町の鈴音 『貌も美しいし、どうにでも、云うなりになるし、こんな者んの半分以上にも狭くなっていた。 やくろうもち 『もう今日で降らない日が五ト日以上だな。 ひどい旱魃 を、薬籠持にしておくのは惜しい何かっかい途がありそうだ おんな うちわ のろけ 百介がそう考えている所へ、或る時、和平自身が、惚気まじ源内は、左右から団扇で風を送っている芸妓たちをながめ て、その化粧も暑いものに見えた こんなことを話しだした。 おくら わたくしが、お莱と知りあったのは、御影の浄土院で、御蔵「酒も、暑いし』 ろゅうてい おんな かがみ とつぶやいたが、ふと、鷺遊亭の川座敷に、美酒と芸妓をな 鏡の行というものをやりましたのが縁で、お葉はその頃、よく ななっ 、 : んけ、 参論に来たものでございますが、後で考えると、あれは信仰でらべて、まだ七刻頃の真昼中、こうして涼味をむさばっている かんばっ 自分と、旱魃の農村に水あらそいで血をながしている百姓たち 来たのではなく、わたくしを騙かすために通って来たにちがい とを思いくらべて、いくら何でも、すこし思い上りが過ぎてい ありません。もう女には、懲々しました。女は私にとっては、 仇でございます。私に仕返しする力はありませんが、生涯のうると、自分をひそかに誡めてみた。 ちには、きっと、お莱に思いしらしてやらなければ承知できま然し、暑い 水貝を見ても、青すだれを見ても、女の白粉を見ても、干あ せん。はい、一念でも、きっと思い知らせてやります』 がった川をながめても、やりきれないように思う。 近年、大坂や京都辺で、おそろしい流行性をもっているとい う御蔵鏡の行というものを、百介はふとこの時からつよく意識『おいく』 銚子を代えに来た女中をよびとめて、 にのばせていた。 『八右衛門殿は、どうしている』 『宗教だ、宗教にかぎる。宗教ならば大きな財力をよび集める あちら 『離亭で、お莱さんと』 ことができるし、幕府の眼もくらませるというものだ』 どうだ、お莱の様子は』 百介は、和平の美貌と性格を、ちがった考えで見直してい 『なんですか、きようはだいぶ、調子がいいようでございます 『折れたか』 『やつばりね』 「あまり行くな』 「お手が鳴らないうちは、伺わないことにしております』 そこへ、八右衛門がひょっこり中庭から上って来たので、女 っ 中はあわてて、体をよけた。お莱がうしろに従いているのだ 0 乾きあがった洲が、両岸から露出されて、大川の水は、ふだ 町の鈴音 す たぶら むきだ かんばっ
そうせい なた方のお部屋のほうへ向って、拝んだり、お辞儀をしたり、一 ったのだ。智識様は、ただ汝等蒼生の窮状をあわれに思され それはもう大変な騒ぎですもの。あれを捨てて、舟で逃げれて、七日の行を御一身にかえてお勤めになった迄で、礼などう けようと思って為されたのではないそよ。考えちがいをいたす ば、海の中までも追っかけて行きかねませんよ』 よ 。この部屋の方へ向って拝んでいるって ? 』 お目にかかって、お礼を申しあげないうちは、帰らないと云 二人の庄屋は、孫八の姿を見ると、声のする前に土下座をし っています。ーーーゅうべの大雨で、枯れかかっていた稲が助かていた。 ったのだ、この近郷ばかりか、関東一帯の田が、智識様の七日 「へい、ありがたいお言葉にぞんじまする。決して、智識様 間のお祈疇によって救われたのだと申しまして』 が、左様ないやしいお心で、雨乞いをしただとは臥っては居ら ふふむ : ねえですが、村の者は、ゆうべの大雨で、気も狂うべえかとい 孫八も、百介も、狐に憑まれたように、茫然と顔を見あわせう程、歓んでしまったでがす。その心もちを、智識様に、お伝 てしまった。 え申したいので』 「小泉氏』 四 と、孫八は、笑いたい顔を殺して、 ひもんや 碑文谷村と、池上村の名主だという。代官所へでも嘆願に出「いかが仕ろうか』 もんっき て来たように、紋付を着こんで恐れ入っている。粋な女下駄の 「されば、正直な農民たちが、あれ程に申し居るものを、すげ 脱いである浜川屋の入口へ来て、殆ど腰を下げたきりで揉み手なく退けるのも心ない業じゃ』 をしながら云うのだった。 「しかし智識様は、かような場所で、事々しく人に会うのはお 「なんば、村の者に云い聞かせても、智識様を拝ましてくれと嫌いだし : こ・一え 口説いてききませぬだ。雨乞いのお礼を申さんにゃあ済まねえ低声で話していると、 だと云うて、ああやって、帰らずに居りますだに依って、何う へい、お世話人様へおねげえでがすが』 かまあ、智識様に一言でもようがすが、これへ御座らしやっ と、碑文谷の庄屋が云いだしたのである。それは、智識様が て、声をかけてやって貰えますべえか』 仰山にこう大勢の中で会うのがお嫌いなら、駕の用意もするか 浜川家の女たちゃ帳場は持てあましているのであった。で、 ら、ぜひ村の自分の屋敷へ来てもらえないであろうかと云うの 変 女将が奥へ行ってその由を伝えたあげくが、ようやく、小泉百だった 介と宅間孫八の二人が、奥から出て来た結果になった。 「さあ : : : 。何と仰せられるか、伺ってとらせる故、暫くそれ 中 孫八の顔には、まだ酒が濁す赤く火照ッていた。そのにおい にて控えておるがしし』 百介と、孫八とは、奥へはいると、思わず腹をかかえて、 酒を鹿つめらしく隠して、 『これこれ、いったい共方共は、智識様へ何んの用があって参「小泉、たいへんな事になったなあ』 169
げ出してゆく。遊女たちは、手拭をかぶり、裾を折って、これる。樽には、酒もあった。 『洒落た留守番だ』 も、手をつなぎ合って、雪崩れてゆくのだった。 ひとりで、酒を燗けて、四日も、終日飲んでいた。あの丹波 『煙で、真っ黒だ』 ぜいたく 女でもいたらばなどと贅沢な気すらわいてくる 屋根にも、誰かいる かわら 『おや ? 』 瓦が落ちる。どこかで、女の悲鳴やら、子どもの泣き声やら 、 - かな 聞こえる。 露八は、がらんとした青楼の広間を見まわし酒の肴はあるものである、生きものらしいものは、大ころも た。丹波の女も、部屋に見えないし、鏡台も、赤い蒲団も、な見えなくなったこの家に、鶯が、どこかで、啼きぬいている のだった。 、刀学 / 楼主の飼っていた鶯らしい。露八は、御内緒をのそいてみ 『始まったかな ? 』 かご 予感は、大晦日ごろからあった。大天災でも襲ってくる前のた障子張りの鶯籠が、道具のない部屋に寒そうに置き忘れら ようにむしむしとした空気である。しかし、戦争が、わかってれてあった。飢に迫った鶯は、人間の薄情さを、恨んで啼いて いるのだと、露八は田 5 った いたところで、露八は、圏外の人間だし、どういう考えも無論 なかった。眼のあたりに、避難する人々の混乱を見ても、べっ廊下の隅に、摺餌の道具も、蹴ちらしてあった。露八は、鶯 に、その心境は急に変わりそうもない。体一つの境遇が、どんのために、餌を摺っていた。 あしおと すると、裏口から、槍の頭が見えた。烈しい声や跫音が、す な強味かということを、ちょっと、愉快に思って、まるでこの 表からも土足で上がって来た。大坂城詰の幕兵が、検察に 世の終りのように騒いでいる世間の物音を、耳で、聞いているぐ、 廻ってきたのである。 だけであった。 一人が、露八の服装を見て、 昼遊びの客が、残して行った酒が一間にそのままある。露八 『官兵だっ、生擒れつ』 は、水のかわりに飲んだ。そして、畳の上に、寝ていた。 と、云った。 むくりと、その畳が、持ちあがるような気がした。と思うう ちに、遠い大砲の音が、じいんと、欒にったわって、微かに家『ちがう』 にゆうばち 露八は、摺餌の乳鉢を持ちながら立ち上がって答えたが、そ がふるえる。 たた れを叩き落とされて、 『ははは。やってるな』 昼 『放火隊の一人だろう』 ここまではとどくまい たまおと 黒そう前提しておいて、次の弾丸音を聞くのである。戦は、伏ねじ上げられて、往来へ、突き出された。往来には、幕兵 、つわ、、 が、密集していて、 夜見附近か、鳥材か、高瀬川堤という噂なのだ。 かんちょう あけ 『間諜だな、この野郎』 朱夜中から暁にかけて、だいぶ、砲声は近づいていた。寒いの した で、露八は、階下の台所へ行って、火をおこした。食べ物もあ『縛れつ』 てぬぐい かす たる しゃれ すみ うえ すりえ うち やり うぐいす は
んやく 西田源六が、恐い眉を顰めて、刀の柄を握りしめ、一方には四、る、引摺り戻すーー何という残虐な仕方だろう。 ちゅうげん 明五名の若党仲間が、六尺棒を持って待ち構えていたのである。 この仕方を見ても、彼等が正しい主人と家来の家風でないこ とは分る。 有 そうとは知らずに駈け出して来た石禅。そして菊太郎 あざむ 『わしは藤懸左平太に、まんまと偽かれていたのではない 明何で堪ろう、 『うぬつ、何処へ行く』 無 不意に脛を撲った棒の彼方へ、あっと、もんどり打って仆れ九馬之丞は、まったく眼が覚めた。 きのうの約束を、鐓履のように捨てて顧りみない仕打ちとい る所を、 、今ここで見る様子と 、きようの天王寺の無礼な態度どいい 『それつ』 もと 思い合せれば、左平太の巧妙に使い分けている善魔両 乱打と荒々しい腕力の下に、忽ち一筋の繩はその両端に、菊 のが めし、 太郎と石禅を縛り上げ、盲印の鶴江は又しても、魔の手から遁面の不審は、幾らでも数え出されて来る。 『そうだ』彼は、何か断乎と、思い切った色を示して、たった れようとしたこの一歩に、口惜しくも門の内へするすると引き 今、石禅や菊太郎が捕まって、無残に引き戻されたそこの門 戻されてしまった。 を、外からどんどん叩いた 『御邸内へ申し入れます。それがしは御承知の権堂九馬之丞で ござりますが、ちょっとここをお開けください』 仮の法衣 訪れると、まだ何か混雑している邸内の者が、 『誰じゃ、ここは裏門でござる。表へお廻りなさい』 と、答える声がした。 わが屋敷から此の藤懸左平太の屋敷まで、石禅と菊太郎の後 つけ を尾行て来て、権堂九馬之丞は、最前から、総べての様子を物九馬之丞は押し返して、 たたず 『あいや、わざと裏門へ参ったのです。今これへ、石禅という 陰に佇んでながめていた。 僧が捕われて、御当家を騒がせた様子でござるが、あの者は、 『いよいよ腑に落ちぬ藤懸家の家来共 : : : 』 - 一ちら と、余りの酷さに、彼はよほど駈け寄って、石禅や菊太郎をてまえ方の土蔵を破って逃げ出した者。ーー・恐れ入るが、此方 へお渡しくだされたい』 救おうとさえ思った程であった。 めしい すると邸内の者は、暫く中で相談している気配であったが、 あの盲の母を救おうが為に、菊太郎は、子供心の一心になっ て、石禅をここへ連れて来たものである事も分った。 『石禅だけでよろしいか』 そして折角、もう一歩で、その鶴江を石禅が背に負って、門 しずれ御主人左平 「よろしゅうござる。菊太郎や鶴江の身は、、 の外へ逃げ出そうとするところを、生憎見つかって、藤懸家の 家来たちの為に、袋だたきの目に遭ってしまった。打つ、蹴太殿と、御相談のうえで処置いたす考え。石禅だけはこちらに すねなぐ しか ころーも やが へ、り
藤懸と、他の二人は、闇の中で、思わず身を屈めた。 左平太は、胆の太い、物に動じない男ではあったが、その 明そして、眸を、塔のロへ向けて澄ました。 時、その声だけには、身が縮み上った。 いとま 有『誰かっ ? 』 彼は、振り向く遑も、、いになかった。 明不用意に、そこへ寄って行った同心は、貢の影へ近づいたか天王寺の森を駈け抜け、上野の裏道まで駈けて来たが、まだ せつな と見えた刹那に、 足が止まらなかった。暴風雨のように、胸が騒ぐ。 無 『ーーーー・ぎやっッ そこで初めて、ほっと息をついて、振顧ってみると、もう貢 と、さけんで血の音の下に俯っ伏した。 の影はうしろに見えない。 途端に 「何たる事だ ? 』 『おのれつ、左平太だな ! 』 彼は、自分の醜い姿に、勃と腹立たしくな 0 た。 水のように噴いた一閃の刀光は、そのまま颯ッと、彼の方『あれ程の手配をしながら 。塔へ上った人数は一体、何う したのか ? 』 へ、跳び移って来る。 『あっ、北条』 彼には、その手違いの筋が、どう考えても想像がっかな 云わせも果てず、 『この奸物』 ふと、今追って来た貢の影は、夢か、幻でもあるのではない 、カ 貢は、必殺の息をこめて、真っ向から刀を揮り下ろした。 と思って、自分の頭すら、疑われて来るのだった。 さえ それを遮った与力は、藤懸左平太の身代りに立ったように、 『いや、幻でないにせよ、多寡が一人ではないか。何で逃げる 肩先を斬り下げられて、血けむりの下に横たわった。 事があろう』 やや落着くと、左平太は常のしぶとい考えに戻って来た。彼 一瞬ーー左平太はその隙間に、天王寺の森の方へ、すばやく かえ 逃げ出して行った。 は又、引っ回して、天王寺の森へ入った。 まなじり 『左平太っ、なぜ逃げる ! 』 すると、眦を裂いて、彼の姿を探している貢の影が、樹 ちぬら うしろ 衂れた刀を右手に 北条貢は後からさけんだ。 陰に見えた。だが今度は、逃げなかった。 世を追われ、世から隠れ、この世の暗黒にばかり住んで、た 左平太の方から声をかけて、 『北条ではないか おいつ、北条』 だ妻と子の為だけに生きている貢の声はーー宛ら呪いの声その こわごわ ものだった。人間とも思われぬ、しゃ嗄れた声であった。 五、六歩ーーー怖々ではあったが、近づいて行った。 『待てツ、待てツ、待てッ ! 』 屹と、此っ方へ向いた、眼の光りがすぐ、 『お、つつ』 こう追いつつ、叫び続けて と、跳びかかって来そうにした瞬間、 『もう、今は汝に騙されている貢ではないぞ。その仮面を引っ 『どうしたのだ貢。 いや北条殿。この左平太に、何の恨み 剥いでやる。ーー - ・・待てッ ! 卑怯者っ』 ほか めん きっ たか イ 28
無明有明 それは単に、彼の考えが、死から一歩退がったという表現ば かりではない。 うしろに、その時、襲せてくる人数の気配を感艸 うず じたからであった。 生命の渦 『ーーーあれに居るつ』 『居るかっ、まだ ! 』 『ーーーおれも行こう、妻や子のいるところへ』 それは明らかに、取って返して来た九馬之丞と、雷助の声で あった。 ふらふらと、彼は、水際へ向ってあるき出した。 そして、岸打っ神通川のながれを凝と見下ろした。真珠色の けれど今度はーーその雷助も九馬之丞も、どこにいるのか、 あわづき 光が波間に揉まれていた。春の淡月がどこかの雲間からのそい所在がわからない程たくさんな人影が重なって来たのである。 ているらしい それも、一方からではない。人数と人数のあいだに、 提灯の明 どて 『鶴江 : : : 』 りをかざして、堤や、道や、河原や、三方からここへ遠巻きを その水の光りの中に、妻がほほ笑んでいるかと思う。ーー菊ちぢめるように追って来たのであった。 太郎を無事に成長させたい為にーー文、自分が心の底に秘めて ( ーー生きよう ! 飽くまで生きよう ! それは曾って、妻の むこ いる一つの大きな望みの為にー ! 金菱家の聟となって、かりそ鶴江に、自分から云ったことばではないかその妻の生死もま しか そ 確とはわからぬうちに、滅多に死んで何うするか めの二度の妻を迎えようとよし , ミ、 。オカ心のうちでは、一日と て、夢のまも、決して、忘れてはいない彼女の面影が、今、そうだ、よし又、妻も子も死んだにせよ、自分には、自分の正義 こに、ばかっと波間の光となって、自分を呼んでいるかと思を世に告げてゆく使命がある ! ) しゅうう 驟雨のように あしおと わあっという声と、跫音と、刃や十手の白い光が、貢の影へ 暫くうつつに立っている。ーーー然しそういう感傷は、つめた Ⅱ風が鬢を払ってくるたびに、邪熱のように去って、やがて向って殺到した。 落着いた彼の血管のうちからは、 とたんに、神通川の流れが、ざんぶと真っ白なしぶきを空へ 上げた。 『いや、愚な考え ! 』 よみが 死をわらう北条貢のつよい本質が甦えって米た。 とさけぶ捕手たちの影へ、その水玉が、雨みたいに降りかか 『ーー莫迦な、かりにも、何うしてそんな気持が起きたろう。 菊太郎の死骸を見たわけではなし、たとえ、捕手の手に奪われった。 明 たにしてもまだ、最後の最後までを見届けてやるのが父の役目大きな波紋は、河心へ向って、ざッざと動いて行く らかにその波間には、北条貢の肩先が、怪魚のように黒く見え ではないか、愛ではないか』 きっ 刀を握り直して、屹と、振向いた びん
御詮議に追われて、五尺の身の置き所もない今の境遇となって 二人はすぐ控え所へ出て来た。仔細を聞いて、 当然、彼の逃げ込む穴は、悪党の巣だ。悪党仲間の 明『しまった ! 』 きやっ ほかに、彼奴の逃避する所はない』 有と今更顔を見あわせて、悔いるばかりだった。 かたら 1 ーーすると、その朱黒子の仲間を謀って、鶴江を攫って行っ 明『何とも残念な事をした。然し、それも吾々の手落ちと云うほ たものでしようか』 もうここまで来ればと、ふと汕断をしたのが悪 無 『わしは、そうだと考える』 かったのだ』 『いかにも、九馬之丞殿のお考えは、理由がある。さすれば、 『権堂殿』 これからの方針は、北条貢そのものを詮議することもする事だ と同心の一人が前へ進んで、 一面に、朱黒子の仲間を衝いてみることだな』 『ーーー然しその五名の覆面というのは、何者ですか。お心あた 『その朱黒子の巣窟というのは、何処でござりますか』 りが」ざいます・か』 かいもく しわざ 『それは皆目分らないのでござる。分っていれば何時でも奉行 『やはり北条貢の仕業だと思う』 たちま 『でも北条貢が、自分の外に、四人も助太刀を連れていると所の人数が向って、忽ちそこを狩立てますから』 いうのはおかしい。自分の体一つでも持て余しているあの貢「では、その方を探るのも、容易な事ではございませんな』 、ればく 『けれど、彼の仲間の者は、必ず手の甲か手頸に、朱墨の入黒 子をしているので、その一人を捕まえて叩けば、なアに分らぬ 『なる程』 事はない』 雷助もそこに不審を持っていたらしく、仰から大きく頷いた 同心たちは九馬之丞と雷助をカづけるようにそう云った。 ( ここ迄来て、何たる事だろう ! ) だが、貢でないとすれば、何者があの鶴江を奪って行っ 一時は落胆した。然し考え様に依っては、 二人はまったく、 たかが問題になる。鶴江の身には、他にそういう縁故も味方も 愈、北条貢と、最後の決戦へ接近して来たようにも思える。 ない筈だから』 なぜならば と自分で疑義を差し挾んで云う。 ここ七年間というものは、相手の行方を探すことで暮してし 九馬之丞は顔を横に振った。 まったので、その間は、広い諸国諸街道の何処に貢が潜伏して 『いや、わしは何処までも、北条貢のやった仕事だと考える。 しゅばくろ いるかーー・・それだけを突止める事だけでも、甚だしい苦心だっ なぜならば、北条貢は元、悪党仲間の朱黒子組に籍を置いてい たことがある』 けれど今は、およそ貢が、この江一尸表を中心に、或る限られ 『オオ、如何にも ! 』 それ 『いちどは、改心いたして、お役目に就き、真面目にな「て悪た地域の内に居るという事はもう確実に分 0 て来た。 だけ彼とぶつかる戦闘圏内は、以前よりずっと縮小されて来て 党仲間から足を抜いたであろうが、その後の彼は、再び厳しい そうくっ
「そんな口止めは役に立ちゃあしないよ。あの二人は、権堂九 明 馬之丞と逆井雷助という者だろう』 すると、その姿を見て、駕屋の溜り場からすぐ、 『それ迄、御存知なんですか。じゃあ仕方がねえ、やりましょ 有『ーー御新造さん』 う、その代りに』 明駕屋が、駕を持って来ようとした。 さ、 ~ 削・払 . したよ』 『駄賃を弾んでおくんなさいだろう。 お兼はあわてて、 無 あしら こういう男共を扱う事は、お兼にとれば、自分の手足を動か 『何さ、誰も、駕を呼びやしないじゃないか』 すようなものだった。 と云った。 偶然といおうか、約束事といおうか、菊太郎のさらわれて行 言葉が伝法なので、駕屋はお兼の顔を見直しながら、 ねえ ったと同じ所に、石禅も捕われている事がわかった。 『ア : : : 姐さんですか。駕の御用じゃねえんですか』 番町の近くまで来ると、お兼は駕を捨てて、暗い屋敷塀に添 『すこし、聞きたい事があるんだが』 って、権堂家のはうへ歩いていった。 『へえ ? : 何ですえ』 『ここの仲間の者だろう。おとといの晩、待乳山の下で、二人女のカでは、何うにもならない事は分っているが、そこの様 子を探って、たしかに、菊太郎も石禅もいると分ったら、その の侍に斬られた雲水を乗せて行った者は ? 』 『さあ、俺あ知らねえなあ。ーーー誰か行ったのか、そんな者を事を、もいちど谷中の五重の塔まで知らせに行かなければなら ないと考えていたのである 乗せて』 たもと 袂から頭巾を出して、お兼は、眉深に顔をつつんだ すると、溜りの中から、 『番町の屋敷だろう。侍が一人、雲水が一人、何っ方も怪我をして裾を短く括し上げて、 : ここだ』 していた』 なま・一 古い海鼠塀を仰いで、お兼は、暫く立っていた。 という者があった。 塀も門も、ひどく荒れていた。七年間、空き家同様になって お兼は、その駕かきを呼んで、 いた屋敷なので、門前まで雑草が生えている。 『おまえさんかえ、行ったのは』 かんめき 腐っている門の扉を、そっと押してみたが、中から閂が懸 『へえ、そうです』 っているのであろう、四、五寸ほど扉の合せ目はロを開けた 『じゃあ、おまえの駕に乗るとしよう。すぐやっておくれな』 が、身をいれる程には開かないのである。 『何処へゆくんです』 『亠めはははよ 『その怪我人を乗せていった屋敷へさ』 不意に、誰か笑った。 『あっ、こいつは不可ねえ』 うしろ 自分の後の方にである。 『ど , っして、』 、よ お兼は、恟っとしたように、門の屏から手を離してふり顧っ 『あのお侍衆に、固く口止めされていたんです』 たま イ 02
松のや露八 客の頭数やら、手伝いの者やら、二人は即座にとり決めた。 あと その後で、思い出したように、半蔵が、不意に云った。 『忘れていたわい、庄次郎、そちも何としたことだ』 ちょうだい 『は、じゃない、昨日、入江先生より頂戴して参った免許の目 録やら皆伝の巻があろう。なぜ、叔父御に、お見せ申さぬ。父 にも見せい』 『どこへ置いた。 重助、重助っ』 『・ま十 ( 十 『あ、ちょっと、お待ちください重助には、わかりません』 笑い転けたがーーーすぐ真面目に心配しだして、 『では、持ってこい』 『よく考えろ。忘れたのではないか、どこそへ』 ゅうよ 『さあ ? 』 『何を猶予いたしておる』 しり ふすま 庄次郎は、襖の外へ、顔をかくして、尻だけを見せていた。 『ええと ? 『忘れたのであろうが』 頭をかかえて、考えを絞るように、 ぎんじ : はあ』 『暫時・・ : : 暫時、お待ちを』 何か、まごまごしながら、立 0 て行く庄次郎の牛みたいな鈍『はあ、じゃない、大事な品、いかがいたした』 『やつばり、忘れたのだ』 重さを振り向いて、 『どこへ』 しいところがある』 『では、月日にも』 大乗り気である ぜん 蚊帳坐禅 まき や きのう 鉄之丞が、惚れこむと、 『ははは、左様かな』 『晩成ものじゃ、大器という人物は、ああでなくては』 『いったいに、幼少から、八十三郎めの病弱で気の強いのとは 反対に、喜怒哀楽をあらわさぬ奴での。変わっておったよ』 野呂間な姿までが、にわかによく見えてきて、半蔵は、自慢 らしく云った。 ふすま その庄次郎の顔が、やがて、ぬうと襖を開けて、 ありません』 『父上。 『皆伝の目録や巻がない ? 』 こぶろしき : 。たしかに、小風呂敷に包んで、机の上に、おいたは ずですが』 『では、あろうが』 『それが、いくら見ても わけ 『ど、つした理じゃ』 ーカ引いて行ったのかも知れません』 まき まじめ
るまで川で遊ばうというのである。船頭は、彼を舟に加えて、 月口から品川の海までこぎ出した。 『やはり、海だな。ここまで来ると、さすがに風がちがう』 八右衛門は、眼をほそめていた。お莱は源内から切りだして くれたら今日こそうなずいてしまおうと思っていた。然し、彼 女が待ちもうけている話にはいっ迄もふれないで、雨乞いの事 ばかりが話題にのばった。 だいはんにやりしゆきよう たかなわ 大般若理趣経をよむ声がきようも必死に愛宕山でしている。 『芝浦か、高輪か、たいそうな人出じゃないか』 『雨乞いの智識さまを拝みにゆくんでさ』 もう、その声も、嗄れてしまって、時々、息がなくなるよう ひまじん とだ に途絶えると、 「閑人が多いなあ』 『でも、降るだろうか』 『水、水っ : : ・・』 と、世話人が、うしろの莚の蔭から、水を汲んで与えたり、 八右幃門が、真顔でいうと、 『降るものですか。ははよ 薬湯をのませたりしていた。 よしずぢやや 源内はあざ笑うように、入道雲を仰いでいた。その間に、お花見時に茶、葭簀茶屋を張る場所である。そこの低い床だの 囲いをつかって、七日前から、ここに白木の祭壇をすえて、雨 莱はそっと、彼の膝をついて、 ようじゃ いのり 『あの : この間のお話のこと』 乞の蒋にかかっている行者があった。 ようえ と、どもった。 『あれが、智識様だ。あの白い行衣を着ているーー』 『え、なにか』 『七日も、飲ます食わずでいるのだろうか』 『そ、つらしい』 『ちょっと、耳をかして下さいよ』 たお 八右衛門の顔をながしめに見ながら、お莱は、恥かしそう 『よく斃れないな』 『そんなことで参るような人間に雨乞いができるものか』 『降るだろうか』 『わたし、考えをきめましたから、旦那へ、仰っしやってくだ 『降りそうもねえな』 文 『いや降るぞ、こうしているうちに』 『どっと、降らしたいな』 『では、八右衛門殿のお世話になるときめたか』 呪 『降るとも』 「嫌ですよ、大きな声をなすっては』 山にあがっている群集も、いっか、行者と同じ気持になって 泣小扇で、源内のロを塞いだ がっしよう いた。理趣経の声が風にながれてくると、一緒になって、合掌 ふさ やくとう なき じゅ 泣呪文 むしろ もん