きゅうちお 『後でわしも一見させてもら 0 たが、その中に、こういう一項間が窮地に墜ちれば墜ちるほど、カとなり、味方となり、飽く そこが 2 まで見捨て切らないのが、彼等の結社の約東です。 ・ : その文句は。 明があったのを今でもよく覚えているのだ。・ 有一、北条貢は、結婚以前、悪人浮浪の徒と交わり、殊には、普通の世間とは、まるで違 0 ている所ですから、石禅は、朱黒 しゅばくろぐみ 明諸街道の浮浪人をも 0 て結社とする「朱黒子組」に身を匿し居子の仲間からいいつけられて吾々の邪魔をし、北条貢やその妻 子を、何処かへ首尾よく匿ってしまおうと計っている人間かも たることあり : 無 いや知れませんじゃない、おそらくそうで もう七年も前の事だから、多少文言も覚え違いしている知れません。 かも知れぬが、大体、そんな意味のことが一条書いてあったとす。御明察どおりでしよう』 「すると吾々も、今までのように、北条貢ばかり目がけている 思う。こよいふと思い出したのは、その悪党仲間の朱黒子組の と、横あいから、思わぬ邪魔を入れられて、不覚をとる怖れが 事」、が』 『実に御記憶がよいいかにも、そういう一項がありました。多分にあるな』 『元より油断はできませぬ』 そしてその事は、手前が確かな筋から調べ上げた事に違い 『まず、貢の妻の鶴江も差立て、今夜は、子の菊太郎も捕まえ ありません』 雷助、こうしようで たが、ここらで要心せぬとあぶない 『ところでーーーあの石禅という怪僧だが、ひょっとしたら わしの想像だがーー北条貢の蔭にな 0 て味方する点から察すれはないか、鶴江や菊太郎は、福井藩の手に頼んで江戸表へ送 0 ば、以前、貢も仲間に入 0 ていた悪党結社の朱黒子組の人間でてもらう事にしておいたが、どうも不安だ、吾々も、あの両名 に付いて、いちど江一尸表まで立ち帰ろう』 はなかろ , つか』 「・ : ・ : 成程、大事を取れば、そうしなくては成りますまい』 『あーーーあの石禅が ? 』 かんじん 『まだ、肝腎な北条貢を、繩目にかけぬ事が残念だが、一応、 『わしはそう考えたが、何うだろう』 しか ろうや ーしカ 江戸表の牢舎へ、鶴江と菊太郎を確と預けておいて、それから 『御烱眼です』 再び旅へ出直しても同じ事だろう』 と雷助は膝を打って、 卩ーーそれに違いない。朱黒子組の事は、自分で調べた事があ『ようお気づきになりました。貢の背後に、朱黒子組というも りながら、余り年月が経 0 てしま 0 たのと : = : この七年の間とのが味方しているとすれば、先へや 0 た鶴江の身も、長い道中 のあいだには、悪党仲間が襲って来て、奪り返されぬ限りもあ いうものは、ただ北条貢を捕える事ばかり一途に思いつめてい りません』 たので、その方の事などは、すっかり忘れていたのでした。 : 。では菊太郎の身を 気がかりだ : だが、云われてみると、あの怪僧石禅は、たしかに、朱黒「そういたそう ! 子仲間の一人でしよう。い 0 たい悪人というものは、悪人仲間此 0 方へ引き取 0 て、すぐ、先へ護送した鶴江の後を追 0 てゆ のうちには、怖しく義理固いものなのです。敵とみたら又、実こう』 に執念ぶかく祟りますが、いちど結んだ仲間となると、その人急に、二人の気持は、角度を曲げて、そういう方針へ急い かく
彼女は、あわてて、自分の部屋へ戻って来た。そして、菊太入屋をつかって、うまうまと忍び込んで来たわけさ』 明郎の姿を急いで探した。 『、つ . れーしい 小母ちゃん、早く逃げよう』 くたび 有遊び草臥れた菊太郎は、夕飯をたべるとすぐ、そこらの部屋『ちょうど、奥の客も、少し酒がまわってきたから、今がいい しお 明に入って、ごろりと、うたた寝していた。 。だけど、わたしは、あの倉の中にいる石禅さんの方へ 『坊や、坊や』 も行って来なければならないから、坊やは、台所の外に立って 無 揺り起すと、 待っておいで』 いやあ。いやあ。いやあん』 「早く来てね』 寝呆けて、手を振り廻した。 「アア、直ぐだよ』 『叱っ : : : 大きな声を出さないで。 : さ、早く支度をおし』 と、お鹿は いやお兼は、雑草の生い繁っている裏庭の奥 はだし 『眠たい、眠たい、坊は、起きるのはいやだよう』 へ、裸足で走って行った。 『こんな屋敷は、早く逃げ出さないと、今に、おまえも生命を 奪られてしまうんだよ。 : さ、もっと固く、帯を締めて』 『誰かと思ったら、おまえは、昼間、桂庵が連れて来た女中さ 帯の端 んだね、何処へ行くの ? 『菊太郎ちゃん、わたしが誰だか、まだ分らないの』 『お鹿さんじゃないか』 子供ごころにも、菊太郎は、歯の根をカチカチ鳴らして、顫 いいえ。わたしは、お兼だよ』 えていた。 何か恐ろしい事を犯すような恐怖が、その童心 『嘘だい』 をも寒々と揺りうごかすものと見える。 菊太郎は、信じなかった。 お兼の去った雑草の闇を見つめながら、菊太郎は、朽ち果て くら 大人の眼さえ晦ましているのだから、子供の眼には、無理も た台所の外に、いっ迄も凝と立っていた。 つくり ないと思った。お兼はいそいで、台所へ行って、顔の変粧を洗 すると。 い落し、毛の赤い鬘を脱って、いつもの粋なお兼になって返っ 『お鹿・・ : : お鹿 : : : 』 て来た。 呼びながら、外を覗いた雷助が、ふと、驚いた顔して、 『これなら分ったろう』 『そこに立っているのは、菊太郎ではないか』 『あっ : : : お兼小母ちゃんだ』 菊太郎は、そう言って、しがみついた 菊太郎は、黙って、円い眼を、脅えたように振向けた。 : 私と一緒に逃げるんだよ。わたしは、おまえと石禅さ 『何しているのだ、こんな所に立ってーーーさ、中へ入れ』 あぶらずみと んを救い出す為に、脂墨や砥の粉で顔を変粧え、ここへ来るロ菊太郎は、かぶりを振って、 かつらと いのち じっ ふる
わるくすると彼の男に、先手を打たれてこっちの裏を掻かれ る惧れが無いとはいえない。急に、お兼は不安になった。この 屋敷の中の様子を見届ける前に、彼の男の正体を見届けておく 必要の方が先決問題ではあるまいか 夜を潜る鷺 ( : : : そうだ ) 彼女は急にそう考えて、塀の際を駈け出した。黒い塀が、蝙 ただ、笑っただけであるが、その笑い声には、覚えがあ蝠の飛ぶ影のように、往来から塀へ、塀から大地へ、移ってい る はっと直ぐ思い出された。それは、おとといの晩、御隠殿下濠端へ出た。 の深い谷川へ、自分を突き落して逃げ去ったあの覆面した人間先へ行く男の影は、今夜も真っ黒に扮装っている。頭巾は勿 の声である。 論、袴まで黒いのだ。 みなり そういう身装からしても、どうせ明るい社会の人間ではな だが、振向いた眼には、誰も見えなかった。お兼は、耳のせ いかと自分を疑いながら、門廂の下を出て、道の左右を見まわ何処へ帰るのか ? お兼は、濠端の樹から樹へ、身を移しながら、尾けて行っ と。 やや明るく見える濠端の方へ、すたすたと背を向けて歩いて見ると、男は、立ち止まってお兼の方を振向いていた。 ゆく人影が見える。 もう知っているのだ。お兼は、自分の隠れ隠れに尾けている動 ( そうだ ! おとといの晩の彼の男 ) 作が、彼のその眼には無駄になっているのを知った。 背も、肩巾も、似ているー いや確かにそれに違いなかった。 何か云いかけそうに待っているのだ。云いかけて来た ぞっと何かしら寒気がして来て、お兼は一瞬、足が竦むら、その言葉じりをつかまえて、洗ってやろう。お兼は、そう ような気がした。 度胸をつけながら、猶、歩みつづけていた。 ( : : : 誰だろう ? ) 鷺逆井雷助ではない。 何も云い出さないが、近づくに従って、その覆面男が、不気 る 勿論、権堂九馬之丞でもない 味な笑いをつつんで、自分を待っている様子が明らかに見えて くる。 自分の為る仕事を見抜いているような笑い方だった。おとと を 夜いの晩もそうだった。朱黒子組の仲間には全然心当りのない男『ーー・あっ ? 』 でもある。 思わず、お兼は、前へのめッたように叫んだ。なぜならば、 ほりばた もんびさし さギ、 すく っ・ ) 0 おそ きわ いでた ・一う 403
と、後から追って来た檀四郎が云った。 明何ですか』 有立ちどまって、檀四郎の影を見つめた。檀四郎は、まだ貢に 落し物 明未練があって出て来たらしかったが、そのきつばりした態度 に、諦めたものか、 無 会いそうなものだ。つい鼻の先にお互がいるような気が 『貢ーーー貴様の手には、朱黒子の刺青が入っていないか、ある する。しかも道は東海道の一すじ。 か、よく見ろ』 『 : : : それに目がけている目的の物も一つなのだから』 『ある』 と、石禅は絶えずそう思う。 『それは焼き消しても、貴様の名は、朱黒子組の仲間から脱く あれから毎日、東海道を旅しながら、北条貢に会わないの ことはできないからそう思って居れ』 『イヤ、たとえ脱かないと云っても、自分のほうでは、何の縁が、むしろ不田 5 議に思うのだった。 さしつか 『やはり、わしを手先と間違えているとみえる・ : ・ : 何うし 故もないものと思っているから差閊えない』 て、そうでないことを知らせたものか』 こっちからその縁故をつけて行くのだ』 そんな気苦労までしていたが、泊りは重なるばかりだった。 オ』 たそが 『おれ達を敵へ廻しては、貴公の損だそ。それでなくても、天箱根も越え、戸塚もすぎ、その日の黄昏れには、神奈川宿を歩 いている彼だった。 下は貴様の敵じゃないか、馬鹿』 みちのり だが、ここ迄の道程の間に、彼は先の一行とおくれてい る約十里あまりのーーー時間にして小一日の旅程を完全に追いっ 『考え直したらやって来い ! 』 『北条貢は、死んでも、二度とあなたの門へはやって来ないっ この宿場の夕方の混雑の中を、彼の位置から半町程先 もりだ』 を行く、一挺の駕籠と役人の群れこそ、あの鶴江を護送してゆ きっとか』 く福井藩の一行だった。 『誓っておく』 今にみておれ、その言葉に対して、自分が恥じる日があ ( 菊太郎は見えないが ? ) と思ったが、それは権堂九馬之丞と雷助との身軽な二人が差 るぞ』 立てて行ったので、もう江戸へ着いてしまったかも知れないと もう道は暗かった。 それに不案内な土地でもあったが、北条貢は、街道のかすか想像するー ! ーとすれば、せめて、鶴江だけでも、どうしても救 救わなければならない ! 石禅は、覚悟した。 な灯を目あてに、すたすたと足を早めた。 もしーー北条貢が江戸までの間に、あの駕籠を切り破って鶴 いれずみ めあて 33 イ
あや 『頻りと、北条貢のために、御配下のものが、殺められている『町奉行の捕繩をもって、いったん貢を捕えたからには、権堂 かたきうち 九馬之丞から、父の讐討をすると申して、貢の身がらを受け取 明ではござらぬか』 捕繩を以って りに来ても、断じて渡しては相成らぬ事だ。 有『残念に田 5 っておる』 召捕った罪人は、法令の罪科に照らして、刑罰の下にこれを処 明『果しのないことだ : 置しなければ、刑法の御威厳にさわりますからな 『この儘では、職を辞めねばなるまいかと考えています』 無 『ウム、成程』 『あなたが職を罷めたからといって、それがお上の御奉公にな るではなし、武門の名折れでもありましようが』 『おふくみか』 っ 『ーーーとは田 5 、つものの。こ , っ延引しては』 『九馬之丞が、何と言って来ても、それを突っ刎ねよう。承知 いたした』 『では、一切の処断、この左平太におまかせあるかな ? 』 その後で 『それはもう、北条貢の一件さえ、片づくものならば』 事実、土佐守は、この事件を持てあましていた。北条貢の妻与力の佐藤歓十郎はそこへ呼ばれた。手筈はすべて、その一 の鶴江も、その子の菊太郎の身も、逆井雷助からいちど獄舎へ室でまとまった。 受け取っておきながらーーそれが皆、牢の外へ奪われてしまっ た儘、いまだに奉行の手ではそれが取り返せていなかった。 ただ、その苦境の中で、カとしているのは、この藤懸左平太 二人の立場 だった。左平太は、与力だの同心など、この奉行所の中に、た くさんな友人を持っていてーーー一種の勢力さえあるし、又、白 蝶組の牛耳を握っているので、巷の事や、悪党仲間の消息など帰らない ! 遂に帰らない ! ( どうしたのだろう ? 坊やは ) には、奉行以上に通じているという人間だ。 お兼は、樹の幹に縛られたまま、今朝の夜明けの光を、怖ろ 『ーーでは、お奉行』 しいものみたいに見つめていた と、左平太は、相手の言質を取っておいてから云った。 かん 『拙者に、与力の佐藤歓十郎と、同心二名に、人数三十名をお菊太郎に含めてやった最後の一策も、とうとう絶望のほかな っ , ) 0 貸しくださし 、。今明日中には、北条貢を、これへ捕縛してまい ( ーー道に迷っているのだろうか ? それとも、天王寺の五重 るであろう』 まこと の塔だけは見つかっても、そこにもう北条さんは居なくなって 『えつ、真でござるか』 しまったのか ? ) 『成算のないことは申さん。 , ーー然し、こういう約束はいたし いろいろに思い迷うのであったが、 ておきたい』 ( それにしても、坊やは帰って来そうなものだが ? 『どういう約東を』 ちまた イ 20
「そんな口止めは役に立ちゃあしないよ。あの二人は、権堂九 明 馬之丞と逆井雷助という者だろう』 すると、その姿を見て、駕屋の溜り場からすぐ、 『それ迄、御存知なんですか。じゃあ仕方がねえ、やりましょ 有『ーー御新造さん』 う、その代りに』 明駕屋が、駕を持って来ようとした。 さ、 ~ 削・払 . したよ』 『駄賃を弾んでおくんなさいだろう。 お兼はあわてて、 無 あしら こういう男共を扱う事は、お兼にとれば、自分の手足を動か 『何さ、誰も、駕を呼びやしないじゃないか』 すようなものだった。 と云った。 偶然といおうか、約束事といおうか、菊太郎のさらわれて行 言葉が伝法なので、駕屋はお兼の顔を見直しながら、 ねえ ったと同じ所に、石禅も捕われている事がわかった。 『ア : : : 姐さんですか。駕の御用じゃねえんですか』 番町の近くまで来ると、お兼は駕を捨てて、暗い屋敷塀に添 『すこし、聞きたい事があるんだが』 って、権堂家のはうへ歩いていった。 『へえ ? : 何ですえ』 『ここの仲間の者だろう。おとといの晩、待乳山の下で、二人女のカでは、何うにもならない事は分っているが、そこの様 子を探って、たしかに、菊太郎も石禅もいると分ったら、その の侍に斬られた雲水を乗せて行った者は ? 』 『さあ、俺あ知らねえなあ。ーーー誰か行ったのか、そんな者を事を、もいちど谷中の五重の塔まで知らせに行かなければなら ないと考えていたのである 乗せて』 たもと 袂から頭巾を出して、お兼は、眉深に顔をつつんだ すると、溜りの中から、 『番町の屋敷だろう。侍が一人、雲水が一人、何っ方も怪我をして裾を短く括し上げて、 : ここだ』 していた』 なま・一 古い海鼠塀を仰いで、お兼は、暫く立っていた。 という者があった。 塀も門も、ひどく荒れていた。七年間、空き家同様になって お兼は、その駕かきを呼んで、 いた屋敷なので、門前まで雑草が生えている。 『おまえさんかえ、行ったのは』 かんめき 腐っている門の扉を、そっと押してみたが、中から閂が懸 『へえ、そうです』 っているのであろう、四、五寸ほど扉の合せ目はロを開けた 『じゃあ、おまえの駕に乗るとしよう。すぐやっておくれな』 が、身をいれる程には開かないのである。 『何処へゆくんです』 『亠めはははよ 『その怪我人を乗せていった屋敷へさ』 不意に、誰か笑った。 『あっ、こいつは不可ねえ』 うしろ 自分の後の方にである。 『ど , っして、』 、よ お兼は、恟っとしたように、門の屏から手を離してふり顧っ 『あのお侍衆に、固く口止めされていたんです』 たま イ 02
けーーー惨として横仆れになっている。 て、海水で手を洗っている男もある : すぐ石禅の頭には、北条貢の影が映った。 われを忘れて 『やったな ! : 貢っ : : : 』と絶叫した。 『やったかーーーやったか 欣しいそ。さすが北条、やはりわ 解けない存在 しなどの智恵よりは』 狂気してこう呟いたが : : : ふと彼の眸がそこから鈴ケ森の海 辺のほうを見わたして、 石禅は、海を目がけて駈けていた。波打際に見える五名の人 『はてな ? 』 影へ向って、おおウィーと思わず手を高く振って。 と、急に顔いろは、怪訝りに変ってしまう。並木の陰は暗か すると非常に驚いたらしく、覆面のそのものたちは、慌てて ったが、浜辺の方は、月こそないが、波明りで人影がくつきり小舟を漕ぎ出した。石禅がそこへ来た時は、小舟はすでに磯を よがすみ 見える 離れて、沖の夜霞に消えていた。 見ると 『 : : : 鶴江つ。 : : : 鶴江つ。 おうい小舟の衆、わしはその めし、 しりびと 今ここから去った者らしく、波打際のほうへ向って、一イ二 盲女の知人じゃ、ちょっと戻ってくれい 戻ってくれ ウ三イ : : : 四、五ーーちょうど五人ほど侍が、砂を蹴って躍っ て行く。 無駄とは知りつつも、石禅は叫ばずにはいられなかった。 『ーー貢ではない ! 』 けれど小舟はかえらなかった。何処へいったか、その行方 石禅は駈け出して、彼等の立ち止まった所から最も近い松のすら分らずに。 木蔭にじっと、息をころして見ていた。 『何者だろう ? 』 ( 何者だろうか ? ) ネは謎のまま、彼の頭の中に、夢の巣みたいに残った。も と怪しみ、 う一歩で、江戸へ着こうというこの鈴ケ森で、突然、護送の役 めしゅうど さら てんびよう ( 鶴江の味方か、敵か ? ) 人を襲い、囚人駕籠を破って、鶴江を天飃のように攫って行っ むれ それを何よりも不安に田 5 った。 た今の一群は いったい何者の指図で動いている者達だろう 小舟の用意がしてある。 すそ 在 五名の侍たちは、皆一様に覆面していて、小袖や裾まで用心 権堂九馬之丞や、逆井雷助から見れば、これは地から湧いた ぶかく黒地のものを着ていた。そして何か囁き合いながら、中ような事件であり、又自分たちの鼻を明かした途方もない大敵 の一人が抱きかかえて来た鶴江の体を、何よりも先へと、小舟の出現と云い得る 解のうちへ下ろしてほっと顔を見あわせていた。 だが、それならば、今の覆面の一群れが、果して鶴江の 刀の血しおを拭いている者があるし : : : 小舟から身をかがめ味方だろうか、又、北条貢の味方だろうか ? 。 さん いぶか
さいわい 『幸、たいした怪我もして居りませんでしたが、親切な旅の - えか、、 明『あっ、お待ちなされませ。そのお客は、もう一刻も前冫 こ、も絵描さんがあって、手をひいて手前共へお越しになり、今日も引 有うお立ちになってしまいましたので』 まだ、奥でやすんでおりまする』 『じゃあ、当家に居るのか。 たしかにその者は北条貢に相 明『何、立った後か』 『探してお出でになったものなら、一足遅うございましたわ違ないと思うが、念のため、どういう風態の者か、聞きおきた 無 し』 いその瞽女をちょっとこれへ呼んでくれい』 『番頭、偽りはあるまいな』 『旦那様、それは無駄でございましよう』 わけ 『なぜ』 『何の縁故もない一夜泊りの雲水を、匿い立てする理はござい ません』 『でも、皆目、何も見えない瞽女でございますもの、何うし かおかたち 『殀らば この世に、北条貢という者が泊りはしなかったて、馬上の浪人の容貌など見ておりましようそ』 カ』 『はははは、成程な、これは拙者の大きな勘ちがい』 『そういうお方は泊っておりませぬ』 雷助は、自分でもおかしくなったように、腹を抱え、 ごせん 『勿論、この者は、久しく大公儀の御詮議をうけ、諸国を逃げ『九馬之丞様、これだけの手懸りをつかめば、だいぶ先の見当 しる もついたと云うもの。出かけましようか』 まわっておる者故、本名を宿帳に誌すはすはないが : 『ウム、邪魔をいたしたの』 と、年齢、服装、人相などを話して、加賀領の大聖寺方面か 二人は、往来へ出ると、福井の城下を目指して、大股に街道 ら、農家の裸馬に乗ってこの街道を逃げのびて来たはすである を急いで行った。 と云うと、番頭は、 『もしお武家様、それならば、きのうの夕刻、この森田の宿の 辻で、目の見えない旅の瞽女を刎ねとばした儘、後も見すに駈 け去った浪人ていの男がございましたが、ひょっとすると、そ 真昼の闇 れがお尋ねなされている北条貢とやらではございますまいか』 「さては、それに違いない : ここを通ったのは、昨夕か』 「左様でございまする、暮れかけている往来で、馬に蹴られ 江戸ことばは、鶴江の耳へつよく響いた。しかも侍ことばで た、瞽女が怪我をしたと、宿場の衆が騒ぐので、手前もおもてある へ飛び出してみましたが、もうその時は、馬に乗った浪人者 ( なっかしい : : : 何処のお人か ? ) は、福井の御城下のほうへ駈け去って、姿は見当りませんでし表梯子の下にあたる部屋の内で、彼女は凝と、帳場のほうで 、つき する話し声を先刻から聞き澄ましていたのである。 『して、その者の駒に、蹴られた瞽女というのは ? 』 そのうちにふと、北条貢というような声が耳に触れたので、 かくま ゅうべ じっ
『多分、街道のほうだと思います』 の者か知りませんが、石禅さんと云って、寔に温和な五十二、 『いや、ありがと、つ』 三の人でございますな』 『はてな ? 躍り出るように、山門から石段へかかって行くと、 『あいや、お侍方、しばらくお待ちください』 『何ぞその石禅さんに御用でも』 と、今度は雲水のほうから呼び止め、 『いやいやべつに 雷助、出かけようか、黄昏れて来た』 『何の御用であなた方は、あの子供を追いかけておいでなさる 『そうだ、とんだ永居を』 草鞋をき、礼を云って、二人は何げなくそこを立ち去るよのか。あの子は、私が連れて歩いている者です、用があるなら うに見せかけたが、眼くばせして、本堂の横側のほうへ駈けて私へ云ってください』 うた 『えっ ? ・ : では、そちが石禅か』 行ったのである。大声で歌を謡っていた子供は何処へ行ったの か姿が見えなかった。 二人は、石段の左右にわかれて、その網代笠の裡を見上げな その代りに、そこの薄暗い階段で、草鞋の緒をむすんでいるがら、無意識に刀の柄へ手がかかった。 一人の雲水がある。 かぶ 網代笠を深く被って、側に杖を置いている点や、背に包みを こけ 負っている様子などから見ると、これから旅立つ人のように思 苔の花 われる。 眼の前をついと通った二人の影に、雲水は、ちらと白い眼を あげたが、すぐ杖を持って、すたすたと山門の外へ出て行っ 見たことのある顔だ ! 何処かで会った記憶がある ! 今日が初めて見る人間では決してない。 では何処で ? さて、そうなると思い出せないのだ。まったくこれと考える と、九馬之丞が追いかけて、 むつつ 然しこの石禅という雲水とは、初対面 『今この辺に、六歳ぐらいな男の子が、歌を謡っていたようで拠りどころもない。 ござるが、その子はどこへ参ったでしようか』 でない事だけは慥かである。 『あ : : : あの腕白ですか、たった今、私より一足先に、寺の外石禅の皮膚は、雲水僧らしく、旅の風雨と陽焦けによごれて かつぶく いた。年のわりあいに頑丈な恰幅と、眸のどこやらに武士的な へ出て行きましたよ』 僧臭よりも武人的な肌あいが多いので と、雲水は笠のふちへ手をかけて、自分の顔をかくすように光をひそめている。 の ある。薄あばたのある汚ない顔さえ賤しくは見えないのだっ しながら答えた。 して町の方へ参りましたか、それた。 苔『え、寺の外へですか。 『仰せのとおり、私がその石禅ですが』 とも街道のほうへ』 しばら わらじ わらじ たそが たし ひや 3
れて居なければならない ) 急いで、貢は、檜のそばへ寄った。 有そして、もがいているわが子の樽のロをのぞいて、 明『菊太郎、菊太郎』 無声が通じると、 : ここから出してえっ』 『あっ、お父さんつ、出してえっ : 『オオ、驚いたろう。もう少しの辛抱だ。父は今、向うへ逃げ て行った悪者を討って、すぐ戻って来るから、泣かずに、我慢 『おウいっーーー待てえっ』 よいか、もう少しの間』 しておれ。 神通川の水は、彼のそう云って宙を飛んでゆく声を、ものす 『いやだツ、くるしい、しょ : : : お父さん』 こだま おまごく、野にも河にも、谺にしてひろげた。 『怖かない怖かない ! 何だこれしきの事に泣いて。 どて み、むらい 洪水で崩れたまま、春となっている草のやわらかな堤から、 えは、武士の子だという事をもう忘れたか』 広い野はつづいていた。 『行ッちゃ嫌、行っちゃ嫌・・ : : 』 『聞きわけのない奴だ、あの悪者たちは、坊やとお父さんの生『何処へ行ったか と貢は、小高い所に突っ立って、河原や野や畑を見まわし 命を狙っている男たちなのだ。それを、退治してしまわなけれ ば、又この先でこれより怖い目にあわされるのだ。分ったか。 それを今、お父さんが行って斬って来る ! 心配しないで、待先へ走って行った権堂九馬之丞と逆井雷助のふたりは、もう もや どこにも影すら見当らない。河原には、白い靄と露をふくんだ っておれ』 草の花が、こんな場合の心には意味なく美しいだけだった。畑 『・こ、じよぶ ? ・ もし、お父さんが斬られたら ? 』 けぶ には、大根の花が白っぱく煙っている 『そんな事が、あるものか』 ふと眸に入ったのは、彼方の遠い森蔭だの、部落の道らしい 『ここから出して』 『いや、お父さんが戻ってくる迄、その中にかくれていた方が所に、点々と、螢みたいな灯のうごいている事だった。いう迄 もなく、富山藩の代官が、人数を移動させているに違いない 安全だ。行って来るぞ、大人しく、その中で、寝ているがい うしろ どて 貢は、崩れた堤に立って、それを見、又、自分の背後を考え し』 貢は、云い捨てて、駈け出しだ。 どうあっても、あの二人を討つか、自分が討たれるか、 ( 何という無理な、酷い、この親だろう ) 臉には、親としての情涙が、湯みたいにはとばしる。然し、最期は今に迫っている気がする。 やしゃ 『どこへ潜んだかっ、権堂殿、逆井殿。北条貢は、観念をつけ 、いは、夜叉よりも猛々しかった。ひッ提げて走り行く刃は、青 さかだ い炎のように閃々と闇を衝いてゆく。髪は風に逆立っているの らせつ ああ 噫そのすがた、愛と羅刹の血を一つ身に持 0 た人間の苦 しげな狂舞であった。 幻惑