しんでん しやけ きやくでんきんしゅう せいそう しひとりで神殿においてその者に会いましよう』 間もなく、清掃した社家の客殿へ、錦繍のしとねがおかれた。 むね うこんかい 垢離場の板敷にワラの円座をしいて、数日つつしんでいた人と、ふたたび右近を介して、その旨をいいや 0 た。 えん はいでん れいき むか 冷気のこもったうすぐらい拝殿に、二つの円座が設けられ 人は、いちゃくあたたかい部屋とうやうやしいもてなしに迎え すマ、と たいざ その・ヘいちがく た。伊那丸と園部一学がそこに対座したとき、杉戸のそとに られてきた。 だいとう じじよう こがくれりゅうたろうったのすけこぶんじ しんかん は、木隠竜太郎や蔦之助や小文治などが、大刀をつかんで、よ 一党の人々は、神官たちが平あやまりにあやまる事情をきい しゆくん じようこつけいじ そながら主君の身を守っている気ぶりであった。 て、一場の滑稽事のように笑っていった。 いちがく きようと また伊那丸も、それをとがめるどころではなく、自分の手がーー伊那丸は、京都からきたという一学をみると、すぐ しゅ しんてい 飼いの者が神庭をけがしたのであるから、主たる自分の謹慎すに、かれがあやしげな者でないことを信じた。 ちちうえかつより わかみ るのはとうぜんであ 0 て、まだ二十一日にみたないうちにゆる『若君はもうお忘れでございましようが、去年、お父上の勝頼 きくていけ そうりよ こころぐる さまに似た僧侶をおしたいなされて菊亭家へお越しあそばした しを賜うのは、神に対してむしろ心苦しいとさえいうのであっ ことを一』 みたけしんかん 『オオ』 で、御岳の神官たちは、ホッとした。 いちがく かた 『そのおり、よそながら一学は、おすがたを拝しておりました 『ときに、若君をたずねて、はるばる都からまいられたお方が せいちょう が、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長 : : : 』 」ざります』 おそ う - 一ん そういって畏るおそる伊那丸を見上げながら、 右近はおそるおそる、菊亭家の使いの由を伊那丸にとりつい うだいじんけ 『右大臣家において、常に、おうわさ申しあげております』 きくていすえはるこう 『菊亭季晴公にも、いつも、お変りなくお暮らしであるか』 『通せ』 せんじんもうもう 『世は戦塵濛々、九重の奥もなんとなくあわただしく、日ごと こういってやると、おりかえしての返辞が、 くんそく わかみ せいじよう しんでん 『ひそかなご用件とやらで、清浄な、神殿において、若君とたご君側の仕に、すこしのおひまもないていにお見うけ申しま する』 だふたりだけでお目にかかりたいと申しますが』 しゅうちゃく 『それは祝着である。そして、とくにそちがわしを尋ねてき という腑に落ちないことばである。 とう た用向きとはなんであるな』 使民部も童太郎も、一党の人々は、見しらぬ旅の侍、に油断は たくし うだいじんけ 『右大臣家へのご托使にござります』 密ならないとたぶんな懐疑をもった。 すえはるこう たくし : では季晴公よりのご用でもないのか』 『托使 ? 家伊那丸はかんがえて、 きくていうだいじんけ 『さればです ! 』 亭『したが、かりそめにも、菊亭右大臣家はわしの伯母さまのご いちがく 菊えん と、一学はさらにパッと威儀をあらためて、 縁づきなされた家がら、おうたがい申してはすまぬことだ。わ 0 学 ) 0 たも きくていけ さむら、 きんしん ここのえ イ 93
き、抱くようにして下ろしてきた。 られなかった。 あんそうい がけ 下を見ると、目がまわりそうなので、あまり崖つぶちには進さだめし、疲れているだろうと思ったところが、案に相違し 天みえないで、救いにい 0 た宮内のようすも、仔細に見ているこて、忍剣はすこしも衰えていなか 0 た。それもそのはずなので かつどう しんかん 州とはできないが、ときどき木の葉のすきまから、かれの活動があるが、神官は理由を知らないので、いよいよふしぎな怪僧で した えんばう あると、舌をまいておどろいた。 神遠望された。 み 『まだ、二十一日には満つまいに』 「オオ、水からあげたような : しやめん と、忍剣は、きようの赦免が、夢のようであるらしい お時の顔に、わがことのようなよろこびの笑くばがのばった。 じじよう 上ろこ が、事情をきいて、心から欣ばしそうな色が、さすがに、そ すると、とっぜんに、 おもていきいき 「これツ。 どこからこの山へはいりこんだ』 の面を生々とさせた。 みたけ 一足おくれて、御缶の奥の院からここへ越えてきた人々があ お時は、だれか力のある腕ぶしで、そこからうしろへ引きも けんざい かんめしはせがわうこんみちあんない どされた。 った。それは、神主の長谷川右近を道案内として忍剣健在なり とう ほう・ゅう 『あツ・ や否やーーと一刻をあらそって、迎えに見えた一党の朋友たち である。 彼女はふるえ上って、大地へ平蜘蛛のように手をついた なまる やまじたく みたけしんかん そのなかに、伊那丸のすがたを見出したので、忍剣は、思い そこには、御岳の神官らしい人々が、山支度をして立ってい むごん やりの深い主君の心がわかって、無言のうちに涙がうかんだ。 けんざいしゆくふく おとめやま かれの健在を祝福しあうと、人々はすぐに、 「ここは、許しがなくてはのばれぬ、御止山ということを知ら きようと 『忍剣、すぐに京都へいそぐのだぞ』 んか』 かっき 「ち : : : ちッとも、ぞんじませんで、道にまよってきてしもう と、活気づけるようにいった。 みやこ たのでござります』 『えツ、都へ』 わかすみ しつばく ばんどうめぐ 『くわしいことは、あとで若君からお話があろうが、きようか 『見れば、質朴そうな坂東巡りの者、道にまよってきたものな こうしゅうどちゃく おうぎんみ らば、深くはとがめないが、一応吟味の上でなくては放してやらわれわれは、甲州土着の武士という心をすてることになった のだ』 るわけにはゆかない。しばらくそこでひかえていろ』 もくてき しんかん こういうと、若い神官たちは、べつになにかいそぐ目的があ『なぜ ? 』 ぶなねもと 明らかに不平が、かれの顔色にうごいた るらしく、ばらばらと千年山毛欅の根元へかけあつまった。 ま そで ぶな が、一党の友の顔は、みな、いつもにも増して晴れやかに見 三人ほどの者が、袖をからげて山毛欅の上へよじのばってい にんけん - 一しんけい った。そして、御神刑にかかっている、忍剣のいましめを解えた。 とき すく ひらぐも え と いな だ
にんけん と竜太郎、忍剣と目くばせしながら、おそるおそる寄って駕はなしてこういった。 くらまかしんこじ 快めりど の塗戸へ手をかけ、 『父上とのみ思うていたが、そちは、鞍馬の果心居士ではない万 馬 天『若君、ご対面なされませ』 そうぎようあ 州スーと開けると、なかには、まぎれもなきひとりの僧形、網聞くより童太郎もびつくりして、 じろがさ かげん 神代笠をまぶかにかぶ 0 て、うつむき加減に乗 0 ていた。 『やツ、老先生でござります ? 『おお、お父上でござりましたか。おなっかしゅうそんじます と、あまりのことにあきれはてて、忍剣とともに、ただ顔を なまる かっせん る。わたくしは伊那丸でござりますーーー天目山のご合戦にも、 見あわせているばかり。しばらくの間は、ロもきけないほどで なが 合わさず、むなしく生き永らえておりました。お父上 ! お父あった。 らいじんたき 上 ! 』 『定めしおおどろきでござろう。 : しかし、わしが雷神の滝 げきじよう そう こがん ほとばしる激情 ! われをわすれて駕の戸にすがりつき、僧の孤岩の上に、書きのこしておいた通り、これもみな、まえか よう もくねん ふしん 形の人の手をとると、僧も黙然として手をとられ、ゆらりと駕らわかっていることなのでござる。おう、ご不審の晴れるよう しだい のそとに立った。 いまその次第をお話しいたそう。若君も、まず、そのあた 『お父上 ! またもや敵の手がまわらぬうちに、一刻もはやりへ御座をかまえられい』 く、ここを去ってお越しくださいませ、いざ伊那丸がごあんな 居士はゆうゆうと、ちかくの石へ腰をおろした。そして、伊 ししたしまする』 那丸へ、 おんぞうし 『どこへ ? ・ : わしを連れていくというのじゃ』 『御曹子 , ーー』と重々しく呼びかけた。 こうしんすん しんみよう オオ 『甲信駿三カ国のさかい、小太郎山のとりでの奥へ。 『はい』と伊那丸は、老師のまえへ、神妙に首をたれてこたえ けんじようなんこうふらく 父上、そここそ山また山、自然の嶮城、難攻不落の地にござりる いげ . んド ) だね ます。お父上のご武運ったなく、ひとたびは織田徳川のために 『あなたは、甲斐源氏の一つぶ種ーー世にもとうとい身であり しんがく はた かいげんじ ・一うどうせき 亡びこそすれ、まだその深岳のいただきには、甲斐源氏の旗一ながら、危地をおかしてお父上を求めにまいられた。孝道の赤 - ゅうとき しん かつよりこう 旒、秋をのぞんでひるがえっておりまする』 心、涙ぐましいほどでござる。が、しかしー・ーその勝頼公が世 とき うん・一う しんじっ 『ああ、その秋はすでに去りました、 天の運行は去ってかに生きているということは、はたして真実でござりますか ? かえ しよう - 一 えらず、還るは百年ののちか千年の後か あなたはその証拠をにぎっておいでなさりますか ? 』 てんもくん 『えツ、なんとおっしゃいます・ : ・ : 父上 ! 』 『わしは知らぬが、伝うところによれば、父君は天目山にて討 せんえ あじろがき れっせきざん 染衣の袖にすがりついて、ふと、網代笠の下からあおいだ伊死したと見せかけて、じつは裂石山の古寺にのがれて姿をか 那丸は、あッといって、ばうぜんーーただばうぜん、その手をえ、京都へ落ちられたといううわさ : かご 0 か
おんてきいえやす けっぜん り、怨敵家康の城地へ、さいごの一戦を』 『ああ策は一つしかない』やがて、かれは決然といった。 みんぶ みなまでいわせず、民部は首をよこにふった。 『蔦之助どの、小文治どの、すぐに、旅のおしたくを ! 』 がっせん みかた 『や、われわれのみで ? その他の味方は ? 』 天『そのとむらい合戦なら、すこしも、いそぐことはありますま リ、いつでもできることじゃ』 『むしろ秘密にーー』 神『といて、むなしく、手をつかねておられましようか』 と、民部は席をたって、太刀をはき、身ごしらえにかか 『むろん、どうにか工夫をせねばならぬ。しかし、人数をくり だして、とおく浜松へ着くころには、若君のお命が、すでにな熟考の長さにひきかえて、意を決するとすぐであった。蔦之 てな いものと思わねばならぬ』 助と小文治も、膝行袴の紐をしめ、脇差をさし、手馴れの弓 あかえ やり 「おお、それもごもっとも』 と、朱柄の槍をそばへ取りよせた。 ったのすけ もんもん と、蔦之助はまた悶々とだまって、いまはただ、この民部の 『民部さま : ずのう めいち み - しす 頭脳に、神のような明智がひらめけかし、とジッと祈るよりほ 咲耶子と竹童は、じぶんたちに指図のないのを、やや不に 、キよ、つこ。 、刀 , を十 / 、力学 / 思って、おなじように身じたくをしようとしながら、 『ともあれ、若君のご一命や忍剣や竜太郎を、いかにせば救い 『わたしも』 もくしようだいもん ~ い うるか、それが目睫の大問題であると思う 。いたすらに最後の 『わたくしも』 けっせん 決戦をいそいで、千や二千の小勢をもって、東海道を攻めのば 一しょに立っと、民部はそれを制して、 でじろせきしょ るす ったとて、とちゅうの出城や関所でむなしく討死するのほかは 『ふたりは、、、 とうかとりでの留守を護っていてくれい。なお、 いなまるみ がしんしようたん ないそれでは、きようまでの臥薪詳胆、伊那丸君のおこころわれわれがおらぬ間も、われわれがいるように見せかけて、今 すいほ・つ み ぎし、すべては水泡となり、また世の笑われぐさにすぎぬもの宵、三人が小太郎山をぬけだしたことは、 かならず、敵にも味 ひみつ となる』 方にも秘密にしておくように』 せつじようしき ひょうじようば やはり民部の説は常識であった。 そういって、評定場の床を上げた。 めいしゅ うつろ あくまで伊那丸を中心とする一党が、その盟主をうしなっ まっくらな空洞が口をあけた。 かんどう て、なんの最後の一戦がはなばなしかろう。どうしても、 いか峡谷の一方へひくくくだっていく間道である。 しゆだん なる手段をもって、石に噛みついても ! 伊那丸をたすけなけ 『では』と、そこへ足を入れながら、民部はもういちど咲耶子 ぶしどう れば意義がない ! 武士道がない。 と竹童をふりかえった。 はなやかならぬ、また勇にのみはやれぬ、軍師のつらい立場『いまのたのみ、くれぐれも心得てくれよ、なにごとも若君の はそこにあるのだ。 おためじゃ』 うちじに カた じゅっこう さくや - 一 きよう - 一く ひみつ と ひも たち ゆか わきざし っ 320
こうしゅうぶし しんしゅうぶし 『甲州武士などというせまい気持をすてて、まことの神州武士心はつねに、この人々の胸に燃えているところだった。 『じゃ、きよ、つすぐに、これから都へのばるのか』 となるのだからいいじゃないか。われらの愛国は甲斐ではなく たしようしたく しんしゅうふそう 『多少の支度もあるから、きようというわけにはゆくまいが、 なった。日本だ。かがやきのある神州扶桑の国だ』 きくていうだいじん いっこくも早く、菊亭右大臣にお会いして、なにかのことをう 『そして ? 』 わかみ ちよくとう みつしよう にんけん かがったうえ、密詔のご勅答を申しあげたいという若君のおこ 忍剣には、友のことばが不意にきこえた。まだじゅうぶんに とばだ』 胸に落ちないらしい てんまきようきようゆう てんみかど 『なるはど。だが、これだけではまだ天馬侠の侠友がひとりも 『あおぐは一天の帝』 『それは、だれにしてもそうではないか。いまさらこと改めてれているそ』 りゅうたろう こぶんじ みんぶ 『民部どのもおられる、竜太郎、小文治、蔦之助、すべての者 いうことはないだろう』 さくやこ せんごくぶしよう ・ : あ、咲耶子か』 『いや、戦国の武将たちは、みんなそれを忘れている。もうひがそろっているが : しもじもたみ とっ忘れていることがある。それは貧しい下々の民だ。われら『咲耶子もそうだが、竹童が欠けているのではないか』 わし みかた オ。その竹童は、また鷲をさがすといって、どこかへひとり の味方するのはその人たちだ』 で立ち去った』 どうしてにわかに京都へのばることになったのか』 おそ きくていうだいじん 『いや、うそだ』 『菊亭右大臣さまのおはからいで、畏れ多くも、あるご内意が と、忍剣はやや興奮的に首をふって、 くだったのだ』 わかみ 『おれがきようまで、こうして、少しも疲れずにいたのは、ま 『えツ、若君へ』 しよく くしんさんたん ひみつ ったく、かれが苦心惨憺して、朝ごとに食を口にいれてくれた 『しかし、それはきわめて秘密なことだ』 みつし おかげだ。どこかそこらにいるにちがいないからさがしてく 『では都から密使が見えられたのか』 じゅう 『とにかく、若君は、はじめておおらかな正義の天地を自由にれ』 たけだざんとう と、大声でいった。 馳駆する秋がきたと、非常なおよろこびで、以後は武田残党の み てんまきようとう とうめい みたけしんかん 名をすてて、われわれ一味の党名も、天馬侠党とよぶことにき御岳の神官たちはおどろいた。 とう て人まきよう しやめん へ まったのだ。きようは赦免になったきさまもくわえて、天馬侠けれど、伊那丸や党の人々たちは、その話をきいて、なんだ 都 だい の いくらあたりをたずねて か涙ぐましくさえなった。しかし、 第一声をここにあげたのだ』 西 らくたん ねつけっそうにんけん じだす 熱血僧忍剣は、だんだんと聞いてゆくうちに、その耳朶を杏も、かれのすがたが見えないので、落胆しているところへ、崖 へ ほそみち おうしつ せんごく きくむらくな、 ごすいび 郷桃のように赤くしてきた。王室の御衰微をなげくことと、戦国の細道をかきわけて、菊村宮内が、水から助けあげたふたりの ばじん まず の馬塵にふみつけられてかえりみられない貧しい者をあわれむ少年をつれてあがってきた。 まず あいこくか ない こうふんてき むね ったのすけ
しゆら きんだち これがつい 、今しがた、今宮の境内を修羅にして暴れまわっ とあとから大股に、笠の公達と六部のす く駈けぬける。 た男とは、思えぬような、弱音である。 カたか、つづいていった。 馬 いうのをおさえつけて、伊那丸は、ハッタとにらんだ。 『ここらでよかろ、つ』 天 ひきよう 『卑法なやつではある。むだ口を申さずと、ただこのかたがた 州立ちどまったのは、舟岡山のすそ。 あたご きぬがさみね 神高からぬこの山にのばるとすれば、西に愛宕や、衣笠の峰のずねることに答えればよいのじゃ』 ひえい かも : は、、命さえ、おたすけくださるぶんには、斧大九 影、東はとおく、加茂の松原ごしに、比叡をのぞんでいる。さ ちくどう くらまやますいらん らに北をあおぐと、竹童の故郷鞍馬山の翠巒が、よべば答えん郎、なんなりとぞんじよりを申しあげます』 『そのロを忘れまいそ』 ばかりに近い。 なまるしんようじゅこもび はんしん きッと、半身をつきだした伊那丸、針葉樹の木洩れ陽を、藺 『若君ここへおかけなさりませ』 おもざし が * 、 笠としろい面貌へうつくしくうけて、 たかだかとそびえた杉林の下 わだるそんべえ きりかぶちり 『なんじはさいぜん、和田呂宋兵衛の家来じゃというていばっ 一つの切株の塵をはらって、六部はわきへ片膝をついた。 ていたの ? 』 『あ : : : あれは』 目でうなすいて、藺笠の美少年は、それへ腰をおろした。こ かつより とりで きんだち 『いや申したー たしかに聞いた』 の公達こそ、甲州小太郎山の雪の砦から、はるばる、父勝頼の たけだ、なまる しようそく 『 . いいましたに挈、、つい・こさいき ( せんがじつは、こ、、いにもな 消息を都へたすねにきた武田伊那丸であった。 こがくれりゅうたろう かがみにんけん いでたらめごと』 そのわきに、頭を下げたのは木隠童太郎で、加賀見忍剣は、 あな にんけん おのだいくろう しいかけるとあとから、忍剣の鉄杖のさきが背中へ穴があく ひツかかえてきた芹大九郎をそこへほうりだして、 かとばかりドンとついて、 『若君、いざ、おしらべなさいませ』 るそんべえ 『このうそっきめが、呂宋兵衛の部下なるがゆえに、ことわり と、少しさがったところで、れいの鉄杖を、持ちなおしてい かけあ なしに祭をもよおした神主をこらしめるとか、懸合うとか、 すんげん げろう ざいていたではないか。若君のおしらべにたいして、寸言たり 『下郎、おもてを見せい』 りゅうたろう にんけん なまる ともあいまいなことを申すと、いちいちこれだぞ』 伊那丸はいった。これはまた、忍剣の鉄杖より、童太郎のは げろう べつきりん ドンと食わせる。 や技より、一種別な気稟というもの。下郎大九郎は、すでに面も一つ、 『ウーム、フフフ、痛 , つ、ごギ、る、】痛 , つござる』 色もなく、ふるえあがって両手をついた。 でいすい 『ま、まったく持ちまして、さいぜんのことは泥酔のあまりで『痛かったら申しあげろ』 わだるそんべえ 『も、申しあげます。まったく和田呂宋兵衛の手のものにそう ござる。ど、つぞ、ひらにひらに、おゆるしのほどを : : : 』 る。 わざ 0 てつじよう かたひざ おの 2 イ 0
げて、北庄城では雪解けとともに、筑前守秀吉と一戦をなす用勝頼ーーと父の名をきいただけでも、はやその眸はうるみ、 おん ぞんめい せき 意おさおさおこたりなく、国境の関はきびしい固めでござりま胸は恋しさにわななくものを、まだ存命ときいては、そそろ恩 きようカく かんき 愛の情あらたにひたひたと胸をうって、歓喜と驚愕と、またそ れを、怪しみうたがう心の雲が入りみだれる 『それでおよその様子はわかった : やまがたったのすけ 『ではなんといやる、父上にはなおご武運つきず、旅の僧とな と伊那丸はつぎに山県蔦之助へことばをむける。 ったのすけ って、都へおちゅかれたと申すのかーー蔦之助もっとくわしゅ 「して、東海道のほうにはなんぞかわりはないかの』 、つ話してくれ』 『若君ーー・ー』 きよじつめいかく ったのすけ 『されば、まだことの虚実は明確に申しあげられませぬが、東 すぐ受けて蔦之助、 海道 , ーー・ことに徳川家の家中においてはもつばら評判いたして 「容易ならぬうわさをきいてござります』 おります。それゆえ、なお浜松の城下まで入りこみまして、ふ じっぴ かく実否をさぐりましたところ、その旅僧を勝頼なりといっ 「よに、容易ならぬうわさとな ? 』 ついせき おんみつぐみきくちはんすけ とりで とくがわやせ て、隠密組の菊池半助、京都へ追跡いたしました』 『また徳川の痩武者どもが、この砦へ攻めよせてくるとでもい ま - 一と 『ウーム、さては真にちがいない』 、つことか』 にんけん 心そそろに、伊那丸のひとみは燃える 忍剣は気早な肩をそびやかした。 『意外なこともあるものじゃ。真実、勝頼公が世におわすとす 『それとはちがって、世にもふしぎなうわさでござる』 なまる ったのすけ れば、武田のご武運もっきませぬところ、若君のよろこびはい と、蔦之助は伊那丸の顔をあおぎ見ながら、 うもおろか、われわれにとっても、かようなうれしいことはな 『ーーー若君、おおどろき遊ばしますな、そのうわさともうすの いえめつばう は、お家滅亡のみぎり、あえなく討死あそばしたと人も信じ、 こばたみん ぐんせん つぶやきながら軍扇をついて、ふかく考えているのは小幡民 またわれわれどもまでが、うたがって見ませぬ四郎勝頼さま』 、、くや - 一 かがみにんけんりゅうたろう 部である。しかし、加賀見忍剣や竜太郎やまた咲耶子にいたる 『オオ、父上 , ー・ーその父上がなんとあるのじゃ』 きえっ 強 - い - 一う ふくいん まで、みなこの報告を天来の福音ときいて武田再興の喜悦にみ 『じつはお討死とは表向きで、まことは、天目山の峰つづき、 しゅんぶうじんや せけん れっせきざんうんばうじ 僧裂石山雲峰寺へいちじお落ちなされて、世間のしずまるころをなぎり、春風陣屋にみちてきた。 の 『京都へまいろう ! そうじゃ、すぐ京都へまいってお父上に お待ちなされたうえ、このほど身をいぶせき旅僧にかえられ、 と めぐりあおう ! 』 ひそかに、京都へお入りあそばした由にござります』 丸 なかにも伊那丸は、おさなくして別れた父、なき人とばかり四 ぞんめい 般 思っていた父ーーその父の存命を知っては、いても立ってもい はたして伊那丸のおどろきは一通りではなかった。 みね 0 0
ひょうろう よそ ( ない。すでに兵倦み、兵糧もとばしく、もとより譜代の臣でも 、はいよいよ予測すべからざるものとなった。 ゆみと けれど、それは人と人とのこと、弓取りと弓取りのこと。晩ない野武士の部下は、日のたつほど、ひとり去りふたりにげ、 うずらもず この陣地をすて去るにちがいない 天秋の千草を庭としてあそぶ、鶉や百舌や、野うさぎの世界は、 うらや 『軍師、軍師、小幡民部どの ! 』 羨ましいほど、平和そのものである。 もと ふいに、耳元でこうよぶ声。 神ちょうど、それとおなじように、のんきの洒アな顔をして、 ・かじ′ ) う あれやこれ、思いしずんでいた民部が、ふと、見あげると、 またそろ、裾野へ舞いもどってきた泣虫の蛾次郎は、ばかにい にんけん い身分になったような顔をして、あっちこっちを、のこのこと巽小文治と加賀見忍剣が連れ立ってそこにある 『オ。これはご両所、なんぞご用で』 歩いていた おととい あなた 『一昨日から彼方にあって、待ちわびている者が、もう一度こ れを最後として、若君へお取次ぎを願って見てくれいと申し こがくれしゆったっ 『木隠が出立してから、今日で、はや四日目。ー・・ー彼のことて、いツかなきかぬ。ー・ = ・軍師から伊那丸さまへ、もういちど だ。よも、裏切りもすまいが、なんの沙汰もないのは、どうしお言葉ぞえねがわれまいか』 かんべはつぶうさい たのか。おいとしや、若君のご武運も、いまは神も見はなし給『おお、上部八風斎のことですか、その儀は、拙者からも再三 よ、 あ 若君のお耳へいれたが、断じて会わんという御のほか、一 , しまっ と しようイ、 床儿によって、まなこを閉じながら、こうつぶやいた小幡民うお取上げにならぬ始末。事情をいうて、追いかえされたがよ ろしかろう』 部。 じんや ここは、陣屋というもわびしい、武田伊那丸のいる雨ガ岳の おもてとうわく かりや 、の・つ としたが、二人の面は当惑の色にくもった。 仮屋である。軍師民部は、昨日から幕のそとに床儿をだして、 どくだん 自分たちが独断で、八風斎を本陣へつれてきたのがわるかっ ジッと裾野をみつめたまま、童太郎のかえりを、いまかいまか たいめん たか伊那丸は対面無用といったまま、耳もかさないのであ と待ちかねていた。 がーーー竜太郎のすがたは今日もまだ見えない。四日のあいだる。また、八風斎のほうでも、あくまで、会わぬうちは、この けしき には、かならず兵三百を狩りあつめて、帰陣すると誓ってで雨ガ岳をくだらぬといい張って、うごく気色もなかった。 忍剣と小文治は、なかに立って板ばさみとなった。八風斎は た木隠竜太郎。ああ、かれの影はまだどこからも見えてこな だだ 駄々をこねるし、伊那丸は機嫌がわるい。これでは立っ瀬がな いと、いまも民部に、苦しい立場をうちあけていると、ふい いよいよ、絶望とすれば、ふたたび、人穴城を攻めこころみ とばり みち に、帳のかげから伊那丸の声で、 て、散るか咲くかの、さいごの一戦 ! それよりほかは途が すその さた しゃ こばたみん たつみ きげん 0 せ
一めら・ さめ れを、家康が見破ってしまったからには、鮫を打たんがため鮫しい』 ぜんぶ すいものわん しらかべ の腹中にはいって、出られなくなったと、おなじ結果におちた と、膳部の吸物椀をとって、なかの汁を、部屋の白壁にパッ すみ ものだ。 とかけてみると、墨のように、まっ黒に変化して染まった。 きゅうち この上は、家康がどうでるか、敵のでようによってこの窮地『毒だ , この魚にも、この飯にも、おそろしい毒薬がまぜて かつろ はままつじよう いなまる から活路をひらくか、あるいは、浜松城の鬼となるか、武運のある。伊那丸さま、家康の心はこれではっきりわかりました。 わかれめを、一挙にきめるより他はない。 うわべはどこまでも柔和にみせて、私たちを毒害しようという 肚でした』 『ではここも ? 』 ぜんしよ、むらい なまるた 日がくれると、膳所の侍が、おびただしい料理や美酒をは と伊那丸は立ちあがって、塗籠めの出口の戸をおしてみる こんできて、うやうやしく二人にすすめた。 と、はたして開かない。力いつばい、おせど引けど開かなくな こころざし 『わが君の志でござります。おくつろぎあって、充分に、おっている。 過ごしくださるようにとのおことばです』 『若君ーーこ かぶん りゅうたろうあんがい なまる 『過分です、よしなに、お伝えください』 竜太郎は案外おちついて、なにか伊那丸の耳にささやいた。 おきて しよじ あしおびわきざし 『それと、城内の掟でござるが、ご所持のもの、ご佩刀などそして、夜のふけるのを待って、足帯、脇差など、しつかりと は、おあずかりもうせとのことでござりますが』 身支度しはじめた。 - 一とわ りゅうたろう 『いや、それは断ります』と竜太郎はきつばり、 やがて童太郎は、笈のなかから取りのけておいた一体の仏像 でんか しよくだい ともしび 『若君のお刀は伝家の宝刀、ひとの手にふれさせていい品ではを、部屋の隅へおいた。そして燭台の灯をその上へ横倒しに っえごぶつほうじようおい ぞん ありませぬ。また、拙者の杖は護仏の法杖、笈のなかは三尊ののせかける。 ふしん 弥陀です。ご不審ならば、おあらためなさるがよいが、お渡し部屋のなかは、一時やや暗くなったが、 仏像の木に油がしみ ほのお もうすことは、誓ってあいなりません』 て、ふたたびプスプスと、前にもまして、明かるい焔を立てて 『では : きた。 と、その威厳におどろいた家臣たちは、おずおずと笈のなか 変 童太郎は、伊那丸の体をひしと抱きしめて、反対のすみによ りゅうたろう をあらためたが、そのなかには、竜太郎の言明したとおり、三 った。そして、できるだけ身をちぢめながら、じッとその火を 火体のほとけの像があるばかりだ「た。そして、杖のあやしい点みつめていたプス : = : プス : = : 焔は赤くなり、むらさき色に には気づかずに、そこそこに、共室からさがってしまった。 なりしてゆくうちに、パッと、部屋のなかが真暗になったせつ ぶつぞう 『若君、けっして手をおふれなさるな、この分ではこれもあやな、チリチリッと、こまかい火の粉が、仏像からうつくしくほ みだ す いえやす ぞう いえやす で はかせ みじたく すみ おい いえやす にゆうわ ぬり 1 一 そ あ ぶつぞう
虫ケラざむらい : 当、 7 ン あくま 思いがけない悪魔がでて、のろわれた今宮祭や踊りのむれ ひる きようじん も、また思いがけない侠人のカで、午すぎからは、午前におと かんらくちまた らぬ歓楽の巷にかえってにぎわった。 『いったいあの若い坊さまと六部はなんであろう ? 』 ただびと 『天狗のような力と早わざ、よも、尋常人ではございますま きんだち 『それに、もう一人うしろにいて、だまってみていた公達がい たではありませんか』 『そうそう、藺笠をかぶっておりましたが、年は十五、六、 スラリとして、観音さまがお武家になってきたようなおすが けしん ばさっ 『それそれ、あの人たちは、神か菩薩かの化身でしようよ。ま ったく、悪いことはできないもので』 しようてん うわさはどこもかしこもであるが、その焦点の人々はあれか ノらどこへいったろ、つ ? ・ さん早 - い のでん しまはら 紫野の芝原には、野天小屋がけの見世物が散在していた。お おくの人が、大がいそれへ目をうばわれているのをさいわし 3 おの に、れいの若僧が、斧大九郎を小脇にひっかかえ、飛ぶがごと 『猪ロ才なやつめ』 手元へよせて、怪力の若僧が、また、虫でもつまむように引 っとらえた時である。いっか、六部のうしろまで進んできた品 きんだち よき公達が、 にんけん 『忍剣、そやつを投げころしては相成らぬそ』 あわやーーという手をさえぎった。 ちょこ早 - い