まきのむねちか 『どうしても、亀ノ前のいどころを、お隠し遊ばすのでござい 『なに。牧宗親の』 巻ますね』 の『くどい』 『それで分かった、よろしい : 』と、頼朝は、じっと感情 カくま 界『もう、伺いますまいようございます。わたくしにもわたくをころしてから、『亀ノ前が身は、しばし、そちの屋敷に、匿 あれ しなりの考えもございますから』 、おけ。そして、彼女には、そなたから、余り案じぬように : ようなだめておくがよし』 『考えとは』 むなど 『はっ 『御自身、ひた隠しに、おかくしになりながら、ひとに胸問い しのび 『いずれ、微行で参る。数日のうちには』 遊ばすいわれはございますまい』 一子が生まれてからは、ひとしお、愛情のきめのこまやかな 頼朝はそれから三日ほどの間、自分もさりげないていで、政 ふたり 夫婦だったのに、ある日、こうした争いがあった。 子の顔いろを、うかがっていた。 すると、十一月初めごろ。 かの女の容子からは、何も探り出せなかった。むしろその 頼朝の祐筆、伏見広綱のやしきへ、突然、大勢の猪武者が二、三日間は、明るい微笑さえ多く見た。 暴れこんで来た。そして主の広綱を袋だたきにしたあげく、家幾日かの後。 財調度など、手当り次第ぶち壊し、さらに家探ししてまわりな 頼朝は、遠乗にことよせて、大多和五郎義久の家を訪ねた。 がら、 『牧宗親を、ここへ呼べ』 牧三郎宗親は、時政の妻、牧ノ方の実父である。 『亀ノ前が、隠れおろう。みだい所様のおいいつけぞ。亀ノ前 『おのれは、もってのほかのやつよ』 を渡せ』 と、わめいた。 宗親を見ると、頼朝は、幾日かのあいだ耐えていた怒りを、 いちどに、ぶちまけて、 広綱は、足腰もきかないほど、痛めつけられていたが、すき ろうぜき はなれ をみて、離亭の一間へまろび込んで行き、そこに、衣うち被い 『さ、じつを申せ。たれに頼まれて、亀ノ前の隠れ家に狼藉し ておののいている亀ノ前を、背なかに負い、庭門から、どこか きゅうめー へ、逃げて行った。 と、その首すじを、足で踏んまえて、糾明した。 おおたわのごろうよしひさ 宗親は、おそれおののいて、 避難先は、大多和五郎義久のやしきだった。 ことの次第は、義久から、すぐ、頼朝の耳へはいった。頼朝『まったくは、みだい所様の、おいいつけにございました。ほ は、気色ばんで、 かならぬお方の厳命、否みがたく』 『ょに、政子のさしずだと。 『乱暴者は、たれの奉公人か』 : だが、政子が、亀ノ前の居所 『まぎれもなく、牧殿の家来どもであったと、広綱殿は申してを、知るはずもないみだい所へ、さような告げ口をした者は おります』 たれか』 きめ いのししむしゃ かず イ 60
野 だいうかい 子、板橋、練馬と進み、わざと武蔵野の西北方を大迂回して 、い待ちにしていたらしく、頼朝はいっこ。 あまぜ 行った。 『おう、尼前が見えたか。すぐこれへ』 これは、ひとつの示威であったろう。一面には、武蔵野に散 比企の尼といえば、伊豆の配所に出入りしていた人びとな 在する草の実党だの、下野、常陸あたりの源氏党をさし招くたら、たれ知らぬ者はない。 めであったかもしれない。 頼朝の乳母である。二十年間というもの、伊豆の配所へあら 武蔵大里郡熊谷の人、熊谷次郎直実も、このとき、頼朝に謁ゆる真心と、物的な仕送りをし続けていた老女であ 0 た。 して、臣となった。 ( まだ旗挙げは、門出にすぎぬが、ひと目逢うて、よろこばせ その他、この地方で会盟の人びととしては。 たい ) 村山党の金子十郎家忠。 比企郷は入間川の近くである。頼朝は素通りしてはすまぬと 岡部の庄の、岡部六弥太忠澄。 思い、昼の行軍中に、使を走らせておいたのだった。 あだちうまのじようとおもと 足立郡の足立右馬允遠元。 尼は、連れて来た若侍と女房に手をとられて、寺の廊を通っ また、古くから " 武蔵七党…とよばれていた西党、丹党、私て来た。しかし、頼朝の左右にいながれている諸将の姿を見、 、一いと、つ 市党、横山党、児玉党などの子孫たちも、風を望んで、多摩の急に、おずおずして遠くへすわった。 ちちぶね あまぜ 山村や秩父根から名乗り出て、白旗の下に集まった。 『尼前よな。よく参った。いつも達者かの』 ちゅうとん その日は入間川に駐屯した。欅の防風林にかこまれた閑寂な : 殿にも』 一寺院が頼朝の宿所であった。そして、そこを中心とする付近『よろこんでくれい。うわさは、そなたも聞きつろう』 一帯の夜営の兵馬は、いっか一万数千騎にもなっていた。 『お祝い申しあげまする。きようという日に〈ムうて、また、そ けやきおちば すると、欅落葉のしきりとなったタ風のころ。 のお姿を見奉るうえは、尼はもういっ死のうと心残りはござい 馬の背に乗せられたひとりの尼が、ふと、そこの陣門へ近づませぬ』 き、付添うて来た若者と小女房の手に抱き降ろされて、 『いやいや、そなたの乳を離れたのが五ツの年、伊豆へ流され 『お、つ、 , ごかや』 たのが十三歳。そして、ことし三十四で頼朝は初めてこの世へ あまぜ と、あたりを見まわし、陣門の将士へむかって小腰をかがめ誕生して出たようなものそ。尼前には、長生きをして、もそっ と、頼朝のこれから先を見てもらわねばならぬ』 すけどの 『佐殿のおわせられるは、この御寺でございましようか。わざ 自分の乳で育てたお子が、今、眼の前にいる人か。尼は、頼 ひき わざ、み使を賜うたゆえ、比企の草屋から出て来た尼でおざり朝の姿を、見まもった。 ひき まする。比企の尼が来たと、おん前に取り次ぎ給わりませ』 そして、女の一生はこれで済んだとも思うかの女であった。 ただ草深い武蔵野の片すみで、祈りがあるだけと思うのだっ わりま けわー、、
の、やはりお耳に入れいではと、これに控えておりました』 『何をわらわの耳へ』 『あの、葵どののことでござりまする』 『葵ノ前が』 『さればで』 と、ひとひざすすめ、 おなご めのわら・ヘ 『世には、憎ていな女子もあればあるもの。こよいは、殿おひ 少したってから、夫妻のいる一間へ、ふたりの女童が、二灯 しよくだい とりのお渡りと知りながら、みゆるしも待たで、道の途中でおの燭台をささげて、そこへはいって行「たが、どうしたのか、 ちぢ ん供に添い、このお館へ来ておりまする』 童たちは身を縮め、足をすくめ合って、ちーんと、出て来た。 『え。あの葵ノ前がカ』 しかられたときのような恰好である。 かべしろ それには巴も胸を騒がしたらしい また、やがてのこと。年かさな女房が、壁代の外にぬかずい 葵が、どんな女性で、また、陣中の義仲にとって、どんな対て、 ぜんぶ 象になっているか、素姓や出先の日常のことまで、かの女は、 『北ノ方様。おいいつけのように、お膳部もおしとねも、あち ちしつ 老蔵人以上にも、それについては、知悉していた。 らに、おしたく申しあげました。お渡り遊ばしませ』 と、内へ告げた。 兄の今井四郎兼平の従者を呼びつけ、じきじき、調べてもい ほかからも、聞きあつめていた。 『あとで行く』 けれど、夢にも思いよらなかったのは、その葵が、この 巴だけの声であった。 館へまで、良人について来るなどということだった。 しかし、別室の夜のもてなしよ、、こ 。しオずらに冷えてゆき、い 自分が胸に燃やしている以上のものを、葵の前も、胸に焚いつまでた「ても、巴と義仲は、そこから出て来なか「た。 ている証拠でもある。巴は、そう感じると、体じゅうが、熱 そして、よよと、巴の忍び泣く声がもれた。 に、ふるえた。ひとりの男を賭け、愛を賭けて、葵ノ前が、挑声として出る涙にも、怒り、悲しみ、狂喜などの、感情の色 戦してきたものと、かの女には思えた。 と音律がある。女性のばあい、その声は、何を泣くのかも、よ 『ホホホホ。何かと思うだら、そのよ、つなことかや』 くわかる。 葵 巴は、さりげなく笑って、老蔵人の当惑顔を、いたわった。 巴も、女である 『放っておいたがよし レ」 、。じ、の科でもなし、わらわの知ったこ義仲は、それを持て余していたらしい とでもない。武者姿しておるとかいうこと、武者部屋をあてご ふと、突っ放すような激語も聞こえたが、それま、、 。しよしょ 巴うて、武者なみにしておきやれ。ただ、かまえて、わらわの局かの女の怨を募らすだけのものと分か 0 た。あとは、世の男が 戸など、うかがわせまいぞ』 よくつかう平凡なことばを繰り返してみるに過ぎない あおい とが なんの感情もうごかさない人のようであった。そういっこだ けで、巴は、奥へかくれてしまった。 いや、日が暮れかけ ていたので、侍女に明りのしたくをいいつけ、それから、義仲 のいるほの暗い壁代の内へかくれた様子であった。 かべしろ
もくろ ふきみがかれていた。 うまや を、どういう所存で、いやなんの目企みあって、多年、匿まい 厩は、義仲の乗馬をはじめ、何十頭の駒も繋いで、なお余り育ててきたか ) しもや あるほどであり、多くの下屋は、義仲の従者のためにあてがわ かまどのちょうり と、二カ条についての問責で、その取り調べは、きびしさを にた、、 はいぜん れた。また釜殿や調理ノ間には、大勢の男女が煮炊や配膳に立極めるものであ 0 たという。 ちゅうさんどの ちはたらき、まるで国守の国入りか、聟取りのような騒ぎであ もちろん、覚悟の前として、中三殿は、ふたたび家郷を見よ る。 、つとも思わなかった。 ところが しかしそれは、こんどの義仲の帰郷の意味と、中三殿の苦し しもべ み、キ、の い胸の中を知らない下部だけのことだった。奥の橋廊下をこ じしゃ 一名前右大将宗盛から、手厚い迎えをうけ、その邸へ行っ え、幾つかの侍者ノ間をへだてた一室には、極く少数な肉親とてみると、下〈もおかぬもてなしであり、宗盛の口から、こと 一族だけが、 ばもていねいに、 ちょうげかん 『さて。どうしたものであろ ? 』 ( 庁の下官どもが、だいぶ、きつい責め方をしたそうで、お気 きようぜん と、久しぶりな対面の睦みも、その日の饗膳も、ざ 0 と済まのどくに思うておる。けれど、御辺も天下の乱は望んでもおら して、ひそやかな協議に胸を傷めていたのであった。 れまい。平家としても、みだりに、人を重罪に陥し入れたくも その前に、中三殿から、義仲へ、 : で、入道禅門へのおとりなしは、よいように、宗盛 かんぶ くだしぶみ 『知っての通り、じつは先ごろ、官符の下文を受けたによ 0. から申しあげておく。あすは、木曾へお帰りあるがよかろう ) 、と て、さっそく、上洛な申したところ、前右大将宗盛卿より、じ こう、諭され、身の自由をゆるされた。 かねとお きじきに、 この兼遠への、おはなしなのじゃ。まず聞きおかれ けれど、そのあとでは、 ( ついては、入道殿へも、ことばのうえだけでは、申し上げよ せいもん と、中央の政庁に召し呼ばれたことの結果を、ありのまま、 うもないで、ひとつ、誓文をしたため、この宗盛へ、お誓いを 次のように語った。 預けおいてくれまいか ) 平家が、太政官の名による官符をも「て、中三殿の出頭を求と、いう条件をもち出した。 めたのま、、 。し、つまでもなく、 はんらん その前から、暗に宗盛はなぞをかけて「・ーー義仲の首を打っ ( ーー木曾に叛乱の風聞が高いが、実情、いかなる仔細なるて、都〈差し送られよ。御辺の手なれば、義仲を首にすること きゅうもん は、籠の鳥をひねるにひとしいものではないか」と、しきりに 返の糾問であり、また、 すすめていたのである。 守 ( 叛軍の大将、義仲とは、幼少、すでに死んだはずの駒王丸と いやといえば、もちろん、宗盛の応対もちがって来よう。あ 権か申す者の由。 しかも、頼朝、義経の従兄弟にもあたる者るいは、即座に、隠し武者が躍り出て、成敗の処置に、出るか とか申す。い「たい、そのような源家の嫡流を汲む者の子もしれない むつ み、キ、の か′一
『殿つ、殿』 すぐ、馳け寄ろうとする余一を抑えて、文三が、 またのごろうかげひさ 巻悲痛な、味方の声も消え、そのわずかな味方も寸断され、頼 『ちがいまする。あれや景親の弟、俣野五郎景久でおざる』 と、とめた。 の朝のそばには、たれか二、三の武者しかいなかた 『なに、景久だとーー。景久たりと』 橋『だめか』 ふりほどいて、追いかした かれは、歯をくいしばって、弦の切れた弓を投げ捨てた そして、落ちていた長柄を拾い、 敵影を目がけて、斬りこん 馬は、矢にあたったため、とうに捨てていた。ころぶ、また で行こうとすると、 すべる。かれの形相はもうそんな自分を知っていない。一念だ 『いけません。大将たる者が、愚なまねごとを』 った。先へゆく景久の前へ馳けまわっていた。 と、たれか、抱きついて、引き戻した。 『待てつ』 から その弾ずみに、頼朝とその者とは、絡みあったまま、足を踏『なに』 カー みすべらせて、崖の雑木の中へ、ころがり落ちて行った。 俣野五郎景久は、何気なく横を向いた もうこの辺には、敵の一兵もいないはずと、うつかりしてい た容子にも見える。余一の声とは反対の方を振り向いたのだ。 佐奈田余一と、老僕の文三家安は、乱軍の中に、まだ生きてとたんに、正しい方角で、 けんん 『岡崎四郎が子、余一義忠だ。俣野殿と見る。下り給え。見参 おおば っ 『大庭は、どこに』 おめ と、それだけを敵と目がけ、馳けまわっていたのである という喚きがまた聞こえた。そして馬の前脚を薙ぎられたと 雨のやみは、泥んこだった。ぶつかる影、見合う顔冫 、まとんみえ、俣野五郎は、見事に落馬していた。 武者は、ことに戦場では、落馬上手でもなければならない。 ど敵だ。味方はいっか影も見えない。 『木っ葉武者に、眼をくるるな』 俣野五郎はすぐはね起きた。そして抜く手も見せない太刀の迅 しいつつ敵のあいだを縫う余一は、逃げまわる者のようにもさで、余一の烈しい切っ先をうけた。 見える。 あいにく、俣野の郎党は、馳けおくれて、主人をほかに探し ていた。余一の従僕文三もどこではぐれたかそばに見えない 『お味方は、敗れとみえまする』 文三は、泣き出しそうにいオ 人交ぜもせぬ一騎打ちとはなったのだ。 くわっと、眼のまえに、赤い火光が見えた。 足場は悪いし、雨のやみである。カよりも運命が支配 くら たいまっ どっちからかしい、出した。 馬前に、松明を振らせ、鞍の上から、下知を叫びながら馳けしやすい。ついし 『面倒だ、組もう』 て来た敵の一将がある。 『おつ、景親だ。大庭景親だろう、あれは』 『お , つつ』 つる 216
ばくろん 『して、いかがなされますか』 駁論したばかりなのだ。 巻『道を変えよう。笹原まで戻って』 『時政、意見は』 はつね の『お引き返しなされても、笹原、初音には横道もございませぬ『さあ、今となつでは』 『こう馬を進めた第一日から、後へ引き返すも、不吉な気がす 橋カ』 すると、列の中にいた播磨の邦通がいった。 る』 『殿。てまえの差し上げておいた伊豆絵図がお役に立つのは、 『是非の論は、踏み出さぬ前のこと。決して良策とは申せませ かかるおりではございませんか』 ぬが』 どひじろうさねひら 同時に、土肥次郎実平も、 時政もついに従った。 『いや。道案内は、それがしに仰せつけ給われい。たとえ箱根 しかし、自説のてまえ、進んでという風ではない。 権現の法師輩が、何を企もうと、ご憂慮には及びませぬ。箱にである。 さねひらとおひら 根、日金の峰みねは、わが家のごとく詳しき実平、遠平の親子兵馬は道を変えた。 がお供におりますれば』 熊笹の中をようやく探しさがし行くほどな細道でしかない 『おう、土肥次郎が住む郷は、この山つづきであったよな』 山腹を縫い、谷へ降り、また日金の尾根をさして登るのだっ 『なお、道遠くではござりますが、相模灘を前に、箱根っづき の山むこう。ーー幸いここは鞍掛山の下、馬の通るぐらいな細土肥実平と、子息の弥太郎遠平は、月明りの先に立ち、あら 道が、東に向かってあるはずにございまする』 ゆる気づかいを頼朝の馬前に配った。 「ならば、迷わずに済む。のう、時政』 ようやく、尾根へ出た。すでにそれは深夜だった。 と、すぐ後ろの馬上を馬上から振り返り、かれの意見を訊く 『ここまで来れば』 ことを、頼朝は忘れなかった。 と、実平を初め、すべての者の声である。実平は、山の東側 『実平に案内させ、実平の申す土肥とやらの山郷へ参るとしょを指さして、 うか。時政には初めから、そこは兵馬を駐むべき地でないと申『昼なれば、はや土肥郷は、眼に見えまする。あの辺りに』 されたが』 と、主君の心を安むべくいった。 「さよ , っ』 けさも三島の軍議で、時政は、反対を唱えたのである。土肥頼朝は、うなずいた。 次郎実平が、ひとまず、土肥へ兵馬をすすめられてーーーとしき そしてその顔を月へ上げた。 りにいうのにたいして、地の理が悪い、余りに山中の寒村で防『ゅうべの月が今夜もあるーー』 禦もないし、また万一、東伊豆から伊東祐親の兵が寄せ、西北 奇蹟のように見ほれるのだった。 にも平家勢が現われるばあいには、孤立のほかない そう兵は草にすわり、将は馬を降り、まわりの影は、黒ぐろと高 、、と どひ とど しぶしぶ 204
「牧かと、存じまする』 『北条の内儀か』 こじゅうとづら 『どれもこれも、小姑面して、こと好みな忠義立てよ。儂にと っては、めいわく至極。みだい所を重んずるのは、神妙とも申 せようが、頼朝のわたくしごと、一家の秘事、なぜ先に、頼朝 の耳には入れぬか。ーー奇っ怪なやつめ、勘当する、いずこへ なと退散せい』 あくる日。政子と頼朝のあいだに、はげしい争いが起こっ かたびん よほど、腹が立ったに違いない宗親の片鬢をそぎ落して、 けんか 外へつまみ出させた。 これは、どうしても起こらずにいない喧嘩である。「昨夜は それだけなら、まだよかったろう どこへお泊り遊ばしましたか」と、型どおりな詰問から始まっ 頼朝は、その晩、義久のやしきに泊ってしまった。亀ノ前のて、 大きくうけた心の傷手を、どんなにもして、いたわってやろう『仰ッしゃいませ、仰せられぬは、後ろめたいからでございま とする男心のために。 しよう。鎌倉殿とも、仰がるるお人が、そのようなお示しで、 配所にいたころは、この亀ノ前を、頼朝は、余り好きでもな よいものでしよ、つか』 いような風だった。政子に気がねしていたのか、里家へ帰れよ と、手きびしく、きめつけた。 がしに、無情くしていた。 凡下の夫婦喧嘩とちがい、激しても、胸ぐらを取ったり、手 りようばし おおどのとお その後、かの女は、里家の良橋入道の許へ帰っていたが、中 オしカおりおりな夫婦の高声は、大殿を透って、侍 朝の迎えに、鎌倉へ来て、じつはもう去年ごろから、家臣のや者の間までも、ひびいて来た。 しきに預けられ、おりおり、頼朝と会っていたのであった。 頼朝ほどな良人だが、ロ喧嘩では、政子に勝てたためしはな わや 以前は、男心も解けない、閨のはなし相手にもならない、た ややもすれば「 : : : むかし、御配所におわしたころは」と つばみ だおどおどばかりしている蕾のようないなか武家のむすめでは来るからである。いかに、自分が恋に命を曜け、一族の運命ま あったが、男の無情につき放されてから、かの女は急に、自己でも親に賭けさせたかを うるみ声でーー・気は烈しいくせに 訌の女を開花していた。いまではもう、頼朝の夜の心は、産後の女のうるみ声でいわれると、良人は、もう二の句も返せない。 ややくさ あけばの 政子の嬰児臭いはだよりも、亀ノ前の、女の曙のような色と あだかも、家付の娘と入観とのようにである。黙ってしまう 熱度のはだにひかれていた。 ほかはないのだ。 すると、その日、 『北条殿が、おかみのお仕打ちをお恨み申し、はや故郷へ引き 内 つれな み しやま ばんげ こ、つ 内訌 イ 67
すれていた 『あわれ、新宮十郎行家ともある者が、木曾殿の前に来て、か 巻卩 .. ーーやつ。あの叫びは』 かる辱ずかしめをうけようとは。ああ、われながら、みじめなイ の たれかが、ふいに突っ立ち、とたんに、旗もとの数名が、そ姿ではある』 空を仰いで、いうのである。 界こらのかがり火を、ばたばたと、蹴たおした。 『や、や』 煙る。暗くなる。踊りの輪が、一せいに崩れ、わらわら っと、女兵たちは、逃げまどう うしろにいた義仲は、つつと、前へ寄って来て、 ちょうじゃ 『敵かつ。 敵の諜者か』 『ほんに、御辺は、行家殿ではないか』 『行家そ。行家でのうて、なんとしよう』 長柄をとった武将たちが、義仲や巴や葵をうしろに、鉄壁を 作って、何か、烈しい人声と、跫音のした方へ、どなった。 『あっ、どうして、叔父御には、そのようなお姿で : : : 』 めしい しりぞ すると、その声を目がけて、かなたからも、 『まず、そこらの、盲のような雑兵どもを、退けてくれいい : われらは、決して、 『おうつ : : : 木曾殿は、そこにか。 や、なんばうにも、このような目に遭おうとは思わなんだぞ。 木曾殿、よもや、おん身は行家を、忘れはしまい宮の令 怪しい者ではないまず、身を自由にしてくれいこう、きき 旨をたずさえて、源氏のため、諸国を憂き苦労して馳けずりま 腕をねじ上げられていては、何もいえぬ』 と、わめいて来る者があった。 わったこの十郎行家を』 : やおれ、おろかな雑兵どもめ。 見ると、十人ばかりの主従らしい一群が、味方の兵にとり囲『なんでお忘れ申そうや。 。、、に、車の守りに気が まれてくる。中のひとりは、その先頭に、両のきき腕をねじ取このお方こそは、おれの叔父御じゃ られて、のめるように、追い立てられて来たのだった。 立っていると申せ、怪しの者ではないと仰っしやっているの 『なんだ、その人間どもは』 に、なぜ、手荒な目にお遭わせしたそ』 義中は、しかって、 『国府勢の諜者か、都のまわし者にちがいありませぬ』 『陣中を、うかがっていたのか』 『やくたいもないやつらめ、遠くへすされ』 『そうです。ところが、苦しまぎれか、異なことを叫びますゅ と、雑兵たちを、追いやった。 え、ひとまず、おん前にしょッびいて参りましたので』 そして、巴と葵に、 『異なことを申すとは ? 『そなたたちも、まだお会いしておるまいが、わしの叔父御に 『さつ、そこで申し上げてみろ』と、兵は、捕えていた者の背あたる新宮行家殿と仰っしやるお人、だいぶ、お疲れのように を押して、武将たちの足もとへ突きとばした。 もみゆる。ひとまず、あなたへお連れして、何かと、宥わって 片足が悪いらしい あげるがいい』 と、 いいつけた。 べたと、その人間は、地へすわってしまった。そして、はら はらと、落涙する容子だった。
かって「まず、ます」としきりに上座をすすめ、 紙燭を掲げて、ひざまずいた者は、近侍の盛綱にちがいな かけひ 「おなっかしい限りです。平治以来、一族のたれかれも、ほと そして頼朝は、小坪の縁に身をかがめ、掛樋の水で手をき そそ んど亡じはて、肉縁のお人に会い参らすこともなかったのに』 よめ、ロを漱いでいるのであった。 と、かれも、心からなよろこびをもって接した。 气はなせば、はなし尽きぬが』 厩のふたりは、思わずすわり直していた。頼朝の影をおばろ 行家は、あらたまって、 に見せているかなたの小さい灯の虹が、ふたりの眼には、あだ もちひとおう 『ときに、それがしの、こたびの下向は、以仁王の令旨を帯 かも、長夜のやみを破って昇る太陽ほどにも見えたのだった。 び、宮の蔵人行家として、密使の命を拝して参ったもの。 来し方、四方のはなしは、後刻としよう。まず、令旨をおさず け申しあげる』 と、山伏姿の衣の前を解いて、えりの裏に縫いこんできた令 御家人集め ヒ日を取け出した。 令旨は、の袋に秘められ、べつに頼朝への " 赦免状。が添 えられてある。頼朝は、さすがに、はっと色を正し、 『えつ、令ヒ日とな』 叔父行家と、頼朝とは、初対面ではない けれど、会ったというのも、じつに遠いむかし、茫を二十年座をすべ「て、平伏した。 まばゆさに、身もすくんだ姿である。突然、運命の前にひら 前の、平治の戦陣の日であった。 かがや 便りは聞かれた耀きにひれ伏したのだ。しかし、都の変は、有綱から耳 以来、その人は熊野に、かれは伊豆に、おたがい、 にしていたし、それに先だって、行家が都を出たことも聞いて いてもいたろうが、親しく一室の灯下に相対したのは、きよう が初めてといってよい だからかれには、予期されていたことである。突然な驚喜で 『さて、何からお話し申そうやら』 と、行家は、さすがに、兄義朝の面影を、頼朝の成人ぶりにあったとはいい難いとはいえ、なお、まのあたりに、それを 拝した感激はべつであったろう。 見て、はや眼をくもらせ、 『かかる幽居に、令旨を拝そうとは、思いませんでした。垢 め『けわしい長の年月を、よう御無事を守って来られたの。あり めんしゅうい 集 面、囚衣のままではおそれ多い。しばらくお待ち給われ』 がたや、源家の正嫡たるお方の、かく立派やかなる御成人を、 人 いちど、室を出たのは、衣服をかえるためであった。 拝することができよ、つとは』 えんすみ 家 縁の角に、かしこまっていた盛綱に いくたびも、ぬかずきを繰りかえした。 ししト・く 御 おい 亡父の弟であり、自分は甥である、頼朝はそういう行家にむ『紙燭を持て』 にんあっ ばう ! う 〃 9
さるを』 巻ふと、ロをつぐまれた。 の いって、効いないことだ。愚痴にすぎない。 ね すぐ、そう覚られたものらしい ん うつ 「いざ、遷せ。今は、何をいおうが、入道の耳へは、冬の風と も聞こえまいかからんうえは、身を運命にゆだね去るのみ しゅんかん うつや 成親や俊寛のように、余りにはるかな島へ遷し遣ら れてはたまらん。身の行くえは、そも、いずくぞ』 鳥羽の北殿は、城南ノ離宮ともいう。ここはもう都の外で、 しゅんかんそうず あんらくじゅいん 『安らかに、思しめせ。俊寛僧都を流せしごとき離れ島へ、 羅生門からもなお、半里は歩かなければならない。安楽寿院の こんどうみだどう けつかい かで、君をばお遷しまいらすべき。 こだこだ、しばし世の森に隣りし、金堂、弥陀堂、三塔、金剛、い院などの広大な結界 静かになるまで、鳥羽の北殿へ御幸あれかしと、父禅門の胸にのうちにある もや て候、つ』 冬木立のこずえは、果てない靄にばかされ、それらの伽藍が 『鳥羽へとや』 みな、どこに沈んでいるのかも分からないほどであった。 法皇にも、虚勢はあった。ほっと、まゆをひらいたような、 木々の底から晩鐘が鳴るのを聞けば、「近くに、人もやある」 み気色がうごいた と思われ、タ鴉の群れ下がるのを見ては、ふと塔のさきに気が 『宗盛、車を寄せよ。供をせよ』 つくほどだった。 っと、車の内へ姿をお隠しになる。ばらりと、簾の音が、お『ここにいよとや。、・ーー世が静かになるまで、この北殿を出る 姿を断っと、武者も宗盛も一時に起った。そして、局の女房ゃなというか』 あまぜ むせ 尼前たちの泣き咽ぶ声をあとに、牛車の輪は大きく旋り初めて 後白河は、院の御所を出られるとき、宗盛がいったことば を、ここへ来て、おロのうちでつぶやいた。 『いずこへなと、おん供に』 離宮とはいえ、身は、、 しつもの御幸ではない。平家の軍兵 しめ , こうきん 走り出して、車の尻を追ってくる女房や蔵人たちの内から、 拉致されて来たのだ。いうまでもなく、拘禁の客である。 あまぜ げろう ゅうキ - よ 宗盛は、ひとりの老いたる尼前と、わずか三名の北面の下﨟だ 『幽居か』 けを許し、あとは、法住寺殿の門を境に、追い返した。 絶対者の誇りに加え、人なみ以上、勝ち気でもおありだけ に、清盛にたいする敗北感は、、、 ししれぬものだったに違いな じめじめした薄暗い一殿が、御座所としてあてがわれた。侍 あまぜ 者には、老いた尼前ひとりしか見えなかった。そして、黴くさ れん めぐ と 、、ば こだち 灸 キ、・ゅ・、つ ゅうがらす いちでん かび がらん ノ 06