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検索対象: 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]
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1. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

昭和史大論争 進出に伴って、世界大に広がった。 ような世界大の帝国ネットワークをびイギリスとの正面戦争を回避する すなわち、現代につながるグロー 形成する前に国際的規範が変わり、 よう計算されていた。満洲の資源を ル化である。 ロム目元手に日本が総力戦体制構築を行う もはや領土を拡大することは坏可旨 第一次世界大戦は、世界大に広が となったからである。一方中国には、 には、それなりの月日が必要とされ った戦争という事実を通して多くのアメリカのような大陸国家としてのたからである。満洲事変の首謀者は、 人が初めてグロ 1 バル化を意識し、発展の可能性が残されているように新しい国際的規範を守るために欧米 その間題点を認識する契機となつ見えた。 諸国が中国の地で自らの血を流すこ た。それには二つの方向性があった。 苦渋の末に得た結論は、日米不戦とはないと予想していた。 一つは、既に触れたように総力戦をの決意をもって総力戦体制構築を断問題を複雑にしたのは、この予想 通じて「人類、としての一体感を獲念することであった。その具体的ながある程度正しかったことである。 得する視点である。そして、もう一形がワシントン海軍軍縮条約、ロンイギリスはアメリカと並び世界最大 つは総力戦の勝者となるための国力ドン海軍軍縮条約である。これこその海軍力を持っ世界帝国ではあった がいかにして蓄積されたのかというが最も合理的な選択であった。 が、自らのカの限界を認識しつつあ 視点である。その一つの形態は、イ った。日本の軍事侵略に抗して、イ 満洲事変と英米の反応 ギリスのような海軍力を背景とした ギリス帝国としては周辺的な利益で 世界大の帝国ネットワーク形成であ この合理的な選択に不満を募らある中国権益を、単独で防衛する決 つ」 0 せ、総力戦体制構築をめざした一部断はしにくかった。一方、アメリカ 日本軍部にとって、総力戦体制構の軍人が引き起こしたのが一九三一 には、中国における日本の新しい国 築は喫緊の課題と感じられたが、そ年の満洲事変であった。 際的規範への挑戦を封じ込めるため れはほとんど不可能なまでに困難な 満洲事変は第一次世界大戦後の新 に、自らの軍事力を用いる意思はな 課題であった。資源に乏しい後発帝しい国際的規範への明らかな挑戦でかった。その結果、国際連盟も有効 国主義国である日本が、イギリスのあったが、短期的にはアメリカおよに機能せず、満洲事変前の現状に復 ( 〇 ( 0

2. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

次世界大戦後にドルを基軸通貨とするために米国がつく みんな薄々気づいていましたが、タテマエとしては、政 ったプレトンウッズ体制や ( 国際通貨基金 ) の先治が経済を御すことになっていた。しかし、このドーズ 案から、経済的な秩序をつくること自体が「政治」にな 駆けでした。 りました。 そのことに当時すでに気づいていた日本人の政治工頃 がいました。蝦山政道 ( 一八九五ー一九八〇 ) です。彼は 第一次大戦則の国際関係が、政治家や外交官の華麗な る社交や秘密外交も含めた虚々実々の駆け引きによっ 一九二八 ( 昭和三 ) 年に出した『国際政治と国際行政』 という本のなかで、ドーズは「米国の金融資本主義の代て、織りなされていったとすれば、大戦後は、「国際協調」 理人」だと見抜いていました ( 「ドウズ委員会案の行政技と「自由貿易」の錦の御旗の下に「金融資本の代理人」 術的観察」 ) 。 にすぎない経済官僚が、お金の貸し借りで他国への影響 力や支配力を競い合う、血も情けもない世界になってい つまり、米国は「モンロー主義、を掲げて、ヨーロッ きました。米国が主導し、今も続く「グローバリゼーシ パには干渉せず、国際連盟にも参加しなかったけれども、 ョン」の始まりです。 お金でヨーロッパを支配する仕組みをドーズ案でつくり 一九二〇年代の日本は、「英米協を掲げて、 たかった、ということです。首相や大統領は代わっても、 戦お金の貸し借りは残りますから、それによってできた国「国際協調」と「自由貿易」を基調とする「ワシントン 体制」、つまり米国主導の「グローバリゼーション」に 和際関係はそう簡単にひっくり返せません。ドーズ案は、 米国がヨーロッパの霙銀行を支配しようとする仕組み懸命に適応しようとしていました。しかし、三〇年代に 解 題でした。英国が一九世紀に並した、金融資本によって入るや否や、満州事変を起こして、国際的な孤立の道を 歩んでしまった。それはなぜなのか。そのことを考える 世界を支配する方法を、国力で英国を凌ぐようになった には、日本が適応しようとしていた二〇年代の国際秩序 米国が第一次大戦後に受け継いだのです。 授 教 がどのようなものであったかを理解しなければならない そして、米国は経済が政治を優越する一一〇世紀の扉を マ 舛開けました。一九世紀の帝国主義の時代から、資本の論のではないか。そのような考えから、この問題を選びま カ した。 理が政治を動かし、経済力が戦争の勝敗を決することに、

3. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

日本も、まさにアヘン戦争の結果機感に基づいて書かれた。 福沢諭吉の「国体」論 当時の国工・丞尸工頃・攘夷論 日本近海に姿を現した米国による開 きんおう しかし、一九世紀において西洋が国要求に応じ、日米和親条約 ( 一八者は、日本を「金甌無欠・万国に比 アジアへと勢力を拡張した結果、五四年 ) を締結し、目まぐるしく動類なき国体」と称し、「万世一系の 皇統」の絶えざることを誇っていた。 「華」「天朝」たる清がその座にとどく国際情勢への対応を強いられた。 しかし福沢のみるところ、そのこと まることを許されなくなったのみな このような状況に至れば、唯我独 らず、日本版「華夷秩序」をも根本尊的な発想によって他国との往来を自体は必ずしも重要ではなかった。 から揺さぶった。既に清は、アヘン拒み、高圧的な対応に終始すること何故なら、西洋文明が圧倒的に存 在感を持ち、あるいは歴史的に中国 はできない。むしろ当面、西洋のハ 戦争後の南京条約 ( 一八四二年 ) に ード・ソフト両面の力が優れている文明の強い影響を被りかねなかった おいて、これまでの朝一目関係の延長 における管理貿易とは全く異なる論ことを認めつつ、しかも西洋が持ち日本にとって、何と言っても日本人 理による自由貿易港Ⅱ条約港の設置込む万国公法の下における諸国の平自身が日本という国家を成り立たせ を認めさせられた。さらにアロー号等という発想の中に生き残りの道が維持してきたこと ( 外国人に政治の 戦争では、西洋が求める対等外交にあることを見出しつつ、人々の思考主導権を奪われないこと ) こそ「国体」 の本質であり、その一点においては 清の守旧派が反発するあまり、英仏を伝統の狭い枠の中から解き放ち、 軍が北京に攻め込む惨事に見舞われ西洋と自国の長所を組み合わせて新足利氏などの「」であっても問 しい文明と社会を切り開くことの方題なかったからである。一身が独立 た。そこで結ばれた北京条約 ( 一八 ふき がである。これこそが、明治と不羈の個人となり、創意工夫を探求 六〇年 ) では、西洋との外交関係に いう時代を成り立たせた啓蒙の精神することによって、ひいては社会・ おいて最早「表という卑称を用い 国家が繁栄し、独立が保たれて「国 得なくなり、万国公法Ⅱ国際法のもであったといえよう。 とでの相互の対等を旨とする近代的福沢諭吉の代表作として知られる体」も続き、尊皇攘夷型旧が死守し 『文明論之概略』は、このような危ようとする天皇家の威光も輝くこと な国際関係を認めさせられた。 240

4. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

だが、永田のみるところ、このよう いた。したがって、外交的には国際協 よる技術革新をはからなければなら ないという。生産力増強・技術革新調の方向が志向されることとなる。 な軍備の機械化・高度化をはかるに だが、実際に戦争が予想される事 は、それらを開発、生産する高度な科の観点から、対外的な経済・技術交 学技術と工業生産力を必要とする。流、国際的な交易関係の推進が必要態となれば、国家総力戦遂行に必要 だとしているのである。 な物的資源の「自足」の体制を だが日本の工業生産力は欧米諸国と 比較すると、かなりの氏立にある。 だが他方、永田は、戦時への移行とることが必須となる。とりわけ不 たとえば、鋼材需要額で、アメリ プロセスにさいしては、資源の「自足原料資源の確保の方策をとらなけ 力は日本の三二・六倍、ドイツは一給自足」体制が並されねばならなればならない。これが永田のスタン いとの考えだった。国際分業を前提スだった。 六・七倍、イギリスは五・七倍だっ た。当時この鋼材需要額が工業生産とした資源輸入ではなく、資源自給しかも永田は、第一次世界大戦終 カ ( 工業化水準 ) 評価の一つの重要が必要とされる。とりわけ不足原料結後に次期大戦を防止する目的で創 な指標とみなされていた。 資源の確保が、資源の少ない日本に設された、国際連盟の戦争防止北 永田は、このような欧米列強とのおいては最も重要なことの一つと位 には懐疑的だった。また、敗戦国ド ィッは、ヴェルサイユ条約に強い不 深刻な工業生産力格差から、国家総置づけられていた。 そこから永田は、必要な響 ( 源に満をもっており、ヨーロッパでの紛 カ戦遂 ~ 箟北力において大きな問題が 山あると考えていた。したがって、エついて、国内に不足するものは何ら争再発は必至とみていた。 田 したがって次期世界大戦は不可避 かの方法で対外的に確保することが 業生産力の増強、科学技術の促進が 永 で、日本も好むと好まざるとにかか 必須であり、とりわけ機械工業の発緊要だという。 平時は、工業生産力の発達をはかわらず、必ずそれに巻き込まれると 達に努力すべきとしていた。 罠 そしてそれには、国際的な経済・ るため、・暑自足ではなく、国際分業判断していた。それゆえに、永田に の カ技術交流を強化し、工業生産力の増を前提に、欧米や近隣諸国との貿易とって国家総動員の準備と計画は絶 総 にや技術交流が必須だと永田は考えて対的な要請だった ( 「国防に関する欧 大、新しい科学技術の積極的導入 〇 )

5. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

一九ニ一年から一九三〇年までの時期を対象に、具 に入れた山東省の権益を中国に返還し、米国が日本の中 体的な国際的取り決めに触れながら、三〇〇字以内 国における特殊権益を承認した、石井Ⅱランシング協定 で説明せよ。句読点も字数に含めよ。 も破棄されます。 片山第一次大戦後に築かれた、いわゆる「ヴェルサ 第一次大戦後の米国は、再び内向きになって、「モン イユ日ワシントン体制」の形成における米国の役割を答 ロー主義」といわれる「孤立主義」に走り、外国に干渉 えさせる間題ですね。その体制を支えた「具体的な国際しなくなっていく、と言われますが、それはヨーロッパ 的取り決め」に触れながら、まず「政治的な国際秩序」 に干渉しなくなっただけです。米国にとって、アジア・ について述べていきましよう。 太平洋地域は、南米のように自らの影響力を及ぼし、勢 一九二一 ( 大正一〇 ) 年から翌年まで、米国大統領ハ カ圏に入れておきたい市場でした。その最終的な目的地 ーディングの呼びかけでアジア・太平洋地域に権益を持は今も変わらず、広大な市場である中国です。ワシント っ主要九カ国が集まって、ワシントン会議が開かれまし ン体制の基調をなす「国際協調 , 「自由貿易」は、世界一の た。九カ国とは、米国、英国、フランス、オランダ、べ経済大国となった米国が、アジア・太平洋地域を自らの ルギー、イタリア、ポルトガル、中華民国、日本です。 勢力圏に収めるのに有利にはたらくルール設定でした。 争 戦 この会議によって、太平洋地域に関しては日米英仏間 また、米国国務長官ケロッグとフランス外相プリアン で四カ国条約が、中国については、九カ国条約が結ばれが、一九二八 ( 昭和一一 l) 年に成立させたパリ不戦条約も外 ました。また、太平洋のパワーバランスをとりながら軍せませんね。これは国際紛争を解決する手段としての戦 解 題縮を進めるために、海軍軍備制限条約もされました。 争を放棄することを謳った条約で、米国のウイルソン大 四カ国条約は太平洋地域における領土・権益の相互尊統領が提唱した国際連盟とセットになっています。とも 重を定め、九カ国条約は中国の領土保全、門戸開放、機 に第一次大戦の惨禍を繰り返さないために、世界的な集 授 教会均等を約束しました。 団安全保障体制を築こうという理想から出てきました。 ャ タ 日本は四カ国条約によって、日英同盟を失いました。 次に「経済的な国際秩序」についてですが、私が決定 カ また、九カ国条約に基づく交渉で、第一次世界大戦で手的に重要だと考えるのは、一九二四 ( 大正一三 ) 年に決 〇 ) 〇 )

6. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

昭和史大論争 そうすれば、両国の世論を不必要解決済みかどうかの判断を避けっと経済の両面で死活問題だと認識さ に刺激することなく静かに処理できつ、「強制労働条約違反、という判れたと同時に、国民の不満はカでね たはずだ。日韓の外交当局間の意思断を示している。この問題への注目 じふせることができた。歴史認識間 疎通がうまくできなくなっている現をさらに集めることが日本にとって題で日本との関係を悪化させるよう 状が生んだ不要な対立だった。 とは思えないのである。 な余裕はなかったと言ってもいい。 それでも韓国に譲ること自体が許 ところが、前述した九〇年前後の 新しい韓国と向き合え せないという人がいるかもしれない 韓国内外の動きは、こうした制約を が、それほど簡単な話ではない。今 日本と韓国は今年、一九六五年の全て取り払うことになった。それま 回の件は国際的な注目を集めてしま国交正常化から五〇周年を迎えたで「敵」だった旧ソ連や中国、東欧 ったために、法的な議論とは別に が、歴史認識がずっと外交問題とし諸国とも自由に外交を繰り広げられ るようになり、経済力が強くなった 「日本は多くの朝鮮人を強制的に使て存在してきたわけではない。大き 役した」というイメージが対外発信な懸案として浮上するのは九〇年前 ことで政治的な発言権も強くなっ された。このマイナスは大きい 彳になってからだ。 た。韓国は今や、主要一一〇カ国・地 批判を浴びた日本政府は「法的な 背景にあるのは、冷戦終結と韓国域 (UR) の一員として日本と肩を 意味での強制労働ではない」と対外の経済成長、そして民主化 ( 八七年 ) だ。並べる存在になっている。 発信すると釈明したが、国際的には 六五年当時の韓国は、世界最貧国経済統計を見てみよう。六五年の 「言い逃れ」という印象を与えて終レベルの経済力しか持たない軍事独国内総生産 (UQæ) は、日本九一 わる可能性が大きい。 裁政権。東西冷戦の最前線で北三億ドルに対し韓国は三〇億ドル。 しかも、戦時中に日本企業で働か と軍事的に対峙する地政学的な条件三〇倍以上という圧倒的な差があっ された中国人や人などのケース故に、日米両国が経済・安保両面でた。これが咋年は日本四兆七七九五 を二〇〇三年に検討したの専支えねばならない弱小国だった。そ億ドル、韓国一兆二三八七億ドルで、 門家委員会は、条約で請求権問題をこでは日本との関係維持は安全保障差は四倍弱まで縮まった。日本の 236

7. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

ましたから、樋口の見立てはなかなかあなどれません。 ご存じのように、集団的自衛権行使の例として、政府 地理的な条件というのは、人間には変えることができ はホルムズ海峡での機雷の撤去への協力を挙げました。 ません。そして、時代が経っても変わらない。だから地しかし、今年、日本の国会で安保法制の是非が争われて 政学的発想は、時代を超えて、応用が利くのです。 いるときに、国際社会では何が起きていたか。米英ロ中 則の日本では、地政学がそれなりに学ばれていまし 仏独の六カ国とイランが十三年間ものマラソン交渉の結 た。しかし、陸軍の対象はシベリアや大陸支配に向けら果、核開発問題の合意に至ったのです。 れ、海洋戦略はほとんどありませんでした。だから、南 日本の国力からすれば、その六カ国に加われないこと 方に進出して、イギリスの権益を侵しても、アメリカは自体、外交の失敗だと思いますが、それは別としても、 出てこないだろうといった甘い見通しを捨てられなかっ そんなタイミングで日本では、ホルムズ海峡にイランが たのです。南方への進出を真剣に考えるなら、英米不可機雷を仕掛けることを想定した議論をしているのです。 分を前提に検討しなければいけなかった。 しかもオマーンとイランの伝統的な友好関係を考えて また地政学では、縄張りと地理が極端に異なっている みても、オマーンの領海内にイランが機雷を設置すると のは危険だと考えます。たとえば、メインランドから遠 いうのは、日本の海上自衛隊とフィリピン海軍が衝突す く離れた土地を自らの縄張りにしてしまうと、余計なエ る可能性と同じぐらいの確率でしよう。日本政府の地政 ネルギーが要るからです。今でいえば、アメリカが遠い 学レベルは、大正時代の空想小説ー こも及ばないとしか一一 = ロ 中東に兵を出したり、地理的に近いキューバと外交関係 いようがありません。 を持たなかったのは、地政学に反していた。そう考える と、いまアメリカが中東から事実上退き、キューバと関 地政学の目で中国を読む 係を正常化するのは、地政学に適った政策なのです。 ところが、今の日本は地政学的におかしなことばかり している。その代表的な例が、いま国会で審議されてい また現在、地政学の観点から世界を見たとき、要注意 る安保法制です。 なのは中国です。というのは霙アジアに、大きな変動 8

8. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

トニウムを保有しています。これは、 としての核という形よりは、核兵器る権利を認めていることです。主権 が戦後世界において果たしてきた役国家は、自ら同意して条約に参加し非核保有国として本来は認められな いものなのですが、体制の 割を普遍的に考えるということを試て義務を引き受けるわけですから、 みたいと思います。 脱退できることは当然なのですが、下で厳密に管理され、例外的に許容 わざわざ明記されているところに意されているのです。 核不拡散体制と核廃絶の夢 味があります。核不拡散体制の不平戦後の国際社会には、核軍縮や核 核保有国がどんどん増えていくと等性は当時から強く意識されてお管理といった核兵器の存在を前提と いうのは、一国の安全保障にはプラ り、日本を含む締約国は自国の安全した仕組みの他に、終局的には核の スに働くことはあっても、国際社会が危機に瀕する場合には脱退し、核ない世界を目指す核廃絶に向けた動 全体としては悩ましいことでした。 開発を行う権利を留保したわけできも存在しました。核兵器の開発に 関わった科工名が主導したバグウォ そこで、構築されたのが核兵器の拡す。 ッシュ会議が代表的です。日本国内 散防止と既存核保有国の既得権保護戦後国際社会における核管理のい を絶妙にミックスした核不拡散体制 まひとつの柱が、原子力の平和利用でもその時々の政治状況を反映しな です。核不拡散条約 (zæe) は、 を目的に設立された国際原子力機関がら、原水爆禁止日本協議会 ( 原水 です。によって協 ) や原水爆禁止日本国民会議 ( 原 点一九六七年時点の核保有国であった 水禁 ) などが運動を展開しました。 の米ソ英仏中の五カ国に「誠実に核軍定められた詳細な行動規定によっ て、核に関する技術や原料の管理、それらが、現実の権力政治の中でど 縮交渉を行う」義務を課すとともに、 それ以外の加盟国の核兵器保有を禁原子力発電のあり方などが包括的にれほど意味があったかについては諸 キ ガじています。 定められています。東日本大震災と説あるところですが、核をめぐる倫 ナ 理性を積み上げる上では一定の意味 興味深いのは、核不拡散条約が締前後して日本でも話題となりました マ シ があったと思います。 約国に対して「自国の至高の利益がが、日本は原子力発電と核燃料サイ 核廃絶に向けた動きが再び脚光を 危うい場合」には、条約から脱退すクルの仕組みを通じて、大量のプル 215

9. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

要するに則の日本は、外交秩序 そして日本は中題をめぐって英体明澄Ⅱ明徴」の名のもと、自らこ 米とも懸隔を生じ、第一次大戦後にそが天皇の真意を体現した政治を行と文明観の両面において、中国的な い得ると称して価値観を独占した「神政府」の発想Ⅱ価値の独占を否 固めた国際的立場を自ら狭めた。 定しようとして、その実いつの間に 蒋介石・国民党は確かに独裁的で ( 柴田紳一「天皇機関説事件」 ) 。 あったが、 その結果、七十年前の日本は国家か、自らの成功物語に基づく新たな 将来設計として中国の立 滅亡の淵に陥り、の支配する「天下」志向、明治体制に組み込ま 憲政治確立 ( 民権主義 ) を掲げてい た ( 最終的には台湾の民主化として結ところとなり、福沢諭吉が何よりもれた価値の独占志向Ⅱ日本国体論に 実する ) 。そのような国民党の体力重視した国体↑日本人が日本の政治とらわれ、かっての中国文明と全く が日中戦争で削がれ、代わりに台頭を執りおこなうこと ) を一時失ってし同じ陥穽に陥ったものと考える。戦 後の日本の平和で自由な国家として した毛沢東の酷政のもと中国は未曾まった。 の歩みが、そのような「内なる中国」 敗戦という未曾有の危機にあたっ 有の大混乱に陥った。 今日の中共も依然として「党の指て、統治権を総攬するとされた昭和を自省して距離を置くものであった とじたい。 導」という名の価値独占を図り、権天皇が透徹した理性の持ち主であっ そして今改めて中国が台頭し、旧 力の恣意に対する歯止めを欠いた中たからこそ、日本は完全なる滅亡を い中国文明の自己中心的な発想その 国社会では矛盾が山積している。私免れて再生するきっかけを得られた。 え しかし、もし昭和天皇の人格がそのままに「中国夢」を展開してアジア 見では、これはある意味で、日本が ようなものでなければ、日本はどう太平洋地域を攪乱しつつある中、日 中国に及ぼした一大災厄であろう。 中 なっていたのか。最後に天皇という本が引きつづき、自由で開かれた国 いっぽう日本では、国際環境の悪 納化や世界恐慌の影響の中、一部の軍人格に頼らざるを得なかったこと自際社会の担い手として多くの国々か 人が「君側の奸、を取り除くと称し体、国家としては失敗である。それら尊敬を受けて存続・繁栄するため 脱 て、穏健かっ立憲主義的な内政・外は一歩間違えれば、天皇という象徴にも、我々は「内なる中国」と闘わ 新 なければならないのである。 交に努めていた人々を排除し、「国的存在自体を棄損しかねなかった。 245

10. 文藝春秋SPECIAL 2015年秋号 [雑誌]

さを国際社会に訴え、彼らを議論へ 妥協すれば良い、という事を意味しその影響は甚大である。 問題は古い条約体制を破棄し、拙と誘って行く事である。その為には ない。一九六五年の日韓基本条約が、 そのに至るまでに実に一四年も速に新しい体制を模索する事では解例えば世界の影響力ある国際法工頃 ーー彼らは潜在的な国際裁判の裁判 の月日を費やした事を考えれば、一決しない。韓国側のみならず日本側 旦この日韓基本条約とその付属協定の日韓関係に関わる認識も流動性を官候補者でもあるーーーを集めて いたずら に支えられた体制が全面的に崩壊し増す今日において、徒に事を急いでする場を提供するのも一案だろう。 た時、これに代わる体制を直ちに打も再び外交的約束の崩壊とさらなる変化する国際青勢の中、嘗ての宗主 国と旧植民地の間で結ばれた条約 失望がもたらされるだけだからだ。 ち立てる事が困難な事は明らかだ。 は、変化する国際社会と同じく変化 逆説的に見えるかもしれないが、 日韓基本条約に立ち戻れ だからこそ今、大事なのは、現在のする人権意識の中で、どのように解 釈され、運用されていくべきなのか。 だからこそ重要なのは、このよう日韓基本条約に支えられた体制をも そして、その中で日本は自らの見 う一度捉え直し、その意味を日韓以 な状況を如何にして大きな破綻な く、スムーズに乗り切る事ができる外の国際社会をも「交えて」議論し解を冷静に述べて行けば良い。慰安 婦問題が古い先進国と途上国の関係 9 のかだろう。戦後処理に関わる間題ていく事である。 とはいえ、それは現在の日韓両国の最前線である以上、その重要性を 仇は日韓の間にのみ存在する訳ではな が行っているように、自らの見解を理解させる事は簡単な筈、だからで 火く、その後には中国をはじめとする 多くのアジア諸国が控えている。韓徒に他国にぶつけ、宣伝戦を展開すある。冷戦下、七〇年代に作られた 冷国から始まった慰安婦問題が、そのる事ではない。稚拙な宣伝戦は、結体制が今や中国やインド、そし て韓国をも包む体制に取って代 後「親日的」な台湾を含むアジア諸果として、国際社会をうんざりさせ、 題 国から更に、オランダを含む西洋諸彼らをして日韓両国間の懸案から距わられたような大きな国際的秩序の 変化の中で、慰安婦問題もまた動い 安国まで拡大していった事に代表され離を取らせる効果しか持たない。 慰 重要なのは、問題の重要性と大きているのである。 るように、一旦問題の処理を誤れば、