聞い - みる会図書館


検索対象: 疵を継ぐ者 前編
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1. 疵を継ぐ者 前編

く、つきょ 空虚だった。 何を見ても、何を聞いても、胸に迫るものは何一つない。何も響いてはこない。 ざっとう 雑踏に身を置きながら孤独を感していた。 ながれ 流は自分を追い越していくサラリーマンを学生を、通り過ぎる女を男を見た。いつもと変わ らす、いつもと同し顔をしている。 なぜ世界はいつも通りなんだろう。 前 自分だけが世界に取り残されている気がした。人波に体をまかせていても孤独だった。 亠名こくち 告知を聞いて、一晩中泣いた。声を上げて泣いた。そうして涙が涸れても起き上がる気力は いえい をなく、倒れ込んだ恰好でしっとしていた。暗闇の中の母と兄の遺影がやがて朝日にばんやりと ようよ 見えはしめた時、流は漸う体を起こした。誰もいないただ広いだけの屋敷にいたくはなかっ とどろ 長きに渡ってその名を轟かせた四堂組の『一枚岩の団結』はここに至ってついに真っ二つに 割れたのだった。

2. 疵を継ぐ者 前編

「それがお父さんにはこたえたんだろう。再入院して、検査してみてわかったんだが : : : ガン は転移していたんだ」 転移 頭から足先へ冷たいものが駆け抜けていった。 転移、ガンの転移。 さつかくと ガン細胞はなくなってはいなかったのか。瞬間、流は視界が狭くなっていく錯覚に捕らわれ た。 かしょ せき 「リンパ節に赤くなっている箇所がありーーーーーー、体がだるくなり、そのうち痛みも : ・・ : 咳が 出て 一 = 明かとぎれとぎれにしか聞こえない。言葉は耳に入るが内容は頭を素通りしていく。 「・ : : ・死ぬんですか。親父・ : ようやく絞り出した声は震えていたかもしれない。医者は説明を止め、蒼白になった流を見 前つめた。 緒「一番大切な事は本人の心の持ち方なんだ。体力を維持し、前向きの気持ちで自分が信した治 療を : : : 」 疵 「死ぬのかよ卩」 き。よら・がく 張り上げた声の大きさに、流自身が驚いた。だが、驚愕の表情を張りつかせている医者を気 そうはく

3. 疵を継ぐ者 前編

にも限度ってもんがある。それは俺自身も同しだ」 両国の背中からぎらぎらとした闘気が見えるようだった。 「これは戦争だ」 「だめだ。こっちから仕掛けるのは許さない」 顔色ひとっ変えず、木佐が答えた。 「 : : : おい、どうしちまったんだ。お前らしくもない。 ごくどう 『黒狼』と呼ばれた極道だろう」 言いながら、両国は右手をのばした。 指が木佐のシャツの左胸をとんと突いた。 「胸の狼、完成させてみちやどうだ ? 」 何気ない言葉だったが、二人の間の空気は凍りついた。 いや、そうしたのは木佐の方だったかもしれない。 「そのつもりはない」 胸を突く両国の手を払い、言い捨てた。 「まあ ) しいたが、俺が止めても若いのの中には聞かないやつもいる。全員に目が届くわけじ ゃないから、やつらが先走ったとしてもそれは仕方のない事だ。なあ、木佐」 確信犯的な宣言に、だが、木佐は何も返さなかった。 と、つき ここんとこおとなしいがお前はかって

4. 疵を継ぐ者 前編

「ああ、済まないな。どうだ。流様の様子は」 じんじよう しようすい 昨夜の流の憔悴ぶりは尋常ではなかった。父親の余命がいくばくもないと、たった十六の少 年が聞かされたのだ。それもついこの間兄を失った矢先に。 心配だったが、 時間がとれず四堂邸に出向くことができない木佐は昨夜のうちに、流の様子 を報告するよう摂に言い含めておいたのだ。 『それが : : : 今朝、お屋敷に来てみたら坊ちゃんの姿がなくて。いつもなら私がいく時間はま だ寝てるんですよ。それとタ方、お友達から電話があったんですけど、今日坊ちゃん学校休ん でも、一晩くらい帰らないこ だっていうんですよ。お友達も探してるようでしたけど : と、よくありますから : : : 』 「そ、つか、わかった : ありがと、フ」 「おい、ど、フした」 後ろからかけられた声に木佐は返事をしなかった。電話を切り、今度はメモリーを呼び出 前し、ボタンを押した。 緒なかなかつながらない。 苛立っ木佐の耳にぶつりと音がした。 疵 『お客様のおかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源がはいっていない為かか りません』 ようす

5. 疵を継ぐ者 前編

食器をとらえた視線の先に何足かの靴があった。正確には何人かの足が見えた。どの足もあ まり見かけないエナメルの靴やサンダルを履いている。 視線を上げていくと日比野の背中があった。その向こうに男が数人、囲むように立ってい た。 やくざだ。 流にはすぐにわかった。 ししゅう ゴルフシャツや派手な刺繍のはいったトレーナーを着た男達はポケットに手をつつこみ、ふ てぶてしい表情で日比野を見据えている。 一度下げた食器を静かに地に下ろすと、日比野はゆっくりと男達に向かい合った。 「なんの用だ」 低い声が日比野のロをついた。それまでと全く違う地を這う響きだった。 編「日比野だな」 前 ハンチパーマの男が聞いた。 者 日比野は何も答えなかったが、男は返事を期待してはいないようだった。しろしろと日比野 継かっこう を , の恰好をなめまわし、足一兀の食器に目を止めた。 「んだ、こりや。『喫茶店でも始めるつもりかあ ? 食器に片足を乗せ、ぐらぐらと揺すった。

6. 疵を継ぐ者 前編

いちいかずや おもむろに起き上がり、市井一也はテープルの上の携帯電話を奪い取り、乱暴に受信ボタン を押した。 『ゃあ、カズ君。元気にしてるかい』 ゅうちょう どな 昼寝の邪魔をした相手を怒鳴りつけてやろうと意気込んだ市井だったが、気の抜ける悠長な くず 口調にその決心はあっけなく崩れた。 「 : : : んだよ。また今日は」 あいさっ 「挨拶だなあ。僕が電話して困ることでもあるのかい』 「別にねえけど。用もないのに電話なんかすんなよ。こっちだって暇しゃねえんだ」 ソファーに体を起こし、市井は伸びをしながらそう言った。 「昼寝を邪魔して悪いとは思うけど用はある。流を探してるんだけど、そこにいないかな』 にがにが 京也にはお見通しだった。苦々しい気分で市井は頭をかいた 「流 ? さあ、〈真空管〉にはいねえな。学校に来てないのか ? 」 前『ああ、今日は休んでる』 ちょうど ふうん、と気のない返事をした市井は丁度フロアに続く階段を降りてくるフェンウェイに気 継 疵「おい、フェンウェイ。流知らないか」 けげん 店に来た途端、流の居場所を聞かれたフェンウェイは怪訝な顔をして首をふった。 こ

7. 疵を継ぐ者 前編

これ以上、両国の無駄話に付き合う気もなかった。 木佐はデスクの向こ、つにまわり、椅子の背にかけてあったジャケットを手にとった。 「ああ、それとな、面白い話をうちの下っぱが仕入れてきたんだ。昨日、ガキ共の大立ち回り うらしんじゅく があったらしいぜ。例の〈裏新宿〉とかのチーム争いだ」 〈裏新宿〉卩 袖に通しかけていた手を止め、木佐はソファーへ戻った。 「詳しく聞かせてくれ」 ほうなんちょう 「地下鉄の車内でタイマン張ってたそうだ。方南町あたりでもガキが何十人もなんかやらかし てたらしいが。詳しいことはわからん」 両国は興味なさそうに答えた。 それより、なぜ木佐がそんな事を気にするのかの方に少々興味をそそられた。 編両国の心中など知る由もない木佐はしばらくの間考え込んでいたが、おもむろに立ち上が 前 、部屋を横切った。 さえぎ 者 だが、ドアにたどり着く前に筋肉質の腕が行く手を遮った。 を「どけ」 よくよう 低く抑揚のない命令は、ドアをふさぐ両国の腕を下ろさせる事はできなかった。 「言っておくがな、田島ら一派は本気だ。こっちが及び腰じゃああいつらは付け上がるだろう そで

8. 疵を継ぐ者 前編

メイチー れがどこの国かさえわからなかったのに。しかし、梅姿の存在は流も知らなかった。 メイチー 「梅姿。流と、こっちが京也」 メイチ 1 かたくな フェンウェイの紹介に一一人は笑ってみせたが、梅姿は頑な態度を解こうとはしない。 「君、 くっ ? 十才くらいかな」 そこ メイチー 機嫌を損ねてしまった立場上、流はおもねるように聞いた。だが、その瞬間、梅姿の固い 顔は和らぐどころか、赤く染まった。 「十三リ子供しやナイ " ・ メイチー 流の努力は逆に梅姿の怒りに火をつけてしまった。 「あ、ご、ごめん ! ちっちゃいから十才くらいかなって : そうしゃなくて」 史上最悪の言い訳はすればするほどどっぱにはまっていく メイチー 助け船の出しようもなかった。京也とフェンウェイは恐る恐る梅姿の顔色をうかがった。 赤かった顔色が「真っ赤』といっていい色に変わっていき、そして、 「ばかっリアンタ、嫌いつつ こきみ ガラスも割れん程の声が〈白梅林〉に響き、そのあとに頬を張る小気味いい音が続いた。 やわ ほお あ、いや、胸がじゃないよー

9. 疵を継ぐ者 前編

162 「今回の事は自分でなんとかする。お前達は手え、出すな」 な、ばっか ! 何言ってんだよ ! お前一人でどうこうできる相手かよ、比嘉は ! 手 え、貸すから : : : 」 立ち去ろうとするフェンウェイの前に回り込んで、市井が息巻い 「 : : : うつ、うるせえ ! もともとお前とは敵なんだ ! 指図される謂れはねえっー フェンウェイは前に立ちはだかる市井の胸をカ任せに押し、階段を駆け登っていった 「ばかやろうが。勝手にしろー ドアを閉める音を背中で聞き、市井は毒づいて飲みかけのビールをあおった。 「おかしいな : それまで全く言葉を発さなかった京也が呟いた。 「なんだよ。なにがおかしいって ? ビールからロを離し、市井が聞く。が、京也は何やら考え込んでいて答えない。あっちに怒 から 鳴られ、こっちに無視され、面白くもない。市井は空になったビール缶を握りつぶした 9 午後六時半。 残された時間は一時間半。

10. 疵を継ぐ者 前編

下に罵声を投げつけ、比嘉はあらためて梅姿を見下ろした。 「いい気んなってんじゃねえぞ。てめえみたいなガキのお守りはもうお終いだ」 吊るされる形の梅姿は痛みをこらえて聞いた。 「 : : : 優しくしてくれたノ、嘘 ? 全部、嘘 ? 」 ゆが 比嘉はロの端を歪めて笑った。 「本気だとでも思ったのか ? ばっかじゃねえか。てめえは只の餌だ。餌は魚がかかりや用な しなんだよ はず がくぜん わかっていた筈なのに、比嘉の口から発せられた言葉は梅姿を愕然とさせた。 ようしゃ 言葉のひとつひとつが彼女を容赦なく、残酷なまでに打ちのめした。 から 酔っぱらいに絡まれているところを助けてくれた。話を聞いてくれた。枯娘と呼んでくれ いや、名を呼ぶつもりなどなかったのだ。餌に名など必要ない。 前 「あばよ、枯娘 , 者 突き飛ばされ、梅姿の体は宙を飛んだ。長い黒髪がまるで水中のように四方に広がった。 まぬか をそこは二階と三階の踊り場だ。下はコンクリート。 死は免れたとしても確実に大怪我をす 「梅姿 る。 しま ク 1 ニャン