ほむすび 持仏堂の裏である。 ここの御社の火牟須比の神とは、木花咲耶姫を祭るものと、 頼朝の読経の声がよく聞こえた。頼朝は、ここへ来て泊った かの女は聞いた。それは富士山を象徴した女神というほかにな 朝でも、毎朝、法華経を誦むという千部読経の日課を欠かしたんの知識もなかったが、かの女は、ひとつの祈願をこめた。 ) とがなし わが夫頼朝をして、平家を亡ばさしめ、ふたたび源氏を世のう 朗々と、あの大きな声が、どこからわいて出るのか、政子に えに現わし給え。 とい、つことであった。 は、男の体と心が、ふしぎであり、何か、疑わしくてならなか『政子』 つ、 ) 0 頼朝は、かの女のうしろに来て、立っていた。 夜が明けても、かの女の黒髪の根には、まだ醒めきれない昨『おや、いつのまに』 くみ、もや まつわ 夜の夢が、草靄みたいに、纒っている。自分を抱きしめ、自分政子は、拝殿の前を離れ、すぐ良人のそばへ、しなだれた。 の耳にかみつき、そして、女の骨も血も肉も、焼き溶かすよう 『なんと、長い御祈念よの。そも、何事を願おうとて、長なが あいぶ なささやきと愛撫とをもって、男の真裸を燃やし尽してみせてと、ぬかずいていたか』 おんじよう くれた男性がーー朝の光とともに、突然、荘重な音声で、読経『祈りたい儀は、海ほどもございまする。願いは、山ほどとい に勤めるなんて、どう考えても、おかしか「た。ゅうべの頼朝っても足りませぬ』 は嘘か、けさの頼朝が嘘か、ど 0 ちかが本当でないみたいであ『はははは。さだめし、神には迷惑なことでおわそう』 る。べつな男性に思われて仕方がない 『人の祈りの勝手なことは、よう、わきまえておりまする。そ 『いやいや、そこが女性と違うところかもしれぬ。昼は昼、夜れゆえ、祈願は一つしか懸けませぬ』 は・夜と』 『では、なんの祈願を』 かの女は、自分にくらべて考える。女身は、男のようになれ『申しあげるまでもないことです。夫婦の仲でありながら、そ しび ない。余りにつよい痴夢のよろこびに痺れた夜は、夜が明けてれを口で申さなければならないほどでは、神に願 0 たところ のうまく まで、茫として、痴夢の歓楽がなお脳膜から消えなくて困るので、神に通じるはずはございません』 であった。朝露をふんで、すがすがと、昼の女性に返ろうと思頼朝は、びしりと、打たれた気がした。 ほたるぐさ う。けれど、蔓草に足をとられたり、螢草の夢見るような花を政子の家に泊 0 た夜は、その間、政子に自分の全部を与え切 踏むにつけ、、 しつのまにか、胸は、ゆうべの閨をまだ抱いていることにしている。それ以外に男性の半面も真底もないように 朝 る。おろかと思 0 ても、浅ましいと思 0 ても、女の体に理性をしてみせた。ことばを換えれば、政子の歓心を購うためには、 の 行きわたらせるのは容易でない。 どんな燃焼も傾けるし、源家の嫡流などという威厳も男の沽券 の しかし、かの女のそんな短か夜の惜みも、伊豆山神社九百十も捨てていた。それが、かえってかの女の気に入らないのであ 恋六の石段をのばるうちには、朝のわが夫と同じようになった。 「たろうか。男のなすべき大事をわすれ、女色におばれている″ 身もしまり、心も、澄んだ。 腑がいない男性と考えられているのかもしれない。頼朝は、そ つるぐさ つま ねや つま このはなさくやひめ
処女のごとく、そのむかしの時子のごとく、二位ノ尼は、良 く、二位ノ尼を、いくたびか、 む、つつと、執く、しな 人の顔のそばに顔をまかせた。 『時子』 お、お熱がある。二位ノ尼は、しかし、身のいのちに代えて と、よび、 も、このひとの玉の緒を、離しはしないと心でいっていた。 『近ごろは、わずらいでも致さねば、そなたと、こう睦まじゅ 病殿には、さっきからたれもいないふしぎにも、なにか無 うおるひまもない』 とっ このひと 限に楽しかった。むかし、このひとへ嫁ぐまえに、 などと苦笑したり、また、 『おもえば、清盛のような男の妻となったは、そなたの、倖せが、夜な夜な、三日通いに、忍んできたあのときのように : のう、二位れしさが、こみあげてくる。 に似て、じつは、女の不幸ではあったよのう。 『 : : : まだ、お ~ 古しゅ、つ」さいますか』 どの』 : ああ : : : からだが』・ と、しみじみいったりしたという 『おからだが ? 』 時子と、よばれたせつな、かの女は、はからずも、べつな自 オーか、雲のうえに、孚いているようだよ。苦痛もなにもな おもえば、自分は、こ・こ 分を、久しぶりで見いだした。 しゆっにゆう し』 個の女性ーーー時子でしかなかったのが、いつのまにか、出入 じゅんさんごうぎじよう 『きっと、このまま、お癒りあそばすでございましよう』 には、准三后の儀仗に護られ、子に会うのも、良人と語るの も、ただの人妻として、また母として、することができなくな『時子』 っていたのである。いったい、 これが人間のなんの栄華、女と 『そなたが』 してのなんの誇り。 : なんでございますか』 つねづね、思わないではなかった。しかし、不平のいえるこ とでもない。冷ややかな白ねりの絹に身をくるむごとく、半『そなたが』 『おや、おん涙などを、眼じりから』 生、女の心もくるんできた。つい老いるまで、べつな自分にな 『ぬぐうてくれい』 りすましていた。 『なにをお考えあそばしましたか』 時子とよんだ一語のうち 良人は、それをいってくれた。 『そなたが、きようは、椌薩のようにおれには見える。観世音 に良人にも、じつは、おなじ想いのあったことがわかる。かの 女は、ゆうべから怺えていた涙をはじめて清盛のまくらにそそ菩薩のように』 つま 詮 『もったいない。なんで、わたくしなどが』 いだ。そして「 : : : 夫なればこそ。つまなればこそ」と、しが おみな 『いや、大勢の子ども、一町のやから、女たち、みな、そなた 師みつきたい思いにかられた。 かいな ああ、老夫婦。そうの蔭の助けで育てられてきた。清盛は、それらのことは、何もの 医清盛の腕は、かの女を抱いていた せぬ。おれがしたのは、福原の都、厳島の造営、それから、世 、、こガこ、艮よふさしてした ニ = ロ むつ お なお
こわね かの女は、しつかりした声音で答えた。 すでに大庭景親の軍勢も、六波羅へむかってそれを報告した かの女にとれば、破滅のすべては、自分と頼朝との恋からだ といわれ、伊東の伊東祐親の手勢も、熱海路を越えて、南へ帰 と、考えられている。当然、生きてはいられぬ身としているに って行ったという 違いない。妙女は、そうひとりぎめに察していたのだった。 当然、ここの走り湯権現の僧兵も、ふもとや森道の固めを撤 『よう仰せられました。味方は敗れても、なお、頼朝様やお父廃した。事後のそうした動きなども、頼朝自害の風説を、裏書 君などの御生死のはどは分かりませぬし : この妙とて、良きしていた。 やたろうとおひら 人の実平どのや、せがれの弥太郎遠平の生死が知れる日まで は、めったに、自害などすることはございませぬ』 『いいえ。そなたの覚悟とはちごうている。政子は、頼朝様が ちょうど合戦後、五日目の夜である。 どひ お討ち死にと分かっても、死ぬまいと、思い直しているので土肥弥太郎遠平は、ただひとりで、母の妙女のまえに、姿を 現わした。疲れ果ててもいたろうが、幽鬼のような姿だった。 『え。 : では、お子を産み遊ばすためには、、、 とこまでも生き世間をおそれて、声もひそやかに、 とおそうとの、御決心でございますか』 『殿には、まだ御存生でいらっしゃいます。父実平殿も、岡崎 『けれどね、妙。 : : : 殿も、あだに御最期はお遂げになるまい義実殿も、おそばに添うて、じっと、四日四晩も、山中に隠れ とわたくしは思う。なんだか、お帰りになるような気がして仕ておいで遊ばします』 方がない。今でなくても、やがてわたくしがお産みする嬰児の と、母に語った。 まろ 顔を御覧になりに』 妙女は、よろこびの余り、政子の部屋へ転び入って、 かの女は、信じているもののようである。良人の頼朝と別れ『みだい様、頼朝様には、まだお命を保って、無事においで遊 た日のことば。その後、戦陣から来た手紙の中のことば。そのばしますそえ。せがれの弥太郎が、殿のみ使として、ただ今、 せいか、かの女の眼は、なお、夢だけをもって、涙をもたな忍びやかに、庭面へ参っておりまする』 い。この期になっても、取り乱したりはしなかった。 と、告げた。 しかし、翌々日ごろには、さすが、かの女が必死に支えてい 『え。 : な、なんですって』 きちょう こうち た心も姿も崩れを見せて、几帳の蔭からかの女らしくないむせ政子は、自分の耳を疑った。長い黒髪を載せた小袿衣の裳を うしろへ流し、見ちがえるほどやつれた顔を、几帳の端に見せ 騒ひ泣きがもれた。 月〃頼朝死す〃 て、 山 という風聞が立ったのである。山深くへ逃げ込んだものの、 『わが夫が、御存生とは、それや、まことか。弥太郎の告げと 豆 伊平家軍の重囲をやぶることができす、頼朝主従は、ついに山中あれば、間違いはあるまいが』 で自殺したらしいというもッばらな取りざたなのだ。 『二度ほど、頼朝様のお文使に来て、お目通りしたこともある たえ 227
のりもり 中で、教盛に行き会った。教盛の顔は、もっと沈痛なものだっ た。「 : : : おそばへ参ってもむだだ。い ( まよ、うつつもないお 苦しみ」というのである。そして「しばらくは、医たちにまか せ、やや落ちつかれ給うしおを、ひそと、お待ち申すしかある 、し、つ かくて、病人のからだを、この家からそっと抱え出したの は、夜半もすぎて、明け方ちかいころだった。 次の日。 外には、入道の夫人二位ノ尼の車も来ていた。建礼門院の御 使の女房、阿波ノ局も車を立てている。女車だけでも輛とも 『あわれ、神明の御加護か』 すがむしろ かそえきれないそしてかの女たちは、車を降り、道に菅筵を と、西八条の人びとは、まゆをひらいた。 展べてすわっていた数珠を指に、夜もすがら、天に祈ってい 『おもいのほか、けさがたにいたって、単門には、うるわしい みけしキ - たのである。 御気色です』 び - し ひみ、し てんやくのかみさだなり 大勢して、入道をかかえ入れた車廂のうちには、雪を重ねた と、典薬頭定成が、宿直の廂へ来て告げたからである。 しとね ような褥が見えた。やがてまた、入道のあとから、白絹のころ けさがたといっても、もう陽はたかい。膳部寮から心をこめ ずきん びようでんさ もに白絹の頭巾をした老女が、ひとっ簾の内にかくれた。いうて配んだ食事は、手もつけられず、病殿から退げられた。 ただのり までもなく夫人の二位ノ尼である。 経盛、教盛、頼盛、忠度など、入道の舎弟。また宗盛をかし 揺るぐともなく、静かに、牛車の輪がめぐり出した。簾中のらに、入道の子息も、すべて別殿につめきっている。 しげひら 病人と、二位殿の胸を気づかって、あとの車も、車わきの騎馬 さきに、美濃方面へ、出馬した重衡と、病中の知盛と、そし も、お互いの声すらはばかった。およそ、音もない車馬の列て入道の勘気をうけた孫の資盛をのぞいては、一門の子弟で、 たいまっ と、松明の流れが、西八条へ水のようにつづいてゆく。 見えぬはない。 うわ 1 一と ふと、入道の車のうちで、囈言じみた入道のうめきが聞こえ女子は、九人いた むせ かざんいんかねまさ た。また、しばらく進むと、二位ノ尼の咽ぶがごとき声ももれ長女は、花山院兼雅の室であり、次女は安徳大皇の御母建礼 こ。「 : : : そばに、妻が来ている」と、清盛は気がついたこと 門院、三女の盛子は、この世にいよ、 こんこん であろうか それとも昏々として分からぬために、二位ノ 四女、五女、みな藤原氏の名門に嫁ぎ、ひとり六女だけは、 詮尼が泣いたのであろうか。 腹ちがいである。 いつくしまないじかよう 師 その六女は、厳島の内侍迦葉の腹で、福原の山荘でそだてら 医 れてきたが、後白河法皇の都がえりのさい、意識的に、清盛はの ちょう れいぜい そばめ その子を側女にさしあげた。やがて、法皇の籠をうけて、冷泉 才一口 つかい す カカ れんちゅう 医師詮議 とのい せん芋
レ」は . ない 『こうしているまに、先に、鎌倉の頼朝に、都入りを先んじら れては』 かれのあせりは、酒に堕しやすい依田城の毎夜は、酒もり あおい 力ならず巴がいた。葵もい 信濃の月のよさ。座の左右には、、 る。 すると、五月の半ばごろ じようしろうすけもち 越後国府 ( 直江津 ) の城ノ四郎資茂が、ふたたび、木曾征伐を ぜんこうじだいら となえ、大軍を催して、善光寺平へむかっていると、早馬があ っ一 ) 0 『しよせん、待っ敵は、出ても来ぬ。あすは、依田へひき揚げ 『御座んなれ、国府勢』 、よ、つ』 とおかみなり 千曲を去るさいごの夜だった。 気だるい夏の日、遠雷を聞いたように、義仲は、手に唾し ちくまがわ によへい て、千曲川へ、陣をすすめた 巴は、本曾の里から連れて来た女兵ばかりを、川原に立たせ キ - み、ス′た ひな ところが、これも、風説にとどまって、城ノ資茂の軍は、って、木曾唄をうたわせ、鄙びた山家踊りを、踊らせた。それら はりめ そそめ いに影を見せなかった。 の女兵たちは、ある者は巴にかしずき、また、針女、洗ぎ女、 じようしぐん 『敵も一期の大事と、入念に、さぐりを入れているものでおざ炊ぎ女などの役をしている娘子軍ともいうべき、木曾勢特有な ラつ、つ』 ひとつの色彩だった。 おみな くりたのべっとうはんかく 『ゃあ、目覚ましい。葵に仕える女たちも、負けてはおれま 樋口兼平や、栗田別当範覚はいった。 そして、義仲がしきりに、「われから、越後へ討って出ん」 し』 きそ 義仲は、ひどく興に入った。葵付きの娘子軍も、竸い立っ と逸るのを抑えて、 『ますは、千曲の月見に出たと思し召して、ここはしばらく、 て、伊那の歌、伊那の踊りに立った。 敵の出方を見ておるべきです』 伊那組の踊りの輪と、木曾組の輪とが、月の下に、手振りを と、かたく諫めた そろえ、ゆるい流線や、さまざまな人間模様を描いた。義仲 の義仲の霸気と若さとは、つねに、何かに燃えていなければおは、うつつもなく、歌拍子にあわせて、具足のひざをたたいて りさまらない滞陣中の夜々は、千曲の流れに、幾百点のかがり ・一う たてわのい 踊火をつらね、 師ロ、今井、楯、根井などの四天王をはじめ、義仲が股肱の 『こよいは、葵の舞を見ようよ』 諸将も、手拍子打って、踊りにあわせ、思わず、ふけるのもわ や つば と、月下に興じ、次の夜は、 「巴の笛を聞こうそ』 と、川原草の咲きみだるる夜露の陣に、酔い伏した。 おんぞうし かれは、だだッ子である。まだ、山出しの御曹司そのまま オいとしい、お可愛いと、葵の眼にも巴にも映るらしい ふたりの女武者の介抱にまかせ、露の陣幕は、中軍の、さら に離れた一囲いのうちにあった。そして鉄甲の守兵が、夜もす がら、遠くを巡りあるいていた。 かしめ
罸ロ を、妻の政子が、わずかを距てたこの山におりながら、なん『じつを申し上げれば、真鶴から舟立ちなどのことは、お耳に まくら 入れるな、と殿に申しつかっておりました。殿のお宥りなので で、夜をやすやすと枕していられようぞ』 「わ、わかりました。妙が悪うございました。そのように、血ございまする』 しず 『なんのそれが宥りであろ。もうよい。なるべく人里を避け、 をお騒がせ遊ばすだけでも、お体のどく。もう、お鎮まりくだ 山路山路を越えて行こう。弥太郎も母御前とともに、道案内を き、いませ』 たか 『いいえ、一時の昻ぶりでいうのではありません。世にただひして給もれ』 うなじ 意志を燃やし、それを行為に移してゆくばあい、世の女性み とりの君が、ふたたび帰り給うや給わぬやも知れぬ海路へ漕ぎ たいな、ためらいを抱くひとではない。自分を魂のない花嫁と 出でて行くのです。与えられたこの一期のおりを、むなしく過 ごしてよいものか。そなたは、ただ、冷めたい侮いを政子に抱化して、山木判官に嫁いだ夜の政子も、こんな風ではなかった ろうか。妙女はふとそう思った。 していよといやる』 いや、あの破婚の一夜ばかりでなく、ひところは、北条堀か 『あ、みだい様。・ : ・ : もう、もうお止め申しはいたしませぬ』 ら守山を越えて、夜な夜な頼朝の配所へ通ったほど熱烈な恋に 「むだです。止めてもむだです』 うち 政子は、つと立って、袿衣の裳をかかげ、腰紐をきりきり締も燃えたかの女である。君をひと目見るためには、夜の山道も なんのおそれもないであろう。むしろ、自分を危うがる者たち めまわした。結ぶ手にも、気丈さが見える の思慮ぶったうるささこそ、腹立たしかったに違いない 『ぜひも御座いませぬ。妙もお供いたしまする』 真鶴まで、磯道なら二里足らずである。しかし、山路は手間 妙女はあわてて政子の後ろへまわり、そしてかの女の身装い みおも どった。またその情熱は以前に変らないまでも、今は妊娠なか を手伝った。すると、弥太郎遠平が、 思し召しは、わたくしなどにも分かりますの女である。すぐ息がきれ、ややもすると、転びそうにもなっ 『母上、母上 : ・ カ』 『おお、海が』 と、縁の端から おとめ 山蔭の道を出て、潮の香に身を吹かれるたび、かの女は乙女 とんな者が、潜みお 『敵は囲みを解いたものの、なお里には、・ るか分かりません。万が一にも、みだい様のお姿を尾け、殿ののように、遠くへ眼をみはった。 『弥太郎。まだ、夜明けには、間があろうの。もし、おん舟出 お舟出までが、敵に知られでもした時は』 に行き遅れでもしては』 政子は、きっと、縁を振り向いて、 ひろい 『お気づかいなされますな。ゆるりとお徒歩あそばしても、た 月『弥太郎、おだまり。そのような要心もわきまえぬ政子と思う 山 しかに、明けぬ前には行き着きまする』 てか』 豆 「よ、↓よ、つ 伊 『なぜ、そなたまでが、そのようなことをいうのですか』 - 一しひも 229
葵以上にも、愛していた。 『殿 : : : わらわに、みゆるしを給うておきとうございますが』 『巴かおり入って、何事を』 きそどのかせ 『雪も解けそめて参りましたゆえ、国元から、木曾の女子ども 木曾殿稼ぎ を、二百人ほど、この城へ、呼びよせたいと思いますが』 おなごで 『陣中にも女子手は要る。しかし、依田には、そなたの来る前 から、すでに、百人あまりの娘、妻女、媼までが住んでおるの だ。さまでには、召さず・ともよい』 数日の後には、かの浅間高原の一角、依田の城へ、義仲は、 『いえ。それはみな葵どのが、伊那から招いた伊那女でござい 帰っていた。 おみなむしゃ ともえ 1 「せ へつに巴の自由に 巴御前と、葵ノ前とは、木曾からの軍旅の途中も、つねに義ましよう。葵どの直参の女武者です。巴は、・ ちょう よた おみなべ かしず 仲の姿をめぐって、もつれ合う蝶のように、侍いていた。依田指揮する女部をおきたいのでございまする』 かの女の望みは、むりな申し出ではない。「よかろう」と、 へ来ても、もちろん、ひとっ城の中に住んだ。 おみなむしゃ 行軍の日も、宴の夜も、こうふたりの女武者が、義仲の左右義仲はゆるした。けれど、こういう点にも、巴と葵とが、一陣 に見えないことはない。 の中に、席を分けて、対立してきたことは、当時の一夫多妻の 制も、義仲の愛の平等も、どうすることもできなかった。 ひとりの男が、幾人もの女性をもつ。あるばあいは、おなじ あずみの むね みなちたいら とがくし 居館に、棟をわけてともに住む。時代の風習である。不自然と安曇野や水内平や、また妙高、黒姫、戸隠などの山はだも、 はたれも思わない。 春のゆるみに、雪まだらな陽気をきざし初めると、信濃の天地 したも また、巴と葵との間にしても、形のうえでは、なんの確執もは、下萠えの草ばかりでなく、諸方に、土豪のうごめきが見え むつま 初めてくる。 ないばかりか、むしろ、姉妹のような睦じさすら見せ合ってい る 『賊、義仲を討て』 おおやけ けれど、義仲の愛を、身ひとつに占めようとする意志とそれ『吋たば、公の庁より、重き恩賞なあるそ』 ゅキ - げ とは、まったく、べつであった。 雪解の信越国境は、人も馬も、この合言葉のもとに、活発な せんしゅん さりげない眸のうちに、、いの底に、斬りむすぶ刃交ぜのようる浅春の気を孕んでいた じようたろうすけなが な細かい女心は、不断に、火をふらして、愛を闘った。 令は、越後国府 ( 直江津 ) の城ノ太郎資長から出ていた。 よ 1 一しようぐん・一れもち ぶみん 義仲は、ふたりのいずれも愛した。それが平等なる主君の態資長は、余五将軍維茂の子孫という。長く撫民につとめてき にびと 度で、閨房の政治だとも考えているらしい しかし、従来、家たので、衆望もあって、国人からは、代々、 みたて ″白川の御館〃 木事と育児だけを守る女とのみ考えていた巴にも、依田へ来てか らは、新しい女体の熟れと情脂の発色を見出し、このごろは、 と、尊称されていた北越の重鎮であり、無二の平家方なの あおい かくしつ おうな いなおみな おなご 383
( 音に聞く、都の殿輩が、雲の行くほど、下るというのに ) 『されば、富士川を前にしては』 ただのり 巻 ( いまを措いては、平家の公達衆のそでの香にも触れるときは 『忠度どの』 殿ない ) 維盛は、横の座を見て、 ら およそ、海道の宿場宿場にあるかの女たちのあいだで、こん『何を想いふけっておらるるか』 どの平軍の東下ほど、かの女らをして、千載一遇の思いをさせ と、微笑しながら杯をさした。 すじゃく たものはない 『いや、むかし朱雀の御世に、宇治の民部卿忠文どのが、将門 ゅうじよみようが ひと目でも、一タの慰安にもと、かの女らが遊女冥加に、躍征伐に下られたときも、この清見潟に宿営された。そのおり、 からうたくちず 起となったこともだが、もうひとつの、大きな理由には、こと軍監の清原重藤が、なんとか申す漢詩を口遊さんだというが、 からうた しの不作ということもあった。 ・ : その漢詩が、思い出せぬので』 すると、忠清が、すぐ微吟した。 富士、箱根からの東をのそき、海道の西部へ寄るほど、こと し治承四年は大不作で、百姓さえも、まして遊女たちの暮らし 『ーー漁舟ノ灯影ハ寒ウシテ浪ヲ焼キ、駅路ノ鈴ハ夜山ヲ過 は、飢え渇いていたのである 『来るな、寄りたかるな、馬について、ぞろそろあとを追って『おう、それよ』 来てはならぬ』 気がすんだように、忠度は杯をほしてからりと笑った。 うまばえ からうた みちみち、馬蠅でも追うよう。 『その漢詩を聞かれて、大将軍忠文卿は、涙をながしたという こ、しかって行くが、かの女た ことだが、今のわれらには、さまでのはるけさは覚えられぬ。 ちは、きやっきやっと笑うだけで、軍のあとについて来た。 ひな、、 わけて、ゆうべからの手越の遊女は、古くから著名な鄙ぶり朱雀の御世とは、駅路のすがたも変り、旅情とやらも、違うて と特色をもち、往還の旅人を悩殺したものである。公達ばら来たせいか』 は、手もなくかの女らのとりこになっていた。いや、ここの陣『いや、戦さの覚悟もちがいまする』 しか きよう : ところで、 いかにも』と、度は確とうなずいて見せ『 : 幕だけでなく、陣営の見られる所、かがり火のある所、女の嬌『 ふと案じられて来たが、伊東祐親からも、大庭景親からも、ま 声が聞こえない所はない だが、さすが大将維盛や、副将の忠度、侍大将上総守藤原忠だ、なんの使もないのは、どうしたものであろう』 『いや、御計策は、、 しずれも、疾くのみこんでおること。万 清などの上将がいる一営のうちだけは、静かであった。 一、途中の変があってはと、わざと使を控えているものでござ といっても、脂粉の香が、無いではない ましよ、つ』 長者の娘といったような、良家の姫が四、五人ほどいた。は ひな したない起ち居でなく、酒をすすめ、求められれば扇拍子で鄙『そうも考えられるな。すでに頼朝も全軍を挙げて鎌倉を発 うたうた し、三島神社に必勝の祈願をかけて、前陣後陣、富士川をさし 歌を謡い、つつましげに、侍っている て、ひた急ぎのあわてぶりと、きのうの船便りにも聞こえてお 「忠清。あすの夜は、こうはしておられまいの』 とのばら 2 砌
義実はいって、先に去った。 『いざ、お早く』 実平、遠平のふたりも、妙女とともに、遠くへ退いていた と、 , つながした。 あとは頼朝と、政子だけである。 『おう、はや来ていたか』 頼朝は立った。いっか、明るみかけている。水平線の一点走りよるなり、かの女は、良人の足もとに泣き伏した。そし き早、 ぎよりん て、いつものように、すぐかい抱いてくれる良人のあたたかな に、魚鱗のような波光が兆しかけたのだった。 腕をその背は待ちおののく姿態にも見える。 崖を降りて、磯道へ出る。 そして山蔭の砂浜を、岬の蝌へ急ぎ出すと、大きな磯岩のあ『何しに来た。ーー政子』 かの女は、良人の最初のことばに、耳を疑った。ことばの底 たりに、ふと二、三の人影がそよめき立ち、中のひとりは馳け には、他人みたいなきびしさと、冷めたさしかなかった。 出して来て、 『お使の弥太郎から、御無事と聞き、ただひと目なと、お会い 『ただ今、戻りました。弥太郎遠平にございまする』 と、頼朝の前に、ひざますいた。 したさに思い駆られて : : : 』 びと 『おう、帰ったか。 : たか、かなたにおる連れ人は、たれ それしかいえないのが、かの女の涙を、なおつのらせた。こ ぞ』 んなばあいも、もちまえの勝ち気は、首をもたげかけているの 『たっての仰せに、ぜひなく、みだい様のおん供をして』 取り乱れてしまう自分が一そうロ惜くもあり悲しかった。 くがち 『ょに。政子の供をして』 『会うて、どうするのだ。頼朝は、たった今、ここの陸地を離 『はい。けさのお舟立ちは、告げるなとの御意には御座いましれて去る。わしに、 うしろ髪を引かせるのか』 と、つにも偽りかしえませ『、、、、 たれど、みだい様のおん前に出ては、、、 ぬ。弥太郎の不つつか、何とそ、おゆるしくださいますよう『不吉だ、けさの舟立ちに、涙などは』 謝まりぬくかれの姿を下に措いて、頼朝の眼は、 かなたを見『そなたを、戦のちまたに、まき込みたくはない。ただ身を大 たまま、 事に、しばし騒がしい世を避けていてくれればよいのだ』 みおも あえ 『では : 『・ : ・ : 来たのか、あの妊娠な身をもって』 : 』と、政子は肩で息を喘いだ。『では、これへ来た 何か、心の不意を打たれたようにつぶやいた のがお気に障ったのでごさいましようか』 岸 『弥太郎にも、固くいいおいたはず。もしその姿を、平家の犬 此 にでも知られたらどうするそ。頼朝の破滅、そなたの身とて、 と 女性の一心、むりもないと、人びとは政子に同情をもった。 ただはすまぬ』 岸 彼『定綱のおるかなたの二つ松の下で、お待ち申しておりますれ『もとより、いつでも死ぬ覚悟はしておりまする』 ちらと、かの女のかの女らしい気性が、妊娠期の女性に通有 によしよう 2 引
「牧かと、存じまする』 『北条の内儀か』 こじゅうとづら 『どれもこれも、小姑面して、こと好みな忠義立てよ。儂にと っては、めいわく至極。みだい所を重んずるのは、神妙とも申 せようが、頼朝のわたくしごと、一家の秘事、なぜ先に、頼朝 の耳には入れぬか。ーー奇っ怪なやつめ、勘当する、いずこへ なと退散せい』 あくる日。政子と頼朝のあいだに、はげしい争いが起こっ かたびん よほど、腹が立ったに違いない宗親の片鬢をそぎ落して、 けんか 外へつまみ出させた。 これは、どうしても起こらずにいない喧嘩である。「昨夜は それだけなら、まだよかったろう どこへお泊り遊ばしましたか」と、型どおりな詰問から始まっ 頼朝は、その晩、義久のやしきに泊ってしまった。亀ノ前のて、 大きくうけた心の傷手を、どんなにもして、いたわってやろう『仰ッしゃいませ、仰せられぬは、後ろめたいからでございま とする男心のために。 しよう。鎌倉殿とも、仰がるるお人が、そのようなお示しで、 配所にいたころは、この亀ノ前を、頼朝は、余り好きでもな よいものでしよ、つか』 いような風だった。政子に気がねしていたのか、里家へ帰れよ と、手きびしく、きめつけた。 がしに、無情くしていた。 凡下の夫婦喧嘩とちがい、激しても、胸ぐらを取ったり、手 りようばし おおどのとお その後、かの女は、里家の良橋入道の許へ帰っていたが、中 オしカおりおりな夫婦の高声は、大殿を透って、侍 朝の迎えに、鎌倉へ来て、じつはもう去年ごろから、家臣のや者の間までも、ひびいて来た。 しきに預けられ、おりおり、頼朝と会っていたのであった。 頼朝ほどな良人だが、ロ喧嘩では、政子に勝てたためしはな わや 以前は、男心も解けない、閨のはなし相手にもならない、た ややもすれば「 : : : むかし、御配所におわしたころは」と つばみ だおどおどばかりしている蕾のようないなか武家のむすめでは来るからである。いかに、自分が恋に命を曜け、一族の運命ま あったが、男の無情につき放されてから、かの女は急に、自己でも親に賭けさせたかを うるみ声でーー・気は烈しいくせに 訌の女を開花していた。いまではもう、頼朝の夜の心は、産後の女のうるみ声でいわれると、良人は、もう二の句も返せない。 ややくさ あけばの 政子の嬰児臭いはだよりも、亀ノ前の、女の曙のような色と あだかも、家付の娘と入観とのようにである。黙ってしまう 熱度のはだにひかれていた。 ほかはないのだ。 すると、その日、 『北条殿が、おかみのお仕打ちをお恨み申し、はや故郷へ引き 内 つれな み しやま ばんげ こ、つ 内訌 イ 67