色 - みる会図書館


検索対象: 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死
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1. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

にびいろ 喪に昔は黒を使わず、鈍色を使っていたというのも、昔の方が黒という色の本質を見ぬいていたよ うに思われる。黒ほど派手な色はないと私には思える。 カトリックの司祭のミサの色が華麗なように、仏教の僧侶たちの法衣の色が思いきって鮮やかな黄 や紫なのは有難い。死者の霊と交感する時、陰気な色彩にとり囲まれて行うより、華やかな気のひき たっ色彩の方が気分も安らぐというものだ。 人は自分では気づかず、生れたその時から死ぬまで、いや死んで後までも、あらゆる色と接触し、 あらゆる色にとりかこまれていくものらしい。生れた時から身につけた衣類の端切れをアルバムには っている人も知っているが、ア化ハムにはりきれないおびただしい色が必ず残されている。 都会の商店街のウインドウと、田舎町のそれとが、何となくちがうのは、そこにある色のかもしだ す ( ーモニーのちがいであるように思う。感覚が洗練されるというのも、色調に敏感になり、色の調 和に格調の高さを需めるようになることであろう。 最近、私は吉岡常雄教授の再現された天平や平安の色を染めたものを見せてもらった。 一枚一枚、私の前でその色布がめくられる度、私はうめき声に似たものを発していた。こんな美し いものを最近見たことがあっただろうかと感動した。それはもう、宝石の輝きであり、虹の色であっ た。私にはそれらの色の中から、さまざまな音が聞えてきた。色のかなでる音楽はまた、色の語る詩 でもあった。 本われわれの祖先の親たちは、決してくすんだ色や、いじけた色を身にまとってはいなかったことを 日 改めてしらされた。その色を見ていると、文字だけで思い描いていた王朝の美女たちの服装がすべて 現実の色となって目の前に浮んできた。私はその色の襲や匂いの無限の組合せを自分でつくりだし、

2. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

陶然となった。物語の美女のひとりひとりに自分で選んだ色調の着物を着せてみた。文化が進むとい うことの空しさも思い知らされた。化学染料では出ない微妙な色調と光が、そこにはあった。私はあ らためて、空を仰ぎ、空が青いということに不思議を抱いた。疑ってみたこともなかった空の青さ や、朝焼けタ焼けの美しさも、もっと目にも心にも沁みて味っていい色だったと気づかされた。 五月の緑も、十一月の紅葉も、各季節の花々の色も、すべてせいいつばいのいのちを燃やして、そ の色を最大限に主張しているのだと気づかされた。薔薇は、薔薇の色に、野菊は野菊の色に、約束通 りの色に咲いて、自然は人を裏切らない。 私たちはもっと、美しい自然にめぐまれた日本の色を見つめ直してその色を劣えさせる環境悪を排 撃し、天然の色を守り抜かなくてはならないように思う。 祖先が発見した色の伝統を守り、子孫に伝える義務もあるように思う。新しいものも美しい。しか し、幾千年の歴史にも減びない生命の長い美は更に尊い。歴史の中からよみがえった永遠の色にめぐ りあえたことは、近頃思いがけない大きな喜びであった。 伝統の色昭和四十八年三月刊

3. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

な色の使い方で、どんなにかそのあたりに人の目をひきつけただろう。オリンビックの入場式に、各 国の選手たちが揃いのコニフォームで行進する時のような色の効果を、もうこの時代から駆使してい たことが知られる。 押出しということばも使われていて、これは、おしいで、おしいだしといい、打出に比べると、押 出しは袖だけを出すことに使い、褄も出す打出とは区別している。 増鏡、花の波には、貞子九十の御賀の時、 「御かたがたの女房色々のきぬ、昨日には引きかへてめづらしき袖口を思ひ思ひに押し出でたり。紫 のにほひ、山吹、あをにび、かうじ ( 柑子色のこと ) 、紅梅、さくら萌黄などは、女院の御あかれ、内 の御方は、内侍典侍よりしも、みな松がさね、しろごうし、裏山吹、院の御方、えびそめにしろす ぢ、かば桜のあをすち、東宮の女房上紫格子、柳など、さまざまに目もあやなるきよらをつくされた り。おなじ文も色もまじらず、心々に変りていみじうそ侍りける」 しいが、同じ色も模様もなくて、それそれ、思い思いの色や模様を押出 とある。揃いで居並ぶのも、 した豪華さをここでは歌っている。 つまりこの時代は、色は単色でみるものではなく、襲の配合で見ようとした。襲の色は、季節によ っても定まり、慶弔によっても決められ、当人の嗜好によっても創造された。その色目で趣味、教 養、容貌まで判断されるのだから、当時の人が色に神経質になるのも当然であっただろう。 これだけ心と金をかけた衣裳は女の財産であって、禁中や、貴族の邸で禄としてさずけるにも衣裳 を用いた。中世に入って、「とはずがたり」では、作者一一条が、初恋の恋人雪の曙から、事ある毎 に、衣裳を贈られ、それで宮中の女房としての立場を維持していることが繰りかえし描かれている。 かさね

4. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

を愉しむようにもなっている。しかし日本人が、わびとか、さびとかを好んで、華麗で鮮烈な色彩を 嫌ったというような意見はまちがっているのではないだろうか。 江戸時代、町人の妻女たちが、地味な渋い色目の着物をつけた時でも、緋鹿の子の帯や黄八丈の着 物を町娘は好んで身につけていたし、下着には赤をふんだんに用いてもいた。着物の表は地味にして もみ も、裏は紅絹をつけ、袖のふりに、どきっとするような色気をみせたのは、大正時代から、昭和のは じめまでもそうだった。 もちろん大奥や武家の上流の家庭では、平安朝に劣らない華やかな衣裳が使用されていたことは、 博物館に残っているその当時の衣裳を見てもしのばれる。 戦争中だけは、「贅沢は敵だ」という妙な標語がまかり通って、着物の長い袂を切らせたり、美し い色目のものはすべて簟笥にしまいこみ、着て出られないような風潮になった。 戦争の長い間、丁度娘時代を迎えた私は、衣料キップで着物を買うようなことを経験したが、着物 の袖を切ったり、黒っぽい着物を着たところで負ける戦争に勝てる道理はないのである。 色は、文化のしるしだと思う。その国の民度の高さも使用する色を見ればある程度はかられるので ないかと思う。原色の毒々しい色しか好まない人種と、複雑な微妙な色のわかる人種とでは、おの ずから教養のちがいがわかるというものだ。 精神薄弱児の好む色とか、狂人の好む色とかもあるという。正常な人間でも、心の沈んだ日と、昻 揚した日とでは、選ぶ色がちがうようだ。私は気分のひきたたない日にかぎって、派手な、明るい着 物を身につけ、顔に近いところに赤い色を持ってくるようにしている。するといつのまにか、気分が ひきたってきて意欲的になるからだ。

5. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

子供は人に教えられなくても、鳳仙花の花びらで爪を染めることを覚える。自然の中にちらばって いる美しい色を抽出し、布や紙や皮に染め、あるいは自分の肌に刺し、人は自然の色を自分の肌にま とって暮らそうとしはじめる。その欲望が、日本人は世界の人種の中でもひときわ強く生れついてい るのではないだろうかと思う。 正倉院に残された美しい組み紐や衣服の端裂を見ても、すでに七世紀の昔から、日本人が如何に洗 練された色彩感覚を持ち、色を日常の暮しの中にとりいれて、豊かな趣味生活を営んでいたかがうか がわれる。 紫根、茜、紅花、くちなし、藍、たで藍、きはだなどがすでに縦横に染料として用いられ、その組 みあわせで複雑な新しい色も生みだしていたらしい 文化がいっそう爛熟してくる十世紀の平安時代に入ると、貴族は目もくらむような色を日常生活の 中に氾濫させて暮しはじめた。 わが王朝時代の文学ほど、人物の衣服や調度の色について委しく描写したものは世界にも比類がな 宮廷の高貴の女たちはほとんど男に顔を見せなかったから、着ているもので、その人の趣味や後見 者の財力をはかったものだろう。源氏物語に、正月の晴着を源氏が恋人たちに選んで用意するところ 本があるが、その時、共に選んでいた正妻の紫の上が、源氏の選ぶ衣裳の色から、女たちの風貌や人柄 日 を想像するところがある。 すおう 織物の地色には、紅、青、蘇芳、萌黄、桜、紫、白、一一藍、葡萄などがあったが、染物となると、 ふたあい

6. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

羽られて、白が、紫の中でいっそう白さを輝やかせている。私はその裾まわしに思いきってはなやいだ 若草色をつけた。呉服屋は小首をかしげた。 「紫の濃淡になさいましたほうが無難じゃあー 「ちょっといたずらしたいのよ」 私は笑ってとりあわなかった。そんな古風な、まるで歌舞伎の中の町女房が着るような色や柄がじ ぶんに似合うとは思っていなかった。けれども、その紫と、白のとりあわせと、梅の花の集りをみた 時、どうしてもそのきものがほしくなったのだ。着る勇気も出ないかもしれないきものなら、私は思 いきった遊びを盛りこみたかった。歌舞伎の舞台でよく見うける目にしみるような、あざやかな若草 色を紫にあわせてみたかった。仕立て上がったきものは、薄みどりの袖ロや裾のふきが、どきっとす るほどなまめかしく、やつばり、着るのにちょっと勇気がいりそうだった。 私は若い男と会う雨の夜、コートの下にそのきものを着こんでいった。 きものってあったかいものだといった男は、アイハランスな裾まわしの色にふるさとの川原の土手 の若草の色を思いだすといった。袖口から、その色をつまみだして、春の色だと匂いをかぐように目 をとじた。 その後、私は織りのきものは染めの縮緬のようには、女の体温を吸いこまないことも、相手から教 えられていた。 ささやかな働きの中から、あれこれと思い迷いながら、一枚ずつ、ふえていったきものは、私にと ってはみんなじぶんの髪か爪のようになっかしいし、いとしい けれども、女のきものに対する愛着や愛執の思いは、結局そのきものを着た時の思い出にからまっ

7. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

日本人ほど色彩感覚に鋭敏な人種は少ないのではないだろうか。世界の文学を見廻してみても日本 の文学ほど四季の自然の色彩の美しさを描写し、人物の着物の色や模様を神経質に書きこんでいるも のはない。 日本人がことほど左様に自然を愛する心が強いのか、日本の自然が変化に富み、風景が繊細な美に とにか 2 、日 めぐまれ、四季の自然の色彩の移り変りが玄妙で、人の目や心を捕えるのかわからない。 本人は自然界のあらゆる色を自分の生活に取りいれる智慧を持っていたようである。はじめに人は着 る物を染めることを思いついた時、植物を使っただろうか、鉱物を使っただろうか。おそらく、春の 青草に恋人を抱き、立ち上った時、背や腰にしみた草の色から、衣服に色を染めることを覚えたかも しれないし、ふと口にした花びらに白い歯を染めた可愛いい恋人の唇をみて、研究心の強い若者は、 花から色を盗むことを発見したかもしれない。光る貝殻の内側の怪しい美しさを見つめているうち、 それを粉にして布にこすりつけて色をつける方法を編みだしたかもしれない。みどりの苔も、青い岩 石も、褐色の木の実も、見つめているとすべて布か皮を染めるのに役立つように見えてきたのだろ 日本のいろ

8. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

いることも、すぐ私にはわかった。 その人がいっか、自分で仕事を持ち、意欲的に生活にいどむようになった頃、目に見えて着るもの の色彩が変ってきた。あきさんといえば黒っぽい結城を想い浮べていたのに、彼女は、どきんとする ようなショッキングな色のきものを好んで身につけるようになった。緑なら、目のさめるようなエメ ラルド色とか、プルーなら濁りのないトルコブルーとか、赤も黄も、これ以上鮮やかな色は出ないと いうようなものを大胆にきものにとりいれた。あっけにとられる想いで私は彼女の変貌を眺めた。そ れらの色彩は、普通の常識では和服にはタブ 1 の色ばかりだった。しかしそれらをあきさんは平気で 和服にもちこみ、大胆な色合せで、最も伝統的な麻の葉や菱や、亀甲などの型にまとめあげてきもの に染めつけた。彼女はそれらのきものの裾廻しにも、思いきって烈しい色をあわせた。 それは誰にでも似合うものではなかった。美しい体型と雰囲気を持つあきさんだから着こなせるも ので、普通の主婦が着たら、悪趣味とか野暮とかになりかねない危険な色であり配合であった。それ をあきさんは商品にもとりいれて、モデルに着せて雑誌にのせたりもしていたが、私は一度も、それ を着こなしたモデルも女優も見たことがなかった。きものが浮きあがり、人がきものに着られて しかしそれをあきさんが身につけると、きものの大胆さが沈み、古典的な風貌の彼女の顔や、神秘 的な雰囲気が、きものの中から匂いだすから面白いのだった。私は彼女のつくったそれらのきものが 売れたかどうか訊いてみたこともないし、自分もすすめられて三枚ばかりつくってみたが、私には着 こなしきれなかった。きものを着こなすということがどんなに個性を要求するかということ、それは 洋服以上だと悟ったのはその時だった。 こ 0

9. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

もっと多種多様であったらしい。むらさきとあかね、あいときはだ、あいとくちなし、べにばなとう こんなどのとりあわせでまた別の色も生む。 当時の女官装東についての文献を見ると、一年四季はおろか、各月に分けて、その時は何の色を着 るかということまで、おおよそ定められていたらしい 紅や紫や青だけの衣類ではなく、たとえば表山吹はおもて薄朽葉、うら黄色。裏山吹はおもて黄 というように色のとりあわせが微妙に千 色、うらくれない、紅つつじはおもて蘇芳、うらくれない、 変万化で数かぎりもなくあった。 平安時代の女房の衣裳は宮廷生活の色どりとして、欠かすことの出来ないものであった。もちろ ん、貴族の男たちも、それそれ鮮やかな色の衣服をつけ、現代の女たちよりはるかに美しい色彩の物 をまとっていたが、女たちのそれとは比べものにならない。 女たちの衣服は、表と裏のとりあわせの上に、幾枚も重ね着をするので、その色のとりあわせが更 に複雑に重なる。 紫式部日記の中の一条天皇の二宮御五十日の条に、中宮彰子の衣裳を、「例の紅の御衣、紅梅、萌 黄、柳、山吹の御衣、上には葡萄染の織物の御そ」 と記している。紅の御衣は打衣、紅梅、萌黄、柳、山吹の御衣とは重袿で、えびそめの織物の御衣 とは上着であるから、この豪華な色彩の虹をまとったその日の中宮彰子がどんなに華やかだったかは 想像をこえるものがある。 トロンとか経済的 当時の女たちはそれらの衣裳を自分で選んだのではなかったらしい。父親とかパ 後見人が、選び、仕立て、着せた。しかし、女は自分が選ばなくても、美しい色を自分の肌にまとい うちぎ

10. 瀬戸内晴美随筆選集〈2〉芸術・滅びぬ死

紐の道明にも、石川さんの色というのがある。それは彼女のつくりだした注文色で、彼女の売場に しか置かれていない。同じ紫や緑や、黄や赤でも、従来の道明のものと少しずっちがうので、彼女の 色は鮮やかで、光るような輝きを持つ。エナメルの草履に、緑や黄や赤の原色が使われるようになっ たのも、彼女の思いきった採用からだと思う。 彼女がそら色の、型も従来のものより全体にきやしゃな草履を編みだし、それが当時、彼女がっと めていた伊勢丹に並んだ時の新鮮な愕きは忘れられない。 コートに、目のさめるような紫の縮緬の衿をつけることを教えてくれたのも彼女だった。私はそれ 以来、ずっとコートはその形にしているが、それをみて、真似をしたいという人に何人も出逢い、そ の人たちは私のものと同じ型にし、色衿をつけたが、衿をつける時になってたじろぎ、私のように思 いきった色はひかえてしまう。するとそれはもう、どこか野暮ったいネンネコみたいなコートになっ てしまっていて、少しも美しくなくなるのであった。 やつばり、きものは一人が着こなすもので、きものに着られないためには、相当の歳月と、お金を 使わなければならないのかと思いはじめている。 石川あきさんと同じ頃知った人に鯨岡亜美子さんがいる。 私 A 」 もう十数年も昔になるだろうか。私は日比谷公園の横の道を z の方に向って歩いていた。その も時、向うから男の人二人にはさまれるようにして歩いてくるきものの女の人に出逢った。 大柄な豊満な軅つきのその人は、全身を黒っぽい盲縞のような紺のきものでつつんでいた。普通の 神経でいえば、それは男物か、女なら、八十歳の老婆の着るような地味なものだった。その上、首筋