久助は、自分のおっ母あへ云いつけるように泣いて訴えた。 称めちぎッてやった。 せんきや のろきゅう ぬねずみ すると、久助のやっ、何う考えたのか、濡れ鼠になった頭久助は、級友のうちで一名野呂久、又の名を疝気屋久助といっ くすりどんや を、雑巾のお化けみたいに横に振って、わアーンと手ばなしでて、薬問屋みたいな綽名を貰っているのだった「それなのにそ の病人の病気を、俺は、この非常時で、すっかり忘れていた。 泣き出した。 たっちょうにわ 『やだあ、やだあ。おらも帰りてえや。陽が暮れると暗くなる冷たい雨に叩かれて脱腸が遽かに痛み出したのだろう。そう分 ると気の毒になった。 から、家の方が分らねえもの。おっ母あに叱られら。おらを、 かん・ヘん 『勘弁しな、その代りに、おらが負ぶってやるからな』 帰してくンなようウ、帰してくンなよウ』 きやっ 反動の又反動だ。俺の眼は三角になった。 俺は、彼奴を背中に乗ッけて歩き出した。 すると又、 「帰るなら、自分の足でさッさと帰れ』 『やだあ、やだあ。其ッ方へ行っちゃ、やだあ』 『歩けない : ・・ : 歩けない : 心細い声を出す奴だ。そして久助の奴は、オシッコがっかえ背中で暴れながら、久助は、反対の方角を指さした。だが俺 たような恰好して、自分の前を抑えているのだ。 は、村へ帰っても、家へは帰れないのだし、それに、ここまで しやく なか 来て戻るのは癪だから、 『お腹でも痛いのけえ ? 』と、訊くと、 『、つ , っ , ル』 『御料林の小屋へ行くだ。村へ行くより、小屋の方が近えだに』 と、かまわず走った。 『道が恐いのけえ ? 』 『、つ、つん』 向う組の桜内やほかの者は何うしたろうか。細い猪道は渓谷 しま入ち 何でもううんで首を振ってやがる とお別れして、匍松の崖だの、急な樹林道を上ったり下りたり じ 俺は焦れッたくなって、 だ。自分の体一つでも骨の折れるはき ( 難場 ) だから、久助は、 『勝手に為さらせッ』 俺の背中から何度も振り落された。その度に、俺は久助の痛が ころ っ と、突ッ転ばしてやった。 っているゴム風船が破裂しやしないかと思って、はらはらし もろかえるまた あおむ た。おまけに、この風船は、瓦斯体でないとみえて軽くない。 巻久助は、ロポットより脆く蛙股になって仰向けに引っくり返 びつくり たたが、俺も一緒に、きやっと云いたいほど吃驚しちまっ み、つキ - 久助は、ふいに、俺の耳を引張った。 夫た。なぜというに、久助が先刻から手で抑えていた着物の下か あかばう 『熊だよ、熊だよ。何うすべえ』 ダら、いきなり嬰ン坊のあたま位ある風船がとび出していたから 『ほんとけ ? ・』 俺も、あわを食った。 『ダッチョーが痛いーーー』 ぞうきん し 0 ニックネーム はれつ ししみち
『まだ、用があんのけ ? 』 た。誰かと思うと、アルプス山麓の分教場で、机をならべてい しんもっ せんきや ってえ、何だい ? 』 『その進物は、い た学校友達、シオカラ虫仲間の疝気屋久助ではないか。 『これか』 吃驚したの何のツて。 久助は、大事そうに自転車へ付けて来た箱をゆすぶって見て、 『や、われも、東京さ出て来たのけ ? 』 『水だよ』 『そんだ、この五月頃によ、奉公に来たんさ」 あやま 『水の謝罪りに行くに、水の進物ちゅう事があるか果汁け ? 』 『何けえ ? 』 ガラス 『ううん、ただの硝子箱に、水がへえってるだけだ』 『銀座のメッセンジャー倶楽部』 『どれどれ、出して見ようや』 「なんでえ、そりゃあ』 『使屋の会社だい。そしてなアおい、これ、千匹屋から頼まれ『開けたら、体裁がわるい』 みとめ してねえか』 たんだ、受取に認印を捺してくんない』 『後で、その通り、包んでおけば、、、。 『待てやい、久助』 なる程、水だ。横一尺に縦一尺五、六寸もある立派なグラス あんだい』 、水がいつばい漲ってある。 だが、外箱を脱いで、ギャマンの肌を透かしてみると、底に 『ついでに、これを、隣家の金持の邸へ、届けてくれやい』 ししとも』 は、綺麗な砂が敷いてあって、田螺が二、三匹寝ころんでい めだか る。そして、すばらしく小粒で活漫な目高が、数えてみたら、 『俺の代理に行くんだから、よく、頭を下げて謝るのだそ。 きっかり三十尾泳ぎまわっていた。 昨日は、お嬢様に、失礼いたしました。これは、お慰みに 『ひやあ、馬鹿に光る目高だな』 差上げてください 『外国の目高は、光るんだぜ』 『それでいいんか』 『 : つけ・』 『、フ . む』 『田螺も外国のだから、すこし違う』 『頭なんか、一日に、百遍も下げてるで、何ともねえ』 いくら 『日給は幾値だい ? 』 『何うするのけ。これを』 『食うのさ、果物屋で売ってるだもの』 の「六十銭』 浪『すると、頭一ツ、六厘につくぜ。十ばかり下げて来てくれや久助は、なかなかよく知っている。俺は、感心したが、 放 『食うにしちゃ、少しだな』 、。六銭やるから』 『いらねえやい、六銭ばかし』 『一人前だろ』 都 『おめえ、食ったことあるのけ』 『久助、久助』 会 ン一なり びき シロップ 2 〃
『これからです、捜索は』 ィーし。カ六ン ) そと、黒いものが そういえば、艮の下のうね云、こ、、、、 りようし くろかわど 『御苦労だな』 将木の葉をうごかしてくる。二十日ほど前、黒川渡の猟師のおッ ひぐま 『ど , ついたしまして』 さんが、御料林の近所で、狒熊を一疋撃ち損ねたということだ す ど ぶから、そいつだったら、見つかったが最後だそ、と俺は、胸が何んなもんだい。紳士と話をするとなれば、俺だッて、この る ドキついていた。久助も現金な奴だ。俺の背中を飛び下りて、位は応対できる。久助は俺の側へ来ると、小声で、 あ 『あれ、官舎のおッさんだろう』 もう先へ逃げ腰を向けている。 『そうさ。おッさんなんて呼ぶと、怒られるそ』 ところが、大一いさ。 眼の前へ、のっそりと登って来たのは、かんかん帽子を被っ「何ていう人』 『木村さんさ』 た営林区署のお役人様だ。 なまえ あらし この人も、暴風雨に遭った仲間とみえ、上着もゲートルも泥『槇子ちゃんと同じ姓名だね』 『あたり前さ、お父っさんだもの』 んこだ。 『槇子ちゃんのお父っさんは偉いんだなあ』 俺を見ると、 『よう大将。お前も濡れたな。早く引揚げないと、又さっきょ『偉いとも。郡長さんとだッて、話をするんだぜ』 木村さんは、振り顧って りひどい風雨がやって来るそ』 ど こんち 「君たちも、小屋へ寄って、その着物でも乾かしては何うだい』 『△フ日は これから小屋へ行く所であります』 俺は、天長節に学校でやる敬礼よりも、もっと上等なお辞儀『はい、 『挈、、つか』 をして、 木村さんは、久助の変な歩き方をすぐ発見して、 『はい、雨ぐらいは、屁とも思わんです』 「脚でも傷めたかね』 と、一一 = ロった。 ぐどん 『、つ、つん』 なぜ俺がこんなに敬意を表してるか、愚鈍な久助には、分る まきこ まい。何も、お役人様だからじゃない。俺の好きな槇子ちゃん久助の奴、又、ううんで誤魔化している。 俺は、彼奴の腰を押したり腕を援けたりしながら、 のお父っさんであるが故に 「久助は、ダッチョーを持ってるんであります』 『ふウん : : : 』 たいど と、手口しこ。 槇子ちゃんのお父っさんは、俺の態度に、さも感心したらし 「ダッチョー ? っ・ ) 0 何処で捕まえたのかねそんな鳥を』 「鳥じゃありません。ここんとこが、空気枕みたいに 「遭難者は、見つかったかね』 へ けいれし かぶ きやっ かえ ごまか
させた。 オし』 『うまそうたな』 将『金持にやるのは勿体ねえや。池の目高でたくさんだ。田螺も 『俺が、こさえたんだそ。ーーー隣りじゃ何と言ったい』 もっと大きいのが居るぜ、取り換えてやろうか』 す 『お辞儀を、十してきた』 ぶ『止しない』 る 『それから』 久助は、気の小っちゃな眼をして止めたが、 あ 『お嬢様が出て来た』 『黙ってろ。おめえにも、食わしてやるからな』 『なんてッたい ? 』 バケツを持って来て、俺は、庭園の奥にある古池へ、日本の ッて、手を打ってよろこ 『あれを見て、まあ、天使魚よー 目高を掬いに行った。 んだよ』 『エンゼル・フィッシュって一一 = ロうのかな』 『とても、大騒ぎさ。前から欲しい欲しいとおねだりしていた 味無い山ノ手 そんな事も けれど、お父様は吝だから買って下さらない 言ったぜ。 それから、呉々も、よろしくって』 めだか 俺のかわりに、久助が、隣りの根木八右衛門氏の邸へ、目高『ふ、ふ』 『冷めないうちに食おうよ。俺っ方のほうが、少し大きい。そ と田螺を持って、謝罪の意を表してくる間に、俺は、外国の目 っちを貰おう』 高と田螺をバケツに泳がせて、コッグ部屋へ行ってみた。 かん 『俺が焼いたんだから、大きいのは、俺がの分だ』 伝太君は、く ノタ罐を枕に新聞で顔をかくして昼寝している。 『狡いな、大将』 ロ運のない男だ。起きていれば少しぐらい有りつけるのに。 コーヒーぢやわん タマゴ 『だまって食え』 フライ鍋に、油をしいておいて、べつに、珈琲茶碗へ、鶏卵 ホーグに引っかけて、三ロばかりに頬張ってしまった。 を二つほど落した。バケツから布巾の上へすくい出した外国目 高を、その中へ、生きたまま抛りこんで掻き廻す。目高は、卵食べ終っても、久助は、だまっている。 まず 『おい、うまかったのけ。不味かったのけ』 のなかで伸びちまう。生きがいいから、さだめし、美味かろう。 ジューツと、フライ鍋で二人前に分けて焼く。そいつを、皿久助は、暫く考えてから、 あじな 『味無い、味無い』 にのせて、飛び出した。 唾をしながら、自転車に飛び乗った、 『もう、料理ができたのけ』 『この近所へ来たら、又寄ろよなあ』 久助は、玄関の石段に腰かけていた。そして、鼻をひこひこ ふきん する エンゼル・フィッシュ おれち 212
それから えに立てないのか。 オイオイ先生。 『森太郎作』 それからーーーそれからーーー真ん中頃になって、 忘れちゃ困るぜ。 『井田久助』 俺は、よッ程出てゆく先生へ、言ってやろうかと思ったが、 『へい』 胸がし 、、、ツばいになって、それも言えなかった。 久助の番だ。 シオカラ虫は、そろそろふざけ出し、久助が立っと、 せんきや 『疝気屋、疝気屋』 喇叭恥かし恋人に 小声で、からかった。 先生は、俺を睨んだ。俺じゃないそ。俺は、突ッついただけ 馬鹿らしいぞ、何う考えても。 きりつ ひと 『串本於兎 ! 』 独りばっちで、置いてけばりを食って、いっ迄、起立してる そら来た。 奴があるもんか。 俺は胸を反らし、どんなものだいー という顔で、大股に先俺は、そう考えて、指を咥えながら、そろそろ校庭の方へ行 ってみた。 生の前へ進もうとすると、 『免状ではないツ。静かにして居らにやいかん』 優等生の桜内や、槇子ちゃんのお母さん達、それから、久助 おやじ 頭を掻いて、俺が、引っ込むと、みんな、わっと笑った。教の親爺まで、先生をとり囲んで永々のお礼を、永々とのべてい る。 室の外の父兄たちも、どっと笑った。 長ッ平も、為ア公も、みんなお免状を貰った。女生徒の方も お別れが悲しいのか、槇子ちゃんは、先生にお辞儀しながら すんた。 先生の机の上にはもう、何もない ンケチを眼にあてていた。 『では、式はすみました』 桜内が、 再び、オルガンに連れて、生徒たちは外へ出てゆく。そして ( 何泣くの ) の ふと”一ろきき 生待ちかまえている父兄たちの懐中へ嬉々として飛びついて行っ とか、何とか言って、槇子ちゃんの背中に手をのせ、甘った 先一 ) 0 るい表情をしてやがる。 『ーーー御機嫌よう』 廃俺はさびしい。泣きたくなった。 すだ 巣立ちの鳥の中で、たった一羽、俺ばかりが跛のヒョコみて『先生も』 か びつこ ラツ・ じ 745
涙は、塩ッばい てみたら、案の定、伯父貴は仕事に出かけてもう居なかった。 将おっ母あも何処かで、こんな塩ッばい涙を嘗めて居るんじゃ俺は、お飯櫃を空ッばにして遊びに出かけた。 すないか。東京で奉公してるって誰かが云った。ほんとだろう学校は分教場だし、教室が一つで、先生が一人と来てるか せんさま ぶか、ほんとなら会いたいなあ。 ら、六年生は午後からだ。先様お代りで一時から初まるんだ。 なきむし る なぜだか、今夜の俺は、変ちくりんに泣虫だった。好いや、俺は腹がくちくなったので、この元気を何処へ持って行こうか あ と考えた。 見てるのは、お月様と栗鼠だけだ - 一う ちょぺい しゆくしゆくと、俺は両手を顔にあてて泣き出した。こうし為ア公の家を覗いたら、為ア公は居なかった。長ッ平の家を てたった一人、お花畑で泣いているのは迚もいい気持なもの覗いたら、長ッ平も居なかった。そこで久助の家へ行って、 だ。美味い菓子を食べてるのと同じ味がする。 『久ちやアん、遊ばないか』 オヤめずらしい事があるそ。分教場の方で、尺八の音がす と裏から呶鳴ったら、久助の姉ッ子が、台所から、 る。ああ分った。さっき先生の家に、徳利が見えたから、今夜『この、やくなし野郎め。於兎がのようなシオカラ虫と遊ん は、お酒を召し上って、それから、月がいし 、もんだから、縁側じゃならねえぞ』 めしつぶ へ出て、尺八をふき出してるんだろう。 と、久助には叱りとばし、俺には、飯粒の交ってる水をぶつ くろかわど 徳利といえば、さっきから、黒川渡の山の鼻にも、白いお神力。た きどっくり 、徳利みたいなものが、ちょこなんと置いてあるように見える シオカラ虫というのは、高山地帯にいるプョより細い害虫 かや が、まさか徳利じゃあるまい、何だろう ? で、そいつが煙みたいに襲ってくると、戸の隙間からも、蚊帳 俺は、さんざん、首をひねった。 の目からも、鼻の中へも耳の穴へも這入って来て、チクチク人 けいりゅうこ そのうちに、渓流の此ッ方から、どたんと猟銃の音がひびい 間を刺す。馬なんそは、くしやみばかりして、気狂いになる。 ふところべッド た。栗鼠公は、懐中の寝床から、どきッとしたように首をもたつまり、始末の悪い虫の餓鬼だ。 みき げた。見ると、彼方のお神酒徳利が、射的場の景品みたいに、 やくなし野郎というのは、信州ことばで、怠け者、性なし 崖の下へころころと落ッこって行った。 者、人間のくずという事だ。してみると、久助は屑で、俺は虫 ああ、分った。兎だ。月を見ていた風流な兎太夫だ。 危ねえ危ねえ。俺もこんな所にごろついていると、猟師の夜『於兎ゃあん。於兎ゃあん。待ッとくんなよう』 業仕事に、熊の子と間違えられて、どかんと一発食わされない 振り顧ると、久助が、家をとび出して駈けて来た。姉ッ子の とも限らねえそ。 眼をしのんで俺の後を追って来たんだ。うい奴、うい奴。 俺はその晩、帰らなかった。翌日になって、そっと家を覗い あした とて ちが
おくびよう 立ちにまったと思うと、留ン公も久助も、急に、臆病な眼を 将し合った。 にわか 大 足の裏から、遽に、体を持ち上げるような風が襲って来る 重い風船肩に乗せ す はいまっ ぶ匍松だの熊笹だの、そこらの植物はすべて、俺たちをここ迄お かぶ るびき寄せるために猫を被っていた悪人のようだ。怒った時の魔 すご 法使いが振る杖だって、こう凄くはないだろう。びゅう、びゅ人を小馬鹿にしたものは、山のお天気だ。 ヒステリーの御機嫌が直ったように、けろりと雨はやんじま うッと、囃っては霧を吹いた。その霧は又、水壜の中で振られ 空と山との間を、暫くもくもくしていた った。俺は、そっと頭を上げて、 る白砂糖みたいに、 が、五分間と経たないまに、すべての影像を呑み消して、天地「みんな、もうい がんばりれい をたった一枚の銀幕にしちまった。 と、非常時の頑張令を解いた 『わあツ、来たそ』 だが ? 何うしたんだい。そこらには、誰も見えやしない。 水の粒が、小砂利みたいに、横ッ面をなぐった。俺は、体を俺は隠れン坊の鬼みたいに、きよろきよろしながら、 さら はいまっ 攫われまいとしながら、匍松の根にしがみついて、 『ゃいッ何時まで屈み込んでるんだ。もう暴風雨は行ッちまっ 『阿呆うツ、意気地なしツ。帰る奴は、仲間ッ外れだそ。俺た たじゃねえか』 のろま ちは、東京の女の人を、捜しに来たんでねえか。こんな所から すると、岩の蔭から、雷鳥みたいに人のいい野呂間な眼をし 弓ッけえして、校長先生に何ういうだ。一 頑張れ、頑張れ』 た久助が、首を出して、 だが、どいつの返辞も聞えなかった。 『アア、怖かった : 聞えるのは、横なぐりにじゃんじゃん降り注いで来た白い雨『みんなは ? 』 の音ばかりだ。 「駈けて行ってしまったよ』 け、りゆ・つ 呼吸もできない。頭から行水だ。鼻すじからロの中へ渓流が『何っ方へ、 できる。そいつをアップアップ飲みながら、俺は、先生がいっ『村の方へ』 おけはざま か課外講話に話してくれた桶狭間の信長を思いながら、二十分ちえッくそ。シオカラ虫のやくなしー けいべっ あいつら 間も、呶鳴っていた。 俺は、逃げ足のはやい彼奴等を軽蔑してやる反動に 『頑張れ、頑張れ、シオカラ虫』 『久助、偉い、偉い。おめえだけは、魂がある。あんな蚊とん ば、いねえ方がましよ。なあ、おめえと二人で、遭難者を捜そ うぜ。え、久助』 ばず 1 一きげん 112
ために、 ばか 向う側の赤ッ尻う。狐に憑されたみてえに、棒をか〃 ついで、歩いてばかりいてけッカッても、遭難者は見つかりや す 大、ハクダン夫人の巻 しねえぞ』 る すると、桜内のやっ、怒ったとみえて、 あ 『赤ッ尻とはなんだ。落第坊主のくせにして、失敬なこと云う ぶたかい 『豚飼の息子だから赤ッ尻と云ったんが悪いか』 飛騨の空からのの字巻く 『うちは豚屋じゃないぞ。旅館だい』 はた 1 一 『旅宿の子なら、豚も同じじゃねえか。お客様の残り物ばかり あずさがわ で育ちゃがって、人間の子らしい事をこくな』 深い深い真ん中の谿間は、梓川の上流だ。 がき 『でも、山の荷持はしないとさ。強力の餓鬼や、水呑み百姓の 此っ方山の俺たちが、時々、 まき - 一 けっ 子とは遊ぶなって、槇子ちゃんのお父ッさんも云っていたぞ』 『ゃあーい。赤ッ尻う』 久助も長ッ平も、此っ方組はみんな水呑み百姓か強力の子だ 手でメガホンを拵えて呶鳴ると、 から、火みたいに、ばッばとなってやり返した。 『なんだアー しシオカラ虫い』 な と、向う山の断崖でも、負けん気の声を出して、級友の半分『チ , ーツくそ。てめえなんか、先生の前だけ、級長面しやが って、蔭にまわると、槇子ちゃんのお尻ばかり追いかけてやが が、山彦を揚げてやがる。 ラブ そうさくたい ら。この間も、槇子ちゃんの鞄へ、恋レターを入れやがったく 俺たちの捜索隊は、半里ほど上流へ進んだ。 向う側へ行った奴らは、ふだんから級長の桜内にオペッカっせに』 かっている品行方正組だが、こんな時には、負けるかって云う久助は、なかなか味をやる。俺の云いたい事を云ってくれ た。そこで俺も、 んだ。此っ方組は、俺がお山の大将で人数は少いが、長ッ平だ おしろい ・一う はばか 『そうだそうだ。あの級長はスケベイだぞ。あいつは、白粉を の、久助だの、留ン公だのって云う暴れンばの七人組だ。憚り つけてやがるからな。その白粉も東京のお客様が忘れて行った ながら元気が違うって事さ。 ーモニカだってそうだ。そして毎晩、槇子ちゃん けれど、だんだん山が深くなると、妙に毛穴が緊ってくるも品物だぜ。ハ しゃべ のだ。お喋舌りの三太も、ロ笛を吹いていた久助も、嫌に黙りの家の前を行ったり来たりしてるんだとさ』 こくって、足なみが弛んで来たから、俺は味方の気勢を揚げる桜内はかんかんになって、 たにま ゆる グラス づら
『ふ、ふ、ふ』 説明しかけると、久助は真っ赤になって、俺の顎を押した。 きちか 『うそだい。 『気狂いの真似なそおよしよ』 うそだい』 だっちょう 『てめえなんか、知った事かい』 『ははは、脱腸か。成程成程』 木村さんは、かんかん帽を脱って、水を切った。俺は、幻滅騎士の夢を誰か知らんやだ。 きれい すると、槇子ちゃんのお父っさんは、ロマンチストの夢を破 を感じた。あんな美麗な槇子ちゃんのお父っさんなのに、この ふもと 人の頭も焼ヶ岳だ。麓に多少の草本はあるが、頂上は不毛地帯って、 『おうツ、やっと山小屋へ来たぞ』 だ。陽洋先生と、弟たり難く、兄たり難し そう聞くと、そこ迄は、へなへな歩いていた久助も、忽ち息 槇子ちゃんを思うと、なぜかヒロイスチックな気持になる あなた 桜内に負けるものか、誰にだって負けるものかと思う。遭難者をふッ甦して、彼方を指さしながら、 『あ、見える。小屋、小屋』 は、きっと俺が見つけてみせる。 と、踊り出した。 もし、行方不明になった東京の貴婦人を、俺が助けて、意気 これがほんとの、コヤコャか。 まず、先生 揚々と分教場の校庭へ帰って行くとしたら ? が肩を叩いて称めてくれる。仲間のシオカラ虫が万歳をさけ まわり ぶ。青年団だの、駐在所のお巡査さんだのが集ってる中で、村 はうび ばらむす 長さんが褒美をくれるだろう。それから、俺の胸には、薔薇結 星の数ほど聟の数 びの善行章が輝く ォルガンが鳴るよ。俺の為めに。 再び、シオカラ虫が、俺を胴上げして、桜内の面当に、万歳二万分の一の地図をひろげて、 万歳を連呼する。桜内の奴は指を咥えて見てやがる 『ここたここた』 カーキ色が指で示した。 だが俺は、誰も眼中にない。ただ、槇子ちゃんの方を見て、 松薪がどかどか燃えている。小屋の中には、青年団だの、巡 巻につと笑う。槇子ちゃんも、にこっと笑う そうさくたい の 1 ーーそれでいいんだ。それで、 ししそれでいい』 査だの、強力だの、捜索隊の人間でいつばいだ。 たきび つばめ 夫久助が、変な顔をして、 電信柱の燕みたいに、仲よく、濡れたお尻を焚火であぶり合 ダ『何がそれでいいのさ』 いながら、 あずみ え。何か云ったか』 「ここが、安曇の国有林で』 『独りでぶつぶつ云いながら歩いてるじゃないか』 ひとりが、地図に就いて、解説する。 れんこ げんめつ かえ たちま
俺は、忘れやしない。 『将来、諸君が、百姓になるとも、商人になるとも、何になろ しようじき だが俺は、正直、勉強しなか 0 た。家へ帰ると、伯父貴の鎌うが、日本の第二のよき国民として、健康に伸びてゆく事を、 たね 大 蔵に、どたまばかり撲られて、飯炊きやったり使に走ったり、先生は、諸君に別れた後も祈っておる。わしは、胚子を下ろし す りよ・つし おんしようなえどこ ぶ夜は、猟師仲間が集まって、炉ばたで酒かばくちばかりやってた、 温床、苗床だ。これから、花をもつも、実をもつも、諸君の る 精神一つにある』 あ それに、シオカラ虫の久助だの長ッ平だのが、暇さえあれば と、結んで ゅうわく 誘惑に来るから、俺も、一党の大将として、嫌とはいえない。 『わしは、諸君が社会で咲かすそれぞれの花を楽しんで遠くか 寺一レ」、つ・つけ 雪の高原、雪の山、砂糖漬みたいになって、俺たちは遊んだ。 ら見てますぞ。では : 遊んだって、答案は出せる。 忙しい 雪が解けると、卒業式だ 先生は、ひとり役者だ、オルガンの前へ行って、こんどは、 万年六年生とも、今年こそお別れだろう。俺は、意気揚々と『卒業式の歌ーー・』だ しゅんこう して、学校へ行った。新校舎は九分まで竣工していた。古い分それがすむと、愈ミ免状式。 教場でする卒業式は、今年でラストだ。 第一番に、先生は厳かに、 女生徒は、リポンをつけ、吾等男生徒も、きようは袴をつけ 『桜内芳郎』 と、よんだ。 て並んだ。陽洋先生は、狐色のフロックコート。 『よッ 『諸君』 とくとく ゅうとうめんじよう 先生は、教壇に立って一場の演説をこころみた。 桜内のやっ、得々として、優等免状を最高礼式で受けて席へ あした 『ーー早いものです。諸君は明日から、小学校の巣を立って、 帰りやがった。俺は、唾をのんだ。 上の学校へ、或は社会へ、踏み出すようになった。六年の間 次に、先生は、女生徒の組へ、 わしが諸君へ、鍛ちこんだのは何だったか。 どうか、この『木村槇子』 学校を出ても、それだけは失わないで欲しい』 せいしゆく きよう程、静粛に、先生の声をちゃんと聞いてる日はない 槇子ちゃんは、起った。真っ紅になって、俯向きながら、そ せんきや そ。長ッ平も、疝気屋久助も、先生の声を聞くのは、これでおっと先生の前へ進む。ちらと横の方を見ると、教室の外には、 しまいだというように、真剣な顔をしていた。 父兄たちがいつばいに詰めかけて、自分の子ばかり眼でさがし 『そしてーー、』 ていた。その中に、槇子ちゃんのお母さんの顔もあった。 先生は、胸をのばし、両手を腰へまわした。 『石上カョ子』 はかま おごそ つば うつむ