ミセス - みる会図書館


検索対象: 妻と女の間〈下〉
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1. 妻と女の間〈下〉

を沈めかけてきた。 「あたし、時間をまちがえたのです。あなたの方が正確ですわ」 乃利子は壁の時計を見ていった。何かいわなければ、全身が燃え上がるような熱さをごまかすこ とが出来なかった。 三谷智彦は見馴れた微笑を浮かべて、ゆったりと坐り、煙草をとりだした。乃利子は反射的に、 指の間で、いつのまにか半分灰になっている煙草を灰皿にもみつけて消した。 三谷智彦は濃いグリーンのタートルネックのセーターの上に、ホームス。ハンのざっくりしたこげ 赤と濃いグリーンの織りまざった上衣を着ていた。いつも「ミセスの友」では、白いワイシャツの 衿をつきあげるように、地味なネクタイをきちんと結び、黒っぽい背広を着ていたのに、くだけた こんなスタイルになったせいか、印象が変わり、三つ四つ若がえってみえた。男はくだけた服装を した時の方がたいてい魅力を増すようだと、乃利子は心の中で観察していた。 りちぎ 坐り方ひとつにしても、「ミセスの友」では、椅子に堅く膝を揃えるように、見るからに律儀な 感じにしていたのに、今は、背もたれに頭ごともたれるようにして、腰は浅くかけ、膝を組んでい る。 しかがですか、その後 ? 」 「何だか、三谷さんが急にいらっしやらなくなってから『ミセスの友』へゆく気もしなくなりまし たわ」 えん 乃利子は怨じるような声でいった。

2. 妻と女の間〈下〉

大阪での仕事は思ったよりとんとん拍子にいった。 乃利子は「ミセスの友」から示された通り、いきなり、そのアパート を訪ねていった。・ とこにで もよく見かける小さなアパート の一階の廊下のどんづまりがその人の部屋たと、入口で三輪車に乗 っていた子供に教えられた。 入口には表札も名刺も出ていない ノックすると、しばらく返事がない つづけてまたノックすると、しばらくたってから、 「どなた ? 」 と、小さな声が応じた。扉のすぐ向こうに人が立っている気配が感じられた。 「『ミセスの友』から参りました」 「あ」 という声がはっきり聞こえ 、ドアが細めにあけられて、人の顔が半分のそく。 「どうそ、お入り下さい 女のことばは、歯切れのいい標準語だった。 断

3. 妻と女の間〈下〉

短 日 - 「いやあ、ぼくなんか、何の役にも立たなくって。あなたはもう、その気なら、どしどし、仕事の その 出来る人ですよ。実は『婦人の苑』の編集から : ほくの方へひそかに、あなたのことを調べに来ま したよ」 「あら、それはどういう意味 ? 」 「つまり、あそこは、伝統的に、小説で売っていたでしよう。それじゃ、やつばりもう持たなくな ったんです。それで競争誌の記事物を研究してみたら、うちの : : : あ、まだ口癖が直らないな、ど うも奉公人根性がぬけなくって」 三谷智彦は自分から声をだして笑い 「『ミセスの友』の記事のヒットを調べると、あなたのやったものが、ここ三、四カ月目立ってる んですよ。投書なんかにもはっきりそれが出ている。で、つまり、あなたをスカウトしようという つもりなんだな」 乃利子は三谷智彦のことばづかいも、「ミセスの友」にいた頃とはどこかちがって、ぐっと打ち とけて、乱暴になっているのに気づいた。そして、それを不快に思っていない自分にも気づいた。 「見ててごらんなさい。そのうち、あっちこっちから誘惑の手がのびますよ」 「まあ、いやだ。そんなの困っちまう。あたしはただ、あなたにすすめられて書いただけですもの。 とてもそんな、本職のライターなんかには・ 「・ほく、マネジャーになって養ってもらうかな」 「ええ、 しいわ、三谷さんなら」

4. 妻と女の間〈下〉

断 乃利子は女の打ちあけ話を二時間あまり聞いた。 ・『ミセスの友』に投書して二日後、夫のところへも手紙を出してしまいました。居所は 「実は・ 知らせず、悪かったという手紙を書きました。でも、今更、あの家へは帰れません。私が馬鹿だっ たんです」 女は、涙をおさめるといった。 「今はどうやって生活を 「このアパート の人が世話してくれ、夜、料理屋の女中に行っています。着物がないので座敷には 出られませんから、下働きの方なんです。五時から十二時すぎまでかかります。天罰です」 乃利子が、女の許を辞してホテルへ帰ったら、もう日は暮れはじめていた。 「ミセスの友」から預かってきた薄謝と書いた紙袋を渡した時の女の表情が乃利子の気分を暗くし ていた。 向島では、とにかく、繁昌していた店の主婦だった女が、あんなわずかな金包みに涙ぐんたのは、 金を受けとる自分の身の上を浅ましいと思ったからではなかっただろうか。さらに、そう う金を返すことの出来ない現在の自分に、もっと、情けない想いをしたからではないだろうか。 天罰です : ・ : 女のいったことばが耳を打ってくる。 天罰があるなら、これから自分の行なおうとしている事の上にも、それは必ず降ってくる筈であ ホテルのロビーへ入った時、乃利子はフロントの前に立っている男の後ろ姿にすぐ目が走った。

5. 妻と女の間〈下〉

「またー ごまかしたってだめ。そんなと 0 てつけたみたいなお世辞じゃこたえないんだから。本 音をはきなさい。恋人がいるの ? それともあなたホモなの ? 」 「愕いたね、乃利ちゃんもそんなこと口にするようにな 0 たのかなあ。団地の主婦 0 て、全くろく でもない智識ばかり仕込んでるんだからな」 「うつふつふ : ・ : 」 「その、企画会議でね、くたばれ人妻を出した男がね、いろんな資料に婦人週刊誌や、婦人雑誌を 集めてきてて、いろいろ、珍説を披露するんだよ。だから、おれ、目下、婦人問題に明るいんだ」 「じゃ、教えて、ご執筆のネタにするから」 「「ミセスの友』もあ 0 たよ。それで乃利ちゃんの玉稿なるものにも、はじめてちらとお目にかか ったわけさ」 「もういいのよ、あたしの原稿のことは」 「うん、とにかく愕いたねえ。世の中の主婦の余暇 0 て時間がさ、平均三時間半なんだ 0 てさ。余 暇がたよ。 、し / ーし 、働いてる男に余暇なんてものがあるかね。それからさ、テレビ観る時間の平均 が、何と、五時間た 0 てさ。もちろん、余暇もその中にふくまれてるんだろうけれど、これじゃ、や 0 ば り、テレビ局といたしましては、主婦対策をも 0 とも 0 と本気でやらなきゃなるめえ 0 てことだな」 「まさか、五時間なんて」 「だ 0 て、ちゃんと、「ミセスの友』の競争誌の「婦人の苑』が、そういう統計出してたよ」 「そうお ? ふうん」

6. 妻と女の間〈下〉

「もう、死んでしまおうと思って、何度かガスをひねったこともあるんです。でも、最後になると、 子供の顔が浮かんできて」 女は、そういって、はじめて両手で顔を掩って泣いた。爪ののびた女の指の間から涙芬流れおち ている。 乃利子は目をそむけた。乃利子の仕事の目的は、蒸発したものの、若い店員に逃げられ、知らぬ 土地でひとり残され、今更、夫や子供の家にも帰れないでいる女から、打ちあけ話を聞くことだっ た。読者に、蒸発妻の行方の惨めさを示せばいいのだった。この女は、「ミセスの友」の愛読者で、 思いあまった末、「ミセスの友」に、身の上相談をしてきたことから、居所が判明した。もちろん、 女の気持を察して、編集部では、あくまで匿名で扱い、来月号は妻の蒸発特集号を組もうとしてい る。 幸福な団地妻の目から見た、蒸発妻の赤裸々の姿。そんな目的の原稿を十二枚書けばいいのだっ ある日、突然、その家から、いつも店で陽気に働いている主婦の姿が消えた。いつのまにかトラ ンク一個分の衣類も消えていた。書置きはなかったが、計画的家出とみなされた。 あの屈託のなさそうな主婦の蒸発は、姑にも夫にも意外だった。しかし、近所の人々はすぐ、一 カ月前からいなくなった子飼いの若い店員の後を追った、あるいは示しあわせた駈落ちだと噂しあ

7. 妻と女の間〈下〉

「ええ、ふだんは、ろくに手紙も書かなかったくせに、やつばり、何かの時、あ、もう母はいない んだと思うと、がくっとする時がありますわ。あの、お宅は ? ご両親は ? 」 「うちは、早くに両親ともなくなってしまって、さつばりしていますよ。家庭の味ってよく知らな いせいか、やつばり、家庭ってうまく持ちこたえられないのかなあ。憧れはあるんですけれどね」 乃利子は、三谷の顔を見ないで茶をつぎそえながら、 「あの、聞いていいかしら ? 」 とつぶやいた。 「え、何です ? 」 「あのね、三谷さんは今、どうしていらっしやるの ? 」 「どういう意味ですか ? 」 「奥さまと、別居なすったって、ほんと ? 」 「ああ、そのことですか」 三谷は煙草をとりだしながら、 「『ミセスの友』でお聞きになったんですか ? 」 「ちょっと : 「女房も可哀そうなやつなんです」 三谷も、乃利子の顔を見ないでいった。 「別居してるってわけじゃないんですが、病院に入っています」 Z38

8. 妻と女の間〈下〉

短 日 「やあ、あなたでしたか」 という声は意外に明るい 「おはがき頂戴しましたので、ちょっとおかけしてみたんです」 「や、どうも : : : もう勤めは厭だと思って : : : 実はここは臨時なんです。逢ってお話しますが、ど うです ? 一度お逢いしましようか」 えん、わたくしの方はいつでも」 乃利子はすぐ応じてしまった。 「それじゃ : : : あなたのご都合のいい時、こちらへ寄って下さいませんか」 「そこ、どこですの ? 」 「あ、そうか。電話しか書かなかったんですね。どうも失礼。四谷なんですよ」 三谷の教えるそのビルは、乃利子にも通りすがりに見覚えがあった。 明日を約東すると、 「それじゃ、午後三時頃、ビルの一階にミモザって喫茶店がありますから、そこでお待ちしていま という。 それにも乃利子は即座に返事をかえした。 電話をきってしまうと、不思議な動悸がしてきた。「ミセスの友」の時の三谷とは口調まで変わ っていたような気がする。明日何を着て行こうかとます思った。

9. 妻と女の間〈下〉

抱き直していった。 安澄はだまって首をふった。 「そんなことじゃないのよ。心の病気」 「取り越し苦労だよ。今だけ見つめて、安心してくれればいいのに」 研一のそのことばは、安澄の胸の中まで見通しているようなひびきがあった。 「今日来たのはね、ちょっとこの子預かってもらえないかと思って」 乃利子はそれが用件だときりだした。 「『ミセスの友』の仕事で、大阪へ取材を頼まれたの。はじめてのことだから、どうしようかと思 ったんだけれど、卓のいない留守に、そんな経験もしておこうと思って」 「へえ、乃利ちゃんが取材にね」 安澄の口調には、からかいと励ましが同居していた。 「笑わないで。素人くさい取材が、新鮮かも知れないっていうのが編集部の狙いなんだから」 「そういえば、ほら、はじめから、乃利ちゃんをひいきにしてくれた編集の人、ええと、何てった - な、ほ、ら」 「三谷さん ? 」 乃利子は、声を押えていった。その名を口にすることに、晴れがましさと羞恥がないまじってい る。

10. 妻と女の間〈下〉

草 「そう、そう、三谷さん、あの方、どうして ? 」 「え ? 」 「今日はまだ、一度もあの人の名前が出ないからさ。だって、乃利ちゃんは『ミセスの友」ってい えば、三谷さんがね、ってまずいったものよ」 「あら、そうたったかしら。気がっかなかった」 乃利子は赧くなりそうなのを押えこんで空とぼけた。 「あの方、やめちゃったって話してなかったかしら ? 」 「え ? やめたの ? 社を ? 」 「そう、もう大分前よ」 がっかりね」 「ちっとも知らなかった。それじゃ、 「たって、せつかくごひいきにしてくれたんでしょ ? しいのよ、仕事はひきつづきやってるから。本当は、もうちょっと面倒な時もあ 「まあね。でも、 るの。でも、どうせ三日坊主だって笑われるのが口惜しいから、も少し、ねばるつもりよ。それに、 たしかに世の中のこと知った方がいいに決まってますものね」 「家庭と両方じや大変よね」 「でも、そんなこといってたら、主婦は何も出来なくなっちゃう。両方やってる人だって多いんだ 5 もの。やってみなきや」