「俺は、思いきらねえそ。何といおうが、男の意地でも』 一時の怒りが醒めてみると、己れを恥じ、己れを責めこそす わめ 、つき 喚きつつ、半町ほど、宙を飛んで追いかけた れ、お品を憎む気には何うしてもなれなかった。たとえ、先刻 「あれつ の物音が、お品の許へ忍んでくる情人であったにせよ、不義は * 一と 野獣のような影が、お品へ跳びかかって、襟元を噛むように不義として、教え喩してやるのが師の道であり、又、坂田藤十 はず どて てんしょ 抱き竦めた。仆れる弾みに、二つの影は、堤からごろごろと野郎から頼まれた添書に対しても尽すべき知己の徳義ではなかっ の方へ転がり落ちた。 振り抗いでは、逃げるお品。 『わしは、間違っていた ! 』 よろ 跳びかかっては、蹌めく勘太郎 根が正直な人物、そう考え出すと矢も楯もなく、蒲団を刎ね さ、 月は雲の薄墨にいぶされて、何処かを、五位鷺の声が翔け退け、 『まだ、遠くへはゆくまい』 急いで、衣服を着換え、不自由な眼には、月も闇もなく、杖 にすがって、街道へ出た。 めくら 盲人は勘がよい。立ちどまっては耳を澄ましている。お品の 野末の声 跫音を聞き澄ますのであった。 『はて、何う行ったであろう ? この儘別れては、生涯寝 室の検校は、お品を追放して、これで悩みの根を断ったとい ざめが悪い』 どて , っト , っこ、 堤に立って、夜風に吹かれつつ、お品の名を呼び、三、四町 てもと 『ああ、もう誰に頼まれても、女弟子など手許に置くものじゃ ほど行くと、荒々しい男の喚き声と、悲鳴とが流れてきた。 『おおっ どれ、さつばりと、忘れて寝よう』 どうき おのれ まろ いくたびよろ 自分の果断に、幾分か動悸を覚えたが、よくやったと、己へ検校は、堤から転び落ちた。草の根につまずいては幾度か蹌 呟いて、夜具を被った。 めき、声を目あてに、 然し、寝ぐるしさは、前にも増していた。眼は瞑っても、種『お品つ、何うした ? 何うしやった ? 』 ざま 種の事が頭を駆けめぐって、 叫ぶと、一人の男が、突き当った。逃げる跫音、狂い追う ・ : だがお品はわしを恨んでおろう。裏木一尸の音がしたから息。ーーー検校は、あっ、と感づいて、 あす の出て行ったのであろうが、この夜中に家を出され、明日の夜か 『さては、先刻家を窺っていた男は、お品の情人ではなく、こ あて ふびん であい 末らの的もあるまいに。 ・ : 思えば不愍 : : : それもよく考えてみの悪者めか それを不義の出会と疑ってーーーおおわしは、 としがい 野れば、元々、わしが悪いのじゃ。わしの修養が至らぬからで、何たる年甲斐のない : お品の罪では決してない』 慚愧にうたれると、同時に、彼は奮然と、お品の危機を救お つぶや すく かぶ さま ざんき どて * 、つき うかが たて っえ
かえ と、云った。 だがーー若殿の鶴之丞が、惨たる姿で、帰邸った夜の家中の 彦狼狽とロ走りとで、お品もすべてを、知ってしまった。そし 間もなく、お品は、次の間〈来て手をついた。江戸へ戻 0 て きわ て、小源太がそういう境遇にいる以上、自分も、ここを脱出し からは、一際美しさが研き出されたように見える。鶴之丞は、 じゅそ じっ 山 て、共に、呪咀の鬼となって、権力と闘おう。そして、もいち彼女の襟あしへ、凝と、熱のある眼を射向けた。 すき ど、柳沢家に奪われた山彦を奪りもどして。ーーと、密かに隙を『退屈じやろうの、お品・ いっか、機があったら、篤と、 恋 , つかがっていた。 そちの耳に入れたいことがあるのじゃ。何と、そちも、薄々 そう、決意はしたものの、事は、簡単ではない。彼女も、絶は、考えついて居ろうが : えず二名の番士に、監視されている体だった。 老臣がいるので、率直なことばをっているが、眼がものを 『若殿が、御病気なそうでございますが』 云っている。お品は、それを読んでいたが、 ふつつかもの お品はその番士に話しかけこ。 『不束女の私など、とても、お側には』 そなた 『左様』 『いや、そうでない。其女さえ、仕える気があるならば : しき 番士といっても、座敷牢ではない、客分扱いに、室も調度頻りと、謎をかける。お品は、程よく返辞をしていた。そし も、善美な中に、籠の鳥のように、唯、出入だけを監視してい て、一刻ほど、病間の次にいて、何かと、女らしい気くばりを みとり るのである。 して、看護をした。 『お容子は、、 : 、でございます』 このまま、病室から離 鶴之丞は、愈、ゝ、気に入ったらしい 『典医の話では、もう、お熱もだいぶ下がり気味じゃと申す』 したくない容子だった。然し、大身のわずらわしさで、そうも ならなかった。 『お見舞に参りたいと存じますが、おゆるしを願われましよう カ』 七刻頃、お品は、病間を退がった。番士は、錠ロの外で、待 ここのつ 『そ , っさの、つ』 っていたが、お品は、八刻になっても、九刻近くなっても、姿 が見えなかった。 同役と顔を見あわせて、 二応、伺ってみねば』 薄々、若殿の鶴之丞が、彼女に、思慕のあることを知ってい 『お伺い下さいませ』 る番士たちは、心の裡で、 『明日でもよかろ , フ』 ( だいぶ、話がお永いなあ ) と笑っていたが、余り更けるので、畏る畏る、宿直に、伺い 『いえ。ほかにぜひ、お耳に入れたい事もございますからーー・』 と、強っていうと、番士はやむなく、老臣から、鶴之丞の耳へを立ててみると、 『何、お品どの ? 』 入れた。 と、意外のように、 鶴之丞は、むしろ、望んでいたように、 ひととき 『お品が。 『ー・ーーお品どのなら、もう、一刻も前に、居間へ、退がったで : ウム、そうか、通せ』 た ななっ みが はばか おり とのい
ば、この闇が、俺には幸い、お品さん、もう大概、伴蔵の心 彦ま、判ってくれるだろうな』 おばろ 山 朧夜男 『え。何とか、返辞をしてくれねえか。四条万太夫座で、見か いのち 恋けた頃から、俺あ、おめえに、人知れず、生命をかけていたん だぜ。その想いがかなって、四国まで、送ってゆく事になった お品は、匕首の切っ先を、凝と見ていた。初めは、顫えが出 のも、満更でねえ何かの縁。どうだえ、お品さんーーー』 て、逃げることのみを考えていたが、心がすわると、ロを開い かん 伴蔵は、露骨に、野心をあらわした。お品の腕首を、鉄の環て、その刃を、噛み切ってやりたいような、持前の江一尸娘の血 のように、固く握って、 が、むらっと、燃えてきた。 『まだ、女房のねえ俺だ、おめえの返辞一つでは』 『伴蔵さん、お前、それで私を、何うするつもり ? 』 お品は、男の顔を、平手で押した。 『知れていら。嫌だと、汝がいやあ』 『よして下さい、穢らわしい』 『殺す気ですか、わたくしを , ーーー』 『何、穢らわしい』 『望みなら』 『は、、私は、そんな話、聞く耳がござんせぬ』 『ホ、ホ、ホ。お品は、そんな事に、驚く女じゃありません みそこ 『娘十九、木じゃなし、花じゃなし、こう、男が恥を打ち割っ よ。見損なって、男を下げないうちに、お帰んなさい』 ていうのに』 『じゃ、何 , っしても』 『ええ、、つるさい』 『讃岐船が出る時刻、道草をしてはいられません』 腕を、振りほどいて、 『汝つ。船へは、やらねえっ』 『狼つ。お帰りつ』 『あっ ! 』 みだらまね もいちど、猥な真似をしたら、宥すまいという眉をみせて、 お品は、背にかけていた山彦へ、伴蔵の刃が来たので、肩を かいな かがや お品は、胸を、腕で守った。 竦めた。伴蔵の眼は、山猫のように耀いていた。脅しに抜いオ 『ふん : ・・ : 、俺を、狼だと』 匕首のやり場を失って、 伴蔵は、白い歯を剥いて、 『こうなりや、破れかぶれだそ』 みえ 『こう、爪を出した送り狼、そんな見得で、尻尾を巻く伴蔵様狂暴に、斬りつけて来た。 じゃねえぞ。泣くなら泣け、喚くなら喚け、ここは、安治川の お品は、逃げきれなかった。藤十郎から餞別に貰った短い女 早、し 、し - 一ろ むか 十万坪、船着場は、向う河岸で、人の通らぬ八貫島の原だ。男差刀を抜いて、抗った。枯れ草の根や、石塊に、彼女は何度も とお の一分、腕にかけても貫すから、そう思え』 跛すいたが、伴蔵も、未練があるので、お品を殺すまでの気持 あいくち 匕首を抜いて、お品の眼へ、突きつけた。 にはならなかった。 わめ ゆる あいくち つま うめ てめえ おとこ じっ おど ふる
恋山彦 におなりなすって、定めし、わしを怨んでお居でだろう。だ 両岸で、声を交しつつ、瀬や芦の間を、探して行った。小舟 が、お前さんの為に、よかれと思って為た事じゃ。どうか、ゆも出た。 おか るして下されや』 陸は陸で、森や、池や、あらゆる方角へ、お品を探す人々が ちまなこ 生ける人へ詫るようにいって、手をついた。そして、 駈け廻った。藤十郎自身も、血眼だった。 ひらかた とあみ 『お品さんは、何処に ? 』 すると、枚方から五、六町下流で、投網を打っていた漁師 まわり と、周囲の顔を、見まわした。 が、お品を救い上げた。 といっても、水へ入った後なの 勘太郎が、先刻の事情を告げると、藤十郎は何か用があるらで、当然、意識はなく、体は凍っていた。 しく、彼を案内に立てて、茶屋の亭主も一緒に、そこへ戻っ 藁火を焚く、水を吐かせる、医者を招ぶ、ーー藤十郎の気遣 はため いと必死な手当は、傍目にも涙ぐましかった。彼は、それから 勘太郎は、先へ、土間へ入って、 四日程の間、枚方の川魚茶屋の一棟を借りきって、お品の枕元 『お品さん、太夫さんが見えましたよ。お疲れでしようが、 に坐ったきり帯を解かなかった。 かいふく まぶた ちょっと、起きておくんなさい お品さんえ』 彼の一心がとどいて、お品は恢復した。けれど彼女の瞼は、 ただ 小屏風の中へ言ったが、返辞がなかった。 生きてる事を悲しむように、紅く、泣き爛れていた。 びより 亭主は、店の戸をみんな外した。 『お品さん、小春日和だ。返り花も咲いている。すこし、気を 朝の光が、街道からも、前の淀川からも 、、つま、に入っ 引き立てて、こっ方の部屋へ来て御覧』 勘太郎は、きよろきよろしていたが、突然、 藤十郎は、自分で茶を入れた。 『あっ、居ねえそっ。お品さんが、見えないっ』 窓のすぐ前を、三十石船の大きな帆が緩やかに通ってゆく。 どな 小屏風が仆れた。彼は、跳び上って、呶鳴った。 お品は、初冬の平和な光へ、眼をそらして、坐った。 お品の寝床は、冷たかった。 『源四郎さんの事をいうと、わしも、胸が痛いし、そなたも、 涙のたね。言わないことにしよう。さ、茶をお召り』 『所で、これからの相談だが、そなたの考えは』 名人情訓 『太夫様。死ぬ事がいけないなら、私は、父の怨みをはらし て、奪われた山彦を、奪り返しとうございます』 はや 霜の河原へ、大勢が駈けだした。朝の水脚は迅かった。白い 『なるほど : : : 』と藤十郎は、眼をふさいで。ーー『そうあるの もや かたき 靄の河内平野をうねって、淀は満々とながれていた。 が当然じゃ。わしも、源四郎さんの敵を取ってやりたい。真 『見つかったかあっ 実、そう思いまする』 『居ねえようつ』 藤十郎は、強く言って、そこで言葉をきった。日 , 岸の枯れ芦 わび み、つき わらびた あし あが
のうしよう 、つと臥った。 柘榴みたいに割れた頭に、白い骨が見え、血と脳漿が、飛び めぐ まわ 彦自分の姿を巡って、逃げ周るお品を庇いながら、呼吸を撓散った。 でも検校の、いは、宵のように苦しくはなかった。 しが て、それそと思う勘太郎の影へ、不意に獅噛みついて行った。最期の呼吸で、一声、 あつばれげん 山 勘太郎は、逆上していた。 『逃げてくれ、そして、天晴三絃の名手になれよ。 : お品 『邪魔するなっ』 : お品・ 恋 えび と、振り払ったが、検校は、必死のカで、払われても、引き海老のように曲がった死骸を、ごろんと蹴返し、勘太郎の刃 摺られても、手を離さなかった。 は、お品へ向って来た。彼女は師の最期のことばに、 『あっ 『お品つ、逃げろ。わしが、こうしている間に早う逃げい。 あや りつぜん ただ、今宵のわしの酷い仕打は、室の検校が、生涯の過慄然と、身を交し、乱れた感情と、熱いものを眼につきあげ て、 失、どうそゆるしてくれよ、ゆるしてくれよっ』 ひね さけぶ間に、脚を掴まれて、焦れきッた勘太郎は、身を捻っ『済みませぬつ、忘れませぬ』 とつみ、 て、道中差をひき抜き、 酷い死骸の影を、心で拝みながらーー然しそれも突嗟だ 『えいつ、この、老ばれめ ! 』 野末の闇へ一散に又走りだした。 背中へ、ずとっ と一太刀、撲り落すと、何かたまろう、 『なぜ逃げるつ』 うしろ 室の検校は、傷口から出るような苦鳴を揚げて、 勘太郎の追う声が気味わるく後で聞えた。 めえ 『お品つ、わしに関わずーーーわしに関わずーーー。ううむつ・ ーし怖がるこたあねえそ。ーーー誰がお前を、殺すもの から もがきながらも、勘太郎の脚に絡みついた手は、鎖のように、 か。話がある。待てえツー・・ー・待てえっ よがすみ 離れなかった。そして、これがお品に贈る最大な師の愛と 夜霞が、しっとりと、白く野末に降りていた。 苦しいうちに愛慾の満足にみたされた 驚きの余り、お品は、 『おおつ、お師匠様ッ』 港の灯 くら あや 眼が眩んで、仆れかけたが、師を殺めた勘太郎に、今は憎悪 だけが燃えあがって、 『おのれつ』 時々、ひとりでに、い臓がビグリとして、お品は、幾度も顔を ほの 背を目がけて、突いてゆくと、勘太郎は、狂える血刀を滅多あげたが、仄かな朝の光を見てから、ぐっすりと寝入った。 打ちに振りまわして、 古びた辻堂の中だった。 『ええつ、離さねえかっ』 街道に、馬の蹄や、駕舁の声がにしくな 0 て、ふと眼を醒ま 検校の後頭部へ、ごっんと音をさせて、刃を落した。 すと、もう春の陽が乾いた大地に射返していた。 まり かま かば ため くろ
恋山彦 ものがあることを。 なぜならば、何を話しかけても、お品は、返辞をしてくれな いからである。 お品の : : : 』 『おお血だ : ・ 血だ : っ 一図に、ここ迄は、従いて来たものの、山に取り巻かれた嬰ン坊のような大声をあげて、伊那小源太ともあろうもの ら、急に淋しくなって、都会が恋しくなったのではないか ? が、大空に顔を上げて泣きだした。その泣き声も超人間的であ : 。手は固く自分の体に掴まってはいるけれど。 った。偉大なる野性であった。 泣くだけ泣くと、小源太は、何う考えたのか、突然涙を払っ そう思って、小源太はふと自分の肩に巻きついているお品の 手を触ってみた。 て、起ち上った。 おおおじ 『あっ ? ・ 『そうだ、大祖父がよい薬草を持っている。あれを服ませれば かえ 氷のように彼女の手は冷たかった。 生き甦る。きっと、もいちど生き甦って、この眼で、小源太を あわ 小源太は、慌てて彼女を草むらへ下ろして、両の手に抱きあ見てくれるだろう。急ごう、急ごう、山の部落へ』 げた。冷たいのは、手ばかりではない。 山を駈けることは平地よりも楽な小源太であった。忽ち、峰 とうげ 足も、頬も : のふところへ、渓流へ、そして峠へ、鹿のようにその姿は迅か っ一 ) 0 『お品あっ』 す れんれい しなの びよう 顔を摺りつけて、小 源太は呼んでみた。だが、お品は、眸を だが、甲武の連嶺や、信濃の山の波は、行く手に渺として余 開かなかった。 りにもまだ遠い くちもと 唇元に徴笑を含んで、幸福そうに死の睫毛を閉じているでは彼が胸に抱えてゆくお品の微笑の色が、それまで、果して変 なしか。小源太は、信じられないのである。死んでいるとは、 らずに居るだろうか。然し、小源太は信じている。 何うしても思えないのだった。 『助かる、助かる、まだ若いからーーー』 めちやめちゃ 『おロっー お品・ そう信じて、滅茶減茶に、人間の世界をうしろに疾走して行 だんだん 漸々に、おろおろ声になって、ばらばらと涙を彼女の顔にこくのであった。 『何うしてだろう ? 何時の間に ? 』 あお 小源太の顔は、お品のそれよりも蒼ざめてきた。だらりとし た彼女を両手に乗せたまま、凝としても居られないように、そ こらをま′っいた と、ーー足許に一本の矢が落ちた。白い矢羽が草むらへ浮い やじり た。拾ってみると、鏃には血しおがついている。そして初めて ねば 気がついた。自分の指にもねっとり、お品の背から粘ってくる あ ほお みやこ じっ まっげ あか の わ 0
んだ。 をもって、度々、源四郎を訪れてはいたが、いつも、 『もう一度いってみろ』 彦 ( さあ、こればかりは : : : ) うねめ かわ お生憎でした。父が渡すといっても、山 態よく、交していたのである。然し、その采女が、こん度の 山 旅を知って、この京都まで来たとあると、所司代の公用より彦は、古近江と、初代源四郎と、二人の魂がはいっている名 も、目的は、山彦にあることは知れきっている。先も、最後の器、父のほかに、持ち手はありません。私が嫌です』 恋 肚をきめてきたものと見て、それに対する要意をかためねばな『生意気なっ』 とっ、 らぬ。 喬助の腕がうごくのを感じた突嗟に、源四郎は、背をもっ て、お品をかばっこ。 お品の眸は、疑心や暗鬼ではなく、明かな戦意にかがやい くち 『お待ちください』 彼女の眉や紅唇のやさしさは、性格とは、反対だっ ど めくら めしい た。盲目の父をかかえてあらい世を通ってきた意志が、勝気な『退けつ、盲目っ』 わがままむすめ 『気ばかり強い吾儘娘、私がどんなにも、代っておわびいたし 江戸娘の血を、より濃くして、白い皮膚の下にひそめていた。 ます』 『では、渡すか、山彦を』 采女は、陰険な眼を、連れの男へやって、 かけあい しよせん お品は、さけんだ。 貴公、代ってくれ』 『所詮、俺のやさしい懸合ではだめだ。 『さほど、欲しければ、山彦を持つほどの、芸を腕に持ってお 『 , つむ』 あいだきようすけ 藍田喬助は、采女の悪友で、浪人ごろだ。のそと、お品の胸いでなされませ。おさめの方へも、そう仰っしやるがよござん ぼつけんあざ よこびん へ、自分の胸を寄せて行った。横鬢に、木剣痣があるし、眼す』 ろっこっ 『おのれつ』 は、兇悪をあらわしていた。剛健な肋骨は、不気味な迫力をも おやこ 采女は、お品の腕をつかんだ。父娘は、左右へ突き離され 『お品、おめえは何うだ。盲目の依怙地というやつで、親父は お願いでございます。こ だが、おめえ迄が、つまらぬ首を横に振り 「往来のお方つ、往来のお方つ。 相談にならぬ。 の目のわるい私の父を、万太夫座の太夫さんの楽屋まで、連れ やしめえな』 て行ってやって下さい』 『振ったら : ・・ : 何うなさいます』 父の体と、山彦を、一身で守りながら、お品はさけんだ。宵 『よすのだっ ! 馬鹿な強情は』 ちょうちん の四条を、ちらほら通る堤灯だの、人影だのが、わらわらと集 『お生憎でした』 っ一 ) 0 『何っ ? 』 み、つき 『よくいった。お品は人質』 先刻から唖みたいに黙っていた彼女の顔の白さを、恐怖のた いしゅう 采女は、蝟集してきた人影や駕に、それ以上の行動を不利と めと思っていた喬助は、ぬっと腕をのばして、お品の肩をつか あいだ おし ひとじち
恋山彦 「そうでないと申しているではないかー - ー。喬助だ』 刀の先で、指して云うと、女には強い武士が、七、八人躍り かかって、 『読めた。天にロなし、人をもって言わしむ。卑怯であろう』 『最前の曲者は此女か』 『誰か来いツ。誰か、来てくれつ』 『人非人 ! 』 帯をつかみ、襟がみをんだ。 樹を楯にして逃げ腰をしていた采女の体は、その樹と一緒に お品は、唇を噛んで、彼等が近づくと一緒に、小脇差を抜い 胴中から二つに斬れて、ずどうんと、上体が地響きを打って血 て、一人の者の真眉間へ、一撃を加えた。 ころ の中に転がった。 不意を喰って、 『おロっ 『あっ』と、その侍は、足を揚げた。 すぐ気がかりの方へ、小源太は走りかけたが、 お品は、よろめいた。 すると、大地に坐っていた小源太は、猛然と、大刀を持ち直『そうじゃ』 もとゾ」め・ 采女の死骸から、首を掻いて左の手に髻を掴んだ。そし して、突っ起った。鉄砲で撃たれた箇所は、右の深股だった。 うねめ て、宙を飛んでゆくと、早や、元の位置に彼女は居なかった。 驚いて、わっと退く人数の中に、市橋采女の姿を見かけて、 ひょう 『や、や ? 』 ト源太は、豹が兎を追うように、 見ると、数十歩先を、二十名程の侍が、お品を引っ立てて駈 『居たかっ』 けて行く。 と、云った。 みのが 何で見遁そう。小源太の体は、風を起して、近づいた。 采女は、胆を消して、 うしろ ものも云わずに、後から斬りつけた。 『助けろっ、助けてくれつ』 と、他の人々へ云ったが、崩れ立った人数は、見向きもしな『来たっ ! 』 かった。采女は、木蔭へかくれた。そして、木の間をぐるぐる叫び合うと、侍共は、蚊柱のようにわっと散らかった。そし て、引っ担いでいたお品の体を抛りだして、逃げて行った。 と逃げ廻りながら、 『わしじゃっ、小源太だっ。お品、大丈夫に心を持てよ』 「小源太、小源太、拙者に何の怨みがある。拙者は、吉保様の かえ 一声、耳のそばで云うと、お品はわれに甦って、 い、つけで、何もかも、上からの命令でやったに過ぎない。 山彦だってそうだ、俺が、奪えと云ったわけじゃない。お『オオ』と、腕に縋った。 ます ふびん かば 小源太は、山のような背を、彼女に向けて云った。 品は、元々、不愍と思って、庇って来たのだ。お品の父の十寸 見源四郎を殺したのも、拙者じゃない、喬助だ、あの藍田喬助『行こうそ、行こうそ。もう為るだけのことは為た、其女も、 小源太も』 だ : : : 。助けろ、助けてくれ、小源太』 あや 「だまれ、だまれ、さては、十寸見源四郎を殺めたのも、共方『連れて行ってください。静に、二人で暮せる所へーー』 しわざ 『来るか。お品・ の所業か』 くせものこ まみけん たて すが かばしら そなた
『この三絃に、見覚えがあるかの』 父の魂が頬へ、感じられた。 彦『ございませぬ』 『さ。この上は、少しもはやく、この上方を立ち退いたがよ 7 ふくろ 『嚢を、解いてごらんなさい』 。やがて、偽山彦に気がついて、采女と喬助が、共女を探し 山 いわるるまま、お品は、解きかけたが、ちらと見た紫檀棹のまわるに違いない』 藤十郎は、鬘師の伴蔵を呼んで、お品を、四国まで送ってゆ 恋 ことひら むろけんよう 『あっ ? 』 く事を吩咐けた。讃州の琴平に、古曲の名手、室の検校がい と、驚いて膝へ落した。 る。親しい間なので、藤十郎はそこへ、彼女の身をたのむ為に 添え状を書いて、 『いくら、執念ぶかい市橋采女でも、まさか四国と迄は、探し 当てまい 伴蔵、お前を見こんで、頼むのだぞ。どうか、 讃岐船 途中気をつけて行ってくれ』 っ一 ) 0 と、 よろこ 夢かーーと呆れながら、 伴蔵は、欣んでひきうけた。 ーーだが、それを知って、浮か 『太夫様、こ、これは、父の持っていた山彦ではございませぬない顔をしていたのは、大道具の勘太郎だった。 藤十郎は又、少なからぬ路銀を、お品へやった。お品は、こ いのち めと 『源四郎さんが、生命にかえて、守って来た品、今は愈、尊の恩を、どうして返そうかと思った。生涯、妻を娶らぬという 誓いをたてている藤十郎は、恋は、浮気なものとしていた。で 『この山彦は、市橋采女に、奪われたとばかり思っていました彼は、お品を、自分の妹と思うように心で努めた。 きたなふるめの のに、何うして、太夫様の手に ? 』 途中、目立たぬようにと、山彦は、わざと穢い古布に巻き、 みなり 藤十郎は、にこと笑って、 お品は、背へ斜めに掛けた。そして、身装も旅芸人のように、 きやはん わらじ 『悪人も、そう巧いわけにはゆかぬ。ーー万一の事があっては粗末な手甲に脚絆、足は草鞋、顔は笠。 と、源四郎さんが、持っていたのは、わしが使っていたつまら『旅かせぎの渡り鳥、あっしは、亭主と見せて行きましよう』 ぬ三味線』 鬘師の伴蔵は、笠の上から、手拭で頬冠りをした。 『えつ、それでは、采女や喬助は、その偽物を、山彦と思っ そして、勘太郎に、 て、盗んで行ったのでございましようか』 『こう、似合うだろう』 『ははは、そうじゃ』 と、冗談をいった。 『まあ』 勘太郎は、苦ッばい笑いを歪めて見ていたが、眉間には、隠 ほおず しっと お品は、山彦へ頬摺りした。甦生えった父と会ったように、 しきれぬ嫉妬が燃えた。 さぬ あき うねめ ぶね 上みが したんざお かつらし ゆが ほおかぶ かみがた みけん
月を見つけ、ロをゆすぎ、顔を いることを探りだし、雪辱的に、四国へ渡って来た両名なので そっと、裏の森へ抜けて、小ー ある。 洗う。 かぐらぶえ 森の彼方に、宮があって、月並の祭らしく、神楽笛が聞え『尾けろ』 、、や 囁き合って、喬助は馬を捨て、徒歩になって、見え隠れに、 彼女は、村の人々の中に交じって、食物を求めた。 夕方までに多度津へ着けば、そこから備前の宇野港へ渡る金宿場の軒下を伝わって行く。 采女は、馬の儘、遠くから、 びらぶね 毘羅船が出る。 見張りながら尾けて行った。 勘太郎の姿ばかりを、神経にとめていたお品は、まったく思 『それに乗ろう』 お品は心を決め、漠とした行く先を考えた。山へーー人の居いもせぬ二人には、気がっかなかった。そして多度津へ着いた たそが みやま のは、まだ海にタ雲の明るい黄昏れ前であった。 ない深山の道場へと。 みちのり 海辺に近い港の船待ち茶屋に入って、時刻を訊くと、夜の船 多度津迄は、二、三里の道程、ゆるゆる歩いてもタ刻までに ななっ ー間があるので、他の客も、弁当をつか 出は七刻だという。 、油断のならないのは、勘太郎の眼である。 は楽 ~ にノ、。た ) 、か あがな 彼女は、それのみに気を配りながら、善通寺の町を突きぬけてったり、土産物を購ったりしていた。 たしか 慥に いる街道をさっさと歩いていた。 采女と喬助とは、茶店の横で、何か囁き合っていたが、 すると、金毘羅講の一群が行き過ぎた。その後から、二頭のお品であることを見届けると、ついと入って来て、お品の前の しよう 道中馬に、ゆらりと跨がった二人連れの旅の武士が、 床几へ、笠を被った儘、腰を下ろした。 それでもーーーお品はまだ気附かなかった。 『やっ ? 今のは』 しき ねじ 暫くの間、海を見たり、頻りと出入りする雑多な旅客の風俗 編笠のつばに指をかけて、駒の上からくるりと身を捻り、 『藍田。ーー見たか』 を眺めたり、又、もしゃ勘太郎がーーと軒先の人影に気を配っ ているうち、何かの弾みで、采女の横顔が、笠の下からちらと 『似ているが , ・・ーー人違いじゃないか』 しか 『今、摺れちがった金毘羅講の群で、慥とは見えなかったが、見えた。 うしろ 『あっ ? 』 あの後姿ーーー』 『お品かな ? 』 同時に、一方の連れが藍田喬助であることも分って、彼女 すく 「お品だーー・三絃を背負っておる』 は、全身を氷のように硬くした儘、床几へ、居竦んでしまった。 灯二人は、市橋采女と、藍田喬助だ 0 た。 二人は肩を軽く動かした。声の無い笑いを洩らし、威圧と、 ますみ お品の父、十寸見源四郎を闇討ちして、偽の山彦を、名器と無言の脅迫に、 の 思い込んで奪って逃げ、柳沢家のおさめの方から一時は歓心を (- ー。もう、じたばたしても、無駄だぞ ) 港買ったが、すぐ偽物と分って、ひどく不信をうけ、再び、上方という意味を、相手に示していた。 路から手懸りを手繰って、お品が、室の検校の許に身を隠して余りの事に , ーー真逆か采女や喬助がこの四国に ) 0 あいだ たぐ ひとむれ むれ かぶ いや眼の