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検索対象: 吉川英治全集 第12巻 恋山彦・善魔鬘・きつね雨
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1. 吉川英治全集 第12巻 恋山彦・善魔鬘・きつね雨

「ウム、あの山彦が』 え、雲も見え、花も見える 彦「偽物だった』 だが、検校の、いは、近頃、そういう風月の友ではなくなつで ごと 『げつ、はんとか』 きた。夜毎夜毎。彼の寝つきを悩ませ、見えぬ眼の瞼にこびり うねめ 山 采女は、早口に、仔細を話して、 ついて離れぬものは、二間ほど隔てて寝ているお品の幻影だっ 『荒仕事をして、源四郎を殺したのも、こうなると、何の為た 恋 か、意味をなさん。第一、柳沢家をしくじったら、俺は、木か 昼の声を思いーーー香を思うて ら落ちた猿だ。はんものの山彦は、他へ隠して、お品が持って幾度打っ寝返りであろう。 逃げたに相違ない。さつ、すぐ発足しよう』 『一找ましい かりそめにも、師たる身が』 もだ ののし 喬助は、山彦よりも、お品に執着があった。 検校は、悶えもし、自分を自分で罵ったが、思うまいとすれ 『よしつ、では ( 打こ , フ。 したが、路銀は』 ばする程、狂う血を、何うしようもなく、 『おさめ様から、二百両くれた。金のてまえにも、今度こそ、 『ああ、わしも凡の人間じゃった』 ほんもの 真物を持たねば江戸へ帰れぬそ』 と、永い孤独を顧みて、老の顔に、自ら何たる事だろうと思 二人は、丁字風呂で、腹ごさえと、旅支度にかかった。そし いながらも、さんさんと、恋の涙をながすのであった。 にんのうおこ て、江戸を発ったのが、二月初旬、上方の春を、血まなこに、 『そうだ。あの娘を、側に預かっていればこそ、煩悩も起る 探し歩いて、やっと、奉行所筋から、お品が、讃岐に渡ったこ人間の弱さが出るのじゃ。頼みをうけた藤十郎殿にはすまぬ とを聞きだした。 が、理をいって、家を出てもらおう』 こんびらふね 琴平行の金毘羅船は、お品にとって、大きな兇風を帆に孕ん夜具の上に、坐り直して考えた。 采女と喬助は、やがて四国の地へ下りた。 さすがに彼も一代で名をなした室の検校である。煩悩と気が あした つくと、大きなあばた顔を振りうごかし、明日を待てぬように 立ち上った。 ・も , ルに ) よ、つ そして廊下から、お品の寝ている部屋の方へ、みしつ、みし 春夜悶情 つ、と足の先を探って歩いてゆくと、庭先に、人の気配がし あわ た。木の枝が、ばさっと刎ね、次に、慌てたらしい物音と一緒 ふ 無数の妖虫が舞うように、白い光の斑が朧夜の軒端にひらひに、垣の外へ、誰やら飛び降りた跫音が一つ、とんと響い らしていた。 『はてな ? 眼のわるい室の検校には、落花が、そう映る : 家のうちから男が ? 』 のであった。 検校は、むらむらと嫉妬を感じた。いつのまにか、お品の部 ぞうずさんふもとむら 盗人の入った例のないこの象頭山の麓村では、春から先は、屋へ男が忍んできているのだと思った。彼の正しい考え方は、 - 一うべ 戸を閉てて寝ない習慣なので、枕に頭をあてながら、月もみ途端に、毒のような猜疑と捨て鉢なものに変ってしまった。 ためし むろけんよう おぼろよのきば キ、ぬき はら ただ しっと

2. 吉川英治全集 第12巻 恋山彦・善魔鬘・きつね雨

じよろう 「あっ 『吉保つ。柳沢吉保やある。この女﨟を受け取りに出られ候 彦藤十郎は、手を伸ばして、 え。伊那小源太が一言申す事のあれば 『お品つ、何処へ行くのじゃ』 そう云いながら小源太は、炬のような眼で廊下の四方を見 よろ 山 と蹌めいた。 た。近づいて来る敵もあらばと、右手を空けて身構えているの ひるが であった。 お品は、途端に身を翻えして二人の側から飛び離れていた。 恋 三方の廻廊には、無数の人間の影が、無数の白刃を此方へ向 そして遠くから、 すすきどて なりしず しはた けた儘、芒の堤のように、唯黒々と、鳴を鎮めている。そこら 『亡父の遺言を為果さぬうちは、恋も、女心もない私でした に、横ざまに仆れている影は、もう息のない死骸だった。 が、山彦が手にもどったからには、お品は、女になって、行き たい所へ行かせてもらいます。心の良人、二世の良人、小源太すると、その人影の中から狂わしく、 のが 『慮外な山男奴 ! 誰ぞ、あの山男の手から、おさめの身を奪 様の危地をうしろに、一人で遁れる気持はございませぬ。 い回す者はないか つ。これ程の中に、一人も立ち対う者は居ら 藤十郎様、其角様、恩知らずな奴とお蔑みでございましよう ぬのかつ。 が、お見のがしくださいませ』 おさめの身が危い。おさめの体を、奪り返せ あなた ッ そう云って、彼方から二人の影へ向って、掌をあわせたかと しゆら 思うと、急に走って、今出て来た裏門から、再び修羅の中へ駈吉保の叫ぶのが聞えた。 だが、彼の富も権力も、ここでは行われなかった。誰あっ け込んでしまった。 いのち て、超人間的な怪力の持主の前へ生命を捨てに飛びかかって行 く者はない。 うねめ 『ええ、卑怯者め。采女出ろっ、藍田喬助は居ないかっ』 神材供養 床を踏み、拳を振って、彼の絶叫するさまを、小源太は冷や やかに見ていたが、 『あはははは。吾れを騙いて、平家村の勅文を取り上げた奸物 小源太は、足もとに、一人の女の黒髪を手に巻いて引き据え 吉保、一人の女子を、こうされる位は、まだ易い事ぞ。その応 ながら、四方を睨めまわしていた。 ふすま 管絃の間や、次の間から次の間へと、襖建具はすべて外れた報を、今宵こそ思い知らしてやろうず。それにて、まず序の舞 を、見物候え』 り砕かれたりして、洞然たる暗い風が吹き通っていた。 おのの わらにんよう 源太はそう云って、おさめの方の 彼が見つけて、黒髪をつかんだ女は、物陰に顫きながら隠れ藁人形でも持つように、、 しろめめかいどりよ ていた吉保の愛妾おさめの方であった。白絖の裲襠が縒れた絹体を、軽々と、片手で胸へ抱き上げた。そして、脇差の柄へ手 と云って、自身で小源太の方 糸のように裾を曳いていた。むろん気を失っていたのであろをかけた様子に、吉保はあッ う、身動きもしないのである。 へ駈け出そうとした。 すそひ よ、つ 、けす す かえ め こぶしふる あざむ こなた 1 イ 2

3. 吉川英治全集 第12巻 恋山彦・善魔鬘・きつね雨

るが上策じゃ』 「逃がすな』 ころ つづら 彦と云いつつ、駈けて来ては、転び合った。 紀文は、葛籠の反物を開けて、お品を中〈隠した。そして、Ⅷ さお しるし そこでその儘、刺し殺されても、山彦は離すまいと観念し三絃は、棹と胴を三つに畳んで帯地の反物と共に紀乃国屋の印 山 て、お品は抱きしめていたが、やがて、舞台の方で凄まじい響のある風呂敷でつつみ、それを携げて、一蝶と二人して、一足 ま おおかびん きがして、御簾が飛ぶし、大花瓶は砕けるし、太い丸柱すら揺先に、裏門から紛れ出てしまった。 恋 そこから眺めていると、吉保の別荘の方へと、八方の門か れて来た。超人伊那小源太が死にもの狂いに暴れだしたのであ ち上うちん る。 ら、提灯と人影とが、駈け集まってゆく。そして、炎のない火 舞台に敷き詰てある厚い檜板を小脇にかかえて、柱を打っと事場のような物音と、声とが、真っ黒な楼閣のうちから聞えて くる。 柱は折れた、人間を打っと人間は飛んだ、ゼ、欄間は、紙の 柳沢家の家中は勿論、警護の士から足軽まで、挙って、建 ように飛んだ。 物の方へ走って行ったので、何処の門も、当然手薄になった筈 ( ーーー誰か自分を呼んでいる ) お品は、絶え入るかと思ったが、その声に吾れに回った。然である。 し、小源太がここにいるとは夢にも思わなかった。唯、ふと気でーー・様子を見に行った其角が、程なくそこへ戻って来て、 しきいわ がつくと、大廊下の閾際に自分は仆れていたので、騒ぐ人々の『藤十郎どの。今のうちだそ』 と、さし刀ロ、こ。 隙を狙って、廊の欄から下へ、眼をふさいで飛び下りた。 縁の高さは、五尺とは無かったが、下は植込の崖だった。お『大丈夫かの』 ちゅうげん 『今なら、裏門に、仲間らしいのが、居ることはいるが、大混 品は一度、地へ足を着けたが、前へのめって、池のふちまで転 っ一 ) 0 、刀学 / 雑で、いくらでも、逃げられそうじゃ』 すると、後を追って来て、彼女の体を直ぐ抱き起した者があ『そうか』 つづら っ ) 0 葛籠を開けて、お品の手を引き出して、 『さ、阜・く』 『よくやった。 お品、確乎せい』 きかく 其角は側から、 見ると、其角だった。 、ちょうがさ 『待った』と止めてーー『その銀杏笠では人目に立つ。笠を捨 もう一人は、坂田藤十郎である。 両側からお品を抱え起して、驀っしぐらに、六義園の暗い本てて』 と注意した。 蔭へと逃げこんだ。そこは、昼間の十七軒店で、取り散らした 藤十郎は、自分の羽織を脱いで、お品の頭から被せた。彼女 紀文の小屋に、文左衛門と一蝶も立っていた。 お品さんは、暫は帯に短い一腰を差しているので、ちょっと、男のように見え 『山彦は、先へ、誰か持って出たがよい。 くの間、この葛籠のうちへ隠れていて、隙を見定めてから逃げ つづら しつかり ちょう ま たお かえ たんもの さむらい ろうかく かぶ こぞ