こういうふうな意味で書いていた。 「かの子が派手な人があっけにとられるようなきものを着ていても、自分はこれが似合うんだから着 るといったような自信でそれを着ていると、不思議に美しく見えた」 また、かの子自身は、 「うちには娘がいないのて / / を : 。、。、よ私に娘のような服装をさせたがるのよ」 一平の好みに応ずるように自分を着かざったのだといっている。 一平はそのことを人から聞き、 「かの子は、そう誰にもいって、私の好みに応ずる服装をして外出し、人にも憚らず示すと私は人か ら聞き、どんなに心が賑かにされたか」 と述懐している。こうなればもう、宮本百合子が、 「かの子さんのあのきものや化粧の無感覚なこと、あんな感覚から小説が生まれる筈がないわ」 という常識的な非難など、吹きとばされてしまうのである。 かの子とよく似ていて、生前はよく人にまちがえられたという歌劇のプリマドンナ三浦環もまた、 いつでも人から後指さされるような赤い派手なきものを平気で着て歩いていた。 彼女は五十歳の時、二十一歳の青年を見そめて、その人を自分の恋人として同棲させ、死水をとら せたという情熱家だったが、その恋人が、ある日、環のあまりの趣味の悪さにへきえきして、も少し 趣味のいい服装をしてくれといった。環は、その答えのかわりに、若い恋人をつれて銀座に行き、恋 人のためにその場で五十本ネクタイを買った。どれもみな、選び抜かれて申し分のない趣味のいいも 寺央公民館
うもないという。手筋のいい若者は早くから目をかけ、特別に指導しているそうだ。 話がふと、岡本一平氏の父、書道家哥亭に及ぶと、 「ああ、京橋の哥亭さんの御宅へは始終使いにやらされました。りつばな方でしたよ。もちろん、う ちの筆をずっと使ってくれてました」 となっかしそうな和いだ目になった。やはり明治の人である。 たいこもら 幇間 三年あまり前から、どうしても一度、幇間というものに逢いたいと思っていた。岡本かの子の生涯 と文学をしらべはじめたからであった。かの子は晩年の長篇「女体開顕」の中にも「生々流転 , の中 にも、主要な人物の一人を幇間にしたてている。一人は少年幇間で、一人は名人といわれる幇間であ る。かの子独特の妖気の漂う情熱的な筆致で、幇間の芸の躾や、心意気を書きこんでいた。それらは すべて、夫の岡本一平の趣味嗜好の影響をうけたものらしい。かの子の小説によれば、元禄の其角、 英一蝶等も、俳人や画人であると共に幇間であったという。 たいこもちみたいな奴というのは、人をさげすむ時の表現に使われている。普通の人より、一段下 の人間のようにいわれるそういう職業が、一方では、芸人の粋の極のように、一平やかの子のような 見方をするむきもあるのが不思議で面白くて、私の好奇心をさそっていた。 逢いたい逢いたいと思い乍ら、そういう希いをすぐ適えてくれる粋な知人も持たず、日本の色街の 遊びは、やたらにお金ばかりかかって、手続きが面倒で、私のような女ひとりが気軽に遊べるという
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり という岡本かの子の歌がある。 人といわずこの世に生きているすべてのものは、歳月と共に育ち、華咲き、やがて自然に凋落して ゆく運命に定められていて、それが自然というものであり、この世の秩序というものの根本となって しるようだ。 けれども、年をとっても、標準通りに老い、枯れてゆかない生命というものも、稀にはあって、花 にも突然の狂い咲きや、返り花があるように、人間にも、年齢に伴わない若さを持ちつづけたり、あ る時突然、五歳も十歳も若返ってしまったりする人がある。 男にも女にもそういう現象は時折り見かけるけれど、それが女にあらわれた時の方が、何だか華や ぎも哀れも共に深く感じられるのはどうしてだろう。 かの子は、すべてが晩成型で、小説も五十近くになってようやく噴火山が爆発するような勢いで書 きはじめた。恋する力もまた、死ぬまぎわまで、心にも肉体にもみちあふれていた人であった。 かびの華 いのら
ていった。リ 男のいい方をすれば私が追いやったともいえよう。 私はせいせいした孤独の中で、自分をいたわり励ますため、心をふるいたたせて、似合わないもの にいどむ遊びをはじめたのである。 その頃、ふと気がつくと、鯨岡さんが、もうすっかりきものをやめ、長い美しかった束髪をちりち りの頭にちちらし、ぎよっとするようなサイケな洋服を着て、どこへでも出るようになっているのに 気がついた。 仕事も放送局をやめ、御自分で服飾の仕事をされているらしい。人に使われる身から、人を使う身 になった鯨岡さんは、やはり自分をふるいたたせ、慰める必要があるのだろうと察しられた。 昔の鯨岡さんを識っている者にとっては、昔のきもの姿の方がはるかに美しいと思ってなっかしま れる。どうして今、あんな、人の目をそばだたせるようなみなりをするのか、といぶかしく思うだろ けれども私は、鯨岡さんの「きもの」や「ふくーに対する考え方の中に、鯨岡さんの衣裳哲学が感 じられて愉しいのである。 きものは自分が着るのであって、人 O とか、礼節とかいうが、そんなものはどうだっていい。 のために着るのではない。見てもらうために着るのではなくて、着たいから着るのである。もうひと 私 つ、自分の愛する男のために着るのである。 AJ の 彼女はいつでも人がぎよっとするような厚化粧 岡本かの子の趣味が悪いというのは定評であった。 , a をして、人があっけにとられるような派手なきものを着た。しかし、そのかの子を平林たい子さんが
そのかの子が、時には自分の若さや、永遠の童女性を誇りに思 0 たこともあろうけれど、やはり、 こういう歌をのこしているところをみると、その執拗な自分の若さが重荷にも鬱陶しくもな 0 た日が あったのだろう。 女は誰でも、年より若くみられたがるし、若いといわれることは決して不愉快ではないようだ。 美人といわれなくても、いつまでも若いといわれる人はあ 0 て、年より若いといわれるのは、大む ね美人ではない人に多いのも面白い現象だと思う。 美しく生れついた人は、物心ついた時から女として、周囲から賞讃のことばを投げられつけている ので、心が平板になり、練られることが少なく、素直さが若さを輝かせる時がすぎてしまうと、突然 色も香も急激にあせはててしまうのではないだろうか。 美しく生れつかなかった女は、小さい時から、大小無数の = ン。フレックスの手傷を負うため、それ がかえって心や神経を感じ易く鋭敏にとぎすまし、自分の欠点をおぎなおうと無意識の努力をするた め、心が練られ、いつのまにか、深みや翳の多い魅力的な人間になっていることがある。 神様というものは公平なもので、自分の手かげんで、理想に遠い美しさのものをつく「た時には、 それだけ、別のところでおぎないをつけてくれているようにも思う。 若さの泉の源には、衰えない好奇心と、新鮮な愕く心があふれている。好奇心も愕きも、子供の時 いつまでもそれがあふれている人間は、どこか子供っぽく、大人気ない頼 ほどみずみずしいもので、 華 びりない感じを抱かせるものである。 ひとところ 私は、こんな童女型の、いつまでたっても一所育ちきらないところを残しているような、危なっか しい感じのする女のひとに惹かれる。そのせいか、気がついてみると、私のまわりには何人かそうい
「そうでございますね。やはり何が難しいと申しましても、お客さまが、何という御仕事の方か、何 に興味をお持ちになってわたくしどもをお招き下さったかということを、お目にかかったとたん、見 抜くということでございましようね と、幇間の第一心得を話してくれることばづかいは、堅気な大店の大番頭さんのような律義な感じ こちらが声をかけ、自分で手に触れないかぎり、箸にも で、およそ軽佻な浮き浮きしたものはない。 盃にも手を出さない行儀は、お茶の作法と同じで、そういうことの次第になおざりになっている今の 時代では、かえってはっとさせられる。頼みもしないのにおしつけがましく持ってくるが早いか、自 分でいただきまあすといって、ばくついたり、ぐいぐいのみあける今時の、躾のない ( それが今流の 躾かもしれないが ) ホステスさんなどに見てもらいたい。本当の幇間というものは、やたらに、妙な 手つきや身ぶりで、奇声をあげてふざけちらすお道化ではなく、客と物しずかに普通の声で普通の話 をし、一向に飽きさせないのだという、かの子の小説の幇間説にうなずかれるのである。 それでも、話の間に、「こういう型でおいらんたちが」と、ちょっと身をひねって、首をかしげて をしカつい半平さんの躯にたちまちふわっと色気がただよい、おいらんになるし、「踊りの みせれ・よ、、、 最後に、次第に仁王さまになるのは、わたしどものような柄の大きいものの芸と自然に決ってしまい まして」などという時は、半平さんの黒い大きい顔が、仁王さまになっていって目をむいているので あゑ手ぬぐい一本と扇子だけしか道具は許されず、それで川も山も花も嵐も表現してしまうという 間たいこもちの芸の難しさは、そうした身ぶりや声音の中に、ちゃんとにじみでているのである。 昔の幇間は、御大家の旦那が放蕩の末財産をつかいはたし身をもちくずして、なったという人が多 かったそうだ。半平さんは、吉原で生れ、吉原で育ち、吉原に生きる、例のないきっ粋の吉原幇間で
乃 1 幇間 システムはないため、その「お座敷」から呼ばなければ逢えない幇間に、私はとうとうこれまで逢い そびれてきた。 日」の女将さんのなくな 0 た御主人が、有名な新橋の喜兵衛さんと ふとしたことから、築地の「前 , いう名幇間だということで、女将さんの肝煎りで、吉原の幇間富本半平さんに逢うことが出来た。 幇間に対する知識といえば、かの子の小説と、故桜川忠七さんの「たいこもち」という本しか読ん でいない私にも、忠七さんの本のおかげで、富本半平さんの人となりの一端は知 0 ていた。 ある時、忠七さんがそのころ夢中にな 0 ていたいろ女を買 0 て、し 0 。ほり愉しんでいるところ〈、 しきりに貰いがかか 0 てくる。それはうるさく執拗で、どう断 0 てもきかない。忠七さんは嫉きもち と口惜しさから、い 0 たいどこのどいつがそんなに執心なんだときいたら、吉原の半平さんですとい う。忠七さん、か 0 と逆上して、半平さんの座敷〈どなりこんでい 0 た。「よくもおれのいろと知 0 、 : こしやがる」という忠七さんの凄い剣幕を半平さんはまあまあと押し ていて、厚かましくちょっ力しナ 止め、 「あたしが何で、兄さんのいろと知 0 てる人に変な心を出すものか。実はちょ 0 と思わぬ収入りがあ 0 たので、ロはば 0 たいけれどねえさんに少し・でも花をつけたら、お小遣いの一部になろうかという 気持でしたことだ、兄さんが来ていると知 0 たら、そんなにうるさくいわなか 0 たのに」 と弁解した。忠七さんは嫉きもちも一時にさめ、この年下の仲間の厚情にたちまちほろりとしてし まった。そんな挿話が、「たいこもち」の中に出ている半平さんである。 前川の座敷には、もう半平さんが先にきて待 0 ていてくれた。紺と白の縞の着物に黒紋付の羽織、 白足袋で手に扇子という粋ないでたちは、芸人以外の何でもないけれど、その容姿は、偉丈夫という
木口にはツゲ、ツバキ、サクラがっかわれる。 この版木をけずるという仕事がやはり修行のつん 板面は薄紙一重ほどの凹凸があってもいけない。 だ者でないと出来ない。 「堅すぎても、柔かすぎても彫りにくくてね、今はこれをけずる板屋さんもなくな 0 て、東京にた 0 た一人しかいませんよ。その人の息子さんが一人修行中だけれど、おやじさんのようになるにはまだ ね [ 彫刀 ( またはきりだし ) は、こますき ( 丸刀 ) 、あいすき ( 平刀 ) 、三角刀の四種の基本刀を使いわける。 顔や驅つきはきやしゃなのに、前田さんの掌は、が 0 ちりと堅い肉がもりあがり、先のまるい、筋の ・、、まとんどの指にもり上っている。 高い短い指は、力強い。右手の指には彫刀を使うため刀だこカ ~ 胴彫は彫刀が使いこなせるようになれば出来るが、頭はなかなか彫らせてもらえない。頭彫が出来 れば一人前だ。前田さんは二十五歳の時、はじめて親方に、 「頭を彫ってみな」 といわれた。職人として何が嬉しいとい「て、技をほめられることくらい嬉しいことはない。前田 師 さんは親方から筋がいいとほめられる時が一番嬉しか 0 た。手間賃は安いけれど、その給料を全部家 、よ、。けれどもこの仲間の人は、職人は宵ごしの銭は 師に入れれば親子四人くらいの暮しにはことかカオし のもたねえという旧い意地みたいなものを持っ集りなのだからみんな、呑む、打つ、買うで使いはたし 世てしまう。前田さんの親方の家でも、その日たくお米がない時など始終あ 0 た。 前田さんには男の子がない。頼まれて親方の息子さんをしこんで、一人前の彫師にしたてあげた。 「じぶんにもし男の子があ 0 てもこの道は私一代にしておきたいね。理由ですか、これだけの努力と
「竹がお好きなんですねー ひとにいわれて、あらと、じぶんをふりかえってみた。その時、私は、雪の盛岡にまねかれてい た。まねいてくれたひとの親しい夫人たちばかりの集りの中にすわっていたのだ。グレーの地色に朱 びんがた でぬいた紅型調の一越のきものの模様は竹で、ほんのわずか若草色と黒と白が、朱の竹の葉のまわり にあしらわれている。羽織は紫綸子に白い鹿の子しぼりで、やはり模様は竹だった。 「ひるまのテレビの時の訪問着も竹だったでしよう ほかの夫人も口を添えた。その日、私は、町のテレビに出たのだけれど、いわれてみれば、それも 越後の紬に黄土色の竹が一面に染められたもので、肩と裾に、切りばめ模様のように見せかけた鹿の も子が染めてある訪問着だったのに気づいた。 の「そういわれてみれば、ほんとに竹ばかりですね」 梅 私は、われながらおかしくなって笑いだした。ちょうど松の内だったので無意識に竹を選んだせい もあったのかもしれないが、私のきものの中では、数えるほどしかない、改まったきものとなると、 梅のきもの
は、ゆかたの下にはやめたいものだ。くつきりと、。 ( ンティの色がゆかたに映ってぎよっとさせられ る。 べンベルグの裾よけが、ちょっと考えると暑そうで、かえってすっきりする。もちろんこの場合も 白にかぎる 湯上りに家でゆかたをきるならば、少々軅がすけてもいいという気持で、いっそ思いきって、素肌 にゆかたをまとった方がいい。糊さえ、ビンとつけておけば、驅の線は、かくされて、いやらしくは ゆかたが涼しいのは、驅にびったりくつつかないし、風が入るからだということを忘れてはならな 男のゆかたというものを、どうして業者はもっと気をつかってつくらないのだろうか。 1 トなどで、何の個性もない、べタベタした模様の紺やら火色やら茶色などの人りまじった男 のゆかたが、山のように並んでいるのをみると情けなくなってしまう。 男のゆかたこそ、思いきって大柄な大胆なものをきせたいものだ 0 それにしてもゆかたの似合う男がしだいにいなくなっていく。ウエストが細く胴が短く脚の長い 今時のカッコイイ男の子たちは外人がゆかたをきたみたいに味気なく、粋な男のゆかたの味は出して もらえない。・ゆかたをきた男が無意識にちょっと肩先へ袖をひきあげてみせる時など、はっとするほ ど色気の匂うものだったけれど。