに切ッ尖を持ちあげて、ヌ草木のそよぎにも、恟々と、心をおどろかす敗軍の落伍者 しやけ べんてんどうかんめしくない ッと竹童のひとみへ直線にきたと思うと、ノ 。、ツと風を切ってト が、身をかくまってもらおうと、弁天堂の神主、宮内の社家に みつわ 斎の頭上にふりかぶられた。 ヒソヒソと密話をかわしていると、止せばよいのに、でしやば がじろう ねどこ なんで、これがジッとしていられよう。そのすきに鞍馬の竹りずきな泣虫の蛾次郎が、ワザワザ寝床からはいだして、それ 童、グッとうしろへ身を反らしたが、落とした刀へは手がとどを、ぬすみぎきしていたのを、ド斎、気取るや否や、おそろし ようそう お かず、立って逃げれば、われからド斎の殺剣へはずみを加えてい形相で、かれを奥へ追いまくした。 ゆくようなものだし ? 無三ーーもとの主人ド点だったかと、仰天した蛾次郎は、 わぎわい すばやく風を食らって逃げだした。けれど、その禍は、なに 絶体絶命。 ちくどう くらま も知らずに寝こんでいた、鞍馬の竹童の身にふりかかって、す いまは、のがれんとするもその術はなく、この五体、つい。 みつこく 鮮麗な血をあびるのかと、おもわず胸をだきしめる、とその手でに、自身のあるところを知られては、秀吉のほうへ、密告さ ひごま れるおそれがある、きさまも生かしてはおけぬ、目をつぶつ のいったふところに、さっきの火独楽が指にさわった。 むだ かく 1 一 て、覚悟をしろ、当けようとしても、それは無駄だぞーーーと、 どうためき めんぜん おそろしい迫の目をもって、胴田貫の大刀を面前にふりかぶ っ一 ) 0 せんれい お小姓とんば組 こしよ、つ ない - ようてん 3 り 0
『すなわちこの品 と、八風斎がしめしたのは、彼が学力の蓄をかたむけて、 『とんでもないこと、けっしてさような者ではございません』 馬 るそんべえ おんみつ 天『だまれ、呂宋兵衛の隠密でない者が、なんで床下から、間道くまなく探りうっした人穴の攻城図、獣皮に , つつんで大切に密 封してある物だった。 州へ通じるように仕掛けてあるのだ』 む じゃくねん うたが 。、、こ・も一 ) の かねてから主君勝家は、若年におわし、しかも、孤立無 神『なるほど、それはごもっともなお疑いじゃ ときおもてかぎよう * 、いやじりかじ 斎鏃鍛冶とはほんの一時の表稼業で、まことはお察しのとおり援に立ちたもう伊那丸さまへ、よそながらご同情いたしており ました。折から、このたびのご苦戦、ままになるなら、北国勇 隠密にそういない』 りん かんじゃ 猛の軍馬をご加勢に送りたいは山々なれど、四隣の国のきこえ 『さてこそ、間者 ! 』 どうし あいみ にんけん 小文治と忍剣は、腰の大刀をグイとにぎって、あわや、おどもいかが、せめては武家の相身たがい、弓取り同士のよしみの しるし 印までにもと、この攻城図を、ご本陣へさしあげたいというお りかからんず気勢をしめした。 ななめ ししつけ』 片手を斜にさし向けて、きッと、体をかまえなおしたト斎、 り・ようしレ - うつ 『じゃが、おさわぎあるなご両所、隠密は隠密でも、呂宋兵衛『なんといわるる、ではそこもとが、苦、いに苦心をかさねて写 くせもの のごとき曲者の手先となって、働くようなト斎ではございませされたこの秘図を、おしげもなく、伊那丸さまへおゆずりなさ ろ , っとおっしやるか』 - ・つ力、 たなごころ 『しかにも、これさえあれば、人穴城の要害は、掌をさすご と、左右の二人へ、するどい眼をそそぎながら、 せめぐち やぐら 『ーーーまことかく申すト斎こそは、北国一の雄、柴田権六勝家とく、大手搦め手の攻ロ、まった殿堂、櫓にいたるまで、わが えん かんべはっぷうさい が間者、本名上部八風斎という者、人穴の築城を探ろうがた家のごとく知れまする。すなわちこの一枚の図面は、千人の援 やじりし ばんばん め、ここに鏃師となって、家の床下から八方へかくし道をつく兵にもまさること万々ゆえ、一刻もはやく、ご本陣へまいらせ , : 一ろ早、し せいそう たいこのほうの志、なにとそ、伊那丸さまへ、よしなにお取 り、ここ二星霜のあいだ、苦心していたのでござる』 次ぎを』 『おう : : : 』うめくがように二人は顔を見あわせて、 すえ 『ああ、世は澆季でなかった』 『音にきこえた鬼柴田のふところ刀、上部八風斎とはそこもと と、忍剣も小文治も、胸をうたれずにおられなかった。 でござったか。してその御人が、なんのご用ばしあって、われ じゃくにくきようしよく えちぜんきたしよう 越前北ノ庄の鬼柴田といえば、弱肉強食の乱世のなかで われをお止めなされた』 きようゆう 「されば、それがしの主君勝家より密命があって、ご不運なるも、とくに恐ろしがられている梟雄だのに、こんなうつくし おく おんぞうし - 情けの持主であろうとは、きようまで夢にも知らなかっ 武田家の御曹子へ、ひとつの贈り物をいたそうがため』 なんとゆかしい弓取りのよしみであろう。 『はて、柴田家より伊那丸君へ、そもなんの贈り物を ? 』 て、 かんじゃ み かん・ヘはつぶうさい ゅうしばたごんろくかついえ えん や ぶう み - ぐ から じゅうひ うんちく みつ
し ジッとしていろ ! ジッとしていろ。痛くないように斬慮ののちにそうしたのではない。寸鉄もおびていない自衛意志 ってやる ! 』 が、おのずから独楽をつかませたのだ。 たたみ おやゅび シリジリと畳をかんでつめ ト斎の足の拇指が、蝮のように、・ それが、たとえば一個の石にすぎなくとも、この場合、竹童 しけん よってくるのに、なんで、鞍馬の竹童、ジッと、その死剣を待の手は、その石へふれていたにちがいない。 『なんできさまたちの刃にたおれるものか ! 』 っていられるものか。そんな無意義な殺刀にあまんじる理由が がんきんにく あろうか 口にはださないが、竹童の顔筋肉はそういう風に引きしまっ はんにやまる といって、身をまもる唯一の愛刀、般若丸はそのまえに、トていた。 あしげ ひろ 斎の足蹴にはねとばされて、拾いとって立っ間はない。 そして、独楽をかたくにぎった。 すんびよう ゅう ひも も、寸秒の危機は目前、おもわず、額や腋の下から、つめたい 遊戯に、まわすべき独楽なら、紐のこともかんがえるが、い あぶらあせ は 脂汗をしばって、ハッと、ときめきの息を一つ吐いたがーーそまの場合そうでない。武器として、目つぶしとして、敵が大刀 の絶体絶命のとっさ、ふと、指さきに触れたのは、さっき、菊へ風を切らせてくるとたんに、ド斎の眼玉へ、それをたたきっ くない けようと気がまえているのだ。 村宮内からもらって、ふところに入れていた、希代な火独楽ー その火独楽だ。 ト斎も、竹童のたいどをみて、うかつにはそれをふりおろし てこない。ジ ジリ、と一寸にじりに夫円りながら自をはか り、気合をかけたが最後、ただ一刀に、息の根をとめてしまお , っとするらしい 宵に、神官の菊村宮内が竹童と蛾次郎をならべておいて、 みずごま 『まいるそッ ! 』 蛾次郎には青い水独楽をあたえ、竹童には紅い火独楽をくれて まじゅう ちくぶじま いきなり魔獣のような気合がかカた その時ふたりにいっ . たことには、これは、竹生島の弁天と、 としひみ、 、歳久しく伝わっている奇蹟の独楽だといった。 として、竹童の五体も、おもわずその凄まじさにす どうじ くんでしまおうとしたせつな 宮内は、この独楽をもって、仲のわるい二童子の手をむすば きせき 『ええッ』 うとしたのである。だから、その奇蹟についてはあまり、多く ふかし 組を語らなかったが、火独楽水独楽、どっちも、なにかの不可思 とわめいたト斎の大剣が、電火のごとく竹童の頭上におちて りよく とうかせん ッ きた。あ といったのは刀下一閃のさけび、どッと、血け 議力を持つものにちがいない。 かんばっ すんげき と だがー - ー竹童の今は、しんこ、リ しⅢ一髪をおく間もない危機でむりを立てるかと思うと、必死の寸隙をねらって、竹童の右手 ある。もとより、かれが、ト斎が大刀をふりかぶったとたんがふところをでるやいなや、 お 『 . なにをッ』 ふところの独楽をつかんだとはいえ、ふかい、冷静な、思 まむし ひたいわき ま きたいひごま りよ すんてつ じえい 3
みずごま によると、近ごろ、蛾次郎のやつめ、この場の近所で水独楽 『オオ、ド斎どのもこの土地へきているか』 第′いに . ル こたろうざん 侠 それからというのをまわし、芸人のまねをして、銭をもらっては買い食 『小太郎山で、すてきな手柄を立てたんで。はい、 うらき もとき 馬 ちぐうえ おおくばけ いをして歩き廻っているそうだが』 天大久保家の知遇を得ました。元木がよければ末木まで、おか がじろう 『はは亠め・・ : : 』 州げさまで蛾次郎も、近ごろ、ばつばつお小遣いをいただきま と、亭主ははじめて知ったような顔をして、台の下にかがん でいる蛾次郎をちょッと見た。 「けっ一 : フ、けっ一 : っ』 ′一しよう たのむ、たのむ、たのむよ、後生だ。 宮内はわがことのようによろこばしかった。 蛾次郎は台の下で、飯つぶだらけな手をあわせて拝んでい 『なるべく身をつめてむだづかいをせず、お金をだいじにもた る。とーーその時、おりよく宮内が横から立って、 なければいけな、 『ト斎どの』 『お金を貯めてどうするんだろう』 めぐ と声をかけてくれた。 『あわれなものに恵んでやるのじゃ。それほどいい気持のする 『おお ! 』びつくりして ことはない』 きくむら 『菊村どのじゃないか、あまり姿がかわっているので、少しも 『な、なーんだ、つまらねえ』 めしちやわんも ほしだ - 一 と、乾章魚をつまんでロの中へほうりこみ、飯を茶碗に盛ろ気がっかなかった。どうしてこの甲府へ ? 』 なわ 『でかけましよ、つ、、 ) 」一しょこ うとしていると、門ロの繩すだれが・ハラッと動いた おと - 一・一うし上・ばかま ぬッとはいってきた魁偉の男、エ匠袴をはいた鼻かけ斎『おお、今夜は、わしの宅へきてお泊んなさい』 めしゃ じぞ・つようじやばくみ一い 地蔵行者とト斎は、肩をならべて、飯屋の軒をでていった。 である。ギョロッとなかを見まわして、 こぞう ていしゅ 蛾次郎は台の下からはいだして、 『亭主、うちの小僧はきておらなかったかい ? 』 てんゅう ときく。 『アア天佑』 ちやわん、、 ていしゅ お茶をかけて、じゃぶじゃぶと四、五はいの飯をかッこみ、 亭主はうしろをふりむいた。見ると、蛾次郎は、茶碗としゃ おもて ころあいをはかって、ソッと戸外へ飛びだした。 もじを持ったまま、台の下へもぐりこんで、しきりにへんな目、 とかい ) 蛾次郎に ひさしぶりで甲府という都会のふんいきをかいた しきりにかぶりをふっている よくーう は、さまざまな食物の慾望、みたいものや聞きたいものの誘 『へえ、おりませんが』 惑、なにを見ても買いたい物、欲しいものだらけであった。だ 『こまったやつだ : こ′一とげんこっ おやかた が、やかましゃの親方ト斎、つねに小言と拳骨をくださること と、ト斎は舌打ちをして、 よく じようないちゅうげん はやぶさかではないが、なかなか蛾次郎の慾をまんそくさせる 『おれは見ないのでよく知らないが、城内の仲間などのうわさ た てがら 0 めし たく とま のき ゅう 370
お小姓とんば組 04 す . へ、 7 ー 0 ン当イ がじろう なにしろ蛾次郎は、このド斎ほどおっかないものはないと心 すその 得ている。裾野にいた時分から、気に入らないことがあると、 やじり かなづち すぐに鏃をきたえる金槌で、頭をコーンとくるくらいはまだや さしいほう、ふいごで拳骨を食ったり、弓のおれでビシビシと どやされたおそろしさが、頭のしんにしみこんでいる。 でしししよう しかもまだその当時の、弟子師匠の関係を断っているわけで きたしよう はなく、ト斎が北ノ庄へかえるとちゅう、目をくらまして逃げ だしていたところだから、見つけられたがさいご、こんどこ をそ、どんな目に遭わされるかと、いきた空もないのである。 『たわけめ。でろ、ここへ ! 』 とどなりながら、ド斎はすこし苦笑をもらしてしまった。 いまでも、裾野当時の気持で、じぶんへあやまるのに、親方 、くぶんか正直らしいと、おかしくな 親方と呼んだところが、し って、この蛾次郎には、竹童へ向かったような、ああいう本気 にはなれなかった。 - 一しよう 「かんべんしてください、親方、後生です』 『でろと申すに ! 』 いまでます、いま : : : 』 『この・ハカッ』 カまかせに引ッ張りだして、イヤというほど叩きつけようと すると、蛾次郎、短ッペたをおさえて飛び退きながら、 『親方、どうも、お久しぶりでした』 ビョコンと、おじぎをして、たくみに、あとの拳骨を予防し 『蛾次郎 ! 』 あ の た 303
ちくじようじあい びせかけた。 『築城試合、築城試合』 ようしょひか でんれ、 じよう みたけ 侠 要所の控え所へ伝命する しかに ? たとえばこの御岳の山に一城をきずく節は ? 』 馬 くろかわじんばおり ろうにんかんべはつぶうさ、 ちゅうようちそう くるわ 『むろん山城なれどいただきをきらい、中庸の地相に郭をひか 天黒革の陣羽織、これなん、もと柴田家の浪人上部八風点こと、 うめざわ でまる ! うろう おおたんば たま 州あだ名はれいの鼻かけド斎でとおる人物。 え、梅沢のすそに出丸をきずき、大丹波には望楼をおき、多摩 しようぶいろ えちごうえすけ てんこりゅう ちょうりゅう きど ふたまたお 神菖蒲色の若者をたれかと見れば、越後上杉家の家来、天鼓流の長流をとして、沢華、二俣尾に木戸をそなえれば、武蔵 ちくじようかむらかみ、、んのじよう のはらみ の築城家村上賛之丞。 野原に満つる兵もめったに落とすことはできない』 しよう 『あいやしかし ! 』 二人は床几についてむかいあった。 さんのじよう これは腕の試合ではない。 と、賛之丞、いちだんこえを張りあげて、 した ちくじようがくろん こうしゅうじ らんにゆう 舌の試合である。築城学論議である 『かりに、甲州路より乱入する兵ありとすれば、一手は必定、 ぐんしゅう てんもくざん せんげん 群集は目よりも耳をすました。 天目山より仙元の高きによって御岳を俯瞰するものにそういご しわぶき ろん 水を打ったようにしずまって、論議いかにと咳声もしない ざらん、その場合は ? 』 かんべはつぶうさい ぐんせん いんさんようこう 鼻かけト斎の上部八風斎、やおら肩をはり、軍扇いかめしく 『陰山陽向のそなえ』 膝について声たかく、 『ウーム、そのくばりは』 そう ぜんざんじようち ちょうそとぐるわ りゅうがん ほんまる 『築城に四相あり、 『全山を城地と見なし、十七町を外郭とし、童眼の地に本丸を よう もんけんがいがんざか じゅりん と、第一問をだした。 きずき、虎口に八リ、 懸崖に雁本坂、五行の柱は樹林にてつつ むらかみさんのじよう かんじ じようばう くろしぶ てんもくざんせんげんとうげ 村上賛之丞、莞爾として、 み、城望のやぐらは黒渋にて塗りかくし、天目山や仙一兀峠など しようがひがし へいほう りゅうすいみなみ なわど 『兵法に申す、小河東にあるを田沢といし 、流水南にあるをより一目にのぞかれるような繩取りはせぬ』 せいりゅう げんぶ けんが べん 青竜とよび、西に道あるを朱雀と名づけ、北に山あるを玄武、 と、鼻かけド斎、懸河の弁をふるってとうとうと一にいっ びやっこしよう 林あるを白虎と称す』 ぜんしん やじりかじ 『して、地形をえらぶには』 ト斎の前身を知らずに、かれをただの鏃鍛冶とばかり思って ほっこうなんてい じようさいぜんち しん おおくばながやすけらい 『北高南低の城塞は善地、水は南西にあるを利ありと信す』 いた、大久保長安の家来たちは、少々あッけにとられている顔 だんけん 『三段の嶮と申す儀は』 つき。 てんけんちけんじんけん へんとうゆうべん 『天嶮、地嶮、人嶮のこと』 だがト斎の返答が雄弁だけで、ところどころうまくごま化し やまじろみた むらかみさんのじ上う 『山城の見立ては』 ているのをつらにくくおもった村上賛之丞は、やや澈して、 ちせいすいしつ くうろん 「地性水質によること、空論にては申されぬ』 『さらば問わん』と開きなおり、 さんのじよう はんもん いじようなわど ちょうりゅうゆいっ とはねつけて、こんどは賛之丞からト斎にむかって反問をあ『以上の繩取りによれば、多摩の長流を唯一のたのみとし、 ひぎ すじゃく でんたく なんせい 0 さわ、 たま みたけふかん ひつじよう