とみえる。 と、思わず、涙ぐまれたのだった。 巻義経は、それを見て、 やがて義経が、母館の方へ戻 0 て来ると、邸内の家臣たち の 「涙は、不吉ぞ』 は、正月気分の昼酒も手つだって、かなえの沸くような騒ぎを ま と、たしなめ、 見せていた。 ーレ そうそう 『百合野を見たがよい、さすが、河越太郎のむすめ、百合野は『時も時、明けの春、早々』 や 泣きなどせぬ。静は、町育ちゅえ、かかる覚悟の日があること 『これで、わが殿のうえにも、陽の目が当ったというものぞ』 を、わきまえていなかったのか』 『殿ばかりか、おれどもにしても』 と、わざといった。 『思えば長い冬眠りであったぞ。して、御出陣は、いっとなる その一言に、じつは、静にもある一面の勝気な気性が、心ののか』 ごいんざん 弦を張った。義経に、町育ちといわれたのが口惜しいらしかっ 『まだまだ、御院参のうえでなくば、それらのことは分かるま た。かの女もまた、ほほ笑んで、 : おう、殿がお見えになった。すぐ院参のお出ましであ しいえ、決して、めめしゅう泣いたのではございません。殿ろ』 にもさだめし、御本望なと、ともどもお胸うちを察して、つ 『きようの御供には、おれが参る』 し』 『いや、おれが御馬をひく』 『それならよいが、武者とて人の子、そなたたちに、心をひか かれらこそ、この半年、あるじ以上にも、不平を忍び、恥を ひに′、 れると、とかく弓矢のにぶるものだ。平家の人びとを見たがよ嘆き、髀肉の嘆を抱いていた者どもである。 し』 それが、鎌倉どのの令による義経の挙用を耳にしたので、 百合野は、父や兄の場合で、いくたびも、こういう例を幼少『それ見たことか、やはり三河殿 ( 範頼 ) では、平家の掃討はお から知っている。その父から、しつけられた通りに今もいっ ばっかない。ちと遅きに過ぎるが、鎌倉どのも、やっと、お眼 がさめたものとみゆる』 『後のことは、ゆめ、お案じくださいますな。静さまと仲よく と、こおどりして、よろこびを、一せいにしていたところだ 留守しておりまする』 『よくいうてくれた。では、もう一つ酌み合うて、・・さっそく、 義経は、やがてすぐ院ノ庁へ出仕して、 院へ罷ろう。院ノ庁へも、鎌倉表より御状が届いておるらし 『お召しの儀は』 し』 と、伺った。 たかしなのやすつね 高階泰経が出て、 『一院 ( 法皇 ) には、御儀式のため、宮中においであるゆえ、 はやうち およそは、鎌倉表の早打の者から聞いて、すでに知ったものきようは、急用の儀のみをつたえおくが』 つる まか たん おもや
千手の巻 根もないことといわれても、義経にはやはり、いこ、、 ーカカって、 おちど 『何か、落度でもあってのことなら、忌憚なく申して欲しい お詫びすべきことは、せねばならぬ』 と、かれは、つこ。 義時の顔に軽い悔いが見えた。 いま。鎌愈と義経との間 が、どんな関係にあるか。義経の失意はどんなか。それを知ら ぬ義時ではない。 のりより 範頼の追討軍は、予定どおり二十七日に入京した。 『いや何、有りのままを申せば、こうです。きよう、蒲殿が京 割り当てられた洛中諸所の門へ、兵馬の全部が分宿し終わっ ロへはいらせ給う途中、御不服そうにーー九郎の殿は、出迎え て、やっと、町の埃も落ち着いたころ、秋の陽もまた、沈みか にも見えおらぬぞ。鎌倉殿すら、遠征のわれら将士をば、稲瀬 けていた。 川までお見送りくだされたものを、義経は何していてぞ、と』 義経はさっそく、範頼の宿所へ、あいさつに出向いた。 『あ。お出迎えを欠いたことをか』 ちょうど、範頼は入浴中とのこと。宿営のうちはまだ、ごッ 『そうです。蒲殿のお身にとれば、このたびの宣旨は、九郎の た返しの様子にみえる。 殿へ降るべきを、自分が兵権を把ることになったゆえ、それが で、ばつねんと、奥でひとり待たせられていた義経を見。不服で、顔も見せぬにちがいないと、お気をまわされたのかも 「これは、おかまいも申しあげず、失礼を」と、かれのそばへしれませぬ』 すわって、その間の話し相手になった三十がらみの武将があっ 『ご無理もない。 しかし、にわかな兵糧集めのうえで、院と寺 との間に手違いが起こるやら、蒲殿が明朝の参内には、その御 どこか病身のような青白さだが、骨ぐみは、ま カっしりしてい時刻の定めなども、朝廷の御都合を伺いおかねばならず、それ くちびる る。唇は赤く、まゆ太く、そのまゆは、父の北条時政にそっやこれで、つい礼を欠いたものの、決して、故意にお迎えを怠 くりたった。 ったわけではない』 つまりその時政の次男、この軍の副将、北条義時なのであ『わかっております。 その辺は、父時政なども、都勤めに る。 覚えのある身ゆえ、常づね、お察し申しては、よくおうわさい かばどの たしておりまする。 『ひょッとすると、蒲殿 ( 範頼 ) はきよう、ごきげんが悪いか : おう、蒲殿が、お見えになるらしい』 もしれませぬ。しかし、あの御方のこと、深い根はないのです義時はすぐ、座をかえて、その人を、待ち設けた。 すずし から、お冖凩になさらぬよ , つに』 軍旅の汗を流して、白い衫衣と襷一重になった範頼は、きげ 雑談の中で、義時はふとそんな注意をした。 んがわるいどころか、義経の姿を見ると、 その範頼もまた、頼朝についでの、義兄にあたる人である。 『おう、よう渡らせられたな。おすこやかか』 得意と失意 きたん
しんみ 『小松の新三位どの ( 資盛 ) が、かねていい交わしてある都の女 ・一んじよう 巻 こよいのかれの訪れも、妹へたいする兄の気持が半ばであっ房へ、今生の別れぞと、家の子に、かたみを持たせ、密かに都 のた。やがて、局のうちでは、兄と妹とが いや座は、国母とへ放ちゃると聞きましたゆえ』 『小松どのがいい交わした女房といえば、以前、女院の許に仕 巣して、女院の方が上座でーー静かにむかいあっていた。 ら・、、、・、つだい、か つばね えていた右京大夫ノ局ではありませぬか』 浮 うきようだいふ 『そうです。右京大夫と資盛の卿とは、人もうらやむほどな仲 宗盛は、弱よわとまたたく灯のそばに、かの女の余りにも清でした。それに、この身の側に仕えていた小女房ですゆえ、よ げな黒髪やらはだの白さを見て、ここがおそろしい死の戦場をう気心も知れておる』 支度しつつある所かと、ふっと、疑われた。そして、それには 『では、お心じたくも、今は早やおすましょの』 なんの関わりもなく、この妹の年齢がかそえられた。肩の痩せ『ええ、ひたすら、御仏のみこころにまかせて、その日を待っ こそ目につくが、久しい流亡にも、年にも、少しも削りとらればかりでございまする』 れいろう ふびん ない玲瓏の美に、かえって、不愍さが増すのであった。 「よいお覚悟』 「いや何、ほかでもありませぬが』 宗盛は、そういったが、どこか手持ちぶさたであった。 宗盛は、明朝、かたみ送りの使を、密かに都へ出す旨を告げ せつかくの好意が、むだであったばかりでなく、かの女のど て、 こかに、その覚悟と似つかわしくない、よそよそしさが、見え 『もし、都のたれかれへ、名残りの御文をおっかわし遊ばすな たからである。こうして、ひとっ夜を、ひとっ陣にいても、い しゆら れば、ともにその使へ、秘め持たせてつかわしましよう。先帝っ敵が来るか分からない。そしていっこのまま会えない修羅の 1 一りよう まゆ 高倉の君の御陵のみ寺清閑寺へ、永代御供養の料に添えて、も終わりを告げるかもしれないのだ。もっと、つきつめた黛と哀 かんばせ し、おん黒髪の端なと納められたい御心なれば、それも、取り別の眸が、妹の容顔を濡らしていそうなものだとおもう。 きゅうかく 計らわせまするが』 かれは疑った。かれ特有な嗅覚が、やがて、見つけたといっ てよい むねかりどの 女院は、素直に、うなずかれたかのようであったが、じつは簾の外の、長い板橋をへだてた坪向こうに、もう一棟の仮殿 微かに、お顔を振っていたのである。 がある。二位ノ尼の宿所だった。そこの灯に、何か密やかな人 「わざわざのお心づかい、うれしゅうございますが、もうそれ影が見えたのだった。 らのことも仕すませて、都の空へは、なんの心残りもありませ『 : ぬ』 いま、女院との話に出た資盛らしい影があるし、知盛もいる 「はう。では、すでに都へたれそを、おっかわしになりましたらしい。 カ』 女院も今まで、その席にいたのであろうが、自分の訪れに、 : ははあ」と、かれはうなずいた きみ 368
じちょう したが、軍議を会するには、まず座に臨む者の腹が大事と、自嘲のうちに、面をやわらげて、 巻でおざろう。屋島を一日にやぶれ、船路もしどろに、落ちて来「能登ど 0 が申すはも 0 とも。明夜ただちに、一門同座のう のられた方がたに、その腹じたくが、もうできておわすか、どう え、大評議をとげ申そうよ。 : したが、一門のたれひとりが 巣か』 欠けてもなるまい。お病気と伺うが、平大納言どの ( 時忠 ) に 浮 も、明夜は、たってお出ましを乞うことにする』 『いうまじと存じたれど、そこまでの御催促なれば、一言申し 『あっ、いや。 : それは』 お ) 、つ 今とな 0 て、返らぬことなれど、なぜ、それほど『はて。能登どのが、また何を ? 』 決戦をちかわるるなれば、その決戦を屋島でお遂げあらざりし『大理どのには : てんけん そ。ーー屋島の守りは、ここの守りよりは、はるかに天嶮。加『大理どのには ? 』 うるに、味方の数といえ、兵船の備えといえ、めったに源氏へ 『おいたっきも、なかなか、かろい御容体ではございませぬ』 譲るべきはずもない堅城といってよい』 『なんの。軍議の座に、寝たままおわせられるも、よろしか ろ。 わが平氏一族にとって、これが最後の集いとなるやも 『なんそや、それをただ一夜か二日のまに捨て去るとは、余りしれぬこと』 にも情ないことではないか : もし、十日ほども、お支えあ『でも』 らば、今日の形は、逆になっていたろうに。 : ここに彦・島は 『なぜに、能登どのは、さは迷惑顔を見するそ。歩めぬほどな とりで あるといえ、東に屋島あってこその砦。 めんそか こうなっては、あ御病人とあらば、この知盛が、背に負いまいらせておつれせ たら彦島も、四面楚歌なる孤塁にすぎぬ。 ・ : ああ、無念』 かもく ん。およそわが一門にして、知らざるはあるまいが、平大納一言 日ごろ、寡黙なかれが、切々とい 0 たのみか「ーー無念」のどのこそは、故入道どのの義弟君、おん国母や、われらにと 0 一語とともに、とっぜん、涙をのんでうっ向いたので、面々ては叔父の御方。そのお人をよそにおいて、平家の浮沈を議す は、果てなく沈黙してしま 0 た。わけて宗盛は、その面色を土わけにはまいらぬ。内大臣ノ殿には、どう思し召されますか』 のようにし、自身の胸の整理さえっかないような容子をしめし気の弱い宗盛には、それに抗弁する勇もなか「たし、なおの こと、虚言のうえに、虚言を構える知恵も出なかった。 座は白けた。しかし知盛は、すぐ冷静に返ったように見え 『それや、大理どのにも、お出で給わるにしくはないが : ・一と る。おそらく、いうまじとしていた言を、つ ししし孑て、自 と、しどろもどろに、つい答えてしまった。 身に恥じているのかもしれない 知盛は、能登守を相手にせず、 『いや、過ぎたことを、どう申しても仕方がありませぬ。知盛「ーーでは、明夜こそは、ぜひ平大納言どのにも、御出座を乞 にも、不覚はある。ーー敵の三河どの ( 範頼 ) を、筑紫の対岸〈おう。お見舞がてら、知盛自身、お船〈伺うて、お伴い申して 追い込んだなどは、じようずな戦さとはいい難い。はははは』 ・も・よし・カ』
かじ せい、身うごきの重たい内大臣ノ殿なので、乳人子の景経がや 中にもう抱えられていた。舵を折られ、舵もきかない船には、 ぐらに立ち、下の屋形の前を、将座としていた。 艫綱が投げられ、味方の船にひかれて退いた。 もろ がいか 突然、雲へとどくばかりな凱歌が揚がった。振り返ると、田『なんと、脆い敵よ。逃げ脚の早さは見事なもの : : : 』 宗盛は、あたりの公達や侍たちと、笑い合っていたが、景経 野浦一面の紅旗が揺れ沸いている。 平軍は、その勝機に乗じて、なお追うかと思われたが、追っを前に見ると、 こと 『おお四郎兵衛。お汝も身には一矢もうけておらぬな』 て来る気色はない。三度目の凱歌が、つなみのように、また、 『一時はこの船へも、矢の雨でしたが、船なれぬ東国武者のヘ 海づらを馳けた。 ロへロ矢、知れたものと覚えました』 その勝鬨のなかにある敵将知盛の顔が、義経には、眼に見え 『敵は再び引っ返すようでもないか』 るようであった。かれは敗れたが、しかし、平静を欠いてはい ない。ただおりおりに、面をふせた。舷側を洗う潮の速さと方『逃げ退いた船影は、壇ノ浦から串崎の鼻まで、みだれかすん でおりまする。やわか、再びすぐには』 向を、じっと見ているのだった。 『そうか。ならばっかの間、屋形の内で休息いたそう。四郎兵 衛、お汝も来い』 けぐっ 内へはいると、かれは毛沓を脱いで、しとねにすわった。そ してさっそく、景経の耳へ小声でたずねた。 しめ 『昨夜、そちと能登どのの腹で、諜し合うて行うたこと、その いくさぞな 首尾は、どうだったのか。明け方の軍備えに追われ、まだ吉左 右は、つい聞いておらぬが』 『船島の始末でござりますか』 『 - 四郎兵衛、おうい四郎兵衛。降りてまいれ、寸時のあいだ』 『そうじゃ。きようの戦さにかかる前に、平大納言 ( 時忠 ) の一 船やぐらの上を仰いで、宗盛みずから呼んでいた 平家方では、たった今、もろ声合わせて、三度の勝鬨を揚げ命を絶ちおくことが、第一の要心なりと、能登守もそちも切に おおよろい た。総大将宗盛もまた、その肥大な体と大鎧とを、始終自分で申すゆえ、ままよいように計れと、昨夜申しおいたが』 『ところが、船島へ忍ばせた刺客どもは、むなしゅう逃げ帰っ も持ちあっかいかねていたが、やっと二本の腕を高く上げて、 て来た由にございまする』 粧乢歌をともにしたところだった。 『それや、どうして ? 』 『お , つつ 、ただ今それへ』 『思いもうけぬ武者どもに邪げられ、人数を増して、再び襲せ 飛騨四郎兵衛景経は、すぐ、やぐら梯子を馳け降りて来、か て参ったところ、島にはすでに御父子とも姿を見せず、いずこ 酒れの床几の前へ、ぬかすいた。 力しも′、 ほんとなら、総大将の床几は高やぐらに据えるべきだが、何へ逃げ落ち給いしか、皆目行方も知れぬとやら』 しよう かちどき さけ 酒化粧 じよう ー ) よ、フ たびかちどき ・一と さまた との めのとご
ろうま うたいめ からず、柔弱でもなく、次の廊ノ間に控えている四人の歌妓たげよとの仰せでもあり、かくざわざわと、お見舞に出たにすぎ 巻ちの眸は、とかく、その顔に惹かれがちに見えた。 ません。ただおくつろぎ給わらば、何よりなので』 いたわ・よしゅう の『おあるじ。鎌倉殿からも、特にお名ざしの、千手が見えぬよ『過分な、おん宥り、虜囚の重衡には、お礼のことばもない。 が、せつかくの芳志に甘え、こよいは、牢舎も忘れるつもりで 手うですが』 りよしゅう 『いや、参っております』 す。 ・ : なんと工藤、虜囚とは、よい身分のものではないか』 千 『来ておりますか』 と、重衡はもういわれぬ先に、くつろいでいるといったよう くったく 『中将どのには、今し方、湯殿を出られたばかりゆえ、お髪をな容子で、屈託もない笑顔を見せた。 かわ 上げたり、お召しかえなど、何かのおせわをしているのでおざ 東国の妓たちには、鉄漿を染めたかれの歯並が、ものいうた ろう。まもなく、これへ見えまする』 びに、唇の端から黒光りして見えるのが、異様でもあり、何 「はや、そのような、お手まわしだったのか。とも知らず、不か、近づき難き高貴にも見えた。湯上がりのあとを薄く公達化 みやこびと 粧して端座した都人のすがすがしい姿一つに、灯もかがやき、 枠なおたすねを』 かの女らもみな息をつめて見まもりあった。 祐経はそういって、狩野介と意味ありげな眼を見あわせた。 けれど、祐経だけは、ふと、さしうっ向いてしまった。 邦通がまた、その尾について、廊ノ間の妓たちへむかい「今夜 いま、重衡から「 なんと工藤」と、親しげにいわれたか は、おまえたちが見せつけられる番だぞ。あとで千手にたつぶ おご り奢らしてやるがよい」などと冗談を座に撒いていると、庭にらである。 祐経は、二十歳がらみの時から、久しく都にい、平家一門の 面した座敷の廊の簾に、背のすぐれた人影がさした。 小松殿に仕えていた。よく重衡の送り迎えにも立ち、親しくこ 重衡ーーと知って、邦通も妓たちも、ロをつぐんだ。急に ざがま 夜雨の音が、耳にはいってくる。人びとの座構えが改まったせとばをかけられたこともある。 いわばかれにとっては、旧主につながるお人であるのだ。多 いか、広座敷の灯も清潔すぎるほどな冴えを新たにした。 おもは えしやく しかし祐経は、麦 こころもち、会釈を見せながら、重衡は空いている席へ黙っ少、面映ゆいし、気のどくな感にたえない。 へつに自分には自分の てすわった。かれについて来た千手は、朋輩たちのいる廊ノ間ろめたさに、うっ向いたわけではない。・ うるし ただふと、耳に覚えのあ に。いった。烏帽子の漆より濃い重衡の鬢の毛には、櫛の歯が事情もあり、同情ももっている。 る声で、むかしのままの親しさで呼ばれたために、今昔の想い よく通っている。 に、答えることばを見失ったまでであった。 「かねて、おあるじから、お伝えもあったでしようが』 と、祐経は、その人の方へ向かって、いんぎんに、 すいさん 『拙者どもの推参は、なんの意味もありませぬ。この日ごろの うれ 雨つづき、さだめし、牢舎のお暮らしも、 いとど愁たくおわそ うにと、鎌倉殿のお察しなのです。なんそして、お慰め申しあ おんな びん
『前司則清どのは、敵の手に生け捕られたりと、その配下の兵やにわに、かれの眼は、遠くの武者座に床几を並べている部 将たちの方へ向かい、 どもは、ちりぢりに伊崎の岸へ、逃げなだれて参り申した』 ごんとうないさだつな 『権ノ藤内貞綱兄弟』 と、伝令の一騎がったえて来た。 と、呼びたてた。 聞いたか、黄門ど 貝清が生け捕られたと。 『何、なに。リ はっと、かなたで高い答えがある の』 宗盛は、つづいて、 宗盛は、信じられない顔をして、 「陸の備えは、一切を其許の手にゆだね、われらが彦島へ来る『摂津判官守澄。右馬ノ允家持。上総五郎兵衛忠光。菊池二郎 以前より、確と、固めおかれたはずだ。そのため、われらは陸高直』 と、いちいちその者の顔を名ざし、そしてなお、一門の少将 ま聞くよ、つ に不案内。いや、大安心しておった。しかるに、い なもろさとは、思いもよらぬことではある。そも、なんとした清経をも加えて、 くがじ かなたの陸地へ渡っ 『面々は、すぐさま、手勢をひっさデ、 ことそ』 えっちゅうのじろうびようえもりつぐ て、源氏を追い払え。そうだ。戦さなれた越中次郎兵衛盛嗣も と、知盛の騒ぎもしない落ち着きを見ていった。 『いや、おことばですが』と、知盛はあくまで、静かな床几姿馳せ行くがよい』 とよら と、火のごとく命じた。 のまま『ーー・、敵が豊浦から火ノ山へ寄せ始めたのはおとといか 一刻の猶予もできない急務だし、至当な命にちが らのこと。堅き備えと、味方の必死な防ぎがあったればこそ、 いなかった。赤間ヶ関を敵の兵馬に占められれば、ここは母屋 よくその二昼夜を守りえたものといえましよう。決して手抜か ひさし の廂に火がついたかたちである。かれとして、あわてたのもむ りはございませぬし、味方弱きがためでもありませぬ』 『では、源氏が強きゅえ、ぜひもなしと、あきらめておられるりはない 命をうけた部将は、そろってみな床几を去った。そして各二 のか』 百、三百ずつの隊伍をととのえ、小瀬戸を渡って陸戦へ馳け向 「かなしいかな、陸合戦では、騎馬じようずな東国勢には、 くがじ しよせん、当りえません。まして、聞き及ぶところ、陸路の寄かった。そのため彦島の兵数は急に低下が目立ったほどだっ ばんどう せ手は、坂東武者のうちでも、金子十郎家忠、畠山庄司重忠、 たちまち、赤間ヶ関の屋根の下や、うしろの山やま、浜の松 熊谷次郎直実など、名うてな武者どもとも申しますゆえ』 座『ゃあ。臆されたの、黄門どのには。い、に、坂東武者であろ原などにも、兵塵が立ち昇っていた。雄叫びは、海をこえて、 将 うと、敵の百騎に味方の千騎をもって当るほどならば、など、彦島までも聞こえて来る。 ゅうぜん 負けをとろうか。さるを、そう悠然と見ておられるゆえ、われ『さて、いかに ? 』 風 宗盛は気が気でないものの如く、おりおり、不意に床几を離 悲らまでも、そこは不落の守りと、心をゆるしていたことぞ。も たの れて、柵つづきの小高い丘へ登って行き、海陸を一望して、ま うもう、其許の計らいに恃んではおれぬ』 ) 0 おもや
わせていた。その音さえ、このごろのかの女には、余りにつよ と、いきなりいい出したものである。 巻い響きでありすぎる。 もっとも、有綱や忠信は、、きなりのつもりでは無いだろ の『ーー物申す。物申す』 う。あいさつもしたし、多少ゆずり合って、もじもじしたうえ 手そのとき、たれか、表の柴の戸の外で、訪れていた。 のことだった。けれど静の母には、寝耳に水だったのはもちろ 『前司のお住居は、こなたであろうか。静どのは、お内か』 んで、しばらくはロもきけず、わなないていたほどだった。 静よ、、 縁に出て、垣越しに、人影を見た。 『 : ・・ : どうであろう。御老母』 駒を降りて立ったふたりの若い武者の影がうごいている。な と、ふたりはそれから、主君の気もちだの、また静から主君 ぜとはなく、静は、どきっとした。恐怖ではない。 もしや、とへ″おだまきの歌〃を寄せて来たことなどの、事情を述べにか 思うよろこびの高鳴りだった。 カったが、これはたしかに話の順序というものを欠いている。 で、老母もようやく、少し分かって来たようだったが、なお 半ばは疑い、半ばはあきれ顔に、 『まあ。では、あの娘が自分で作った歌などを、人づてに、九 郎の君へお手渡し願ったのでございますか。この母にすら、 きようまで、そんな話や素振りは露ほどももらしてはおりませ ん。なんという大それたまねをする娘でしよう。 ・ : そんな静 とは親でも思っておりませんでしたが』 ぜんじ 外の訪れを、静の母の前司も、やっと気づいた様子らしい と、にわかにあたりを見まわして、その静が、どこにも見え つづみしら めのわらわ すぐ鼓の調べを止め、教え子の女童たちを送り出しながら、 ないのに気がっき「静よ、静よ、ここへおいで」と呼び始め しおり 門の柴折を開けに立った。 かど ふたりの訪客は「それがしどもは、九郎義経どのの家来、伊 けれどその静は、客が門に訪れたのを知ると、あわてて水屋 豆有綱と佐藤忠信」と、名のった。前司には夢のような驚きだへ隠れてしまった。そして「 : : もしゃ堀川のお使ではない ったことだろう。それからすぐ屋の内へ客を通したうえで、さ か」と広くもない家なので、厨 ( 台所 ) の蔭にたたずんで耳を て、この世辞になれぬ若い東国武者の客から、単刀直入に切りすましていたのである。 出された用談には、もっと、びつくりしたにちがいない 『あいや御老母、静どのを、お呼びになるには及びません。静 おあるじ 『むすめ御の静どのを、わが御主の許へくださるまいか。それどののお胸は問わでもあきらかなこと。ただ御老母と、われら がお厭なら、あなたは黙って、眼をつぶッていてもらいたい。 両名との間で、話し合えば、よろしいので』 われら両名が、静どのを攫って行こう。つまり大江山の鬼にで『でも、昔は昔、今の九郎の殿と、この貧しい伏屋の母子とで も攫われたと思って』 は、身分もちがい、住む世間も、余りにちがい過ぎまする』 、、ら つづみ 鳴らない鼓 イ、ら くりや おやこ
なくないが、また、清盛からも愛されて、ずいぶん、目をかけ 景信は、すっかり信じて、 『時により、不覚を取るも、ぜひのないこと。しかし、そのおられた者たちだった。 父景わけて、景弘は、安芸守に任ぜられ、子の景信は、平の姓を 、いがけなれま、、 。しつか、御勘気は必ず解けましよう。 さん 弘も、やがて彦島へ馳せ参ずる所存ゆえ、そのとき、御功名あゆるされるなど、いわば一門なみのあっかいをうけていた。そ のうえ、平家の氏神を祭祀する身でもあったから、この地方に って、さきの汚名をお雪ぎあれば』 おける勢威はいうまでもなかった。従って、きのうきようのよ と、心からなぐさめた。 きよく そこでその日から、桜間ノ介は、一雑兵となって、景弘父子うに、平家が衰運の極となっても、佐伯一族が平家に殉じるで あろうことは、まちがいあるまいと、いわれていた。 の下に働くことになった。 あけあ 『ーー・厳島の胖の朱は褪せようとも、景弘父子が、平家を裏 もとより桜間ノ介には、べつに、ある目的が腹にあってのこ 切るようなことは万に一つもあるまい。あらば、世も末そ』 とだったのは、いうまでもない とは、一般の人の声だった。 けれど、そうして、粗末な小具足を着け、顔には猿面のよう ほおあて はつぶり また、源氏方でも、同様な見方で見ていたらしい な半首 ( 鉄製の頬当 ) を被って、雑兵の中に立ち交ってしまう 去年以来。 と、たれの眼にも、そんな異端を抱く者とは見えなかった。 のりより さるめんばおと 中国筋を下って来た範頼の東国勢も、必然、抵抗を予期して おそらく、かれをよく知る者でも、その猿面頬を脱らなけれ いたが、佐伯景弘は、 ば、かれと気のつく者はないであろう。 『氏神の地のおん守りこそ大事なれ。厳島だに、踏み荒されね かれが、雑兵組を望んだのも、もちろん、それを考えにもっ さえ てのうえだったに相違ないしー・ーまた、数日前から、この佐伯ば』 しよう ひょうぜん と、ただ内を守って、攻勢には出なかった。 ノ庄へ、飄然と来ていたのも、あらかじめ、この地方のうごき 中国でも、きのうまでの平家が、続々、源氏へなびいて行っ と自分の目標に、何かの意図を見出していたのではあるまい きか た。範頼の麾下が去ると、次には、梶原勢が来て、諸所を攻め た。ーー荒されないのは、安芸、佐伯の二郡だけといってよ さえのかげひろ 安芸の佐伯景弘と、阿波の阿波民部重能とは、どこかその立源氏勢も、当面は、 『めったに、平家の氏神の領は荒すまいそ。いたずらに、かれ 居場が似かよ「ている ゅう らの怒りをあおるは、おろかな業だ』 ふたりとも、瀬一尸内海における一方の雄であった。そして、 と、 いましめているというが、しかし佐伯一族の静かな守り 清盛じきじきの遺臣といってもさしつかえない 大清盛の夢としていたーー・福原の開港、厳島神社の造営ーーーとを見、 いったような大事業には、ふたりとも参与して、その功労も少『うかと、手出しはならぬ。へたに、攻めあぐねるより、よそ かぶ さるめん わ 379
きゅうじゅっま、 かっての体験をかれは生かそうとした。院に請うて救恤米 巻と、前司は、廊の下まで寄って行って、小さい声でたずねを施したり、諸所の土木に使役のみちをひらいたり、一方、警 のた。 羅隊を編制して、冬中は、夜も交互に巡回させることにした。 『なんとお元気だのう、近ごろの殿は』 手『殿も、お目ざめかの ? 』 『ええ』 部下の者もいうほど、義経の昨今は、そんな劇務にもめげ 千 と、静は、につこりした。 ず、はつらっとして見える。 その顔は、まぶしげだった。ほのかに、紅くもなった。 有綱と忠信は、家中の友が、そういうたびに、誇っていっ 母の前司は、静を生んでからきようまでの間に、見たことのた ない美しさを、けさの静の顔に見た。みち足りた幸福の一雨に 『なぜ、おれたちの手柄とはいわないのか。こうふたりの手柄 はじら 」ろ - 、つカ』 けさを羞恥っている花に似ていた。 眼をほそめて、見上げながら、かの女の母も、大きな安心感『そうだ、ちがいない』 と満足にくるまれた。 けれど、とたんに、その娘はもうわ たれもが、異存なく、それは認めた。 が娘ではないかのような錯覚にも立ち迷った。遠山の花を見る静母子を、邸内の一隅に住まわせたのはこのふたりである。 ように静が霞んで見え、われともなく手の箒をほろりと取り落そして、近ごろはしげしげ、主君の足がそこへ向いていること まぶた していた。そして老いの瞼には涙をいつばいに持ってしまっ も、みな知っていた。弁慶までが「 : : : まずは」と、まゆをひ らいているところなのだ。 ただ、輿入したばかりの正室と、その正室付きの家来たちの おもわく 思惑のほどはわからない。 - えもんのしようじよ・つ 検非違使、左衛門少尉としての義経の身は、依然、その忙おそらく、眼にとげを持って、池のかなたの小館へ、注意を しさに変りもない。 払っていることだろ、つ。 のりより いや、範頼の西下このかた、鎌倉との中継的な軍務は殖える けれど、これは、義経だけが、そうなのではない。上は皇室 し、院や朝廷の出入りも繁く、それに、例年のことだが、寒さ から公卿武将にいたるまで、ひとりの男に、幾人もの側室があ に向かい出すと、きまって、洛中には物騒な事件も多くなってり、しかも、ひとっ邸内に住まわせていることは、一般の世風 くる である。特に、義経だけを、責めるわけにはゆかなかった。 それにしても、義経自身は、 放火、掠奪、夜盗といったような、すべて、飢えと寒さから の、あがきだった。 『余りに、あらわでも』 つけびと 浮浪者の生態と、それの絶えない遠因を、義経は知ってい いくぶん、付人たちへは、気がねしていた。わけて、可 る。 憐な新妻には、すまないとも、あわれとも、心では詫びてい かす れん - 一しいれ