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検索対象: 妻と女の間〈下〉
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1. 妻と女の間〈下〉

茜 しきりに窓から外を見たがる耀子の気配を察して友四郎は、 「少し外に出ますか ? 」 といいながら車を止めた。 道に出ると、空気の冷たさは、車の中で感じていたよりもはるかにきびしかった。 思わず、ぶるっと肩をふるわせた耀子を友四郎が背後から抱き包んだ。その抱き方は寒さふせぎ になってやるといった感しで自然だったので、耀子は、そのままじっと、身動きせず、かえって友 四郎の胸にそっと肩を預けた。 「寒いでしよう ? 「ええ、でも気持がいいわ。空気の美味しさがやつばりちがってるわ」 「でも、ほら、頬っぺに鳥膚がたっていますよ」 友四郎はいいながら、背後から耀子の頬に唇を押しあてた。友四郎の唇も冷たく、ひやっとした 感触だったから、いきなりの接吻が耀子には不潔に感じられなかった。抵抗がないとみたのか、友 四郎は次の瞬間、腕に力をこめ、くるっと耀子のむきを自分の方へかえさせると、有無をいわさぬ 素速さで、正確に耀子の唇を唇でふさいた。 耀子は花の上の蝶が震えながら、静かに翅を閉じるように、まっ毛をゆっくりと伏せていった。 逃げだしたり、相手を突きかえしたりする気持にならないのが不思議だった。 友四郎はゆっくり耀子をかかえ直し、更に深く熱い接吻に移った。 る。 793

2. 妻と女の間〈下〉

しとうないさかい、あれこれ、苦労もしやはるわけです。そこの気持を、汲んだげておくれやす」 英子は薄笑いを浮かべた表情で、野口の言い分を黙って聞いている。うなすきもしないかわり、 別にもう、怒った顔付きもしていない。 野口が帰ってしまってから、英子はしばらく、ひとりでべッドの上に身をなげかけていた。部屋 をベッドの上からゆっくり眺めまわす。いつのまにか、この部屋も自分流に住みこなして、一種の 個性を持っているのを感じずにいられない。部屋にも人間の顔のように、表情が出来てきたと思う。 サイドボードに並んだ洋酒の瓶やグラス。壁の、小さいけれど、複製ではない藤田の版画。それ らをいっしょに買った時の、さまざまな時間と、政之との会話。クッションのひとっぴとつ、灰皿 やスリッパにまで、英子は心をこめた思い出がまつわっている。政之の訪れる短い時間を、無限に 長いものにしようと、英子は普通の一時間を、密度の濃さで、三時間にも五時間にも生まれかわら せてみたものだった。 わたしたちの部屋 : 英子は枕に顔を埋めこんでつぶやいてみる。 べッドに並んだ二つの枕、べッドの下にある政之のスリッパ。 との時間のすべてを胸によみがえらせてくる。 しばらく壁に向き、背をまるめて英子はひとりで泣いた。 それから、起き上がると、顔を洗い、もういつもの表情にもどって、洋服簟笥の扉をあけた。ト ランクとポストイハッグに、洋服と下着をつめこんだ。新しいものはほとんど手をつけず、自分が 英子はそれらも眺めながら、政之

3. 妻と女の間〈下〉

■毎日新聞社の好評図書 愛欲の世界を描いて独特の味をもっ著者が、 妻と女の間 ( 上 ) 瀬戸内晴美艷麗な才筆をふる。て、徴妙な男女。からみ あいを浮彫りにした異色作。 四六 0 円 幕末・明治維新期、歴史の流れにほんろうさ お 双執カ船山馨れながらも、北海道 0 開拓に夢を抱き、ひた むきな愛に生きた女の半生記。 哭 0 円 陶芸に生命を賭ける天才と、師を慕う美しい ロ松太郎女弟子とが、火の芸術を接点として激しく燃 : ・れ女 えあがる感動の物語。三九 0 円・特製四 08 円 明治維新直後、横浜の沼地の大埋立工事によ 榛笹木 ~ 央法 0 て、非情な歴史の渦の中に埋没してい 0 た 悲愁の 人々の哀歓を描く異色作。 四と円 著者が多年関心を寄せてきた仇討ち・敵討ち つ池波一止太郎をテーに、十一編を収める。日本人の特異 仇討 な心情を描いた好短編集。 三九 0 円 銀座で画廊を営む美しい未亡人。彼女に一途 円形劇場澤野久雄に求愛する青年。結婚と愛。本質を日本的風 土のなかで描いた香り高きロマン。 五三 0 円

4. 妻と女の間〈下〉

迷い鳩 ば出来るんだからね。きみは少し、無防禦すぎるし、人を信じすぎるよ。要するにお嬢さんなんだ 「もういいわ。お願い、出ていって」 乃利子は自分が席を蹴立てて出ていきたかったが、脚が萎えて動きがとれなかった。 とういうつもりか 三谷智彦は、ゆっくりと、残りのビールをのみほしてしまうと、立上がった。・ 片手をつきだし、別れの握手でも需めるような様子を示す。乃利子はそっぽをむいていた。 三谷智彦は肩をすくめ、手をひっこめて、外人のように驅の両脇を拡げてみせてから、くるりと くびす 踵をめぐらし、扉ロへ出ていった。 乃利子は、ふりかえらず、じっと前方の壁を見つめていた。 いつ、喫茶店を出たのか覚えがなかった。気がついたら、乃利子は見覚えのない通りを歩いてい た。道具屋や菓子屋や薬屋が並んでいる通りの行く手に、小さな映画館があった。乃利子は前後の とこでもいし とにかく、暗い場所に一刻も早く坐りこみ 考えもなく、切符を買って中へ入った。。 ナカナ 映画館の中は、がら空きだった。入口に近い隅の、誰もいないあたりに腰をおろした。スクリー きりぎし ンには、どこか外国の海辺が映っていた。晴れた空に陽が照り、海にむかった断崖の上に、いわく ありげな古城がそびえている。 乃利子は画面をちらと見ただけで、すぐ、前の椅子に両肘をひろげ、その上に顔をのせてうつ伏 してしまった。

5. 妻と女の間〈下〉

雪 私は反対だわ。研一さんとこうなってから、忘れきっていた自分の年齢を朝に晩に思い出さ されている 安澄は、野口に電話しなければと思ったが、気が進まなく、机に頬杖をついたまま、。ほんやり考 えにふけっていた。 耀子はどうしているのだろう。あの子を育てる間、私は再婚話など見むきもしなかったし、須美 が耀子をひきとってあげてもいいといってくれた時も、そんなことは思いもかけないと一言の下に はねつけてきた。耀子を手放したら一日だって生きていられないと思っていた。耀子こそ、自分の 命だと思いこんでいた。それが今、こんな形で耀子と別れてみると、もういつのまにかそれが馴れ になっている。いえ、正直の話、耀子にとってかわって、私の心のすべてを占めているのは、明ら かに研一の方だ。耀子をとるか、研一をとるかと、今、何かにせまられたら、私は研一をとるだろ 耀子への愛と研一への愛はこうもちがう。もし、耀子のまだ小さかった時、私の前に研一のよう な男があらわれていたとしたら、そしてああも熱心に私を需めてくれたとしたら : : : 果たして私は 耀子を守り通すため、その誘惑に勝っことが出来ただろうか。 安澄は、自分の中の母性というものはどこへ行ってしまったのかと暗然となった。その時ふいに、 野口の名刺のことばが思い出されてきた。 安澄は危うく声をあげそうになった。何ということだろう。野口のいう緊急の用件とは、耀子の ことではなかっただろうか。なぜ、そうとっさに心が廻らなかったかということの自責で、安澄は 169

6. 妻と女の間〈下〉

っていく。 あの夜も、近くの酒場から、単調なお経のような歌謡曲の男の声がきれぎれに聞こえていた。 そのやすつぼいホテルの隣はパチンコ屋らしく、時々、べニヤ板の壁の向こうに、びつくりするほ ど間近く、パチンコの玉の流れ落ちる音がひびいた。最初、私にはそれが何の音かわからず、いき なり騒々しい音を聞いた時、固いつぶての雨が裸の乳房の上に降りそそいだような痛みを感じ、ぎ くっと驅をふるわせた。 男は勘ちがいして、それまで遠慮深くか、いたわりのつもりか、むしろおずおすとのばしていた 手に、いきなりカをこめて、私の左の乳房をんだ。痛いっと、私はいった。。 とこかのバーで、止 まり木の横に坐っていた見知らぬ男だった。最初、若い男かと思っていたが、ふたりになって車に 乗ってから、はじめて手を握られ、その時、手の感じで思ったより老けているのかもしれないと思 った。あたしの知っている男たちは、みんなとても若く、手なんか、堅くて、びちびちしていて、 たなごころ いつでも熱気でむれている。この男の手は妙に柔らかく、 掌は冷たく、何となく蛙の腹の白さを 思い出させて、つるりとしていた。 「降っているようだね」 男が酒場で最初に声をかけてきたのはこんなことばだった。ひとりごととも聞かれた。私は知ら ん顔して水割りをのんでいた。はじめての。ハーで、私は誰にもかまわれたくなかった。酔って帰っ て、バタンキューツと眠れま、 。しいと思っていたのだ。 あたしがだまっていると、男はまた少したって、

7. 妻と女の間〈下〉

もう三谷の驅が乃利子の自由を奪いきっていた。乃利子は抗わず、ほとんど目にたたないかすか さで、三谷のあせっている手の動きに力をかしていた。ブラウスのボタンが丹念にひとつずつはず されていくのを待ちながら、ひきちぎってくれればいいのにと思った。 三谷はあせって、不器用になった指で、事をいっそうおくらせながら、一方まるでそれを愉しみ 味わっているように、ゆっくり乃利子から着ているものを一枚ずつはぎとっていく。 片方ずつまるい肩があらわれ、腕が袖からひきぬかれ、やがて、プラウスはべッドの下へ投げす てられた。スリップの肩紐が小さな声をあげてどちらかひきちぎられた。乃利子の手が、自分の背 に廻り、ブラジャーのホックをはすした。 その間も、三谷は一言もことばをはさまない。肩がむきだされると肩を、乳房があらわれると乳 房を、三谷の物いわぬ唇がおおい、ことば以上のことばを伝える。 乃利子は次第にあえぎを高め、天をさした乳房が、いつもの二倍にも大きくみなぎってくるよう にった。 ようやく、三谷の手はスカートのファスナーにかかった。軽いかすかなファスナーの音が、音の 消えた部屋の空気を切りさいた。その音が乃利子には自分の驅をひきさく鋭利なナイフの音のよう 崖こ聞こえた。 もっと深く、もっと強く、肉を切りさかれたい想いに、乃利子の目の中に赤い靄が湧いた。 三谷はまだ息も高めす、乃利子のスカートを投げ捨てると、腰までひきおろされていたスリップ を一気にひきおろした。 あらが

8. 妻と女の間〈下〉

霞 初 いえ、それ以上に、 かったとはいえないわ。あたしはあの人に抱かれてしまったと同じぐらいに、 あなたを裏ぎ 0 てしま 0 た。何だかまだも 0 と、裏切るような気がする。私はあの人を愛している のかしら、あの人はあたしを愛していると思って ? あなたよりあの人があたしを愛しているなん て信じられない。でも = : ・あなたとの生活にはもう、何の期待も愕きもないのよ。少なくともあの きざ 人にはわからないところがあるわ。もしかしたら、あの人はつまらない男で、卑怯で、気障な女た : でもそれだって、頭の傷から、足の裏のほくろまで知りつくしているあなた らしかもしれない よりは、も 0 と知ることが出来るという期待があるわ。少なくとも好奇心を呼びさましてくれるも のが 、つのまに吸ったのか、三谷の残してい 乃利子はまだ何もする気にならなかった。灰皿の中に、し った煙草の吸い殻が七、八本もたまっている。どれもみんなも 0 たいないほどの長さで、吸い残さ れていた。 その一本をとり、火をつけてみて、吸ってみる。煙草の匂いが近づいた時、三谷の唇が近づいて くる時の煙草臭い匂いがわ 0 と鼻さきをかすめた。卓も煙草を吸うけれど、何事にも健康的な卓は 息に煙草の匂いがしみつくほどにはなっていない。 三谷のは見ているともはや中毒としかいえない吸い方だった。すると、三谷の右手の中指の先が、 ペンだこが 黄色くやにに染まっていたのを思い出した。その中指はまた、こぶら蛇の頭みたいに、 大きくはりだしていた。 いつ、そんなにくわしく三谷の驅の細部まで見ていたのかと、乃利子は自分に愕い」」。 3

9. 妻と女の間〈下〉

流 別れるものか、絶対に。 英子は優子とあくまで闘ってみせようと、心に誓った。 これから求婚者の友四郎と逢うのだという耀子と別れて、英子はまた町へひとりで出た。 もう弟を訪ねる気持もなくなっていて、もっとひとりでいたかった。 こ・ほれそうなおなかを突きだした女が、小さな女の子の手をひいて、片腕に野菜のこぼれそうな 買物籠を下げて歩いてきた。当然、英子がよけて通るものと決めているような態度で、まるで英子 に突き当たるのが目的のように、自分の歩調や目標は全然変えす歩いてくる。英子はその態度にむ かむかしてきた。自分が勝手にんでおいて、あんな醜い腹を突きだして臆面もなく歩きながら、 妊婦だからいたわられるのが当然だとこの女は考えているのだろうか。夫婦という名がついている オいか。あんな姿態でからみあい、あんな呻き声をあげ、あ だけで、男と女のすることは、同じじゃよ んな動物的な身動きをし : : : その証拠を太陽の下に、人目にさらし、よくも恥ずかしくないもんだ。 英子はまるでその女が、仇敵のように、敵意に燃えた目で横目で見、わざと自分も歩調をかえず真 っ直ぐ進んでいった。せまい道の真ん中で、ほとんどぶつかりそうになった時、女は一瞬立ち止ま り、びつくりしたように英子を見つめ、とがめる目付きで睨み直しながら、まるい肩で大きく息を した。子供が、母親の手をふりほどき、急に英子と母親の間をかけぬけて英子の背後へ走り去った。 「よっちゃん ! 」 女は驅つきに似合わない細い声をあげ、子供をたしなめ、あきらめたように英子をよけて脇によ 幻 9

10. 妻と女の間〈下〉

野口のあわてた表情がおかしくて、政之もよし乃の笑い声にあわして笑った。 「へえ、それも初耳ゃな。今夜はいろいろ教えてもらう」 「冗談でっせ、若旦那。そんな阿呆な ! 」 野口は、ことさら、大げさに鼻の前で手をふってみせた。 じよう・せつ 自分の照れくささをごまかすため、野口はそれからかえって饒舌になって、安澄と研一のかもし だす雰囲気について喋りはじめた。 「はじめにわたしが気いついたのは、研一さんがおくれて来やはった時、青山の奥さんが、誰より も早う気がっかはったのに、研一さんの方を見ないで、すっと座をたたはって、奥の間へいて、壁 にかけてあった研一さんの式服をハンガーからおろしはったのを見た時だす。研一さんの方も、ち よっと皆さんに挨拶すると、すっと奥の間へいかはる。あとでわたしが台所に用があって、あの部 屋の外を通った時、丁度青山の奥さんが、研一さんの腕に喪章を縫いつけて、その糸を歯で切って るとこやおまへんか。こう、顔を近づけて」 野口はよし乃の腕をとり、自分の顔を近づけてみせた。 「その時の研一さんの当然みたいな態度と顔と、青山の奥さんの驅つき全体から滲みだしてた色気 いうたら : : : そらもう、あれ見たら、びんと来ん人間は盲ですわ」 の 政之は野口の話を半分興味本位に聞いていたが、喪章の話を聞き終わると、はじめて、 も「ふむ、そ ういうことになってるのか」 風 と、改めて考え方を改めたような口調になった。 105