東京 - みる会図書館


検索対象: 妻と女の間〈下〉
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1. 妻と女の間〈下〉

あ 0 て、男としての自分の全生涯や今の社会的地位を賭けてまで、守りぬく女でも、恋でもない。 結局、いい潮時というものかな 政之は、まだみれんにまといっかれながらも、ちらと湧いた自分の感情を、わざとたぐりよせる ような目付きになった。 その晩、政之は上京した。 優子には仕事で急用が出来たといいくるめてきた。三時間の新幹線の間でも、目を閉じると、ア ートの部屋と英子が浮かびでてくる。 英子の俤やさまざまな姿態に悩まされつづけながら、政之の心は、もうすでにそれを失 0 たもの として哀惜している自分に気がっかない。 政之の心を占めているのは、臉にひろがる俤とは別に、どうや 0 て、あの部屋の始末をつけるか ということであった。野口に万事まかせるとしても、野口にも見せたくないものがあるかもしれな 東京駅に着くと、雨になっていた。 車でアパートに向かう道の灯が雨でうるみ、いつもより東京の街が美しく見える。 おれもセンチになっているのかもしれない 政之はちらと自分の心を覗きこみ苦笑いした。女との別れの始末をつけた過去のさまざまが素速 く頭をかすめていく。

2. 妻と女の間〈下〉

のたった。 それでも政之は、最初、英子を東京に囲った頃は、一カ月に七、八回も上京してきたことがつづ いわゆる いた。朝発って、夜帰っていくこともあったが、そんな日は所謂「仕事」はなしで時間のあるだけ 英子とア。ハートにこもっていた。 「どこへ行ったことになっているんですか ? 」 英子が好奇心から訊くと、 「今日は神戸だ」 とか 「今日は京都にいる筈だよ」 とか、すましていう 大阪に用のあった日は、空港から電話をかけてよこし、二時間後にはもうアパートについている ことさえあった。 それも、いつのまにか、一度減り、二度減って、今では、月に四、五回、時によっては三回しか 上京しないこともある。 つい恨みつぼくなる英子に、 「誰だってはじめは珍しいし、熱中するよ。でも考えてごらん。そんなはじめと同様の熱度がつづ じゃな いたら、半年もすれば、あきあきしてしまうよ。すべて交りは淡く長くという方がいし 力」 た

3. 妻と女の間〈下〉

その話はもう打ちきりだという表情で、政之は、声を改め、 「京都でね、おばあちゃんが、あんまりよくないんですよ」 し / 「えつ、寝ついてらっしやるんですか ? 」 「うん、東京から帰って、ずっと、はっきりしなかったんだけれど、たぶん、疲れが出たんだろう くらいのところで、別に、本人も気にしていなかったんだけれど」 「そういえば : : : 上京なさった時、顔色はよくなかったわね。それに、はっとするほど小さくなっ ていて、気になったけれど、あれくらいのお年寄りって、よく、しばらくぶりで逢うと、がくっと 小さく縮んでしまってることがあるでしよう。あれだと思って、私も、気にしなかったんだけど」 「腸にポリープが出来てるっていうんですよ」 「ポリープ ? じゃ・ 安澄は顔色を変えた。 「ええ、たぶん、癌ですね。でも、おばあちゃんは、何の病気になっても、絶対手術しないと、決 めているし : : : そ ういう点は、あれでなかなか強情なんだ」 「そうねえ。じゃ、優子さんも大変ね」 いってしまって、安澄は、はっと口をつぐんだ。ここで優子の名を口に出すのは不都合だったと 気づいた。政之は平気で、 いっそ、うちへつれ 「ええ、おばあちゃんの方とうちを行ったり来たりで大分顎出していますよ。

4. 妻と女の間〈下〉

政之の忙しさは、秘書をしていて充分識っているし、上京してきた政之がびっしり時間にきざま れたスケジュールを持っていることも識っている。けれども、やはり、政之が自分といてくれる時 間が、あまりに少ないことに、英子は次第にこだわらずにはいられなくなってきていた。 「だって、考えてごらんよ。。ほくが、東京で何をしている ? 仕事のない時は、一分も早くここへ 来ているじゃないか」 「だって、 ーへだっていらっしやってるわ」 「それだって仕事じゃよ、 オしか。ひとりでなんか、もう行ってやしないよ。全く不自由になったもん だ。まるで女房が二人出来たようじゃよ、 あっけにとられている英子に、政之は、 : というのは、 「こんなに不便になるとは思わなかったよ。女房の方はまだだましやすいけれど : 大体、女房族ってのは自らだまされたいと願望しているからね。自分から、目をつぶりたがってい るんだ。ところが、恋人とか情婦とか名のつく方は、自分と出来ちゃう間に、男がどうやって女房 をだまし、目をごまかすかということをつぶさに見て来ている。だから、男の手口をいろいろ承知 しているわけだ。こういうのは困るよ、全く」 という。英子は思わす、政之の身勝手な言い分にふきだしてしまいながらも、 葉「その上、私は秘書時代、社長の社用の中身も存じあげておりますからね」 と、嫌味のひとつもいってやりたくなる。 男が、二言めには仕事といっても、必ずしも中身は仕事でない場合も多いのを、英子は思い出す いやみ

5. 妻と女の間〈下〉

「あのお袋でなくちゃ、どうぐれてたかしれない立場だものね」 安澄は返事のしようがなくて、研一の服一式をポストイ ( ッグにつめていた。 「耀子ちゃん、どうする ? 」 「ええ、それなんですけど。さ 0 き、優子の電話とは別に、店の番頭さんから電話があ 0 て、政之 さんがお葬式には出席させるから安心するように 0 てい 0 てきてくれたの。何しろ、一方的な電話 で、その人にどこまで話していいかわからないし、だま 0 て、はいはい 0 て聞いておいたんだけ ど」 「じゃ、もう居所はわかってるんだな ? 」 「そうらしいわ。でもそれじや知らせてくれればいいのにねえ」 ホテルの窓からは鴨川が見えた。流れの向こうに東山まで広が 0 た町の灯が静かに光 0 ている。 耀子はしばらく、灯の色を見つめていたが窓をしめた。政之に居所を発見され、京都〈連れて来 られるなり、須美の死に出逢ってしまった。 須美の死が急だ 0 たため、優子に内緒の入京を知らせるわけにもゆかず、結局、東京の連中が来 かんづ 揃うまで、このまま、ホテルに罐詰めになっていることにした。 「悪いようにはしないし、いやだというなら、耀子ちゃんの好きなような生活体制にぼくから話を つけてあげるから、も少し、短気を静めて・ほくにまかしてくれよ」 政之は耀子の気持をいつのまにかなだめて、とにかく、気分転換のため、京都〈来た方がいいか

6. 妻と女の間〈下〉

「英子さんが大変だわ」 耀子は持ってきたゼラ = = ームの鉢を窓ぎわの、久夫の見えるところに置きにいった。 「あなたは、姉と、とても親しい方ですか ? 」 久夫は、身動きしないで、声だけで追ってきた。 「さあ、どうかしら。とてもというほどでもないけど : : : まだ : 「東京で、姉は、どうやっているかご存知ですか ? 」 「どういうこと ? それ」 耀子は、窓を背にして、久夫を見おろした。そこからだと繃帯の方の部分しか見えないので、 っそう久夫の表情がかくされてしまった。 「いや : : : 変なこと訊いてすみません」 久夫は質問をそれきりひ 0 こめてしま 0 た。耀子は、東京での英子の生活に、久夫がすでに疑問 を持 0 ているのだと察した。金の送り方、英子のみなり、病院での金の使い方、もし、久夫がちょ っと気のつく男なら、何かを感じない方がおかしいにきまっていた。 長居は出来ないと、耀子は窓ぎわをはなれた。 「お水もういいの ? 」 の し「ええ」 も「じゃ、あたし、帰るわ」 「もうすぐ帰ってくると思いますけど」 に 。でも好きよ、英子さんを」

7. 妻と女の間〈下〉

ろう。肩のあたりと、首筋に、色町の女にしかない色気がこの年になってもほのかに匂っている。 「へえ、とんとしらしまへなんだ」 「ほら、今、嬢ちゃんの手ひいて焼香してはるお人、あのお方だけどすわ。東京へお嫁にいてはる んどっせ」 「ほなら、今の長男さんは外腹たっか ? 」 「そういうことたす」 「今の奥さんも ? 」 「いや、ちがいます。あの奥さんと、そのお姉さん、あの、すっきりした東京の奥さんは、今日の 仏さんの姉さんのお子たちどす」 「ああ、思い出した。お登波さんいうて、えろう発展家のお嬢さんがいやはりましたなあ。ほなら、 あのお二人は、あの絵かきさんの ? 」 「そうどす」 ふたりは目を見合わせてうなずきあった。 弔問客の目にも、三人の喪服の女たちは目にしみるように美しかった。喪服が一番似合うのは、 何といっても年のせいで、安澄だった。日頃の地味な縞や、斬新な自分の染めの着物を身につけて いる時よりも、安澄の静かな表面に包みこんだ、内部のさまざまな心の屈折や、押えこんである炎 の赤さが、黒一色の着物の中から、ちろちろ燃えだすようで、不思議ななまめかしさが真珠色の靄 になって安澄を包みこんでいるように見える。 てえ ざんしん もや

8. 妻と女の間〈下〉

してたわ」 「あなたもアメリカ人の貿易会社にいるんですか ? 」 耀子はききかえしたが、すぐ気がついていった。 え、あたしはちがうの」 ういうふうに弟に説明してあるのだなと察した。 英子が東京での生活をそ 「つきそいさんは ? 」 耀子は話題をかえようと思った。 「だめだったんです」 「だめって ? 」 「・ほくが気にいらないんで、断わったんです」 耀子が笑った。 「何がおかしいんですか ? 」 「わがままなのね、あなた」 「そうかな」 久夫の片頬に、わずかな徴笑が浮かんだ。 「今、つきそいさんのわがままなんていってたら、ないわよ、とても」 「でも、不潔でだらしなくて」

9. 妻と女の間〈下〉

24120 年月 妻と女の間 ( 下 ) 昭和四十四年六月一一十五日第一刷 昭和四十四年六月三十日第二刷 定価四九〇円 著者瀬戸内晴美 発行者星野慶栄 印刷所図書印刷株式会社 製本所大口製本印刷株式会社 発行所毎日新聞社 東京都千代田区竹平町 0 一〇〇 大阪市北区堂島上 0 五三〇 北九州市小倉区紺屋町の八〇一一 名古屋市中村区堀内町の四五〇 ◎瀬戸内晴美一九六九〈検印省略〉

10. 妻と女の間〈下〉

「あなたは ? 」 「あたし、あなたのお姉さまの友だちょ。あなたをお見舞いに来たわけではないの。だって、あな たを知らないんですものね。英子さんのお見舞いに来たのよ、大変だろうから」 久夫は、また、まじまじ片目で耀子を見つづけている。顔が少ししか出ていない上、目もひとっ なので、久夫の表情はよくわからない。 「でも大変ね。災難ね。痛いの ? 」 「ええ、まあ」 「思ったよりは、よくしらべてもらったら、軽くすみそうですって ? 」 「ええ」 「あたし、話さないわ。だって痛そうだもの」 「いいんです」 久夫ははじめてはっきりした声でいった。 「退屈だから、何かしゃべっていて下さい」 「でも、あたしラジオじゃあるまいし、ひとりで喋れないわ」 「東京のお友だちですか ? 」 の い「ええ。どうして ? 」 も「聞いたことがなかったから」 風 「あなたたち、とても仲のいい姉弟なんですってね。英子さんがいってたわ。あなたをとても自慢 0 )