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検索対象: 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5
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1. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

壇ノ浦の巻 『うム、時実か : よう申した。そちなれば、あるいはよか らん。介、どうだの』 『さあて。御子息なりとて、途中の難に、変りはござりませぬ 時忠は愚を覚った。この期になって、なんの思案の余地があが』 ろ、つ、と。 『いなとよ、介どの。もし見つかって捕われても、時実なれ せつば 『介』 。いいのがれようすべもある。また、いよいよの切羽となら 『はっ ば、海へ身を投げ捨て、自害しても惜しゅうはない。父上、わ 『して、源氏方の水軍が進み出るは、いっと見たそ。あすの夜 たくしが参りましよう。ーー介どの、わしを連れて行ってく 月ナ、 日 . レ、カ』 れ』 みちひ 『お察しの通りかと思われまする。潮の満干の時刻、潮向きの桜間ノ介は、思案顔だ「たが、やがて決然と。 あん 順逆など、平家方の計るところは、また、源氏方も深く按じる 「心得ました。おん供いたしましようず』 ところ。それらの駆け引きいかんにもよりましようが』 そしてかれは、縁先へ立って出て、どこかに待たせておいた 『なおもって、猶予はならぬ。介、そちの舟で、わしを源氏のらしいほかの者をさし招いこ。 はつぶりつ おる串崎の陣まで送れ。親しく、判官どのと会って、じきじ かれと同じく、みな半首を被けた小具足の兵だった。数は十 かため おおよろい き、男同士の誓言をしたい』 人がらみ。二領の大鎧を、縁の上において、すぐ、下にひざま 『や、もってのほかな』と、桜間ノ介は、時忠の思い立ちを、 ずいた 余りにも冒険な、といって『ーー・早鞆ノ瀬戸をさかいに 、平家 桜間ノ介はいふたたび、時忠父子へ向かって、 方の小早舟、物見舟など、網の目の備えを固めおりまする。万『ーーひとまず、先の凶徒は逃げ去りましたが、夜半からあす すいほう が一にも、捕えられたら、お望みごとすべて、水泡に帰しまへかけて、ふたたび魔手の襲い来ることは必定です。もはや、 しよう。この介ですら、すでに判官どのヘ近づくことは、容易ここにお座あっては、死を待つようなものと存ぜられる。 ではありませぬのに』 それゆえ、じつは、赤間ヶ関のさる人知れぬ場所へ、御父子を 『それもならぬか』 お連れ申さばやと、お身支度まで、持参して参ったのでおざ 憮然として、時忠はつぶやいた。 る。ともあれ、おん狩衣のままでは不便、兵どもの眼にも怪し 義経を疑うのではないが、言葉と言葉の、それも人を介してまれましよう。お支度変えなされませ』 よろい の私的な約東だけでは、どうしても一抹の不安を禁じえない 『鎧を着よと申すか いや、戦わざる人間が、大鎧など着 はらまき 『父上、わたくしが参りましようす。串崎へ参 0 て、判官どの込むは、一そう世の笑い草。腹巻のみを着よう』 より、かたいお誓いを取ること、この時実にお命じ給わりま と、時忠もまた、この狭い一洲島に、これ以上いることの危 せ』 険さは、充分に知っていた。 ぶぜん すけ まっ かりめ イ 72

2. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

しげひら かのうのすけむねもち かぶん 重衡の中将が、狩野介宗茂のやしきへ預けられてから、八日つい忘れそうだの。過分におもう』 目のころ。 「なんの、先つごろ、鎌倉どのと、御対面のおりも、あれまで 昼から、しとどな雨だった。 のおことばがあったこと。世間のつくろいは格別。内において なさ 遅咲きのばたん桜は、この雨を春の別れと、池の汀にも、ぬは、御遠慮なく、なんなり拙者へ仰せつけ給わりませ。 まだら れ縁にも、斑文な白をまき重ねていた。 重衡は、端居しつお、工藤殿などのお越しあらぬ間に、ひと浴み、湯浴みなとな さみだれ つ、この幽室でも、生きてことしの五月雨を見ることか、またされては』 ふろ はその雨期までには、花の生命とひとしいものに消えるのや「ありがたい、風呂こそは、唯一の愉しみ、では、案内してい ら、などと思いながら、ひとり薄暮の雨音にくるまれていた。 ただ一 : つか』 『かかる日は、なおのこと、ご退屈でおわそうに』 正直、それだけは、毎日でも欲しかった。わけて、晩春は、 ともしび むねもち あか 家来に、灯火の支度をさせながら、あるじの宗茂も、ここへはだに垢がたまりやすい。自分の体臭にもたえかねる潔にな 来て、重衡の孤寂をなぐさめ顔に、話しかけた。 やまされる。 重衡は、相変らず、静かな微笑をたたえ、 『 : : : ああ、久しぶり、生きの身の快さを味おうたわえ。雨 あしおと 「退屈にも、なれると、また退屈の境地があるものです。御家は春の徂く跫音か』 くったく むしぶろ 人がたは、みな親切にして給わるし、べつに屈託もないので、 蒸風呂を出、べつの小さい湯槽の湯を、小桶にくんで、かれ - 一うこっ きようの雨景にも、倦むことはない』 は、何杯となく、肩にあびた。そして恍惚と、宵の竹窓に、散 つ、 ) 0 と、 りこむ花と、けむる雨に、呼吸していた。 狩野介は、あらたまって、 すると、どこかで、かたんと、通い戸の桟の音がした。 ほかげ 『それはなかなか常人ではできぬ芸で、拙者などでしたら、身 同時に、ほのかな灯影が、湯殿の横の廊にさしたので、重側 くげん を持て余し、それだけでも、牢舎の苦患を覚えましよう。 は、何げなく、振り向いた。そして、そのままかれは眼を見は ごうつき さん けれど、胸中の御鬱気のみは、散じるすべもおざるまいにと、 ってしまった。おもいもよらぬ人影を . そこに見たからである。 鎌倉どのにも、蔭ながら、御同情をよせておられまする』 墨のような暗がりに、あざらかな美女が、紙燭と、湯布を持 はじら 『勿体ない、虜囚の身に』 ち、片だすきに小袖のたもとをからげて、羞恥うごとく、立ち ぶりよう 『 : : : で、こよい、世間ひそかに、中将どのの無聊をお慰め申よどんでいたのであった。 とう 」、つがーれい′、冖 前 しあげよとの御内意で、やがて夜にはいらば、藤ノ判官代邦 みちくどうさえもんのじようすけつね せん ノ通、工藤左衛門尉祐経のふたりが、仰せをかしこまって、千 1 一ぐうきょ じゅまえ ともな 手手ノ前という女房も伴い、ここの御寓居を、訪われることでご 千、いましよ、つ』 『ほほう。さまでの御厚遇では、虜囚れたる身も、死ぬことも もったい とらわ こそで ゅぶね こころよ さん

3. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

『 : : : では』 ては、なんの疑いも抱かなかった。 あかし と、別れのことばこもごも、さくらノ局は、ふたりの侍女を 巻疑いようもない事実に次ぐ事実の証を眼に見せられて来たか の らでもある。「 : : : それこそ、よい御思案です」と、かの女のつれて乗り、朱鼻も、舟へ移った。 舟がそこを離れるまで、なお、人びとの間には、さまざまな 方から、むしろ乗り気になったほどだった。 し ことばのやり取りが行われていたが、堪増の眼はたえず、舟の しかも、その相談は、きようの鶏合わせが終わるやい や な、瞬間に、まとまっていた。まだ大きな興奮と雑鬧が残って端に腰かけていた吉次の姿にそそがれた。 あくしゃ いた、あの舎の廊の人ごみの中で、鼻とかの女とかれと、三名は、朱鼻からも聞いている。 またかれの人間については、田辺の人びとの間にも、みちの 者の間の立ちばなしに、たちまち、極まっていたのである。 くの大金持とか、奥州藤原家の家人とか、相当、うわさが高 そして、晩の会に、行家を招いて、さいごの手切れ代りに、 行家をなぶって、都へ追い返してやろうというささやきまで ある者は、 それも、ある者は、かれを源氏方のようにい、、 平家方のようにいう。 といって、かれの財力のせいか、かれの立ち寄る港みなとで もしその財力を魔力と見破 夜の港には、人待ち顔の大船が一艘、やや沖あいに、おばろも、かれを悪くいう者はない。 って、吉次を、怪しんでいる者があるとすれば、それはひと な影をうかべていた。 たいまっ 輿や馬や、松明を、浜べに見ると、小舟が一艘、すぐ浜へ向り、田辺の堪増だけだったろう。従来、その人間を眼にみない うちから、堪増はかれを「ーー警戒すべき人物」と、観ていた かって、漕ぎよせて来た。 のである。 『吉次か』 で、今こそ、 鼻が呼ぶと、暗い波間で、 「ははあ、吉次とは、この男か』 『おうつ』 めす こた と、しきりに倫み見たのであった。 と応え、すぐ、おなじ声で、 しおくら 櫓音は、見ているうちに、潮暗がりのかなたになった。 『舟を寄せてもよいか』 きち 『よいとも、首尾は上々吉よ。よろこんでくれい、平家は万歳堪増はもう駒の背へ返っていた。 『もどろう』 かれの白い狩衣の背が、潮風にふくらんでいる。ここ十数日 『それやめでたい。さすがは鼻どの』 櫓音が、勢いをかけて来た。ざっと、舳先が浜の砂を噛んの心の重荷を下ろしたとしているような姿にもそれは見えた。 だ。二挺櫓である。吉次は艫に腰かけてい、ふたりの海の男がやがて、帰りを急ぐ駒足も軽そうに、元の田辺ノ宮の境内へか ・カ十 / それを操っていた。 ちょうろ あやっ 早一つとう かりぬ

4. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

むつる っていたもののようである、ーーが、水軍の行動には複雑なもの 松浦党の二将は、ただちに自陣へ引っ返した。眤はとどまっ らんせん 巻があり、一党中の異議もあ「てか、この真際まで、答えがなか た。そして、乱箭の下を漕ぎ帰「て行く小艇の影を見送ってい げんそく ったものだった。 ると、また、一そうの小舟が舷側の下に漂い着き、 が、それも急に呼応となった。 おういつ、繩を投げろ。繩なと投げてよこせ』 さきには、彦島から原田種直が国へ去り、今また、松浦党が 壇 と、喚きかけた。 ろづか 降「た。筑紫諸党の全面的な崩れも、もう時をまつまでもな櫓柄をと「ているのは、大きな法師武者であり、ほかにはた れも乗っていない。 そのうえ、四国の阿波民部も、すでに源軍の一翼に加わっ 『ゃ。武蔵坊どの』 なわ て、鉾を逆しまに、平家へ弓を引いている 眤が投げた繩の端は、と「さに、弁慶の片方の手につかまれ しかも今の満潮時がすぎて、すぐ次に来る潮向きよ、、 よ源軍を有利にしよう。その一転機から、平家は、逆潮の不利 にも陥ち、二重三重の苦戦をしなければならなくなる かくも源氏側には今、時と人と地の利と、三拍子の好条件が「弁慶、ただ今、立ち帰りましてござりまする』 そろってきた。けれどまだ微かな安心感も義経は持っていない 義経の前に、かれはさっそく、今暁からの復命を、述べてい ようだった。たえず戦況へ気をくばり、また、雨雲のみだれに も似る敵の船列へ眼を転じていた。 『仰せつけにまかせ、あれより陸路を赤間ヶ関へ急ぎ、讃岐ど 『時に、松浦党の使に訊ねるが』 の ( 時実 ) をば父時忠の卿のおん許まで、送り届けまいらせまし 『まっ た。そしてすぐにも、立ち帰らんと存じましたところ、時忠の 「そも、みかどの御座ある御船は、どれそ ? 知るなれば、正卿が仰せには、沖なる船より、やがて秘事の使あれば、判官ど しく教えて欲し、 しいかなる功よりは重き功として、義経よりのヘ良き土産にせよとのことに、それ待ちまち、御合戦をなが も鎌倉どのヘ申し薦めん。お汝らは知らざるか』 めながら、つい、かくのごとく馳せ遅れました。なんとも面目 『申すまでもなく、日月の幡の見ゆる、あの唐船と心得おりま次第がございませぬ』 すが』 弁慶の容子から察しると、かれのい「ている主意は、みすみ 『ちが、つ』 す眼の前で行われつつある船戦さに帰り遅れたという自責やら 義経は、びしッと、 ししきり、そのことには、ロをとじた。 残念さにあるらしい 根ほり葉ほりは無用と覚ったものだろう。平家たりとて、そ だが、義経が、一弁慶の戦力などをたのみに待っているはず よよ、つこ。「 れはどな秘計を、不用意に行うはずはない。平家内でも極く小 もしや、弁慶が戻りなば ? 」と、待ったと 数な主脳だけの知る計らいと、すぐ合点されたからである。 すれば、それは、平大納言時忠からの、なんらか機密の連絡以 ばん わめ なわ きみ

5. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

『な、なぜですか。 : : : 時忠が、おすすめ申さなくても、必 巻ず、一門のたれかれが、これへお迎えに参りましようず』 の 亠ま 『 : : : 何とそ』 ーレ と、時忠は、その重そうな鎧姿を、女院のすぐ前まで、ずり や 寄せて、がしっと、半身を折ってひれ伏した。 『何とぞ、みかどの玉体はこの時忠に、お託し給わりませ。女 いったい、たれから出た命令なのか、命令する者も、その出 院の深いお胸のうちを知る者、時忠を措いて、ほかにあらじと どころは知っていない。 信じておりますれば』 むねもり 正しくは、総領の内府宗盛から発しられたはすのものだが、 「よも女院には、お忘れではございますまい。時忠もまた、まその宗盛の姿さえ、どこにいるのかわからない状態である。 まぶた ーを。カ と申すのは、一ノ谷の合戦 一門の主将もみなちりぢりばらばららしい。そしてそ ざと、臉に残しておりまする。 のたれもが、やたらに命令らしき言を口走るので、混乱のうえ の直前。お座船の内にて、二位ノ尼君、内大臣ノ殿も、みな一 になお混乱を加えてしまうばかりだった。 : ・士気を振わせんが っ座にて、密々の御軍議がありました。・ みゆき ためには、みかどの一ノ谷行幸を仰ぐほかないと、その場で衆『船へ移れ、総勢、船へ退け』 『ひとまず、海上に浮かび出で、陣を立て直そうとの、お布令 議も一となって』 なるそ』 『たれひとり異議はない。尼の君すら御同意であった。けれ『ゃあ、あわてるな、それは女房船そよ。兵どもは、女房船へ ど、ただおひとり、おん母のひたぶるな涙のお拒みをもって、飛び乗ってはならぬ』 そこは、屋島ノ御所の真下にあたる磯だった。 その儀を、くつがえさせた御方は : : : たれあろう、女院さま、 いたっき′一こち 嚇け、、、 あなた様ではございませんでしたか。にわかな病気心地と、仮先ごろの大雨のため、崖なだれができ、船着きの桟板も道の 病を装われ給い、しかと、みかどを側へ抱き寄せられ、なんと一部も、土砂の流出に埋もれている。 いや、そんな条件は、今、問題ではない。 おすすめ申しても、みかどをお座船からお離しにならなかった ものでした。 ・ : ああ、どれほど、戦さをお憎しみかと、お胸屋島の傾斜いちめんが人なだれを呈していた。全陣屋の女房 みずぎわ を察して、時忠もあのころから、深く思いを潜めてまいったのたちから将士のすべてが、ここの水際を目がけて、馳け下りて です。 : : : 余人ならぬその時忠が負い参らせて、ここの御動座来、船へふねへと、われがちの騒ぎを見せていたのだった。 その船も、十艘や二十艘の数ではない。屋形造りの大船か を仰ぐのです。おまかせ給わりませ。時忠夫婦が命にかけて、 いかだ ら、筏にひとしい馬立ち船にいたるまで、何百艘ともしれぬ船 かならす悪しゅうは計らいませぬ』 ノーしら きん 公達 だち かけいた ふれ 22 イ

6. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

熊野の海党 と、断ったうえで、鎌倉から庁へとどいた内容にふれ、こう 何事のおたずねで』 「そちの亡は、たしか今年が七年の忌ではないか』 あら 『書中、鎌倉殿が申さるるには、義経をもって、西国攻めの新『え。 て 手の大将軍といたしたきゅえ、あらためて、義経へ院宣を降し 思いもよらぬお訊ねをと いいたそうに、弁慶は戸惑い顔であ った。そして急に、指を折って、小首をかしげた。 給わりたいとある。そしてまた、京都守護の任は、院にて、別 人へ仰せ付けられ、義経の守護の職は、解かれたいとも申して『忘れたのか』 参った』 と、義経は笑って、 ひでひらどの 『きよう、堀川へも、おなじ御状が到着仕りました。義経は 『今より一昔前、みちのくの秀衡殿の国へ隠れたこの九郎が、 ただ、おさしずのままにござりますれば』 また、みちのくを立ち去って、紀州の那智、新宮の辺りに、ひ ひそ 『さだめし、御辺には、本懐なことと思うが』 そして、たれも知ら ところ、身を潜めていたことがある。 「御推量くださいませ』 初めて、弁慶という ぬまに、都のちまたへ、戻っていた。 『軍支度もあらん。いつ、立たれるか』 男を知ったのは、その前後であったろうが』 ゅうよ 「十日ほどの猶予はほしいと存じおります。兵馬のととのえや『いや、あの時のおさらいなれば、もう御容赦くださいませ。 どうりようばら ら、ちと、ほかの手配もありますれば』 殿から聞きかじった同僚輩が、いつも、それを申して、弁慶を 『では、この十二日に、院宣を賜うことに、執奏申し上げておからかいますので』 1 一と くが、よろしいかの』 『戯れ言の場合ではない。義経がそれを申すのは、そちの亡母 、めじよ : わしが、ふたたび、みちのくへ 「心得ました。その日をもって、都立ちの吉日といたしましょ鮫女を思い出したからそ。 、つず・』 帰るおり、そちはその老母の残り少ない余生のために、都に残 ったのであったろうが』 堀川へ帰ると、義経は、その夜のうちに、草の実党以来の、 腹心たちを集めて、評議ではなく、もう事実上の、手くばりに 『その通りでございました。けれどやがて殿が、鎌倉殿の旗挙 きせがわ げを聞かれて、黄瀬川の御陣へせつけ、ともに、鎌倉の府へ 『弁慶』 おはいりあったあの年の前年、それがしの老母は、大安心し と、その席で、義経はまず第一に、かれを呼んだ。 て、都で亡くなりましたので』 そして、その弁慶が、どんな名誉な使命が自分へくだるのか 『それみよ。さすれば、ちょうど今年が、七年目の年忌にな と、大きな眼と体とを、前へ、にじり出して来るのを見ながる』 ら、 『いかさま、七年に相成りますな』 こつつば 『それなのに、そちょ、、 「ーー弁慶、お汝に問うが』 。しまだに老母の骨壺を身に持ってい と、かさねていった。 て、どこの寺へも御山へも、埋けてやろうとしないと聞くが』 - 一と ては、 つかまっ しっそう くだ は たず わんき

7. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

か、そこまでは』 ゅうひ 矢風を避けて、よそへ御動座を仰ぐのか、合戦に臨む前に、そ いっか、タ陽が落ちてゆく。宵深まるままに、遠くの煙り こをあきらかに、お指揮しておいて給も。 そのことさえ一 8 むげつ じよう のは、ひどく赤く、近ぢかと見えた。そして、無月の海峡は、し かお 定ならば、尼みずから女房たちをさしずして、一切の始末、い 巣やがうえにも、暗黒のわだつみの貌を濃くしていた。 ちいち、諸卿のお心はわずらわせぬ』 浮が、彦島からながめると、赤間ヶ関方面こよ、、 。。しつにない軍と、気丈にいった。 たいまっ 勢のかがり火や松明がちりばめられ、以前の繁昌の灯が、忽然尼に・は、もうは 0 きりと、ある心のすがたができている。子 と、山沿いの町まちゃ埠頭を飾 0 ているのではないかと、ふとの知盛にひびかないわけはない。 疑われるほどだった。 よろい それを指さしながら、権中納言知盛は、 ふとかれは、鎧の身も、副将の任も忘れて、ただ一個の、人 『お心づよく思し召せ。陸手には、景弘の加勢のほか、今まの子の涙に、揺すぶられそうにな「た。 た、美濃前司則清の三百騎を馳せ向かわせました。海には山賀なぜここで、母を母と呼べないのであろう。もうじき死ぬ運 党、松浦党、伊予の仁井党、阿波の阿波民部が船手など、い っ命にあることを、知り合っていながら、どうして、相抱いては いかなる変にも処して戦う備えを欠いてはおりません。 いけないのか。この世における短いが濃い強い血縁の名残りを つまた、ここを守護し奉る船陣数百艘とともに、内大臣ノ殿も悲しんではならないのか。 おられ、かくいう知盛もおりますからには』 心のなかで、かれ自身立ち惑っていた。答えは得られなかっ きみ みかき と、御所の坪に床几をおき、内なる女院や尼ノ公をカづけ た。後ろには、郎党たちがひざまずいている。御垣の外には、 てしまち 軍兵どもの影が厚かった。みな血縁を世に持たぬ者はない。泣 かれは、戦局迫るや、勅旨待の自陣を引き払 0 て、御所の守きたいのは自分だけではないのだ 0 た。知盛は自分の中に、す りにすぐっいた。ここで夜を明かそうの腹らしい さまじい鬼霊が生きているのを感じた。冷たい鬼の血になり切 たち かれのみでなく、かれより先に、総大将宗盛も近くの館を出「ている五体を鎧の下に覚えた。尼の姿も、おなじであ 0 た。 て、その将座を御所の御庭に移していた。しかし、女院も二位甘えて子が近づけるような、あのあたたかな母のひざをもっ姿 ノ尼も、知盛が来るまでは、姿も見せすにいたのである。 ではなかったのである。 知盛の顔を見て、尼は、安心したらしく、 『いざとなれば、あなた方はみな、敵の矢前に立って、働かね ばなりますまい。もう、わらわたち足手まといの者に、後ろ髪 を引かれてくださるな』 と、かえって、知盛らを励まし、そして、 『ただ、みかど以下は、ここを動かず、御座あらせ給うのか、 ) 0 しよう くがで との こっぜん と、ふたりのそばへ、宗盛がずかずかと歩み寄って来 た。かなたの床几で、さ 0 きから、尼と知盛のはなしを横耳に していた総領の宗盛だった。 『おはなしの中なれど』

8. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

たような雑人勢ではございませぬ。 ったとみえ、にわかに、退却し始めたものらしい 判官その人は申すに及 路傍にはおびただしい松明の燃え殻ばかりが捨て散らされてばず、その旗下には、源氏にたれありと敵にも知らるる東国の つわもの あるとのこと。 強者ども たとえば武蔵坊弁慶、佐藤継信、忠信。畠山重 ものの ほそく きゅうつい そこで、忠光は、一挙に敵を捕捉せんものと、急追して行っ 忠、熊谷次郎直実などと覚しき面々、みな良き駒に、よき物 ねずみ たので、逃げた敵は、袋の鼠か、みなごろしに遭い、お味方の具、よき太刀、弓などを、誇り持って』 そうい 『だまれ、聞き苦しいそ、桜間ノ介』 凱歌となって、ほどなく引き揚げて参りましよう。 う伝令の口上だった。 『はははは。なんのことはない』 『察するに、そちは、国の留守を怠り、雑人勢にひとしき敵に 打ち負けて、館まで焼かれて追われた身の不覚を繕うために、 宗盛は、そう聞くと、笑い出した。 おおよう おはぐろ 常に手入れよく染めている鉄漿の歯が、ようやくいつもの美わざと敵を大形に申し触れて来たのであろうが。いや、そうに ちがいなし』 しい黒光りを、かれの笑顔の中で見せた。 たいざんめいどう ねずみびき 『こは、、い外なお疑いを』 『ーーー泰山鳴動して鼠一匹とはこのことであろう。はははは、 桜間ノ介は口惜しげに、 敵は、小勢のみならず、そんな弱さか。もう逃げおったか』 『さればで』 『あわれ、平家も末か。御総領ともあろうお方が、まだお気が うそまこと と、伝令五人は、ロぐちに。 つかぬわ ! それがしの言が嘘か真か、物試しだ、見ておられ かずさどの 『初めのほどは、上総殿にも、必定、手ごわい敵と見、総門のたがいし』 しわくちゃ 兵をこそって、押し進みましたなれど、そのようなもろさ。 と、吠えながら顔じゅう皺苦茶にして泣いた。 : なおまた、道みちの農家にて、敵の様子をただしましたとこ そして、いまいましげに、起って、どこかへ姿を消そうとで ろ、あの火光も、松明ばかりの見せかけで、実数は五十騎にも もしたのだろう。疲れきっている身を、よろと起こして、さら くらもののぐ 足らず、しかも、鞍、物具などの装いも、雑多にて、いと貧しに幾足かよろめいた。 ぞうにんばら げな雑人輩ばかりと、みな申しおりまする』 狂わしいかれの血相に、 『すれや、いよいよ、おかしいぞ。 ・ : なんと桜間ノ介、そち『ぶ、無礼すな ! 』 の訴えとは、少し違うではないか。そちはしかと、九郎判官を と、辺りの武者たちは、何か勘違いしたらしく、かれを囲ん 相艮に見たのか』 で、抱きとめた。すると、かれは、 かずさどの 実『あいや、仰せではありますが、上総殿の深追いは、ちと軽率『ば、ばかな。 能登どのの仰せたことを覚えておれ。後に 相かと危ぶまれます』 こそ、思い知ろう』 と、身をもがいて、 虚『なぜ』 『この桜間ノ介が、眼に見た敵は、ただ今、使番より申しあげ 『なぜ、おれが、無礼といわれるのか。平家を思えばこそ、山 ぞうにんぜし ぞうにんぜ、 だめ 273

9. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

ずかずかと、灯影のさきへ出て、時忠の視線の前に、突っ立の手に抱き込ませ、ともに死なせねば、わが身も死にかねるよ 巻った武者がある うな小さい量見でいるとみゆる』 すいたのじろう の 権五郎兼丸でもなし、吹田次郎でもなかった。 『な、なにを』 かしら この手の者の頭とみえて、 『待て、鬼藤次。今の一言を、しかと能登の耳へ告げよ。能登 ノ おごころ 『さらば、物申さん』 にとっては、時忠は叔父、年もはるかうえ、かれが一途な雄心 壇 ごうぜん と、内へ向かって、傲然と答えた。 は憎みも得ぬ いやいや、人は能登を、ただ猛き荒公達と だま すぐ ますらお 『ーーーやみ討ちゃみ討ちと仰せあるが、騙し討ッてお首を挙げのみいいはやせど、心根の直さ、武士らしさ、叔父のわれも密 ただ たた んとは致さぬ。また、理由いかにとのお質しなれど、それこそ、カ。 、こは、よい甥かなと、心では愛で賛えておったるそ。時には お胸に問い給え。人に訊かずとも、御自身のお胸のうちに』 惚ればれとも見るほどに』 『だまれ なんじは、たれか』 『お察しの如き者で候。すなわち、能登守どのの船手にあり たか、能登のそれと、わしの田 5 慮とは、千里もちがう。 かしら やみ、かのきとうじ て、一艘の櫓座の頭をうけたまわる八坂鬼藤次と申すもの』 たびか、腹打ち割って、説いてみんとは思うたが、しよせん、 ぞうしき 『鬼藤次ずれの雑色をさし向け、時忠の首を申し請けんなど、 千里のへだては、年齢の差、世の見方の差、宇宙を観る眼のち たくら との すでに能登の企みには、理も非もない 日ごろの礼も忘れ、平がいでもある。かつまた、内大臣ノ殿 ( 宗盛 ) という後ろだても 家の先を思うわきまえも、見失ったか。立ち帰って申すがよあれば、カ及ばず、ついに今日に至ったが、今日まで、能登の い能登は能登の死所につけ、時忠は時忠の生につかんと』 仕方を、恨みに思うたことはないぞ。 : たださほどなまでの 『しゃツ、そのお首も受けず、むざと帰られようか。以前は、平家思いを、なぜ、もっとおおしゅう美しゅうせぬか他をか 何であれ、御一門の指弾をうけて、離れ小島の牢舎に捨てられえりみず花ばなと散ッてゆかぬか、それを惜しむと、申してく めしゅうど た囚人同様な御父子ではないか。いうならば、その御一門であれい』 りながら、源氏へ心を通わせ、密かに二心を抱く憎きお人。 『おう。おったえは、それだけか、世迷い言は』 このうえ、未練を構え給うなら、是非もおざらぬ。騙し討『それだけそ』 ちには仕らねど、ねじ伏せて、お首をいただくまでのこと』 時忠は、はっきり語を切って、眼を澄ました。 『そうせいと、能登のさしずか』 『立ち帰って、まずそう伝えよ。 そして、出直して参るが 『おろかな、訊ねを』 『あわれや能登。最後の大戦さに臨まん前に、はや逆上を見せ『ば、ばかなことを』 しょの。ーー平家に殉じて死なんとの信念ならば、それも立派『いや、わが一命も、平家のため、生きねばならぬ。能登に申 いみ一よ ぞ。なぜ他を顧みるか。われ一個では、潔く笑って死所へ赴せ、せつかくなれど、首はやれぬと』 おみなわら・ヘ ぞうごん けぬのか。 ・女童からこの無用人までを、ことごとく死神「さては、今までの繰り言は、一ときのがれの雑言よな』 0 0 ことわけ き め イ 08

10. 吉川英治全集 第37巻 新・平家物語 第5

な広言を・ーー』 との白刃の閃々、組んずほぐれつの地上の格闘、それを、一幅 せいそう すぐ、源氏の中から、こう、わめき返した者がある。たくまの絵巻と見るには、余りに凄愴であり、これを人間所業の一齣 くろかわ、、、 しい黒革そっきの甲冑を馬上に見せつつ汀へ馳け出して来たそと観るには、余りにもかなしい約東ごとであった。 の一騎は、 たいふのほうがん ちゃくてい 『いうもおろかなれど、わが大夫判官どのは、源家の嫡弟、な ま はじよう んじら如き者と、矢交ぜ刃交ぜを争う君には非ず。かくいう伊 さっきから、波上の一艘に、なお、双の眼をとぎすましなが おくびようごしぞう 勢三郎義盛が、あしろうてくれよう。楯の蔭にて、臆病腰の雑ら、船屋形を楯に、陸を見ていた平家方の一将がある。 ごん 言やめよ。物申すなら、これへ出て物申せ、次郎兵衛とやら』 能登守教経だった。 と、あざ笑った。 ーー落ち着いている。 はくせきおもて 越中次郎兵衛は、早くも、馬立ち船へ跳び移って、その中の かぶとの眉廂の翳となっているその白晳の面と、りりしい唇 もと 一頭の背へ身をおき、 元は、何かを、捜し求めているふうだが、しかし、おりおりの すずかやま 『おうつ、そう申す男は、以前、伊勢の鈴鹿山にて、山賊など矢うなりの中にさえ、さっきから、身じろぎもしていない。 働き、後には、江ノ浦の辺りに、漁師などしつつ、細ばそと、 いかにも、心のうちに、勝算がありげな容子である。 はぐく るろう 妻子を育みいたるあぶれ者の後身よな。さすが、流浪の殿と もう、二日後には、三千の味方が、伊予路から引き返して来 は、似合いの主従。首さし伸べて待つがよい』 よう。かれら源氏の背後に、突如、その紅旗が見えたときこ くり・から せんめつ 『ゃあ、人は知らじと思うてか、北国の倶利伽羅に打ち負けそ、ここにある限りの東国武者が、降伏か、殲滅かの、さいご - 一つじき て、乞食しつつ、からき命を拾って都へ逃げ帰りし醜武者が、 を必然とする日なのだ。 人並みなる申し方よ。二度と、広言のならぬように、伊勢三郎 あわてることはない。 が、その息のねをとめてやる。いで参れ、醜の次郎兵衛』 教経の眸は、それを反覆しているように、静かであった。 『なにを』 だから今は、われから仕懸けた戦さでも、じつは源氏をこの もりつぐ 盛嗣の姿は、馬もろとも、まっ白なしぶきにつつまれた。馬浦に引きつけておくためのなぶり合戦に過ぎないのだと、かれ 立ち船の上から浅瀬を馳け渡り、おめきかかって来たのであっは充分、知っている。 そう自分にもいいきかせている。 にもかかわらず、かれの面には、ときどき、足もとの波映と うらわ え ここの浦曲の水際は、いちめんといってよいほど、白波、し もっかず、何か、むらっと、かげろうの如き殺気がしきりにう 候 かんせい きぶき、人馬の喊声が、ほとんど、時もおなじに、わき上がってごいていた。 陸の乱軍のなかに、たとえば、密林を翔けるきれいな鳥の羽 そすでに、朱をなして、屍を波に洗われている者、絶叫のもと色のように、源九郎義経らしき華やかな影が、かれの眼に、ち のど 一矢を喉ぶえに突き立てられて、のけ反る馬、馬上と馬上らちら見えていたからだった。 かた かっちゅう かばね すなどり たて なさ しこむしゃ くカ まびさしかデ せんせん たて そうまなこ くち