京都 - みる会図書館


検索対象: 妻と女の間〈下〉
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1. 妻と女の間〈下〉

赤い絹笠 「実は、今度はこっちの用件だけど扶けてくれ」 政之は、珍しく、見るからに疲れの滲んだ顔を両手で支えるようにして、テープルの上にうつむ きこん、、こ。 「ああ、疲れた」 「何 ? どうしたのよ、そっちの用って」 「英子がまもなく着く」 「えっ ? どこへ ? 」 「ここだ」 「へえ、また、どうして ? お葬式のため ? 」 「馬鹿な ! 何で英子がうちのおばあちゃんの葬式に出るんだ。あれの弟が事故にあ 0 たんだよ」 「弟 ? 」 「うん、話してなか 0 たかな。京大の学生だ。山科で今夜、車の事故にあ 0 たらしい」 「英子さんが報せてきたの ? 」 「うん、こ 0 ちは、その時はまだおばあちゃんが生きていたから、ぼくは大阪へ出かけていたし、 連絡がとれなか 0 たんだよ。ぼくにそれが伝わ 0 たのはつい一時間前さ、どうしようもないよ」 「まあ、困っちゃったわね」 「とにかく、京都へ来れば、このホテルに落着いて、連絡するという手筈にしてあるから、たぶん、 ここへ来ると思うんだよ。今、フロントに、英子がついたら、この部屋に連絡するよう、伝言して たす 6

2. 妻と女の間〈下〉

奈良に着くと、三谷は急に若がえったように見えた。 「こんな美しい物のある古都を、これほど俗悪な町づくりにした奈良を見る度、ぼくは腹が立って しようがないんだ。寺はいし 。どの季節に来てみても、奈良の寺も仏もすばらしい。ところがどう ですか。この、寺から寺へ行く間の町の情けないこと、こんな俗悪な町って少ないですよ。日本っ て国は美しいものを保存する神経が全く鈍いんだな。いつだったか、京都に行って愕いたことがあ りますよ。御所のあのきれいな塀に、落書がいつばいなんた。する方もする方なら、それを許して おく市の方もいいかげん太い神経だと呆れたよ。でもやつばり、焼けない町っていいですね。殊に、 奈良の寺や仏たちを見る度、そう思いますね」 「三谷さんは、そんなに始終、奈良や京都にいらっしやるんですか ? 」 「閑があるとよく来てたものだけれど、近頃はさつばり : : : でも、どうかな、このあたりなら、京 都育ちのあなたより・ほくの方がくわしいんじゃないかな」 三谷は、乃利子をふりかえって笑う。たしかに、京都に生まれ、京都に育ちながら、つい目と鼻 の奈良へ、そう度々来たことはなかったと乃利子は思い出した。 「浄瑠璃寺は行きましたか ? 」 「まあ、人を馬鹿にしてるわ。浄瑠璃寺は行きましたわ。秋も、それから初夏も知ってます」 「あの可愛らしい吉祥天女に逢いましたか ? 」 いつも御開帳の時じゃなくて : : : 」 「そら、ごらんなさい。ぼくはちゃんと逢ってる。そりや、可愛らしいんたから。純で、上品で、 ひま

3. 妻と女の間〈下〉

「どこへいらしたの ? 英子さん」 「さあ、ぼく眠ってたもんで」 とぐち 耀子は、扉ロでふりかえった。 「また、来てあげるわ。今度はあなたのお見舞いに」 「わざわざ京都へ来てくれるんですか ? 」 「まだ当分京都にいてもいいと思ってるのよ」 看護婦が体温表をかかえて入ってきた。 耀子は黙礼して、それといれちがいに病室を出た。 事故の現場にちかい病院だということで、かつぎこんだらしく、 いかにも町医院という構えの、 安っぽい病院たった。 病院を出たところで、通りの向こうから、大きな包みをかかえた英子と政之が何か話しこみなが ら歩いてくるのをみとめた。 ふたりは話に夢中で目の前でぶつかりそうな近くにくるまで耀子に気づかなかった。 耀子に目の前で両手をひろげられて、はじめて、ふたりが立ち止まった。 「何だ、耀子ちゃん、どうしたの ? 」 政之がさすがに苦笑いで、ごまかしながらいう。 1 英子さんの陣中見舞いにいったけどいなかったから、帰るところよ」 「まあ、すみません。弟、おきてましたかしら ? 」

4. 妻と女の間〈下〉

どうせ、京都にいる時は、自分の生活を極力享楽していて、英子のことなど、ほとんど考えもし ていないくせに・ : と、英子は大方の察しはつけていながら、やはり、自分のことを嫉いてみせる 政之のジェスチュアに、い くぶん心を慰められている。 とはいうものの、こんなことをしていて、将来、どうるのだろうという不安が日増しに強くな ってもいく。 好きになってしまったのだから、結婚という形式をとらないでも、政之と結ばれているじゃない かと、自分にいってきかせている。そのくせ、愛が深まるにつれ、政之を独占していない事実に平 静でいられなくなってくる。 英文速記や、フランス語を習いはじめたのも、東京で無為に、ひたすら政之を待つだけの暮らし をしていると、自分の内部から何かが崩れ、融け、腐っていくような不安を感じたからであった。 こんな関係になってから、これまで識っていたつもりの政之の、ほんの一部しか自分は識ってい なかったと、思い知らされることが多かった。 政之が、この部屋から京都の優子にむかって、まるでホテルのロビーや、料理屋の廊下からでも かけているように、平気で電話をしていたりするのを見、聞くと、こんなことで、結構だまされて いる優子がおめでたいと思うより先に、この調子でなら、自分だって、どんなだまされ方をしない でもないと不安になってくる。 不安になるといえば、今のような状態は、極めて不安なことばかりで、将来について、政之から 何の保証をされているわけでもなく、 いつまでつづけられる仲だという確証もない。 0

5. 妻と女の間〈下〉

「耀子さん、お元気でしようか ? 」 耀子から、京都で英子姉弟とっきあったことも聞いていたので、安澄は英子の訊き方が嬉しかっ 「ありがとう。おかげさまで、どうやら結婚が決まりましたのよ」 「まあ、よかったわ。どちらの方と ? 」 「京都で染色してらづしやる方なんですけれど」 「ああ、伺ったことがあるわ。よく弟が話してました。やつばりね。耀子さんも彼の情熱にほださ れたんですね」 英子が、あくまで明るく、耀子の婚約を祝ってくれるのが、安澄には心苦しくなってくる。政之 のために、痛手を蒙ったままの英子の心の中を思うと、何か肩身のせまい想いさえしてくるのだっ 「あの、聞いてもいいカ 、しら : : : 今、英子さん、どうしてらっしやるの ? 」 「すみません、いろいろご心配かけて : : ・私、出版社に勤めています。地味な、学術的な本を出す 社ですから、何とかやっていけるんです。まあ使い走りみたいなものですけれど、結構、仕事があ 道 って、愉しいんです」 : こんなこといえた立場じゃないし、何ひとつ、あなたにカかしてあげられな の「それはよかった : くって恥ずかしいけれど、ずっと、心配してましたのよ。あなたには、耀子のことでお世話になり つばなしですし、それだけでなくても、私はあなたが好きだったし」

6. 妻と女の間〈下〉

「え ? 染色やってるの ? 」 「へえ、今年も、伝統工芸展のきものが受賞しましたえ」 安澄は、優子のことばを噛みしめるようにして小首をかしげていたが、突然、思い当たったよう に、膝を打った。 「まあ、そうだったの。吉岡の友四郎さん ? 林蔵さんの四男坊だったかしら ? 」 「そうよ。よう感づいてくれはったわ」 「だって、伝統工芸で受賞したっていうから、思い当たったのよ。京都で、耀子がお逢いしたって 話は聞かされたけれど、軽くいうものだから、あたし、これまでのポーイフレンド並みだと思って いたの。耀子は割合フランクに男の子とっきあっていましたからね」 「京都に来やはってた間に仲ようなったのよ。もっとも吉岡はんも躾のきびしいお家やさかい、妙 なっきあい方はしてしまへんけど」 「あちらで乗気なの ? 」 「乗気も何も、すっかり打ちこんではって、実は先だって、林蔵さんの方から人を介して正式にう ちへ打診に来やはったのよ。申込みしてふられたら、恰好つかへんし、親御さんの方が心配しやは 三「耀子はどうなのかしら ? 」 安澄は心細そうな声で訊いた。 「憎からず思ってるってとこやないやろか。誘われれば、愉しそうにしてたし、何かと便利にして 十

7. 妻と女の間〈下〉

「あのお袋でなくちゃ、どうぐれてたかしれない立場だものね」 安澄は返事のしようがなくて、研一の服一式をポストイ ( ッグにつめていた。 「耀子ちゃん、どうする ? 」 「ええ、それなんですけど。さ 0 き、優子の電話とは別に、店の番頭さんから電話があ 0 て、政之 さんがお葬式には出席させるから安心するように 0 てい 0 てきてくれたの。何しろ、一方的な電話 で、その人にどこまで話していいかわからないし、だま 0 て、はいはい 0 て聞いておいたんだけ ど」 「じゃ、もう居所はわかってるんだな ? 」 「そうらしいわ。でもそれじや知らせてくれればいいのにねえ」 ホテルの窓からは鴨川が見えた。流れの向こうに東山まで広が 0 た町の灯が静かに光 0 ている。 耀子はしばらく、灯の色を見つめていたが窓をしめた。政之に居所を発見され、京都〈連れて来 られるなり、須美の死に出逢ってしまった。 須美の死が急だ 0 たため、優子に内緒の入京を知らせるわけにもゆかず、結局、東京の連中が来 かんづ 揃うまで、このまま、ホテルに罐詰めになっていることにした。 「悪いようにはしないし、いやだというなら、耀子ちゃんの好きなような生活体制にぼくから話を つけてあげるから、も少し、短気を静めて・ほくにまかしてくれよ」 政之は耀子の気持をいつのまにかなだめて、とにかく、気分転換のため、京都〈来た方がいいか

8. 妻と女の間〈下〉

列車からは降りる人もない。耀子は友四郎の方をろくにふりかえりもせず、さっさと列車の中へ入 った。自分なら二等を買うのに、友四郎が切符を買ってくれたので一等になっていた。そういえば、 2 まだ切符代も払っていなかったと気づいた。完全にプラットフォームと遮断された厚い窓硝子から は、手真似でないと意志が通じない。顔を近づけてきた友四郎に、耀子は唇をまるめ、キップキ ップ、といってみた。代金を払うのを忘れたと伝えるつもりだったが、友四郎は耀子の唇の動きと 形を勘ちがいして、顔を輝かせると、いきなり顔をつきだして、硝子ごしに耀子の唇に自分の唇を 合わせようとした。友四郎の背後に立った見送りの人や、耀子の近くの席の人々があっ気にとられ て、ふたりの方を見ている。 耀子はあわてて唇をはなし、顔の前で手を振った。もうその時は列車が動きはじめていた。 たちまち、プラットフォームをすぎ去り、暗い川を渡ると、列車は音もなく京都の町を駈けぬけ 耀子はようやくひとりになり、座席に深く腰をおろし直した。 友四郎に送られて下宿に帰ったら、度々の電話の伝言で、優子がすぐ来いとのこと。すぐ友四郎 い、二十分 の車で、優子の所へ寄って、研一の事件を聞いてから、まだ四十分とすぎていない。っ 時計を見ると、 前まで乃利子が来て、耀子を待っていたが、待ちきれず、発ったところだという。 どうにか最終便に間にあいそうな時間だった。有無をいわせない素速さで、耀子は友四郎の車に再 びとび乗り、京都駅に直行したのだった。 命に別状ないといいんやけど : : 何分さつばり様子がわからへんし : : : スタジオの出来事や

9. 妻と女の間〈下〉

に出ていても、気が気でなく、駈足で走り帰ってくる。廊下の外から部屋の電話が鳴っているよう に思い、かっと心が激してくると、かえって手許が震え、 いつもは造作もなく入る鍵が、ぎくしゃ くしてなかなかドアがあかない。ようやく部屋にとびこんだとたん、びたっと電話が鳴り止んでし まう。それは幻聴だったのかもしれないと思ってみても、廊下で懾いたベルの音は、妙に執拗に耳 の底に余韻をひいてふるえつづけている。 またの時は、人の電話を聞いていて、もし、この時、政之が京都から電話をかけてきたら、どう しようと思い、現に聞いている相手の話が上の空になってしまう。一刻も早くこの電話を打ち切っ てしまいたい思いにいらいらしてくる。結局、その電話は、ほんの三、四分のものだったのに、英 子には三十分も話されたように思われる。すると、その間に、必ず政之の電話があっただろうと思 それを聞きとるチャンスを逃した惜しさで、いてもたってもいられない焦躁にかられる。 あの待っ苦しさは、もうたくさんだ。 英子は、久しぶりの京都の町を弟の下宿にむかって歩きながら考えていた。 待っことと、耐えることが自分の愛だと、素直に思いこもうとして、ひたすら自分の熱情をため てきつづけたけれど、その報いが、政之のあの不誠実かと、英子は自嘲していた。 自分は一度だって、優子の妻の座を盗もうなどと思ったことはない。優子は優子、自分は自分で、 次元のちがった立場から、次元のちがった愛を勝手に政之にそそいでいればいいのだと考えていた。 とはいっても、愛は無償では長つづきはしないと、英子は今になって思い知る。 十の愛を注げば、せめて少なくとも六の愛がこだまのように応えてくれなければ、注ぐたけの愛 しつよう 幻 0

10. 妻と女の間〈下〉

耀子はそんな英子の顔から目をそらせた。 「弟さんとふたりきりなの ? 」 だまっているのも気の毒になり耀子がきいた。 「ええ、両親が死んでしまったものですから、子供の時からはなればなれに親類に預けられて、と ても辛く育ってるんです。私がようやく、どうにか働けるようになった時、二人で暮らしはじめた んですけれど、あんな嬉しいことはありませんでした。でも : : : 罰が当た 0 たんです。弟を京都に 残して上京したりして : : : 」 「旧いのねえ英子さん、罰が当たるなんて、そんなことありつこないじゃないの。弟さん、たまた ま、拍子が悪かったのよ。交通事故は毎日、何万とあるじゃないの。しつかりしてよ。こうなれば、 いっそう叔父が必要になってくるわけでしよ。逃がしちやためよ」 ふる