馬券のガラ買合資会社をや「て一巨万の夢をみている彼等なら』 のである。 『妙だな、来ると言えばきッと来るトム公なのに』 は「諸君、紳士になったら、南京豆だけはよしたら何う』 だから私も心配なの』 んお光さんは、両手を腰につがえながら、服装と品行のつりあ お光さんは、折角もくろんで来た馬券合資会社の出ばなを折 力、、 し力とれない彼等のグループを上から眺めて、 られた気がして、こんな日に競馬場へ行っても勝てないに決っ ん か「それはそうと、トムは何うしたんだろうね』 ていると田 5 った。トムの居ないグループなら彼女になんの魅力 と、〕がかりらしく呟いた もない、用もない存在だった。 『そうだ、トム公だけが来ない』 帰ろ、つかしら ? ゅううつ と樫井は芝の上から立ち上った。そして、丘の端へ歩いてゆ彼女はめずらしく女らしい憂鬱に曇った。然しほかの連中 くお光さんの後について、そこから目の下に眺められる広い坦 は、競馬場の上の埃を見るだけでも気が逸って、トム公の見え せきりよう 道を、いっしょになって見下ろした。 ないことは伴奏者の来ない寂寥にはちがいなかったが、きよう 相沢から根岸の競馬場へとつづいているその道筋には、殆の希望に何らの支障とは思わないのである ど、蟻の行列のような夥しい人間の流れが動いてゆくのが見『もう十一時だ』 びき える。馬車、。ハラソル、二人曳の腕車、その中に高く見える騎ひとりが、つまらなそうに言った。 馬巡査の帽子、その路傍に押しつぶされかかっている風船売の 『お光さん行こうぜ ! 』 けんそう さくれつ 風船玉、すべての喧噪と色彩とが一つになって流れている。秋 花火が空に炸裂する、遠くの音楽隊の吹奏がながれてくる あおあお の空の碧々と澄んだ彼方の馬見所のグラウンドの上には、黄い観衆はグラウンドにつめ込んだ。 お光さんもまたきようの ほ - 一め・にじ ろい埃の虹が幾すじも立っていた。 合資会社の社長として否応なく連中に取りかこまれつつ競馬場 『どうしたんだろう ? 』 の入口に立った。 お光さんはもういちど呟いた。けれどあのチビなトム公であ『君、入場券をお買いよ。ええ、七枚』 るから、数万の人間が潮流のように押してゆく所に発見される 今村に紙幣を渡している時である。さっきから人に押されな きんちゃくきり わけもなかった。 がら立っていた巾着切の黒眼鏡が、すぐに彼女のすがたを見出 して、 『あいつだけ知らないのじゃないか、きよう競馬に行くこと を』と、樫井は言った。 『あ。お光君じゃありませんか』 『そんなことはないわけよ。ナンキン墓の帰りにも相談を聞い と寄って来た。 ていたし、あれから後、私の口からもよく話してあるんだか あり おびただ つぶや さっ はや
廃業先生の巻 ちょうわ 『進化です、汚れはしません。日本の進歩は調和にあります。 今は大調和時代ですのよ』 そんなことは、新聞語にもな 『なんだ、大調和時代とは。 廃業先生の巻 いそ』 『わたしの、イズムよ。 日本の自然なものに欧米の科学を 調和してゆく時代。 , ーーあらゆる生活に、芸術に、一一一口語や、一 軒の家庭にも、ビルディングにも、社会にもです。あなたのい インコ わいかぞくがく う、猥歌俗楽だって調和のリズムですわ。お琴や義太夫や、オ ここの音呼鳥は頭痛持ち ショロタカシマ : : : だけでは世界に愛される日本音楽にはなれ ませんからね』 『そんな事、福沢諭吉が言ったことじゃ。明治から大正までで あくる日は、日曜だった。俺は、先生の家へも顔を出さず、 はぐく 沢山じゃ。今育むべきものは、われ等の遠き大和民族より伝えサブマリン・テントも訪問しなかった。 月曜の朝は、俺がイの一番の登校だった。学校のカレンダー 来て漸く、退化せんとしおる日本的美風の欠乏をして : : : 』 れきじっ 『どこに、欠乏してますの』 は、まだ土曜日になっている。山中暦日なしの態。 『貴女のような、モガとか、何とか女か鉋か、判らんような 今朝の太陽は、おとといの太陽じゃない。 俺は、教室の窓を 片っ端から開け放ち、カレンダーの舌を二枚引き破った。 のが 4 『カンナとは、な、なんです ? 』 『於兎。早いなあ』 陽洋先生だ 『とに角、わしの教育しておる児童に、悪風の宣伝は困るー 先生は、後からやって来て、朗かに俺の肩をたたいた。先生 断る ! 』 みそしるかず の髭には、味噌汁の糟が明瞭についていた。然し、それも朗か 『どこに、悪風を』 な朝機嫌の象徴と見ればーー見えもする。 険悪険悪。 『おまえは午後の組じゃよ、 悪風より、颱風が起りそうだそ。 『朝から来てもしよ、つがあるまい』 『運動場で待ってるからいいや』 『変だな』 . かんな ひげ 735
メ カ まとま の話が、いっか豆菊の澄んだ心のなかに纒って分っていた。そ そうめい の淋しいものが、豆菊の少女らしさをだんだん内気な聡明にし カメ て来た。 『菊ちゃんは、時々、この別荘へよばれて来るのかい』 『ええ時々、千歳の女将さんや、姐さん達といっしょに』 - まじめ 『真面目ね、真面目ね、いやよ、島崎さんは』 『も、つじき帰るの ? 』 そういう夫人お槇は酔っていた。相手の酔の程度が不足なは 『まだでしよう、お客様たちが寝てしまわなければ』 うた 『じゃ、後で又、ここへ来ねえか。ふたりで唄おうよ』 ど酔っていた。庭へ出て、騎手の島崎と、腕を組んで、しどけ 彼女と島崎との対照は、ちょ なく夜露を漁って来るのだった。 , 『唄なんか唄いたくないわ。私、いろんな話がしたい』 うど脛の長いアフリカ種の馬のそばに驢が寄り添ったようで 「あ、をしてもいいき、』 『兄さんは一体、大きくなってから何をするの ? おっ母さんあるけれど、彼女は、十分な満足を感じ得ている。 ずる こんな 『あんた狡いわ、今夜は酔うと言っておいて、私にばかり飲ま は、これから先、どうして暮すの ? そして私は : せて、そのくせ、酔ってないんだもの』 ことも、話したいわ』 『それや無理ですよ、奥さん、騎手つてものは、朝から夜ま 『あ、島崎さんは、帰ったかい。 騎手の島崎さん』 で、派手なものにつつまれ通しでいながら、それで、夜更かし 『居たわ、今そこに』 も酒も、食べるものすらも、始終神経質でいなければならんの トム公は、花櫛をひろって、妹に渡してやりながら立った。 です』 『どこにいる』 マダム 『夫人といっしょに、客間から出て行ったわ。きっと庭の四阿『分ってるわよ』と夫人は地を出して , ーー『分っているけれ ど、こん夜はいいじゃないの』 亭の方へ行ったんでしよう』 『まだ、もう一競馬ありますからな』 『じゃ、後でネ』 豆菊の涙ッばい眼をそこにおいて、トム公はあわてて前の温『酒は飲めない、夜更かしはいけない、女も何もなんて、そん なにびくびくしていなければならないものなら騎手なんて、や 室の蔭へ帰って来た。 めっちまえばいいのにさ。坊さんになっても同じことだわ』 「じゃ来る ! きっと来るんだ』 彼の報告に、そこらの闇は又、人影をかくして、何げない夜『まったく、騎手生活なんて、はやくやめたいです。人気者に しん なるほどいやなものはありますまい』 の景色を森とととのえていた。 、じゃないの』 『だから、この次の競馬には、負けた方がいし や サロン ねえ あずま すね あさ マダム
這入り込み、エリゼをふん捕まえた事はふん捕まえたがーーー外 『どこですか、此家は。わたしはこんなところに用はありま 8 官の様子が分らねえので、烏が今に何とか合図でもするかと思っ 令 せん。帰してくれなければ、フランスの官憲を呼んで来ます て、此室の鍵をかってわざと屈み込んでいた所なんで」 うそ = ロ 見え透いた嘘である。 の 『冗談だろう』 羅は、肚の中で嗤ったが、 夜 羅は冷笑した。 『じゃあ、エリゼは捕まえたのか』 さわ 『エリゼさん、躁がない方が身の為だろうぜ。ここは秘密 『ええ、ここの寝床へ、ふん縛ってありますが』 『それなら、烏を待っているこたあねえ、門の外に自動車を待結社の本部だ。フランスの官憲などに手のつけられる場所じゃ ねえ』 たせてあるから、エリゼをそこへ引っ抱えて来い』 『あっ : : じゃあ ? ・』 『へい。」 きようがくひとみ エリゼは大きな眼をみはった。その驚愕の眸は、はじめて気 張の返辞は、伸びたゴムみたいに弾みがなかった。まさかこ ト - うし こへ親分の羅文旦が自身で来ようなどとは、彼も予期していなづいたように羅文旦の顔をいつまで凝視していた。羅はわざと 彼ま羅を裏切って、プラッグレイへ絹子の肩でグスリと笑って、 かったに違いない。冖。 『おい、この姐さんを、地下室へお通ししておけ』 身を持ち込み、その取引を済ましているので、心が穏かでない のである。 乾児にそう命じてから又エリザへ向っていっ / 『心配しなさんな、ここへおめえを連れて来てやったなあ、お だが、その絹子はもう此家を逃けた後だったから、それだけ は彼もほっとしたろう。エリゼの方は、プラッグレイが出て行めえを恋いこがれている可愛い亭主に引会わせてやる為だ。 くとき、彼から監視を頼まれたものであるが、プラックレイかが下で待ってるぜ。地下室へ行ってゆっくり積る話をするがい し』 ら取るべき金はもう取ってあるのだ。 エリゼはそう聞くと、よけいに蒼ざめて、死人のような唇を 張は、羅を裏切って、プラックレイに節操を売り、今またそ らっ のプラッグレイの鼻を明かして、羅の命ずるままエリゼを拉しわななかせたが、二人の乾児に両腕を掻い込まれると、観念し ひきあ て羅と共に、秘密結社の隠れ家へ、自動車で引揚げて来たように眼を落して、黙々と暗い階段を降りて行った。 その後ろ姿を見送って 『張。御苦労だったな』 四 『ど、ついたしまして』 自動車から降ろされると、エリゼは半狂人になってさけん張はムズ痒かった。 わら けず はんきちがい がゆ
いえ』 官 『へい』 がんちゃ 令 いくら胆の太い羅でも、馴れないうちは、弾の震動や機銃の部屋へ戻ると、卓のうえに茶が載っていた。上等な岩茶のか たば - 一 一口 おりを啜って、煙草へ火をつけると、 ひびきが耳について、寝つかれなかった。 の 夜然し、この頃は、弾丸のうなりがしないと物足らなくて、寝『盟長、お目ざめですか』 呼びにやった張子仙かと思うと、烏鉄梅がひょっこり顔を出 るにも淋しい心地がした。 『 : : : 今夜も何処かで戦っているな』 烏は、ゆうべあれから絹子を無事に北四川路まで送り届けた そう田 5 ううちに、ふしぎなほど深い眠りに這入るのが習性に なっていた。 ことを報告しに来たのであった。 それのみでなく、彼は、夜もすがら寝床を揺り上げて来る砲『御苦労だった』 煙草のけむりの中に、羅はふと、絹子の姿を描いてでもいる 弾の震動を、誰よりも、愉央なものに聞いていた ( この一弾一弾が、暗黒支那の掘鑿だ。東亜の楽土を、開発しような眼をしていた。 ことづ ているのだ ) 『 : : : 何かおれに、言伝けを云わなかったか』 べつに』 だから彼の寝顔は、夢の中にも微笑を持っていた。 キュウキャンろ じめじめ と、烏が引き退がろうとすると、吾れにかえったように、羅 また九江路の彼の隠れ家は、隠れ家といっても、決して湿々 だて は不意に止めた。 とした日蔭ではない。堂々たる六階の石造建で、彼の部屋など 『待てよ烏、おめえも此処にいてみるがいい』 は、夜明けとともに大陸的な朝陽がガラス窓を薄く染める。 羅は、寝床を出ると子供みたいな大きな伸びをしてすぐ洗面『何か、あるんですか』 ん 「今、張がおもしろい獲物を引っ張って来るから、てめえも吟 室へ駆け込んだ。 うしろ みやく こぶん うがい ゅうべお絹さんと別れてから、ニュー ベルを聞いた乾児が、含嗽をしている羅の背後に立って、顔味役になってくれ。 を拭き終るのを待っていた。 カルトンへ行って、その帰り途の拾い物だ』 ひげそ その姿を鏡の中に見ると、羅は髯を剃りにかかりながらいっ いっているところへ、乾児の張子仙がもうその拾い物のフラ ンス人の襟がみをつかんで這入って来た。 『張はど、つしている ? 』 『まだ寝ております』 『起して来い。そして、ちょっと、おれの部屋まで来るように べッド たま 『おい、張。あんまり手荒なことをするなよ。椅子をさしあげ えり 366
んとの野性と兇暴を爆発し始めた。 有頂天になったのも無理はな、。 こくせいりんし とうそっ 官『なる程、こういう人種を統率するんでは、容易ではありませ『ただ今、憲兵司令の谷正倫氏が、お見えになりました』 令 主催席へ報らせがあるとすぐ、出迎えに出た人々に囲まれ んな』 テープル 一口 主催側の卓を囲んでいる役人や将校も、暫く、眺めているて、谷正倫は入ってきた。そしてこの凄じい光景にも無感覚の の ような顔して、いかにも政府の要人たる威厳を持ちながら、主 ほかない顔していた。 夜 「その代り、漢奸狩りなどに向ければ、恐ろしく効果は挙がる賓席へ着席した。 きゅうかく 『ただ今、谷憲兵司令が御臨席になられました。諸君に、一場 でしよう。飢えた猛獣だし、それに、こういう人種特有の嗅覚 の御訓示があるはずですから、少し静粛に願いたいです』役人 があるから』 やつばりこういうの一名が、椅子を立って云った。 『然し、呆れますなあ、この光景には。 らぶんたん きようば、フ 然し、騒がしさは、少しも鎮まらなかった。軍服を着た者が 兇暴な群れを上手に使うには、羅文旦みたいな男でなければ、 又立った。諸君ッと、声を励まして、 使いこなせないでしよう』 『訓一小があります。静粛にしたまえ』 『羅は、来ていますか』 依然として、その警告も、百名のガャガャいう声に掻き消さ 『 : : : あれに居ます。蘇州刑務所の典獄と並んで』 一人の眼が眼で教えると、幾人もの眼が、そっと、彼の方へれてしまう。ばらばらな拍手は鳴ったが、その後でロ笛をふい たりする者があった。 うごいた。そして初めて羅を見た者は皆、同じ感想を抱いた 自訓示をお願いする順序に ー何だか噂に聞いていた彼とは、まるで別人の感じがする『手がつけられん。酒を与える可こ、 と。 すればよかったのだ』 『弱りましたなあ』 『そうだ、羅文旦に耳打ちして、何とか、声をかけてもらった ら何うだろう』 み - 、や 一人が、羅の側へ行って囁いた。羅はそれ迄、無言で見てい うなす やが るだけだったが、頷いて、軈て椅子を起っと、右の手を天井へ 高く差しあげて、場内を睨めまわした。その手には短銃を掴ん でいた。 訓示の終る迄、くしやみでも 『ーー黙れッ ! 喋べるなっー した奴は、銃殺するつ』 ぜんさい 前菜が配られ、酒がまわると、囚人等は血相を変えて、暫く やが それを貪屮合っていたが、軈て、箸を措く余裕ができると、ほ 反間 はん かん しゅうじんら はしお しばら しゃ せいしゆく ビストルっか 350
トの二階へは上って来たが、 彼女の後について富吉はアパ 『いっかの鴪、こんなに殖えたの』 、、ほかのた』 官『冗談じゃなし 扉のロもとでその部屋のもっ女の特有なにおいを嗅ぐと、急に おり ためらいが出て獅子の檻でものそくように怖々と顔を出したり 士『じゃ、鳩を売ってんの』 空「新聞社の班に入社したので、この頃、鳩の教官にな「て引っこめたりしていたのである。 オペレーター るんだ。もう、電信技手なんて、ロポット化した職業は辞めた』銀子は気がっかないので窓から外ばかり見まわしていた。い っ迄待っていても彼のすがたが見えて来ないので、自分が鳩の 『わたしも、辞めたいわ』 パスケットを奪うように提げて家へ入ってしまったので怒って 『辞めちゃえ』 帰ってしまったのではないかと思ったりして、何気なく扉の外 『辞めたら、食べられない』 へ戻ろうとすると富吉がそこに立っていたので、 『鳩の豆代を、二人して、食べれ、 おか 銀子には、何の事だか、わからなかったが、可笑しそうに笑『あらっ : : : 何してんの』 おくびよう おかしそうにいって、彼の臆病な手を引っ張るように取っ 『でも、可愛らしいのね。わたしも、飼いたくなった』 『おかけなさい』 『飼ってみ給え、僕が、教えに来てやるから』 す 『これ、くれない ? 』 と、更紗の布のかかった円テープルに曲木の椅子を与え、自 分は向う側に腰かけて頬杖をついた。 『それか』 卓のうえには彼女のおいた鳩の・ハスケットが、これも富吉 と、困った顔をすると、 おどおど のように、馴れない女部屋の空気に恟々しているとみえて頻り 『貰ったーあと』 さわ に中で躁いでいた。 トへ駈けこんでしまっ パスケットを持って、銀子はアパ 『すいぶんだらしがないでしよう、そのかわり、裏の窓を開け 二階のカアテンの間から、すぐ彼女の首が出た。富吉が尾いると井之頭の森がみえて、とても、朝なんかいいの』 けんそん 彼女は自分の部屋をそういう謙遜なことばで紹介したが、富 て来ないので、外を探している眼であった。 吉がだんだんに見まわしてみるところでは、どうして、だらし なんおう かないどころか壁には夜店の石版画かもしれないが南欧の名画 、にしえ とこま の複製がかかっているし、床の間を直したような棚には、古の しゅめり 麻の実 室の遊君でもっかいそうな朱塗の鏡台があり、そのそばには胴 よ ぶしつ のいやに長いフランス人形が倚りかかっていて、それは不躾け ふ っ むろきみ て、 テープル めの ほおづえ - 一わ′一わ か
ない。むしろ病人みたいな皮膚の色をしていた。 。時折、それは轟ッと近づいて、その度に、地上の歓声と、 『李じゃねえか。何だ ? 』 振り廻す手と旗とを、捧げられていた 羅も、立ち止まって、仰向いていた。編隊で七、八機の飛行「すいぶん探しましたぜ』 李は、息を喘りながら云った 機がおそろしく高い空に飛んでいる。機翼の下には、明らかに 『生と、盟長が出て行ってから暫くするとその後で、電舌 ; 青天白日章の支那機のマーグが見えた。 あったんです』 『 : : : ふん。遊んでやがら』 『どこから』 羅たけが入った。 ジョンプル 英国人も手を振っていた。仏蘭西人も何かわめいていた。支『お絹さんからです』 『え ? ・』 那人は固より自国の空軍を見せつけられて、発狂せんばかりに すぐ疑って、彼は笑った。 噪いでいた。ところが、それから約二十分間も経っか経たない たつも うちに、この頼母しき空車は、自国の民衆が蝟集して歓呼して 『間違いだろう。お絹さんはゆうべ、おれの家へ来てから、烏 せんしコンス いる先施公司の前へ、盲爆弾を落して、世界戦史上に稀なナンを従けてやって、日本租界まで送らせたのだ。日本租界から電 おびただ センスと、あの夥しい惨死体とを、白昼の盛り場に演じて見話が通じるわけはねえ』 せたのだった。 『ー・ー。でも、お絹さんの声でした。判っきりと』 『おめえが出たのか』 『出ました』 『そして ? 』 だが神以外に、誰がそんな事になると知る者があろう。 した せんしコンス 『すぐ階下へ駈け降りて行って、食堂をのそくと、盟長は居な 第三天国も先施公司の前も、もう盛り場の色彩が濃かった。 支那機は一時、雲間にかくれたので、群衆も噪ぎ止んだ。羅いじゃありませんか。媽婦に訊くと、外へ朝飯を喰べにお出で になったてえんで、電話ロへは、媽婦をやっといて私はそれか も歩きだした。 ら、この界隈の飯を喰う店を片つばしから探し歩いて来たんで 『ーーア、盟長』 線 人混みの中から、痩せ型の手足の長い青年が駈け寄って来す』 その電話がかかって来て 『それから何分ぐらいになる ? た。さっき張と烏を激励してやる折に例として彼が口を出した りせいひん 禾・こぶん から』 乾児のうちの李靖賓だった。 『さあ、もう十分以上は経ったかもしれませんぜ』 相李は、清楚な男だった。爆弾男という綽名が社中にあるが、 『じゃあ、お絹さんだとしても、もう断れたかもしれねえな 軍官学校半途退学の烏のように、強豪そうな風はどこにも見え さわ もと や あだな 、しゅう さわ まれ ー′ばら 一三ロ、カ・ 375
突然、ヒステリッグな声で呶鳴った。 『どなたも ! みんな来てくださいー 悪いやつが大勢、邸宅『電話をかけておいたろうな、警察の方へ』 の庭にはいりこんでいますから。ーーー爺やツ、三吉ツ、お客様 『はい、すぐ知らせておきましたから、もう程なく来るでしょ たちも来て下さい』 そして、危険を避けるように、温室の周囲をパタバタと駈け 『さ、お客様たちは、どうそあちらへ いや何でもありま めぐった。 せん、コソ泥です。かんかん虫のトムという小僧で、まいど、 ゆすり 『諸君、お芝居はハネましたよ』 強請をしたり何かして、よくないやつなんで。 : こらつ、△フ お光さんは、夫人の狼狽を冷笑しながら、小型なカメラをか夜こそ、警察へわたしてやるそ』 かえて、すばやく、庭園を横ぎった。誰の足もはやかった。 トム公は、黙って理平の顔を睨んだ。その高瀬の肩に、甘え おどおど だがひとりトム公だけは、みんなが逃げる方角とは反対 かかって、何か、恟々とささやいているお槇へ、何か言ってや に、さっき豆菊と会った裏手の海岸の方へ駈けだした。 ろうかと思ったが、ここではやめた。 彼は、もういちどそこに待っていると言った妹との約束にひ『警察のお方がお見えになりました。署長さんまで』 すくな かれたのだった。然し、彼は尠からずそれを悔いた。座敷か『署長も。 いやそれ程のことじゃないのに』 サロン ら、風呂場から客間から、いちどに、吐き出されて来た人間『電話をかけたものが、ひどく、あわてたものですから』 は、彼ひとりを見つけて、大げさに追い廻して来た。 『まあよいよい。伊勢佐木署の保科さんならあとでお詫をすれ 一方が、海であるだけに、ト ム公は逃げ場を失ってしまっ とにかく、こちらへ』 ちょうちんサ 1 ベル た。風呂番の男のたくましい腕が、ます彼の襟がみをつかん警官の提燈と、佩剣の音は、そう言ってるまに、人々のうし で、外人だの、ガイドだの、召使だの、殆ど彼のすがたをつつろへ来ていた。 どきよう んでしまうほどの人群が、そこに度胸をすえて坐ってしまった トム公をかこんで、がやがやと騒し 『この少 - ・、ドロボウ ? 』 富麿 一外人の質問に、通弁は言った。 しいえ、かんかん虫』 『かんかん虫 ? あ、かんかん虫 ? 『あははは、そうですか、何か非常なことらしい電話なので、 キ、し 4 、つ がまあ、そんな 1 富外人は、分ったような分らないような顔をして興がった。主自転車をとばしてお見舞に来たわけです。 げいしゃ 人の理平も来た。千歳の女将も来た。芸妓たちものそきに来小事件であっておめでたいわけでした』 やしき ほしな わび
す・ヘ 云いつつ、勢よく何かに辷って、二本の足を空へあげ、べた弥次馬の中から、四、五人とびだして、鰻を追いまわした。 しりもち 俺と、取ッ組みあっていた彼氏は、 将っと尻餅をついてしまった。 先生は、余震だけで吹ッ飛ばされていた。そして、三人の間『いけねえいけねえ』 す び . 喧嘩より、鰻と、俺の手を外して、 ぶに、彼氏の魚籠がーー餌箱より大事な魚籠が引っくりかえって るいて、中から、無数ーーーでもないが、恐ろしく沢山に見える鰻『泥棒ツ。懐中に入れちゃいけねえそ』 ざんごう あ の一群が、西部戦線異状あり、といった顔して、魚籠の塹壕か手が十本も欲しい恰好をして、左に一匹、右に一匹、んで は魚籠へ入れ始めたが、慌てているので、その魚籠を又自分で ら、大きいの、小さいの、ニョロニョロ這いだしていた。 仆したり、またまえたり、もう喧嘩している隙なんかない顔 あっ。大変大変』 喧嘩を忘れて、両手で鰻をつかみにかかった。 見ると先生も、敵に手伝って、魚籠へ鰻を入れていた。俺も 俺はこの時とばかり、 何だか、気の毒になって、二、三匹掴まえて彼氏の手へ渡して っざまア見ろッ』 りゅういん やった。 起って、敵の肩を蹴とばし、ぐっと溜飲を下げると、 げらげら笑って群集が、人間の環をくずし、トラッグや自転 まだ懲りねえなツ』 敵もさる者、一本の鰻を、俺の顔にぶつけるや否、再び取っ車が、逃げるように走りだしたと思うと、 組んで来たが、土俵は鰻だらけだった。引き分けようとする先『こらつ、何しとるか』 巡査がきて、 生も、俺も、彼氏も、辷ッては転び、辷っては転び、アル中毒 この武勇伝、勝負がっかず、何時『喧嘩じゃいうてたが、喧嘩じゃないのかあ ? 』 とアル中毒の喧嘩みたいに、 ヾこっこ 0 『へえ、済みません』 果つべしとも見えざりけり 彼氏は、巡査へ頭を下げながら、手さぐりでんだうどん や。喧嘩や』 を、魚籠へ入れようとしていた。 「鰻や』 俺は、可笑しくなって、 トラッグが停る。自転車がかたまる。弥次馬が環をつくる。 『君、うどんだよ』 『逃げまっせ。鰻が、逃げまっせ』 あれあれ、河へ教えてやると、 『折角、一日かかって、釣りやはったに。 『ちえつ、汚ない』 手を振ったので、うどんは飛んで巡査のズボンへ巻きつい 『勿体ない。拾い取りにしたがええわ』 『そや、そや』 うなぎ たお ふところ 778